●ニュースNo153(2001年6月1日発行)

阿藤周平さんと富山保信さんを囲む集いinヒロシマ

大井町ビラまき報告


 

 

裁判官の犯罪「冤罪」

   著者=木下信男さん
   発行=樹花舎(2400円)
  富山再審の支援もして下さっている木下信男さんの著作。袴田事件、免田事件、波崎事件を中心に紹介、「犯罪の証明」もないのに死刑判決を言い渡す裁判官の犯罪を明らかにし、無実なのに死刑判決を受けている波崎事件の富山常喜さん、袴田事件の袴田巖さんの支援を訴えられています。
  「かちとる会」にご連絡頂ければ、著者である木下さんのご好意で、定価より安くおわけ致します。ぜひ、読んでください。

自白の心理学

   著者=浜田寿美男さん
   発行=岩波書店(700円)
  なぜ人はやってもいない罪を自白するのか。宇和島事件、甲山事件、仁保事件、袴田事件を通しての分析。
  「かちとる会」でも扱っています。

 

□6・30集会の成功を

無罪は無罪に 再審の扉を打ち破ろう!

  6月30日(土)午後6時30分から、東京・品川区大井町の『きゅりあん』で、富山さんの再審の開始・再審無罪を求めて集会を開きます。ぜひ、多くの方々が参加されるよう訴えます。

■集会のプログラム
▼講演
  原田史緒弁護士(富山再審弁護団)
  阿藤周平さん(八海事件元被告)
▼「かちとる会」からの報告
  東京「かちとる会」(うり美さん)
  広島「かちとる会」(大槻泰生さん)
▼カンパのお願い
▼葉山岳夫弁護士(富山再審主任弁護人)からのあいさつ
▼富山保信さんから

□報告

富山さんの再審無罪を勝ちとろう!

阿藤周平さんと富山保信さんを囲む集い in ヒロシマ

「八海事件発生50周年記念のつどい」が開かれた4月21日の翌日、「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」の方々が、阿藤周平さんと富山保信さんを囲む会を開いてくださいました。
  この日、大槻泰生さん、富山さんの高校時代の同級生や後輩、富山さんの友人たちが集まってくださり、東京から参加した坂本さん、うり美さん、亀さん、山村も含めて十四人の集いになりました。
  最初に広島の「かちとる会」から、広島での富山再審への取り組みが報告され、続いて東京の「かちとる会」事務局の山村から、この間の弁護団の活動や証拠開示を求める署名をはじめとする運動について報告しました。
  その後、阿藤さんが八海事件の経験や富山再審への関わりについて話してくださいました。
  阿藤さんは八海事件での権力のやり口を例をあげて弾劾し、八海事件で支援運動の果たした役割を強調され、富山さんの再審への支援を訴えてくださいました。
  「権力によるえん罪を監視していかなければならない。黙っていたら何をされるかわからない。映画『真昼の暗黒』の影響力は大きかった。当初、配給を予定していた東映に最高裁から横やりが入り上映できなくなり、現代プロが自主上映という形で上映することになった。労働組合から援助を受け、俳優も手弁当で映画が作られた」
  「第一回の差し戻し審で無罪判決が出て一旦運動が下火になった。ところが、その後、また差し戻しになり、第二次差し戻し審で死刑が言い渡された。しかし、もう一回、運動を盛り返すのは並大抵のことではなかった。その中で最初に立ち上がってくれたのは広島と神戸の教職員組合の先生たちで、〔『八海事件』被告と家族を守る会〕をつくって支援してくれた」
  「今はもうこんなひどい裁判はないだろうと思っていたが、それは甘かった。富山さんの事件をはじめ多くのえん罪事件がある。
  八海事件は大衆の運動がなかったら勝てなかった。権力に立ち向かっていく大衆の力、一人一人の力を結集していくことが必要。富山事件でも小さくとも、一人でも、こつこつ、地道に積み上げていけばいい。真実ほど強いものはない」
  「富山再審の支援を始めた時、富山君は獄中にいた。今は獄外(そと)にいるが、いまだに再審は開始されず、犯罪者の汚名を着せられたまま。宙ぶらりんな状態で社会復帰ではない。トコロテンみたいに刑期が終わったから出されただけ。富山君は自分の意に反した10年を強いられた。外に出たからいい、ではない」
  「私たちは裁判所は正しい結論を出せと要求しているが、何度も裁判官が交代し、そのたびに一からやり直しだ。裁判官は交代できるからいい。他の裁判所に行けばそれで終わる。しかし、富山君はじっと待っているしかない」「裁判所は早く結論 を出してほしい。みんなの納得のいく決定を出してほしい。それは再審開始の決定しかない」
  「私が元気なうちに富山再審を実現してほしい。そうしたら、ヤレヤレと八海事件だけ引っさげて墓に行くかもしれん。そのためにも広島のみなさんも頑張って支援して頂きたいと思います。6月30日には、東京の集会に行きます。その席で、こういう恐ろしいえん罪があると知ってもらって、一人でも二人でも支援の力を貸して頂きたいとお願いしよ うと思っています」と訴えてくださいました。

  富山さんからの再審への支援の訴えの後、参加者が意見を交換しあいました。以下、みなさんの発言の要約です。山村のメモからの要約であり不十分な部分もあると思いますがお許しください。

広島大学の学生から

  「教育学部の学生だが、阿藤さんの話に教職員組合の人が運動に立ち上がったというのがあった。こうしたたたかいの中で、人間どうしのつながりというのを築いていくことができると思う。大学とか街頭でたたかっていきたい」

うり美さんから

  「富山再審に関わるようになって13年になる。学生の時、ルポルタージュを書きたいとえん罪に興味を持っていた。たまたま東京で阿藤さんの集会があって、ビラを見て参加したのがきっかけで富山再審を取材し、同人誌に書いた。それから富山再審に関わるようになった。富山事件は『内ゲバ事件』で、一般の人に話すとそのことだけで拒否する人もいるし、説明が難しい。大井町でビラをまいて署名を集めているがそのことを肌で感じながら来た。しかし、わかってくれる人はわかってくれる。あなたがやっていないのに逮捕されたことを考えてくださいと言うと、やっぱりおかしいわよね、正しい裁判をしなければいけない、と署名してくれる。毎月やっているので、今はもう大井町の人々に認知されていて、またやってるね、頑張ってねと声をかけてくれる人もいて、運動としては前進してきていると思う。
  私は、三度目の最高裁で阿藤さんの無罪が確定した1968年に生まれた。二度と阿藤さんのような犠牲を出してはいけないと思う。阿藤さんの体験を伝える媒介になれればい いなと思っている」

Iさんから

  「富山さんの高校の後輩で、広島大学に進んで富山事件を知った。現在、職場で労働運動をやっているが、最近の世の中は、労働運動を犯罪みたいに言うようになっている。そうした中で運動の重要性を痛感している。富山さんの再審でも力になりたいと思っている」

中島健さんから

  「富山とは中学、高校と一緒だった。地道なたたかいが、大衆運動と結びついた時に、大きな流れを生み出すと思う。広島で『かちとる会』をやっているが、自分の取り組みを変えていかなければならないと思って阿藤さんの話を聞いていた」

友野さんから

  「以前、東京で『自民党本部放火事件』でデッチあげられた藤井高弘さんの裁判の弁護団事務局をやっていた。広島で富山さんの救援運動をどうつくっていくのかが問われていると思う」

Kさんから

  「富山さんの人柄は好きで、先輩というような気持ちでいる。
  僕は八海事件が起きた1951年に生まれた。阿藤さんが真実ほど強いものはないとおっしゃったがまったく同感で、私も青春をかけて狭山事件に取り組んできた。
  被告が獄から出たからそれでいいということではない。白を黒と言いくるめることを許していいのか、人間を虫けらのように扱っていいのか、という問題だと思う。
  狭山事件の石川さんが受けたデッチあげ、差別、それは自分にかけられたものだと思っている。石川さんは今も目に見えない手錠をはめられている。石川さん、阿藤さん、富山さんの問題も自分のたたかいだと思う。ともに連帯してたたかいたい」

Tさんから

  「中学を卒業し就職した頃、1969年の東大闘争があった。学生はどういうことを主張しているのか興味をもった。もっと世の中のことを知ろうと定時制高校に入り、そこで先輩に誘われてデモに参加した。しかし、学生と労働者との間に隔たりを感じた。学生は甘いと思った。そうした中で、部落問題、狭山事件のことを知った。小学校時代にいわれのないいじめを受けたこともあって差別に怒りを感じた。
  今、権力はむちゃくちゃなことをやってきている。教育改革をやり、憲法を変えようとしている。本気で戦争をやろうとしている。そんなことを許してはならない」

亀さんから

  「東京で事務局をやっている。真実が通らないことへの怒り、真実を貫くということが原点だと思う。
  阿藤さんのお話を聞いても、八海事件を起こしたシステムは今も続いている。八海事件の教訓が活かされていない。えん罪が起きる状況は変わっていない。富山再審をかちとることを通して、それを変えていきたい。ひとつひとつ勝利を積み重ねていく必要がある。
  富山再審では、証拠開示がカギになると思う。証拠開示を求める署名に協力して頂きたい。再審を壁をぶち破り、絶対に勝利したい」

坂本さんから

  「1952年から1994年まで、42年間、郵便局にいて、労働組合の運動をやってきた。労働組合で松川事件や狭山事件の学習会をやったこともある。
  今の労働組合の本部は自分たちの権力を守ることばかり考えていて、労働者を守ろうとしない。労働組合をやっていた時、全逓羽田空港支部が頑張っていた。あまりにも頑張るので逆に組合の本部は恐くなったらしい。大会で、たたかわない本部に対して支部の一人が怒り、『このボ ケナスやろう!』と言って権利停止になった。この大会は『ボケナス大会』と言って有名だが、権利停止によってこの人は組合費は払わされるのに組合員としての権利はすべて停止された。これはおかしいと首をつっこむようになった。おかしいものはおかしいと言わなければならない。
 組合運動をやっている中で、ある民間の会社の争議を支援した。労働組合の『ろ』の字も知らないようなおばさんたちがビラをつくって、ハチマキをして頑張った。その会合にいくと、おばさんたちは本当に真剣に話を聞いてくれて、その視線が怖くなるほどだった。自分がたるんでいたらこの視線を受けられないなと思った。まじめにたたかっている人たちとつきあいをしていくのは大事なことだと思っている」

大槻泰生さんから

  「富山再審では証拠開示が大事だと思う。それが真実を知らせることになる。すべての証拠を明らかにすれば、富山が無実だということははっきりする。証拠開示を求める運動をやってほしい。広島で富山再審のたたかいを頑張っていきたい」

□「八海事件発生50周年記念のつどい」(広島)に参加して

阿藤さんは今年の3月、人間にとって、または阿藤さんにとって何が一番大切だと思うかという私の質問に対して、このように語っていた。
  「自分に誠実に生きることかな」
  「「あとをふり返ってみることも必要やけども、あとをふり返った時に、それを糧(かて)にして活かすようなもんがないといかんですよね」
  「思い残すこともあるし、悔いがあることもあると思うんですよ。それを糧にするような生き方がいいなあって思ってね。自分の良心というより、持っている良心を活かすか殺すかは自分の判断次第ですから」
  この言葉は阿藤さんの考え方、生き方を象徴するもののような気がする。そして、4月21日、広島で行われた「八海50周年集会」での阿藤さんの発言は、その生き方の有りようなのだと思う。
  阿藤さんは、この日の発言で「この先、何年生きられるかわからないけど、命のある限り八海の私として、拷問を受け、冤罪で死刑判決を受けた生き証人として、みなさんと共に冤罪事件(の救済)に尽力していきたい」と語った。
  誤認逮捕され、拷問を受け、生と死の狭間を行き来したことは、辛い経験であったと思う。もう過去のことは忘れてしまいたい、奪われた時間が多ければ多いほど、心の傷が深ければ深いほど、これから先の残された時間を穏やかに暮らしたいと考えたとしても、誰一人として責められないはずである。
  しかし、阿藤さんは決してそうではない。「八海の阿藤」として、最後の最後まで自分が受けたえん罪の恐ろしさを一人でも多くの人に訴えたいという。その背景には、八海事件発生から五十年経った今でも、えん罪事件が形を変えて存在する現状があるからである。そして、もう二度と同じ境遇の人をつくりたくない、その思いが強いからでもある。
 八海事件が起きたのは50年も前のことだが、阿藤さんが自らの体験を語り継ぐことによって、決して過去の話ではないのだと思い知らされる。
  きっと阿藤さんは、今までも「八海の阿藤」だったように、これからも「八海の阿藤」として、語り継いでいくに違いない。  (うり美)

 

□証拠開示を求める署名にご協力を

  広島かちとる会・大槻泰生

  先日、広島での「八海事件発生50周年記念のつどい」に参加しました。八海事件は、捜査当局の予断と偏見にもとづくデッチあげであり、そのために阿藤さんは死への階段を三度にわたってのぼらされたのです。24歳から18年間、長い長い裁判を阿藤さんはどんな気持ちでたたかってきたのでしょうか。
  八海事件だけではなく、数多くの裁判で無実でありながら罪に陥れられ、えん罪に苦しみ続けている多くの人々がいます。徳島ラジオ商殺しの犯人とされた富士茂子さん、彼女は少年二人の供述によって逮捕されました。この供述が覆されて無罪になりましたが、その裁判過程がいかに長かったことか。
  また斉藤幸夫さんは、証拠とされた衣類への血液の付着が警察が押収したあとのものであることが暴露されて無罪の決め手になりました。警察によるデッチあげは数え上げればきりがありません。しかもそれらのことを知りながら、検察当局は平然と証拠を隠し続けて、被告や弁護人の証拠開示の求めを拒否し続けているのです。
  富山さんの事件でも、捜査責任者が二審で「約40人の目撃者がいて、そのうちの34人の供述調書がある」と証言していますが、開示されたのは7人の目撃者の供述調書のみです。検察官が開示しないのは、開示されていない目撃証言の中に、富山さんの無実を示す証拠があるからに他なりません。
  検察官は「公益の代表者」だとするのなら、税金を使って集めた証拠を開示し、真相を究明すべきです。
  小泉政権による「改革」は、弱者を救済するための諸制度を切り捨て、それによって起こる社会不安、人々の怒りを弾圧するために司法改革を行おうとするものです。
  私たちは労働者人民を搾取・収奪するためにつくられた「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という、人間の弱さ、優越感を助長させる権力の道具に踊らされてきました。そして、「あそこならやりかねない」「あれならやるぞ」という権力のささやきに同調してきました。それは私たち自身の不幸に結びつくものです。戦争に反対し、人権の尊さを訴え、えん罪の根絶のためにみなさん一緒にがんばりませんか。
  そのはじめに富山さんの「証拠開示を求める署名」にご協力をお願い致します。

5月の大井町での署名集めは、
  山村・・・・・・3名
  うり美・・・・・0
  富山・・・・・・0 でした。
  今回は亀さんが体調を崩してお休み。かわりに山村がいつも亀さんが立っている場所に立ちました。交通の激しい道路からちょっとひっこんでいて、道行く人に声が通りやすく、立ち止まってくれる人が多かったように思いました。もちろん、亀さんの連勝は場所によるものだけではないでしょうが、それでもちょっとは影響あるかなと思ってしまいました。
  なお、精密検査の結果、亀さんはどこも異常はないとのことで安心しました。   (山村)

 「明日のための第十五歩目。時節は梅雨です。明日への貯えの時期(と思っています)なので、地道に努力していきましょう」というお便りとともに二千円のカンパを頂きました。 ありがとうございました。