タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース

●パンフNo.1(2004年4月発行)

◎富山保信さんに対する再審棄却決定を弾劾する


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無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会

東京都港区新橋2−8−16 石田ビル・救援連絡センター気付
電話・FAX 03−3591−1301

メールアドレスは、 tomiyama@io.ocn.ne.jp

 東京高裁第三刑事部(裁判長・中川武隆)は3月30日付で私の再審請求を棄却する決定を行いました。これは、事実に反する間違った決定です。断じて承伏できません。

 無実を訴え続けて30年

 私は無実です。決定は《再審開始》でなければなりません。再審開始こそが事実に即した、正しい決定なのです。
 事件は1974年10月3日に発生しました。そして、翌年75年1月13日の不当逮捕以来、無実を訴え続けて、すでに30年になろうとしています。

 日本の刑事裁判の水準が問われている

 私の裁判は目撃証言の信用性を最大の争点とするものであり、日本の刑事裁判史において当時も今も重要な位置を占めていると言っても過言ではありません。目撃証言の信用性、証拠開示問題、そして事実認定のあり方と、刑事裁判の原則、鉄則ともいうべき領域にかかわる判定が問われています。日本の刑事裁判の水準を示す試金石なのです。

  一審無罪・二審逆転有罪

 一審は幸いなことに真実が認められて無罪になりました。しかし、二審はまったく不当にも真実をねじ曲げて「有罪・懲役10年」を宣告し、最高裁が事実審理を拒否したために、無実の私は10年間も刑務所生活を余儀なくされました。
 確定判決(二審判決)は誤判です。近代刑事裁判の原則を踏みにじっています。速やかに改められてこそ裁判は裁判の名に値し、私の名誉と人権は回復されるのです。この30年間、私はそれを求め、訴え続けてきました。
 1994年6月20日、獄中から再審請求しましたが、95年12月19日の「満期出獄」以降も請求は放置されたままで、その間に裁判長は次々と交代して現在の中川武隆裁判長は5人目です。その中川裁判長が、突如昨年(2003年)10月8日付で「求意見書」を送りつけてきました。私と弁護団が再審請求以来要請し、折衝を重ねてきた「検察官が隠し持っている私の無実を明らかにする証拠の開示命令を出して欲しい」になにひとつ応えないままにです。なんという不誠実極まりない対応でしょうか。
 この事態に、心ある学者、弁護士の方々85氏が東京高裁第三刑事部に対して「慎重かつ公正な審理」をもって「後世の批判に耐えうるような決定を」という要請を行いました。

  「慎重かつ公正な審理」の対極にある中川決定

 それにもかかわらず、第三刑事部・中川裁判長は今回の「再審請求棄却決定」を行ったのです。「慎重かつ公正な審理」の対極を行くものであり、一例を挙げれば、「新規性」を否定できない〈私が犯人だという検察側主張を否定する新聞記者K氏〉に対する事実調べをしないままに決定を下して、今後のK氏に対する事実調べの途を断ち切ろうとするやり方に、卑劣で姑息な魂胆が見え透いています。いったいどこに《無辜の救済》という再審の使命を真摯に考察し、人権に配慮し、これを守ろうという姿勢がうかがえるでしょうか。不見識極まりないと言わざるを得ません。

 再審開始こそが正しい決定
 4月5日に異議申し立て

 今回の決定は、明白な誤判である確定判決、それを容認した最高裁決定に次いで恥の上塗りを行うものです。誤った決定であり、ただちに訂正されなければなりません。
 私と弁護団は《再審開始》という正しい決定を求めて、4月5日に異議申し立てを行いました。みなさんのご支援、ご協力、注目をよろしくお願いいたします。

 (富山保信)

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