タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース

●ニュースNo.213(2006年6月15日発行)

◎司法改革」―裁判員制度の正体

大井町ビラまき報告


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司法改革」―裁判員制度の正体

開始された人民のたたかいとともに―富山再審勝利へ

○人間の尊厳をかけた人民の反撃が始まった

 人民に「統治の客体」から「統治の主体」に転換せよと要求したのは司法制度改革審議会だった。わかりやすく言えば被支配者から支配者になれということだが、ここには大きなペテンがある。被支配者から支配者への転換と言うが、革命を前提にはしていない、つまり権力は移行していないのだから、実体は被支配者のままで意識だけは支配者になったつもりで支配者の意向に忠実に従えということである。何のことはない身も心も捧げろということしか意味しないのだ。
  このからくりが見えると、前世紀末から一気に進行した次元を越える反動攻撃の狙いが浮き彫りとなる。国家のあり方を変える、すなわちじっさいに戦争ができる国家にする攻撃を血眼になって始めたのだが、そのために、小泉政権にいたってはファシスト然たる手法を駆使するまでになった。「自民党をぶっ壊す」「平和を誓うために靖国参拝」等々、すべて嘘とペテンのオンパレードであり、「構造改革」と左翼用語まで動員する有様だ。それほど戦争国家への転換は容易ではなく、しかし体制の死活がかかっているから形振(なりふ)り構っていられないのだ。それだけに攻撃は卑劣で凶暴だが、同時に冷静に眺めれば初めから正体は明らかであり本質的には勝負ありなのだ。勝利の要諦は攻撃の凶暴性、暴力性、悪辣さに毅然と対峙し、団結、結束を強化・拡大していくことである。
  その展望はあるのか。ある。確固としてある。支配者どもよ、人民をなめるなと言いたい。すでにアメリカで、ヨーロッパで、全世界で10 万人、100万人規模で人民の決起が始まっている。この日本だけが例外ではありえない。現に、従来のあり方、やり方ではやっていけなくなったと自認する「統治の主体」に対して、若者達の「生きさせろ」という反乱が開始されているではないか。何人(なんぴと)も社会のたがが外れてしまったことを否定できないところまで事態はきている。人間の尊厳、矜持にかけてたたかいぬき、勝利しよう。ともに生きるに値する社会を築き、次代に引き継ごう。

○憲法改悪の先取りする「司法改革」

 前置きが長くなったが、再審を語るのになぜこんなに社会情勢を論じるのか。それは「社会の最後の砦」である監獄にいたる司法処理過程ほど社会情勢・階級的力関係を反映するものはないからである。じっさい「司法が変わる」と鳴り物入りで騒ぎ立て、すさまじい勢いとテンポで推進されつつある「司法改革」という名の大改悪攻撃が襲いかかった経緯を振り返れば一目瞭然である。
  これまで司法改革は日本の刑事裁判の実態を知るものにとっては悲願であった。1980年代に4例も続いた死刑囚の再審無罪は、国家権力に対して司法改革を迫る人たちのたたかいの正当性と切迫性を実証して余りある。しかし、その後の現実は司法改革が実現するどころか再審への逆流と刑事裁判へのいっそうの反動が押し寄せることとなった。
  ところが、一転して権力の側から司法改革が叫ばれ始めるのである。司法―刑事裁判の現状を反省したからだろうか。まったく逆である。直接の契機は財界の要請であることが、「司法改革」の真の狙いを物語って余りある。「グローバルスタンダード」とは戦後世界・戦後体制が行きづまり、否応なく強制されるむきだしの弱肉強食戦に勝ち抜くためのスローガンにほかならない。司法審自体が、「司法改革」とは一連の構造改革の「最後の要」と白状しているではないか。繰り広げられる構造改革の総仕上げである憲法改悪が登場するときには、すでに憲法の内実は奪い去られ、形骸化した廃墟のうえに新憲法が君臨するのである。憲法改悪を待たずして、「司法改革」そのものが憲法破壊の推進であり、憲法改悪を先取りするのだ。その証拠に、司法審最終意見では人権は否定・抹殺され、人民の義務は語られても人民の権利は唾棄される存在でしかない。基本的人権など歯牙にもかけないのだ。

○重罰化・迅速化―戦時司法への転換狙う「司法改革」

 詐欺師の作品としか言えない裁判員制度だが、まだまだ重大問題だらけだ。
  「司法改革」―裁判員制度の前提として、重罰化と迅速化の地ならしが行われている。
  まず重罰化。「体感治安」と言う言葉が乱発・乱用されて、治安が悪化していると喧伝されている。本当に治安は悪化しているのだろうか。現実は逆で、数字の操作によるトリックであると荒木伸怡(のぶよし)立教大教授が論証している。少年犯罪も増大したとマスコミは囃し立てるが、戦前・戦中の方が多いという説もある。何をもって犯罪事案とするか、数字の操作によってどうにでもなるのだ。犯罪とは何か、その根絶・克服の真剣な考察をぬきに根拠のない「体感治安」の異常な強調による重罰化の追求は、解決にならないどころか人民にとっていっそうの治安悪化をもたらすだけだ。なぜなら戦争こそは究極の犯罪であり、いまや衣食足りても礼節を知らない2世・3世政治家、高級官僚、資本家たちの犯罪の露見は枚挙に暇がないように、戦争によって延命を追求する魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)こそは治安悪化の極致であるからだ。今日の日本社会は転換期にある社会の典型であり、侵略と改憲、民営化と失業の攻撃の激化のなかで、たがが外れてしまったのだ。戦後社会・現存体制は完全にいきづまり、矛盾は極点に達しつつある。その爆発としての戦争はすでに始まっており(アフガニスタン―イラク侵略戦争は始まった。自衛隊は派兵されている)、システムを根本的に改めない限り全社会・全階級をのみつくすのは不可避である。「戦争できる国」への国家改造攻撃は、労働者人民の生活と権利を破壊し、奪い尽くすのみか、侵略の先兵とならなければ生存すらゆるさないものである。したがって労働者人民の反乱を鎮圧し、「城内平和」実現を不可欠とするのであり、司法改革とは戦時司法への転換攻撃にほかならないのだ。
つぎに迅速化。すでに裁判迅速化法が強行成立させられている。遅々として進まぬ裁判、長期化する一方の裁判というキャンペーンが張られたが、これも大嘘。そうではないことはすでに具体的数字をあげて粉砕されている。そして長期裁判の実例として指摘された横田・迎賓館爆取裁判もでっち上げとこれを追認する裁判所に100パーセント責任がある。そもそも公判開始の段階で検察官自身が「証拠はない」と明言したではないか。この厳然たる事実、真実を転倒させ、迅速を口実に裁判を受ける権利、裁判で争う権利すら否定・抹殺するものである。
  さらに、これらのうえに、労働法制の改悪、組織犯罪対策法、共謀罪などが重層的に襲いかかっていることを確認して「司法改革」―裁判員制度にもどろう。

○冤罪を生み出し、再審もできない裁判員制度

  裁判員裁判は裁判ではない。より正確にいうならば本当の意味での公開裁判ではなく、実質的な密室裁判であり、公開法廷で有罪・無罪を争う場ではないということだ。
  なによりも軽視できないのは、弁護士に猛烈な縛りがかかっているということだ。公判段階からではなく、被疑者段階から弁護士による弁護活動が始まるという建前はともかく「日本司法センター」(通称・法テラス)は法務省管理下にある弁護士自治否定の御用機関である。こんな御用機関に属する御用弁護士に十全の弁護活動が期待できるだろうか。御用弁護士でなかったとしても縛りから自由ではない。
  公判前整理手続き、これが曲者である。ここで公判廷に提出される「証拠」、裁判の争点と審理の内容つまり公判のシナリオが決められ、大きくはこのシナリオからの逸脱は制限されることになる。弁護のために裁判官の掣肘(せいちゅう)を蹴ってシナリオからの逸脱をあえて辞せぬ弁護士は懲戒の対象とされるのである。これがどれほど決定的な意味を持つかは、私の裁判における第1審を想起すれば明快である。私が不当逮捕・でっち上げ起訴されて、移送された東京拘置所で目にした起訴状と目撃証人の検察官面前調書はその限りでは非常によくできたものであり、正直なところこれをどうやって粉砕するか当初は頭を抱えた。それでも挫けないで、無実という真実はかならず勝つという確信のみを頼りに公判廷での反対尋問を重ねたら次々に矛盾点が出てきて、ついに司法警察員面前調書の開示をかちとることによって1審無罪を実現できたのである。そして2審では、この1審無罪に強制されて「捜査責任者」が公判廷で「目撃者はほぼ40名いて、そのうち34名の調書があり、開示されたのは7名分で残る27名分は未開示」と手の内をあかさざるをえなかったのである。検察官は捜査責任者に右のような証言などさせたくなかったし、証拠リストどころか存在・不存在すら隠し通すのが通常の刑事裁判の姿である。司法改革によって「取り調べの可視化」の幻想を根拠に司法改革に迎合した日弁連執行部であるが、「取り調べの可視化」も証拠開示もなにひとつ保証・担保されてはいない。それどころか証拠の目的外使用の禁止によって従来にも増して反証活動は制限されることになる。マスコミの取材活動、学者の研究活動、裁判支援活動、新たな証拠収集活動等々、ことごとく制限、禁止の対象となるのは必至である。このままでは、私の1審におけるたたかいもその成果である無罪もありえなくなる。それどころか再審請求のとっかかりすら奪われてしまうのだ。まさしく冤罪を生み出すための裁判員制度である。公判廷で繰り広げられるのは「当事者同士の攻防」ではなく、あらかじめ決められた結論にいたるセレモニーである。刑事裁判の最後的な死がもたらされるのである。

○拒絶されつづける裁判員制度

 重圧は被告だけではなく、裁判員にも同様に襲いかかる。厳重な守秘義務が課せられ、破ると罰則が待っている。評決を検証する道はあらかじめ閉ざされたうえで、被告にとどまらず自分自身の身も心もズタズタ、ボロボロにされるために駆り出されるのである。しかも裁判員として選定されるにあたっては事前のチェックが行われ、プライバシーは丸裸にされてしまう。死刑反対の人物はあらかじめ排除されるそうだから何をかいわんやである。
  これらのことは従前も「かちとる会ニュース」で言及してきた。その後、2009年の実施が迫るにつれて法務省、最高裁はキャンペーンを重ね、マスコミはアンケート調査を行うが、裁判員になるのはイヤだという人が70パーセントとか80パーセントという比率を下回ることはない。圧倒的に拒絶されつづけている。この健全な「庶民感覚」は何に由来するのだろう。そうだ、拒否反応の幅は、滔々と論じる人から「いやなものはいや」「わからない」と理由を明言しない人まで多岐にわたるが、健全なのである。なぜかははっきりしている。法律とは支配者の支配の武器であり、裁判とは支配者の土俵におけるたたかいだからである。もとより被支配者は支配者の武器であろうとこれをも駆使して不当な支配・抑圧とたたかうのであるが、やはり敵の武器、敵の土俵であることにかわりはない。裁判員制度への動員とは、この被支配者の魂を忘れ、投げ捨てて敵の懐に取り込まれてしまえという狙いがあからさまであり、厳然と貫かれていることは否定しがたいから、明確な拒絶から違和感にいたるまで広範な拒否回答が減少することはないのだ。
  くり返すが、「隣人に裁かれたくない」「人を裁くのはいやだ。ましてや死刑などという判決に荷担するのはいやだ」という拒否理由は、むしろ健全な社会の反応なのだ。「不利益を被るから裁判員になるのはイヤだと拒否しているのは、冤罪が生み出されかねないのに拱手傍観しているに等しい怠惰な行為だ」と非難するのは御門違いであり、裁判員制度の強制をこそ批判し、この撤廃のためにともにたたうことこそとるべき態度であろう。そうでなければ、結局はたたかう陣営の団結を破壊し、敗北をもたらす役割をはたすだけだ。

○撤廃あるのみの裁判員制度

 ここまで縷々論じてきた。「問題があるのはわかった。だったら対案を出せ」という声がそろそろ返ってくる頃だ。これまで裁判の現場で苦闘してきた人のなかに「どうすればいいのだ」と「司法改革」に一縷の望みを託そうとする人が少なくない。そういう人ほど「対案」を求めがちだ。そうした善意の人たちに尋ねたい。自分が裁判員になったら守秘義務に囚われないで口を開く、情報公開すると主張する人物が裁判員に選定されるだろうか。裁判官の意向に裁判員が従うというのは穿ちすぎだと言うが、はたしてそうだろうか。証拠開示、「取り調べの可視化」の保証がないところで裁判員には裁判官を説得しなければ勝てないというハンディキャップを課せられて、なんのハンディキャップも課せられていないプロの裁判官に対しなければならない評決とは、八百長も同然である。それでも市民が参加することによって一石が投じられ空気が変わる、風穴があくと期待するのは、何重にもそうならないような装置が施されている事実に目をつぶるものだ。根本的に日本の裁判とりわけ刑事裁判を改革・改善するどころか本質的にも現実的にも死を刻印するものであり、手直ししたり運用に手心を加えてどうにかなるものではない。したがって撤廃以外に選択はありえず、日本の司法の現実、刑事裁判の改革は、真正面からそういうものとして取り組まれるべきなのだ。裁判現場での勝利を人民への粘り強いたたかいへの決起の訴えと実現を通して積み重ねていくことがもっとも現実的な道である。一見したところ困難であるが、じつはいまいちばん勝利の展望に満ちたたたかい方なのである。

○倦まず、弛まず再審勝利へ前進しよう

 逆説的ではあるが、国民投票法がこれを敵の側から裏打ちしている。憲法改悪のためにのみ存在するこの悪法はこれまた詐欺師の作品であり、そうであるが故に幼稚園から大学にいたるまで教職員の改憲攻撃への論及を禁じている。つまり圧倒的少数派を自認しているが故にオーソドックスな多数派への訴えと組織化をもっとも恐怖・憎悪しているということだ。そして、いまや多数派に対する決起と現実の根底からの変革への呼びかけが現実性を持ち始めたときはない。そういう時代、情勢が始まっているのだ。このことに確信を持ち、真正面から倦まず、弛まず働きかけること、これが「司法改革」にまだ幻想を抱いている人たちへの対案である。ぜひ検討していただきたい。そして、勝利までともにたたかいたいと切望する次第である。ともに前進し、ともに勝利しよう。

  (富山保信)

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