●ニュースNo173(2003年2月1日発行)

本の紹介
大槻泰生さんから
追悼 友野幽さん

大井町ビラまき報告


 

東京高裁第3刑事部は検察官に証拠開示を命令せよ

□本の紹介

「なぜ、『あれ』が思い出せなくなるのか・・・記憶と脳の7つの謎」

「ほら、あれだよ。あれ」
「『あれ』ってなんですか?」
「だから、あれだよ、あれ。うーんと、なんだっけ。ほら、あれ」
「?」

「なぜ、『あれ』が思い出せなくなるのか」ダニエル・L・シャクター著  最近、富山さんは、固有名詞がなかなか出て来ないことがあるらしい。そういう人たちが本屋で見たら、たぶん、思わず手に取るだろうと思われる題名の本がある。
 「なぜ、『あれ』が思い出せなくなるのか・・・記憶と脳の7つの謎」(著者=ダニエル・L・シャクター/訳者=春日井晶子/発行=日本経済新聞社/1600円)である。

 〈身に覚えがある〉人たちに買わせるのに、出版社はなかなか効果的な題名を付けたものである。しかも、本の帯には、「みんなの悩みをずばり解決」「この本は、次のような人たちに効用があります」とあり、
 ・人の名前が思い出せない
 ・大切な約束を忘れてしまう
 ・鍵や預金通帳、メガネなどがよく行方不明になる
 ・ごく最近の出来事を覚えていない
 ・その話を誰から聞いたか、思い出せない
 ・仕事の失敗など、不快な出来事の記憶が頭から離れない
 ・記憶力が衰えたのは年齢のせいだと思っている
と列挙されている。

 この題名と帯に牽かれて買った人が相当数いるのではないだろうか。実は、かく言う私も新聞の広告欄で目に留め、気にはなっていた。
 この本を、富山再審弁護団の葉山先生から、「目撃証言に関することが書いてあるから、ぜひ読んでおいた方がいい」と紹介された。
 読んでみると、題名から受ける印象とは大きく違い、「一般読者向けに、多くの具体例をあげながら記憶と心の関係をわかりやすく記している」(訳者あとがき)とはいえ、記憶に関する相当専門的な内容の本であった。
 原題は“The Seven Sins Memory ”で、直訳すると「記憶の7つの大罪」となるそうである。「ただ、sinsのもつニュアンスは、キリスト教的な背景がない日本の読者にはじつに伝わりにくい」ので、本文中では「エラー」と訳してあるとのことである(「訳者あとがき」より)。
 著者のダニエル・L・シャクター氏はハーバード大学の心理学部教授で、「記憶に関する研究の第一人者として知られる」と紹介されている。
 本書では、記憶のエラーを「物忘れ」「不注意」「妨害」「混乱」「暗示」「書き換え」「つきまとい」の7つのパターンに分類し、「物忘れ、不注意、妨害は、記憶が抜け落ちること、つまりなにかを思い出そうと努力しても、ある特定の事実、出来事、考えを思い出せない現象、注意散漫なときにしたことが後で思いだせなくなったり、なにかが邪魔をして、思い出したいことがどうしても出てこない状態である」「(混乱、暗示、書き換え、つきまといは)記憶が不正確なものに変わってしまったり、忘れたいと思っても忘れることができなくるケースである」として、各章でそれぞれ展開している。

第1章 なぜ、ずっと覚えていられないのか〔物忘れ〕
第2章 忘れっぽい人の研究〔不注意〕
第3章 あの人の名前が思い出せない〔妨害〕
第4章 デジャ=ヴュから無意識の盗作まで〔混乱〕 
第5章 偽の記憶の誕生〔暗示されやすさ〕
第6章 都合がいい記憶、都合が悪い記憶〔書き換え〕
第7章 嫌な出来事が忘れられない〔つきまとう記憶〕

 富山再審にも関わる部分は、第5章の「偽の記憶の誕生〔暗示されやすさ〕」である。
 ここでは、「記憶は暗示の影響を受けやす」いこと、「暗示的な質問を受けると記憶の源泉で混乱が起こり、記憶が歪められる」ことが紹介され、例として、自分を襲った男を見つけだそうとしている被害者の例が載っている。

 〈面通しの場〉
 被害者「ああ、困った・・・。わかりません。この2人のどちらかです・・・。でも、わからない・・・。どうしよう・・・。2番目の男よりも少し背が高かった・・・。この2人のどちらかなんですが、わたしにはわかりません」

 〈30分後〉
 被害者「わかりません・・・2番目かしら?」
 警察官「結構です」

 〈数ヵ月後、法廷で〉
 被告の弁護人「あなたはたしかに2番目だと思ったのですか? 不確かだったのではありませんか?」
 被害者「不確かなんてことはありませんでした。確信がありました」

 警察官の「結構です」という一言が暗示となり、被害者の記憶に影響を与える可能性が高いことが、心理学者のロフタス氏やウェルズ氏たちの実験の紹介を通して説明されている。
 また、富山事件でも問題となり、再審で心理学者による鑑定書が提出された「凶器注目効果」について、「強い感情をともなう出来事が、ある種の記憶を薄れさせることがある」「(銀行強盗の現場に居合わせた人たちは)銃については後になって詳しく思い出すことができる。しかし、警察から犯人について尋ねられても、犯人の顔はぼんやりとしか思い出せ」ないことが紹介されていた。
 また、「1998年初め、連邦司法省はウェルズを含む心理学者、警察関係者、弁護士による検討会を設立し、目撃証言を集める際のガイドライン策定に動きだした」ことなど、富山再審にとって大変参考になる本であった。
 しかし、それだけではなく、記憶の持つ「エラー」について多少とも気がかりのある者にとって、なかなか興味深い本だった。

 度忘れがもっとも頻繁に起きるのは固有名詞であり、その中でも人名がもっとも忘れやすいのだそうだ。
 「パン屋のベーカーのパラドックス」というのがある。要約すると次のようなことである。
 〈被験者を2つのグループに分け、知らない男性の顔写真を見せる。第1のグループには写真の人物の名前を教え、第2のグループには職業名を教える。重要なのは、この場合の人名と職業名は同じ発音であること、つまり、人名グループには「ベーカー」と教え、職業名グループには「パン屋だと教える。その後、顔写真を見せて教えられた情報を思い出すよう指示すると、名前より職業名が思い出しやすい。これが「パン屋のベーカーのパラドックス」である。ベーカーという名前は思い出せなくても、パン屋であることを忘れることは少ない。これは、「ベーカー」という人名がもたらす情報は名前だけだが、職業名「ベーカー」は、パン屋についての既存の情報や知識からコード化しやすく、記憶しやすいからである。〉
 確かに、人の名前は度忘れしても、その人が何をしている人かを「度忘れ」することは滅多にない。記憶するにはコード化が重要なポイントになるようである。
 「第8章」で、著者は「7つのエラーはなぜ存在するのか」として、「それらは脳というシステムがもつ欠陥ではなく、むしろ優れた適応性なのではないだろうか」「7つのエラーは適応性に富んだ記憶システムの副産物であり、さまざまな状況にうまく機能するために支払う対価のようなものだ」としている。
 「忘れることこそ、環境に順応する一番の方法」「時間の経過とともに情報へのアクセスをむずかしくするという記憶のシステムは、非常に機能的だといえる。というのは、情報へのアクセスが減るにしたがって、将来それが必要となる可能性はますます小さくなるからだ。必要な情報とのバランスを取るために、このような情報は端の方へ押しやられるので、物忘れが起こる」
 「あらゆる出来事が、その記憶プロセスの重要性やタイプにかかわらず詳細に記憶されたらどうなるだろうか」「些細な出来事の記憶でいっぱいで、記憶を抽象レベルで機能させることができな」い、「要約した情報を記憶することは分類や理解といった能力につながり、自分の経験を一般化し、秩序立てることが可能になる」
 自分にとって都合のいい記憶は覚えているが、都合のわるい記憶は忘れるというのは「記憶の書き換えが人生に満足感をもたらしてくれるかぎり、それは適応性のある認知システムの一部であると考えていいだろう」
 そして、著者は最後に「記憶は現在のために過去を書き換え、現在の経験を将来必要となったときのために貯え、そして望むときに過去を再体験させてくれるのだ。ときに記憶は問題を起こすものの、それは欠点であると同時に長所でもある。記憶は、私たちの心と世界の間を時間を超えて橋渡ししてくれるのである」と結んでいる。

 他にも、「ホシガラスは秋に3万個もの種子を5000ヵ所に貯えて、翌春それらを食べるという恐るべき記憶作業をやってのける」ことなど、おもしろい情報にも富んだお勧めの一冊である。 (山村)

みなさんの大切な人を守り抜くために

大槻泰生

 富山保信さんが再審請求裁判をおこしてから長い年月がたちました。

 いまアメリカは、世界最強の軍事力を背景に、世界中の国々を恫喝と懐柔をもって支配し、特に中東の石油資源を独り占めにしようと、核兵器の使用さえ画策しています。また、自民・公明・保守の3党は失政の責任をわれわれ労働者階級におしつけて、アメリカの世界戦争計画へ公然と参戦しようとしています。そして、小泉政権の侵略戦争計画に反対する人々への弾圧体制はますます強まっています。

 富山さんは、反戦・反核・反差別のたたかいをたたかってきました。そのために、見せしめとして弾圧されたのです。目撃証人といわれる人たちの初期の証言によれば、犯人の容貌や体格が富山さんの容貌や体格とは違うということは、犯人は彼ではないということにほかなりません。しかも検察官は証拠開示を一貫して拒否しています。それは全証拠を開示すれば富山さんが犯人ではないということが明らかになるからです。
 私は検察官に質問してみたい。証拠を開示しないということは、富山さんが真犯人ではないということではないのか?もし犯人だというのなら全証言、全物証を出して私たちを納得させてほしいと・・・。
 いま権力は、マスコミを総動員して戦争反対を唱えている人たちを過激派と呼び、それらの人たちは反社会的行為をやりかねない、いややるだろうと宣伝して、夢よもう一度とばかりに戦争中の世論を再現しようとしています。
 国家が行う殺人は英雄視され、個人が行った殺人は犯罪とされます。国家が行う殺人・戦争も犯罪であり差別です。しかもその被害者は労働者階級です。それをくいとめる力をもっているのも労働者階級にほかなりません。

 私たちはさきの侵略戦争は正義のたたかいであり、お国のためだと、好むと好まざるとにかかわらず戦争へとかりだされました。そして多くの平和を愛する人たちが弾圧されました。キリスト教徒も仏教徒も「不敬罪」という名目で弾圧され、国家総動員体制へと組み込まれました。いままたそれが着々と準備されているのです。戦争のできる国造りをめざして教育基本法の改悪が企まれ、有事法制の制定や大不況・大リストラ攻撃とたたかう労働者の団結を破壊するための法律改悪、また介護保険制度や医療・年金・失業保険の改悪などの福祉切り捨てが襲いかかっていますが、これらは戦争への第一歩ではないでしょうか。

 このように考えるならば、ことは富山さんだけの問題ではありません。平和を愛し、戦争に反対する気持ちから政府の戦争政策に反対した運動を権力は弾圧してきます。ひとり富山さんだけの問題ではないのです。
 アメリカ・日本の石油強奪をねらった侵略戦争は、私たち全ての人権を蹂躙・剥奪しようと襲いかかってきます。私はそれを阻止しなくてはならないと考えています。

 そのためにも全国各地で「検察官は隠している27人分の供述証拠を開示せよ」「裁判所は検察官に証拠開示を命令せよ」の請求運動・大署名運動を起こそうではありませんか。富山さんの人権は私たちの人権でもあります。富山さんの人権を守ることは、私たちの人権を守ることでもあります。
 二度と戦争は嫌です。みなさんの大切な子どもさんやお年寄りを守り抜くためにも、証拠開示の運動を起こそうではありませんか。
(おおつきやすお/反戦被爆者の会会長/「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」)

救援連絡センターからの年賀状

追悼 友野幽さん

昨年(2002年)12月25日深夜に「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」会員である友野幽(ゆう)さんが事故に遭われ、12月31日未明に生へのたたかいもむなしく亡くなられました。享年56歳。生前のご尽力に心から感謝するとともに、ご逝去を悼みます。

友野幽さん

幽さんへ

 幽さん、被爆者青年同盟の代表であるとともに「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」の会員として再審実現のために尽力してくれた幽さん、まだまだやるべきことをいっぱい残して逝ってしまうなんて、あなたはなんというあわて者でしょうか。早すぎますよ。
 幽さん、あなたの人生は茨の道でした。私が投獄中でしばらく留守にしていたためにひさしぶりに会ってからでも、命がけの闘病をやりぬいて生還してきました。驚嘆すべきは、その茨の道を歩むにあたって少しも弱音を吐かず、究極目標をしっかりみすえて、朗らかに、ひたむきにたたかいぬいたことです。見事な人生でした。
 幽さん、あなたと最後に会ったのはあなたが事故に遭う数日前でした。大槻さんにしっかり養生してもらおう、健康管理に留意してもらおうと話し合ったばかりではありませんか。そのあなたが大槻さんより先に逝ってしまうなんて、約束違反ですよ。約束違反をなじりたいのですぐ戻ってきてほしい、と言いたい。
 幽さん、私たちが待ち望んでいた情勢が訪れつつあります。私の再審実現はもちろん人間が人間らしく生きられる社会の実現を目指す私たちのたたかい、人間解放の事業は大きく前進しようとしています。あなたに負けないで、あなたの分までがんばります。いずれ再会する日まで、私たちのたたかいを見守っていてください。

2003年1月3日  (富山保信)

 12月、1月と、いずれも署名は1名のみと、散々な結果が続いている。今回はうり美さんも風邪でお休みで、富山さんと2人だけである。頑張らねばと思うが、外は冷たい雨。どんどん激しくなっていく雨足を見ながら「あーあ、かったるいな」とつぶやくと、「体調が悪かったら喫茶店で休んでいていいですよ。私が1人でやりますから」と、富山さんのやさしいお言葉。しかし、ここで「はい、そうですか」とはいかない。意地でも頑張らねばならない。
 で、この日は富山さんがビラまきをし、その横で私が署名を集めた。その結果は5名。冷えきった体とは逆に心はちょっぴり温かくなった。わかってくれる人はいる。また、頑張ろう。 (山村)

 「明日のための第32歩目。あけましておめでとうございます。平成15年も一緒にお付きあいさせてください」というお便りとともに2000円のカンパを頂きました。ありがとうございました。

 ニュース読者のOさんから

 「立春ももうすぐですね。富山さんをはじめ、みなさまの不屈の闘いに敬意を表します。不正は不正として、今年こそ再審を勝ちとりましょう。
 全世界の労働階級と被抑圧民族と共に心をひとつにして闘うときです。
 私もケアマネジヤーの仕事で気が抜けないのですが、共にがんばりたいと思います」