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ニュースNo180(2003年9月15日発行)

 

●ニュースNo180(2003年9月15日発行)◎えん罪の根絶のために 阿藤周平さん
再審の輪を広げよう・大槻泰生さん
Y・Iさんから

大井町ビラまき報告

8月20日、高裁前でビラまき

8月20日、高裁前でビラまき出勤前に霞ヶ関でビラまき

【出勤前に霞ヶ関でビラまき、富山さんはビラがなくなるまで継続】

大井町でのビラまき・署名取り

大井町でのビラまき・署名取り

久々に  亀の登場この迫力!

/// 付録 ///

定例会に珍客到来

なでて、なでて、なでて、ゴロニャン

 

集会報告  6月7日に行われた「証拠はだれのものか―真実究明は証拠開示から 富山再審集会」での阿藤周平さんの講演を掲載します。

えん罪を根絶するために

阿藤周平

 みなさん、こんばんは。ちょうど一年前の六月に、同じように東京高等裁判所に申入れに行きましたが、なんとも物足りない気持ちなんです。というのは、な ぜ再審を担当している刑事第三部の担当の書記官が会わないのか。全然関係のない総務の職員が会うのですから。僕が抗議しても暖簾に腕押しのようなもんで ね。だけどもやらなくてはなりません。裁判所に行って、正しい裁判をしてくれと、これから先も行動を続けて行きたいと思います。

  今日は証拠開示の問題ですけれども、八海事件でこれに匹敵することがありました。(昭和)四三年(一九六八年)の七月に、第三回目の最高裁の口頭弁論の期 日があった。その年の三月です。その頃に、真犯人のYが広島の刑務所から、阿藤達四人はこの事件には関係がないんだ、無実なんだという書面を書いて何度も 発信していたんです。ところが、その都度、刑務所は検閲中だと言って発信しないんですよ。その発信の先は最高裁、検事総長、弁護士、それから民事事件を起 こしていましたから広島地方裁判所の民事部、全部で一九通あるんです。それをことごとく広島刑務所が隠している。ところが、やはり悪いことはできないもん ですね、官憲も。Yは業を煮やして、良心の呵責に耐えかねていたんでしょうね、Yは近々に出所する人に、こうこうこうで上申書を出したんだけど出してくれ んのだ、これを広島の原田香留夫弁護士に言ってくれないかと頼んだわけです。頼まれた人は口頭で原田弁護士と朝日新聞に訴えたわけです。

そこで、原田弁護士は、大阪の佐々木哲蔵先生と東京の弁護士さんとで広島刑務所にその事実を確かめに行ったわけですよ。ところが、それは事実だけれど も、その手紙は発信しないんだとあくまでも刑務所は言うわけです。口頭弁論が七月の年の三月頃にこの問題が明るみに出て、その時にちょうど、大阪選出の参 議院の議員だった亀田さんという八海事件の弁護人だった人が、参議院の法務委員会で、それをぶちまけて、法務省のトップを引っ張りだして確かめたわけで す。その時に、その矯正局長は、あると、刑務所が保管しているということを認めたわけです。一九通というのも認めたわけです。ところが、それを出せと言っ ても出さないわけです。どうしても出さない。このように新聞に毎日のように書き立てられているんですよ。もっとあります。これは富山さんが全部調べてコ ピーしてくれたんですがね、当時の新聞は報道しているわけです。それで弁護人は、最高裁に対して、第二小法廷ですが、こういう書類の提出命令を出してくれ と要求したわけです。あの時の第二小法廷の裁判長は奥野さんです。検察庁に対して実際にあるのなら全部提出するようにという命令をしたわけです。それで、 やっと法務省は隠し持っていた一九通の上申書、自分一人でやったんだ、他の人はこの事件には全然関係ないんだ、お詫びするという真相を語った上申書です、 これをやっと出したわけです。それが口頭弁論に間に合って、その口頭弁論の時に、裁判所はそれを証拠として採用したわけです。

ところが、その期間にYは、こんなものを書いたからというんで懲罰を受けているわけです。真実の上申書を書いたということで、刑務所はYを懲罰房に入れ ているわけです。そして、その前に、Yが阿藤達と一緒にやりましたという上申書も書いているんですが、その時は刑務所は懲罰にも何にもしないんです。単独 犯行だという真実の上申書を書いたら、こんなことを書いたというんで、規則違反だと言って刑務所は懲罰房に入れたわけです。そして、病気だと言って全然弁 護士さんに会わせてくれないわけです。

  検察官はそこまでやって私を死刑にしたかったんです。なんにもしない私を死刑台にもって行こうとしたんです。なぜか。一度起訴したものは、間違っていて も、最後まで有罪にするんだという検察官の考えです。今でもそれがあると思います。検察官は、私達が三度目の最高裁で無罪の判決、破棄自判で無罪をかち とった時、これはもう控訴も上告も何もできませんわね、最高裁で自判しているんですから、それでもまだ、有罪なんだと談話で言っている。

一審の山口地方裁判所の岩国支部の藤崎という裁判官がいるんですが、僕に最初に死刑判決を言い渡した裁判長ですが、それがちょうど、その当時、退官して 小倉で公証人になっていたんですが、まだなおかつ自分の判決は正しいんだと言って、こともあろうに参議院に立候補して、その時に、政見放送で八海事件は自 分の判決が正しいんだと言ったわけです。自分の判決は正しいんだというのが立候補した理由なんです。この執念というのは恐ろしいと思います。身の毛がよだ つような、そういう裁判官もいるわけです。

それと、下飯坂という最高裁の裁判長、私を無罪から有罪にしろと差し戻した裁判長がいますが、この人は松川事件でも有罪だという少数意見を述べた人で す。それが、新聞に載っていたと思いますが、自分が死んだら、棺桶に八海事件の判決文と松川事件の判決文を入れてくれと言った。ものすごい執念ですよ。こ れは本当の話なんですよ。恐ろしい話ですよ。

だから、富山さんの再審に対しても、私は、検察官は絶対に隠している証拠を出さないと思う。八海事件の上申書でも、明るみに出て、これだけ新聞で検察の やり方、刑務所のやり方が叩かれているわけです。参議院の法務委員会で追及しても、持っているのを認めても、出さない。あくまでも出さなかった。だから、 弁護人は業を煮やして、最高裁に掛け合って、最高裁は法務省に対して出せと命令したわけです。最高裁もあれだけ明るみに出たらやらざるを得ないでしょう。

なるほど、私達は真犯人の告白で無実が明白になりましたけれども、ただそれだけで僕たちは無罪になったんじゃないんですよ。記録の中から、私達が無実である、冤罪だということがはっきり出ているんですよ。

『真昼の暗黒』という映画が上映されたのをご存じだと思います。脚本家が、橋本忍さんといって『蟹工船』とかいろいろ書いていらっしゃる方です。監督が 今井正さん。二ヵ月位かけて橋本忍さんが『真昼の暗黒』の脚本を書くわけです。これは本を読んでいるより裁判記録を読んでいる方がおもしろい、公判の記録 を読むと、はっきりと阿藤君達の無罪が浮き彫りになってきたとおっしゃっていました。だから、あの『真昼の暗黒』の映画は無実だという事実に基づいて作成 されたんです。すると最高裁の事務総局から横やりが入りまして、今係属中の事件を、無罪を前提にした映画を作るのはけしからんというので圧力をかけたわけ です。最初、あの映画は東映が映画化するはずだったんです。ところが東映は、最高裁から横やりが入って、どういう過程があったか知れませんけれども、やめ てしまった。だから、橋本忍さんの脚本は、今井正さんと山田典吾さんといって独立プロの人によって映画は作られた。俳優さん達は手弁当です。労働組合から お金を借りて、俳優さん達は無料で出演して、あの映画ができあがっているんです。できあがった映画は当時、配給と言って、東映、東宝とか、松竹というのは 自分の映画館を持っています。独立プロなんて映画館はないんですから、そういう映画館には出してもらえない。だから、『真昼の暗黒』の封切りは、大阪城の 近くの、大手前の労働会館でやったんです。それからずっとやって、各映画館に配給されて、そして賞を取って、当時の賞を総なめしました。

ご存じかもしれませんが、当時、京都に五番町事件というのがあって、無実の少年が逮捕された。ところが真犯人がこの『真昼の暗黒』の映画を観たわけで す。そして、自分がやりましたと名乗って出たわけです。その弁護人だったのが元京都地検の次席検事だった前堀政幸さんという方で、終わりには八海事件の弁 護人の一人になりましたけれども。そういう曰く付きの映画だったんです。

私は、冤罪で十二年も死刑判決で独房に入れられました。もちろん私はまだ確定していない被告の身ですけれども、当時、広島拘置所には八人ほど死刑確定囚 がいました。死刑判決は受けたけれども確定していないのが私を含めて二人いました。それが全部一緒に取り扱われたわけです。拘置所ではなんでもいいから信 仰させるわけです。だから、僕も教会に行くんです。けれども、とにかく話が合わない。それはそうでしょ。僕はなんにもやっていない。それが罪を犯して刑が 確定して懺悔した死刑囚と同じ話を一緒に聞いているわけです。だから、僕はこんなことはできない、もし、許されるんなら僕一人で教会に行きますと言って、 そうなりました。その時の八人の死刑囚は全部顔も忘れませんよ。まだ名前も覚えています。私が(昭和)三二年(一九五七年)二月一一日に出所したんです。 二月一一日は今は祝日になっていますけれども、当時は普通の日だった。その時に、死刑判決を受けていながら保釈になるわけです。保釈金三万円で。私が広島 の拘置所に移ったのは(昭和)二八年(一九五三年)の末です。それから三二年まで四年間ですか、その間に八人が死刑を執行されている。多い時には一日に二 回、二人執行されたこともありました。なぜかというと、共犯で二人とも死刑判決の時です。その場合、一緒に同じ日に死刑にした。今は死刑があった後に、新 聞に死刑があったと出ますわね。昔は出なかったんです。突然に来るわけです。僕も隣に確定囚がいるわけですから、ドアを開けて連れて行くのがわかるわけで す。ちょうど、私のおる舎の後ろが運動場で、その運動場の後ろが医務室。その医務室の後ろに小さい塀があって、そこに平屋の死刑執行台があるんです。屋根 が見えますよ。そこの先には大きな裏門があるんです。執行して(死体を)裏門から出すんです。

私はそういうのを見て、自分もそうなるのかと不安になることもありましたし、いや、絶対そんなことはないと、必ず僕は無実を晴らして見せるんだというの で、現在、今日こうして無罪を獲得してお話しているんですけれども、それはひとえに私が無実だった、やっていないんだから当然だというのではないんです。 やはり、多くの皆さんの温かい大きな支援があったから、私は勝利をかちとることができたんです。私は、全国の多くの皆さんに温かい支援を頂いて今ここにお ります。だから、それをお返ししなければならない。無罪判決が出てもう三十年になるんですが、お返ししなければならない。しかし、なんでお返ししたらいい かわかりません。だから、私は、二度と八海事件のような残酷な誤判によって無実の人が絞首台にあがるようなことがあってはいけないんだ、そのために私はた たかっていこうというので、冤罪のための運動をしているわけです。

まだまだ、今も、冤罪で死刑で苦しんでいる方々がいらっしゃいます。悶々としている方がいらっしゃいます。私は涙が止まらなく、怒りを感じます。だか ら、その涙を皆さんとともに忘れずにいたい。僕は一度捨てた命なんです。もしかしたら、私は無実の罪で絞首台に消えていたかもわかりません。徳島ラジオ商 事件で、冨士茂子さん、冤罪ですけれども、再審で無罪になったのは冨士さんが亡くなったあとなんです。そんなことがあってはいけない。私は皆さんととも に、みんなの裁判所にして、開かれた裁判所、そして冤罪が少しでもなくなるように力を尽くしたいと思います。でも、なくならないでしょうね。次から次に起 こってきます。だけども、なくすために、私はこれから先、何年生きられるかわかりません。私は今七六歳なんです。大正一五年の生まれです。私はできるかぎ り、皆さんに助けて頂いた命ですから、一日でも二日でも、長生きするんとちゃう、そのお礼を皆さんにお返ししたいと思っておりますので、どうかひとつよろ しくお願い致します。

 

■Y・Iさんから
「みなさんお元気ですか。たった一度の支援金ごめんなさい。」

一万円いただきました。ありがとうございました。御自愛ください。

■再審の輪を広げよう

大槻泰生

 富山さんの再審請求は、いまだに実現していません。それは、教育基本法・憲法を改悪し、権力のつごうのよいように郵政等々の民営化を実現させてアメリ カ・ブッシュ政権と歩調を合わせて戦争政治をやっていこうとする小泉政権が、富山さんの有罪は実は無実・無罪だと証明されるのを恐れているからにほかなり ません。私たちはこの事実を広く大衆に訴えて、再審の輪をひろげていかなければなりません。

私は、かつての戦争を「正義の闘い」と信じて全力で加担・協力しました。そして、広島で原爆をうけました。広島は焼け野原になり、伯父たち肉親の行方は いまだにわかりません。私自身放射能に射抜かれた身体はガンによって右耳切除、左目視力0・03程度しか見えず、左半身は気候の変わり目には痛みます。

戦争は最大の犯罪であり、その被害者は働く人々です。そして、それをくいとめる力をもっているのも働く人々であると思います。

小泉首相は、有事立法を強行し、郵政事業の民営化、道路公団の民営化、税制の三位一体改革を柱にしながら、軍事外交政策の強力な推進と、治安対策の強 化、教育改革の実現を表明しています。「民間の活力を促すため」「税金のムダ使いをなくすため」と、かっこよい表現をしていますが、自己の都合の良い体制 づくりにすぎないと思います。

私たちは、自分の人権・子どもたちの幸せを築くために、軍靴の足音を止めなければなりません。人権否定・人権無視の政策を阻むたたかいを全力でたたかいぬこうではありませんか。

石油資源ほしさのために「ならずもの」「悪の枢軸」と自分の意に従わないイラク攻撃を行ったアメリカ・ブッシュ政権は、今度は北朝鮮を標的にしていま す。そしてその意を受けて日本は自衛隊をイラクに派兵し、北朝鮮への侵略戦争まで行おうとしています。私は、人を殺すな、自分も死ぬなと強く訴えます。な ぜなら、労働者階級人民同士の殺し合いだからです。反戦・平和を声を大にして強く訴えます。8・6ヒロシマの再現はもうごめんです。

富山さんは権力が生き延びるための戦争国家化に反対したために投獄されました。富山さんの犯行現場だといわれる大井町を何度も見てまわりました。そこから目撃証人が証言しているような状況は見えません。

私たちは、人をみせしめとして投獄し、有罪決定を容認している裁判所、検察官に「証拠開示を行え」「再審の門を開け」と全国運動の輪を強めていかなければならないと思います。富山さんは無実です。みなさん、ともにたたかいぬきましょう。 (おおつきやすお・反戦被爆者の会)

大井町ビラまき報告

 今回の署名集めは、
カメ・・・8名
他は全滅でした。

浦島カメ
久しぶりに大井町での署名集めに参加した。十一ヵ月ぶりの大井町。駅前は一変していた。これには、浦島太郎ならぬカメも驚いた。
署名してくれた人は八名。
一人の女性は「まだやっているんんですか。何回か署名しましたが」と言ったが証拠開示を求める署名だと説明したら快く署名してくれた。
若い二十代の男性は「そういうことがあるんですか」「無実なのに(懲役)十年なんて許せないよね」と署名し、「がんばってください」と言って去って行った。
「なんでそんなに署名取れるの」とうり美さん達は不思議がるが、そんなに詳しい説明をしているわけではない。「無実で刑務所に十年。こんなこと許せますか」・・・これだけでも応えてくれる人は応えてくれる。
久しぶりの大井町駅周辺は、なにか明るい、開けたイメージになったような気がする。人の流れも変わったような感じがする。でも、やっぱり大井町はやりやすいなと思い、なんか空気入った。 (カメ)

大井町のYさんから

 「明日の為の第三十九歩目
今年は冷夏でしたが、活動しやすかったですか?」

というお便りとともに、二千円いただきました。ありがとうございました。夏はやはり暑いほうがいいですね。
この秋はどうなるのでしょう。くれぐれも健康にはご留意ください。