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ースNo156(2001年9月1日発行)

●ニュースNo156(2001年9月1日発行)

◎6・30集会報告(3)阿藤さんの講演

大井町ビラまき報告

 

□6・30集会報告(その3)  

無実は無罪に ・・・再審の扉を打ち破ろう

阿藤周平さんの講演

6月30日に行われた富山集会での阿藤周平さんの講演を掲載します。見出しは事務局の責任でつけさせて頂きました。

 こんばんわ。今日は天気が悪いのにわざわざ足を運んで頂いて誠にありがとうございます。私も大阪からまいったんですけれども、列車に 乗っている時から雨が降って、大変かなぁ、集会どうなるんだろうと心配していたんですけれども、やはりみなさんおいで下さって、本当にありがとうございま す。
私は何回かここでお話していますが、また同じようなことになると思います。しかし、私は私の経験したことしか話せないんです。その経験から、今も続いているえん罪がこれからもう起きないようにしたい、それが私の願いなんです。
この4月に広島で八海事件の50周年の集会がありました。みなさん、「かちとる会」の会報でお読みだと思います。そこで申しあげたんですけれども、とに かく私は死ぬまで八海の体験を語っていく。八海で何があったかそれをみなさんに知って頂いて、この先、命の続くかぎり八海の私として、えん罪を受けた生き 証人として、えん罪をなくすたたかいをしていきたい。警察がどのようにひどい拷問によって、やってもいないことを自白さ せたか。その「自白」によって、裁判所は私に3回も死刑判決を出している。八海事件は裁判所に7回も行っているんです。最高裁は、第一小法廷、第二小法 廷、第三小法廷と三つしかありませんがそれに全部行っている。
三回目の最高裁の判決は、もうこれ以上やってもむだなんだと、ここらへんでピリオドを打った方がいい、これ以上被告やら家族に迷惑をかけたらいけないんだ ということを言って自判し、無罪判決が確定しました。三回目の最高裁の判決に敬意を表しますけれども、私は遅すぎたと思うんです。それまで十八年近くか かった。もっと早くその判決が出なかったのかと思います。

□支援の力の大切さ
私、今日こういう資料を持ってきたんです(冊子『地獄の図・・・八海事件に見る』を見せる)。これはあまり市販されていません。
今回、特にみなさまに申しあげたいのは大衆運動がいかに大切か、えん罪を受けた者にとって、そして裁判所を監視する上で、いかに大切なものであるかということです。そのことを八海は示しているんですよ。
八海事件は第1回目の差戻し審で無罪になった。その時には大きな支援運動があったわけです。けれども、無罪になってヤレヤレと解散してしまった。ところが、検察官は再上告する。無罪判決に対して、有罪にしろと再上告をしたわけです。
私たちは最高裁を信じていました。ところが、二度目の最高裁は第二小法廷で、下飯坂というのが判事なんですけれども、松川事件を有罪にしろと言った有名な 裁判官で、八海事件でも無罪を破棄して有罪にしろという判決を出したわけです。運動が途切れたその隙をついて、死刑にしろということで、また差し戻しで す。それでまた2回目の差戻し審で広島高裁にもどって、今度は死刑判決になった。その時に八海の運動はなかったわけです。その時、運動は途切れていたんで すけれども、それを神戸の高等学校の先生が支援に立ち上がってくれました。その時の冊子がこの『地獄の図・・・八海事件に見る』です。その運動の成果がこ れに書かれているんです。いかに難しかったか。一旦、運動が途切れて、またこれを掘り起こすのはなかなか難しいんです。それを神戸の先生がこの冊子で ずっーと書いている。どういうふうに運動を作っていったか。高等学校の先生が社会科の教室で『真昼の暗黒』を上映して生徒に見せるんです。今だったら問題 になるでしょうね。それで生徒から私に激励のハガキが来るんですよ、頑張ってくださいと。その先生方はね、教職員組合の全国大会で訴えている。広島の原水 禁運動でも毎年まわって訴えている。
八海のたたかいでは強力な武器があったからよかったんですよ。『真昼の暗黒』の原作となった正木弁護士の『裁判官』『検察官』。そして映画『真昼の暗 黒』、こ れが武器だった。それが全国的に広まった。でも、私は、そういう武器がなくても、みなさん一人一人が口頭で、こういう事件があったと言うのも一 つの武器だと思っています。身近な武器なんですよ。
えん罪事件を起こさないために、今起きているたたかいを通じて、みんなの力で権力の横暴を押さえないといけないんです。何回も何回もこうやって富山さん の集会に来てね、同じこと言ってますけれどもね、やはり運動をやらなければいけないんです。一人でも二人でもいいんです。知って頂きたいんです。現にこん なひどい裁判、えん罪で苦しんでいる人がいると知って頂きたいんです、みなさん。
私は独房で12年間過ごしましたが、何が一番に心強 かったか。自分の信念には自信がありました。けれども、高い塀を越えて支援者の声が私に伝わってくる、力づけてくれる、それが大きな原動力になってたんで す。今でも私は思います。もし、あの時に一高等学校の先生たちが立ち上がって、全国の高等学校の先生たちに支援運動を広めてくれなかったらどうなっていた か。3回目の最高裁で無罪を勝ちとったのは、みなさんの支援のおか げなんですよ。それがなかったら私、絞首刑になってたかもわかりませんし、絞首刑になってなかったら、まだ獄中でね、やれ再審や、やれ再審やって請求を出 してたかもしれません。それを思うと身の毛がよだつ恐ろしさです。それを考えると、いかに支援運動が大切かということです。私が、18年八海で苦しめられ た本人が言ってるんですから。
だから、私はこうして何度も何度もみなさんに申し上げたいんです。裁判所を監視しようと。権力に対して、一人の力では弱いからみんなの力を結集してあたっていこうと。

□警察は変わっていない

私の無罪が確定して32年になります。八海事件が起きて50年、半世紀です。しかし、今も警察は同じことをやっている。一緒ですよ。私はえん罪事件はなくならないと思います。
五十年前の、私たちの時の警察と今の警察、変わったのは服装だけだと思うんです。それと当時は女性の警察官が全然おりませんでしたからね。そんくらいのも んですよ。中身は一つも変わってない。取り調べにしたって、今でも拷問はありますよ。今の拷問は巧妙になっているんです。私の時にはぶったり叩いたり。今 の警察は知能犯になってますから簡単には暴力はふるいませんよ。朝から晩まで取り調べをやったりして、精神的に苦痛を与える。これもはっきりした拷問なん ですよ。肉体の拷問よりも、もっときついかもわかりません。私は今もどこかでえん罪が起きているんじゃないだろうか、警察で誰か無理な取り調べを受けてい るんじゃないだろうかと思います。
八海事件でも私たちの無実を証明する証拠が警察にあったんですよ。私は事件現場に行かれないという、時間的に合わないんだという証拠があったんですよ。な のに私たち無実の4人をぶって、叩いて、「はい、やりました」で終わりなんです。そして、あとから警察にとって都合のいい「証拠」を持ってくる。
いい例があります。吉岡という真犯人は、逮捕されて血が着いた爪から何から全部取られているわけです。その爪から血液反応が出ているんですよ。私たちも 爪を取られました。鑑定書にそれがどう書かれたかというと、吉岡の爪の血液反応は、左手の人差し指から出たとか、右手の何から出たとか、一つ一つ克明に書 いているわけです。僕たち四人のは、4人の爪を全部一緒にして、それじゃ誰の爪かわかりゃしませんわね、それで血液らしいものを見たけども、これは微量や からわからんと。そういうことをやるんです。
八海事件の被害者宅の前に畑があるんですけど、そこに足跡があった。犯人の足跡だということで、僕らの履き物も全部押収された。その足跡を出せと裁判所に 弁護人が言ったわけです。そうしたら警察は、ちょうど新庁舎に移転した、その時に証拠品をなくしてしまったと、こう言うんですよ。ひどいもんです。これ、 現実にあった話なんです。僕は今でも警察の制服を見たらあまりいい感じはしません。根っから私には染みついてますから。

□検察官   ・・・権力は何をするかわからない

八海は無罪が確定するまで十八年かかりました。本来なら6、7年で終わっているはずなんですね。それを検察官が上告して、最高裁に行ったり来たりして、そ れからまた7年以上かかっているんです。無駄なことをやっているんです。検察官が面子のためにそれをやるわけですよ。私が絞首刑になろうと、無実の罪に苦 しんでいようと、そんなの関係ないんですよ。とにかく面子です。私は検察官の面子のために3回、死刑判決を受けた。
黙っていたら、検察官は何をするかわかりませんよ。八海の時だって、みなさんも御存知と思いますけれども、私たちに有利な証言をしている証人を偽証罪で逮 捕して、ぎりぎり20日くらい勾留して、いじめて、嘘の証言をさせている。五年も六年も経ってから偽証罪でしょっぴいて、私のアリバイを崩す。そして起訴 して、裁判で検察官は自分から執行猶予の求刑をする。そうまでして3人を偽証罪で有罪にして、それを僕たちの八海事件の裁判の土俵へ持ってくるわけです。 そういうことやるんですよ。
検察官はそこまでやる。諦めない。
八海事件は無罪になってますけど、偽証罪にかかったその証人たちは有罪が確定してそのままです。矛盾してますよ。偽証罪にされた三人に弁護士が再審請求 を出そうと言いましたが、その3人はこれ以上騒いでもらいたくないんだと、再審請求出したら新聞社が騒ぎますよね、そんなことしたくないんだ、そっとして おいてくれと言うんです。みんなの面前に、また八海で蒸し返されるのはご免だと。それで、そのままです。
そうかと思えば、八海には真犯人がいるんですが、吉岡って言うんですけれども、その真犯人が阿藤たちと一緒にやったとずっと言っている。それが、最後の、 3回目の上告審の時に、その真犯人が無期懲役で広島刑務所にいたんですけれども、良心の呵責に耐えかねて、阿藤君たち4名は関係ないんだと、無実だという 訴えを書いて、最高裁、最高検、弁護人と、全部に発信しようとしたわけです。すると広島刑務所は発信を不許可にするんです。刑務所が握りつぶしているんで す。おまけに、そういうものを外に出そうとしたからということで、吉岡という男は懲罰房に入れられているんです。それでも、無実であるということを何とか 訴えたいと、最後の手段で、吉岡は出獄する人に口頭で、広島の原田弁護士に、阿藤たちの無実を訴えた書面を最高裁に出したけれども刑務所が発信してくれな いんだということを言うてほしいと頼む。出所した人が原田弁護士に伝えて、それで問題になりました。参議院の法務委員会にかけられ、当時の法務省の局長が 呼び出された。そして、実際に吉岡の上申書はあって刑務所に保管していると、だけど一切出さないんだと言っているわけですよ。それで、その書面を提出しろ という提出命令を最高裁判所が法務省にした。そうすると法務省はしぶしぶ出してきました。十九通出ました。それを第3回目の上告審の口頭弁論の時に取り調 べた。
私は吉岡の書面で無罪になったんだとは思ってません。それが決定的な証拠だとは思ってません。他にたくさんあったんですから。それより私が怒るのは、そ ういうものを広島刑務所と検察庁がグルになって差し押さえたりして出さない、その権力の陰険なやり方に私はものすごく怒りを感じるんです。
だから、みなさんに申し上げたいんですよ。みんなで監視していないとあかん。権力は何をするかわからないんです。甲山事件もね、民衆の力です。検事は上告 を断念しましたが世間が怖いからです。そこに、ぼくは大衆の力、運動がいかに必要かということがよく示されていると思うんです。

□むちゃくちゃな裁判官がいる

私が富山さんの再審を支援して12年位になるでしょ。今もってまだ結果が出ない。私にはわからないですわ、なぜ出ないのか。なぜ再審請求をしてから7年も 8年も結論が出ないのか、裁判所はなぜほったらかしにしているのか。みなさんもそう思いませんか。ほったらかしにしているのか調べているのかもわからない んです。裁判官は高い塀の向こうやからね。ああいう人種の考えていることはわかりません。もっと開けた裁判官がいたらよろしいんですけども。
八海事件の時もそうでした。むちゃくちゃな裁判官がおりました。第一審の藤崎裁判長というのがいるんです。その藤崎が退官して、福岡で公証人になってい る。それからしばらくして参議院の選挙があったんですよ。それに藤崎が全国区で立候補したわけです。立候補すると所信表明というのがありますが、そこに藤 崎が何を書いたかというと、「八海事件は黒だ」というのが所信表明になってたんです。当時、正木ひろし弁護士が「阿藤君、藤崎が参議院議員に立候補したけ ど何票とれるか見ものや」言うて。五十票かなんかだった。しかし、所信表明でまだ「八海事件は黒だ」と、えらい執念ですよ。
当時、八海事件の裁判と並行して、岩国の大きな事件の一審があったわけです。20歳くらいの若者が犯人でした。それに藤崎は死刑の判決を出しているんで す。その時のことを藤崎が本に書いているんですが、阿藤を死刑判決にしたのは当然だから平然と言い渡した、もう一人の20歳くらいの人を死刑判決をするの には躊躇してものすごく悩んだと書いている。僕を死刑するのは平気でできたと言うんです。そういう裁判官ですよ。そういう裁判官にかかったら、どんなにえ ん罪だと訴えても、自分の無実を訴えてもだめなんです。裁判官は高いところでじっと並んでいる。僕たち被告をじっと見てる。君たちは罪を逃れたいから嘘を 言っているんだというような頭なんです。そこへ私たちがなんぼ真実のことを言ったって、裁判所は信じてくれません。それが原因で八海事件では7回も裁判が 続いた。
先ほど木下さんのアピールにもありましたが、狭山事件の控訴審判決を出した寺尾裁判長、八海事件では、一審、二審の死刑判決を覆した最高裁の調査官でし た。ところが、狭山事件では有罪判決で無期を言い渡している。死刑にするのは自信がなかったんでしょう。一等減刑して無期にしている。私もですが、狭山事 件でも減刑にしてくれとは裁判所に訴えてないんですよ。やってないのだから無罪しかない。有罪だと言うのなら死刑。八海でも有罪と認定したら死刑なんで す。それを無期懲役にしとく。裁判官は自信がないんです。怖いんです。寺尾裁判長はわかってるんですよ、石川さんが無実だというのを。わかりつつ一等減じ て無期。自分の良心をごまかしているんですよ。だから私はね、私の事件で無罪にしたからって偉い裁判官だと思ってません。当然のことをやった。ただ勇気は いるかもわかりません。あたりまえのことをするのに勇気なんかいらないと思うんですけれどもね。
私の時は7回の裁判ですからね。こんな裁判は、あとにも先にも、もうないでしょ。起こらないでしょ。起こっては困りますけれども。その間、裁判官が何人関 わったか。その半数が有罪、あとは無罪に分かれたんです。八海事件という一つの事件を見るのに、例えれば、リンゴなんですよ。リンゴが置いてある。同じリ ンゴを見るのに、左から見るのと、右から見るのとでは違ってくるわけですよ。色は違うかもわかりませんよ。でもおんなじリンゴなんですよ。それが片やリン ゴじゃなしに梨だと、ぐるぐるぐるぐる振り回されている、八海は。そういう裁判が実際に起こっていたんです。
いろいろと司法の改革とか陪審員とか言われますけれども、僕は一緒だと思うんですよ。陪審員でもえん罪事件は減ってないですよ。アメリカでもえん罪はありますがな。

□富山さんの無実を信じて

  私が富山さんの再審を支援し始めたのは、まだ富山さんが獄中に閉じこめられている時です。12年位前、まだ私が60歳くらいの時です。まだ私も若くて仕事 をやっていた時です。今、私74歳になります。なんと長いことでしょう。私にはわかりません7七年も8年も、裁判所はなんでこんなにほおっておくのか。
しかし、私は、結局、真実は強いと思うんです。それは、八海も証明しているし、死刑で25年も30年も独房にいて再審で無罪を勝ちとった方々にも当てはま る。強いんですよ、真実は。必ず勝利するんですよ。だから、私は、富山君の再審でも、富山君の無実を信じてこうやって応援してるんですよ。そして、二度と そういうえん罪が起きないためにみなさんと手を取り合ってたたかっていく。
それが八海が勝利した大衆運動なんです。そこに結びつくんです。だから私はみなさんにいつも申し上げるんですけども、やはりみなさん一人一人と一緒に、同 じ心で、こんなことを許したらだめなんだと、二度とこんなことがあってはいけないんだと、これからも起こしてはいけないんだという気持ちで関わっていきた い。それが富山君の再審のひとつの輪なんですよ。出発点なんですよ。これによって他のえん罪事件とたたかっている人たちと連帯していきたい。この運動を通 じて、今起きているえん罪事件、そしてこれからも警察や検察の横暴、そして裁判所がまちがった判決を出さないように私たちが監視しなければいけない。
私は八海で苦しめられてきました。私はまだ忘れてい ません。50年経っても忘れていません。この前も広島で申し上げたんですけれども、50年が、半世紀が経ちました。私が24歳の時なんです。今、74歳。 だけども、この私の身から八海事件を離すことはできないんです。離れないんですよ。今も目に浮かんでくるんですよ、あの警察の拷問が。あの部屋の配置が。 取り調べた刑事はメガネかけてこうだったとか、浮かんでくるんですよ。忘れられないんですよ。
自分は命のあるかぎり富山さんの再審を支援していく。ほんと、富山さんの事件とはね、心中してもいいと思っている。でも、やはり生きているうちに富山さ んの再審無罪を見たら、私は本当に心から好きなお酒をね、飲めるだろうなと思うんですよ。たまに断ってるんですけれどもね。
みなさんにもいろいろ身近なところで、職場でも井戸端会議でも、八海の阿藤がこういうふうに言っとったと伝えてもらって、少しでも開かれた司法に、えん罪 の起きない社会にしたいと思うわけです。なかなか無理だと思うんですけれど、無理でもやらなきゃいけません。この集会に来ていただいたみなさんと一緒に、 えん罪をなくすために私は頑張っていきたいと思います。どうか、みなさん今後ともよろしくお願いいたします。

  八月の大井町での署名集めは、
亀・・・・・・3名
山村・・・・・2名 でした。
富山さんはビラまき、うり美さんはお休み。

  「明日のために第十六歩目。台風一過で、日本全国は被害が大変なものでした(東京は そうでもなかったけど)。しかし、歩みを止めず、進みましょう」というお便りとともに 二千円頂きました。ありがとうございました。