●ニュースNo146(2000年11月1日発行)

◎・・・弁護団が東京高裁と折衝

大井町ビラまき報告


 

直ちに再審開始を!
裁判所は証拠開示命令を!
・・・弁護団が東京高裁と折衝

 10月4日、富山再審弁護団は、東京高裁第三刑事部と折衝を行いました。折衝には、仁田陸郎裁判長、角田正紀裁判官(右陪席)、半田靖史 裁判官(左陪席)が出席、弁護団からは葉山岳夫弁護士、太田惺弁護士、小原健弁護士、原田史緒弁護士が参加しました。
 折衝で弁護団は、7月31日に「事実の取調請求書」とともに提出した鑑定書、ビデオ映像等の新証拠について説明を行い、これらの証拠を取調べ、再審を開始するよう求めました。
 提出した鑑定書やビデオは、確定判決が「本件目撃証人中最も良質の証人である」とするI証人の信用性を覆すものです。I証人の目撃状況(視力が右0・3〜0・4、左0・1〜0・2で、16・45メートル離れた未知の人物を目撃)では「顔の識別は不可能」であることを明らかにしており、「指揮者」とされる犯人が富山さんと同一人物であるとするI証言を否定しています。
 さらに、弁護団は、検察官が開示を拒否している証拠について、裁判所が開示命令を出すよう申入れました。
 本件では、約40人の目撃者がいて、そのうち34人の供述調書があるとされていますが、検察官はそのうち7人の供述調書しか開示していません。特に、I証人の目撃供述の信用性が新証拠によって大きく揺らいだ今、I証人と一緒に事件を目撃したというY氏の供述は大きな意味を持っています。しかし、検察官はこのY氏の供述調書の存在を認めながら、開示を拒否しました。
 また、事件から一番近い時期の富山さんの容貌を示す逮捕写真も検察官は開示しようとしません。逮捕写真を開示して何が不都合なのでしょうか。通常なら、公判資料として提 出されるはずの逮捕写真を検察官が 隠し続けるのは、何かまずいことでもあるのかと疑われてもしかたありません。
 弁護団は、再審請求をしてから6年以上が経過しているが、折衝に来るたびに裁判官が代わったり、時間 がなくて記録を見ていないと言われてきた、無実を訴えている請求人本人にとっては納得できるものではな いと、富山さんの無実を明らかにするために一刻も早く審理を進めるよう強く求めたとのことです。
 弁護団のたたかいに連帯して「かちとる会」も再審開始・再審無罪に向け全力で頑張ります。再審開始に 向け、証拠開示が状況を打ち破る大きなカギとなります。証拠開示を求める署名運動を大きく広げていきた いと考えています。ぜひともみなさんのご支援をお願い致します。 (山村)

すべての証拠の開示を!

 富山さんが再審を請求して相当の年月が経過しています。数多くの支援者の方々に支えられてがんばっている彼を見ていると、遠く離れ、しかも年を重ねている私に何ができるのかを考えてしまいます。
 私が一番この問題に執着しているのは、検察側が出した目撃証人すべてが、事件直後は富山さんの人物像とはまったく違った「犯人像」を供述していることです。
 だから、私は、検察側が彼を「犯人である」とする証拠だけでなくすべての証拠を提示してほしい、私たち一人一人が事の真実というものについて誠意を持てる裁判をしてほしいと訴えてきました。
 今、日本では、再審無罪を勝ちとることは非常にむずかしいようです。狭山事件でも再審が棄却され、異議申し立てに対してもいまだ結論を出そうとしていません。えん罪事件も、「松本サリン事件」や愛媛の誤認逮捕・起訴事件のように、跡を絶っていない状況です。市民にとっても無縁ではありません。
 今、司法改革が言われるなかで、私達は富山事件や狭山事件のようなえん罪・誤判をなくし、不当な司法制度・裁判を変えていくためにどのような考え方を持つべきかを本気で考えなければなりません。
 裁判官の人権教育・証拠開示の保障・代用監獄の廃止など、日本は世界の中でも遅れている国です。弁護士の経験のある法律家から裁判官を選ぶ法曹一元化もやるべきだと思います。それは、「捜査段階での自白 をたやすく信じて、これを覆すことは容易ではない」と自白に依存したが故にえん罪・誤判をしてしまったある裁判官の話でもわかると思います。
 同僚裁判官の判決を覆すことのできない日本、陪審も参審制度もない日本、検察官が証拠隠しを続け平然としている日本、これが先進国だと言われていると考えたら恐ろしくなります。
 「天皇」への忠誠を作り出す「日の丸」「君が代」法の成立、教育基 本法の改悪、国鉄労働者への国家による不当な首切り・組合差別を頂点とする労働法の改悪、そして大失業と大恐慌によって労働者は苦しめられています。また、国がやらなければならないお年寄りなどへの福祉政策を切り捨て、人頭税とも言うべき介護保険料の徴収、こうしたことで福祉そのものはさぼり続けています。そして、周辺事態安全確保法なる日米安保条約による戦争協力法が成立したことによって、一歩一歩きなくさい軍靴の足音が近づいています。戦争への道が近づけば近づくほど、人権は無視されていきます。人権が無視されるようになれば、戦争に突入することは過去の歴史が証明しています。私はそうしないために全力で闘いぬいてまいります。
 富山さんへの弾圧は私達一人一人にかけられた敵権力の攻撃であり、彼はねらい打ちされた一人ではないでしょうか。 (大槻泰生)

署名取るのは初体験

 国賠ネットワーク

 土屋 翼

 大井町駅頭にたって、早々に十代の女性が署名をしてくれた。

 「生まれて初めて署名をもらいました」と間抜けな挨拶をしてしまったのだ。

 さて昨年の8月、広島で富山さんにたまたま出会い、広島を案内してもらったのだ。定番のお好み焼き屋で「署名活動に参加しますよ」が一年余後、実現したのである。それも二回も約束をホゴにしてしまってからである。面目ない。一度目は、近所の子供達との「タコ焼きパーティー」の約束を失念していて、二度目は大杉栄の墓前祭の案内が間近にきて、参加予定のMさんとは来年は会えなくなる可能性もあるので(Mさんは高齢である)、約束をキャンセ ルしたのだった。それゆえ今回は、「行きます」の通知なしでの参加であった。


当日、富山さんは鳥取県の実家が地震の被害にあって不参加であった。残念。
 富山組三人衆はたまた三羽烏と小生の4人で定刻の12時開始。
 「富山さんは無実です」「再審の 署名をお願いします」と前後のゼッケンと呼び掛けとビラまきで奮闘すれども、40分で3人の署名であった。
 後半は50代以下の男性中心に声をかける。学生を除いて、男性はうつむき加減で急ぎ足の人が多い。人のふりみてと反省させられる。
 ターゲットの間違いもあり、後半の20分で1人の署名とトータル4名であった。集約結果は3名、4名、5名、6名と小生は下から2番。初陣としてはヨシとした。50代以上の女性が一番署名してくれそうというのが実感であった。また身体障害者の人にビラを渡そうとしたら「障害者は関係ない」と拒否されてしまった。なにも言えなかったのだが、次回はしっかりと説得しよう、納得させようと思った次第である。
 知恵ある人は知恵を、金のある人は金を、力のある人は力(汗)をと運動を支援する形には幾つかある。小生、知恵も金も無いので力(汗)を出した次第です。また新しい人の参加はズーッと支援している人に元気を与えると確信して参加しました。まだ未体験の方は是非参加してみてください。
 がんばっても、1時間で緊張感が無くなりますので、1時間がマックスです。得るものは沢山あります。是非体験を。

◆ ありがとうございました

 この間、何人もの方から署名やカンパ、手紙を頂きました。思いがけないお便りに大変励まされます。勇気と元気をありがとうございました。もちろん、署名もカンパもとってもうれしいです。ありがとうございました。

◆ 大井町のYさんから
 「新しく協力者が現れましたね。(会報読みました。よかった、よかった) 
 元気づけられたようです。明日のために第十一歩目。」
という手紙とともに、2000円ふり込んでいただきました。
 「新しい協力者」とは、8月の定例会に、3月の集会に参加された品川区の方が来てくださったものです(9月号のニュース参照)。

◆ 愛媛県の方から
 愛媛県の方からこの間、続けて署名を送って頂きました。
 「8・6ヒロシマ大行動」の集会に参加した時まいた署名用紙で送られてきていますので、集会に参加された方なのだろうと思います。
 今回も、5名の署名を頂きました。

◆ 杉並区の方から
 「皆様の御苦労に敬意を表します。僅かですが年会費としてお送りさせて頂きます。富山様はじめ皆さま方の御健勝をお祈り申し上げます」
という手紙とともに会費を振り込んでいただきました。

◆ Yaさんから
 「日毎に寒くなるようです。お元気ですか。いつも会報をご送付いただき、ありがとうございます。
 切手を同封いたしました。通信費に使っていただければ、と思います。
 署名集めにも厳しい季節となります。くれぐれもお体にはお気をつけください」
という手紙とともに切手を頂きました。

みなさん、ありがとうございました。(山村)

 今回の大井町ビラまきには「国賠ネットワーク」の土屋翼さんが応援に駆けつけてくださいました。

 署名集めは、

亀・・・ 6名
土屋・・・ 4名
うり美 ・・・3名
山村 ・・・5名

でした。

 富山さんは、鳥取県西部地震で被害を受けた実家のお手伝いのため不参加。うり美さん曰く「富山さんがいれば、私がビリにならなかったのに・・・」。
 それでも、亀さんを別にすれば、「1」や「0」の数字が並んだ前回、前々回に比べて“圧倒的”でした。
 長くやっているとどうしても惰性に流されそうになりますが、新しい人が参加してくださると俄然やる気になるものです。土屋さんの姿を見たとたん、パッと気分が明るくなり、ピッと背筋が伸びました。ちょっとした気分の差なのでしょうが、ゲンキンなものです。
 土屋さんからその時の原稿を頂きましたので掲載します。
 土屋さん、いろいろとありがとうございました。(山村)

 「新しく協力者が現れましたね。(会報読みました。よかった、よかった)
 元気づけられたようです。明日のために第十一歩目。」

という手紙とともに、2000円ふり込んでいただきました。
 「新しい協力者」とは、8月の定例会に、3月の集会に参加された品川区の方が来てくださったものです(九月号のニュース参照)。