ホームページをつくりました 見に来てください念願のホームページを開設しました。 アドレスは、 Eメールは、 です。ぜひ、見に来てください。感想、ご意見をメールでお寄せください。 内容は、とりあえず、「富山事件とは」とニュースの掲載から始めました。ニュースは139号から掲載しました。3月の集会での浜田先生の講演も載っており、鑑定書にある収束図(目撃者が供述する身長や年齢、体格、顔つきなどの「犯人像」が取調べを経るにしたがって富山さんの特徴に向かって収束していく図)も、カラーでよりわかりやすくなっています。 |
五十の手習い「原稿は手書きに限る。ワープロなんてとんでもない。パソコンなんか論外だ。遊びのためにパソコンを覚えるんならいいけどな」と言っていたのが、ある事情でパソコンを覚える羽目になり、いまではパソコンで編集をさせられる体たらく。強がりではなく、琴線に触れる文章を書ける力を身につけようと思ったらパソコンから入ってはだめです。御存知だと思いますが、推敲過程が残りませんから。幾人かの賢明な作家が手書きにもどったと聞きましたが、さもありなんと言いたくなります。 とは言うものの、たしかに便利は便利です。編集など一遍味を占めたらやめられません。原稿の推敲は手書きでやって、完成原稿をパソコンでうってこいというのが、一番都合のいい主張でしょうか。 それはともかく、若い人と話すたびにホームページは?メールは?と聞かれて断絶を思い知らされ、やっと追いつこうと始めた次第。「ホームページへの感想・ご意見をください」=お知恵拝借もメールが「当世風」(こういう表現がそもそもマッチしていないらしい)なのですが、ちょっと事情がありましてメールは十月末か十一月まで待っていただかねばなりません。それまでの時間を活用して腕を磨き、「メル友」でバリバリやりますので、乞うご期待。なんて事を軽薄に口走っていいのだろうか、と思わないでもありませんが、物事を本当にやろうと思ったら先に宣言してしまって退路のない立場に自分を追い込むのが確実なやり方ですから、あえて公言することにします。これでできなかったら、大恥ですね。だから、おおいにジタバタすることにします。 |
報告 8・6ヒロシマ大行動に参加して今年も「被爆55周年−再び戦争をくり返すな! 8・6ヒロシマ大行動」に、富山さん、うり美さん、私で参加しました。今回は「かちとる会」も実行委員会に参加団体として登録しました。 集会は広島県立総合体育館で開かれ、昨年を上回る2800人の人々が参加しました。 集会に先立って、会場前で富山さんの無実と再審無罪を訴えるビラをまきました。炎天下、2千枚近くのビラをまくことができました。昨年に続き、富山さんが一番張り切ってまいていました。 集会は、沖縄のフォークシンガーまよなかしんやさんと世羅高校生によるバンド演奏で始まりました。 この日、もっとも心を打たれたのは、詩人の栗原貞子さんによるご自身の詩の朗読でした。栗原さんは車椅子で登壇、原爆が投下された年の八月末に書かれた『生ましめんかな』、1991年の自衛隊掃海艇派遣に際して詠まれた『何のために戦ったのか』を朗読されました。「……一度目は過ちでも、二度目は裏切りだ」という言葉は深く心に残りました。 沖縄から、7月20日、人間の鎖で嘉手納基地を包囲したたたかいの共同代表もされている佐久川政一さんが、サミットに対し2万7100人の基地包囲で「沖縄からの平和の発信」を行ったことを報告、「うないネットコザ」の桑江テル子さんが「軍隊は国を守るが国民は守らない」「沖縄サミットに対抗し、五ヵ国の女性たちのサミットを開き、日米新ガイドライン撤廃などの声明を発表した」と報告しました。 集会の参加人数も運動の昨年以上の広がりを感じさせるものでしたが、集会の後のデモも、うり美さんが「こんなにいたっけ」と驚いたほどでした。
|
広島「かちとる会」の大槻さんから 1945年8月6日午前8時14分強、放射能に射ぬかれ、爆風に吹き飛ばされ、全裸の体を熱線によって灼かれ、生き地獄・人間の尊厳の究極的破壊。あれから55年の年月が過ぎました。しかし、私たち被爆者にとって昨日のことのような出来事として感じられます。 |
今回は、
でした。うり美さんは夏バテか、体調を崩してお休み。 天は我を見捨てず ここ数十日の30度を越す猛暑の中、今日は台風の接近で大雨の予想、ビラまきは大変だと思いながら向かいましたが、天気は曇りでそんなに暑くもなく心地よい風に恵まれました。 R・Mさんから 誠に小額ながら通信費の一部にでもおあて下されば幸いに存じます。 愛媛県の方から 富山さんの再審無罪を求める署名5筆が送られてきました。 |