●ニュースNo150(2001年3月1日発行)◎世紀を越えて ・・・今、八海事件を考える

大井町ビラまき報告

●阿藤周平さんから

 みなさん、お元気ですか。

八海事件が起きて50年になりました。当時、私は24歳でした。今、74歳になった私は50年前をふりかえり、権力に対しあらためて激しい憤りを感じています。

富山事件をはじめ多くのえん罪事件と言われる事件が起きている中、私たちはみなさんと共に闘ってゆかねばなりません。

この度、八海事件発生50年の集会が来る4月21日、広島において開催されることになりました。この八海事件集会を通じて、えん罪事件の恐ろしさを一人でも多くの人に知っていただきたいと思います。

八海50周年集会にみなさんの御支援を心からお願い致します。(阿藤周平 サイン)

死刑と無罪の谷間で ・・・ いまに活かす『八海』 ・・・

▼日時 4月21日(土)10時~16時
▼会場 広島YMCA国際ホール
▼主催 八海事件発生50周年記念のつどい実行委員会

八海事件は、今年1月24日に事件発生から50年を迎えました。

4月21日、広島市で、実行委員会主催による「八海事件発生50周年記念のつどい」が開かれます。

集会では、映画『真昼の暗黒』の上映、講演やシンポジウムが行われ、八海事件元被告の阿藤周平さんをはじめとする方々が発言されます。富山再審で鑑定書を提出してくださった浜田寿美男さん(花園大学)もパネリストとして発言されます。

富山保信さん、東京の「かちとる会」もみんなで参加する予定です。

富山再審集会

▼日時 6月30日(土)午後6時30分~
▼会場 きゅりあん 第二講習室 (品川区総合区民会館)
▼講演
阿藤周平さん(八海事件元被告)
原田史緒弁護士(富山再審弁護団)

再審請求(94年6月20日)から8年目を迎える6月30日、「かちとる会」は富山再審の開始を求めて集会を開きます(詳細は追って掲載)。

集会では、八海事件の阿藤周平さんとともに、昨年四月に弁護士になり富山再審弁護団に参加された原田史緒弁護士が初めて講演してくださいます。富山再審について、若い、瑞々しい感性で報告してくださることと思います。ぜひ、多くの方々の参加をお願い致します。

特集(その2)

世紀を越えて ・・・今、八海事件を考える

●阿藤さんとの出会い

 2月号の「かちとる会」ニュースにも書いていますが、私が初めて阿藤周平さんを知ったのは、1990年11月11日の「今、えん罪を考える・・・講演と映画の集い」という集会でのことでした。
当時、専門学校生だった私は、「えん罪」という言葉は書物などで知っていて、「表面的には幸せに見えるこの世の中で、一体どうしてこのような悲劇が生ま れてしまうのだろうか」と、私なりの問題意識を持っていました。しかし、「えん罪」と言っても私にとっては漠然としていて、実際にはそれ以上のことは何も 知らないという状態だったのです。
ある日、友人から、「えん罪事件に興味があるんだったら、行ってみたら」と偶然渡されたビラを見てみると、そこには八海事件を題材にしてつくられた映画『真昼の暗黒』の上映と八海事件で主犯とされた阿藤周平さんの講演と書かれていました。
私は、『真昼の暗黒』という映画がどういう映画なのか、はたまた八海事件がどういう事件なのか、その事件の被告とされた阿藤周平さんがどういう人なの か、そしてこの集会を準備した人々が支援している富山再審がどういう事件なのかまったくわからないまま、とにもかくにも、集会場である品川区の南部労政会 館に一人で出かけたのでした。
会場に到着した時、映画『真昼の暗黒』の上映中で、私が暗闇に一つだけ席を見つけ座りました。映画の終了後、司会の方から阿藤さんの紹介があり、隣に 座っていた男性が立ち上がり正面めがけ歩き出し、「みなさん、こんにちは。阿藤周平です」とあいさつしたので、私は「今まで隣に座っていた人が阿藤周平さ んだったんだ」と、びっくりしたのを覚えています。この集会で、私は初めて阿藤さんを知ることとなりました。
初めて知った阿藤周平さんの初めて聞く講演は、実に衝撃的なものでした。この人は、約18年間もえん罪に苦しめられてきた。死刑を宣告されてから、無罪 と死刑、裁判所の判断が両極端に分かれ、三度目の最高裁でようやく無罪が確定、死刑台からの生還を果たされた。それまでの18年間、一時も気の休まる時は なかったであろう人なのに、外見からはそれはとても想像できませんでした。しかし、ひとたび言葉を発すると、その端々からこの現実を生き、闘い抜いたとい う強さが感じられ、ますます驚かされました。
その頃の私は、自分が一番不幸だと勘違いしていました。阿藤さんの講演を聞いて、自分自身の甘さ、弱さ、傲慢さ、いろんな感情がごちゃまぜになって複雑 な気持ちになりました。もっと恐ろしい現実を突きつけられたような気がしました。現実からは、どうあがいても逃れられない。しかし、その逃れられない現実 を直視することができず逃げて逃げて逃げて、そんな日常の中にいた私にとって、阿藤さんの言葉は同じ人間が発している言葉とは思えないほど衝撃的で、心に しみこんでいく感じでした。えん罪を受けた本人にしか語ることができない気迫が次から次へと伝わってきました。
あの講演の中で阿藤さんが語られた「真実」という言葉。「私は何が一番くやしかったか、何に一番怒りを感じたかと言いますと、肉体を束縛された不自由で はなくて、自分の真実を踏みにじられた、自分の正しいことが通らない、国家権力がその真実を踏みにじってしまう、それへの憤りです」「私は一日たりとも国 家権力に対する憤りを忘れたことはございません。何がそういうふうに私をしたか。それは死刑にしたり、無罪にしたり、そういうことではなくて、国家権力が 私、私たちの真実を踏みにじったからなんです。だから、えん罪事件だったら刑期には関係ないんです。無実なら一日でも、一ヵ月でも、死刑でも同じなんです よ、真実を踏みにじられた怒りは。決して許すことはできない」という阿藤さんの言葉が実に印象的でした。阿藤さんは「真実ほど強いものはない」ということ を一番伝えたかったようでした。私にはない強さを阿藤さんに感じました。
それ以来、私は阿藤さんとも富山事件とも関わるようになったのですが、阿藤さんと話していると不思議と勇気が出てきて、前向きになれる自分がいます。単 純に言えば「信じて頑張れば必ず達成できる」ということを自らの体験から常に教えられているような気がするのです。だから阿藤さんと話をすると勇気をも らっているような気になります。
人は数多くの感動を、形はまちまちでも貰っています。それが本であったり、絵であったり、音楽であったり、人間であったりするのですが、人に勇気を与え ることができる人間というのはすばらしいと思うし、永遠を感じます。阿藤さんには、それと同じ何かを常に感じるのです。 (うり美)

 

証拠開示を! ・・・弁護団が東京高等検察庁と再度折衝

2月19日、富山再審弁護団は、証拠開示を求めて、東京高等検察庁の太田修(オオタ・オサム)検察官と折衝を行いました。弁護団からは、葉山岳夫弁護士、太田惺弁護士、小原健弁護士、黒田純吉弁護士、原田史緒弁護士が参加しました。

弁護団は、1998年7月に、東京高等検察庁に対して、目撃者の供述調書や捜査報告書、富山さんのアリバイに関係する証拠、富山さん の逮捕写真などの検察官が保管している証拠の開示を求めるとともに、警視庁に保管中の本件に関連する書類の一切を開示することを警視庁に指示するよう、 11項目にわたって申し入れました。

以来、弁護団は、3年半にわたって検察庁との折衝を繰り返し、また、裁判所に、検察官に対し証拠開示命令を出すよう折衝を行ってきました。しかし、検察官はいまだに証拠開示に応じていません。

今回の折衝は、新たに着任した太田検察官に対して、弁護団があらためて証拠開示について昨年12月に行った折衝(ニュース148号に掲載)で、検察官が「少し検討する時間がほしい」と求め、この日に行われたものです。

この事件の目撃者は「約40人」いるとされ、そのうち「34人」の供述調書があると、捜査責任者だった警察官が証言しています。公判で明らかになったのはこのうちの7人の供述調書だけで、他を検察官は隠し続けています。

弁護団は折衝で、検察官が開示していない目撃者の供述調書や捜査報告書の開示を特に強く求めています。

法廷で富山さんを「犯人だ」としたO証人のタクシーに乗っていて事件を目撃したK氏は重要な目撃者です。この人は新聞記者でした。弁 護団が捜し当てて話を聞いたところ、K氏は、犯人の容貌は「細面で青白いキツネみたいな男」、やせ型でガッチリした男ではなかったと話し、富山さんが身長 180センチもあると聞くと、「そんな大男じゃない。それだけは言える」と言い、富山さんの写真を見せると「こんな男じゃない」と否定しました。また、こ のタクシーにはK氏の姉も同乗していました。弁護団はK氏やその姉の供述調書や捜査報告書の開示を求めましたが、富山さんの無実を証明するこれらの供述調 書、捜査報告書の開示を、検察官は「必要性がない」と拒否しました。

また、一審で法廷に立ったI証人と一緒に事件を目撃したY氏の供述調書の開示も重要です。

I証人は、右0・3~0・4、左0・1~0・2程度の視力で、16・45メートル離れた「指揮者」を目撃しました。この条件で見ず知 らずの人物を目撃しても同一性識別は不可能であることを、昨年7月に弁護団が裁判所に提出した鑑定書が明らかにしています。I証言の信用性が否定された 今、一緒に目撃したY氏が何を供述していたのかは重大なことです。

ところが、検察官は、Y氏の供述調書の存在を認めながら、開示を拒否してきました。今回の折衝でも「必要性がない」と拒否を繰り返しました。

富山さんのアリバイに関する証拠のひとつに、警視庁が作成した「前進社の出入り記録」があります。

事件当日、富山さんは池袋にあった前進社にいて、午前11時から12時30分過ぎ頃まで、
・会場申し込み手続きについて日比谷野外音楽堂の管理事務所へ抗議電話をかけること、
・品川区の荏原文化センターの会場申し込み手続き、
このふたつの仕事のための打ち合わせをしていました。富山さんはこの打ち合わせの後、他の2名とともに午後2時30分くらいに前進社を出て、その前でタクシーを拾い、巣鴨駅の近くまで行き、そこから山手線で荏原文化センターに行きました。

事件が発生したのは午後1時5分前後と言われています。富山さんは事件が起きた時、品川区から遠く離れた池袋の前進社にいたのです。

当時、警察は前進社の斜め向かいにパトカーを止め、終日、前進社の出入りを監視していました。富山さんたちは、タクシーが停まるまで 前進社の前で素顔をさらしていました。全学連の書記局員であり逮捕歴もある富山さんは当然警察に知られており、警察がきちんと監視していたならば、富山さ んたちが午後2時30分頃前進社を出て、タクシーを拾ったことを現認し記録しているはずです。警察の記録の中に富山さんのアリバイを裏づける証拠があるは ずなのです。

しかし、今回、検察官は「警察の捜査状況に関する資料を開示するわけにはいかない」と開示を拒否しました。

逮捕写真は、事件にもっとも近い時期の富山さんの容貌を示しています。通常、調書に添付されていたりするのですが、本件では一切明ら かにされておらず、上告審で弁護団が証拠開示を求めたのに対して検察官は開示を拒否し、再審段階でも開示を拒否してきました。目撃者たちがどういう目撃を し、それをどう供述したのかが最大の争いになっている事件で、被告とされた富山さんの、事件にもっとも近い時期の容貌を示す逮捕写真を開示しないのは不可 解なことです。しかし、今回の折衝でも、検察官は再度「開示できない」と回答しました。

弁護団は、「必要性がない」「不提出記録は特別な理由がないかぎり開示しないのが原則」という検察官を1時間にわたって追及、反論 し、目撃者のK氏やY氏の調書や捜査報告書、富山さんのアリバイに関する記録、逮捕写真の開示の必要性を強く主張、結局、検察官は、逮捕写真について「も う一度考える」と再検討を約束せざるを得ませんでした。

検察官が保管している証拠は、検察官のためのものではなく、真実発見にこそ役立てられるべきものです。検察官はすべてを明らかにして公明正大に判断を問うべきです。重要な証拠を隠しつづける検察官のやり方を到底認めることはできません。

弁護団のたたかいとともに、「かちとる会」は証拠開示を求める署名運動を展開し、広く世論に訴えていきたいと思います。みなさんのご支援を心からお願い致します。 (山村)

証拠の全面開示と事実調べの実現を

(無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会・大槻泰生)

 富山さんが無実の訴え、再審を請求して相当の年月が経過した。福岡の検察官ではないが、自分の身内には甘く対応するけれど、自分たちが判決を行った事件は自己の体面上、まちがっていようとも、再審の審理をしないという考えが裁判所にあるように思えてしかたがない。
私は、最近になって、オウム真理教による「松本サリン事件」を思い出した。1994年6月27日、松本市でサリンガスが発生し、数多くの犠牲者が次々と 病院へと運ばれていく。その中に第一通報者である河野義行さん一家もいた。奥さんは意識不明の重体である。その後、捜査当局は、「サリンは素人でもつくれ る」「数多くの農薬や薬物を所有している」と報道機関に流し、マスコミも謂われのない噂をもとに、連日河野さんへの疑惑を報道し、犯人視する方向へと世論 操作を行った。警察は河野さんを犯人と決めつけて自白を強制する。しかし、河野さんは強く抵抗する。後にオウム真理教による犯行であると判明するわけだ が、それがなければ河野さんは犯人に仕立てあげられていたのではないか。これがえん罪の構図である。
狭山事件にしても部落差別が背景にある。八海事件にしても、甲山事件にしても、数多くのえん罪事件は皆、何が何でもあいつがやったんだと決めつけて世論をあおり、警察の面子にかけて逮捕するという手段をとっている。
富山さんに対する一審の無罪判決を覆した二審有罪判決は見せしめ判決であり、許すことができない。
私は、えん罪を防止する方法のひとつとして、証拠開示の全面保証を皆さんに訴える。

 富山事件には、公判に出された証人・証拠以外に富山さんの無実を明らかにする証拠があり、それを検察官は隠し続けている。
財田川事件では、事件から27年目になって開示された捜査報告書類が新規・明白な証拠として再審開始決定に重要な役割を果している。検察官手持ちの証拠が誤判・えん罪を明らかにし、再審の決定的証拠になったという。
こういう誤判の教訓を考えて、日本の人権状況を問い、変えていくたたかいに結びつけていこうではありませんか。
われわれに対する国家管理の強化など、人権が逆行する危険な動きは日増しに強まっている。改憲という時代に逆行する動きの中に、富山再審は重要な段階を 迎えたと思う。私は国際的な人権基準を視野に広げて司法の反動を許さず、証拠の全面開示と事実調べを実現する世論をつくることを皆さんに強く訴えます。

 二月の大井町での署名集めは、

3名

うり美

2名

山村

1名

富山

0名

「明日の為の十二歩目(数えまちがいがありました。三歩進んで二歩退がる)。地道な努力が万年雪を融かす。」という手紙とともに二千円のカンパを頂きました。ありがとうございました。