●ニュースNo145(2000年10月1日発行)◎弁護団が新たな証拠を提出、事実の取調べを求める

大井町ビラまき報告

■弁護団が新たな証拠を提出、事実の取調べを求める

 7月31日、富山再審弁護団は、富山さんの再審が係属している東京高裁第三刑事部に対し、「事実の取調請求書」を、鑑定書、ビデオ映像等の新証拠とともに提出、これらの証拠を取り調べることを求めました。

今回、提出したビデオや鑑定書は、一審の法廷に立ったI証人の目撃状況(視力が右0・3~0・4、左0・1~0・2で、16・ 45メートル離れた未知の人物を目撃)では相手がどういう人物か認識することは不可能であることを明らかにし、「指揮者」とされる犯人が富山さんと同一人 物であるとするI証言の信用性を否定するものです。

弁護団の「事実の取調請求書」は、「確定判決が『本件目撃証人中最も良質の証人である』としているI証人の目撃証言は、科学的実 験の結果と相反し、信用することができず、I証人を事実認定の核心にすえた確定判決は決定的誤りをおかしている」と指摘、新証拠を取り調べて直ちに再審を 開始することを求めています。
今回提出したビデオは、事件のあった10月3日に近接した時期に、大井町の事件現場で、I証人の目撃状況に合わせて撮影したものです。
さらに、この映像を使って実験を行い、鑑定書を作成してもらいました。ビデオを被験者に見せ、写真選別が可能かどうかを実験し、I証人が目撃したような状況では、「顔の識別は不可能」であることを鑑定書は明らかにしています。
I証人は法廷で、細かい目鼻だちまで詳細な証言をしていますが、今回提出したビデオ映像を見ると、I証人が目撃し認識した「指揮者」が、目鼻だちなどとてもわからない状態のものだったことがはっきりします。実験の結果もこのことを裏づけています。

■確定判決の誤り・・・視力

I証人は確定判決が言うような「良質の証人」では決してありません。

I証人は一審で証言しましたが、法廷ではI証人の視力が大きな争点になりました。

I証人は、事件のあった1974年10月3日の直後の員面調書(74年10月8日付)で、「右0・6、左0・2」と供述しています。そして、一審の法廷では「片方は0・3、片方は0・7」と証言しました。
弁護団が調査したところ、勤務先の健康診断の視力検査で、1977年4月段階で「右0・3、左0・1」、1979年3月段階で「左右とも0・2」と判定 されたという記録が残っていました(残念ながら、事件のあった年の1974年の健康診断の記録はありませんでした)。I証人は事件当時メガネを使用してい ましたが、事件を目撃した時にはメガネをかけていませんでした。
弁護団は、I証人の視力は、「犯人」を認識できるようなものではなかったのではないかと考えました。事件直後には「右0・6、左0・2」と供述していた のを、法廷では「片方は0・3、片方は0・7」と視力を上げているのも不自然です。I証人が、事件直後には「30~35歳位」と供述していたのが、捜査官 の取り調べを経るに従って、「28~29歳位」、「25~28歳位」と変え、法廷では「27、8歳」と富山さんの年齢(事件当時26歳)に近づけていって いること、身長についても「165~170センチ位」としていたのを、「170センチ位」「大柄」と変えていることをも考え合わせると、I証人の証言は疑 問を抱かせるものでした。
弁護団は、I証人が事件当時使用していたメガネがどの程度の視力の場合に使われるものか調べるよう裁判所に求めました。裁判所が検証した結果、「右眼用 レンズは0・3又は0・4、左眼用レンズは0・1又は0・2程度の各裸眼視力を矯正するのに用いられる」ものであることが明らかになりました。事件当時の I証人の視力は、せいぜい「右0・3または0・4、左0・1または0・2」を越えるものではなかったことは明白です。I証人は事件に遭遇した時、メガネを かけておらず、その証言を考えるうえでこの視力は大きな意味を持っています。
視力についてのI証人の証言は、客観的なデータに基づくものではありません。I証人の証言よりも、健康診断の記録やI証人が事件当時使用していたメガネのレンズの検証に基づいた結果の方が客観的な証拠です。
ところが、確定判決は、こうした客観的な証拠を無視し、何の裏づけもないI証人の法廷証言を採用し、「I証人の視力はおよそ0・3と0・7の近視であった」としているのです。なぜ、法廷証言を採用するのかその根拠は一切示されていません。

■確定判決の誤り・・・目撃距離

さらに、確定判決が「認定」したI証人の目撃距離も大きな問題があります。

I証人は捜査段階(75年1月17日付検面調書)で、犯人までの距離を「15ないし20メートル」と供述しています。この調書に添付された現場見取図や実況見分調書に添付された現場見取図(74年10月7日付)によれば、その間隔は約17メートルになります。
一審無罪判決の後に、再度、警察はI証人を事件現場に立ち会わせて、自分が居た位置と「指揮者」が居た位置を特定させ、それを計測しています。計測した 結果は16・45メートルと実況見分調書に記録されています。検察官は、この実況見分に基づいて控訴趣意書でI証人の目撃距離を16・45メートルであっ たとしています。
ところが、確定判決は、「(I証人と)川崎実業前歩道にいた指揮者とみられる犯人までの距離は約10メートルに接近したこともあったと認められる」として、I証人の目撃状況は良好だったとしています。
I証人は一審の法廷で、検察官の主尋問に答えて「推定ですが、12~3メーターあったんじゃないかと思います」と答え、さらに「近い所で10メーターぐらいのところまで行っているんじゃないかと思います」とも証言しました。
弁護人の反対尋問に対しては、最初見た段階では「12、3メーターじゃないかと思いますけれども」その後は犯人たちから遠のく方向に移動した、と証言しました。
確定判決は、I証人が法廷で検察官の主尋問で答えた「推定ですが、12~3メーターあったんじゃないか」「近い所で10メーターぐらいのところまで行っ ているんじゃないかと思います」という証言をもとに「約10メートルに接近したこともあったと認められる」としているのです。
I証人が法廷で「推定ですが」と感覚で答えた距離よりも、I証人が実際に現場に立ち、自分はここに居て犯人はここにいたと特定しそれを測った距離の方が客観的であることは誰の目にも明らかです。

しかし、なぜか確定判決はI証人の法廷証言を採用します。しかも、弁護人の反対尋問の結果も無視してより短い「10メーター」という距離を取ります。それを採用した理由は述べられていません。
確定判決は極めて恣意的に視力を「認定」し、目撃距離を「認定」しています。確定判決にとって、「有罪判決」を書くためには、I証人の視力は少しでも良 い方が都合がよく、目撃距離は短い方が都合がよかったのです。確定判決は証拠を意図的に取捨選択しています。客観的事実に目を背け、自らの結論を導くのに 都合のいい証言のみを集めて事実を「認定」しているのです。
これに対して、今回のビデオ映像や鑑定書は科学的な実験の裏づけのもとに作成されており、I証人の証言が信用できないことを客観的に明らかにしていま す。ビデオ映像を見ればI証人の目撃のあいまいさを実感することができ、鑑定書を読めばI証人の目撃がいかに信用できないかがわかります。
新証拠は、I証人の証言を信用性を否定するものであり、I証人を「本件目撃証人中最も良質の証人である」としてその証言を事実認定の軸にすえた確定判決 を覆すものです。裁判所はこれをきちんと審理してほしいと思います。そうすれば、おのずと再審は開始すべきという結論に達するはずです。
これまで弁護団は多くの新証拠を提出してきました。裁判所がこれらの事実調べを行い、ただちに再審を開始することを強く求めます。

■証拠開示を

I証人は、会社の元同僚のY氏と一緒に事件を目撃しています。検察官はこの人の供述調書が存在することを認めながら、弁護団が開示を求めるとこれを拒否しました。
今回提出したビデオ映像や鑑定書によってI証人の証言が信用できないことは明らかですが、百歩譲って、I証人の証言が信用できるのかどうか、一緒に目撃したY氏の供述調書を見れば確かめることができるはずです。
検察官がI証人の証言は信用できると言うのであれば、Y氏の供述調書を開示してもなんら問題はないはずです。
この事件の目撃者は約40人の目撃者がいて、そのうちの34人の供述調書があるとされています。裁判の過程で明らかにされたのは7人(証人に採用され供 述調書が開示されたのが6人、供述調書のみ開示されたのが1人)の供述調書のみで、他の供述調書は隠されたままです。弁護団はY氏をはじめとするこれらの 供述調書の開示を求めていますが、検察官は開示を一切拒否しています。
開示されていない証拠が明らかになれば真実が判明するはずです。検察官が持つ証拠は検察官ひとりのものではなく、真実発見のためにこそ役立てられるべきものです。弁護団は裁判所に対して、検察官に証拠開示命令を出すよう求めています。
「かちとる会」は、裁判所が未開示の証拠を開示するよう検察官に命令を出すことを求める署名を集めています。多くの人々の声が裁判所を動かします。証拠開示を求める署名にご協力をお願い致します。 (山村)

 新たな弁護人が参加

 富山再審弁護団に、原田史緒弁護士が新たに参加してくださいました。
 原田先生は今年4月に弁護士になり(第二東京弁護士会に所属)、4月の富山再審弁護団会議から参加、今回、弁護団が裁判所に提出した「事実の取調請求書」にも名前を連ねてくださっています。
 若々しい、新鮮な視点で、富山再審の新たな領域を切り開いて頂けるものと期待しています。よろしくお願い致します。 (山村)

 別れ・・・Kさんを偲んで

 「出会いがあれば、別れがある」とよく言われるが、死別ほどつらく、悲しく、やるせなさが残ることはないような気がする。
新聞やニュースを見れば人の死というのは日常的に取り上げられ、電車に乗れば、電車の遅れている原因が「人身事故」と聞いても、「またか」と思うくらいである。
しかし、身近の人の死に直面するとこう無感情ではいられない。
生きていてくれさえすれば、問うことも、触れることもできるのに、存在がなくなってしまってからでは何もできない。この時に感じる無力感をどう処理したらいいのかわからなくなる。

私は、高校の時に同級生の死を経験した。交通事故だった。車に何人か一緒に乗っていて、彼女だけ亡くなった。
その時、「私は今まで人間というのは、『もういい』と思った時に死ぬものだと思っていた。生まれて初めてそうではない死というものを間近に経験した。 『死ぬ』ということがこんなにもやるせないものだと知った」・・・このような内容を追悼文に書いた記憶がある。残されたものは、もはや何もできない。ただ ひとつ、できることがあるとすれば、やはり彼女の分まで生き抜く、これだけなのである。

今から4年前の1月、私の祖父は他界した。享年74歳だった。人から言わせれば大往生だよと言う人もいたが、私にはいまだに悔いが残っている。
祖父が死んだあの時、私は祖父と祖母の引っ越しの手伝いをしていた。みんなで日用品をスーパーで買っていたら、祖父が「トイレに行ってくる」と言って、 一人スーパーのトイレに向かった。それから10分位経っても帰ってこないので、私は様子を見に行って、トイレの中に向かって「じいさん?」と声をかけた。 すると「うん」と中から声が聞こえてきた。私は安心して売り場に戻って買い物をしていた。それから10分位経ってもまだ祖父は帰って来なかった。もう一度 トイレに行って「じいさん?」と叫んだら、今度は返事がなかった。何度も声をかけたが中から祖父の返事はなかった。トイレの扉は閉まったまま。これはおか しいと思って、トイレのドアによじ登り、中を見てみると、祖父は舌を絡ませて倒れていた。
すぐお店の人に頼んで救急車を呼んでもらった。祖父の身体はまだ温かかった。「まさか、死ぬはずがない。だって、たった今まで一緒に買い物してたのに・・・」。私は、ただ倒れている祖父をどうすることもできなくて、おどおどしているばかりだった。
救急車には弟のお嫁さんが同行し病院へ向かった。私は、祖母がショックを受けないよう、祖母を家に連れて帰って連絡を待つことにした。
それから数十分後だった。弟のお嫁さんから「死んだ」との涙まじりの連絡があったのは。これは予想外の出来事だった。
今でも、あの時、私がすぐ人工呼吸や心臓マッサージをしていたら、もしかしたら助かったんじゃないかと本当に悔やまれてしかたがない。一番最後に祖父の声を聞いたのは、私だった。
辛いことを何も語らない人だった。それだけに祖父が死んでから、祖父がどれだけ今まで大変だったか思い知った。
祖父が火葬される時、「もう二度と触れることができない」、そう思ったら涙が止まらなかった。

 先日亡くなった「かちとる会」のKさんは、私の祖父と同じ位の年の方だった。私には、孫のようにも、また友達のようにも接してくれて、いつもニコニコして穏やかな感じの人だった。
Kさんは、大井町で署名取りをしている山村さんを見て、「この人が言っているんだから、絶対間違いないってピッと来たんです」と、よく誇らしげに語っていた。
非常に温厚な方だったが、自らの経験と反省からか反戦を訴える気持ちは非常に強く、私のようなものにも当時の軍人の気持ちを根気よく語ってくれた。
また、Kさんは演劇や音楽会にもよく誘ってくださり、その性格からいろんな方を知っていて、私たちはいろんな方と交流を深めることができた。
不思議なもので、大井町で署名集めをしていても、「Kさんは今日は休みなのかな」というような感じで、亡くなったという実感が未だに感じられない。

先日の大井町でのビラまきの時、かつてはここで佐藤齊一さんも署名を取り、そしてKさんも署名を取ってくれたんだなあとしみじみ思った。
人はその人の存在を失った時に、初めてその人の本当の価値に気がつくのかもしれない。その時に初めて思う感情の分だけ、なぜ生きていた時に思うことができなかったのかと悔やまれてしかたがない。
人はただ生きていると、すべては限りあるものであったとしても、「永遠」であると感じてしまう生き物なのだろうか?
本当に貴重な人を失ったが、残された私たちは、多くのことを学び得ることができたようにも思う。
そして、Kさんと同じ時間と空間を共有できたことを、私は誇りに思う。 (うり美)

 

 今回の大井町での署名集めの結果は、

3名
うり美
1名
富山
1名
山村
1名

でした

 明日のために、その第10歩目。
(ほとんど頭が使えない状態。夏バテが今もつづいている。)

という手紙とともに1000円振り込んでいただきました。ありがとうございました。