タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース

●ニュースNo.209(2006年2月15日発行)

富山再審の現状と異議審勝利の課題 葉山岳夫弁護士講演
横浜事件・再審判決弾劾
大崎事件。再審棄却確定弾劾

大井町ビラまき報告


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富山再審の現状と異議審勝利の課題

葉山岳夫弁護士

昨年(2005年)11月12日に行われた富山再審集会での葉山岳夫弁護士(富山再審弁護団)の講演を今月号と次号に掲載します。

【初めて参加者された7名を含む59 名で行われた05年11・12集会】

富山再審の現状と異議審勝利の課題

 葉山岳夫弁護士講演

■富山再審の課題

 みなさん、こんばんは。今日の集会にお集まり下さいまして、弁護団としてお礼申し上げます。
 今、ご紹介にありましたように1975年1月以来弁護人として行動をしておりまして、すでに30年という年月になります。
 富山再審の現在の課題について、まずお話したいと思います。
 東京高裁第三刑事部の中川武隆裁判長が、2004年3月30日再審棄却決定を下しました。これに対する異議申立を2004年4月5日に行いました。3日という申立期間の間に58頁という申立書を弁護団が総がかりで書き上げて提出したわけです。この異議申立を成功させ、そして棄却決定を取り消させ、再審開始決定をかちとる、これが大きな戦略目標であります。
 まず第一に、富山事件とは何なのかを明らかにしなければならないと思います。このパンフレット、あるいは集会のビラ等でも概略が記載してあり、要領よく書いてありますので、およそそれで足りるわけでありますが、要約しますと、第一に富山保信氏は無実である、明らかな冤罪事件であるということが第一であります。
 第二に富山氏に対する逮捕、起訴そして勾留は、国家権力によるところの犯罪行為であると思います。警察、検察による刑法194条、特別公務員職権乱用罪に該当する犯罪行為によって、富山氏は逮捕、勾留、起訴されたと考えております。すなわち、警察が目撃証言をデッテあげ、さらに遠藤、清沢という公安部の検察官が、司法警察員面前調書を整合させ、検面調書を作り上げ、これをもとにして公訴提起に臨んだという状況であります。すなわち富山事件は警察、検察による目撃証言のねつ造によって仕立てあげられた冤罪であると同時に、国家的な犯罪行為であると言わざるを得ないのであります。
 この点については、今もって、無罪を証明する可能性の強い証拠を検察官が隠し続けているということからも明らかです。刑法の104条に証拠隠滅という項があります。証拠を隠滅したものについては2年以下の懲役または20万円以下の罰金という、れっきとした刑法の規定があるわけです。本来、証拠として提出すべき、あるいは証拠を開示しなければいけないものを開示しない、一貫して隠滅し続けている。こういう検事の態度そのものについては犯罪行為としても弾劾されなければならない。そのような重大な違反行為であると考えざるを得ないのであります。これらのことを強く弾劾するとともに、今の仙波裁判長の下における高裁第四刑事部で行われている異議申立事件、異議審と言いますが、この異議審で、いかにして検察官の手持ち証拠を開示させるか、異議審の勝利を勝ちとって再審棄却決定を取り消させ、再審開始を勝ちとるかということが緊急の課題になると思います。
 証拠の開示を勝ちとる。隠されている証拠を白日のもとにさらけ出させたうえで、従来の証拠との矛盾、二審・確定判決が有罪とした「証拠」そのものが、きわめて脆弱なものであるということを明確にしたいと思っているわけであります。その過程を通して異議審を成功させ、再審開始決定を勝ち取りたいと思っているわけであります。そのためには、富山再審運動を全人民的な大衆運動として大展開させ、再審開始・再審無罪の訴えの正当性を、運動的にまた学問的に裁判所に認めさせることが必要だと思います。

■アリバイの存在

 まず、富山保信氏の被疑事実ですが、1974年10月3日の午後1時頃に、この「きゅりあん」のすぐそばの川崎実業という会社の前の横断歩道手前のところで、革マル派の労働者が中核派の4名によって鉄パイプで殴られてその日に病院で死亡したという事件が発生したのであります。富山氏はこの件に関して、1975年1月に「指揮者」として逮捕された。本人は逮捕直後から被疑事実を強く否定してアリバイを主張しました。これは接見した有賀(あるが)弁護士、丸井弁護士に伝えられました。そして、私が担当した勾留理由開示公判においてもアリバイが存在することを主張し、以後一貫してアリバイを主張しているわけであります。
 事件のあった10月3日の午後1時頃には、富山氏は池袋の前進社第二ビルに居て、それから夕刻には荏原文化センターに行って、「上原武」名義で会館の使用の申請をし、使用料を払って領収書を受け取るということをして帰ってきた。その途中で野外音楽堂の使用に関して、公園担当者に、その使用方法の一方的な変更に対して抗議の電話を入れましたが、電話しても担当者がつかまらないという状況の中で、前進社第二ビルに帰ったという確固としたアリバイがあったわけです。

■ずさんな写真選別、面通し

 大井署に置かれた警視庁の捜査本部は、目撃者に対し面割り写真を見せ、犯人の割り出しを行おうとしました。約118枚の写真を、目撃者に「この中に犯人がいるかよく見てください」ということで示したわけです。この118枚の写真は、いずれも、いわゆる中核派の活動家の写真でありました。中核派がやった事件で中核派の活動家の写真を示す、そういう意味からいうと空くじなしという仕組みになっていたわけです。
 この写真面割りで、一番先にTという人が、富山氏の写真を「犯人に似ている」として特定したと言われています。検察官は、控訴審になるまで一番先に特定したのは誰なのかということを隠し続けていました。控訴審の段階で、このTという目撃者が特定したということがわかったのであります。そのTという人は糖尿病を患っていて、控訴審の段階では目が見えなかったということで結局証人としては出廷しないという状況でした。控訴審の段階でにわかに目が悪くなったのか、それとも事件当時から目が悪かったのかについてはわからずじまいです。最初に特定をしたというのでありますが、いかなる状況でどういう特定をしたのかというのは、ついにわからないという状況です。
 しかし、富山氏の写真をまず選んだということで警察は色めきたったわけであります。そこでもう抜きがたい先入観が警察の方でできてしまいます。さらに、他の目撃者に対して、富山氏の写真を指し示すというふうな形で、他の目撃者も「これかもしれない」、「よく似ている」というかたちで富山氏の写真を選びだすわけであります。「似ている」という段階から、繰り返し調書を取っていく過程で、段々と「これに間違いない」という形で証言が変遷し、最後には固まっていくという過程をとるわけであります。
 その過程で本人を逮捕、そこで面通しをする。写真で固まったところで本人を単独面通しする。現在の刑事事件の動きとしても、特にイギリス等では絶対に行うべきではないとされている単独面通しを行いまして、「この人に間違いない」と特定させている。写真で選ばせて、その本人を単独面通しさせる。写真の人物を単独面通しするわけですから、写真とその本人が間違いないのは明らかなわけです。それでは確認したことにならない。目撃者は元々の記憶ではなく選んだ写真の印象で判断している。そういう形で確認したと称したわけであります。
 さらに「最も質のよい証人」と言われた目撃者を狭山裁判の集会につれて行きまして、「この中にあなたが選んだ者がいるんだ。それを探してください」と言ったんですが、その目撃者は探すことができなかった。そこで警視庁公安部の警察官が「あそこにいる、あの人ですか」と富山氏を指し示して、「どうですか」と、それでやっと目撃者は、「そういえばあの人だ」という形で特定してるわけです。
 それからもう1人については、タクシーの運転手ですが、これもやはり集会の場に連れて行って、荷物の積み下ろしをしている富山氏を見せて、これもまた警察に指し示されて本人であるということを特定している。このような杜撰きわまる特定の方法で、富山氏を犯人だとするということがあったわけです。

■本件の目撃者

 当時、白昼の午後1時、しかも駅のすぐ近所ですから人通りはかなりあったわけです。その中で目撃したと称する人は、約40名いたんだと控訴審で警察官が証言しました。そのうちで調書が取れたのが34名。その34名がいずれも富山氏を特定したのかと言えば、とんでもない話でありまして34名のうち26名だけが面割りに応じたということで、さらに26名のうちの11名について、1枚について特定したという目撃者もいるし、これとこれとこれという形で複数の人物の写真を特定したという目撃者も含めまして、11名が富山氏の写真を特定したというわけです。その中で、裁判で調書が開示されたのは、先に言いました糖尿病を患って失明してしまった人を加えて7名。証人として出廷した人は6名ということです。結局、40名の目撃者のうち明らかになったのは7名でした。
 これらの目撃者の供述調書については、まず検面調書が開示され、1年以上にわたる証拠開示の要求をしたうえで、ようやく警察の司法警察員面前調書いわゆる員面調書が出てくるというものでありました。34名のうちの7名、残りの27名については明らかにされていません。この27名の中に、事件を目撃し供述はしたんだけれども、富山氏については特定しなかったという目撃者がいることは間違いない。そういう中で、たまたま特定したものについて6名、のちに1名の目撃者の調書が開示されて7名ですが、それをつまみ食い的に目撃証言らしく仕立てあげていくという過程で証拠が作り上げられていったわけであります。

■供述の変遷

 これもパンフレットにありますが、例えば年齢でいうと、これがばらつきがありまして、Yという証人については、当初は、「20歳くらい」と言っていた。それが段々と、「指揮者」が富山氏だと警察がねらいをつけた段階で「24〜25歳」へ、富山氏が逮捕された段階でにわかにこれが「25〜26歳」へと変化していく。
 Sという証人も「23、24歳」という証言が、「25歳〜26歳くらい」に年齢が上がっていく。
 逆にIという証人は、「30〜35歳くらい」と言っていたのですが、それが富山氏が逮捕された後では「25〜28歳位」というかたちで、いずれも富山氏の当時の年齢26歳に合わせる形で変わっていく。しかも、いかなる根拠で変わるのか、全然説明がない。警察による強度の誘導がそこに加えられていることが明らかです。
 それから身長についても、Yという証人は、当初「165センチ」といったのですが、「170〜172センチくらい」になったり、さらには「175〜180センチ」に、そして最後には「180センチ」に、どんどん伸びていく。要するに富山氏の身長に近づけて変わっていく。捜査官による強度の誘導以外にこの変遷の理由は考えられない。
 Tという証人についても170センチから180センチ、177くらいというふうにあがっている。
 体格については、Sと言う証人やO、Kという証人は、「やせ型だ」と当初は言っていたのですが、これが「がっちり」という体格に供述が変わっていく。Y、Kという証人は「中肉」だといったのが、これまた「がっちり」に変わるという形で、富山氏の体型に合わせて供述が変わっていく。
 人間の記憶が、例えば「165センチ」の身長と言っていたのが、「180センチ」に記憶がよみがえるとか、「やせ型」の人が「がっちりした体格」に記憶が変わっていくということはおよそ考えられないことです。それを捜査官は、富山氏の顔つき、体型、年齢に合わせていくという作業を行ったわけです。
(つづく)

□横浜事件再審裁判・免訴判決を弾劾する

【2002年6月富山再審集会で発言される木下信男先生】

 2月9日、横浜地裁は横浜事件の再審裁判において「免訴」の判決を宣告した。破廉恥きわまりない、ゆるせない判決だ。
 「免訴」とは、わかりやすく言えば「無かったことにする」「忘れろ」ということではないか。こんな卑劣な開き直りがゆるされると思っているのか。通用すると思っているのか。
 そもそも「日本共産党の再建計画」という砂上の楼閣をでっち上げて逮捕、拷問を加え、獄死者まで出す暴虐を行った警察・検察とともに、戦後のどさくさの中で「有罪」宣告のみか関係資料の焼却・隠滅にまで手を貸したのは裁判所ではないか。その張本人が形式論に逃げ込み、「特殊な状況下で訴訟記録が廃棄され、再審開始が遅れたことは、誠に残念」と他人事(ひとごと)のように述べるのだ。こんな無責任な話はない。
 故木下信男(横浜事件の再審を実現しよう!全国ネットワーク代表)先生は富山再審のビデオで「島田事件で、赤堀さんを死刑囚として30年間も投獄しておきながら、責任をとった裁判官は誰もいない。これひとつとっても、いかに日本の司法が腐敗しているかをものがたっている」と弾劾されているが、免訴判決は腐敗の極致をゆくものだ。横浜事件の被告たちは拷問で「罪」をでっち上げられ、「有罪」を宣告されたのだ。この弾圧によって殺された人もいる。塗炭の苦しみを味あわされたのだ。きちんと責任を明らかにして、再審無罪を宣告するのが道理というものだ。こんな不当判決をまかり通らせてはならない。横浜事件の再審請求人・弁護団、支援の人々と連帯し、再審無罪をかちとるためにたたかおう。
 (富山)

□大崎事件の再審請求棄却確定を弾劾する

 最高裁第三小法廷は、1月30日付で、大崎事件の再審請求人である原口アヤ子さんの特別抗告を棄却する決定を行った。これによって鹿児島地裁の再審開始決定(2002年3月26日)を取り消し、再審請求を棄却した福岡高裁宮崎支部の決定(2004年12月9日)が確定した。ゆるせないことである。
 再審開始決定が覆され、最高裁で確定したのは、白鳥決定以降では日産サニー事件に次いで2例目である。

大井町ビラまき報告

亀・・・・・・6
うり美・・・・0
山村・・・・・1
富山・・・・・1

 ビラまき開始時刻、山村さんより携帯電話が「早く来い!早く来い!」と鳴っていた。私は、まだ電車の中だった。開始より少し遅れての参加。なんとか署名をとって挽回しなければ、と気持ちだけが焦る。早々に富山さんが署名を取っている光景が飛び込んでくる。弾むように満面の笑みを浮かべて余裕綽々。なんだか嫌な予感。この調子だと新年早々のビラまき報告はわたしか!などと考えていたら、案の定そうなってしまった。
 この日、新たにOさんがビラまきに参加しようと駅に来てくれていたらしいが、いまや大井町は改札出口が多数あり私たちと遭遇できなかった。Oさんは、その後の定例会にも初参加。その中で初めての人にもわかる事件説明を、という貴重な意見がだされた。わかっていることが前提になっていた定例会に反省点は多い。事件現場、アリバイコースも過去に何度も見てきている。私たちはそれでやりきった気になっていないか。もう一度、運動も原点に立ち返ってみつめ直すということが必要だろう。  (うり美)

大井町のYさんから

休載

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