●ニュースNo151(2001年4月1日発行)◎司法改革・教育改革は憲法改悪に直結する戦争への道

大井町ビラまき報告

死刑と無罪の谷間で ― いまに活かす『八海』

▼日時 4月21日(土)10時~16時
▼会場 広島YMCA国際ホール
▼主催 八海事件発生50周年記念のつどい実行委員会
▼プログラム
・午前十時~  映画『真昼の暗黒』上映
・午後1時~  講演 竹澤哲夫氏(元日弁連人権擁護委員長、弁護士)
・午後2時~  シンポジウム
阿藤周平氏(八海事件元被告)
浜田寿美男氏(花園大学教授)
秋山賢三氏(元裁判官、弁護士)
大出良知氏(九州大学教授)
竹澤哲夫氏(講演者)

前号のニュースでも紹介しましたが、八海事件発生五十年を迎え、4月21日、広島市で上記の集会が開かれます。
阿藤周平さんも「集会を通じて、えん罪事件の恐ろしさを一人でも多くの人に知っていただきたい」「二度とこのような誤判が起きないよう、若い人たちにぜひ参加してほしい」とおっしゃっています。
みなさんのご参加をお願い致します。

さらに、6月30日、東京で、「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」主催で、阿藤周平さんをお招きし、富山さんの再審の開始・再審無罪を求めて集会を行います。多くの方々のご参加をお願い致します。

裁判長がまたも交代

  4月1日付の最高裁人事で、富山さんの再審を審理している東京高裁第三刑事部の仁田陸郎(にった・むつお)裁判長が横浜地裁所長に異動したことが、新聞報 道で明らかになりました。新聞では後任は、新潟地裁所長だった中川武隆(なかがわ・たけたか)裁判官が着任するようですが、詳しくは次号でお知らせしたい と思います。
仁田陸郎裁判長は、1999年4月1日付で東京高裁第三刑事部に配属になりました。この二年の間、弁護団は、仁田裁判長と折衝を繰り返し、一日も早い再審 開始・再審無罪を求め、また、検察官が隠し続ける証拠について開示命令を出すよう求めてきました。昨年7月には、「事実の取調請求書」を、鑑定書やビデオ 映像等の新証拠とともに提出、これらの証拠を取り調べることを求めました。これらの新証拠は、目撃証言の信用性が争点となっている富山事件で、確定判決が 「本件目撃証人中最も良質の証人である」としているI証人の目撃証言の信用性を否定するものです。再審請求申し立て時に提出した新たな目撃証言、鑑定書を はじめとする39点の新証拠、その後に提出した鑑定書の数々とともに、富山さんの無実を鮮明に証明しています。
仁田裁判長は、自らの任期中に提出されたこの証拠について何ら審理することなく、また、再審請求申し立て以来提出された数々の新証拠についても何の事実調 べも行わずに、さらに弁護団が求めた証拠開示命令についても回答を示さずに異動していきました。無実が争われている事件の審理を二年間も放置したままとい うのは無責任極まりないことです。
1994年6月20日に再審請求を行ってから、今年の六月で丸七年が経過しようとしています。この間、早川義郎裁判長→秋山規雄裁判長→島田仁郎裁判長→ 仁田陸郎裁判長と4人も裁判長が交代し、今度で五人目となります。裁判長だけでなく、陪席裁判官の交代もありました。これまで交代した裁判長も、「記録が 何万丁もある大きな事件がいくつもある」「他の控訴事件が忙しい」と、いずれも具体的な審理に着手することなく交代していきました。引き継ぎはなされてい るとは言っていますが、裁判長が交代するたびに記録を読み直すことからやりなおす、またふりだしに戻るというのがこの間の実態です。これでは、いつになっ ても審理は進みません。再審請求人の富山さんは憤懣やるかたない思いでしょう。
富山さんは無実です。無実が争われている事件をこれ以上放置することは許されません。裁判所がただちに再審を開始し、富山さんに再審無罪を出すよう強く求めます。 (山村)

□特集 その3

世紀を越えて  …今、八海事件を考える

つくられたえん罪

    3月上旬、私は阿藤周平さんが暮らす大阪に行って来た。八海事件は、事件発生から50年(半世紀)という歳月が流れた。あの、苦痛に満ちた無実の叫び、警察への怒りは、今も忘れられず生き続けている。阿藤さんと話をしていて、私はそのことを一番感じた。

□辛い記憶…警察の取り調べ

八海事件発生から50年という歳月が経ったわけですが、今振り返って思うことは、という私の問いに、
「50年と一言で言ったって長いですよね。私が24歳の時ですからね。今、74歳ですから、ちょうど50年。長いですよ。長いですけれども、事件の起きた その当時のことは、昨日かつい最近のことのようにね、鮮明によみがえってきます。自分が不当に逮捕されてから、ずーっと、記憶にある。忘れることはできな い」と阿藤さんは答えた。
特に、阿藤さんの脳裏から離れないのが警察の取り調べだったという。
「一番強く忘れることができないのは、逮捕後の警察の取り調べでしょうね。あれは記憶に残ってます。まだ、取り調べた刑事の顔も覚えてますからね。眼鏡か けてたとか、名前も覚えてる。三好というのは特に忘れませんわね。あれが捜査主任でしたからね。三好というのは(八海事件の後)栄転して山口県警に行っ て、そこの捜査主任になって、そこでまた八海の二の舞を踏んでるんですよ。仁保事件。あれが三好の管轄下での捜査でね」

□不当逮捕(1951年1月29日)

阿藤さんが逮捕されたのは、事件発生(1951年1月24日)から5日目であった。吉岡は事件から2日後の1月26日にすでに逮捕されていた。
「新聞を見て、あいつがやりよった。えらいことやったなあ」という話になっていたという。
阿藤さんは逮捕された時、なぜ逮捕されたのかわからなかったという。何の容疑で逮捕されたのか、馬車を壊した件だろうか、だけど弁償して話はついてるんだ から、そんなことで逮捕されるはずがない、じゃあなんだろう・・・全然検討がつかなかった。他の松崎さん、久永さん、稲田さんが捕まっているのも全然知ら なかった。
「何がなんだかわからんですわ」
「警察がね、『吉岡も、みんなも、お前もやったと自白してるから、お前一人がんばってもあかん。みんな、お前と一緒にやったと言うとる』って言ってね。そこで初めてあの事件でひっぱられたんだなあというのがわかった」
最初、吉岡は自分ひとりの犯行であること、つまり本当のことを言っていた。しかし、警察は吉岡の単独犯行を信じようとせず、阿藤さんを主犯とした複数犯行説をしたてあげていく。

□警察による拷問

阿藤さんは、自分はやってないんだと何度も何度も言ったという。
「言うても全然聞いてくれんもんね。手錠は付けたままですよ、前手錠をね。外してくれへん。大部屋でね、今みたいに一対一(の取調べ)と違うんやから。 10畳くらいの刑事部屋いうのがある。(刑事たちは)そこで火鉢に火を起こして、その火にあたってね。こっちはその辺に座らされてね。畳ですわ」
「警察に着いた時は薄暗かった。冬やから。(夕方の)5時半か6時前ですよ。それからずーっと取り調べが続いて、鶏が鳴いたのを覚えてるからね、朝の4時 か5時頃になるでしょ。その頃までしごかれた。手錠をかけっぱしで、殴られ、その手錠が前から後ろになったり。正座してるでしょ、椅子と違うんやから、安 定性がないわね」
意識が朦朧となった時、「はい、やりました」と言ったら、拷問は止んだという。「お前、最初から言うとったら、こんな痛い目をみんでもすんどるのに」と言われたが、阿藤さんは意識が朦朧として、何がなんだかわからなかった。
その後、殴られることもなくなった。そして、たばこや食事を与えられた。今でもあの時出されたうどんを覚えているという。箸は全然つけなかった。
阿藤さんは言う。
「結局一番悪いのは警察なんですよ。警察が吉岡に僕の名前出したり、稲田の名前出したり、久永の名前出したり、上田いう名前だして、全部やったわけ。そや から、あれはみんな警察から出てんですよ。吉岡の口からは出てないんです。『お前なんやろが、阿藤と一緒やろが、阿藤の友達の松崎やら、久永やら、稲田が みんな一緒にやったんやろ」って、警察は名指しですよ。結局、吉岡も『そうです、そうです、そうです』ってね。」
検察官や裁判官が勾留尋問のために警察(平生署)に来た時、阿藤さんは、「手錠の跡や傷を見せて、こんなえらいイジメられて嘘の事を言った、本当はやってないんだ」と訴えた。
「若い裁判官でね、『うーん』って聞いとるわけ。検事と判事が帰ったら、それから後がまた大変。また警察に殴られてね。『裁判官や検事の前で、お前、嘘言った』と」
今度はスリッパで殴られたという。  (うり美)

(次号に続く)

 

内堀・外堀が埋められてからでは遅い

 ―司法改革・教育改革は憲法改悪に直結する戦争への道

 (その一)

  4月3日、「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・西尾幹二電通大学教授)が編集した「歴史」「公民」のふたつの中学校教科書が、文部科学省の検定に合格 しました。「歴史」137カ所、「公民」99カ所という異常な数の修正要求に応じて、というよりは教科書検定審議会でさえこれほどの修正要求をせざるをえ ないほど歴史を歪曲した「教科書」の名に値しない代物を、この時期にあえて登場させてきたところに、「つくる会」のみならず政府・文部科学省のなみなみな らぬかまえをみてとることができるのではないでしょうか。けっしてたんなるアナクロニズム(時代錯誤)などではなく、〈このままでは日本はたちゆかぬ。も はや沈み行く泥船と化しつつある〉という上層も下層も共通の認識に達した現下の状況への激しく、鋭い対応に他なりません。日米安保新ガイドラインの締結と ならぶ決定的踏切なのです。

  じっさい、「日本人として自信と責任がもてる教科書です。修正を余儀なくされた部分もあるが、ほぼ趣意通りの教科書が誕生したことを喜びたい。我が国の歴 史への愛情を深めるのにきわめて忠実な教科書だ」と西尾が記者会見で語っているとおり、修正によってもこの教科書の反動的主張は基本的になにひとつ変わっ てはおらず、修正要求は内外の批判をかわすためのペテン、ごまかしにすぎません。
① アジアにおける帝国主義強盗同士の衝突であり、アジア侵略戦争であるアジア・太平洋戦争を「大東亜戦争」「欧米の植民地 支配からアジア諸国を解放 し、大東亜共栄圏を建設するための正義の戦争」、韓国併合は「東アジアを安定させる政策として欧米列強からも支持されたものであり、日本の安全と満州の権 益を防衛するに必要だった」「実行された当時としては、国際関係の原則に則り、合法的に行われた」、軍隊慰安婦は抹殺、南京大虐殺は否定と事実を百八十度 転倒させて侵略戦争と植民地支配を美化、正当化、
② 「歴史は科学ではない」と称して国家の形成を天皇神話から始める皇国史観を展開、
③ 特攻隊や(沖縄の)ひめゆり部隊を「故郷の家族を守るため、この日本を守るために犠牲になることをあえていとわなかった」と日本軍によって強制され た集団自決など沖縄戦の悲惨な状況は抹殺したうえで「そうした価値の実現のために生命を犠牲にしなければならない場合もある」と強調、称賛(「この部分は われわれの志を強く訴えたものであり、『つくる会』の原点とも言えるかもしれません」と本音を吐露)、
④ 基本的人権(私)よりも国益や秩序(公)の優先を強調、「核廃絶は絶対の正義か?」と否定的見解を述べて核兵器の抑止効果を強調し、核武装の必要性 を主張、国家に対する国民の忠誠と国防の義務を強調して第9条を敵視等のように大日本帝国憲法と教育勅語を賛美し、現憲法を違法に作られたものと非難して その理念を否定し、改憲を主張しているように、差別主義・排外主義・天皇主義にもとずく「日本人の誇り」を子ども達にたたきこんで「一旦緩急アレバ義勇公 ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼」(教育勅語)する侵略戦争の先兵に育てる教育を行うためのものです。

  そして、これまで侵略戦争や天皇制を批判する歴史認識をさんざん弾圧してきた文部科学省が、「検定で執筆者の歴史認識の是非を問うことはできない」という 談話を発表する裏で、教科書会社に圧力をかけて軍隊慰安婦や南京大虐殺の記述を大幅に後退させたという事実を重視しないわけにはいきません。日本政府が大 東亜戦争肯定論・皇国史観にお墨付きを与えたことを意味しており、ふたたびアジア侵略戦争を宣言したに等しい歴史的暴挙です。
このまま「つくる会」教科書の採択をゆるしたら、来年四月から教育現場に、このとんでもない反動的教科書が登場します。その先に待ち構えているのは他社の 自主規制と追随の果ての「国定教科書」の再来ではないでしょうか。恐るべき事態の到来です。と同時に、事態がいかなる脈絡で推移しているかが、くっきりと 見えてきたのではないでしょうか。
いまや憲法改悪に向けた凄まじい中央突破の攻撃、すなわち戦後体制が最後的破産をとげるなかで、戦後国家を戦争と恐慌と革命の危機に備えた国家につくりか えようとする攻撃が、次々と襲いかかっています。この攻撃は改憲の後に憲法に沿って国家を再構築しようというのではなく、戦後価値体系を徹底的に解体・清 算しつくして改造した国家の実体に即した憲法に改めようとしています。そういう意味では、この間の攻撃は改憲策動と一体不可分であり、日米安保新ガイドラ インにもとずく「周辺事態法」、「国旗・国歌」法、組識的犯罪対策三法、住民基本台帳法改悪、外国人登録法・入管法改悪、団体規制法(第二破防法)、少年 法改悪等々の一連の反動攻撃につづく「司法改革」「教育改革」そして国会の憲法調査会設置と急ピッチでの審議進行と怒濤のように押し寄せる「新たな戦前」 の始まりは、私たち一人ひとりに歴史選択を問うていることが、もはや何人の目にも明らかです。
朝鮮、中国をはじめアジア各国の人民は、ただちに猛然と弾劾のたたかいに決起しています。問われているのは、日本の私たち一人ひとりはどうするのかなのです。 (富山保信)

検察官は富山さんの無実を示す証拠を隠すな!
裁判所は、無実の証拠を隠し続ける検察官に対して、証拠開示命令を!
 検察官が証拠開示を拒否

  この間、富山再審弁護団は、検察官に対して、証拠開示を求めて折衝を繰り返してきました(ニュース148号、150号参照)。
3月28日、東京高等検察庁・太田修検察官は、弁護団が開示を求めた未開示証拠について、「必要性がない」と最終的に開示を拒否しました。
弁護団が開示を求めた目撃者の供述調書や捜査報告書、富山さんのアリバイを示す証拠、逮捕写真などはその存在が明らかになっています。弁護団はこれらにつ いて、捜査を行った警察官の証言などによって、具体的にその存在を指摘しています。また、この間の折衝の過程で検察官がその存在を認めたものもあります。
検察官は今回の判断に先立ってこれらの証拠を見て検討しています。開示すべきか否か、未開示の証拠が再審を開始する事由になるか否かは、検察官一人の判断 に任せられるものではありません。裁判官、弁護人、そして再審請求人の富山さん自身が見て判断すべきことです。検察官の判断のみで「必要性がない」などと どうして言えるでしょうか。
検察官が保管している証拠は、一人検察官のためのものではなく、真実発見のためのものであり、検察官の「開示拒否」を断じて許すことはできません。
弁護団は今後、裁判所に、無実の証拠を隠し続ける検察官に対して証拠開示命令を出すよう求めていきます。「かちとる会」も証拠開示を求める署名運動を広く展開していきます。多くの方々のご支援をお願い致します。  (山村)

  3月の大井町での署名集めは、春の嵐の中で行われた。その中で亀さんは2名の署名を集め、富山さんと山村は完敗。うり美さんはお休み。

  「明日のための第十三歩目。桜は満開で春は来ました。終わらない冬はありません」というお便りとともに二千円のカンパを頂きました。ありがとうございました。