富山事件とは

富山事件とは

 

富山事件とは1974年10月3日、品川区東大井で「殺人事件」(中核派が革マル派を襲撃し、一人が死亡)が起きました。
この事件の「犯人」として、翌年1月、富山保信さんが逮捕されました。富山さんは逮捕された直後から弁護士に「自分はやっていない」「事件があった時刻 には池袋にいた」と無実を訴えました。富山さんはその後も一貫してこのことを主張しています。このアリバイは弁護士の調査によって裏付けられました。それ を証明する証人も証拠も発見されました。
警察、検察が富山さんを「犯人だ」とする根拠は、事件現場に偶然通りかかった人々の目撃証言だけで、他に何の証拠もありません。

つくられた目撃証言

裁判は東京地裁で行われ、5人の目撃証人が法廷に立ちました。そこで明らかになったのは、目撃証人たちが事件直後には富山さんとは似ても似つかな い「犯人像」を供述していたことです。富山さんは身長180センチ、ガッチリした体格、四角張ったエラの張った顔が特徴です。ところが、目撃証人たちが当 初言っていたのは「丸顔」「細面」「やせ型」「中肉」「身長165センチ」など富山さんとは別人物の特徴でした。それが警察の取調べを経るに従って、富山 さんと似た「犯人像」を言いだすのです。とともに、目撃証人たちは富山さんの写真を「犯人だ」として選ぶようになります。この経過について、目撃証人の一 人は「警察官が富山さんの写真だけを見せて『これじゃないか』『他の人もこれを選んでいる』と言った」と証言しました。

(供述の変遷)

一審無罪

一審・東京地裁は富山さんを「犯人だ」とする目撃証言は「警察による暗示・誘導があり信用できない」と判断し、また、富山さんのアリバイについては「高度の立証があった」と認め、無罪判決を下しました。

二審有罪・懲役10年、上告棄却

ところが二審・東京高裁は、目撃証人を取り調べた警察官を証人に採用し、警察官の「目撃者に対し、富山が犯人だと暗示・誘導したことはない」とい う証言のみを根拠に、一審の無罪判決を覆し、懲役10年の有罪判決を下しました。これまで多くのえん罪事件が警察によってつくられています。こんな警察官 の証言を信用することはできません。
しかし、最高裁は1987年11月10日、「被告・弁護人の主張は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、上告理由にあたらない」と、上告理由に対する判断をさけて門前払いの上告棄却決定を出しました。

無実は無罪に 再審請求書提出

富山さんと弁護団は1994年6月20日、東京高等裁判所に再審請求書を39点の新証拠とともに提出しました。その後も新たな鑑定書や補充書を提出し、裁判所に対して再審開始を求め続けています。
1995年12月19日、富山さんは不当極まりない「懲役10年(未決算入700日)」を闘いぬき、満期で出獄しました。富山さんはどんなことがあっても再審無罪をかちとる決意を固めています。
再審請求を提出してから8年が過ぎようとしていますが、裁判所は未だに審理を開始しようとしていません。1日も早く再審が開始され、無実の富山さんに無罪が言い渡されるよう、みなさんのご支援をお願いします。

富山裁判の経過

1974年10月3日 東京品川区で事件発生

1975年1月13日 富山さんデッチあげ逮捕される

1981年3月5日 東京地裁 無罪判決

1985年6月26日 東京高裁 有罪判決 懲役10年

1987年11月10日 最高裁 上告棄却

        大阪刑務所服役

1994年6月20日 再審請求書を提出

1995年12月19日 満期で出獄