タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.217(2006年10月15日発行)◎『異議あり!真実を踏みにじった再審請求棄却決定』富山再審集会
「再審の現状と富山再審・異議審の課題」(2)
中川孝博(龍谷大学教授)

大井町ビラまき報告

『異議あり!真実を踏みにじった再審請求棄却決定』富山再審集会

「再審の現状と富山再審・異議審の課題」(2)

   中川孝博(龍谷大学教授)

 前回に続き七月八日の富山再審集会での中川孝博先生の講演を掲載します。

2.富山事件再審請求棄却決定における明白性審査

①限定的再評価説or心証引継説の採用

この流れを踏まえたうえで、富山事件では、どういう判断方法がとられたかということを見ておきましょう。これもなかなか難しいです。一応、二つの仮説が成 り立つように思います。ひとつは、限定的再評価説、あるいは、さらに悪いですが心証引継説というのがかつてあったんですけれども、そのような考え方に基づ いて判断しているというふうに解釈できる可能性があります。
証拠構造分析なし、新証拠の証拠価値検討から入っている
と言いますのも、この富山事件の再審棄却決定というのは、まず、証拠構造分析もありません。形式的には確定判決というのはどういう証拠に基づいて有罪認定 をしているかということを最初に書いているんですけれども、そのひとつひとつの証拠がどう関連していて、そのひとつひとつの証拠がどれが重要で、どれが重 要でないか、といったようなことは全く書いてないですね。こういう証拠に基づいて有罪認定をしたとしか書いていない。その意味で非常に形式的なもので、あ まり意味がないものになっておりますので、証拠構造分析をしていない。
そして、その全体の証拠がどうなっているかを具体的に分析することなく、請求人が提出して来た一連の新証拠を直ちに取り上げて、その新証拠一つ一つを分断 して、一つ一つの新証拠について価値がどれぐらいあるかどうかというのを個別個別に判断しているわけであります。それの当然の帰結ということになりますけ れども、確定判決の事実認定というものを新たに見直そうというところがあまり見られなくて、実際に確定判決の事実認定を所与の前提、それを無条件に受け入 れるんだと考えているのではないかと受け取られかねないような表現を用いたりしています。

確定判決の事実認定を所与の前提に

例えば、浜田寿美男という、この集会でも講演されたんですか、その浜田寿美男さんが心理学鑑定を作っておられるわけです。その証拠について明白性を否定し ているわけですが、そこに、「確定判決が採用した証拠の信用性判断を揺るがす明白性があるとまではいえない。」、こういうふうに結論しています。自分自身 は、これは信用できないという言い方をしていないんですね。「確定判決が採用した証拠の信用性判断を揺るがす明白性があるとまではいえない。」、こういう ふうに言っています。つまり、確定判決の信用性判断を前提に、無条件に自分が受け入れたうえで、そのような判断が覆るかどうかを問題にしているようにも受 け取れる表現をしています。
このように考えますと、限定的再評価説で、今の最高裁の立場に立ったとしてもかなり狭い、再審をなかなか開かせようとしない方法をとっているというふうに解釈することもできるかもしれません。

②全面的再評価説の採用か?

ただ、一方、はっきり限定的再評価説に立つぞとは言っていないんですね。先程ちょっと紹介した大崎事件の高裁では、はっきりそう言っているんですが、この 事件でははっきり言っていません。その意味で、もしかしたら、全面的再評価説を維持しているのかもしれないなと思わせる、そういう目で見るとそういう書き 方もしていないことはないんです。例えば、30ページの最後の結論のところで、「新証拠と旧証拠を総合的に評価しても」というような言い方をしたりしてい ます。
そして、改めて考えてみますと、この証拠構造、形式的に見ますとこの事件の証拠構造自体はシンプルですよね。さまざまな客観的証拠が多数並んでいて、血液 鑑定とかですね、そんなさまざまなものがあるわけではなくて、基本的には6人の目撃証言ですね。それと現場に落ちていた鉄パイプの臭いですね。犬の臭気選 別の結果。この二つだけれども、その意味で証拠構造はシンプルで、ある程度分析しようにもそれほど分析的に書く必要がないと言えばないかもしれません。ま た、裸の事実判断を行なって、結果的に確定判決と同じ事実認定、やっぱり富山氏は犯人だという事実認定に到ったとするならば、結局、このような書き方をす るのが通常なんだろうな、今の実務の慣行に従いますとそういうふうにも思われるんです。
通常審の一審とか二審でも、有罪認定をする時には、まず初めに自分で心証を、有罪の心証を形成した過程を書いたうえで、その後、弁護人や被告人はこう言っ ているけれども、妥当でないんだとかなんたらかんたらと言ってですね、すべて切っていくというような書き方をする人がけっこう多いんですけれども、そのよ うな書き方に非常に近い形式になっているというふうにも思われるわけです。

いずれの仮説を採用すべきか?(異議審でどう戦うべきか)

さて、どっちなのかということなんですけれども、なんとも言えません。この決定書きの解釈というのは、手がかりがそれほど与えられていないわけですので、 どっちに立つかというのは、はっきりとは言えないと言えます。ただ、異議審でどう戦うべきかという点から考えますと、まずは、限定的再評価説的な方法を とって、なるべく再審の門を狭めようと考えているというふうに解釈できる余地はあるわけですから、その点においては全面的に批判しなければいけないだろう なと思います。これは白鳥・財田川決定に対する判例違反だというふうに主張しなければならないと思います。その必要性が高いと思います。
この事件だけではなくて、高裁、一定の下級審がこういった判断をとっている、それが結論において最高裁で受け入れられるというようなことが続きますと、後 続の事件に影響を与えたりしますので、この場は必ず叩いておかなければならないというふうに思います。
ただ、じゃあ、全面的再評価説に立てと言って立ったら、それですべては解決するかというと、やはりそれはそう簡単にはいかないということであります。仮 に、この再審棄却決定が全面的再評価説に立ったとしても、これは有罪という心証を形成したわけですから、実際に。かつ、そうじゃなかったとしても、じゃあ 全面的再評価でやり直せと言った場合に、次に担当する裁判官が、これは全面的に再評価したら無罪だというふうに思うかというと、必ずしもその保証はないわ けでありまして、単に方法論ですね、再審請求審の方法論、どういう判断方法をとるかについてだけ争うのではなくて、当然、全面的再評価説に立ったとすれ ば、どのような証拠評価を裁判官にさせるべきか、そこまで戦略を練らなければならないということになると思います。
本来は、有罪、無罪、裸の事実判断をするのは、繰り返しますがおかしいんですよ。これは再審請求審でありまして、裁判のやり直しをしていいかどうかの問題 なんです。やり直しそのものではないのです。で、私など学者の立場からはそもそも一連の最高裁決定自体を批判していますけれども、実務の中で、現に最高裁 がそういう判断方法をとっているという中で戦うためには、そのような判断方法に則っても、なお勝利しなければならないという重い負担が請求人には課せられ ているということであります。

3.争点に関する実務の現状

目撃証言を「証拠」とする再審の困難性

では、この富山事件が有罪、無罪の全面戦争にどうやって勝つかということなんですが、これは、非常に、率直に言って大変な思いをされるのではないかなと思 います。と言いますのも、これまでのさまざまな再審を開いてきた、死刑確定判決に対する再審が開かれて無罪になったような事例というのとはかなり違うんで すよね。つまり、客観的証拠がほとんどなくて、目撃証言一発なんです。先程言いました犬の臭気選別についても、確定判決自体は決定的な証拠と見ていないこ とは明らかで、各目撃証言の信用性を補強するようなものだというふうにしか捉えていない。と考えますと、鉄パイプの臭いだけを崩せたとしても、いや、決定 的な証拠は目撃証言であって、目撃証言が信用できる以上、確定判決は維持だというふうに言われる可能性が高い。となると、この目撃証言をつぶさなければな らないということになります。ところが、目撃証言について、客観的な証拠は残っていないんですよね。目撃証言について残っているのは、基本的には供述で す。公判段階の証言と捜査段階で作成された調書類、そして、それと関連する実況見分調書等ですね。それだけしかないわけです。それらのテキストが信用でき るかどうかがすべての問題になってくる。そうすると、このような人の供述が信用できるかどうかというのは、往々にして主観的な評価をされがちでありまし て、迫真性に富むとか、具体的じゃないかとか、実際に見ているからこんなふうに言えるんだとかですね、印象論で語られてしまうことが多いんですね。実際 に、それで有罪が維持されている事件が多いわけです。その現状に鑑みますと、その中で、要するに、あいまいな、主観的な印象を優先されてしまって、どんな にロジックで攻めても、一概にはそうは言えないという、いわゆる可能性の論理と言いますが、その可能性がないとは言えないというふうにすり抜けられてしま う可能性が非常に高い証拠しか、この富山事件は残っていないんですね。その中で戦うのは大変であるということを、改めて繰り返す必要もないのかもしれませ んが思います。

写真面割帳に関する判断等の現状(甘い判断に変化なし)

かつ、目撃供述に関しての判断は、必ずしも自白調書の信用性の分析などと比べると、自白調書の信用性分析も甘いところがかなりあるんですが、目撃供述の信用性判断となるとさらに甘くなるのが、現在の実務の現状と言わざるを得ない。
例えば、この富山事件では写真面割帳、一部、空白になっているんですね、空白になった最後のページあたりに富山さんの写真だけが多数、バッバッバッバッと 貼られてたりして、なんか富山さんを選んでくださいと言っているような写真面割帳になっていたりする。そのような写真面割帳というのは、人を暗示・誘導に かける可能性が高いので、そんなものによって、これが犯人ですと選んだって意味がないじゃないかというふうにも思われるんですが、そのような写真面割帳で も特に問題はないとされるのが実務の標準的レベルだと判断されるのが、今の実務なんですね。現に、こういった写真面割帳はちょっと問題があったけれども、 それほど問題とは言えないというふうに、富山事件の確定判決は言っています。その表現が、目撃供述の信用性判断のポイントとして例に引かれることも多いん ですね。この確定判決は、一種の先例になっているというところがあります。
そういった点に鑑みて、写真面割帳に関して、他の事件では現在どう判断されているのか。昭和50年代はともかく、現在はもうちょっと認識が改められている のではないかと思って、最近争われた事件などを七つ、八つ調べてみますと、やっぱり似たような写真面割帳が作成されていて、やっぱりそれほど問題がないと いうふうに多く裁判官が言っているわけです。その意味で、今の裁判官は、こういう写真面割帳が問題だとは思っていないということを前提に戦わなければいけ ないわけであります。
さらには、この事件の確定判決でも言われていることなんですが、写真面割帳が暗示・誘導の可能性がある、非常に問題のあるものだということが、仮に認めら れていたとしても、その写真面割帳に基づいて、富山さんの写真を犯人だと言ったその人自身に、実際に暗示・誘導効果が与えたのかどうかという、そこまで判 断を裁判官はしてきます。ですから、写真面割帳に問題があると仮に判断されたとしても、でも、この証人達は、はっきりとこうこうこういう理由でこれを選ん だと丁寧に説明していて、暗示・誘導の影響はなかったと言わざるを得ないというふうに判断されてしまうわけですね。そこで、写真面割帳に問題があるという だけでは裁判官は合理的疑いを抱かなくて、かつ、その暗示・誘導の効果がその一人一人の証人、一人一人にすべて影響を与えたんだということまで、こちらが 言わないと、説得しないと、認めてくれないという可能性が高いわけであります。その意味で甘い判断、現在、写真面割りに関する甘い判断に変化はないし、非 常に困難な状況にあるということです。

浜田鑑定に対する判断の現状

もうひとつなんですが、先程も触れましたけれども、浜田寿美男さんによる心理学鑑定、供述心理鑑定が、この事件でも新証拠として提出されています。この証 拠に関しては、ただでさえ、基本的には薄い決定書きなんですけれども、31ページしかありませんが、その中でも3~4ページ使ってですね、分厚く、浜田鑑 定がいかに使えないかということを力説しておられる。その意味でも、逆説的ですが重要視されているわけなんですが、この浜田鑑定に対する判断の現状、これ も見ておく必要があるように思います。
浜田さんは非常に有名な方でありまして、いろんな事件に関わって、いろんな鑑定をしていらっしゃいます。もちろん、浜田鑑定が通った、浜田鑑定に説得を受 けた裁判というのもあるわけです。甲山事件とかですね。が、再審に関わって提出されているものに関しては、ほとんどが浜田鑑定に抵抗を示すものばかりで す。これらの裁判官は供述心理学に対する抵抗が非常に強いと言わざるを得ません。
例えば、狭山事件におきましては、狭山事件においても浜田鑑定が出されたわけですけれども、これは引用したところの最後の2行ですが、「右は心理学の立場 からの一個の見解であるに止ま」って、「事実認定に影響を及ぼすに足る証拠であるとは認め難い。」というふうに言っています。
この富山事件では、これも最後の2行ですけれども、「鑑定経過に多分に推測の要素が入っていることなどに照らし、確定判決が採用した証拠の信用性判断を揺るがす明白性があるとまではいえない。」というふうに蹴られています。
袴田事件、これも蹴られているわけですけれども、この袴田事件においても、「浜田鑑定は、本来、裁判官の自由な判断に委ねられるべき領域に正面から立ち入 るものであって、およそ刑事裁判において、裁判所がこのような鑑定を命じるとは考えられないのである。その意味で浜田鑑定については、そもそもその『証 拠』性にも疑問があるといわざるを得ない。」とまで言われているわけです。非常に抵抗を示されているんですね、浜田さんは。浜田さんという人というより、 浜田さんの提出された分析結果に対する抵抗が強いですね。
このような一連の決定では、そもそも浜田鑑定が証拠と言えるのかどうかというふうに言っているわけですけれども、ただ、一応、証拠性を認めています。一 応、証拠性を認めていますし、実際に浜田鑑定にこういう問題があるということを簡単になんですが評価していますので、この証拠性について、富山事件につい ての完璧な論理を、武装の用意をしておく必要は必ずしもないのではないかというふうに思います。証拠性に疑問がある云々というのは、結局、簡単に手っとり 早く、浜田鑑定を採用しないというふうに書くためのレトリックに過ぎないと私は考えています。
いずれにしても、この浜田鑑定というのは、その方法に問題があると言われているわけですから、そのような方法に問題はないということを再審請求する側は説 得的に、補強的に主張しておかないと、簡単に蹴られてしまう可能性が非常に高いわけです。現に、富山事件でも請求棄却決定では簡単に蹴られてしまっている わけです。その意味で、蹴られない説得性というのをどうやって求めるか、これがひとつの大事な点です。

フィールド実験に基づく鑑定に対して

レジュメには書いてありませんが、他にも多数の心理学鑑定が、この富山事件では出されています。これらは浜田さんの供述心理学、公判調書や取調べ段階での 調書を分析したわけではなくて、実際に証人達が見たような状況で、果たして見えるのかどうか、そういったことを実験などをしたうえで検討されているものが 多いわけですが、これらもことごとく蹴られています。これらのフィールド実験と言いますけれども、フィールド実験に基づくものも、結局、一般的にはそうか もしれんが、この事件に関してはそうは言えないとか、実験しているようだけれども、その実験に到ったその状況というのは、実際の本件と違うじゃないかと言 うわけですね。あるいは、実験したらほとんどの人が犯人を当てられなかったというけれども、少しの人は犯人と当てているじゃないか。本件の証人もその中の 少数の一人なんだというわけですね。こういう言い方をバンバンされて、全部切られているわけですね。こういったふうにフィールド実験というのは、切ろうと 思えば、状況が違うとかですね、当てている人もいるじゃないかというので、簡単に切られる可能性というのは非常に高いので、簡単に切られないような準備と いうのを合わせてしておく必要があるようにも思われます。

 

大井町ビラまき報告

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大井町のYさんから

休載

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