新年の挨拶
□ 証拠開示を実現し、再審開始・無罪へ突き進みましょう
勝負の年を迎えました。なんとしても今年を日本の刑事裁判の歴史を画する年にしなければなりません。いまや、それはまったく可能です。
昨今、氷見事件、志布志事件、横浜事件、布川事件、足利事件とえん罪・再審裁判に耳目が集まっています。当然です。腐臭を放ち末期症状を呈する資本主義社会の「最後の要」(司法制度改革審議会答申)においてこそ腐敗の極致というべき姿が現出するのであって、えん罪こそはそれに他なりません。これからいっそう続出するのは確実です。
もともと無実が明白であり、粘り強いたたかいによって真実が明らかにされてきたにもかかわらず、国家暴力の行使によって真実に蓋をし、白を黒と言いくるめてきた暴虐の数々を、ついに決起して自民党支配という戦後支配体制を打ち破り社会の根底的変革にむかって前進を開始した労働者人民が暴かずにはいません。まだまだ光が当たっているのは氷山の一角にすぎず、涙をのんでいる事例は枚挙に暇がないはずです。このたたかいはけっして押しとどめられてはならず、不可逆の勢いで進められなければなりません。そして、そのたたかいの先頭に立つものこそ富山再審闘争です。
実際、人類が営々と積み重ねてきた刑事裁判の到達地平に立つならば無罪宣告以外ありえないにもかかわらず、国家意志の発動によってのみ維持されてきた確定判決は、刑事裁判の原則、鉄則に照らして堪えられないだけでなく、論理学の次元においても論外というべきお粗末極まりない代物にすぎません。本来は、一審、二審の記録を読み込むだけで再審開始・無罪に至るほかないものなのです。しかも、検察官が公判廷には提出しないで隠し持っている証拠の中に私の無実を証明するものが山ほど存在するだろう事は疑いありません。
証拠開示の正否、これが再審の帰趨を決するのであり、隠蔽された証拠の開示をめぐって決定的局面を迎えています。
証拠開示問題こそは、日本の刑事裁判において一貫して桎梏でありつづけ、えん罪、誤判の原因となってきました。いまこそ、この悪弊に断を下さねばなりません。富山再審こそはその位置を占めており、その役割を担っているのです。
証拠開示をかちとるために全力をあげます。みなさんがともにたたかってくださるよう心から訴えます。 (富山保信)
追伸
1月21日、ついに証拠開示勧告が出ました。頑張ります。
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毎年、「今年こそは」と言い続けてきました。いつしかその言葉を口にする時、溜め息が混じるようになりました。再審という高く立ちふさがる壁に、時として、いつまで続くのかという思いに至ることもあります。
しかし、決してあきらめないこと、継続し続けることが、やはり事態を打開しました。
再審申立てから約16年、異議審になって6年。
ようやく裁判所が動きました。
検察官に対して証拠開示を勧告したのです。全ての目撃者の供述調書、捜査報告書等を見て、判断すべきということです。画期的な事態です。決して退くことなく闘い続けてきた成果です。
検察官がすんなり開示するとは思えません。闘いはこれからが本番です。証拠開示をかちとり、再審開始・再審無罪まで何があっても闘い続けます。
これまで以上のご支援をよろしくお願い致します。 (山村)
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再審との闘いは、先の見えない長いトンネルを、手探りで歩いているようなもの、いつもそのように感じる。
このまま何も見えない道を進んでいいのか、時には歩むことさえできず、立ち止まる。
どこに行けば光があるのか、悪戦苦闘、試行錯誤の連続。
それでも諦めてはいけない、と常に思っていた。
1月21日、東京高裁第4刑事部は、検察官に証拠を開示するよう勧告した。暗闇に微かな光が見えた瞬間であった。
しかし楽観視はできない。長い闘いの中で培った経験が、そうさせている。これを起爆剤として更に切り開いていく。
諦めることは簡単である。だが諦めてしまったら「再審無罪」という、究極の喜びを噛み締めることができない。
そんな人生は、つまらない。(うり美) |