●ニュースNo181(2003年10月15日発行)◎決戦のとき到来 ◎裁判所は真摯に審理に臨め ◎追悼木下信男先生 ◎木下先生を惜しんで |
いよいよ決戦のとき来る(10月9日に届いた「求意見書」 決戦局面の到来10月9日、高裁第三刑事部から「求意見書」(10/8付)が届きました。 |
裁判所は真摯に審理に臨め1994年6月20日の再審請求から9年半、やっと裁判所が反応を示しました。とはいっても、けっしてよい結果を期待させるものではなく、むしろ反対の結果しか予測できない「心証」を形成しているだろうと推測させるやり方です。 無実・無罪が正しい決定たたかいの前提となる再審請求書につづく意見書を、より鋭く、説得力あるものにすべく、私と弁護団は全力で作成に取り組みます。 裁判を監視する人民の目をつぎの課題は、裁判所にごまかしを許さぬまでに研ぎ澄まされた知性と理論の結晶である再審請求書と意見書を現実の勝利、証拠開示 命令―再審開始決定へと結実させる力である広範な世論の形成、裁判を取り巻く人民の目、英知の結集、心ある人民の陣形づくりです。これが最後に勝敗を決し ます。勝利には不可欠です。松川裁判をめぐって、当時の最高裁長官の田中耕太郎が「裁判官は雑音(世論)に耳を貸すな」と悲鳴をあげたような「不正義は許 さない、不当裁判は許さない」の声で裁判所を十重二十重に包囲しなければなりません。勝利への執念でつくりあげましょう。 人民の未来を決する富山再審富山再審の帰趨には人民の権利と未来がかかっています。両者は固く一体です。 |
木下信男先生(横浜事件の再審を実現しよう!全国ネットワーク代表)が5月1日、入院されていた順天堂病院で、肺炎のため亡くなられました。享年82歳。
『横浜事件再審ネットニュース』にも「先生のお連れ合いが亡くなられてから、ずっと先生のお世話をしてこられた、同居している姪御さん御夫妻が、五月一日の朝申しわけなさそうにおっしゃいました。 |
昨年6月29日の富山再審集会での木下先生の発言の抜粋 木下でございます。 私は、富山さんの再審運動に以前は毎回関わっていた者ですが、最近体調を崩しまして、さっぱりお役に立てませんで非常に申しわけないと思っているのですが、今日はみなさんこんなにたくさんお集まり頂きまして、富山さんに代わりましてお礼申しあげます。先ほどビデオにも若干出てまいりましたけれども、わが国で現在、無実の罪で三十五年以上牢獄に囚われている方が三人いらっしゃいます。一人は波崎事件 の、富山さんと同じ姓ですが冨山常喜さん、もう一人は袴田事件の袴田さん、いまひとつは名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんです。この三人の方々に対する再審 は、開始される目処が立っていません。三十五年以上無実なのに獄中に囚われている、そういう歴史は世界のどこを探してもありません。こんなひどいえん罪の 起きている国は日本以外にないのです。 先ほどのビデオで阿藤周平さんがおっしゃっていましたが、八海事件で、阿藤さんが無実であるにも関わらず、無罪が確定するまで十八年もかかっている。こういう例も世界にはおそらくないだろうと思います。 富山事件について申し上げますと、再審請求をしてから八年間も、裁判所は何ら真剣な取り組みをしようとしないで来ました。こういう例は法治国家では日本 だけでございます。なぜこういうことが起こっているのか。それは裁判所が富山さんの無実を知っているからです。つまり、富山さんの再審を開始しなければな らないことを知っていながら、引き延ばしている。私も何回か富山さんと一緒に裁判所に抗議にまいりました。なぜこんなひどいことが行われているのかという ことに対して、一言も反論することができない。そのことからもわかると思います。 このようなわが国の再審裁判の状況を打破するにはどうしたらいいか。確かに、もっともっと富山さん無実の証拠を探して、ということが必要であることはい うまでもございません。しかし、このようにひどいわが国の再審状況を打破するためには、われわれがただ手を拱いて眺めているだけではだめだろうと思いま す。で、どうしたらいいか。再審裁判の開始を求める運動を、全国的に、あらゆる人々と手を組んで広めていくより他に方法はないだろうと私は考えておりま す。こういう方向に向けて、皆さま方のお力添えをぜひお願いしたいわけでございます。 (以下略) |
■木下先生を惜しんで 木下先生が亡くなられたと聞いた時、空虚感にとらわれた。「この間、会ったばかりなのに。まさか。」頭の中で最後に先生とお会いした場面が流れていくの を感じた。私は、その事実をすぐに受け入れることはできなかった。生あるものは、すべて限りがある寿命とわかっていても、信じたくない、受け入れたくな い、そう思う心が存在している限り理解するのに時間を要するものなのかもしれない。 私達かちとる会は、せめて先生のお顔を一目見たいと思ったが、先生の強い遺志で葬儀はなく御遺体は大学病院へ献体されたとのことだった。私達は先生の為 になすすべがないもどかしさを、ただただ噛み締めるしかなかった。最後の最後まで先生らしいと私は思った。 木下先生は数学者だったが、私が知る先生は多くのえん罪事件の救援に携わっておられました。特に、戦時下最大の言論弾圧事件といわれる横浜事件においてわが事のように心血を注いでいらっしゃった。 自身も横浜事件の被告とされ拷問にあった青地晨さんは、その著作『魔の時間』の中で「生ま身の人間は、あの息のつまる密室の中での拷問に耐えられない。 私は拷問に崩れた自分は恥ずしいとは思うが、もう一度、同じ条件の下で拷問された場合、こんどは立派に耐えて見せるという確信を私はもっていない」と自ら の体験をこう書いている。木下先生は、そのことを引用され拷問がいかに非人道的か、そしてそれによってでっち上げられた人達の苦しみを怒りをもって訴えて おられました。その横浜事件の第三次再審請求が今年四月一五日に再審開始決定が出され、先生もひとまず安心していた矢先だっただけに残念でならない。 私の中での木下先生を一言で語るならば、富山事件のビデオで語られているこの言葉である。「一番大きいショックといますと、私にとっては例えば島田事件 の赤堀さんが三五年間近く無実で牢獄に入っていた。その無実の人が三五年間刑務所に入っていたことに対して、日本の裁判官で責任をとった人間は一人もいな いということですね。これは本当に驚くべきことなので、日本の司法界が率直に言って、腐敗、堕落していると言わざるを得ない」。私は、この「今まで責任を 取った裁判官が一人もいない。これは驚くべきこと」だと言っているところに先生の価値観、正義感が感じられ木下先生らしさを強く感じる。 私達かちとる会は、木下先生から学ぶことは沢山あった。そして、これからもまだまだ学ばなければならない事は沢山あった。定例会においても、いつも適切 な助言をし私達を励まし続けてきてくれていた。最後の最後まで真実を追求する先生の姿勢は、私の模範だった。 今でも定例会に顔を見せ「今日も暑いですなあ。署名どうでした?」と笑顔で問いかけてきてくれそうな気がする。そうやって一緒に笑いあった日々が、未来 の時間を刻むことなく過去のものになってしまった。けれども、これからも先生のことは忘れずに大切にしていきたい。(うり美) |
亀・・・・・6 ふー。今日もなかな署名がとれない。署名が取れないから、更にやる気がでない。私と山村さんの周りにはドヨーンとした空気が立ちこめ ていた。そうなると、沈鬱な気持になる。どうやら富山さんも署名がとれてないようだ。横目で亀さんを見ると、なんと、またもや署名をとっている様子。久し ぶりの浦島亀は、今日も絶好調のようだ。 「明日の為の第四十歩目 |