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ニュースNo155(2001年8月1日発行)

●ニュースNo155(2001年8月1日発行)◎6・30集会報告–原田弁護士の講演

大井町ビラまき報告

□6・30集会報告

6月30日に行われた富山集会での原田史緒弁護士の講演を掲載します。見出しは事務局の責任でつけさせて頂きました。

  初めまして。ただいまご紹介にあずかりました弁護士の原田と申します。先程ご紹介頂いたように、私は昨年の四月に弁護士登録を致しまして、それから一年 ちょっと経ってようやく弁護士生活二年目に入ったばかりという駆け出しの新米です。そうしたわけで、こうして皆さんの前で弁護士としてお話をさせて頂くと いう機会も慣れておりませんで、かなり緊張しており詰まってしまうこともあるかと思いますが、どうかご容赦頂いて、最後まであたたかく見守って聞いて頂き たいと思います。(会場から拍手起こる)ありがとうございます。私は見てのとおりの若輩者でございまして、先程ご紹介頂いたように、この富山事件が発生した1974年に生まれております。ですか ら、当時の時代背景とか、正直申し上げてピンと来ないところがあります。例えば、中核派と革マル派が抗争をしていただとか、前進社を公安が見張っていただ とか、そういったような話をお聞きしましても、正直申しあげましてピンと来ないところがあるのですけれども、私が生まれてから今まで短いなりにも過ごして きた27年間という時間、それとほとんど同じだけの時間を富山さんはひたすらえん罪とのたたかいのために費やして来られたんだということを思いますと、途 方もない長い道のり、気が遠くなるような時間だったのではないかなと感じます。そうしたわけで、たまたま偶然ではありますが、なんとなく不思議なご縁を感 じますとともに、再審が一日も早く開始されて、富山さんの苦労が報われる日が来ることを切に願ってやみません。
私がこの富山再審弁護団に加えさせて頂いたきっかけというのは、昨年4月に弁護士事務所に入りまして、そちらの事務所のボスの先生が、「もう20年来、僕 が弁護士になった頃からずっと無罪を争ってきた事件があるんだ」ということで、箱いっぱいの記録を見せられまして、こういう事件なんだよということを説明 されました。私、最初に事務所に入る時に、刑事事件に興味があるというようなことを言ったせいかもしれないのですが、それじゃこの事件に一緒に加わって やってみないかということで、声をかけて頂きました。この弁護団の先生方がそうそうたる大ベテランの先生方ばかりで、そういった先生方がもう二十年以上苦 労を積み重ねてやって来られたのに、今さら私が入っても何もできることはないんじゃないかと気後れも感じたのですけれども、こんな機会は二度とないと言っ ては大変失礼な言い方かもしれませんが、なかば勉強させて頂くような気持ちで、フットワークの軽さだけ、若さだけ、それだけでも役に立てるかと思いまし て、加わらせて頂いて今日に到っております。

■事件の概要

前置きはこのくらいにして本題に入らせて頂きますが、この事件の概要ですとか、一審判決の内容、二審判決の問題点などにつきましては、私よりも長年支援し てくださっている皆さんの方が詳しくご存じなのではないかと思い、私が長くここでお話するのも僣越な気もするんですが、毎年、新たにこの事件を知って集会 に参加される方もいらっしゃるということなので、まずは簡単にこの事件の概要と、二審判決の問題点について説明させて頂いたうえで、7年前の再審請求以 来、弁護団は再審開始に向けてたたかっているのですけれども、現在の弁護団の、主に私が昨年参加してからのことになってしまいますけれどもそうしたたたか い、今後の見通しなどについてお話させて頂きます。
まず、事件の概要なんですが、このプログラムにも簡単に書かれていますが、事件が発生したのは1974年の10月3日、午後1時過ぎ、場所は東大井の路 上、ちょうどこの会場の近くで起きました。中核派に所属すると思われる4名の者が革マル派に所属している一名の郵便局員を路上で待ち伏せ、中核派四名のう ち3名が革マル派の1名に襲いかかって、用意していた鉄パイプで全身を殴打し、残りの1名はそばのガードレールの中で周囲を警戒したり見張っていて、機を みて逃走を指示して、それを合図に4人が逃走して行った、被害者は頭部などを殴られまして病院に運ばれたんですけれども、この日の夕方に死亡したと、こう いった事件であります。
現場には凶器である鉄パイプとかヘルメットは残っていたんですけれども、それは犯人を直接特定できるような証拠ではなかったので、警察は現場付近に聞き込 みとかしまして目撃者を捜しました。その結果、警察の方で接触できた目撃者というのが約40名ということであります。その中には、話を聞いてみたら実際よ く顔を覚えていないとか言った人もいて、34名について供述調書という形で調書が作成されて、さらにその中の26名の人に百枚以上の写真を見せて、この中 に犯人はいないかということで写真面割りをしたんですね。その時に示した写真帳というのは、中核派の活動家の写真ばかりを集めて作った写真帳だった。この 事件の背景には、事件の起こる以前に、革マル派によって中核派の活動員が虐殺されるといった事件があったそうでありまして、それに対する報復だと警察は見 て、中核派の活動家の写真だけを集めて写真面割りを行ったということです。
写真面割りを行った人のうち、最終的に11名が富山さんの写真を、この人が犯人です、あるいは犯人に似ていますという形で選別したということです。そし て、警察はそのうちの何人かに日比谷公園の集会に参加している富山さんの顔を見せて、あいつがそうかという形で確認をしました。目撃者たちは、最初、大勢 いる人の中からあの人がそうですと自分で富山さんの姿を見つけることはできなかったみたいなんですが、警察の方があれがそうじゃないかという形で確認をし て、そうですという答えを得たという経緯がありました。
1975年、事件発生の翌年の1月13日に、富山さんが凶器準備集合罪および殺人罪ということで、4名のうちの指揮をしていた1名にあたるんだということで逮捕され、のちに起訴されるということに到ったわけです。

■一審判決について  第一審の裁判は東京地方裁判所で開始しまして、1981年3月に富山さんは無罪という判決が出ました。
本件では、主に目撃証言の信用性が一番大きな争点となりました。それから、事件現場に遺留されていた鉄パイプに巻かれていた包帯四点を並べて、富山さんか ら押収した靴の臭いを警察犬に嗅がせて、これと同じ臭いのものを持ってくるようにと命じたところ、そのうちのひとつを持ってきたということで、これもひと つの争点になりました。
第一審、東京地裁が無罪であると判断した理由を簡単に紹介します。判決は目撃証言の信用性について判断するに際して、第一審では5人の目撃者が証人として 取り調べられまして、その証言、あるいは警察、検察段階での供述調書の信用性が争点となったんですけれども、これらの供述および証言の信用性を判断するに あたって、第一審判決は、まず、これらの目撃者が犯人を目撃していた時間というのは、たまたま歩いてないしは車で通りかかっただけで、ごく短時間しか見て いないという点を指摘しています。そして、さらに目撃をしてから証言するまでの間に、かなりの時間が経っているということ、そして、その間に捜査官によっ て数回にわたって事情聴取を受け、あるいは写真選別や面通し等の特定のための作業を経ていると、こういったことを考慮して、目撃者の供述について、一番初 めの、目撃した直後の記憶がそのまま忠実に供述や証言に反映されているものかどうかということに関しては慎重に判断する必要があるということにをまず前提 にしています。
そして、そうした考えに従って、5人の目撃者について、一番最初の供述から裁判所の法廷で話したことまで、犯人の特徴についてだけでなく、具体的な目撃状 況、どこでどういうふうに見たとか、4人のうちの誰がどういうふうにしていたとか、犯行状況などの周囲の状況も含めて、具体的に細かく証言の内容を検討し ています。 プログラムに供述変遷表(別に掲載)という形でまとめられていますけれども、これをざっと見ていってもわかるように、それぞれの目撃者の供述 は、事件が起こってすぐのものから、時間が経つに連れてだんだん変化しているのがわかります。こうした供述の変遷について、第一審判決はどういう評価をし たかというと、まず、事件後まもなく作成された供述調書で目撃証人たちが犯人の特徴を述べているけれども、それぞれの言っていた特徴点は必ずしも一致して いない、にも関わらず、その後、捜査官による事情聴取や写真選別、面通し等を経ていくうちに、次第にそれぞれの目撃者の供述する犯人の特徴というのがだん だん共通のものに近づいていっていると判決は分析しています。
具体的に言いますと、顔の特徴に関しては、例えば、供述変遷表にあるYさんという目撃者は10月3日、これは事件直後の供述なんですけれども、「丸顔」と 述べて います。それが、時間を経過するにしたがって、「やや 面長で角張った感じでアゴが出ていた」とか、「アゴが 張っていた」というような、当初 言っていなかったことが表れてきます。次のSさんについても、当初は「面長」と言っていたのですが、最終的には「角張った顔」と言うようになっています。 同じようなことはOさんの供述にも見られる特徴です。体格に関しても最初は「中肉」だとか「やせ型」だとか言っていた人たちが、最終的にはみんな「ガッチ リ」だとか言うようになっているんですね。
こういった供述の変遷というのはおかしいと第一審判決は考えて、こういった供述の経過をみると捜査段階における捜査官の影響があるとも言える、とまで第一 審の判決は言っています。すなわち、富山さんが犯人であるというような捜査官の見込みに基づいて、だんだん富山さんの特徴に合うようにそれぞれの目撃者の 供述が変えられていると、その過程で捜査官の思い込みによる暗示や誘導そういったものがあったのではないかと明示しています。こういったことを述べて、第 一審判決は、これらの目撃者の供述について信用性にはかなりの疑問が残ると言って、これをそのまま採証の用に供することはできない、証拠としては採用でき ないよということで信用性を排斥しました。
アリバイに関しては、富山さんは当初からずっとアリバイを主張していたんですけれども、相当高度の立証ができていると判決は触れておりまして、最終的に無罪という判決を下したわけです。
この第一審判決を私、最初に読みまして、一般的な感覚として、この供述の変遷というのを見た時、やはり、誘導だとか暗示だとかがあったと考えるのが普通 で、そういった危険性があるということを第一審判決はきちんと認識して、それをもとに慎重に判断をしている、そういった意味で妥当な判決ではないかと思い ました。そして、目撃直後の供述が最も信用できるというふうに考えるのが、やはり自然であろうと思います。第一審判決は、やはり、一番最初にそれぞれの人 が違う特徴を言っているというところに注目しまして信用性を排斥している、非常に自然で妥当な判決ではないかなと私は思いました。

■二審判決について

こういった形で第一審は無罪だったんですが、検察官が控訴しまして、1985年6月に東京高裁の判決が出ました。一転、有罪、懲役10年という判決でした。
この第二審判決というのはいろいろ問題があるんですけれども、簡単に言わせて頂くと、まず、判断の根底として、いろいろ供述が変遷しているというようなこ とはとりあえず置いておいて、目撃者が犯人の特徴をどう言っているというようなことよりも、とにかく写真面割りで最初に富山さんの写真を選んだと、何人も の人が一致して富山さんの写真を選んだということを何よりも重視しているというわけです。そして、第二審判決は、言語表現というのは、その目撃者の表現力 不足などによって不正確な描写にとどまってしまうこともあるし、もともと記述不能な、あるいは困難な印象というのもあるから、言語表現のみを重視するのは よくないと、むしろそういう場合には、写真の利用というのを広く考えていいのではないかというふうに言っています。
そして、その一方で、写真面割りには危険性があるということには触れたうえで、そういう危険性があるものだから、正確性を担保するためには、次のような基 準を満たしていることが必要であると述べて七つの基準を立てているんですね。ですが、この七つの基準というのは弁護人の方の立場から見ると、非常に非科学 的であって、抽象的であって、本当に正確性を担保するための指針とはなり得ないものなんじゃないかという批判がされています。
例えば、その七つの基準の中に、「写真面割りの全過 程が十分公正さを保持していると認められること」と、要するに捜査官による暗示だとか誘導だとか、 そういったものはなかったんですよということが認められればいいと言っているんですけれども、面割りを行う過程について、捜査官がどのように言ってその写 真を示したか、どういった順番でその写真を示したか、そういったものが何も記録に残されていないわけです。ですので、結局のところ、面割りに立ち会った捜 査官を呼んできて、その人に不公正なことはなかったですかと聞いて、その人がそんなことはなかってですという供述をすれば、それでその公正さが認められる ということになってしまうんですね。これでは全く基準にならないということです。七つの基準はそれぞれいろいろな問題点があって、この基準はおかしいとい うことは、今、心理学的な側面からも批判をされているところです。
ところが、二審判決はこういった基準を立てて、この基準を満たしていれば写真面割りを信用してもいいんだということで、写真面割りを何よりも重視している んですけれども、写真面割りという手法に関しては、非常に問題性、危険性が大きいということで指摘をされています。どういったところに問題があるかという ことなんですけれども、例えば、面割りを行うにあたって、担当した捜査官がその事件の捜査を行っている捜査官で、犯人がこいつではないかということをいろ んな情報から知っている、あるいはそういった見込みを持っている場合に、意識的にしろ、無意識的にしろ、写真の示し方とか、確認のしかたとか、質問のしか たとか、そうしたもので暗示を与えてしまう、それによって目撃者が捜査官が選んでほしいと思っている写真を、こちらも無意識なんですけれども、選んでしま う危険性があるということですね。さらには、写真自体が選ばれやすい暗示性を持っていることもあると言われております。すなわち、いかにも犯人らしい顔つ きをしている人だとか、人相が悪く写っている写真だとか、そういったものは、それだけで選ばれやすいということがあると言われています。
写真面割りというのは非常に危険だということが、慎重にやらなければならないということが、アメリカやイギリスとかの国々ではかなり研究されているんで すけれども、この第二審判決というのは、言葉上は危険性があるということは言っておきながら、それを軽視しているというか、それをきちんと認識していると は思えません。写真面割りの結果のみをあまりにも重視し、それに寄りかかりすぎているというような印象です。
二審判決は、このように写真面割りについての基準を立てたうえで、本件の目撃者がそれぞれ富山さんの写真を選んだ、その写真面割りの過程には特に問題はな いと、七つの基準を満たしていると判断して、富山さんを写真面割りで選んだことこそが重要であるという前提に立って、それに反する供述変遷だとかそういっ たものについては無視するか、こじつけ、相当強引な解釈をして、こういった変遷があっても合理的なんだというようなことを言うんですね。
例えば、そのこじつけの例ですと、最初「細面」と言っていたのが「顔が角張っている」に変遷していることについて、細面というのは長目の顔を意味して角 張った顔というのと両立できるとも言える、というようなことを二審判決は述べています。あるいは、やせ型というのはいわゆるのっぽという意味にも解される うえ、体型全体についての表現であるとしても、顔面を中心とした印象を述べたものであるとすれば、ガッチリというのと必ずしも矛盾しないとか、普通の人が 見れば、どう見てもおかしいんじゃないかと思うようなことを判決の中で平気で述べています。そして、供述の変遷はさほど重視すべきものではないんだという 解釈をして、写真面割りで選んでいる以上、この目撃者の証言は信用できるんだと結論づけて、富山さんを有罪というふうに判断しているわけです。この二審判 決というのは目撃証言の見方に根本的な誤りがあると考えられます。
先ほど、写真面割りが持つ危険性というものについては触れましたけれども、人間の記憶というものは非常にあいまいなものです。通常、ある状況を目撃した ら、それをそのままビデオテープのように脳の中に記憶されて、それがそのまま出てくると人間は考えがちなんですけれども、実はそうではない。記憶をしてか らそれを思い出すまでの過程でさまざまな外的要素、内的要素、あるいはそれを記憶する時にも心理的状況だとか外的要素とかいろいろなものが影響して、記憶 というのは非常にあいまいなものになって変容していってしまうものなんだということが、心理学の分野ではかなり研究されているんですね。ですけれども、一 般の感覚として、目撃者が出てきて、私はこの人を見ました、この人で間違いありませんと力強く言ってしまうと、何かものすごく強固な証拠のように思われて 扱われてしまうということが起こるわけです。こういったところに目撃証言の怖さというのがあるわけです。ですから、こういったことに関する研究が進んでい るアメリカやイギリスでは、例えばイギリスでは、政府の委員会で目撃証言について研究して、危険なものだからそれだけで有罪にすべきではないのではないか というような提言を行っていたり、あるいはアメリカでは、記憶についての研究を専門にしている心理学者を専門家証人として法廷に呼んで、記憶のあいまいさ だとか、目撃証言の危険性について証言をしてもらい、それを判断の材料にするとか、そういったことがかなり行われてきているんですね。
一方、日本ではどうかというとまだまだそういった認識はない。特に日本の裁判官というのは、自分たちは事実認定だとか証拠評価をするプロなんだからと、科 学的な知見を取り入れてそれに従うということは考えないで、自分たちはプロなんだからということで自信を持っているんですね。そのくせ、一般の人の感覚か ら見ても、どう考えてもこれはおかしいんじゃないかというような判決を一方で書いたりする。こういった裁判所の姿勢というのがこの富山事件の第二審判決で は非常によく表れていると思います。

■再審開始に向けて

こうして、第二審判決で有罪が出まして、その後、上告棄却ということで確定してしまいました。そこから再審に向けての長い道のりが始まるのですけれども、 刑訴法上、再審を開始するためには、無罪を言い渡すべき明らかな新証拠が必要だということになっているんですね。弁護団はそういった新証拠を収集するため いろいろ苦労されたと思うんですけれども、七年前の1994年に再審請求を出したわけです。新証拠の中には、法廷には出て来なかった他の目撃者の証言に関 するものですとか、アリバイに関するものですとか、そういったものも多くあるんですけれども、先ほど申し上げたように、裁判所が目撃証言に対して持ってい る誤った認識、これを覆すことは再審開始のための大きな柱になると考えて、心理学者の方々の協力も得て、そういった科学的なアプローチから二審判決の目撃 証言の見方に関する誤りを実証していこうという試みをずっと続けています。
1994年に再審請求書を出した際に、鑑定書や報告書などを提出しています。それぞれ非常に大部なもので詳しい内容については簡単にはお話できないのです けれども、例えば、鑑定書では、本件のように凶器が使われ血も流れる、そのような残忍な事件においては目撃者の注目というのは凶器だとか、あるいは実際に 殴っている実行犯の方に向けられるのが通常であって、それからちょっと離れた場所に居た指揮者に注目がいって、それをよく記憶しているなんてことは普通は ありえないとし、実際に事件を再現したビデオを撮りまして、それを何人かの被験者に見てもらって、指揮者を識別できるかどうかという実験して、実際には指 揮者を識別することは非常に困難であるという結果が出ています。
あるいは、先ほど、写真自体に暗示性があって、特に選ばれやすい写真というものがあるんだと、そういう性質をもともと持っている写真があるんだというよう なことをお話しましたけれども、今回の事件をまったく目撃していない人たちに、事件の概要ですとか、ちょっとした犯人の特徴だとかの情報を与えて、今回の 事件で実際に目撃者たちに示されたのと同じ写真を見せて、この中のどの人が犯人だと思いますかと聞きましたら、実際はまったく目撃もしていないのに富山さ んの写真を選ぶ人が何人もいたと、そのような実験も行われています。
こういった科学的な見地を取り入れて、第二審の目撃証言の見方は誤っているんだということを実証し、再審を開始すべき新証拠ということで提出しています。
ごく最近の動きとして報告させて頂きますと、昨年の七月に新たに鑑定書とビデオを証拠として提出しました。これは、確定判決の中でもっとも良質の証人だと 言われておりますI証人という人がいるんですが、その人が事件当時、本当に犯人の顔を識別することができたのかということを実験を通して実証しようとして いるものです。
具体的にどういうような実験なのかと言いますと、当時のI証人の視力は大体0・4くらいだったと推測されるのですが、I証人が立ち会って作られた実況見 分調書によれば、犯人を目撃した時の彼と犯人との距離は16・45メートルであったと記録されています。ですので、視力0・4の人が、16・45メートル 離れた場所から人を見た場合にどのような見え方をするのか、その人の顔を識別することができるのかどうかということを実験したわけです。
実験は、何人かの被験者に視力を0・4に調整するようなレンズを目に着けてもらって、実際に16・45メートル離れた人物を見てもらいます。同時に、ビデ オでその人物を撮影し、そのビデオの画面も被験者に見てもらいます。そして、ビデオのピントをちょっとずつずらしていくわけです。ビデオの画面の見え方 と、0・4の視力で実際に16・45メートル先の人物を見た時の見え方が同じになったところで被験者に合図してもらう。
そして、何人かの被験者たちの平均値を取り、それに合わせて、実際に0・4の視力の人が16・45メートル離れた場所から目撃したのと同じような見え方をするビデオを作成しました。
そのうえで、そのビデオを十七人の人に二十秒間見てもらい、その後、三十枚写真を見せて、その中から今ビデオで見た人を選んでくださいという実験をしまし た。その際、髪型というのは人を識別する時の大きな手掛かりになるのではないか、目鼻だちがわからない場合でも髪型が似ているということだけで判断するこ とがあるのではないかということで、コンピューターで写真に細工をしまして、それぞれみんな同じ髪型だけど顔は違うという写真を30枚作って並べたんです ね。それを17名の人に見てもらって選んでもらった結果、正しい人物をこの人ですと言って選んだ人は一人もいなかったということが明らかになっています。 さらに、同じ方法で、今度は写真に手を加えず髪型をそのままにした写真、要するに髪型を識別のための手掛かりに使える写真を見て選んでもらうという実験も 行ったのですけれども、この場合でも正解した人は18人中3人しかいなかったという結果になっています。この実験の結果から言えることは、視力が0・4の 人が、16・45メートル先の人物を見た場合、実験ではビデオを見てすぐに写真選別をやったんですけれども、そういう状況であってもほとんどの人が識別で きなかったということでした。
実験と同じ状況で目撃したI証人が、富山さんが犯人であるとする目撃証言というのは、科学的実験結果と相反していて信用できないのではないかということがこの鑑定書で明らかにされています。

■心理学へのアプローチ

こうした法律学あるいは実務と心理学との提携というか、接点を捜していこうという試みが行われております。昨年の11月に、心理学者、法学者、弁護士など の実務家を中心としまして、「法と心理学会」という学会が設 立されました。ここでは、目撃証言についてもかなり大きなテーマになっておりまして、先ほど の二審判決の「七つの基準」、これに代わる新たな目撃証言の正確性 を担保するための基準というものを考えていこうではないかということで検討も進められ ています。実際に使える基準を作るというのは非常に難しくて、まだ形になっていないのですけれども、目撃証言の問題性とか写真面割りの危険性について日本 においても研究が進められ、かなり認識されてきている状況にあります。今年10月には、「法と心理学会」第二回大会が東京で開かれるんですけれども、その 際には、弁護団の方からも、心理学と弁護活動との接点とか、心理学的なアプローチの方法だとか、そういったことに関するレポートを富山事件の経験をもとに 行う予定でいます。
こうした科学的な知見を少しでも裁判所に理解してもらって、取り入れようという姿勢を示してもらえたらということで、われわれも裁判所に本や資料を持って いって働きかけをしています。どこまで裁判所が動いてくれるのか、まだちょっとなんとも言えないところなんですが、学会とかそういった所ではこうした動き があるということです。

■証拠開示の重要性

それから、弁護団が重点的に取り組んでいることのひとつとして証拠開示の問題があります。わが国の刑事訴訟制度においては、例えば、検察官が自分の手元に 被告人にとって有利な証拠、この人が犯人ではないと言っているような供述調書ですとか、そういったものがもしあったとしても、検察官がそれを裁判に出す意 志がなければ、それを被告人に対して見せなくてもいいというようになっているわけです。しかし、それはおかしいと、実際、過去にも、検察官の手元にある証 拠が開示されることによって、それまで闇のなかに葬られていたような事実が見つけ出されて、それがもとで再審が開始されて、再審無罪をかちとっているよう な事例がかなりあるということで、弁護団では、富山さんの事件に関しても、そういった再審開始のために力になるような証拠があるのではないかということ で、ずっと検察官に証拠開示を求めてきました。ですけれども、検察官はそういった再審開始事由となるような証拠はないと言って、頑として開示を拒んでいる んですね。
これに対して、弁護団としては、1999年2月に、裁判所の方に証拠開示命令の申し立てというのをしました。裁判所から、この証拠については開示しろとい う検察官に対する命令が出れば、それでも検察官が拒否する場合もなかにはあるんですけれども、裁判所の命令となると検察官としてもある程度尊重せざるを得 ないというようなこともありまして、裁判所になんとか検察官に証拠を出せという命令をするよう申し入れをしているんですね。その後も定期的に裁判所に行き まして、もちろん再審開始が一番の目的なんですけれども、とりあえず証拠開示だけでもやってくれということで申し入れをしています。しかし、その度に、検 討できていないとか言われまして、そうしているうちに時間が経って、裁判官の方も交代する。で、今度は、今、検察官はどういうふうに思っているんでしょう かね、ちょっと確認してみてくださいというようなことを裁判所から言われて、検察庁に行ってまた拒絶されると、そういったような状況でまったく進んでいな いんですね。
この件に関してはちょうど二週間くらい前に、新たに、なんとか証拠開示命令を出してくれということで裁判所に上申書を出しまして、来週、裁判所に弁護団が赴いて申し入れを行う予定でいます。
具体的にどういう証拠の開示を求めているかと言うと、本件では目撃者が何人もいますが、法廷に出た供述調書というのはその中の数名のものでしかない。弁護 団の方でいろいろと調査したところ、どうも富山さんは犯人ではないと言っている目撃者もいるということで、目撃者の供述調書について全部出してくれと求め ています。
その他に、アリバイの関係で、事件が起きた時、前進社という所に富山さんはいたのですけれども、そのことを立証するために、当時、前進社を警察が監視をし ていて出入りする人を見張っていてそれを記録につけていたらしいと、それを出してくれと求めています。
また、富山さんが本件で逮捕された時の逮捕写真がまったく出てきていません。本件で目撃者がこれが犯人に似ていると特定した富山さんの写真というのは、 1975年に富山さんが逮捕された時の写真ではなくて、それより3~4年前に別件で逮捕された時の写真が使われて、それを目撃者が特定して調書に添付され ているわけです。もしかしたら、その時の写真と事件当時の富山さんの姿は大分変わっているんじゃないかと。1975年に逮捕された時の写真がもしあれば、 事件当時に一番近い姿を写しているわけですから、その時のようすがわかるわけです。そうすると、事件当時の富山さんというのは、目撃者が目撃した犯人とは 実は似ていないで、3~4年前の写真がたまたま似ていただけなんじゃないかと、そういったような推測も成り立つわけです。こうしたものについて出してくれ と検察庁に求めているんですけれども、全部拒否しているといった状況です。

■再審の困難性を打ち破って
再審開始・再審無罪を

今までお話して、いろいろやっているけれどもまったく進んでいないんじゃないかという感想をお持ちかと思うんですけれども、私も昨年の4月に弁護団に加え させて頂いて、正直申し上げて、再審というのはこんなに大変なのかとびっくりしました。ニュースなんかでは再審開始まで10何年かかっているとか、そう いったようなことは聞きますけれども、私の意識が低かったのかもしれないですが、どうしてそんなに時間がかかるんだろうということを深く考えたことはな かったんですね。ところが、本件も再審請求から七年が経過していると、昨年から弁護団の活動に加わらせて頂いて、何度も裁判所に事実の取り調べをしてくれ だとか、証拠開示をしてくれだとか申し入れに行くんですが、その度に、忙しくて手がつけられないとか、まあ、はっきりそういうふうには言いませんけれど も、まだまったく検討していない状況だとか、他に大変な事件がいっぱい来ていて大変なんだとか、そういったことしか言わないわけですね。で、そうこうして いるうちに、ちょっとやってくれるかなと思うと、二年くらいで裁判官がどんどん交代していく。そうするとまたこの事件は放置されたままになってしまうとい うようなことなんですね。現実に今動いている事件の方が優先されてしまって、再審に関してはどうしても後回しにされてしまうという状況があります。
こんな状況だということは、正直、私も知らなくて、裁判官の中では、しかたがないとかいう形で常識化しているのかもしれませんけれども、やはり、一般の市 民の方、ましてやえん罪とたたかっている請求人の方にしてみれば、こんな理由で何年も待たされるというのは本当に納得がいかない、許せないことなんじゃな いかと思います。せっかく再審という制度が設けられていても、その権利は実質的には全然保証されていないじゃないかと言いたくなるような状況なんですね。 今、司法制度改革の方で、刑事事件についても迅速化が必要だとかいうことで強く叫ばれていますけれども、再審のこうした現状をなんとかしなくちゃいけない という声はどうも聞かれないようで、そういうのは弁護士としても、もっと声をあげて活動していかなくてはいけない分野なのかもしれませんけれども、現在は そういう状況なんですね。
こう言ってしまうとなんか絶望的な感じになってしまうんですけれども、再審開始をどうしたら勝ちとれるか、弁護団の方でも、なんと言ったらいいのかな、苦 心しているというか、例えばマスコミに申し入れたらどうかとかいろいろ考えるんですけれども、なかなか再審が実現しないという状況なのです。
私、こうした形で加わらせて頂いて、富山さんにも初めてお会いして、非常に穏やかな方でびっくりしましたけれども、その心中の無念さですとか、不屈の闘志 というのは本当に如何ばかりかと思います。私、まだまだ経験も浅いですし、微力ではありますけれども、一日も早く再審開始を勝ちとれるように頑張っていき たいと思いますので、みなさんもご支援をよろしくお願い致します。今日は、不慣れなもので大変お聞き苦しかったところもあるかと思いますが、みなさんあり がとうございました。(会場から拍手)

  今回の大井町での署名集めは、
亀・・・・・・5名
山村・・・・・2名
うり美・・・・0名
でした。

  「明日のために第十六歩目。遅くなりまして申し訳ありません。今年の夏は例年になく暑いようですので、熱中対策は忘れない方がよいです」
とのお便りとともに 二千円頂きました。いつもありがとうございました。