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証拠開示を求めます
再審制度は真実を究明し、無辜(むこ)の救済をはかることを制度の理念、目的としています。しかし、検察官の手持ち証拠が開示されないばかりに、えん罪に苦しみ続ける人々があとを断ちません。
これまでも、死刑を含む重罪事件の再審請求において、検察官が持つ未開示の証拠の中から決定的な新証拠が発見され再審が開始されるという事例がいくつもありました。
死刑事件で初めて再審無罪をかちとった免田事件では、再審段階で、検察官が持っていた請求人の免田栄さんのアリバイを証明する証拠を裁判所が開示させ、それが再審開始に結びつきました。
また、財田川事件の再審でも、請求人の谷口繁義さんの「自白」の任意性・真実性を揺るがす犯行方法についての証拠が開示になり、それが再審無罪の重要な証拠になりました。
松山事件でも、被害者の血液型と一致する人血痕が、「犯人」とされた斉藤幸夫さんの掛布団の襟当てに付着していたとされていましたが、再審段階で開示された捜査報告書や鑑定書によって、それらの血痕は警察の押収段階以後に付着したことが裏づけられ、再審開始につながりました。
徳島ラジオ商殺し事件の再審でも、請求人の富士茂子さんが犯人であると供述した少年2人の偽証を裏づける供述証拠や鑑定書が開示され、それらによって再審が開始されました。
さらに、再審事件ではありませんが、松川事件における「諏訪メモ」の例はあまりにも有名です。
これらの証拠は、それまで検察官が隠し続けていたものです。もっと早い段階で検察官がこれらの証拠を開示していたならば、免田栄さんをはじめとする人々が何10年にもわたってえん罪に苦しむことはなかったはずです。しかし、こうした無実を証明する証拠を隠して平然としているのが、残念ながら今の検察官の実態です。
本件でも、弁護人が求める証拠開示を検察官は拒否しています。
富山事件とは
1974年10月3日、品川区の路上で殺人事件が起きました。起訴状によると、事件は男性4人が男性1人(被害者)を追いかけ、追いかけていた4人のうちの3人が鉄パイプで被害者を殴り、1人は殴打に加わらずそばで指揮(「指揮者」)をしていたというものです。この事件の「指揮者」として富山保信さんが翌年1月13日に逮捕され、2月3日に起訴されました。
事件は午後1時過ぎに起き、偶然現場を通りかかった人たちが目撃していました。物証はほとんどなく、もっぱらこの目撃証言が信用できるかどうかが裁判の争点になりました。
一審(東京地方裁判所)では、5人の目撃証人が法廷に立ちました。裁判の過程で、この目撃証人たちが事件直後には、富山さんと似ても似つかない「犯人像」を供述していたことが明らかになりました。これは員面調書が開示されて初めてわかったことです。
富山さんは、事件当時26歳、身長は180センチ、ガッチリした体格、四角張ったエラの張った顔、広い額が特徴です。
ところが、目撃証人たちが当初言っていたのは別人物としか思えない「犯人像」でした。顔つきについては、「丸顔」とか「面長」「細面」、「卵型」と言っていた人もいます。身長については、「180センチ」と言っていた目撃者は1人もおらず、「165センチ」と言っていた人もいるのです。体格については「やせ型」「中肉」「細長い」という供述がありました。年齢については、目撃者によって「20歳位」から「30〜35歳」までの差がありました。
それが捜査官の取り調べを経るにしたがって、富山さんの特徴と似た「犯人像」を言い出します(「供述変遷表」参照)。
身長について「165センチ」(10月3日=事件当日)と言っていたA証人の供述は、「165センチ」から「170〜172センチ」(10月6日)、さらに「175〜180センチ」(10月31日)と変わっていき、最後の検面調書(翌年1月18日)では「180センチ位あったかもしれない」となりました。顔つき、体格についても、富山さんの特徴である「角張った顔」「がっちりした体格」に変わっていきました。目撃者の間で、「20歳」から「35歳」まで幅のあった年齢は、富山さんの当時の年齢「26歳」に一様に近づいていきした。
「犯人像」についての供述が変わるとともに、目撃証人たちは富山さんの写真を「犯人に似ている」として選ぶようになります。この過程について、目撃証人の一人は、一審の法廷で「警察官が富山さんの写真だけを見せて『これじゃないか』『他の人もこれを選んでいる』と言った」と証言しました。
一審無罪判決
一審の東京地方裁判所は6年余り計61回の審理を経て、1981年3月5日、富山さんに無罪判決を言い渡しました。
判決は、「(目撃者らは、証人としてあるいは検察官に対する供述調書で)指揮者と見られる犯人について、長身でガッチリした体格、全体として角張った顔でアゴが張っている、といった共通した特徴を指摘しているけれども、事件にもっとも接着し、記憶のもっとも鮮明と思われる時点での供述調書(員面調書)で、右のような特徴を十分に指摘し得ている目撃者は、一人として見あたらず、目撃者らが最初に指摘した特徴によって、被告人が犯人の一人であると特定できるようには容易に考えることはできない」「目撃者らの供述の経過には捜査段階における暗示の影響が看取されないでもない」「これらの供述の信用性にはかなりの疑問が残り、これをそのまま採証の用に供することはできないと言わざるを得ない」としました。
二審逆転有罪判決
ところが、二審の東京高等裁判所は1985年6月26日、一審無罪判決を破棄し富山さんに「懲役10年」を言い渡しました。
捜査段階で、目撃者たちは取り調べの途中から、富山さんの写真を「犯人に似ている」として選ぶようになります。しかし、この目撃者たちの供述には決定的な矛盾がありました。
検察官の主張では、この事件は3人の犯人が車道上で被害者を殴打し、少し離れたガードレールの内側の歩道に「指揮者」が立っていたというものです。「指揮者」は殴打に加わっていません。富山さんはこの「指揮者」とされています。
ところが、事件直後の目撃者たちの供述を見ると、裁判で明らかになった目撃者7人のうち、5人は殴打場面の犯人を目撃したと供述し、富山さんの写真をその「犯人に似ている」として選んでいます。7人のうち5人までが、「富山は指揮者だった」という検察官の主張と違う供述をしているのです。「指揮者」を目撃したと言って富山さんの写真を選んでいるのは2人だけです。
殴打に加わらず歩道上にいた「指揮者」と、車道上で殴打を直接行なった人物が一緒のはずがありません。にもかかわらず7人は全員、富山さんの写真を選んでいるのです。同じ時刻に、違う場所で、違うことをしていた人物をそれぞれ見て、同じ富山さんの写真を選んでいるのです。これは決定的な矛盾です。
この5人の目撃状況についての供述は取り調べを重ねるにしたがって変わっていき、最終の検面調書では、5人全員が「殴打場面の犯人を見た」という供述を変更しています。1人は「車道の殴打場面」からガードレールの内側の歩道上に供述を変え、もう1人は犯人たちが待ち伏せしていた場面に変え、残りの3人は犯人たちが逃げていく場面に変えたのです。目撃状況を、違う時刻、違う場所に変えて、矛盾が生じないようにしたのです。検面調書に供述を変更した理由は何も書かれていません。
自分が見た犯人がどこで何をしていたかについて、こんなにも変わるのは不自然極まりないことです。これこそ捜査官による暗示・誘導を裏づけるものであり、本件における写真選別の信用性を否定するものではないでしょうか。
ところが、二審判決は、こうした写真選別における決定的な矛盾や供述変遷を一切不問に付し、警察官の「目撃者に対して、暗示・誘導はしていない」という証言を採用し、目撃証人たちがともかくも富山の写真を選んだのだから問題はないとして、富山さんに有罪判決を言い渡したのです。
上告棄却
この有罪判決に対して、富山さんと弁護団は即日上告しました。しかし、最高裁判所は、事実審理もせずに、「(上告理由は)単なる法令違反及び事実誤認の主張であり、いずれも適法な上告理由に当たらない」という一片の決定で1987年11月10日、上告を棄却したのです。富山さんは大阪刑務所に服役させられました。
再審を請求
1994年6月20日、富山さんと弁護団は、再審請求書を39点の新証拠(富山さんが「犯人」であることを否定する新たな目撃証言や鑑定書など)とともに東京高等裁判所に提出しました。富山さんの再審は東京高等裁判所第三刑事部で審理されることになりました。
検察官が証拠開示を拒否
1998年7月30日、弁護団は、東京高等検察庁に対して、検察官が持つ開示していない証拠を開示するよう申し入れを行いました。弁護団の申し入れに対して、検察官は未開示の証拠があることを認めました。にもかかわらず、検察官はそれらの証拠を開示することを拒否しました。
検察官は、開示しない理由のひとつとして、「再審開始事由に該当する証拠はない」ということを言っています。「再審開始事由に該当する」かどうかは、検察官だけが判断するものではなく、請求人本人、弁護人、裁判官それぞれが見て検討すべきことです。一人検察官だけが「判断」して済む問題ではありません。これまでも検察官が「関係ない」としてきた証拠の中に無実を裏づける証拠があった事例はいくつもあります。
また、仮に検察官が言うように「再審開始事由に該当する証拠がない」のならば、弁護団に見せても何ら不都合はないはずです。むしろ堂々とすべてを明らかにして、検察官が主張する「富山は有罪」ということをはっきりさせればいいのです。検察官が頑に開示を拒否するのは、再審事由に該当する証拠、富山さんの無実を裏づける証拠があるからではないでしょうか。
また、検察官は、「再審になった場合、捜査に協力した人たちや警察官、検察官に負担を強いることになる」から開示できないということも言っています。真実を明らかにし、無辜を救済することがどうして「負担」になるのでしょうか。警察官、検察官は公務員として捜査に携わっているのであり、むしろ真実を明らかにする義務があります。「捜査に協力した人たち」、すなわち目撃者の人たちにとっても何も問題はないはずです。真実はなにものにもかえがたいものであり、むしろ、人間として誇るべきことではないでしょうか。
検察官の言う「理由」は理由になりません。すべてを明らかにして公明正大に判断を問うのがフェアというものです。自らの立証に有利な証拠は出すが、被告側の無実を裏づける証拠は開示しないというのはあまりにも卑怯なやり方です。
隠された証拠
二審で、この事件の捜査責任者であった警察官が「約40人の目撃者がいて、そのうち34人の供述調書がある」と証言しています。ところが、裁判の過程で明らかにされたのは7人(証人に採用され供述調書が開示されたのが6人、供述調書のみ開示されたのが1人)の目撃者の供述調書のみで、残りの供述調書は隠されたままです。
一審で法廷に立った目撃証人の中には、他の人と一緒に目撃している人がいます(以下、目撃者の名前はすべて仮名です)。
例えば、タクシー運転手だったD証人は、お客さんとして当時新聞記者だったA氏とそのお姉さんを後に乗せていました。D証人は、富山さんの写真を、犯人に「似ている」として選んでいます。弁護団がこのA氏を捜し当てて話を聞いたところ、「指揮者はどんな男でしたか」という弁護団の質問に対し、「やせて小柄で貧弱な男」「細面で青白くキツネ顔の男」と言い、弁護団が「逮捕された富山は身長180センチあります」と言うと「そんな大男じゃない。それだけははっきり言える」と言いました。富山さんの写真を見せると「こんな男じゃない」と否定しました。このA氏の話はD証人の証言と大きく食い違います。A氏は、警察に行って事情聴取を受けたと明言しています。どちらの話が信用できるのか、A氏が警察で事情聴取を受けた時の調書が開示されればはっきりします。しかし、A氏の調書は開示されていません。
また、E証人も一審で証言にたちましたが、この人も同僚のB氏と一緒に事件を目撃しています。E証人は、右0・3〜0・4、左0・1〜0・2程度の視力で、16・45メートル離れた「指揮者」を目撃しています。この視力で16・45メートルも離れた見ず知らずの人物を見てもわかりません。このことは弁護団が提出した鑑定書で明らかになっています。
ところが、E証人は法廷で細かい目鼻だちまで述べています。しかもE証人は、事件直後、犯人の年齢を「30ないし35歳位」と供述していたのに、その後、取り調べを経るにしたがい「28、9歳」、さらに「25ないし28歳位」と変え、法廷では「27、8歳」と証言し、富山さんの事件当時の年齢にだんだん近づけていきます。
このE証人の証言を信用できるのか、できないのか、一緒に目撃したB氏の供述調書を見れば確かめることができるはずです。しかし、このB氏の供述調書も開示されていません。
さらに、この事件で最初に富山さんの写真を「犯人に似ている」として選んだCという目撃者がいます。目撃証言の信用性が争点になる裁判で、誰が一番最初に富山さんの写真を選んだのかということは重要なことです。ところが、検察官は一審では、目撃者のA証人が最初に富山さんの写真を選んだという立証を行い、論告でもそう主張していました。さらに一審無罪判決の後、控訴趣意書でも同じようにA証人が最初に富山さんの写真を選んだと主張し、A証人を取り調べた今野宮次という警察官も二審でそのように証言しました。
ところが、二審の結審直前になって、検察官は突如としてCという目撃者が富山さんの写真を最初に選んだと言いだし、C氏を証人申請しました。しかし、その時にC氏はすでに糖尿病が悪化して失明しており、法廷に立てない状態でした。一審の時ならば、C氏はまだ法廷にも立てたはずです。検察官はなぜ一審の時にこのC氏を証人申請しなかったのでしょうか。
検察官が証拠を隠し持っていて、ある日突然、それまでの主張とは異なることを被告人や弁護団に対して主張しだす、こんな不意打ち的なやり方が許されるのも、すべての証拠をひとり検察官が握っているからです。
このC氏もC氏という人の運転する車に乗って目撃しています。C氏の供述調書が明らかになれば、検察官がC氏を隠し続けた謎も解けるかもしれません。しかし、C氏の供述調書も一切明らかにされていません。
真実を明らかに!
なぜ検察官はこれらの証拠を出さないのでしょうか。開示されていない証拠が明らかになれば、事件の真相ははっきりするはずです。検察官は公益の代表者として真実を究明する義務を負っています。検察官が持つ証拠は国費を使って集めたものです。検察官ひとりのものではなく、真実発見のためにこそ役立てられるべきものです。
真実を明らかにするのに何をおそれることがあるのでしょう。私たちは、真実をこそ求めるものであります。
東京高等裁判所第三刑事部が検察官に対して、未開示の証拠を開示するよう命令を出すことを求める署名にご協力くださるようお願いいたします。
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