●ニュースNo153(2001年6月1日発行) ◎阿藤周平さんと富山保信さんを囲む集いinヒロシマ |
■裁判官の犯罪「冤罪」 著者=木下信男さん ■自白の心理学 著者=浜田寿美男さん |
□6・30集会の成功を
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□報告富山さんの再審無罪を勝ちとろう!阿藤周平さんと富山保信さんを囲む集い in ヒロシマ「八海事件発生50周年記念のつどい」が開かれた4月21日の翌日、「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」の方々が、阿藤周平さんと富山保信さんを囲む会を開いてくださいました。 富山さんからの再審への支援の訴えの後、参加者が意見を交換しあいました。以下、みなさんの発言の要約です。山村のメモからの要約であり不十分な部分もあると思いますがお許しください。 ▼広島大学の学生から 「教育学部の学生だが、阿藤さんの話に教職員組合の人が運動に立ち上がったというのがあった。こうしたたたかいの中で、人間どうしのつながりというのを築いていくことができると思う。大学とか街頭でたたかっていきたい」 ▼うり美さんから 「富山再審に関わるようになって13年になる。学生の時、ルポルタージュを書きたいとえん罪に興味を持っていた。たまたま東京で阿藤さんの集会があって、ビラを見て参加したのがきっかけで富山再審を取材し、同人誌に書いた。それから富山再審に関わるようになった。富山事件は『内ゲバ事件』で、一般の人に話すとそのことだけで拒否する人もいるし、説明が難しい。大井町でビラをまいて署名を集めているがそのことを肌で感じながら来た。しかし、わかってくれる人はわかってくれる。あなたがやっていないのに逮捕されたことを考えてくださいと言うと、やっぱりおかしいわよね、正しい裁判をしなければいけない、と署名してくれる。毎月やっているので、今はもう大井町の人々に認知されていて、またやってるね、頑張ってねと声をかけてくれる人もいて、運動としては前進してきていると思う。 ▼Iさんから 「富山さんの高校の後輩で、広島大学に進んで富山事件を知った。現在、職場で労働運動をやっているが、最近の世の中は、労働運動を犯罪みたいに言うようになっている。そうした中で運動の重要性を痛感している。富山さんの再審でも力になりたいと思っている」 ▼中島健さんから 「富山とは中学、高校と一緒だった。地道なたたかいが、大衆運動と結びついた時に、大きな流れを生み出すと思う。広島で『かちとる会』をやっているが、自分の取り組みを変えていかなければならないと思って阿藤さんの話を聞いていた」 ▼友野さんから 「以前、東京で『自民党本部放火事件』でデッチあげられた藤井高弘さんの裁判の弁護団事務局をやっていた。広島で富山さんの救援運動をどうつくっていくのかが問われていると思う」 ▼Kさんから 「富山さんの人柄は好きで、先輩というような気持ちでいる。 ▼Tさんから 「中学を卒業し就職した頃、1969年の東大闘争があった。学生はどういうことを主張しているのか興味をもった。もっと世の中のことを知ろうと定時制高校に入り、そこで先輩に誘われてデモに参加した。しかし、学生と労働者との間に隔たりを感じた。学生は甘いと思った。そうした中で、部落問題、狭山事件のことを知った。小学校時代にいわれのないいじめを受けたこともあって差別に怒りを感じた。 ▼亀さんから 「東京で事務局をやっている。真実が通らないことへの怒り、真実を貫くということが原点だと思う。 ▼坂本さんから 「1952年から1994年まで、42年間、郵便局にいて、労働組合の運動をやってきた。労働組合で松川事件や狭山事件の学習会をやったこともある。 ▼大槻泰生さんから 「富山再審では証拠開示が大事だと思う。それが真実を知らせることになる。すべての証拠を明らかにすれば、富山が無実だということははっきりする。証拠開示を求める運動をやってほしい。広島で富山再審のたたかいを頑張っていきたい」 |
□「八海事件発生50周年記念のつどい」(広島)に参加して 阿藤さんは今年の3月、人間にとって、または阿藤さんにとって何が一番大切だと思うかという私の質問に対して、このように語っていた。 |
□証拠開示を求める署名にご協力を 広島かちとる会・大槻泰生 先日、広島での「八海事件発生50周年記念のつどい」に参加しました。八海事件は、捜査当局の予断と偏見にもとづくデッチあげであり、そのために阿藤さんは死への階段を三度にわたってのぼらされたのです。24歳から18年間、長い長い裁判を阿藤さんはどんな気持ちでたたかってきたのでしょうか。 |
5月の大井町での署名集めは、
「明日のための第十五歩目。時節は梅雨です。明日への貯えの時期(と思っています)なので、地道に努力していきましょう」というお便りとともに二千円のカンパを頂きました。 ありがとうございました。 |