タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース

●ニュースNo.204(2005年9月15日発行)

「改革」を止めなければ事故はとまらない
なんということだ
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大井町ビラまき報告


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「改革」を止めなければ事故はとまらない

 9月6日、国土交通省は尼崎事故の中間報告を発表した。運転士を含む107人は、国鉄分割・民営化を強行した中曽根康弘とJR西日本当局によって殺されたのだ。乗客の安全は、労働者の権利を守る労働組合=労働運動の健在によってのみ維持される。「一人は万人のために、万人は一人のために」は再審のたたかいと通底する。生命と権利が正当に守られる社会を築くためにがんばろう

□なんということだ


 とんでもないことになった。与党が衆院で議席3分の2を獲得してしまった。どんな法案も通せるし、その気になれば単独で改憲の発議ができるということだ。
 小泉のクーデター的やり方の凶悪さと野党のだらしなさで勝敗ははじめから想像できたとはいえ、事態はここまできた。まるでヒットラーが政権を握った授権法時の再来を思わせる。
 実際、小泉の採った手法は始めから終わりまでファシストの名にふさわしいものだった。郵政民営化法案が参議院で否決されたから衆議院を解散し、抵抗分子に「刺客」を派遣してとことんいたぶり血祭りにあげて見せしめにする、財界の総バックアップによる膨大な資金を投入したデマゴギーを24時間垂れ流す等々、およそ政権党が利用しうるものは総動員し、合法・非合法を問わずやれることはすべてやってでも反小泉・非小泉的なものを叩きつぶすために血眼になった。それだけいったんは郵政民営化法案が否決されたことは、支配体制にとって容易ならざる危機の到来を意味していたのだ。その点、亀井静香などは「解散はない」などと太平楽なことを言っていたのだから、ブルジョア政治家としての感覚を疑われても仕方あるまい。時代認識、情勢把握において失格ということだ。たしかに珍奇で恥知らずな小泉の人格に騙されがちであったり、軽視しがちだが、あのヒトラーという頭を冷やして冷静に眺めればなんでこんなやつにと赤面するような珍奇な輩に地獄に引き込まれたことを想起すれば、危機の時ほどこうした魑魅魍魎が跋扈するし、熱病に冒されたごとくおよそ平時であれば考えられないような愚行に走ることを歴史の教訓として学ぶべきだ。ある意味では小泉だからあんな阿漕(あこぎ)なことを必死で臆面もなくやれたのだ。小泉を政権の座に就かせ、傍若無人に振る舞わせているには必然性があり、それほど支配体制・支配階級の危機は深刻で、もはや尋常の手段・手法ではもたないということなのだ。「時代の子」は支配階級にも被支配階級にもそれぞれのレベルで生まれる。小泉といえどもけっして甘く見てはならない。
 さて、マスコミは小泉大勝と囃したてている。そして小泉本人はそれに輪をかけて「国民投票」にも匹敵するやり方で「郵政民営化」の賛否を問うた総選挙で信認された、民意は郵政民営化法案支持だと、大騒ぎしているが、はたして支持されたのだろうか。それこそ頭を冷やし、落ち着いて選挙結果を検討する必要がある。郵政民営化法案は支持などされていない。やはり解散前と同じく国民的規模で否決されている。これが民意である。議席数に騙されてはいけない。
 議席数は自民党296、公明党31だが、得票率は自・公を足しても49パーセントで不支持が過半数を越えている。野党票は過半数なのに、議席数は与党が3分の2を占める。これこそ小選挙区制のペテンである。
 民意、民意と強調するのなら、正しく反映させるべきだ。自衛隊のイラク派兵時の民意はなんだったのか、そしてこの民意に小泉はどう対応したのか、思い出してほしい。どの世論調査も自衛隊のイラク派兵には反対だったが、小泉は歯牙にもかけずに派兵を強行したではないか。民意を尊重するというのなら、自衛隊をイラクに派兵すべきでないし、ただちに撤退させるべきだろう。しかし、現実には派兵反対のイラクに出兵し、民営化法案反対の郵政民営化を強行しようとしているのだ。小泉が吹聴する民意尊重の正体はこんなものである。まさに詐欺師、ペテン師のふるまいではないか。小泉は一事が万事この調子なのだ。
 自民党をぶっ壊す、そう主張して自分は自民党総裁になったと声高に叫ぶ。ちょっと待て、本当にぶっ壊しているのか。そうではあるまい。たしかに自民党の旧来のあり方を体現する人物は一掃されつつあるかのようだ。しかし実態は違う。ぶっ壊すのではなく、帝国主義の腐敗したエッセンスともいうべきものをとことん純化させつつあるのだ。現に、小泉自身3世議員であり、「日本は天皇をいただく神の国」と口にする人物を長とする派閥(森派)の代貸を務めていた族議員ではないか。「刺客」として放たれた連中をみよ。いずれも人間としての品性は欠片ほども感じられない連中ばかりではないか。こういう鉄面皮どもが夜郎自大を絵に描いたようにのさばりながら戦争と治安弾圧の道を掃き清める役割を担うのだ。
 さて、そうは言っても現出した結果は冷厳、深刻である。その気になって強行すれば「できないことなどない」のだ。「二度と戦争をしないために靖国参拝をする」と言ってのける人物に、これだけの権力が与えられたことの持つ意味は重大である。大変なことだ。もはや道理は通用しない世の中になってしまったのか。どんなに正しいことも受け入れられず、手も足も出ないのか。再審など何の展望もないのか。よく考えなければならない。
 展望はある。けっして強がりや、牽強付会ではない。頭を冷やして選挙結果を検討すれば実態が見えたように、醒めた頭脳と熱い心で情勢と取り組めば真実が見えてくる。
 なぜ日本の支配階級は小泉を政権の座につけ、8月クーデターともいうべき解散、総選挙を強行させたのかを把握すれば、自ずから展望は明らかである。日本の支配階級は、もはやこのままではやっていけないのだ。それも日本一国が破綻をきたしているのではなく、アメリカを先頭に世界が大破局にむかって転がりだし、むきだしの弱肉強食戦に勝てない、食い物にされる他ないなかで生き延びるために必死になっているのだ。小泉を登用し、とことん使い尽くそうとしているのには、死活的理由がある。
 小泉と経団連会長・奥田を先頭に襲いかかる戦争と大失業の攻撃とは、たたかう意志、連帯と団結を叩きつぶし、奪って、労働者・人民同士がいがみあい、殺し合う地獄に引きずり込もうとするものだ。歴史の教訓に学び、本当に腹を据えてたちむかうならば、こんな攻撃は必ずうち破れる。現状の真実の姿は、分裂が開始され、対決構造が明らかになったということだ。これをとことん押し進めること、これが勝利の道だ。小泉は、これを反対の方向から強行しており、全既成勢力がこれに怯え、屈服しているから小泉「改革」がまかり通っているのだ。だから、小泉の「強さ」は、ペテンといかさま、でたらめを暴き、恥知らずの凶暴性と不屈に対決する勢力が登場するとき、最大の弱点に転化する。破端点なのだ。
 たしかに現実は厳しい。余裕などない。しかし、敵はもっと窮地に立たされているのだ。分裂、対立、対決をおそれているのは敵の方だ。共謀罪の新設を計り、裁判員制度を導入して戦時司法への転換を追及し、国民投票法によって憲法改悪を一気に成し遂げようとしているのは、戦争への道にたちはだかる国論分裂・対立・対決、分極化をもっともおそれているからだ。城内平和なくして侵略と戦争は遂行し得ない。この論理は再審のたたかいにおいても、やはりそうなのだ。
 分裂、対立、対決をおそれてはいけない。そもそも正義と不正義、無実とでっち上げの間に妥協など成立する余地などない。決着をもとめてとことんたたかうほかないのだ。そして、真実は必ず勝つという信念を保持し、非妥協さ、不屈さを貫くとき展望は開かれる。
 はっきり言おう。小泉にはこれ以上はない。待ち受けているのは転落だけだ。人民の目は節穴ではない。
 富山再審のたたかいには、これ以下はない。ある意味では、これ以上悪いことはない状態から出発したのだ。そして、着実に富山再審は市民権を得て、認識と支持を拡大しつつある。逆境はたたかう主体を鍛え、暴虐は不屈のたたかいへの支持を生み出すことを、私たちはよく知っている。富山再審のたたかいは、身をもってこの真理を実証してきた。人間の持つ可能性、力の素晴らしさを味わいながら、これからもたたかいつづけよう。自分自身のたたかいの正しさ、説得力、勝利の不可避性に確信をもって前進しよう。(富山)

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 「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」(「かちとる会」)では、富山さんの無実を訴え、再審無罪をかちとるため、ともにたたかってくださる方を求めています。再審に勝利するためには多くの人々の力が必要です。また、再審弁護団のたたかいを支えるための裁判費用等、多くの資金を必要としています。
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 みずほ銀行 神保町支店
 普通口座 一三四六一八八

「私をかえせ」 伊藤純子さん

 

大井町ビラまき報告

 豪雨である。ものすごい雨だ。一寸先も見えない。天の底が抜けたら、こんなになるのだろう。久しぶりに豪雨と呼ぶにふさわしい雨に遭遇した。
 実際、後で知ったのだが、杉並では家屋が水没している。なんということだ。もっとも、家屋の水没は雨だけが原因ではなく治水とはコンクリートで地表を覆うこととしか考えない(考えられない)治水政策のもたらした人災ではあるのだが、それにしても迫力ある雨ではあった。
 もしや土砂降りにでもなったらえらいことだぞと、早めに大井町に向かう車中で真っ暗な空を眺めながら危惧したが、不幸にも嫌な予感が的中してしまった。これではビラは受け取ってもらえないだろうし、署名どころではないはずだ。ということで、亀さんと一致をかちとり、本日は水入り・休戦となった。
 ところがである。夕立みたいに定例会前には本当に降ったのかと首をひねりたくなるくらいぴたっと止んでしまった。いったいあれはなんだったのだろうか。もう一、二時間前に降ってくれればありがたかったのだが。
 道路は洗われてきれいになったし、空気もこころなしか呼吸が楽になった気がするから、雨上がりは不思議だ。さわやかな気分で定例会に臨めたのは不幸中の幸いであった。と思うことにしよう。
 さて、この「大井町ビラまき報告」は人気があって、ニュースは裏から読むというひとが多い。本日の顛末を知れば、雨のおかげで負けないですんでよかったとか、雨に感謝せよとか、内野席や外野席やはたまた場外からまでいろいろな声が聞こえてきそうだ。ありうることである。いや、きっとそうに違いない。言わせておこう。ここはじっと忍の一字である。そして、あっと言わせる時をかならずこさせなければならない。 (富山)

大井町のYさんから

休載

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