●ニュースNo148(2001年1月1日発行)

◎今年こそ再審開始を!
証拠開示を求め、弁護団が検察庁と折衝 ・・・12月11日

大井町ビラまき報告


 

阿藤周平さんから

富山再審の開始を決定づける闘いを

 新しい年を迎え、新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年をふりかえって、富山再審の審理は何の進展もなく一年がすぎ去ったように思われます。再審請求を出して六年半が経過した現在、裁判所の態度は何とも不可解でなりません。開かれた司法、迅速で公正な裁判が要求される今日、まだまだ裁判所と国民の間には大きな「ミゾ」があり、その「ミゾ」は深まるばかりのように感じられます。

 今年は信頼できる裁判所に近づけ、誤判をなくす闘いに取り組む中で、富山再審の開始を決定づける闘いを進めてゆきましょう。昔の「ことわざ」に「待てば海路の日和あり」というのがありますが、この意味はできる限りの尽力、闘いを強めてゆく先に見えてくる晴天であろうと私は思います。

 2001年、富山再審の勝利の年にしたいものです。

 皆様のご健闘をお祈りいたします。

 1月1日

  「かちとる会」の年賀状について

 今回の年賀状のイラストは、以前にも描いて頂いたことのあるK・Mさんにお願いしました。年末の忙しい中、無理して描いて頂き感謝しております。
 富山さんに大変よく似ていて、しかもかわいい絵で、富山さん本人も「もっとかわいいのに」と言いつつもご満足のようです。
 もっとも、「頭を下げているようでちっとも下げてない。その態度の大きいところが富山さんそっくり」 という声もありましたが・・・。
 いずれにせよ、今年はこのイメージキャラクターで行きたいと思いますので、どうぞ、よろしく。かわい がってやってください。

今年こそ再審開始を!

証拠開示を求め、弁護団が検察庁と折衝 ・・・12月11日

 12月11日、富山再審弁護団は、東京高等検察庁に赴き、証拠開示について検察官と折衝を行いました。
 以前、弁護団が検察庁に証拠開示を求めた時は、西正敏検察官が担当でしたが、その後、異動があったということで、今回は太田修検察官が応対しました。

 弁護団からは、葉山岳夫弁護士、太田惺弁護士、小原健弁護士、田中泰治弁護士、原田史緒弁護士が参加しました。事前に弁護士会で待ち合わせて、五人の弁護士がそろって検察庁に向かうところはやはり迫力があり、頼もしい弁護団だと思いました。
 今回の折衝では、弁護団がこれまでの西検察官との折衝経過を説明し、引き継ぎはどうなっているかと聞くと、太田検察官は「西検察官に問い合わせたところ、証拠開示については開示しないということで回答済みということだった」と答えたそうです。
 弁護団は、西検察官の回答は弁護人として納得できるものではなく、裁判所に対して証拠開示命令を求めている、また、西検察官の回答も「現段階では開示できない」というものであり、その後、弁護団は新たに事実の取調請求を行うなど状況は変わっている、と目撃者の調書や逮捕写真など検察官が隠し持っている証拠の開示を強く求めたとのことです。
 特に、逮捕写真は、事件にもっとも近い時期の富山さんの容貌を示す写真です。通常、調書に添付されていたりするのですが、本件では一切明らかにされておらず、上告審で弁護団が証拠開示を求めたのに対しても、検察官は開示を拒否しています。再審段階でも、西検察官との折衝において開示を求めましたが、検察官は開示を拒否しました。

 一体なぜ、検察官は逮捕写真を開示しないのでしょうか。

 この事件は、目撃者の写真選別が争点になっています。法廷に立った目撃証人の、事件直後の供述は、富山さんとは違う「犯人像」でした。それが、捜査官の取り調べを経るにしたがって、富山さんに似た特徴を述べるようになり、富山さんの写真を「犯人に似ている」と選ぶようになります。
 目撃者たちが事件の時にどういう目撃をし、それをどう供述していたのかが最大の争いになっている事件で、被告とされた富山さんの、事件にもっとも近い時期の容貌を示す逮捕写真を開示しないのはどうにも理解できないことです。
 本来ならば、検察官にとって、逮捕写真など開示しても何ら不利益になることもないはずです。それを頑に開示を拒否するのは、富山さんの逮捕写真を開示すると、検察官の主張にとってまずいことでもあるのでしょうか。もし、そうだとしたら、開示しないのは許せないことです。検察官の主張に沿った証拠は出すが、富山さんが「犯人」であることを否定する証拠は出さないというのはあまりにも卑怯なやり方です。検察官がそうではないと言うのならば、開示すればいいのです。そうすればすべてははっきりします。
 この事件の目撃者は「約40人」いるとされ、そのうち「34人」の供述調書があると、捜査責任者だった警察官が証言しています。公判で明らかになった目撃者はこのうちの7人だけです。他を検察官は隠し続けています。

 弁護団は折衝で、検察官が開示していない目撃者の供述調書や捜査報告書の開示も強く求めました。

 法廷で富山さんを「犯人だ」としたO証人の車に乗っていて、事件を目撃したK氏という人がいます。この人は新聞記者でした。弁護団が捜し当てて話を聞いたところ、K氏は犯人は、「やせて小柄で貧弱な男」 「細面で青白くキツネ顔の男」と話し、富山さんが身長180センチもあると聞くと、「そんな大男じゃな い。それだけは言える」と言い、富山さんの写真を見せると「こんな男じゃない」と否定しました。
 また、一審で法廷に立ったI証人と一緒に事件を目撃した人でY氏という人がいます。I証人は、右0・3〜0・4、左0・1〜0・2程度の視力で、16・45メートル離れた「指揮者」を目撃しました。この条件で見ず知らずの人物を目撃しても同一性識別は不可能であることを、昨年七月に弁護団が「事実の取調請求書」とともに提出した鑑定書が明らかにしています。I証言の信用性が否定された今、一緒に目撃したY氏が何を供述していたのかは重大なことです。前任の西検察官は、Y氏の供述調書の存在を認めながら、開示を拒否しました。

 検察官といえども、「公益の代表者」として、真実を究明する義務を負っています。検察官が持つ証拠は、国民の税金で集められたものであり、ひとり検察官のためのものではありません。真実発見のためにこそ役立てられるべきものです。
 これまでも再審無罪になった事件で、検察官が関係ないと開示を拒否し続けた証拠の中に、無実を裏付ける証拠があったという事例がいくつもあります。検察官はすべてを明らかにして公明正大に判断を問うべきです。重要な証拠を隠し続ける検察官のやり方を到底認めることはできません。

 折衝の最後に、弁護団は、25年間もこの事件をやっており請求人が犯人でないことは確信をもって言える、実体的真実発見のためにも開示してほしいと強く求めたとのことです。
 太田検察官は「少し検討する時間がほしい」ということで、二月に再度、折衝を行うことになったそうです。
ー ジキャラクターで行きたいと思いますので、どうぞ、よろしく。かわい がってやってください。

昨年のたたかいのうえに、今年こそ、再審開始を!

 昨年、弁護団は、新たな証拠である鑑定書やビデオ映像とともに「事実の取調請求書」を提出しました。裁判所とも折衝を行い、証拠開示命令を求め、再審開始を強く要求してきました。検察官に対しても証拠開示を求めて粘り強く折衝を行ってきました。また、四月には新しく原田史緒弁護士が弁護団に参加、再審開始を切り開く重要な力になってくださっています。また、新証拠となった鑑定書やビデオ映像は、富山再審開始につながる決定的な証拠であり、これらを作成してくださった鑑定人の方々のご尽力なくして富山再審はありませんでした。
 昨年十一月、多くの心理学者、法学者、法曹関係者の努力によって、「法と心理学会」が設立されたことも富山再審にとって大きなことでした。
 弁護団のたたかいに連帯して「かちとる会」もたたかってきました。浜田寿美男さんや阿藤周平さんをお招きして集会を開き、富山再審を広く訴えました。大井町やいろいろな集会でビラまき・署名集めを行いました。富山さんを先頭に東京高裁に申し入れを行い、集めた署名を裁判所に対して突きつけて再審開始を求めました。また、「8・6ヒロシマ 大行動」をはじめとするいろいろな集会に参加し、富山さんの再審を訴えてきました。ホームページの開設も画期的な一歩です。

 こうしたたたかいを、阿藤周平さんをはじめとする「かちとる会」会員の方々、大井町の方々、全国の心ある方々に支えられ、えん罪や権力犯罪と闘う多くの方々とともにがんばってきました。
 再審請求から6年半。積み重ねてきた成果の一切をかけて、今年こそ再審開始をかちとらねばなりません。

 何よりも、裁判所に対して事実調べを求めていきたいと思います。弁護団が新証拠として提出した鑑定書を作成した鑑定人、新たな目撃者、アリバイ証人を取調べること、富山さんの本人尋問を行うことを強く求めたいと思います。
 また、証拠開示も再審開始に向け大きなカギになります。証拠開示をかちとることは、裁判所をして事実審理を行わせ、再審開始に動かす大きな力になることは間違いありません。再審開始を求める署名とともに、証拠開示命令を求める署名運動を大きく展開したいと思います。

 今年もまた、みなさんのご協力を心からお願い致します。 (山村)

富山さんから

 

あけましておめでとうございます。昨年はご尽力いただき大変ありがとうございました。

 鳥取県西部地震の際にはお気遣いいただき、感謝しております。なにしろ奈良時代以来という大規模な揺れで、直後の電話回線が不通の時には最悪の事態も覚悟しましたが、幸い〈ブロック塀全滅・家屋「半壊」ながら人間は無事〉に胸をなで下ろしました。まだ余震が続いており、「大地震に連鎖傾向」「周辺で同規 模地震が続く傾向が強く」「双子の ように」という研究もあって安心できませんが、ひとまず小康状態。地域の復興も含めて課題は山積しており、すべては「これから」というなかに置かれています。

 様々な報道があったなかで、印象に残った事例をひとつ紹介させてください。

 「銀行(破綻)は人災です。地震は天災です。人災(の犯人・金融資本)にはいくらでも(湯水のごとく、表向きだけでも60兆円も70兆円も)援助するのに、天災(の罹災者)は見捨てるのですか」

 これは、NHKテレビの特集番組での、ある被災者の訴えです。まさしく今日の政治の核心を射抜いているのではないでしょうか。名指しで問われた鳥取県知事は大童で「前例のない援助」を引き出しましたが(危機意識では無能な島根県知事・澄田を上回る)、それでも焼け石に 水でしかありません。なぜこんなことになっているのかを、よく考えてみる必要があります。

 少し前まで「日本(にほんである。これをニッポンという人間、特に自称左翼は信用しない方がよい。そういう輩が実際にいるのだから嘆かわしい)の政治は三流だが、経済は一流だ」とまことしやかに語られ、 「世界に冠たる日本的経営手法」がデマゴーグや軽薄なお調子者によって喧伝されました。しかし、それが通用したかに見えたのもわずかの間にすぎず、いまではドン底を這い回る「失われた10年」のあげくにいつ奈落に転落してもおかしくない有様をどう説明できるのでしょう。おまけに、かろうじてぶら下がっている「クモの糸」ともいうべきアメリカ経済のバブルもいつ破綻するかという状態で、破局のはてに待ち構えるものを戦慄しながら見据えざるを得ないのが実状です。日米安保新ガイドラインにもとづく一連の悪法強行と人民の抵抗の根絶をめざす「いつか来た道」「新たな戦前の始まり」、規制緩和、政治改革・行政改革・司法改革、憲法改悪の行き着く先は天皇ヒロヒトを頭目として2千万人をうわまわるアジア人民を虐殺するとともにみずからも350万人をこえる犠牲をだした「すぐる大戦」の再現にほかなりません。日本が日本であるかぎり悪政は必然であり、悪政のもたらす犠牲は天災の比ではないのです。

 この厳然たる事実の重みをみすえ、「いつか来た道」から人間が人間らしく生きられる社会の建設への転換をかちとる21世紀の幕開けを富山再審実現・無罪をもってきりひらくべく全力で走りますので、よろしくお願いいたします。 (富山保信)

 

新年のひと言

 21世紀最初の年を迎えるにあたって、みなさんから「ひと言」を頂きました。

木下信男さんから

 今度の「東電OL殺人事件」控訴審判決(12月22日)は、世紀末の暗黒裁判の実態を白日の元に明らかにしました。特に、一審無罪を逆転有罪としたことは、憲法39条【一事不再理】に明瞭に違反する恐るべき、裁判官の犯罪であろうと思います。
 犯罪の証明の有無が、有罪無罪の判決と同義語であることは、刑訴333条と336条から知られます。同事件の一審判決が、無罪であったことは、適正手続(憲法31条)によって判断したにも拘わらず、犯罪の証明がなかったことを意味します。であるなら、控訴審の有罪は、明らかに刑訴336条に違反する、違法な判決であると言わなければなりません。
 わが国で法律を守らない、つまりアウトローの人種の最たる者は、裁判官であると言うことができます。わが国の刑事訴訟は、平野龍一元東大学長が言ったような「かなり絶望的」どころではなく、正に「全く絶望的」なのです。
 富山事件も【一事不再理】に違反する典型的に違法な控訴審判決とその確定でした。
 富山再審裁判を勝ちとることは、わが国の絶望的な刑事裁判を打破し、真の法治国家となる決定的に重要な闘いであろうと思います。
 21世紀こそは、必ずこの闘いに勝利するという決意を新たにいたしましょう。(木下信男)

うり美さんから 今年の書き初め 

坂本さんから

 再審開始が20世紀中は無理だったのは残念。21世紀中なんてことは言ってられない。
 (労働)組合やってた時は、当局とは「なんだ、うるせえ、このやろう!」で済んだけど、裁判はそうはいかないみたいだね。
 でも、今年は巳年だから、必要な時はいつでもパクッと噛みつく気概、毒を持っているぞという勢いで、ぜひとも再審の門戸を開かせよう。(坂本さん談)

土屋翼さんから

 再審裁判、国賠裁判等には、証拠の全面開示が必要不可欠である。このことが、世論になっていないこと自体が問題である。また、日本の資本主義社会をささえた、「年功序列」「終身雇用」「企業内組合」は、前2者は資本、権力の外からの圧力で崩壊しはじめている。後一者「企業内組合」は、派遣、契約、アルバイト、パート、再雇用、雇員、嘱託・・・(インド人もビックリのカー スト制度)と内部から崩壊している。そのことに、組合役員はもちろん、一般組合員もほとんど無自覚である。(余談だが、徴兵制がなかったことも日本の資本主義社会を強くささえている。)
 これらに共通する、通底する「ながいものには巻かれろ主義」をなんとかしなければ、再審、国賠の展望は暗いと思う。とりあえず、いま論議されている「司法改革審」に再審、国賠は、参審・陪審にせよという運動も必要かと思う。(国賠ネットワーク・土屋翼)

大槻泰生さんから

 闘いに明け、闘いに暮れた2000年、富山再審闘争も幾多の困難な状況を一歩一歩切り開きながら2001年を迎えました。
 そして、今年、私達がやらなければならないことは、大胆に、検察庁は全証拠を開示し民主的かつ公正な裁判態勢を実行せよと要求することではないでしょうか。
 目撃者の証言が食い違うという状況にも関わらず有罪判決というのは、権力のやり方に反対する者は何が何でも見せしめのために有罪にする、公権力の権威を守るために有罪にする、という考えがあるのではないでしょうか。
 一人の人間を犠牲にしてのほほんとしている社会状況を私達が見つめ直すことではないでしょうか。三宅島の噴火後、島の人々が全員脱出して無人島になっている悲惨な状況であり、島に帰るにしても仕事もないし、復旧作業もむずかしい、そのような事を私達は対岸の火事みたいに見てはいなかったでしょうか。狭山事件など数多くのえん罪事件にも、他人事と数多くの人達は関心を持たないし、国鉄労働者への国家の不当な首切りをはじめ、労働法の改悪、大失業と大恐慌の時代の中での労働者の首切り、成田空港の平行滑走路建設をめぐっての国家権力による無法な暴力行為等々は、自分に関係はないと考えている人々がいかに多いことか。これが富山さんをはじめ数多くのえん罪裁判の被告が苦しみ、そして解決が遅れている原因だと考えるのはまちがいなのでしょうか。
 今年度、自公保政権は、国民の負担軽減という名目で、その実、権力者に権限を集中させ、天皇のためにいつでも死ぬことのできる国づくり、戦争政策をめざして、自己の野望達成の行政改革方針を打ち出しました。しかし、自分達に都合の悪い司法制度の改革は骨抜きに、つまり官僚主導の司法制度は温存、助長しようと必死になっています。私達は、三権分立と言われ、民主社会だと言われている社会に、阻まれている国民参加の司法制度実現をめざして闘っていこうではありませんか。
 証拠開示は常識であるというのが世界の流れではないでしょうか。21世紀は、私達の幸せを勝ちとる年にしなければなりません。そのために、自覚を高めて、証拠開示の闘いを困難であろうと闘いぬいていこうではありませんか。(大槻泰生)

中島健さんから

 いよいよと言うべき21世紀です。多くのやり残しの一つが富山再審です。アメリカでもムミア・アブ・ジャマルの再審要求と死刑執行ナンバーワンのブッシュ就任反対の闘いが1月20日から強力に始まろうとしています。アメリカと日本、支配者階級の法を私物化するまでの腐敗を弾劾し、新たな発展期を迎えた労働運動・市民運動の力で人類史の新世紀を真に切り開きましょう。(無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会・中島健)

亀さんから

 1994年6月の再審請求から丸6年半、いつしか21世紀に突入した。その間、裁判長は何度も交代し、現在の仁田裁判長で四人目、その都度、最初からやり直しの連続であった。それぞれの裁判長は必ず、多くの裁判を抱えており忙しいことを理由に富山さんの再審は後回しにし、無責任に交代していった。
 1975年1月の逮捕以来、26年の間、富山さんの無実の叫びを警察、検察、裁判所は踏みにじってきた。
 検察官は未だに富山さんが無実である証拠を隠しつづけている。隠された証拠は山ほどある。
 21世紀への突入にあたって、真実がいかに強いものであるかを必ず明らかにしてみせる。私にとって富山再審開始・再審無罪をかちとった時、20世紀は本当に終わりとなる。(亀)

山村から

 時々、山に登る。といってもハイキングに毛のはえた程度の山歩きにすぎない。それでも、山のいいところは、登り始めたらどんなに辛くても、もういやだと思っても、結局は前に足を踏み出すしかないところだ。下界のようにタクシーを拾うわけにはいかない。一歩踏み出すしか解決しない。四の五の言うよりも踏み出す一歩が意味を持つ。そして、小さくともその一歩が確実に頂上への一歩になっていく。それがいい。
 数年前の年末、再審請求をする前だったと思うが、うり美さんと奥多摩にある雲取山に登った。初日の出を拝み、富山再審の開始、再審無罪を祈願しようというわけである。
 大晦日の朝、新宿駅を発ち、鴨沢から奥多摩小屋まで登り、1泊して翌早朝、雲取の山頂で初日を待つという計画だった。
 初めての「登山」にしては、うり美さんはりっぱに頑張って奥多摩小屋には予定時刻に着いた。着いてまもなくあたり一面の霧となり、夕方からは吹雪という天気だったから、小屋の炉の火にあたりながら胸をなでおろした。その夜は零下15度にまで下がり、ふとんの間のシュラフにもぐってもまだ寒気がしのび込んできて眠れなかった。
 それでも朝は、初日の出を見に毎年集まるという常連の人々とともに起き、山頂へと向かった。昨夜の天気は嘘のように晴れ、夜明け前の星が瞬いていた。歩き始めてまもなく他の人々に遅れて最後になったが、このまま行けば、日の出には十分間に合うという時間ではあった。
 問題はここからだった。山頂は左手前方、遠くに見えていたが、右に捲き道の案内板が立っていた。朝が苦手な二人はここまででけっこうバテていた。多少時間がかかってもなだらかな捲き道を行こうか、ということになり、右手の林の中に踏み込んだ。雪の中に足あとが続いて道ははっきりしているし、迷うことはないと思ったが、これが失敗だった。歩いているうちに、なぜか道がだんだん下って行くような気がするのだ。おかしいな、おかしいなと思っているうちにどんどん下って行く。
 引き返そうか、でも今から引き返したら日の出に間に合わない、行くしかないかな、どうしよう、と迷っているうちに、木々の間に朝の光が広がっていく。

 そして、ついに「あーぁ、昇っちゃった・・・」。

 しかも、そのうちに人間の足跡は消え、うさぎの足あとだけが雪の上に点々と残る。これはヤバいと思ったが、しかし、初めてのうり美さんの手前、動揺を見せるわけにはいかない。ここまで来たら行くしかない。もう初日の出なんかそっちのけで必死に歩いた。うり美さんも必死についてきた。やがて、前方に屋根が見えて来た。それは雲取山荘だった。私たちは雲取山荘に向かう道を行ったのだった。
 しかも、捲いたと思ったのはとんでもないことで、雲取山荘まで下った分、そこから頂上までは本来の道を倍する急登だった。うり美さんは死にそうな顔だった。申しわけないと思いながらも励まし、励まし、やっとの思いで頂上に着いた。
 すでに太陽はすっかり昇っていた。先を行った人々はなんで今ごろ来たんだろうという顔をしていた。
 うり美さんが言った。
 「なんか富山再審の未来を暗示しているみたい」
 「いいじゃない、とにかく頂上に達したんだから」・・・初日の出だけが朝日じゃない、陽はまた昇る、毎日昇る、と開きなおったが、心の中では、新年早々、前方に暗雲を見たような気がした。以来、「再審請求から○年」と言うたびにこの時のことを思い出す。
 でも、途中であきらめないで、最後まで頑張って頂上に着いたんだから、大丈夫。あれは再審の困難さを表していたのであって、私たちはそれを克服して頂上に立ったのだから、大丈夫。
 2001年、21世紀最初の年。再審請求から6年半が経過した。
 一歩一歩確実に前へ。結局、これしかない。今年こそ、再審開始へ!絶対、頂上へ!
 というわけで、今年もよろしくお願い致します。(山村)

  12月、20世紀最後の大井町での署名集めは、

山村

3名

うり美

3名

2名

富山

0名

 

 12月25日に、
 「明日のための十二歩目(無罪というプレゼントを二十一世紀に勝ちとれるようにメリー・クリスマス)。 二十世紀から二十一世紀へ歩み続けましょう。」というお手紙と2000円頂きました。
 ありがとうございました。

Miさんから
 「いつも『かちとる会』ニュースをありがとうございます。すぐに全部読みたくなる内容です。一日も早く事実取調を実現させるよう微力ながらご支援させてください。カンパ送ります」というお手紙とともに1万円頂きました。
 ありがとうございました。