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ニュースNo150(2001年3月1日発行)

 

●ニュースNo150(2001年3月1日発行)◎世紀を越えて ・・・今、八海事件を考える

大井町ビラまき報告

●阿藤周平さんから

 みなさん、お元気ですか。

八海事件が起きて50年になりました。当時、私は24歳でした。今、74歳になった私は50年前をふりかえり、権力に対しあらためて激しい憤りを感じています。

富山事件をはじめ多くのえん罪事件と言われる事件が起きている中、私たちはみなさんと共に闘ってゆかねばなりません。

この度、八海事件発生50年の集会が来る4月21日、広島において開催されることになりました。この八海事件集会を通じて、えん罪事件の恐ろしさを一人でも多くの人に知っていただきたいと思います。

八海50周年集会にみなさんの御支援を心からお願い致します。(阿藤周平 サイン)

死刑と無罪の谷間で ・・・ いまに活かす『八海』 ・・・

▼日時 4月21日(土)10時~16時
▼会場 広島YMCA国際ホール
▼主催 八海事件発生50周年記念のつどい実行委員会

八海事件は、今年1月24日に事件発生から50年を迎えました。

4月21日、広島市で、実行委員会主催による「八海事件発生50周年記念のつどい」が開かれます。

集会では、映画『真昼の暗黒』の上映、講演やシンポジウムが行われ、八海事件元被告の阿藤周平さんをはじめとする方々が発言されます。富山再審で鑑定書を提出してくださった浜田寿美男さん(花園大学)もパネリストとして発言されます。

富山保信さん、東京の「かちとる会」もみんなで参加する予定です。

富山再審集会

▼日時 6月30日(土)午後6時30分~
▼会場 きゅりあん 第二講習室 (品川区総合区民会館)
▼講演
阿藤周平さん(八海事件元被告)
原田史緒弁護士(富山再審弁護団)

再審請求(94年6月20日)から8年目を迎える6月30日、「かちとる会」は富山再審の開始を求めて集会を開きます(詳細は追って掲載)。

集会では、八海事件の阿藤周平さんとともに、昨年四月に弁護士になり富山再審弁護団に参加された原田史緒弁護士が初めて講演してくださいます。富山再審について、若い、瑞々しい感性で報告してくださることと思います。ぜひ、多くの方々の参加をお願い致します。

特集(その2)

世紀を越えて ・・・今、八海事件を考える

●阿藤さんとの出会い

 2月号の「かちとる会」ニュースにも書いていますが、私が初めて阿藤周平さんを知ったのは、1990年11月11日の「今、えん罪を考える・・・講演と映画の集い」という集会でのことでした。
当時、専門学校生だった私は、「えん罪」という言葉は書物などで知っていて、「表面的には幸せに見えるこの世の中で、一体どうしてこのような悲劇が生ま れてしまうのだろうか」と、私なりの問題意識を持っていました。しかし、「えん罪」と言っても私にとっては漠然としていて、実際にはそれ以上のことは何も 知らないという状態だったのです。
ある日、友人から、「えん罪事件に興味があるんだったら、行ってみたら」と偶然渡されたビラを見てみると、そこには八海事件を題材にしてつくられた映画『真昼の暗黒』の上映と八海事件で主犯とされた阿藤周平さんの講演と書かれていました。
私は、『真昼の暗黒』という映画がどういう映画なのか、はたまた八海事件がどういう事件なのか、その事件の被告とされた阿藤周平さんがどういう人なの か、そしてこの集会を準備した人々が支援している富山再審がどういう事件なのかまったくわからないまま、とにもかくにも、集会場である品川区の南部労政会 館に一人で出かけたのでした。
会場に到着した時、映画『真昼の暗黒』の上映中で、私が暗闇に一つだけ席を見つけ座りました。映画の終了後、司会の方から阿藤さんの紹介があり、隣に 座っていた男性が立ち上がり正面めがけ歩き出し、「みなさん、こんにちは。阿藤周平です」とあいさつしたので、私は「今まで隣に座っていた人が阿藤周平さ んだったんだ」と、びっくりしたのを覚えています。この集会で、私は初めて阿藤さんを知ることとなりました。
初めて知った阿藤周平さんの初めて聞く講演は、実に衝撃的なものでした。この人は、約18年間もえん罪に苦しめられてきた。死刑を宣告されてから、無罪 と死刑、裁判所の判断が両極端に分かれ、三度目の最高裁でようやく無罪が確定、死刑台からの生還を果たされた。それまでの18年間、一時も気の休まる時は なかったであろう人なのに、外見からはそれはとても想像できませんでした。しかし、ひとたび言葉を発すると、その端々からこの現実を生き、闘い抜いたとい う強さが感じられ、ますます驚かされました。
その頃の私は、自分が一番不幸だと勘違いしていました。阿藤さんの講演を聞いて、自分自身の甘さ、弱さ、傲慢さ、いろんな感情がごちゃまぜになって複雑 な気持ちになりました。もっと恐ろしい現実を突きつけられたような気がしました。現実からは、どうあがいても逃れられない。しかし、その逃れられない現実 を直視することができず逃げて逃げて逃げて、そんな日常の中にいた私にとって、阿藤さんの言葉は同じ人間が発している言葉とは思えないほど衝撃的で、心に しみこんでいく感じでした。えん罪を受けた本人にしか語ることができない気迫が次から次へと伝わってきました。
あの講演の中で阿藤さんが語られた「真実」という言葉。「私は何が一番くやしかったか、何に一番怒りを感じたかと言いますと、肉体を束縛された不自由で はなくて、自分の真実を踏みにじられた、自分の正しいことが通らない、国家権力がその真実を踏みにじってしまう、それへの憤りです」「私は一日たりとも国 家権力に対する憤りを忘れたことはございません。何がそういうふうに私をしたか。それは死刑にしたり、無罪にしたり、そういうことではなくて、国家権力が 私、私たちの真実を踏みにじったからなんです。だから、えん罪事件だったら刑期には関係ないんです。無実なら一日でも、一ヵ月でも、死刑でも同じなんです よ、真実を踏みにじられた怒りは。決して許すことはできない」という阿藤さんの言葉が実に印象的でした。阿藤さんは「真実ほど強いものはない」ということ を一番伝えたかったようでした。私にはない強さを阿藤さんに感じました。
それ以来、私は阿藤さんとも富山事件とも関わるようになったのですが、阿藤さんと話していると不思議と勇気が出てきて、前向きになれる自分がいます。単 純に言えば「信じて頑張れば必ず達成できる」ということを自らの体験から常に教えられているような気がするのです。だから阿藤さんと話をすると勇気をも らっているような気になります。
人は数多くの感動を、形はまちまちでも貰っています。それが本であったり、絵であったり、音楽であったり、人間であったりするのですが、人に勇気を与え ることができる人間というのはすばらしいと思うし、永遠を感じます。阿藤さんには、それと同じ何かを常に感じるのです。 (うり美)

 

証拠開示を! ・・・弁護団が東京高等検察庁と再度折衝

2月19日、富山再審弁護団は、証拠開示を求めて、東京高等検察庁の太田修(オオタ・オサム)検察官と折衝を行いました。弁護団からは、葉山岳夫弁護士、太田惺弁護士、小原健弁護士、黒田純吉弁護士、原田史緒弁護士が参加しました。

弁護団は、1998年7月に、東京高等検察庁に対して、目撃者の供述調書や捜査報告書、富山さんのアリバイに関係する証拠、富山さん の逮捕写真などの検察官が保管している証拠の開示を求めるとともに、警視庁に保管中の本件に関連する書類の一切を開示することを警視庁に指示するよう、 11項目にわたって申し入れました。

以来、弁護団は、3年半にわたって検察庁との折衝を繰り返し、また、裁判所に、検察官に対し証拠開示命令を出すよう折衝を行ってきました。しかし、検察官はいまだに証拠開示に応じていません。

今回の折衝は、新たに着任した太田検察官に対して、弁護団があらためて証拠開示について昨年12月に行った折衝(ニュース148号に掲載)で、検察官が「少し検討する時間がほしい」と求め、この日に行われたものです。

この事件の目撃者は「約40人」いるとされ、そのうち「34人」の供述調書があると、捜査責任者だった警察官が証言しています。公判で明らかになったのはこのうちの7人の供述調書だけで、他を検察官は隠し続けています。

弁護団は折衝で、検察官が開示していない目撃者の供述調書や捜査報告書の開示を特に強く求めています。

法廷で富山さんを「犯人だ」としたO証人のタクシーに乗っていて事件を目撃したK氏は重要な目撃者です。この人は新聞記者でした。弁 護団が捜し当てて話を聞いたところ、K氏は、犯人の容貌は「細面で青白いキツネみたいな男」、やせ型でガッチリした男ではなかったと話し、富山さんが身長 180センチもあると聞くと、「そんな大男じゃない。それだけは言える」と言い、富山さんの写真を見せると「こんな男じゃない」と否定しました。また、こ のタクシーにはK氏の姉も同乗していました。弁護団はK氏やその姉の供述調書や捜査報告書の開示を求めましたが、富山さんの無実を証明するこれらの供述調 書、捜査報告書の開示を、検察官は「必要性がない」と拒否しました。

また、一審で法廷に立ったI証人と一緒に事件を目撃したY氏の供述調書の開示も重要です。

I証人は、右0・3~0・4、左0・1~0・2程度の視力で、16・45メートル離れた「指揮者」を目撃しました。この条件で見ず知 らずの人物を目撃しても同一性識別は不可能であることを、昨年7月に弁護団が裁判所に提出した鑑定書が明らかにしています。I証言の信用性が否定された 今、一緒に目撃したY氏が何を供述していたのかは重大なことです。

ところが、検察官は、Y氏の供述調書の存在を認めながら、開示を拒否してきました。今回の折衝でも「必要性がない」と拒否を繰り返しました。

富山さんのアリバイに関する証拠のひとつに、警視庁が作成した「前進社の出入り記録」があります。

事件当日、富山さんは池袋にあった前進社にいて、午前11時から12時30分過ぎ頃まで、
・会場申し込み手続きについて日比谷野外音楽堂の管理事務所へ抗議電話をかけること、
・品川区の荏原文化センターの会場申し込み手続き、
このふたつの仕事のための打ち合わせをしていました。富山さんはこの打ち合わせの後、他の2名とともに午後2時30分くらいに前進社を出て、その前でタクシーを拾い、巣鴨駅の近くまで行き、そこから山手線で荏原文化センターに行きました。

事件が発生したのは午後1時5分前後と言われています。富山さんは事件が起きた時、品川区から遠く離れた池袋の前進社にいたのです。

当時、警察は前進社の斜め向かいにパトカーを止め、終日、前進社の出入りを監視していました。富山さんたちは、タクシーが停まるまで 前進社の前で素顔をさらしていました。全学連の書記局員であり逮捕歴もある富山さんは当然警察に知られており、警察がきちんと監視していたならば、富山さ んたちが午後2時30分頃前進社を出て、タクシーを拾ったことを現認し記録しているはずです。警察の記録の中に富山さんのアリバイを裏づける証拠があるは ずなのです。

しかし、今回、検察官は「警察の捜査状況に関する資料を開示するわけにはいかない」と開示を拒否しました。

逮捕写真は、事件にもっとも近い時期の富山さんの容貌を示しています。通常、調書に添付されていたりするのですが、本件では一切明ら かにされておらず、上告審で弁護団が証拠開示を求めたのに対して検察官は開示を拒否し、再審段階でも開示を拒否してきました。目撃者たちがどういう目撃を し、それをどう供述したのかが最大の争いになっている事件で、被告とされた富山さんの、事件にもっとも近い時期の容貌を示す逮捕写真を開示しないのは不可 解なことです。しかし、今回の折衝でも、検察官は再度「開示できない」と回答しました。

弁護団は、「必要性がない」「不提出記録は特別な理由がないかぎり開示しないのが原則」という検察官を1時間にわたって追及、反論 し、目撃者のK氏やY氏の調書や捜査報告書、富山さんのアリバイに関する記録、逮捕写真の開示の必要性を強く主張、結局、検察官は、逮捕写真について「も う一度考える」と再検討を約束せざるを得ませんでした。

検察官が保管している証拠は、検察官のためのものではなく、真実発見にこそ役立てられるべきものです。検察官はすべてを明らかにして公明正大に判断を問うべきです。重要な証拠を隠しつづける検察官のやり方を到底認めることはできません。

弁護団のたたかいとともに、「かちとる会」は証拠開示を求める署名運動を展開し、広く世論に訴えていきたいと思います。みなさんのご支援を心からお願い致します。 (山村)

証拠の全面開示と事実調べの実現を

(無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会・大槻泰生)

 富山さんが無実の訴え、再審を請求して相当の年月が経過した。福岡の検察官ではないが、自分の身内には甘く対応するけれど、自分たちが判決を行った事件は自己の体面上、まちがっていようとも、再審の審理をしないという考えが裁判所にあるように思えてしかたがない。
私は、最近になって、オウム真理教による「松本サリン事件」を思い出した。1994年6月27日、松本市でサリンガスが発生し、数多くの犠牲者が次々と 病院へと運ばれていく。その中に第一通報者である河野義行さん一家もいた。奥さんは意識不明の重体である。その後、捜査当局は、「サリンは素人でもつくれ る」「数多くの農薬や薬物を所有している」と報道機関に流し、マスコミも謂われのない噂をもとに、連日河野さんへの疑惑を報道し、犯人視する方向へと世論 操作を行った。警察は河野さんを犯人と決めつけて自白を強制する。しかし、河野さんは強く抵抗する。後にオウム真理教による犯行であると判明するわけだ が、それがなければ河野さんは犯人に仕立てあげられていたのではないか。これがえん罪の構図である。
狭山事件にしても部落差別が背景にある。八海事件にしても、甲山事件にしても、数多くのえん罪事件は皆、何が何でもあいつがやったんだと決めつけて世論をあおり、警察の面子にかけて逮捕するという手段をとっている。
富山さんに対する一審の無罪判決を覆した二審有罪判決は見せしめ判決であり、許すことができない。
私は、えん罪を防止する方法のひとつとして、証拠開示の全面保証を皆さんに訴える。

 富山事件には、公判に出された証人・証拠以外に富山さんの無実を明らかにする証拠があり、それを検察官は隠し続けている。
財田川事件では、事件から27年目になって開示された捜査報告書類が新規・明白な証拠として再審開始決定に重要な役割を果している。検察官手持ちの証拠が誤判・えん罪を明らかにし、再審の決定的証拠になったという。
こういう誤判の教訓を考えて、日本の人権状況を問い、変えていくたたかいに結びつけていこうではありませんか。
われわれに対する国家管理の強化など、人権が逆行する危険な動きは日増しに強まっている。改憲という時代に逆行する動きの中に、富山再審は重要な段階を 迎えたと思う。私は国際的な人権基準を視野に広げて司法の反動を許さず、証拠の全面開示と事実調べを実現する世論をつくることを皆さんに強く訴えます。

 二月の大井町での署名集めは、

3名

うり美

2名

山村

1名

富山

0名

「明日の為の十二歩目(数えまちがいがありました。三歩進んで二歩退がる)。地道な努力が万年雪を融かす。」という手紙とともに二千円のカンパを頂きました。ありがとうございました。

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ニュースNo149(2001年2月1日発行)

 

●ニュースNo149(2001年2月1日発行)◎世紀を越えて  … 今、八海事件を考える

年賀状紹介

大井町ビラまき報告

特集 その1

世紀を越えて  … 今、八海事件を考える

 八海(やかい)事件は、今年1月24日で事件発生から50年目を迎えます。八海事件の教訓を生かそうと、阿藤周平さんを始めとする方々によって、広島で記念事業を開催することがこの春に予定されています。「かちとる会」もこの企画に協力していきたいと思っています。
「二度とこのような誤判が起きないよう、特に若い人たちに八海事件について知ってほしい」とおっしゃっている阿藤さんの思いを受けて、「かちとる会」ニュースでも八海事件の特集を行っていきます。

●50年目の八海事件

  今からちょうど50年前にあたる1951年(昭和26年)1月24日。山口県熊毛郡(くまげぐん)麻郷村(おごうむら)字八海(やかい)で、瓦製造業を営 む老夫婦が惨殺され現金約1万6000円が盗まれるという事件が発生した。事件はあたかも夫婦げんかのあげく、妻が夫を殺し、その後首吊り自殺をしたかの ように見せかけていたが、殺人事件であるということを疑うものは誰もいなかった。

同月26日、警察は盗んだお金で遊郭に入り浸っていた吉岡晃(当時22才)を逮捕。彼自身は犯行を認めた。しかし、警察は、現場 の状況から吉岡の単独犯行であるはずがないとし、複数犯と決めつけ、仲間の名前を吐くよう吉岡を執ように責め立てた。その後、吉岡は主犯を阿藤周平さんと する他四名(うち一名はのちに釈放)の名前をあげることとなる。こうして、阿藤周平さんたちのえん罪との闘いが始まった。
この世にいう「八海事件」は、そもそも警察による見込み捜査の過ちから出発している。逮捕された阿藤周平さんは、警察による長時間にわたる拷問のすえ、罪を認めてしまう。
第一審の山口地裁判決は、主犯格に仕立て上げられた阿藤周平さんに死刑、他四名に無期懲役。この有罪判決以降、有罪―破棄差戻し―無罪―破棄差戻し―有 罪―破棄自判・無罪確定と、最後に最高裁判所が無罪を言い渡すまで七回の裁判を経て、17年9ヵ月にわたり有罪と無罪の間を行き来した。最高裁判所に三度 も行き「エレベーター裁判」と言われている。

八海事件の裁判経過
一審 二審 第一次
上告審
第一次差
戻審
第二次
上告審
第二次
差戻審
第三次
上告審
山口地裁
(1952.6)
広島高裁
(1953.9)
最高裁
(1957.10)
広島高裁
(1959.9)
最高裁
(1962.5)
広島高裁
(1965.8)
最高裁
(1968.10)
阿藤周平
死刑 死刑 原判決破棄
差し戻し
無罪 原判決破棄
差し戻し
死刑 無罪
稲田 実
無期懲役 懲役15年 無罪 懲役15年 無罪
松崎孝義
無期懲役 懲役12年 無罪 懲役12年 無罪
久永隆一
無期懲役 懲役12年 無罪 懲役12年 無罪
吉岡 晃
無期懲役 無期懲役
(上告取り下げ、無期懲役確定。服役)
 一度目の最高裁判決(第一次上告審判決)は、阿藤周平さんに対する死刑、その他三名に対する懲役刑を破棄し、広島高等裁判所へ差し戻した(吉岡は上告を取り下げ、服役した)。二度目の最高裁判決(第二次上告審判決)は、四名全員に対する無罪判決を破棄し、またまた広島高等裁判所へ差し戻しになっている。
同じ事件を巡って有罪と無罪に最高裁の判断が分かれただけに、マスコミと人々の注目をおおいに集めた。
一九六八年、裁判史上稀に見る三度目の最高裁判決が言い渡された。最高裁は原判決を破棄し、被告たちに無罪を言い渡した。異例の破棄自判。
「いつもなら、上告で破棄する場合でも、自判などせずに、いちおう下級裁判所に差し戻しにするのが通例である。犯罪事実の黒白に関する誤判を問題とする 上告に対し、書面審理を原則とする最高裁が、直接の審理もせずに、自判によって原判決を変更することは出すぎたことで、無謀だとさえいわれていたのであ る。
したがって、八海事件第三次上告審の場合、弁護側でも破棄して自判で無罪にすることは、希望としてはもっていたが、実際問題としては三度目の破棄差し戻しにされても満足すべきものと覚悟していたのだ」
と、その日の心境を弁護団の一人であった故正木ひろし弁護士は、自らの著書『八海裁判』で記している。

これで晴れて四人の無実は証明された。
広島拘置所にいた阿藤さんは、どんな気持ちでこの日を迎えたのであろうか。

 

「八海判決、ついに来た。この日を私は万感をこめて待った。
苦しい日々であった。
辛い日々であった。

昨夜は、なかなか眠れなかった。
うとうとしたと思うと目がさめ、まんじりとしない一夜、朝、暗いうちから目はぱっちり開いた。

無罪を受ける日、
絶対!無罪を信ずる。何だか胸がしめつけられる思い。

無罪。青天白日後のことを、あれこれと心に描く、この胸は高なる。
血わく。
私は信じて判決を待つ、無罪を確信する。     (午前一〇頃記)

私は最高裁の大法廷を瞼に描いてみる。
まるで手にとるようにして、大法廷のもようがわかるようだ。
午前一〇時三〇分、奥野裁判長より、おごそかに絶対的判決が言渡される。

奥野裁判長は、りんとした声で無罪を宣告されると確信する。
いま午前一〇時をすぎた頃であろうか。

女房が則生の手をひいて大法廷に入る姿を描いてみる。
まき子よ、まき子の心の中に私がいる。

青天白日
無罪判決の報を待つ。

刻一刻と判決言い渡しの時刻が迫まるにつれ、緊張は続く。

はりつめた心、
無罪を確信する心、
何とこうまで、私の心をとらえてはなさないのであろう。
十八年間血を吐き出すような真実の訴えが、今日後数分後に報いられようとしている。
天にものぼる気持である。神よ、正義をたれ給え。」

(阿藤さんの手記・・・佐々木静子著『もえる日日』から)

午前10時30分、最高裁判所第二小法廷・奥野健一裁判長が読み上げた判決文は、「原判決を破棄する。被告人らはいずれも無罪」だった。この無罪判決は、第二小法廷の裁判官五人全員一致によるものだった。
判決が言い渡された瞬間、法廷では、阿藤さん以外の三名の被告とその家族、そして阿藤さんの奥さん、弁護団が「よかった、よかった」と歓声をあげ涙を流していた。
この報はいち早く広島拘置所に届いた。阿藤さんは、一人独房の中で運命の時を待っていた。

「東京から拘置所へ電話があったんでしょうね。無罪判決がおりたから支度しておくようにと、すぐさまドアを開放してくれたんです。ただ、まだ正式な書面が来ないから。それまで整理しておくようにと言われて」(1998年9月5日、阿藤さん談)

主犯格とされていた阿藤さんの身柄はこうして解放された。その時、阿藤さん、42才。24才で逮捕されて以来、長い年月をこの裁判に費やしてきた。阿藤さんはのちにこう語っている。

「無罪判決までの時間は『重み』だった。人生としては、いい勉強になった。無罪判決から今までは、何をして生きてきたんだろうな あ。経ってみれば早い。でも、尾は引いている。今でも(八海事件のことを)言われることはあるし、忘れたことはない。ぼんやりしていると、昔をふり返る。 思い出すのはあの苦しみ。よく耐えられたなあと思う。孤独の中で生きてるんだけど、とにかく体の不自由とか自由を束縛されている以上の、それ以上の怒りを 持っていた。苦しみがあった。信用されない、真実が裏切られた、その怒りで生きてきたんじゃないかなあ」(1997年12月23日、阿藤さん談)

この八海事件を世に広く知らしめた映画がある。阿藤さんたちの無実を世の中に訴えた正木ひろし弁護士の著書『裁判官』を映画化した『真昼の暗黒』(今井正監督)である。
この映画によって、八海事件の真相が広範な人々の目に触れ、阿藤さんたちへの支援の輪が大きく広がった。
「この映画を見たという人から、一日に多くて50通から60通も、頑張ってくださいという激励の手紙が届い」たという(1997年12月23日、阿藤さん談)。
私がこの映画を初めて観たのは、富山集会(1989年11月)でのことだった。もう12年も前になる。集会開始時間より遅れて会場に入った私は、部屋が 暗くてびっくりした。ちょうど『真昼の暗黒』の上映の最中だったのだ。暗闇の中から一つだけ席を見つけそこに座り、映画を凝視していると、右隣に座ってい た男性が泣いているように感じた。私もこの映画を観ていて、こんな恐ろしいことが現実に起きたのかとまず驚き、次にえん罪をかけられた人たちの境遇を思い 悲しい気持ちになっていた。
この映画のラストシーンは、第二審・広島高等裁判所での有罪判決直後の面会で、被告の母が悲しみのあまり何も語れず、絶望に満ちて涙しながら面会室を出 ていこうとする後ろ姿に向かって、「おっかさん! まだ、最高裁判所があるんだ! まだ最高裁があるんだ!」と阿藤さん役の主人公が叫ぶシーンで終わって いる。阿藤さんにとっては最高裁判所が最後の砦であったに違いない。
映画が終わり、司会の方から「この映画の主人公である阿藤周平さんにお話をお願いします」と紹介があると、タイミングよく隣の男性が立ち上がった。私は 「トイレにでもいくのかな?」と思っていた。すると、その人は会場の正面に向かって歩いていくのである。そしてふり返り、「こんにちは、阿藤周平です」、 そうあいさつしたのだ。まさか、隣の男性が阿藤さんだったとは、思いもよらなかった。
この集会が縁で、私は今日、阿藤さんとも、富山事件とも関わることになった。
映画の中では、八海事件の持つそれぞれの人間模様が実によく描写されている。吉岡晃が単独犯から複数犯へ供述を変える場面、供述の変転、阿藤さんたちへの拷問、自白の強要、偽証罪のデッチあげ等である。

事件の起きた熊毛郡麻郷村字八海とは、どんなところなのだろうか。私は1999年に一度、足を運んでみたことがある。
現在、麻郷村字八海は田布施(たぶせ)町になっている。田布施町は山口県南東部に位置し、街の北西部は山岳地帯となっている。この山岳に源をなす小河川 が合流して八海川(現田布施川)となり、街の中央部を貫流し瀬戸内海に注いでいる。政治家岸信介・佐藤栄作兄弟宰相出身の地としても知られている。
映画では暗く描かれざるを得なかった街だが、私には瀬戸内の温暖な気候と豊かな自然に恵まれた開放感のある静かな街のように思えた。
さっそく八海橋に行って見る。すると、「この先の橋梁(旧八海橋)は老朽により全面通行止」の看板が立っていた。見るとすぐ側の国道188号線上に新八 海橋があり、その橋を車が次から次へと走り去っていく。旧八海橋では、男性が一人、橋の中央あたりで釣り糸をたれていたが、もはや、この橋を渡ることはで きないようだ。この八海橋を田布施町側から渡ると阿藤さんの住んでいた平生町となる。
私は八海橋を眺めながら、映画『真昼の暗黒』のあるシーンを思い起こしていた。
一人の被告の家族(母と叔父)が、平生町の方からこの橋を渡ってくるシーンである。
叔父に「清水(仮名=注)のおふくろさんは、裁判所でちゃんと罪が決定してるのに、いまだに『うちの息子は悪いことはしとらん、しとらん』とふれ歩いて いる。そんな暇があったら、たとえ線香の一本でも持って被害者の仁科さんち(仮名・被害者宅)に謝りにでも行く方が本当の人間の道だとな、みんなそう言っ ている」「やったとか、やらんとか、そんなことを言ってやせん。ただ、おまえらみたいに、裁判が間違ってる、検事がどうの、いや判事がどうの、そんな生意 気なこと言ってるより、線香の一本でも持って仁科さんちへ悔やみに行った方が世間の同情があるって言ってるんだ」と言われ、その叔父と母の二人で、被害者 宅に線香とお供え物を持って謝りに行こうとする場面である。しかし、母親は橋の途中までくると、急に立ち止まり、「やりもしないものを、どうして謝りにな んか」と言って、そのお供え物と線香を八海川に投げ捨て泣き崩れるのである。
映画の中でも非常に印象的だった場面だが、被告同様、家族もまた苦しみもがいていた。この母親は八海橋をどうしても渡りきることはできなかったんだろうなあと思いながら、私はこの地をあとにした。
(注・映画では、被告たちをはじめ名前はいずれも実名ではなく、八海橋も「三原橋」とされている。)

無罪が確定した最高裁判所の前で、正木ひろし弁護士はこう演説している。

「現在の司法権、裁判制度、そういうものをおいといていいかどうか、我々は単なる被告たちだけを救うのでなく、日本の文化のこう いった病気を、根性の悪さを、官権の横暴と、怠け者と、月給泥棒とを早くやめさせると、被告を苦しめた奴は恩給を取り上げると、場合によっては、司法殺人 の未遂者であるとして皆さんの国民裁判にかけるまで行かなければ本当の解決ではないということを申し上げます」
そして無罪確定から33年が経った今、果たして本当にえん罪事件はなくなったであろうか? 答えるまでもなく、いまだにえん罪は絶えることはない。にも かかわらず、警察官も検察官も裁判官も、「司法殺人」として裁かれた者は誰一人としていないのである。正木弁護士の指摘は、今日においても問われ続けてい る。
今年の1月24日、八海事件は事件発生から数えて半世紀となる。この八海事件の裁判記録を残そうとする動きが最近出てきている。
「『二度とえん罪を起こさないために活用してほしい』、故正木ひろし弁護士の手紙など『八海事件』をめぐる朝川広男さん(74才)収集の資料が21日広島大総合科学部の伊藤護也研究室に寄贈された」
(2000年1月22日/朝日新聞・広島版)(「かちとる会」ニュース137号に掲載)

これを受けて、広島では、この春にも、関係者の間で映画『真昼の暗黒』の上映や阿藤さんたちに体験を語ってもらうなどの記念事業を開催することを発表している。阿藤さんはぜひ若い人たちに八海事件のことを知ってもらいたいとコメントしている。

若い世代が昔話としてこの八海事件を聞くのではなく、現在(いま)の問題として認識していかなければならないのではないだろうか。そうでない限り時間の経過と共に忘れ去られることになると思うからである。

この春に行われる集会には、ぜひ私も参加したいと思っている。  (うり美)

かちとる会に来た年賀状から 1

かちとる会に来た年賀状から 2

 

かちとる会に来た年賀状から 3

 21世紀最初の大井町での署名集めの成果は、

 

4名
うり美
3名
富山
2名
山村
1名

でした。

 大井町のYさんから1月25日付で、
「明けましておめでとうございます。早々の年賀状ありがとうございました。
一月十四日の署名集め、寒い中ご苦労さまです。こういった地道な活動が必ず再審無罪につながることと信じています。
明日のための第十三歩目。」
というお手紙とともに2000円頂きました。

1月14日、大井町駅頭での私たちの署名集めをどこかで見ていてくださったのですね。お手紙を見てとてもうれしくなりました。ありがとうございました。 (山村)

 ご意見、お便り お待ちしています

  やっと双方向の態勢がとれました。ホームページを開設しながらメールアドレスが無いという奇妙な状態に終止符、どしどしお便りください。といっても御存知 のとおり「五十の手習い」でどこまでお応えできるか保障の限りではないというのが実状ですが、なんとか努力しますのでよろしくお願いします。なんて殊勝な ことを言っているが簡単にメールはこなせると思っているに違いない、といつも私をいじめるやさしい(!)女性達がのたまう声が聞こえるようです。叱咤激励 ではなく叱咤ばかりだなどといじけないで、素直に激励とうけとってがんばります。  (富山保信)

Eメール:  tomiyama@io.ocn.ne.jp

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ニュースNo148(2001年1月1日発行)

 

●ニュースNo148(2001年1月1日発行)◎今年こそ再審開始を!
証拠開示を求め、弁護団が検察庁と折衝 ・・・12月11日□大井町ビラまき報告

阿藤周平さんから

富山再審の開始を決定づける闘いを

 新しい年を迎え、新年のご挨拶を申し上げます。

昨年をふりかえって、富山再審の審理は何の進展もなく一年がすぎ去ったように思われます。再審請求を出して六年半が経過した現 在、裁判所の態度は何とも不可解でなりません。開かれた司法、迅速で公正な裁判が要求される今日、まだまだ裁判所と国民の間には大きな「ミゾ」があり、そ の「ミゾ」は深まるばかりのように感じられます。

今年は信頼できる裁判所に近づけ、誤判をなくす闘いに取り組む中で、富山再審の開始を決定づける闘いを進めてゆきましょう。昔の 「ことわざ」に「待てば海路の日和あり」というのがありますが、この意味はできる限りの尽力、闘いを強めてゆく先に見えてくる晴天であろうと私は思いま す。

2001年、富山再審の勝利の年にしたいものです。

皆様のご健闘をお祈りいたします。

1月1日

「かちとる会」の年賀状について 今回の年賀状のイラストは、以前にも描いて頂いたことのあるK・Mさんにお願いしました。年末の忙しい中、無理して描いて頂き感謝しております。
富山さんに大変よく似ていて、しかもかわいい絵で、富山さん本人も「もっとかわいいのに」と言いつつもご満足のようです。
もっとも、「頭を下げているようでちっとも下げてない。その態度の大きいところが富山さんそっくり」 という声もありましたが・・・。
いずれにせよ、今年はこのイメージキャラクターで行きたいと思いますので、どうぞ、よろしく。かわい がってやってください。

今年こそ再審開始を!

証拠開示を求め、弁護団が検察庁と折衝 ・・・12月11日

12月11日、富山再審弁護団は、東京高等検察庁に赴き、証拠開示について検察官と折衝を行いました。
以前、弁護団が検察庁に証拠開示を求めた時は、西正敏検察官が担当でしたが、その後、異動があったということで、今回は太田修検察官が応対しました。

 弁護団からは、葉山岳夫弁護士、太田惺弁護士、小原健弁護士、田中泰治弁護士、原田史緒弁護士が参加しました。事前に弁護士会で待ち合わせて、五人の弁護士がそろって検察庁に向かうところはやはり迫力があり、頼もしい弁護団だと思いました。
今回の折衝では、弁護団がこれまでの西検察官との折衝経過を説明し、引き継ぎはどうなっているかと聞くと、太田検察官は「西検察官に問い合わせたところ、証拠開示については開示しないということで回答済みということだった」と答えたそうです。
弁護団は、西検察官の回答は弁護人として納得できるものではなく、裁判所に対して証拠開示命令を求めている、また、西検察官の回答も「現段階では開示で きない」というものであり、その後、弁護団は新たに事実の取調請求を行うなど状況は変わっている、と目撃者の調書や逮捕写真など検察官が隠し持っている証 拠の開示を強く求めたとのことです。
特に、逮捕写真は、事件にもっとも近い時期の富山さんの容貌を示す写真です。通常、調書に添付されていたりするのですが、本件では一切明らかにされてお らず、上告審で弁護団が証拠開示を求めたのに対しても、検察官は開示を拒否しています。再審段階でも、西検察官との折衝において開示を求めましたが、検察 官は開示を拒否しました。

一体なぜ、検察官は逮捕写真を開示しないのでしょうか。

この事件は、目撃者の写真選別が争点になっています。法廷に立った目撃証人の、事件直後の供述は、富山さんとは違う「犯人像」で した。それが、捜査官の取り調べを経るにしたがって、富山さんに似た特徴を述べるようになり、富山さんの写真を「犯人に似ている」と選ぶようになります。
目撃者たちが事件の時にどういう目撃をし、それをどう供述していたのかが最大の争いになっている事件で、被告とされた富山さんの、事件にもっとも近い時期の容貌を示す逮捕写真を開示しないのはどうにも理解できないことです。
本来ならば、検察官にとって、逮捕写真など開示しても何ら不利益になることもないはずです。それを頑に開示を拒否するのは、富山さんの逮捕写真を開示す ると、検察官の主張にとってまずいことでもあるのでしょうか。もし、そうだとしたら、開示しないのは許せないことです。検察官の主張に沿った証拠は出す が、富山さんが「犯人」であることを否定する証拠は出さないというのはあまりにも卑怯なやり方です。検察官がそうではないと言うのならば、開示すればいい のです。そうすればすべてははっきりします。
この事件の目撃者は「約40人」いるとされ、そのうち「34人」の供述調書があると、捜査責任者だった警察官が証言しています。公判で明らかになった目撃者はこのうちの7人だけです。他を検察官は隠し続けています。

弁護団は折衝で、検察官が開示していない目撃者の供述調書や捜査報告書の開示も強く求めました。

法廷で富山さんを「犯人だ」としたO証人の車に乗っていて、事件を目撃したK氏という人がいます。この人は新聞記者でした。弁護 団が捜し当てて話を聞いたところ、K氏は犯人は、「やせて小柄で貧弱な男」 「細面で青白くキツネ顔の男」と話し、富山さんが身長180センチもあると聞 くと、「そんな大男じゃな い。それだけは言える」と言い、富山さんの写真を見せると「こんな男じゃない」と否定しました。
また、一審で法廷に立ったI証人と一緒に事件を目撃した人でY氏という人がいます。I証人は、右0・3~0・4、左0・1~0・2程度の視力で、16・ 45メートル離れた「指揮者」を目撃しました。この条件で見ず知らずの人物を目撃しても同一性識別は不可能であることを、昨年七月に弁護団が「事実の取調 請求書」とともに提出した鑑定書が明らかにしています。I証言の信用性が否定された今、一緒に目撃したY氏が何を供述していたのかは重大なことです。前任 の西検察官は、Y氏の供述調書の存在を認めながら、開示を拒否しました。

検察官といえども、「公益の代表者」として、真実を究明する義務を負っています。検察官が持つ証拠は、国民の税金で集められたものであり、ひとり検察官のためのものではありません。真実発見のためにこそ役立てられるべきものです。
これまでも再審無罪になった事件で、検察官が関係ないと開示を拒否し続けた証拠の中に、無実を裏付ける証拠があったという事例がいくつもあります。検察 官はすべてを明らかにして公明正大に判断を問うべきです。重要な証拠を隠し続ける検察官のやり方を到底認めることはできません。

折衝の最後に、弁護団は、25年間もこの事件をやっており請求人が犯人でないことは確信をもって言える、実体的真実発見のためにも開示してほしいと強く求めたとのことです。
太田検察官は「少し検討する時間がほしい」ということで、二月に再度、折衝を行うことになったそうです。
ー ジキャラクターで行きたいと思いますので、どうぞ、よろしく。かわい がってやってください。

昨年のたたかいのうえに、今年こそ、再審開始を!

昨年、弁護団は、新たな証拠である鑑定書やビデオ映像とともに「事実の取調請求書」を提出しました。裁判所とも折衝を行い、証拠 開示命令を求め、再審開始を強く要求してきました。検察官に対しても証拠開示を求めて粘り強く折衝を行ってきました。また、四月には新しく原田史緒弁護士 が弁護団に参加、再審開始を切り開く重要な力になってくださっています。また、新証拠となった鑑定書やビデオ映像は、富山再審開始につながる決定的な証拠 であり、これらを作成してくださった鑑定人の方々のご尽力なくして富山再審はありませんでした。
昨年十一月、多くの心理学者、法学者、法曹関係者の努力によって、「法と心理学会」が設立されたことも富山再審にとって大きなことでした。
弁護団のたたかいに連帯して「かちとる会」もたたかってきました。浜田寿美男さんや阿藤周平さんをお招きして集会を開き、富山再審を広く訴えました。大 井町やいろいろな集会でビラまき・署名集めを行いました。富山さんを先頭に東京高裁に申し入れを行い、集めた署名を裁判所に対して突きつけて再審開始を求 めました。また、「8・6ヒロシマ 大行動」をはじめとするいろいろな集会に参加し、富山さんの再審を訴えてきました。ホームページの開設も画期的な一歩 です。

こうしたたたかいを、阿藤周平さんをはじめとする「かちとる会」会員の方々、大井町の方々、全国の心ある方々に支えられ、えん罪や権力犯罪と闘う多くの方々とともにがんばってきました。
再審請求から6年半。積み重ねてきた成果の一切をかけて、今年こそ再審開始をかちとらねばなりません。

何よりも、裁判所に対して事実調べを求めていきたいと思います。弁護団が新証拠として提出した鑑定書を作成した鑑定人、新たな目撃者、アリバイ証人を取調べること、富山さんの本人尋問を行うことを強く求めたいと思います。
また、証拠開示も再審開始に向け大きなカギになります。証拠開示をかちとることは、裁判所をして事実審理を行わせ、再審開始に動かす大きな力になることは間違いありません。再審開始を求める署名とともに、証拠開示命令を求める署名運動を大きく展開したいと思います。

今年もまた、みなさんのご協力を心からお願い致します。 (山村)

 

富山さんから

あけましておめでとうございます。昨年はご尽力いただき大変ありがとうございました。

鳥取県西部地震の際にはお気遣いいただき、感謝しております。なにしろ奈良時代以来という大規模な揺れで、直後の電話回線が不通の時 には最悪の事態も覚悟しましたが、幸い〈ブロック塀全滅・家屋「半壊」ながら人間は無事〉に胸をなで下ろしました。まだ余震が続いており、「大地震に連鎖 傾向」「周辺で同規 模地震が続く傾向が強く」「双子の ように」という研究もあって安心できませんが、ひとまず小康状態。地域の復興も含めて課題は山積 しており、すべては「これから」というなかに置かれています。

様々な報道があったなかで、印象に残った事例をひとつ紹介させてください。

「銀行(破綻)は人災です。地震は天災です。人災(の犯人・金融資本)にはいくらでも(湯水のごとく、表向きだけでも60兆円も70兆円も)援助するのに、天災(の罹災者)は見捨てるのですか」

これは、NHKテレビの特集番組での、ある被災者の訴えです。まさしく今日の政治の核心を射抜いているのではないでしょうか。名指し で問われた鳥取県知事は大童で「前例のない援助」を引き出しましたが(危機意識では無能な島根県知事・澄田を上回る)、それでも焼け石に 水でしかありま せん。なぜこんなことになっているのかを、よく考えてみる必要があります。

少し前まで「日本(にほんである。これをニッポンという人間、特に自称左翼は信用しない方がよい。そういう輩が実際にいるのだから嘆 かわしい)の政治は三流だが、経済は一流だ」とまことしやかに語られ、 「世界に冠たる日本的経営手法」がデマゴーグや軽薄なお調子者によって喧伝されま した。しかし、それが通用したかに見えたのもわずかの間にすぎず、いまではドン底を這い回る「失われた10年」のあげくにいつ奈落に転落してもおかしくな い有様をどう説明できるのでしょう。おまけに、かろうじてぶら下がっている「クモの糸」ともいうべきアメリカ経済のバブルもいつ破綻するかという状態で、 破局のはてに待ち構えるものを戦慄しながら見据えざるを得ないのが実状です。日米安保新ガイドラインにもとづく一連の悪法強行と人民の抵抗の根絶をめざす 「いつか来た道」「新たな戦前の始まり」、規制緩和、政治改革・行政改革・司法改革、憲法改悪の行き着く先は天皇ヒロヒトを頭目として2千万人をうわまわ るアジア人民を虐殺するとともにみずからも350万人をこえる犠牲をだした「すぐる大戦」の再現にほかなりません。日本が日本であるかぎり悪政は必然であ り、悪政のもたらす犠牲は天災の比ではないのです。

この厳然たる事実の重みをみすえ、「いつか来た道」から人間が人間らしく生きられる社会の建設への転換をかちとる21世紀の幕開けを富山再審実現・無罪をもってきりひらくべく全力で走りますので、よろしくお願いいたします。 (富山保信)

新年のひと言

 21世紀最初の年を迎えるにあたって、みなさんから「ひと言」を頂きました。

木下信男さんから 今度の「東電OL殺人事件」控訴審判決(12月22日)は、世紀末の暗黒裁判の実態を白日の元に明らかにしました。特に、一審無罪を逆転有罪としたことは、憲法39条【一事不再理】に明瞭に違反する恐るべき、裁判官の犯罪であろうと思います。
犯罪の証明の有無が、有罪無罪の判決と同義語であることは、刑訴333条と336条から知られます。同事件の一審判決が、無罪であったことは、適正手続 (憲法31条)によって判断したにも拘わらず、犯罪の証明がなかったことを意味します。であるなら、控訴審の有罪は、明らかに刑訴336条に違反する、違 法な判決であると言わなければなりません。
わが国で法律を守らない、つまりアウトローの人種の最たる者は、裁判官であると言うことができます。わが国の刑事訴訟は、平野龍一元東大学長が言ったような「かなり絶望的」どころではなく、正に「全く絶望的」なのです。
富山事件も【一事不再理】に違反する典型的に違法な控訴審判決とその確定でした。
富山再審裁判を勝ちとることは、わが国の絶望的な刑事裁判を打破し、真の法治国家となる決定的に重要な闘いであろうと思います。
21世紀こそは、必ずこの闘いに勝利するという決意を新たにいたしましょう。(木下信男)

うり美さんから 今年の書き初め  坂本さんから 再審開始が20世紀中は無理だったのは残念。21世紀中なんてことは言ってられない。
(労働)組合やってた時は、当局とは「なんだ、うるせえ、このやろう!」で済んだけど、裁判はそうはいかないみたいだね。
でも、今年は巳年だから、必要な時はいつでもパクッと噛みつく気概、毒を持っているぞという勢いで、ぜひとも再審の門戸を開かせよう。(坂本さん談)

土屋翼さんから 再審裁判、国賠裁判等には、証拠の全面開示が必要不可欠である。このことが、世論になっていないこと自体が問題である。また、日本の資本主義社会をささ えた、「年功序列」「終身雇用」「企業内組合」は、前2者は資本、権力の外からの圧力で崩壊しはじめている。後一者「企業内組合」は、派遣、契約、アルバ イト、パート、再雇用、雇員、嘱託・・・(インド人もビックリのカー スト制度)と内部から崩壊している。そのことに、組合役員はもちろん、一般組合員も ほとんど無自覚である。(余談だが、徴兵制がなかったことも日本の資本主義社会を強くささえている。)
これらに共通する、通底する「ながいものには巻かれろ主義」をなんとかしなければ、再審、国賠の展望は暗いと思う。とりあえず、いま論議されている「司法改革審」に再審、国賠は、参審・陪審にせよという運動も必要かと思う。(国賠ネットワーク・土屋翼)

大槻泰生さんから 闘いに明け、闘いに暮れた2000年、富山再審闘争も幾多の困難な状況を一歩一歩切り開きながら2001年を迎えました。
そして、今年、私達がやらなければならないことは、大胆に、検察庁は全証拠を開示し民主的かつ公正な裁判態勢を実行せよと要求することではないでしょうか。
目撃者の証言が食い違うという状況にも関わらず有罪判決というのは、権力のやり方に反対する者は何が何でも見せしめのために有罪にする、公権力の権威を守るために有罪にする、という考えがあるのではないでしょうか。
一人の人間を犠牲にしてのほほんとしている社会状況を私達が見つめ直すことではないでしょうか。三宅島の噴火後、島の人々が全員脱出して無人島になって いる悲惨な状況であり、島に帰るにしても仕事もないし、復旧作業もむずかしい、そのような事を私達は対岸の火事みたいに見てはいなかったでしょうか。狭山 事件など数多くのえん罪事件にも、他人事と数多くの人達は関心を持たないし、国鉄労働者への国家の不当な首切りをはじめ、労働法の改悪、大失業と大恐慌の 時代の中での労働者の首切り、成田空港の平行滑走路建設をめぐっての国家権力による無法な暴力行為等々は、自分に関係はないと考えている人々がいかに多い ことか。これが富山さんをはじめ数多くのえん罪裁判の被告が苦しみ、そして解決が遅れている原因だと考えるのはまちがいなのでしょうか。
今年度、自公保政権は、国民の負担軽減という名目で、その実、権力者に権限を集中させ、天皇のためにいつでも死ぬことのできる国づくり、戦争政策をめざ して、自己の野望達成の行政改革方針を打ち出しました。しかし、自分達に都合の悪い司法制度の改革は骨抜きに、つまり官僚主導の司法制度は温存、助長しよ うと必死になっています。私達は、三権分立と言われ、民主社会だと言われている社会に、阻まれている国民参加の司法制度実現をめざして闘っていこうではあ りませんか。
証拠開示は常識であるというのが世界の流れではないでしょうか。21世紀は、私達の幸せを勝ちとる年にしなければなりません。そのために、自覚を高めて、証拠開示の闘いを困難であろうと闘いぬいていこうではありませんか。(大槻泰生)

中島健さんから いよいよと言うべき21世紀です。多くのやり残しの一つが富山再審です。アメリカでもムミア・アブ・ジャマルの再審要求と死刑執行ナンバーワンのブッ シュ就任反対の闘いが1月20日から強力に始まろうとしています。アメリカと日本、支配者階級の法を私物化するまでの腐敗を弾劾し、新たな発展期を迎えた 労働運動・市民運動の力で人類史の新世紀を真に切り開きましょう。(無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会・中島健)

亀さんから 1994年6月の再審請求から丸6年半、いつしか21世紀に突入した。その間、裁判長は何度も交代し、現在の仁田裁判長で四人目、その都度、最初からや り直しの連続であった。それぞれの裁判長は必ず、多くの裁判を抱えており忙しいことを理由に富山さんの再審は後回しにし、無責任に交代していった。
1975年1月の逮捕以来、26年の間、富山さんの無実の叫びを警察、検察、裁判所は踏みにじってきた。
検察官は未だに富山さんが無実である証拠を隠しつづけている。隠された証拠は山ほどある。
21世紀への突入にあたって、真実がいかに強いものであるかを必ず明らかにしてみせる。私にとって富山再審開始・再審無罪をかちとった時、20世紀は本当に終わりとなる。(亀)

山村から 時々、山に登る。といってもハイキングに毛のはえた程度の山歩きにすぎない。それでも、山のいいところは、登り始めたらどんなに辛くても、もういやだと 思っても、結局は前に足を踏み出すしかないところだ。下界のようにタクシーを拾うわけにはいかない。一歩踏み出すしか解決しない。四の五の言うよりも踏み 出す一歩が意味を持つ。そして、小さくともその一歩が確実に頂上への一歩になっていく。それがいい。
数年前の年末、再審請求をする前だったと思うが、うり美さんと奥多摩にある雲取山に登った。初日の出を拝み、富山再審の開始、再審無罪を祈願しようというわけである。
大晦日の朝、新宿駅を発ち、鴨沢から奥多摩小屋まで登り、1泊して翌早朝、雲取の山頂で初日を待つという計画だった。
初めての「登山」にしては、うり美さんはりっぱに頑張って奥多摩小屋には予定時刻に着いた。着いてまもなくあたり一面の霧となり、夕方からは吹雪という 天気だったから、小屋の炉の火にあたりながら胸をなでおろした。その夜は零下15度にまで下がり、ふとんの間のシュラフにもぐってもまだ寒気がしのび込ん できて眠れなかった。
それでも朝は、初日の出を見に毎年集まるという常連の人々とともに起き、山頂へと向かった。昨夜の天気は嘘のように晴れ、夜明け前の星が瞬いていた。歩 き始めてまもなく他の人々に遅れて最後になったが、このまま行けば、日の出には十分間に合うという時間ではあった。
問題はここからだった。山頂は左手前方、遠くに見えていたが、右に捲き道の案内板が立っていた。朝が苦手な二人はここまででけっこうバテていた。多少時 間がかかってもなだらかな捲き道を行こうか、ということになり、右手の林の中に踏み込んだ。雪の中に足あとが続いて道ははっきりしているし、迷うことはな いと思ったが、これが失敗だった。歩いているうちに、なぜか道がだんだん下って行くような気がするのだ。おかしいな、おかしいなと思っているうちにどんど ん下って行く。
引き返そうか、でも今から引き返したら日の出に間に合わない、行くしかないかな、どうしよう、と迷っているうちに、木々の間に朝の光が広がっていく。

そして、ついに「あーぁ、昇っちゃった・・・」。

しかも、そのうちに人間の足跡は消え、うさぎの足あとだけが雪の上に点々と残る。これはヤバいと思ったが、しかし、初めてのうり美さ んの手前、動揺を見せるわけにはいかない。ここまで来たら行くしかない。もう初日の出なんかそっちのけで必死に歩いた。うり美さんも必死についてきた。や がて、前方に屋根が見えて来た。それは雲取山荘だった。私たちは雲取山荘に向かう道を行ったのだった。
しかも、捲いたと思ったのはとんでもないことで、雲取山荘まで下った分、そこから頂上までは本来の道を倍する急登だった。うり美さんは死にそうな顔だった。申しわけないと思いながらも励まし、励まし、やっとの思いで頂上に着いた。
すでに太陽はすっかり昇っていた。先を行った人々はなんで今ごろ来たんだろうという顔をしていた。
うり美さんが言った。
「なんか富山再審の未来を暗示しているみたい」
「いいじゃない、とにかく頂上に達したんだから」・・・初日の出だけが朝日じゃない、陽はまた昇る、毎日昇る、と開きなおったが、心の中では、新年早々、前方に暗雲を見たような気がした。以来、「再審請求から○年」と言うたびにこの時のことを思い出す。
でも、途中であきらめないで、最後まで頑張って頂上に着いたんだから、大丈夫。あれは再審の困難さを表していたのであって、私たちはそれを克服して頂上に立ったのだから、大丈夫。
2001年、21世紀最初の年。再審請求から6年半が経過した。
一歩一歩確実に前へ。結局、これしかない。今年こそ、再審開始へ!絶対、頂上へ!
というわけで、今年もよろしくお願い致します。(山村)

 12月、20世紀最後の大井町での署名集めは、

山村

3名

うり美

3名

2名

富山

0名

 12月25日に、
「明日のための十二歩目(無罪というプレゼントを二十一世紀に勝ちとれるようにメリー・クリスマス)。 二十世紀から二十一世紀へ歩み続けましょう。」というお手紙と2000円頂きました。
ありがとうございました。

Miさんから
「いつも『かちとる会』ニュースをありがとうございます。すぐに全部読みたくなる内容です。一日も早く事実取調を実現させるよう微力ながらご支援させてください。カンパ送ります」というお手紙とともに1万円頂きました。
ありがとうございました。

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ュースNo147(2000年12月1日発行)

 

●ニュースNo147(2000年12月1日発行)◎「法と心理学会」設立総会、開かれる

大井町ビラまき報告

11月4日~5日 「法と心理学会」設立総会、開かれる

 11月4日~5日、「法と心理学会(The Japanese Society for Law and Psychology)」の設立総会が、京都の龍谷大学で開かれた。

この「法と心理学会」は、日弁連・刑事弁護センター主催の「目撃証言研究会」で研究を積み重ねてきた法曹関係者、心理学者、法学 者を中心とする方々によって準備されてきた。昨年12月、「法と心理学会」設立準備企画として、シンポジウム「目撃供述ガイドラインの提言」が慶応大学で 開催され、その後の準備を経て、この日の設立総会となったものである。
この日も全国から、心理学者、法学者、弁護士をはじめとする150名以上の人々が集まった。富山再審弁護団からも葉山岳夫弁護士が参加し、富山さんと山村も参加した。

「法と心理学会」は、その設立趣意書で、
「法に関わる出来事は優れて人間的現象であります。そして心理学はその人間的現象の解明を目的とした科学です。その意味で法学にとって心理学的知見はき わめて有用であり、心理学にとっても法という領域は生きた現実の問題を扱う魅力的な分野です。しかし、日本においては今日まで法学と心理学の研究交流は極 めて限定的なもので、その関係は必ずしも密接ではありませんでした。私たちは具体的なケースに関わる中で、法学と心理学との隔たりの大きさに驚くと同時 に、互いの距離を埋める努力の必要性を強く認識するに至りました。
諸外国に目を向ければ、法学と心理学とが広範な領域で積極的に研究交流を展開し、組織的な研究基盤も確立されており、社会的な役割を果しています。日本 においても、このような学際的な研究交流と研究活動の組織化は緊急の課題であり、早急に実現する必要があると考えます。ここに『法と心理学会』を設立する 目的があります」としている。
さらに、これまでの準備過程で目撃証言などの問題を取り上げてきたが、今後は、基礎的な研究に加えて、多くの現実的な諸課題にもアプローチしていくとのことだった。
欧米では、心理学と法学の間での共同研究が積み重ねられて来ている。心理学者が目撃証言の信用性について法廷で証言することもある。しかし、日本ではよ うやくその端緒が開かれたばかりである。特にこうした領域についての裁判官の認識は遅れている。こうした中で今回、「法と心理学会」が設立されたことの意 義は大きく、実際の裁判にも大きな影響をもたらすものになると思った。
「目撃証言研究会」の中心的なメンバーであり、「法と心理学会」設立に向けても尽力され、今回の設立総会で理事長になられた浜田寿美男さん(花園大学教 授・発達心理学)は、富山再審請求時、鑑定書「富山事件目撃供述についての心理学的視点からの供述分析」を提出してくださった方である。
また、「法と心理学会」設立過程で、研究者の方々が作成に取り組んでこられた『捜査段階における犯人識別のためのガイドライン(目撃供述ガイドライ ン)』は、富山事件の確定判決の軸である「写真面割りの正確性を担保するための基準(七つの基準)」を真っ向から批判するものになるため、弁護団も私たち も注目し期待してきた。
10月の東京高裁第三刑事部との折衝で、弁護団は裁判官に対して「現在、日本でも心理学者、法学者、法曹関係者の間で、目撃供述についてのガイドライ ン、つまり、目撃供述を証拠とする場合のルール作りが進められている。裁判所もそうした知見を取り入れてもらいたい」と「法と心理学会」の動きに触れて申 入れを行っている。

大会は二日間にわたって開かれ、第一日目は、設立総会、記念講演やシンポジウムが行われ、「法と心理学会」設立の目的、意義が確認された。
二日目は、口頭発表(心理学者や法学者からの研究発表)と記念講演、さらに各テーマごとにワークショップが開かれた。
口頭発表の最初に、足立昌勝さん(刑法)が「富山事件判決の刑事法学的検討」と題して発表を行い、続いて、富山再審で実験に基づいた鑑定書を提出しているHさん(認知心理学)が「富山判決の心理学的検討」と題して発表を行った。

「富山事件判決の刑事法学的検討」

以下、足立さんが発表されたものの要旨を紹介する。

 富山事件は、一審の東京地裁では無罪であったものが控訴審で有罪とされた。なぜこのように異なった判決が出たのか。二つの判決が異なったのは、目撃者の証言をどのように判断するか、目撃証言の評価および写真面割りによる同一性識別の評価に起因している。
公判で明らかになった7人の目撃者の供述には大きな変遷と齟齬がある。当初、富山さんとは違う特徴を供述した目撃者が取調べを経るに従って、富山さんの特徴を述べるようになる。これは単なる記憶違いなどでは説明のできない変遷である。
一審判決が、「目撃者らは、事件後まもなく作成された供述調書では、犯人について必ずしも一致した特徴点を指摘していなかった。にもかかわらず、目撃者 はいずれも、その後、捜査官による事情聴取や写真選別、被告人の面通し等による犯人の特定の過程を経ていくうち、被告人と犯人の同一性に対する認識を深 め、検察官の取調べ段階では、一様にその同一性に対して相当強い確信を供述するにいたっており、また、それと歩調を合わせるかのようにして、目撃した右犯 人について、概ね共通した特徴点を指摘するようになっている」「これらの供述の信用性には、かなりの疑問が残り、これをそのまま採証の用に供することはで きないものと言わざるをえない」と結論づけている点は重要である。

これに対して控訴審判決は、「写真面割りを中心とする犯人の同一性識別の結果の一致」でもって、富山さんに有罪判決を下した。しかし、捜査官による暗示・誘導等、何らかの力が介在したことが考えられる目撃者の供述の変遷、齟齬については何の説明もできていない。
一審判決における詳細な検討が、控訴審判決においていとも簡単に崩されてしまっている。どうして、このような現象が起きるのか。それは刑事訴訟法の原則 である自由心証主義に起因しているように思われる。自由心証主義といっても、裁判官が主観的、恣意的に証拠を評価することを許しているものではない。証拠 の評価は客観的であり分析的でなければならない。
控訴審判決は、写真面割りの正当性を担保するものとして、「7つの基準」をあげている。いろいろと問題がある「基準」だが、特に、警察内部で行われたこ とについての正当性を担保するものは「警察は正しいことしか行わない」という“神話”でしかない。しかし、真に写真面割りに正当性を求めるとすれば、写真 面割りを警察以外の独立した第三者機関で行うか、写真面割りに客観的な第三者が立ち会う方法を改良する以外には無理と思うが、確定判決はその点に全く言及 していない。

足立さんは、発表の途中で、演壇に富山さんを招き、「彼はこのように身長が180センチもあり、体格もガッチリした男である。し かし、目撃証人は、当初は身長165センチ、やせ型、中肉などと言っていた。これが富山さんのこととは誰が見ても思えないと思う」と紹介してくださった。
そして、「富山事件の控訴審判決には多くの問題が内在している。この判決は被告人とされた者の人権を蹂躪するものである。このような控訴審判決を目の当 たりにして、自由心証主義を担っている裁判官の心証形成過程に関する心理学的分析こそが必要不可欠であろうということを指摘して、私の報告は終わりたい」 と結んだ。

「富山事件判決の心理学的検討」

以下、Hさんが発表されたものの要旨を紹介する。

 14年ほど前に、富山事件の弁護団の方が私の所に来て、事件をまったく目撃していない人でも富山氏の写真を選ぶ のではないか、これについて客観的に調べてもらえないだろうかと依頼された。それまで、裁判というのは畑違いのことだったが、始めてみるとこの事件はまさ に心理学的問題のデパートという感じだった。
実験は、本件の写真面割りに使われた写真を使って、事件についてまったく知らない被験者に、事件についての簡単な説明をし、写真選別を行わせた。
四人組が被害者を襲ってメッタ打ちにした、この四人組の犯人のうち指揮者とみられる一人が他の三人を現場で指揮していた、この指揮者とみられる犯人は男 性で、他の三人の犯人が被害者をメッタ打ちしている際、自分では手出しをせずにあたりの様子をうかがい、ころ合いを見て退却の指示を出し、他の犯人ととも に逃走した、こうした説明を被験者に行った。
犯人像については、当時伝えられていた、黒縁メガネをかけて、目つきが鋭く、あご骨が張っているという指示を与えた。 そして、本件で目撃者に提示され た198枚の写真のうち、正面と横向きが対になった逮捕写真で、黒縁メガネをかけている写真24枚を取り出し、この中から選んでもらった。被験者の回答は、113番の富山氏の写真に集中した。こういう写真構成がはたして正しいものであるかどうか疑問に思っている。相当バイアスがかかった写真選別ではないかと思う。
もうひとつ、ストレス場面の特殊性という問題がこの事件にはある。この事件では、凶器が使用され、撲殺という凄惨な事件で、複数犯、という三つの特徴がある。
ストレスの効果については、中心的事物へ注意は集中するけれども、周辺的なものにはあまり注意が向かわないという研究がある。それは有効視野が狭窄化す るのではないか、つまり、認知できる範囲がかなり絞られて狭くなってしまうのではないかということに関心を持ち、実験を行った。
ストレス場面を含んでいるものと含んでないもの、二種類のビデオをそれぞれの被験者に見てもらい、それぞれ画面の周辺にある数字に気づくかどうかという実験を行った。
その結果、凄惨な場面、つまりストレス場面のビデオでは、数字が出たことにすら気づかない、ましてやどういう数字だったかはわからないという実験結果が得られている。

本件でも、中心的事物、つまり凶器とか犯行そのものに注意が向いて、周辺的事物、少し離れて立っていた「指揮者」には注意が向かないだろうと考えられる。
そこで、東京都内のある私立大学のキャンパスを借りて、公訴事実をもとに事件をできるかぎり忠実に再現するという再現実験をやった。
四人の犯人が被害者を追いかけて走って来る。そのうちの三人が持っていた鉄パイプで被害者を殴る。被害者は倒れ込んで血を流す。これは、実際に血のりを 作って、脇の下に入れてぐっと押すと血が流れるというのをやった。指揮者は、少し離れたガードレールの所に居てあたりを伺っており、最後に「やばい、逃げ ろ」と指示して逃げて行った、というのをプロの劇団の人に演じてもらい再現した。 それを撮影したビデオをもとに実験をした。

本件は、事件から三日目に写真面割りが行われたということなので、直後の写真選別と三日目の写真選別の実験をした。
写真選別に用いた写真は、三名の殴打犯、指揮者、被害者を含む63名の写真で、全員同じ服装、63名のうちメガネ着用が32名、無着用が31名、32名 の中にはビデオに出てきた指揮者が含まれており、31名の中には3名の殴打犯、被害者が含まれている、という構成の写真帳である。
写真選別の結果、正答率はおおむね低かった。特に、指揮者については正しい回答を選ぶ率が非常に低い。
また、混同の誤答というのがあった。指揮者として殴打犯の写真を選択するとか、他の写真を選んでしまうことがあった。殴打犯として被害者を選択する割合が28名中6人もいた。混同誤答が起こってくるというのがひとつの特徴だった。
こうした実験から、本件については、情報の取り入れ段階に問題があったと指摘できる。ストレス下の認知において有効視野が狭窄化する、しかも、凶器が使われているということで凶器あるいは殴打犯に注目を促すことになったのではないかと考えられる。
もう一つ、写真面割りに使われた写真の公正さに問題があるのではないかと考えられる。事件を目撃していない人でも被告の写真を選択する傾向があるというのはそういうことだ。
つまり、情報の取り入れ段階と検索の段階、あるいは決定の段階、その両段階において本件は問題をかかえている。

富山再審にとって、「法と心理学会」の設立第一回大会で、富山再審についての発表が行われたことは、他に代えようのない大きな意義がある。発表のためにご尽力くださった足立先生、H先生には心からお礼申し上げたい。

「捜査段階における犯人識別のためのガイドライン(案)」

4分科会に分かれたワークショップでは、富山再審にとって深い関わりのある「人物同一性識別手続きの現状と課題」と題する企画があり、私たちはそこに参加した。
このワークショップでは、『捜査段階における犯人識別のためのガイドライン』作成の現状と課題が報告され、討論が行われた。

最初に福島大学の岡田悦典さんから、『ガイドライン』の趣旨が説明された。

『ガイドライン』は、捜査官は、「目撃者の取調べの目的は、当該人物が有している情報を正確に取り出すこと以外にないことを理解 し、誘導・暗示等を与えないように注意しなければならない」と指摘、「供述聴取手続き、および識別手続きのすべては可視化されなければならない」「供述聴 取や識別手続きに入り込む誘導・暗示の効果は、微妙なものであるだけに、目に見えるかたちでの客観的記録が必須である。そして、公判において目撃にかかわ る証拠評価に争いが生じた時は、犯人目撃供述が聴取された過程、また被疑者の同一性識別の手続き過程にかかわる証拠がすべて開示され、検討の資料として当 事者に提供されなければならない」としている。この点はきわめて重要だと思った。
また、『ガイドライン』は、「犯人目撃供述の聴取には当該事件に関する情報を有していない人物が当たらなければならない」としている。「当該事件に関す る情報を有していない人物」とは、例えば事件の担当者以外の取調官などで、そのうえで『ガイドライン』は「将来的には、捜査機関とは別に、犯人識別供述聴 取などを専門とする第三者機関が関与することがさらに望ましい」としている。
その他、供述聴取の手順や記録の保存についても、『ガイドライン』では細かい規定がなされている。
識別手続きについては、他の証拠から被疑者が特定されている場合には、原則としてラインアップ(複数の人物を用いた実物による同一性識別)を行うべきと しており、それが不可能な場合は、次にビデオテープを用いたラインアップを行うべきで、写真選別(複数の人物の写真を用いた同一性識別)は、前記二つの方 法での識別手続きが不可能な場合にのみ用いられるべきものと、写真選別の危険性を指摘して制限を設けている。

被疑者が特定されていない場合、つまり目撃者の提供する情報によって被疑者の絞り込みからはじめなければならない場合(富山事件 もこれにあたる)でも、「この場合の写真面割りは、あくまでも被疑者の絞り込みのための一手段であり、これを識別手続きと考えてはならない」としている。
作成した写真帳のなかに目撃者が目撃した人物が含まれていない可能性も多くあり、「その場合、写真帳の中から目撃者が、『この人だ』とか『この人に似て いる』として特定の写真を選別したとしても、それは目撃者が目撃した当の人物であるとの証明にはならない。写真の場合には実在の人物を用いているために、 選んだ人物が目撃者の目撃した人物であると思いこんでしまう危険性が、モンタージュ写真や似顔絵(これは明らかに作り物との認識がある)以上に高いことを 警戒しておくべきである」と指摘している。
写真面割りで使われる写真帳の構成、提示方法についても、『ガイドライン』では、詳しく規定されている。

『ガイドライン』についての報告を聞いて、供述聴取や識別手続きのすべては可視化されなければならないとしている点、公判におい て、目撃証拠の評価に争いが生じた時は、これらの過程にかかわる証拠がすべて開示され、検討の資料として当事者に提供されなければならないとしている点、 識別手続きはラインアップが原則であり、写真面割りは識別手続きとして位置づけられてはならないとする点、単独面通しを行ってはならないとしている点な ど、非常に重要な提起だと思った。
『ガイドライン』は、富山事件の確定判決の「基準」などとは比べものにならない、具体的で、精緻で、配慮されたものになっている。
目撃供述を証拠とする場合のルールについては、あらゆる点で日本は欧米に遅れているが、こうした点が改善されれば、誤判の数は確実に減るはずである。

岡田さんの提起を受けて、静岡大学の田淵浩二さん(刑訴法)から、『ガイドライン』とこれまでの裁判例の比較検討が行われ、富山事件の確定判決も紹介された。

控訴審判決と『ガイドライン』の比較

次に、東京学芸大学の高木光太郎さんから、富山事件の控訴審判決と『ガイドライン』の比較検討についての報告が行われた。
高木さんは最初、確定判決の「基準」について紹介し、その後、現在作成中の『ガイドライン』の内容との比較検討を行った。
確定判決が抽象的な言いまわしに終始しているのに対し、『ガイドライン』は「提示される写真は五十枚程度」等と具体的に提起されていることが指摘された。
そして、写真帳は、当該事件の知識を有さない者による作成であること、写真を目撃者に提示する時、頷くとかするだけでも目撃者に影響を与えることになる ので、そうならないよう配慮しなければいけない、また、なにがなんでも選ばなければならないと強要するものであってはならない、としている点を指摘した。
さらに、必ず確信度、目撃者がどのくらいそれが確かだと思うかを、五段階とか、なんらかの形で確信度としてつけるべきだとしている点を指摘した。
そして、『ガイドライン』が富山事件の確定判決と決定的に違う点として、面通しで、生の人が並ぶラインアップがベストであって、次にベターなのがビデオ であって、それがどうしても出来ないという時に写真を使うべきだとしている点、つまり、写真による面割りは最後の最後の手段としている点を指摘した。この 点は、諸外国の実例や法学、心理学の研究成果からみて確実に言えるとのことで、『ガイドライン』のこの部分には、写真面割りというのは基本的にやらないで 済むならば、やらないでほしいという気持ちが込められていると述べた。
さらに、単独面通しについては間違った識別が圧倒的に多くなり、識別のルールではないと考えている、これは絶対禁止すべきだ、と強調された。
『ガイドライン』は、事後的検証のために何をするのかという立場があり、写真帳作成過程の記録化、写真帳の保存、選別過程をビデオ等で記録するよう求め ているとし、これらは『ガイドライン』では主張されているが、富山事件の控訴審判決では全然言及されていない、と指摘した。

次に、千葉大学の黒沢香さんから、イギリスにおける同一性識別についての報告がなされ、最後に、大阪教育大学の菊野春雄さんか ら、記憶研究から見た目撃証言に関する心理学的研究の可能性として、「誤った目撃証言を『予防、診断、治療回復』という側面から、吟味することの必要性」 について報告があった。

『ガイドライン』は、これからさらに検討を加え、誤った識別によるえん罪を防ぐものとするとともに、捜査にも役立つものをめざすとのことだった。
控訴審判決の柱である「写真面割りの正確性を担保するための基準」が、世界の水準に比べておよそ基準たりえないことを、再審請求で弁護団は明らかにして きた。今回の『ガイドライン』は、控訴審判決の「基準」が、いかにデタラメなものであるかを誰の目にもわかる形で示している。確定判決に対する痛烈な批判 となるものであり、富山再審にとって決定的な意味を持つものになる。その完成が期待される。弁護団も、「目撃証言研究会」等を通して『ガイドライン』作成 にともに協力していく考えであり、『ガイドライン』が最終的に確定した段階で、裁判所に新証拠として提出したいとしている。

会場の龍谷大学のキャンパスにある本館は、国の重要文化財に指定されている明治時代の建物であり、他にも歴史を刻んだ味わいのあ る建物が並んでいて、美術館にいるような会場だった。また、大会が始まる前には隣接する西本願寺の国宝・飛雲閣も特別に見学することができ、遅い紅葉も始 まっていて、ちょっぴり“秋の京都”を楽しむことができた。
しかし、それにしても、第1日目は午前11時30分受付開始で、そのまま午後8時まで、次々とプログラムが続き、その間、休憩時間は10分ずつ二回、第 二日目は午前8時45分に受付、9時から口頭発表が始まり、記念講演や総会と続き、最後のワークショップが終わったのは夕方5時30分を過ぎていたという 密度の濃いスケジュールだった。
富山再審にとっても、きわめて重要な「法と心理学会」設立総会であり、大変充実した二日間ではあったが、「学会」というものがこんなにもハードだとは思わなかった、というのも感想のひとつである。 (山村)

 

11月の大井町での署名集めは、

8名

うり美

3名

山村

3名

富山

0名

で、計14名でした。

 署名を始めてまもなく、二人連れの女性が立ち止まり、「まだやっているんですか」「前に署名したことがあるけど、裁判はその後、どうなっているの」と聞いてきた。
この間の経過を説明し、裁判官が代わり新たに署名を出したいので、もう一度お願いしますと頼んだら、こころよく応じてくれ、「再審って大変ですね。裁判ってそんなに時間がかかるものなの」「がんばって」と言って立ち去った。
出足がよく、その後も次々と署名してくれる人がいた。以前に署名してもらった人も何人かいた。みんな再審がどうなっているか気にしてくれてうれしかった。 (亀)

 「明日のため、第十一歩目。急に寒くなり、冬になりました。暖かくして行動しましょう」という手紙とともに2000円頂きました。ありがとうございました。

 

編集後記

  ニュースの発行が遅れに遅れて、大変申し訳ございません。絶対に合併号にはしたくない、こうなったら執念で出す、というわけで、11月、12月号をほぼ同 時に出すことになってしまいました。これが届くのは2001年の初めになると思いますが、一月号の準備は整っていますので、次号からは定期発刊に戻せると 思います。

21世紀もよろしくお願い致します。

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ニュースNo146(2000年11月1日発行)

 

●ニュースNo146(2000年11月1日発行)◎・・・弁護団が東京高裁と折衝

大井町ビラまき報告

直ちに再審開始を!
裁判所は証拠開示命令を!
・・・弁護団が東京高裁と折衝

 10月4日、富山再審弁護団は、東京高裁第三刑事部と折衝を行いました。折衝には、仁田陸郎裁判長、角田正紀裁判官(右陪席)、半田靖史 裁判官(左陪席)が出席、弁護団からは葉山岳夫弁護士、太田惺弁護士、小原健弁護士、原田史緒弁護士が参加しました。
折衝で弁護団は、7月31日に「事実の取調請求書」とともに提出した鑑定書、ビデオ映像等の新証拠について説明を行い、これらの証拠を取調べ、再審を開始するよう求めました。
提出した鑑定書やビデオは、確定判決が「本件目撃証人中最も良質の証人である」とするI証人の信用性を覆すものです。I証人の目撃状況(視力が右0・ 3~0・4、左0・1~0・2で、16・45メートル離れた未知の人物を目撃)では「顔の識別は不可能」であることを明らかにしており、「指揮者」とされ る犯人が富山さんと同一人物であるとするI証言を否定しています。
さらに、弁護団は、検察官が開示を拒否している証拠について、裁判所が開示命令を出すよう申入れました。
本件では、約40人の目撃者がいて、そのうち34人の供述調書があるとされていますが、検察官はそのうち7人の供述調書しか開示していません。特に、I 証人の目撃供述の信用性が新証拠によって大きく揺らいだ今、I証人と一緒に事件を目撃したというY氏の供述は大きな意味を持っています。しかし、検察官は このY氏の供述調書の存在を認めながら、開示を拒否しました。
また、事件から一番近い時期の富山さんの容貌を示す逮捕写真も検察官は開示しようとしません。逮捕写真を開示して何が不都合なのでしょうか。通常なら、 公判資料として提 出されるはずの逮捕写真を検察官が 隠し続けるのは、何かまずいことでもあるのかと疑われてもしかたありません。
弁護団は、再審請求をしてから6年以上が経過しているが、折衝に来るたびに裁判官が代わったり、時間 がなくて記録を見ていないと言われてきた、無実を 訴えている請求人本人にとっては納得できるものではな いと、富山さんの無実を明らかにするために一刻も早く審理を進めるよう強く求めたとのことです。
弁護団のたたかいに連帯して「かちとる会」も再審開始・再審無罪に向け全力で頑張ります。再審開始に 向け、証拠開示が状況を打ち破る大きなカギとなり ます。証拠開示を求める署名運動を大きく広げていきた いと考えています。ぜひともみなさんのご支援をお願い致します。 (山村)

すべての証拠の開示を!

富山さんが再審を請求して相当の年月が経過しています。数多くの支援者の方々に支えられてがんばっている彼を見ていると、遠く離れ、しかも年を重ねている私に何ができるのかを考えてしまいます。
私が一番この問題に執着しているのは、検察側が出した目撃証人すべてが、事件直後は富山さんの人物像とはまったく違った「犯人像」を供述していることです。
だから、私は、検察側が彼を「犯人である」とする証拠だけでなくすべての証拠を提示してほしい、私たち一人一人が事の真実というものについて誠意を持てる裁判をしてほしいと訴えてきました。
今、日本では、再審無罪を勝ちとることは非常にむずかしいようです。狭山事件でも再審が棄却され、異議申し立てに対してもいまだ結論を出そうとしていま せん。えん罪事件も、「松本サリン事件」や愛媛の誤認逮捕・起訴事件のように、跡を絶っていない状況です。市民にとっても無縁ではありません。
今、司法改革が言われるなかで、私達は富山事件や狭山事件のようなえん罪・誤判をなくし、不当な司法制度・裁判を変えていくためにどのような考え方を持つべきかを本気で考えなければなりません。
裁判官の人権教育・証拠開示の保障・代用監獄の廃止など、日本は世界の中でも遅れている国です。弁護士の経験のある法律家から裁判官を選ぶ法曹一元化も やるべきだと思います。それは、「捜査段階での自白 をたやすく信じて、これを覆すことは容易ではない」と自白に依存したが故にえん罪・誤判をしてしまっ たある裁判官の話でもわかると思います。
同僚裁判官の判決を覆すことのできない日本、陪審も参審制度もない日本、検察官が証拠隠しを続け平然としている日本、これが先進国だと言われていると考えたら恐ろしくなります。
「天皇」への忠誠を作り出す「日の丸」「君が代」法の成立、教育基 本法の改悪、国鉄労働者への国家による不当な首切り・組合差別を頂点とする労働法の 改悪、そして大失業と大恐慌によって労働者は苦しめられています。また、国がやらなければならないお年寄りなどへの福祉政策を切り捨て、人頭税とも言うべ き介護保険料の徴収、こうしたことで福祉そのものはさぼり続けています。そして、周辺事態安全確保法なる日米安保条約による戦争協力法が成立したことに よって、一歩一歩きなくさい軍靴の足音が近づいています。戦争への道が近づけば近づくほど、人権は無視されていきます。人権が無視されるようになれば、戦 争に突入することは過去の歴史が証明しています。私はそうしないために全力で闘いぬいてまいります。
富山さんへの弾圧は私達一人一人にかけられた敵権力の攻撃であり、彼はねらい打ちされた一人ではないでしょうか。 (大槻泰生)

署名取るのは初体験

 国賠ネットワーク

 土屋 翼

大井町駅頭にたって、早々に十代の女性が署名をしてくれた。

「生まれて初めて署名をもらいました」と間抜けな挨拶をしてしまったのだ。

さて昨年の8月、広島で富山さんにたまたま出会い、広島を案内してもらったのだ。定番のお好み焼き屋で「署名活動に参加します よ」が一年余後、実現したのである。それも二回も約束をホゴにしてしまってからである。面目ない。一度目は、近所の子供達との「タコ焼きパーティー」の約 束を失念していて、二度目は大杉栄の墓前祭の案内が間近にきて、参加予定のMさんとは来年は会えなくなる可能性もあるので(Mさんは高齢である)、約束を キャンセ ルしたのだった。それゆえ今回は、「行きます」の通知なしでの参加であった。
当日、富山さんは鳥取県の実家が地震の被害にあって不参加であった。残念。
富山組三人衆はたまた三羽烏と小生の4人で定刻の12時開始。
「富山さんは無実です」「再審の 署名をお願いします」と前後のゼッケンと呼び掛けとビラまきで奮闘すれども、40分で3人の署名であった。
後半は50代以下の男性中心に声をかける。学生を除いて、男性はうつむき加減で急ぎ足の人が多い。人のふりみてと反省させられる。
ターゲットの間違いもあり、後半の20分で1人の署名とトータル4名であった。集約結果は3名、4名、5名、6名と小生は下から2番。初陣としてはヨシ とした。50代以上の女性が一番署名してくれそうというのが実感であった。また身体障害者の人にビラを渡そうとしたら「障害者は関係ない」と拒否されてし まった。なにも言えなかったのだが、次回はしっかりと説得しよう、納得させようと思った次第である。
知恵ある人は知恵を、金のある人は金を、力のある人は力(汗)をと運動を支援する形には幾つかある。小生、知恵も金も無いので力(汗)を出した次第で す。また新しい人の参加はズーッと支援している人に元気を与えると確信して参加しました。まだ未体験の方は是非参加してみてください。
がんばっても、1時間で緊張感が無くなりますので、1時間がマックスです。得るものは沢山あります。是非体験を。

 

◆ ありがとうございました

この間、何人もの方から署名やカンパ、手紙を頂きました。思いがけないお便りに大変励まされます。勇気と元気をありがとうございました。もちろん、署名もカンパもとってもうれしいです。ありがとうございました。

◆ 大井町のYさんから
「新しく協力者が現れましたね。(会報読みました。よかった、よかった)
元気づけられたようです。明日のために第十一歩目。」
という手紙とともに、2000円ふり込んでいただきました。
「新しい協力者」とは、8月の定例会に、3月の集会に参加された品川区の方が来てくださったものです(9月号のニュース参照)。

◆ 愛媛県の方から
愛媛県の方からこの間、続けて署名を送って頂きました。
「8・6ヒロシマ大行動」の集会に参加した時まいた署名用紙で送られてきていますので、集会に参加された方なのだろうと思います。
今回も、5名の署名を頂きました。

◆ 杉並区の方から
「皆様の御苦労に敬意を表します。僅かですが年会費としてお送りさせて頂きます。富山様はじめ皆さま方の御健勝をお祈り申し上げます」
という手紙とともに会費を振り込んでいただきました。

◆ Yaさんから
「日毎に寒くなるようです。お元気ですか。いつも会報をご送付いただき、ありがとうございます。
切手を同封いたしました。通信費に使っていただければ、と思います。
署名集めにも厳しい季節となります。くれぐれもお体にはお気をつけください」
という手紙とともに切手を頂きました。

みなさん、ありがとうございました。(山村)

 今回の大井町ビラまきには「国賠ネットワーク」の土屋翼さんが応援に駆けつけてくださいました。

 署名集めは、

亀・・・ 6名
土屋・・・ 4名
うり美 ・・・3名
山村 ・・・5名

でした。

富山さんは、鳥取県西部地震で被害を受けた実家のお手伝いのため不参加。うり美さん曰く「富山さんがいれば、私がビリにならなかったのに・・・」。
それでも、亀さんを別にすれば、「1」や「0」の数字が並んだ前回、前々回に比べて“圧倒的”でした。
長くやっているとどうしても惰性に流されそうになりますが、新しい人が参加してくださると俄然やる気になるものです。土屋さんの姿を見たとたん、パッと 気分が明るくなり、ピッと背筋が伸びました。ちょっとした気分の差なのでしょうが、ゲンキンなものです。
土屋さんからその時の原稿を頂きましたので掲載します。
土屋さん、いろいろとありがとうございました。(山村)

 「新しく協力者が現れましたね。(会報読みました。よかった、よかった)
元気づけられたようです。明日のために第十一歩目。」

という手紙とともに、2000円ふり込んでいただきました。
「新しい協力者」とは、8月の定例会に、3月の集会に参加された品川区の方が来てくださったものです(九月号のニュース参照)。

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ニュースNo145(2000年10月1日発行)

 

●ニュースNo145(2000年10月1日発行)◎弁護団が新たな証拠を提出、事実の取調べを求める

大井町ビラまき報告

■弁護団が新たな証拠を提出、事実の取調べを求める

 7月31日、富山再審弁護団は、富山さんの再審が係属している東京高裁第三刑事部に対し、「事実の取調請求書」を、鑑定書、ビデオ映像等の新証拠とともに提出、これらの証拠を取り調べることを求めました。

今回、提出したビデオや鑑定書は、一審の法廷に立ったI証人の目撃状況(視力が右0・3~0・4、左0・1~0・2で、16・ 45メートル離れた未知の人物を目撃)では相手がどういう人物か認識することは不可能であることを明らかにし、「指揮者」とされる犯人が富山さんと同一人 物であるとするI証言の信用性を否定するものです。

弁護団の「事実の取調請求書」は、「確定判決が『本件目撃証人中最も良質の証人である』としているI証人の目撃証言は、科学的実 験の結果と相反し、信用することができず、I証人を事実認定の核心にすえた確定判決は決定的誤りをおかしている」と指摘、新証拠を取り調べて直ちに再審を 開始することを求めています。
今回提出したビデオは、事件のあった10月3日に近接した時期に、大井町の事件現場で、I証人の目撃状況に合わせて撮影したものです。
さらに、この映像を使って実験を行い、鑑定書を作成してもらいました。ビデオを被験者に見せ、写真選別が可能かどうかを実験し、I証人が目撃したような状況では、「顔の識別は不可能」であることを鑑定書は明らかにしています。
I証人は法廷で、細かい目鼻だちまで詳細な証言をしていますが、今回提出したビデオ映像を見ると、I証人が目撃し認識した「指揮者」が、目鼻だちなどとてもわからない状態のものだったことがはっきりします。実験の結果もこのことを裏づけています。

■確定判決の誤り・・・視力

I証人は確定判決が言うような「良質の証人」では決してありません。

I証人は一審で証言しましたが、法廷ではI証人の視力が大きな争点になりました。

I証人は、事件のあった1974年10月3日の直後の員面調書(74年10月8日付)で、「右0・6、左0・2」と供述しています。そして、一審の法廷では「片方は0・3、片方は0・7」と証言しました。
弁護団が調査したところ、勤務先の健康診断の視力検査で、1977年4月段階で「右0・3、左0・1」、1979年3月段階で「左右とも0・2」と判定 されたという記録が残っていました(残念ながら、事件のあった年の1974年の健康診断の記録はありませんでした)。I証人は事件当時メガネを使用してい ましたが、事件を目撃した時にはメガネをかけていませんでした。
弁護団は、I証人の視力は、「犯人」を認識できるようなものではなかったのではないかと考えました。事件直後には「右0・6、左0・2」と供述していた のを、法廷では「片方は0・3、片方は0・7」と視力を上げているのも不自然です。I証人が、事件直後には「30~35歳位」と供述していたのが、捜査官 の取り調べを経るに従って、「28~29歳位」、「25~28歳位」と変え、法廷では「27、8歳」と富山さんの年齢(事件当時26歳)に近づけていって いること、身長についても「165~170センチ位」としていたのを、「170センチ位」「大柄」と変えていることをも考え合わせると、I証人の証言は疑 問を抱かせるものでした。
弁護団は、I証人が事件当時使用していたメガネがどの程度の視力の場合に使われるものか調べるよう裁判所に求めました。裁判所が検証した結果、「右眼用 レンズは0・3又は0・4、左眼用レンズは0・1又は0・2程度の各裸眼視力を矯正するのに用いられる」ものであることが明らかになりました。事件当時の I証人の視力は、せいぜい「右0・3または0・4、左0・1または0・2」を越えるものではなかったことは明白です。I証人は事件に遭遇した時、メガネを かけておらず、その証言を考えるうえでこの視力は大きな意味を持っています。
視力についてのI証人の証言は、客観的なデータに基づくものではありません。I証人の証言よりも、健康診断の記録やI証人が事件当時使用していたメガネのレンズの検証に基づいた結果の方が客観的な証拠です。
ところが、確定判決は、こうした客観的な証拠を無視し、何の裏づけもないI証人の法廷証言を採用し、「I証人の視力はおよそ0・3と0・7の近視であった」としているのです。なぜ、法廷証言を採用するのかその根拠は一切示されていません。

■確定判決の誤り・・・目撃距離

さらに、確定判決が「認定」したI証人の目撃距離も大きな問題があります。

I証人は捜査段階(75年1月17日付検面調書)で、犯人までの距離を「15ないし20メートル」と供述しています。この調書に添付された現場見取図や実況見分調書に添付された現場見取図(74年10月7日付)によれば、その間隔は約17メートルになります。
一審無罪判決の後に、再度、警察はI証人を事件現場に立ち会わせて、自分が居た位置と「指揮者」が居た位置を特定させ、それを計測しています。計測した 結果は16・45メートルと実況見分調書に記録されています。検察官は、この実況見分に基づいて控訴趣意書でI証人の目撃距離を16・45メートルであっ たとしています。
ところが、確定判決は、「(I証人と)川崎実業前歩道にいた指揮者とみられる犯人までの距離は約10メートルに接近したこともあったと認められる」として、I証人の目撃状況は良好だったとしています。
I証人は一審の法廷で、検察官の主尋問に答えて「推定ですが、12~3メーターあったんじゃないかと思います」と答え、さらに「近い所で10メーターぐらいのところまで行っているんじゃないかと思います」とも証言しました。
弁護人の反対尋問に対しては、最初見た段階では「12、3メーターじゃないかと思いますけれども」その後は犯人たちから遠のく方向に移動した、と証言しました。
確定判決は、I証人が法廷で検察官の主尋問で答えた「推定ですが、12~3メーターあったんじゃないか」「近い所で10メーターぐらいのところまで行っ ているんじゃないかと思います」という証言をもとに「約10メートルに接近したこともあったと認められる」としているのです。
I証人が法廷で「推定ですが」と感覚で答えた距離よりも、I証人が実際に現場に立ち、自分はここに居て犯人はここにいたと特定しそれを測った距離の方が客観的であることは誰の目にも明らかです。

しかし、なぜか確定判決はI証人の法廷証言を採用します。しかも、弁護人の反対尋問の結果も無視してより短い「10メーター」という距離を取ります。それを採用した理由は述べられていません。
確定判決は極めて恣意的に視力を「認定」し、目撃距離を「認定」しています。確定判決にとって、「有罪判決」を書くためには、I証人の視力は少しでも良 い方が都合がよく、目撃距離は短い方が都合がよかったのです。確定判決は証拠を意図的に取捨選択しています。客観的事実に目を背け、自らの結論を導くのに 都合のいい証言のみを集めて事実を「認定」しているのです。
これに対して、今回のビデオ映像や鑑定書は科学的な実験の裏づけのもとに作成されており、I証人の証言が信用できないことを客観的に明らかにしていま す。ビデオ映像を見ればI証人の目撃のあいまいさを実感することができ、鑑定書を読めばI証人の目撃がいかに信用できないかがわかります。
新証拠は、I証人の証言を信用性を否定するものであり、I証人を「本件目撃証人中最も良質の証人である」としてその証言を事実認定の軸にすえた確定判決 を覆すものです。裁判所はこれをきちんと審理してほしいと思います。そうすれば、おのずと再審は開始すべきという結論に達するはずです。
これまで弁護団は多くの新証拠を提出してきました。裁判所がこれらの事実調べを行い、ただちに再審を開始することを強く求めます。

■証拠開示を

I証人は、会社の元同僚のY氏と一緒に事件を目撃しています。検察官はこの人の供述調書が存在することを認めながら、弁護団が開示を求めるとこれを拒否しました。
今回提出したビデオ映像や鑑定書によってI証人の証言が信用できないことは明らかですが、百歩譲って、I証人の証言が信用できるのかどうか、一緒に目撃したY氏の供述調書を見れば確かめることができるはずです。
検察官がI証人の証言は信用できると言うのであれば、Y氏の供述調書を開示してもなんら問題はないはずです。
この事件の目撃者は約40人の目撃者がいて、そのうちの34人の供述調書があるとされています。裁判の過程で明らかにされたのは7人(証人に採用され供 述調書が開示されたのが6人、供述調書のみ開示されたのが1人)の供述調書のみで、他の供述調書は隠されたままです。弁護団はY氏をはじめとするこれらの 供述調書の開示を求めていますが、検察官は開示を一切拒否しています。
開示されていない証拠が明らかになれば真実が判明するはずです。検察官が持つ証拠は検察官ひとりのものではなく、真実発見のためにこそ役立てられるべきものです。弁護団は裁判所に対して、検察官に証拠開示命令を出すよう求めています。
「かちとる会」は、裁判所が未開示の証拠を開示するよう検察官に命令を出すことを求める署名を集めています。多くの人々の声が裁判所を動かします。証拠開示を求める署名にご協力をお願い致します。 (山村)

 新たな弁護人が参加

 富山再審弁護団に、原田史緒弁護士が新たに参加してくださいました。
 原田先生は今年4月に弁護士になり(第二東京弁護士会に所属)、4月の富山再審弁護団会議から参加、今回、弁護団が裁判所に提出した「事実の取調請求書」にも名前を連ねてくださっています。
 若々しい、新鮮な視点で、富山再審の新たな領域を切り開いて頂けるものと期待しています。よろしくお願い致します。 (山村)

 別れ・・・Kさんを偲んで

 「出会いがあれば、別れがある」とよく言われるが、死別ほどつらく、悲しく、やるせなさが残ることはないような気がする。
新聞やニュースを見れば人の死というのは日常的に取り上げられ、電車に乗れば、電車の遅れている原因が「人身事故」と聞いても、「またか」と思うくらいである。
しかし、身近の人の死に直面するとこう無感情ではいられない。
生きていてくれさえすれば、問うことも、触れることもできるのに、存在がなくなってしまってからでは何もできない。この時に感じる無力感をどう処理したらいいのかわからなくなる。

私は、高校の時に同級生の死を経験した。交通事故だった。車に何人か一緒に乗っていて、彼女だけ亡くなった。
その時、「私は今まで人間というのは、『もういい』と思った時に死ぬものだと思っていた。生まれて初めてそうではない死というものを間近に経験した。 『死ぬ』ということがこんなにもやるせないものだと知った」・・・このような内容を追悼文に書いた記憶がある。残されたものは、もはや何もできない。ただ ひとつ、できることがあるとすれば、やはり彼女の分まで生き抜く、これだけなのである。

今から4年前の1月、私の祖父は他界した。享年74歳だった。人から言わせれば大往生だよと言う人もいたが、私にはいまだに悔いが残っている。
祖父が死んだあの時、私は祖父と祖母の引っ越しの手伝いをしていた。みんなで日用品をスーパーで買っていたら、祖父が「トイレに行ってくる」と言って、 一人スーパーのトイレに向かった。それから10分位経っても帰ってこないので、私は様子を見に行って、トイレの中に向かって「じいさん?」と声をかけた。 すると「うん」と中から声が聞こえてきた。私は安心して売り場に戻って買い物をしていた。それから10分位経ってもまだ祖父は帰って来なかった。もう一度 トイレに行って「じいさん?」と叫んだら、今度は返事がなかった。何度も声をかけたが中から祖父の返事はなかった。トイレの扉は閉まったまま。これはおか しいと思って、トイレのドアによじ登り、中を見てみると、祖父は舌を絡ませて倒れていた。
すぐお店の人に頼んで救急車を呼んでもらった。祖父の身体はまだ温かかった。「まさか、死ぬはずがない。だって、たった今まで一緒に買い物してたのに・・・」。私は、ただ倒れている祖父をどうすることもできなくて、おどおどしているばかりだった。
救急車には弟のお嫁さんが同行し病院へ向かった。私は、祖母がショックを受けないよう、祖母を家に連れて帰って連絡を待つことにした。
それから数十分後だった。弟のお嫁さんから「死んだ」との涙まじりの連絡があったのは。これは予想外の出来事だった。
今でも、あの時、私がすぐ人工呼吸や心臓マッサージをしていたら、もしかしたら助かったんじゃないかと本当に悔やまれてしかたがない。一番最後に祖父の声を聞いたのは、私だった。
辛いことを何も語らない人だった。それだけに祖父が死んでから、祖父がどれだけ今まで大変だったか思い知った。
祖父が火葬される時、「もう二度と触れることができない」、そう思ったら涙が止まらなかった。

 先日亡くなった「かちとる会」のKさんは、私の祖父と同じ位の年の方だった。私には、孫のようにも、また友達のようにも接してくれて、いつもニコニコして穏やかな感じの人だった。
Kさんは、大井町で署名取りをしている山村さんを見て、「この人が言っているんだから、絶対間違いないってピッと来たんです」と、よく誇らしげに語っていた。
非常に温厚な方だったが、自らの経験と反省からか反戦を訴える気持ちは非常に強く、私のようなものにも当時の軍人の気持ちを根気よく語ってくれた。
また、Kさんは演劇や音楽会にもよく誘ってくださり、その性格からいろんな方を知っていて、私たちはいろんな方と交流を深めることができた。
不思議なもので、大井町で署名集めをしていても、「Kさんは今日は休みなのかな」というような感じで、亡くなったという実感が未だに感じられない。

先日の大井町でのビラまきの時、かつてはここで佐藤齊一さんも署名を取り、そしてKさんも署名を取ってくれたんだなあとしみじみ思った。
人はその人の存在を失った時に、初めてその人の本当の価値に気がつくのかもしれない。その時に初めて思う感情の分だけ、なぜ生きていた時に思うことができなかったのかと悔やまれてしかたがない。
人はただ生きていると、すべては限りあるものであったとしても、「永遠」であると感じてしまう生き物なのだろうか?
本当に貴重な人を失ったが、残された私たちは、多くのことを学び得ることができたようにも思う。
そして、Kさんと同じ時間と空間を共有できたことを、私は誇りに思う。 (うり美)

 

 今回の大井町での署名集めの結果は、

3名
うり美
1名
富山
1名
山村
1名

でした

 明日のために、その第10歩目。
(ほとんど頭が使えない状態。夏バテが今もつづいている。)

という手紙とともに1000円振り込んでいただきました。ありがとうございました。

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ニュースNo144(2000年9月1日発行)

 

●ニュースNo144(2000年9月1日発行)◎報告 8・6ヒロシマ大行動に参加して

大井町ビラまき報告

ホームページをつくりました 見に来てください

 念願のホームページを開設しました。

アドレスは、
http://www4.ocn.ne.jp/~tomiyama/ (* 2000年9月現在。現在は移転しております)

Eメールは、

tomiyama@io.ocn.ne.jp

です。ぜひ、見に来てください。感想、ご意見をメールでお寄せください。

内容は、とりあえず、「富山事件とは」とニュースの掲載から始めました。ニュースは139号から掲載しました。3月の集会での浜 田先生の講演も載っており、鑑定書にある収束図(目撃者が供述する身長や年齢、体格、顔つきなどの「犯人像」が取調べを経るにしたがって富山さんの特徴に 向かって収束していく図)も、カラーでよりわかりやすくなっています。
今後、いろいろと内容を充実させていきたいと思います。多くの方々のご訪問をお待ちしています。ご意見や感想もぜひ送ってください。 (山村)

五十の手習い

「原稿は手書きに限る。ワープロなんてとんでもない。パソコンなんか論外だ。遊びのためにパソコンを覚えるんならいいけどな」と 言っていたのが、ある事情でパソコンを覚える羽目になり、いまではパソコンで編集をさせられる体たらく。強がりではなく、琴線に触れる文章を書ける力を身 につけようと思ったらパソコンから入ってはだめです。御存知だと思いますが、推敲過程が残りませんから。幾人かの賢明な作家が手書きにもどったと聞きまし たが、さもありなんと言いたくなります。

とは言うものの、たしかに便利は便利です。編集など一遍味を占めたらやめられません。原稿の推敲は手書きでやって、完成原稿をパソコンでうってこいというのが、一番都合のいい主張でしょうか。

それはともかく、若い人と話すたびにホームページは?メールは?と聞かれて断絶を思い知らされ、やっと追いつこうと始めた次第。 「ホームページへの感想・ご意見をください」=お知恵拝借もメールが「当世風」(こういう表現がそもそもマッチしていないらしい)なのですが、ちょっと事 情がありましてメールは十月末か十一月まで待っていただかねばなりません。それまでの時間を活用して腕を磨き、「メル友」でバリバリやりますので、乞うご 期待。なんて事を軽薄に口走っていいのだろうか、と思わないでもありませんが、物事を本当にやろうと思ったら先に宣言してしまって退路のない立場に自分を 追い込むのが確実なやり方ですから、あえて公言することにします。これでできなかったら、大恥ですね。だから、おおいにジタバタすることにします。
さて、「サメの脳味噌」と「ノミの心臓」を持つ森首相は「IT革命」を呼号していますが、なにが革命なものですか。革命というのなら、それによって人間生 活が豊かで余裕のあるものになるはずなのに、マスコミでさえ「いっそう格差が拡がる」と指摘しているではありませんか。所詮、資本(家)が肥え太るために これでもかこれでもかと人民の膏血を搾り取る装置としていかに張り巡らすかというものでしかなく、誰が誰のために、もっと本質的には誰のものかを抜きに論 じる限り不毛です。人民の武器として使いこなす、そのために英知を養い、研ぎ澄ませましょう。 (富山保信)

報告 8・6ヒロシマ大行動に参加して

今年も「被爆55周年-再び戦争をくり返すな! 8・6ヒロシマ大行動」に、富山さん、うり美さん、私で参加しました。今回は「かちとる会」も実行委員会に参加団体として登録しました。

 集会は広島県立総合体育館で開かれ、昨年を上回る2800人の人々が参加しました。

集会に先立って、会場前で富山さんの無実と再審無罪を訴えるビラをまきました。炎天下、2千枚近くのビラをまくことができました。昨年に続き、富山さんが一番張り切ってまいていました。

集会は、沖縄のフォークシンガーまよなかしんやさんと世羅高校生によるバンド演奏で始まりました。

この日、もっとも心を打たれたのは、詩人の栗原貞子さんによるご自身の詩の朗読でした。栗原さんは車椅子で登壇、原爆が投下され た年の八月末に書かれた『生ましめんかな』、1991年の自衛隊掃海艇派遣に際して詠まれた『何のために戦ったのか』を朗読されました。「……一度目は過 ちでも、二度目は裏切りだ」という言葉は深く心に残りました。

沖縄から、7月20日、人間の鎖で嘉手納基地を包囲したたたかいの共同代表もされている佐久川政一さんが、サミットに対し2万 7100人の基地包囲で「沖縄からの平和の発信」を行ったことを報告、「うないネットコザ」の桑江テル子さんが「軍隊は国を守るが国民は守らない」「沖縄 サミットに対抗し、五ヵ国の女性たちのサミットを開き、日米新ガイドライン撤廃などの声明を発表した」と報告しました。
「核と戦争、憲法改悪を許さないヒロシマ、『日の丸、君が代』強制に立ち向かうヒロシマ」から、「森首相の言う『十八歳の国民すべてに奉仕活動を』は徴 兵の準備で許せない」「高校生の結集に、跡継ぎができたようで感激した」という「反戦被爆者の会」の下田礼子さんをはじめとする方々からの発言がありまし た。前の日の「集まろう!高校生8・5平和文化祭」に取り組んだ高校生からの発言も初々しくさわやかなものでした。「広島大学の一年生で被爆三世」の「戦 争をとめる力は、今ここにいる僕たちのなかにある」という発言も力強いものでした。

集会の参加人数も運動の昨年以上の広がりを感じさせるものでしたが、集会の後のデモも、うり美さんが「こんなにいたっけ」と驚いたほどでした。
七日は、広島「かちとる会」の人々との交流会。この間の再審の進展状況を報告し、みなさんと楽しいひとときを過ごさせていただきました。
また、八日の朝、大槻泰生さんともお会いし、いろいろなお話を伺いました。大槻さんは「ヤッちゃんのことは何とかしたいと思うとるけん」と富山さんの再 審を心配してくださっていました。ニュースの原稿もいただきました(六ページに掲載)。帰り際、うり美さんが「富山さんはいい人に恵まれているよね。うら やましい」としみじみと言っていました。
お忙しい中、交流会に集まってくださった「かちとる会」や富山さんの友人の方々、そして宿泊の便宜をはかってくださった広島の方々にお礼申し上げます。
その後、私とうり美さんは富山さんと別れ、時刻表と首っ引きになり、「青春きっぷ」を使い、各駅停車で阿藤周平さんの住む大阪に向かいました。座りっぱ なしで腰が痛くなった頃、ようやく大阪に着き、出迎えてくれた阿藤さんは「なんや、各駅で来たんか」と半分あきれていました。阿藤さんは、「釣りに行って 真っ黒や」と日焼けしてお元気そうでした。再審の状況や東京の「かちとる会」の活動を報告、阿藤さんは「また、集会やるんやろ。その時は東京に行くから」 「東京のみなさんによろしく」とおっしゃっていました。
8月6日から9日まで、今年も充実した楽しい四日間でした。 (山村)

生ましめんかな

栗原貞子

こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな己が命捨つとも

1945・8・30

 

広島「かちとる会」の大槻さんから

1945年8月6日午前8時14分強、放射能に射ぬかれ、爆風に吹き飛ばされ、全裸の体を熱線によって灼かれ、生き地獄・人間の尊厳の究極的破壊。あれから55年の年月が過ぎました。しかし、私たち被爆者にとって昨日のことのような出来事として感じられます。
私は、爆心地より1・3キロの所で被爆しました。左半身を家屋の大きな大木で押しつぶされ、倉庫の窓からの光線により視力が0・02まで奪われて、いま だに病院に通っています。そして、あの日をもって伯父たちの姿は私の前に現れません。その伯父たちの安否を気づかって、毎日陰膳を供えていた伯母や母の姿 も今はありません。そして、高陽第一診療所の建設運動など被爆者解放の闘い、反戦・反核・反差別の行動を私と一緒に闘ってきた妻幸慧も志半ばに失ってしま いました。
  かつて、私自身が先の十五年戦争を「聖戦」と信じて闘いました。朝鮮から強制連行されてきた人たちの細かい行動も、サボリ行為と見なして摘発し処置してい ました。思えば広島はいつの時代でも軍都でした。日清・日露と言われた戦争以後、アジア侵略の拠点としての最重要な出撃基地でした。敗戦間近には本土決戦 の準備の中心として、第二総軍(西日本の軍の総司令部)が置かれ、好むと好まざるとにかかわらず、広島市民は戦争に協力、加担してきました。その結果が原 爆の投下でした。
戦争は最大の差別行為であり、その被害者は労働者階級に他なりません。そして、それを食い止められる力を持っているのも労働者人民であります。新安保ガ イドライン法の制定、憲法・教育基本法の改悪、組織的犯罪対策法など数多くの人権無視・人間否定の法律を成立させ、大東亜共栄圏構想を夢見て、被爆者抹 殺、差別・分断、英霊化攻撃をしかけてきています。森首相の「神の国」発言など戦争への挑発は日毎に増大し、小選挙区制による懐柔と恫喝により、すべての 政党・団体が大政翼賛化しています。そして、警察国家への道を一直線に進み、いきつく所は「8・6ヒロシマ」の再現だと私は考えています。
なぜなら、権力に反対するものは何がなんでも処罰する姿からも明らかであります。富山裁判はデッチあげであります。
20世紀最後の年、2000年8月6日を期して、21世紀に向けて、人権を守る反戦・反核・反差別の新たなる運動を築きあげたいと考えています。 (大槻泰生)

 今回は、

9名
2名
富山 0名

でした。うり美さんは夏バテか、体調を崩してお休み。

天は我を見捨てず

 ここ数十日の30度を越す猛暑の中、今日は台風の接近で大雨の予想、ビラまきは大変だと思いながら向かいましたが、天気は曇りでそんなに暑くもなく心地よい風に恵まれました。
しかし、私は完全に夏バテで、このところ”時計をはずしたまま“の生活をしていたせいもあり、時間の感覚が麻痺していたようです。待ち合わせ時間の11 時半を一時間間違えてしまいました。何を思ったか、喫茶店で一服して12時過ぎに出たら待ち合わせにちょうどだと勘違い、店を出てのんびり歩いていると大 井町駅前で山村さんが手を振っている。アレッと思って時計を見たとたん、完全に時間を間違えていることに気づきました。
そういうわけで、大分遅れて署名集めを開始し、これで一人の署名も取れなかったら何を言われるかわからないと必死に頑張って四名の署名を集め、なんとか体裁がついたとホッとしました。
  あと数名と思い、立ち止まってビラを読んでいた主婦らしい人に声をかけて説明をしていましたら、そこに四人の家族連れが通りかかり、「まだ署名やっている の。以前署名したけどその後どうなっています」と声をかけてきました。この間の経過と裁判長が変わったことを話し、再度署名をとお願いしましたら家族全員 で署名してくれました。そのやりとりを聞いていた主婦の人も「では、私も」と署名をしてくれました。
あと一名で十名でしたが、もう時間がなく、勘違いからの遅れに悔いが残りました。
署名を終わってしばらくすると豪雨になりました。その時はもう定例会の場所に着いていたので、「天は我に味方するのだ」とゆっくり煙草を吸いました。ふ と、いつか大井町のビラまきで待ち合わせしている時、先日亡くなったKさん(前号のニュース)からショートホープの煙草を貰ったことを思い出しました。私 が「どうしたんですか、貰ったんですか」と聞くと「これだよ」と言ってパチンコをする手のまねをしました。「ちょっと時間があったので」といたずらっぽく 笑われたことが思い出されました。
この日の定例会には、新しい人が参加してくれました。Kさんがお亡くなりになり、打ちひしがれていた中でしたので、新しい人が参加してくれたことに勇気づけられました。 (亀)
(左は森研一さんの絵)

R・Mさんから

誠に小額ながら通信費の一部にでもおあて下されば幸いに存じます。
どうやればこのご無念を晴らせるのでしょうか。実に残念です。

愛媛県の方から

富山さんの再審無罪を求める署名5筆が送られてきました。

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ニュースNo143(2000年8月1日発行)

 

●ニュースNo143(2000年8月1日発行)◎Kさんのご冥福をお祈り致します

大井町ビラまき報告

 

Kさんのご冥福をお祈り致します

 7月18日、東京の「かちとる会」のKさんが亡くなられました。享年七十七歳でした。ご冥福を心よりお祈り致します。

Kさんとご遺族の意思で、お葬式は「お別れする会」という形で行われました。多くの方が参列され、Kさんの温かい人柄とおつきあ いの広さを偲ばせるお葬式でした。「かちとる会」からは、7月20日のお通夜にはTさん、うり美さん、亀さん、山村が伺い、翌日の告別式には富山さんと山 村が参列し、最後のお別れをしました。

Kさんと「かちとる会」の出会いは大井町の駅前でした。1992年の8月、大井町の駅頭で富山さんの再審開始を求める署名を集め ていた佐藤齊一さんと私の前に、きれいな白髪の男性が立ち止まり署名をしてくださいました。その方がKさんで、ビラに載せていた阿藤周平さんの言葉を見て 「八海事件のことはよく知っていますよ」とおっしゃったのを覚えています。Kさんはその時のことをのちに「真剣に訴えているあなたたちをひと目みて、この 人たちの言っていることは真実だと直感しました。私はその人の目を見ればわかるんですよ」とおっしゃっていました。
その後、Kさんから手紙が届き、私とうり美さんがご自宅に招待されました。Kさんは、自らの戦争体験から、戦後ずっと二度と戦争を起こしてはならないと 訴えつづけてこられた方でした。大井町で署名された時も、自らの戦争体験を若い人たちに語る集いに向かう途中だったそうです。ご自宅では、戦争中の写真な ども見せて下さり、どのような社会状況の中で戦争に突き進んでいったか、戦争責任の問題、「加害者」としての痛恨の思いなどを話してくださいました。
Kさんは、1923年に熊本県で生まれ、子供の頃は豊かな自然の中で少年期を送られたそうです。「もともと私は軟派で、芸術とかそういう方面が好きだっ たんですよね」と言われていましたが、日本が侵略戦争に突き進む中、陸軍士官学校に入学、航空隊に所属し、卒業後は特攻隊の教官だったこともあるそうで、 「わずか二十歳になるかならないかの若造が、十五、六歳の少年に死ぬことを求めた。今思うとなぜあんなことが言えたのかと思う」と辛そうに話しておられま した。「戦争に負けたあと、特攻隊を考え出しそれを押し進めた責任者たちがのうのうと生きて帰ってきたことを知って、責任者たちを殺して自分も死のうと思 いつめたこともあった」とのことでした。敗戦時の1945年8月15日は、偵察飛行で沖縄上空にいたそうです。「下を見るといつもと違ってアメリカ軍の艦 船が港に集結し、潜水艦も浮上している。おかしいなと思っていると、司令部から無線が入り、通常は暗号のはずが生で『ただちに帰還せよ』と言ってきた。何 が起きたのかと急いで帰還し飛行機を下りるとみんな泣いていた。それが敗戦だった」そうです。
敗戦後、自分はなぜ生きているのかと気持ちの荒れた時期もあったとのことでした。その中で、あの戦争は間違いだった、自分も加害者の一人だったと考える ようになり、二度と侵略戦争に加担することがあってはならないと誓ったとおっしゃっていました。「天皇こそ最大の戦犯だ」と怒りを込めて語られ、日本が再 び「いつか来た道」を歩もうとしていると昨今の情勢に強い危機感を抱いていらっしゃいました。

その後、Kさんは「かちとる会」の集会に何度も参加され、定例会にも来てくださるようになりました。

富山さんがまだ獄中にいる時、富山さんの手紙を読んで、「国家権力と闘って弾圧を受けているんですね。獄に囚われても不屈に闘っ ている。こういう人は本物だと思う」と共感を寄せておられました。出獄後の富山さんとも意気投合したようで、「富山さんは笑顔がいい」「つきあってみれ ば、誰でも富山さんをいい人だと言うと思う。それをみなさんに伝えたい」とおっしゃっていました。
書道を得意とされ、みごとな毛筆でビラの表題や集会のタイトル、署名集めの時ののぼりなどを書いてくださいました。昨年二月の集会の会場に貼ったタイト ル「真実はひとつ―24年間の心からの叫び」、今年三月の集会のタイトル「20世紀のうちに私たちの手で再審開始を─真実を裏付ける証拠開示」はKさんが 書いてくださったものです。
また、牛乳パックに和紙を張って作ったきれいな小箱を「集会で売って再審のカンパにしてください」とたくさん持ってきてくださいました。
大井町での署名集めの苦闘を見かねてか、一昨年の10月から「お手伝いしましょう」と一緒に駅頭に立ってくださるようになりました。Kさんの温厚で篤実 な人柄は全体の雰囲気をなごやかなものにし、Kさんが参加されると多くの人が立ち止まりました。その中で、Kさんがいつも一番多くの署名を集めていまし た。そして、「ビラをまく時は積極的に話しかけることが大事です。黙ってわたすのではなく、ぜひお読みくださいとわたすことです。今度、自分の体験を書い てみましょう」とニュース(98年11月号)に署名集めの秘訣を書いてくださいました。(もう一度掲載します)毛筆で「私は無実です。再審開始のため御署名を」と書いたのぼりも持って来てくださって、それがあるのとないのとでは道行く人々の注目が違いました。
Kさんに「軍隊では、何時に待ち合わせるという場合、時間ちょうどに着くのではなく必ず五分前には着いているというのが原則です。私は十分前には大井町 に来ていますよ」と言われたにもかかわらず、いつも時間ぎりぎりに駆け込む私やうり美さんをいつも笑顔で迎えてくれました。
昨年の10月には現地調査の重要性を訴えられ、何度も事件現場に一緒に行ってくださいました。「現場に立ってみると目撃証人の供述がいかにでたらめかよくわかりますよ。富山さんの無実は間違いない」とおっしゃっていました。
Kさんは芸術面にも造詣が深く、書道や絵、写真など多彩な趣味をお持ちで、ある劇団の後援会長もなさっていました。「かちとる会」の運動を通じてのおつ き合いの他に、私やうり美さんは音楽会や演劇、踊りの公演などに誘って頂きました。裁判や運動という極めて現実的な問題に向き合っている中で、その時間は 心の休まるひとときでした。
最後に定例会に参加されたのは5月14日でした。日ごろ血圧が高く、時々体調を崩されているようで心配していたのですが、この時は体調がよかったのか定 例会の後の私たちが“本会議”と称している交流会(飲み会)にも出てくださり、ともに楽しいひとときを過ごしました。Kさんが生まれ育った熊本県の話にも なり、民謡「おてもやん」の熊本弁の意味を説明してくださったりしていました。
6月の定例会は他の用事で出席できないという連絡があり、6月30日の東京高裁への申入れの前に電話をしたところ、「体調があまりよくないので今回は遠 慮します。定例会には必ず行きますから」とおっしゃっていましたが、7月9日の定例会の前々日に電話があり、「体調を崩して入院してしまいまして」と言わ れ驚いていますと、「血圧が高く気分が悪くなって。三時間ほどいたら落ち着いたので帰ってきましたが、まだ本調子ではないので今回の定例会は残念ですが欠 席します」とおっしゃっていました。この後の7月14日に入院され、そのまま回復されることなく18日に亡くなられたとのことで、7月7日に電話でお話し たのが最後になりました。

告別式での献花の時、ご遺族の希望でKさんが好きだったという曲が流されました。ロシア民謡の『バイカル湖のほとり』でした。そ れは1825年、帝政ロシアに叛旗を翻しシベリアに流刑になったデカブリストの故郷への思いを歌ったもので、昨年、Kさんに誘われた音楽会で最も印象に 残った曲でした。その曲を聞いていたら、今年はもうロシア民謡を聞きに行くこともないのだ、ああ、もうKさんはいないのだとたまらなくなりました。 1997年に佐藤齊一さんが逝かれ、今度はKさんと、「かちとる会」にとって、そして私自身にとってかけがえのない人が相次いで亡くなられ、置いてきぼり にされたような淋しさです。
森首相の「神の国」発言や石原都知事による「第三国人」発言、9月3日の防災に名を借りた自衛隊による治安訓練等々、再び日本を「戦争のできる国」にし ようとする動きが激しくなっている今こそ、Kさんの遺志を引き継ぐたたかいが求められています。Kさんの平和への思いを引き継ぎ、そして、なによりも、K さんが心にかけてくれた富山再審を開始させ、再審無罪を必ず勝ちとりたいと思います。大井町のビラまき・署名集めも最後の勝利まで頑張ります。これからも 失敗や試行錯誤を繰り返すと思いますが、Kさん、どうかその優しい笑顔で見守っていてください。 (山村)

Kさん、ありがとうございました
 九州男児、陸軍士官学校、特攻隊教官という出自、経歴から世間的にイメージされるKさん像と、実際に酒を酌み交わし、語り合うな かからつかみ取れるKさんのありのままの姿とは、はたしてかけ違ったものだったのだろうか。そんなに長くはないKさんとの交流を振り返ってみて、違和感が なかったことに、あらためて驚かざるを得ない。
真摯にものごとと取り組み、信じることの実現のために誠実に努力するあり方、つまり生き方の根本をつらぬく価値観は、たしかに思想においては敗戦を経て 180度転換したのは厳然たる事実だが、その人格、人間性という領域では辛酸をなめつくすことによって一層磨かれ、豊かに深められることはあっても、損な われることはなかったに違いない。ご先祖は広島から弓の指南役として仕官した、私は元々は軟派なんです・・・愉快な語り口で興味をそそる話題は含蓄に富ん でおり、時のたつのを忘れるほどだった。「富山さんは笑顔が似合いますよ」とよく言われたが、ご自分こそ笑顔の可愛らしさと威厳を両立させて周囲の人々を 魅了してやまなかった。困難で大変なことほど楽しくやろうというのが私のスタイルだが、この点はKさんと一致していたようだ。違っていたのは、どうやらK さんは比較にならないくらい女性に人気があるということで、醸し出される雰囲気には雲泥の差があり、これには最敬礼するほかなかった。
それはともかく、まだまだ語り合いたかったことがあまりにも多すぎる。早すぎますよ、Kさん、話したいことだらけじゃないですか、と言いたい。「逆転有罪」あたりから一期一会を痛感することがふえたが、またしても・・・。
人間としての生き方、あり方を教えられる多くの人に恵まれたこと、これが私の財産にほかならない。まぎれもなくKさんもその一人である。Kさんが逝かれ たことを深く悲しみつつ、心から「ありがとうございました」とお礼を言いたい。そして、Kさんとともにめざした人間として当然のことである尊厳の回復=再 審無罪の実現を誓いたい。とびっきりの笑顔で「Kさん、やりましたよ」と報告できる日のために、Kさんと一致した流儀で進みたい。 (富山保信)

Kさんに教えられたこと
 7月20日、K氏のお通夜に行ってきました。Kさんとは大井町駅前で一緒にビラまきや署名集めをしました。Kさんの署名集めは気負いもなく自然体で、いつになったらああいう ふうになれるかなと思いました。私の署名集めはどちらかというと「あともう一人」とか「ビラは全部まききるぞ」と追いつめられた感じなのですが、Kさんは 相手との話を楽しんでいるところがあり、そうした雰囲気によるものかKさんの回りにはいつも人が立ち止まっていて、結果はいつも一番署名を集めていまし た。待ち合わせの時間には厳格な人で、いつも十分前に到着して待つのを信条としていました。私が大井町に早めに行っていると、Kさんも早く来ていていろい ろとお話することができました。
Kさんは、一見、いかにも好々爺という感じで、芥川龍之介の話に出て来る若者の願いをかなえてやる仙人といった感じの人でした。そして、戦中・戦後の激動を生きぬいた多くの経験を通して、人はどういうふうに感じるかを気づかう心温かい人でした。
私は、Kさんの生き方のほんの一部を垣間見ることができただけですが、それは私にとってかけがえのない財産になりました。ありがとうございました。
佐藤さんに続きKさんと、再審開始・無罪判決をかちとった時に美酒を酌み交わす人を失ったことは非常に残念です。最後まで富山さんの無実を信じ、勝利を 願って闘った人たちの思いを引き継ぎ、再審無罪を必ず実現させ、一日も早く吉報を報告できるように頑張っていきたいと思います。 (亀)

 

署名運動を成功させましょう

署名運動はなかなか大変な事ですし、私自身の経験から思ってもその御苦労は充分お察しします。

街頭に立ち、何にも御存知ない方々に署名を頂くことは大変なことです。そこで、少しでもこの行動にお役に立てばと思い、私自身の経験から常々心掛けていることを記して見ます。
まず、最も重要なことは、ビラの内容と、一見して理解できるテーマによる表現によると思います。少々目立つ字体や大きさによってハッキリと内容が如何な るものかを表現するいわゆるキャッチフレーズの選び方にあると思います。例えば、「無実の罪を被せられた私の訴えを!」というような表現をビラに一面に書 くことと、できれば富山さんの肖像等が幟やチラシにほしいものです。
それから、ビラ配り、署名運動の街頭行動の中で、留意すべき点について、いつも心掛けていることを記してみます。
全くこの事件を御存知ない方に声をかけることが多いし、そしてまた極めて無関心である方が多いのですから心して行動しなければなりますまい。

 一、かならず声をかけること。例えば、夕方ならば、「お仕事御苦労様でした」とか「お疲れ様でした」。昼間であれば、「どうぞお読みください」云々。

二、常に笑顔を絶やさぬこと。姿勢を正しくしながらもかならず頭を下げること。ビラを手渡す時は手先だけでなく、身体全体で表現すること。

要するに、身体全体でもって表現し、相手の心の琴線に触れることができるような努力をしてみたいと思います。即ち、挙措、動作、言語、そして真実の誠をもって未知の人に接すると言うことでありましょう。  (K)

 7月の大井町での署名集めは、みなさん仲良く、

 

うり美
1名
1名
富山
1名
山村
1名

でした。

 いつもの大井町のYさんから、 「第八歩目(? だめだー。暑さで覚えてない)。旅は始まったばかり、ポカリスエット飲んで、脱水症 状と熱射病に気をつけましょう。タオルとシャワーと睡眠も忘れずに」  という手紙とともに1000円のカンパを頂きました。因みに今回は「第九歩目」で す。ありがとうございました。

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ニュースNo142(2000年7月1日発行)

 

●ニュースNo142(2000年7月1日発行)◎富山さんと「かちとる会」が東京高裁に申し入れ 6月30日□大井町ビラまき報告

ただちに再審開始を!

 富山さんと「かちとる会」が東京高裁に申し入れ 6月30日

東京高等裁判所写真 おだてられて木に登るタイプではない。人の誤った考え方は正さずにいられない。ひるむことはしない。愛想笑いなどもってのほか。断固として自分の正しさを主張しつづける。
今回の「かちとる会」の裁判所への申し入れ行動は、こんな富山さんの性格がすべて生かされたものだった。
申し入れ行動は今回で5回目となるが、今回は今までとかってが違った。それは担当部での申し入れ行動ができなくなっていたことである。山村さんが担当書 記官へ事前に電話を入れた際、書記官より「裁判所の規則が変わって、部での対応はできなくなりました」と言われたそうである。それでは、私たちはどこへ行 けばよいのか? 申し入れなどは訟廷管理官が対応するとのことである。訟廷管理官? それは、こんなことをする係だったの?(畑違いのような気がする が……)
時間は11時から30分間と指定された。

※      ※

 6月30日、私たちは裁判所のロビーに集まった。

時間になると裁判所の職員に申し入れ場所に案内された。「何で外に出るの?」と思っていたら、正面玄関に向かって右側の奥にその 部屋はあった。大きめの机が横に二列に配してあり、私たち七名はそこに一列に座った。後ろにも、椅子のみが何脚もあったが、私たちには必要なかった。机 は、担当者に飛びかからせないためなのか、右から左まで部屋いっぱいに横一列に配列してあり、その机を飛び越えてでも行かないかぎり担当者の方へは行けな いように配置してあった。
さらに後ろを振り向くと、入り口のガラス扉の前には警備員が2~3人監視していた。なんだか物々しい雰囲気なのである。
11時ちょうど、私たちが部屋の中をジロジロながめまわし椅子に座ろうとしていると、訟廷管理官の粕谷氏が中に入ってきた。申し入れ開始である。
さて、今回の申し入れ行動は、再審請求人本人である富山さんの主導で進んだ。
まず、担当部での申し入れが出来なくなったことに対して、富山さんは怒りをあらわにした。このことは私たちも同様怒りを覚えずにはいられなかった。なぜ なら、過去の申し入れ行動では、特別に問題が生じたこともなく穏便に進められてきたこと、さらには、今までは担当部の書記官が対応してきていたが、それで も裁判官に直接訴えを聞いてもらいたい、富山さんの真実の訴えを直接伝えたいという思いは募るばかりで、書記官から裁判官への伝達ではとても歯がゆい思い をしてきていたことを考えると、到底納得できることではなかったからだ。
訟廷管理官の粕谷氏の説明によると、「憲法に保障されている請願権(第16条=注)に基づいて、申し入れをしていると思うんですけれども、裁判所として は、申し入れなどの正式な訴訟活動とは別のものについては、担当部では対応しないということで、昨年の七月から裁判所の規則が変わったものですから……」 という説明をした。
確かに憲法第16条には「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令または規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し……」と書いてある。
新たに裁判所の規則をつくったから、この憲法第16条の下で平穏に請願してくださいということらしいが、裁判所の真意は「部でゴチャゴチャやられたのでは面倒」だから部での申し入れを禁止し、その法的根拠を示すためにあえて規則をつくったとしか思えない。
これは人権問題なのである。無実の人間が、自分はやっていないから公正な裁判をしてくださいと訴えてきているのに対して、裁判所の態度はどうだろうか。 担当部にも通さない、書記官にさえ訴えることができない、しかも再審について刑事訴訟法に明確な規定がないのを盾に、延ばすだけ延ばし店晒しにしている今 の現状を恥とは思わないのだろうか。
「自分は裁く立場の人間だから、裁かれる立場になることはない」と考えているものの発想としか考えられない。

粕谷氏は、しきりに「みなさん公平にすべてそうしてますので……」と、何度も「公平」を強調する。
「じゃ、今までは公平じゃなかったということですか?」とすかさず富山さんは反論した。
「いや、そういうわけではないんですけれども……」と、粕谷氏は返答に窮していた。

次に、富山さんは「申入書を読みあげるのは駄目とのことなので、説明したい」と言うと「いや、ここでは読みあげてけっこうです」 との答え。事前に書記官に連絡した時は、読みあげるのはだめ、補足説明ならOKと聞いており、読みあげるのより補足で説明する方が時間がかかるんじゃない の、なに考えてるんだか、などと話していたので、ちょっと不意をつかれた感じだった。
富山さんがところどころ補足しながら、ゆっくり、そして堂々と申入書を読みあげた。粕谷氏はその間、じっと申入書を見ていた(申入書は7ページに掲載)。
「かちとる会」のみんなは、富山さんが読みあげるのを、時には大きくうなずきながら、じっと聞いていた。私は、富山さんのこの凛とした強さは、「自分は無実である」という裏付けがなければ出ないだろうなぁなどと感心していた。
「かちとる会」からは、坂本さんが「六年間もほっとくというのは、これはひどいよね。裁判所の職務怠慢としか思えないよ」と端を発したのをきっかけに、 それぞれが思いの丈をぶつけた。「富山さんは無実である」、「検察官が隠し持っている証拠を開示させてください」「早く再審を開始してください」等々。

私は、この一連のやりとりを聞いていて、この内容は裁判官へ伝わるのだろうか?という疑問を感じた。そこで、「今回の申し入れ内 容は、裁判官へは伝わるのですか?」と質問した。すると、「口頭で、担当書記官の方へ伝えます」ということだった。口頭? 粕谷氏から部の書記官へ、そし て部の書記官から裁判官へ伝わったとしても、このように二段階も経るとなるとYESのものもNOに、10のものは1にしか伝わらないのではないか。それに ほとんどメモも取ってないのだから、ますます不安になった。
申し入れが20分を経過したところで、粕谷氏は顔を上げ、部屋の時計を確認していた。残り時間10分。

最後に富山さんが、「自分は無実である」「検察官が隠している目撃者の調書について開示命令をなんとしても出してほしい」「すみやかに審理を開始してほしい。そうすればおのずから無実ははっきりします」
「このことはぜひ裁判官に伝えてほしい」とまとめ、申し入れ行動は終わった。

毎年6月に申し入れ行動をしているのだが、この六月の気候とあいまって、なんともすっきりしない思いをしてしまう。人間に話しているのではなくて、壁に向かって話しているような、そんな感じである。
次回(できれば再審が開始されていて次回がなければ理想だが)の申し入れの時は、また、新たな規則をつくって「規則で決まったことですから」などと言わない裁判所の対応を期待したい(のだが……)。 (うり美)

【注】憲法第16条[請願権]

何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

申し入れをおこなって (1)

申し入れのようすは、うり美さんが詳しく報告したので、以下は補足です。
この日、申入れに参加したのは、富山さんを先頭に、「かちとる会」から大井町のTさんとHさん、坂本さん、うり美さん、亀さん、山村の7人。
去年までは第三刑事部の書記官室で、主任書記官に申し入れをおこなっていたのが、今回からは、「裁判所の規則が変わったから」と、部は一切対応せず、訟 廷管理官が応対するというやり方になり、それも裁判所の一階の端にある部屋に閉じ込めるようにしておこなうやり方に怒りを禁じ得ませんでした。

富山さんの発言はうり美さんの報告にゆずります。そのひと言ひと言は無実の人間にしか言えないもので心を打つものでした。また、裁判所の対応が変わったことについて、訟廷管理官に対し、鋭く、ポイントを押さえた追及をおこなっていました。
富山さんの発言の後に、山村から、この1年間に集めた再審開始を求める署名428名分(うち大井町駅頭での署名145名分)、証拠開示を求める署名 189名分を提出し「これらの署名は事件があった大井町で集めたものを中心にしています。富山さんを先頭に毎月大井町の駅頭に立って集めてきました。今日 もこの場に大井町で署名してくださった住民の方が二人来ています。署名してくれた方々の真実を求める声に裁判官は耳を傾けてほしいと思います」と述べまし た。

今回の裁判所の対応に、「かちとる会」の人々もそれぞれ裁判所を追及しました。

坂本さんは、「6年も放っておくなんて裁判所は怠慢だとしか思えない。何をやっているのかということになる」と語調も激しく訟廷管理官に詰めよりました。

Tさんは、「6年も放置しておくなんて、一体、裁判官は何を審理してきたのか、その経過をはっきりさせてほしい。無実なのははっきりしているのだから早く審理を開始してほしい」と厳しい表情で追及していました。
Hさんは、「私が言いたいことは2点。隠している証拠があるのだから、公正な裁判のためにそれらを開示してほしいということと、1日も早く審理を開始してほしいということです」と簡潔に、力強く訴えました。
山村からも「富山さんの無実の叫びを裁判官に聞いてほしい。無実であること、やってもいない事件で10年も服役しなければならなかった悔しさ、怒りを、 富山さん本人から裁判官は直接聞くべきだと思います。これまで第三刑事部の書記官室で何の問題もなく申し入れをおこなってきた私たちにとって、今回のやり 方は大変心外です。これまでも、請求人本人が来ていながら直接裁判官に話すことはできませんでした。それが今回は部の書記官さえ出て来ない、部にも行けな い、というのではさらに裁判官から遠ざかったとしか思えません。ぜひ、裁判官に富山さんの声を聞いてほしいと伝えてください」と訴えました。
うり美さんは「今日、ここで私たちが述べたことはきちんと裁判官に伝わるのでしょうか」と鋭く突っ込んでいました。
亀さんも「検察官に対して証拠を開示するよう命令を出してほしい。なんでもかんでも開示しろと言っているのではない。二審で捜査官が34人の目撃者の供 述調書があると認めており、存在することが明らかな調書の開示を求めているのだ。ぜひ、証拠開示命令を出すよう裁判官に伝えてほしい」と訴えました。
これらの真摯な訴えに対して、訟廷管理官の態度は、“一応聞いておきます”というもので、「のれんに腕押し」のつかみどころのないものでした。
1994年6月20日の再審請求からすでに六年が経過。かけがえのない時間が流れていきます。いまだに再審を開始しようとせず放置にも等しい状態におい ておきながら、請求人本人にも会おうとしない裁判官。それどころか、これからは書記官も会わないという裁判所の対応に怒りを新たにするとともに、こうした 反動を乗り越えて、必ずや再審開始・再審無罪をかちとることを誓いました。 (山村)

■紹介

今回の申し入れに初めて参加してくださったHさんは、昨年11月に大井町で署名し、今年2月の「きゅりあん」での集会に参加してくださった方です。その後、定例会にも参加して有意義な意見を述べてくださっています。
自らもえん罪を受け、約2年間服役したという経験をされており、再審請求も行ったそうですが、警察に証拠を抹殺され棄却されたと悔しそうにおっしゃっていました。
そして、「自分も無実なのに刑務所に入れられたから富山さんの悔しさはよくわかる。とても平静ではいられない身悶えするような悔しさだった。服役させら れることが納得できず、看守に抵抗し、皮手錠の懲罰も何度か受けた。しかし、やっていないものはやっていないんだ。その気持ちは誰にもつぶせない。富山さ んもこうなったらどんなことがあっても再審無罪をかちとるまでがんばるべきだ」と熱っぽく語ってくださいました。

申し入れをおこなって (2)

今回の申し入れには、これまでにも増して憤懣やるかたない思いでのぞんだ。というのは、書記官室はおろか第三刑事部があるフロ アーへの立ち入りすら拒否された状態で行わざるをえなくなったからである。といっても、御存知無い方にはいったい何を憤慨しているのかさっぱりおわかりい ただけないだろう。そこで、はじめから順を追って事情を説明することから始めたい。
「東京高裁第三刑事部への申し入れ」と書けば、普通というか素直に想像すると、申し入れ人達が裁判官室なり書記官室に赴くと裁判官や書記官が待っていてその申し入れに耳を傾けるといった光景が思い浮かぶだろうが、実際の姿はまるで違うのが現実である。
これまでの「かちとる会」の申し入れには、裁判官が同席したことは一度もなく、事前に連絡をうけて在室する主任書記官が申し入れを聞いて「裁判官に伝え る」と回答するのが実状だった。それでもこれは「異例の待遇」で、書記官室どころか刑事部のあるフロアーにすら入れてもらえないで一階の専用の部屋であし らわれるのが常態になっているらしい。

そして、ついにというか、わが「かちとる会」の申し入れも書記官ではなく専任の訟廷管理官が扱うと返答してきた。
そもそも真摯な申し入れを裁判官が自分で聞いてみようとすらしないこと自体、裁判官として、人間としてどうなのかと首を傾げざるを得ないが、それを書記 官にすら会わせないで事実上の門前払いを喰わせるとは言語道断ではないだろうか。という次第で、当日は、「切レナイヨウニ」と自分に言い聞かせつづけてい た。
さて、私たちの前に現れた訟廷管理官の粕谷氏、やはり官僚というか小役人的対応に終始。多分マニュアルどおりなのだろうが、言うに事欠いて「当事者に裁 判官や書記官が直接会うと裁判の公正らしさが疑われる」とは、日本の刑事裁判は当事者主義を採っているのではなかったのかと言いたくなる。何の権限もない 粕谷氏にひたすらマニュアルどおりの対応を強いる裁判所当局の姿勢こそ不見識の極致というもの。わざわざ請求人本人が出向いてきているのに、会って訴えを 聞いてみもしないで再審審理をしようとは、なんたる了見違い。現裁判長の経歴を目にした際に感じた危惧、つまりほとんど裁判の現場に携わることなく司法行 政畑を歩んできた仁田裁判長の意思が反映しているのではないのか。単に裁判所の一律的対応への転換と軽視できない。申入書の内容、とりわけ証拠開示命令の 実現にむけて、いっそう強力に取り組まねばいけない。
訴訟書類に綴られた文字の背後にどれほどの怒り、悔しさ、涙と汗があるかを想像できない人間に、他人の人生を決定するような職務にたずさわる資格など与 えられるべきではない。ところが、日本の法曹界とりわけ裁判所とは、与えられるべきでない人間に、与えられるべきでない権限が、あまりにも与えられている という思いを、またしても新たにした申し入れ行動だった。 (富山保信)

 

申入書

昨年の申し入れから一年がたちました。そして、再審請求(1994年6月20日)からすでに六年がたっています。これは裁判所による「公平な裁判所の迅速な」裁判をうける権利の事実上の否定であり、怒りに耐えません。

私は無実です。1975年1月13日の不当逮捕以来25年、一貫して、さらに繰り返し、繰り返し訴えているとおり、事件には何一つ関 わっていません。まったくの濡れ衣です。「殺人犯」の汚名を着せられて投獄されたうえに、雪冤をもとめる再審請求も六年間にわたって放置されたままという 状態が、どれほどの苦痛を強いるかを想像してください。
無実でありながら有罪を宣告された人間にとって、罪名や刑期の長短さらに身柄がどうなっているのかが問題なのではありません。有罪を宣告されたこと自体 が、無実の訴えが拒否されたことをもって無実を訴える私の人格が否定されたことが、耐え難いのです。裁判官諸氏も我が身におきかえて考えてみてください。
耐え難いのは、それだけではありません。本件は、実質的には、目撃証言の信用性のみを争うという意味では日本における最初の例でした。第一審の無罪判決 こそ刑事裁判の原則に則った正しい判決であり、日本の刑事裁判の誇りとすべきものです。ところが、確定判決は誤判であるために、「写真面割りの正確性を担 保するための基準」なる基準ならざる基準がその後の同様の裁判を規制して、もはや欧米では常識ですらある目撃証言の評価の水準に達するのを阻害しつづけて います。その結果、少なからざる人々が、目撃証言についての裁判所の誤った認識のもとに無実の罪に苦しんでいると聞きます。この誤った判決に、被告・「犯 人」として名を連ね続けなければならない悔しさ、苦痛からは、再審裁判において無罪が宣告されること、誤判が是正されることによってのみ解放されます。そ のときはじめて、私が遭遇した暴虐とのたたかいも今後の人権擁護・人権確立への教訓として意味あるものにでき、刑事裁判の前進に貢献できたと考えることが できるでしょう。けれども、事態は、不当逮捕―起訴―逆転有罪―上告棄却―下獄―再審請求の放置という状態のままで、私の人格と人間としての尊厳は踏みに じられたままであり、憤りは増幅するばかりです。
裁判官諸氏に心から訴えます。私は無実です。あなた方が人間の良心と裁判官の職責に忠実に考察されるならば、私の無実は容易に判明すると思います。ぜひ とも検察官が隠し持っている証拠を開示させてください。原審法廷で捜査責任者が明言したように、目撃調書だけでも三四人分あり、七人分しか開示されていま せん。隠されているのは、私の無実を証明する目撃調書にほかなりません。目撃調書のほかにも、私の無実を明らかにする証拠があるはずです。もし検察官がそ うではない、あくまでも私が犯人だと言いはるのならば、隠し持っている証拠を開示して検察側の主張の正しさを世に問えばいいのではないでしょうか。それを しない、できないところに私の無実=真実が自ずから明らかなのです。検察官に証拠開示を命令してください。
確定判決は誤判であり、ただされるべきです。誤りを率直に認めてあらためる裁判所のあり方こそが日本の刑事裁判を信頼できるものにし、ひいては「法の安定性」をその名に相応しいものにしていくと確信します。一刻も早い再審開始・無罪を願ってやみません。

2000年6月30日

富山 保信

 6月の大井町での署名集めは、

 

富山さん
2名
亀さん
2名
うり美+山村
1名
+カンパ千円


で、久々に富山さんが「ゼロ」から脱却。満面の笑顔でVサインを送っていました。

  第八歩目。「お師匠様、天竺は遠いですね。まだ長安を出たところです。」

というお便りとともに1000円のカンパを頂きました。ありがとうございました。
うーん、まだ長安を出たばかり……ですか。確かにまだその辺りなのでしょう。頑張らなくては。
ところで、誰が三蔵法師で、誰が孫悟空で、誰が猪八戒で、誰が沙悟浄になるのでしょう? まあ、言わないのが無難でしょうね。 (山村)

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ニュースNo.141(2000年6月1日発行)

 

●ニュースNo141(2000年6月1日発行)◎今日の刑事司法における富山事件再審請求の意味(前号に続いて)

大井町ビラまき報告

3・18集会 ― 浜田寿美男さんの講演

 今日の刑事司法における富山事件再審請求の意味

(前号に続いて、3月18日の集会での浜田寿美男さんの講演を掲載します。)

99・9パーセントの有罪率
「日本の司法文化」
「有罪への確信と無罪可能性のチェック」
無罪判決は想定しない日本の裁判
一生無罪判決を書かない裁判官
一事不再理の逆をいく日本の裁判
富山事件における目撃証言の信用性
供述証拠の形成過程が問題
検察に都合のいい目撃者のみ選別

(以上前号)
(以下今号)
控訴審判決の「基準」
目撃条件は良好か?
写真面割りの過程はブラックボックスの中
空くじなし
写真面割りの後の面通しは無意味
捜査官の間で情報交換が行なわれている
富山さんの特徴に合わせて変わっていく供述
どの犯人を見て選んだのか?
科学的な検証の姿勢がない日本の裁判
仮説検証型でなく仮説固執型
日本の刑事司法全体を考え直す時

 証拠が結果として法廷に提出されるのみで、その証拠収集の過程がまったくブラックボックスの中にある。そしてしばしば、裁判所に おいても、この過程へのチェック抜きに審理がなされてしまう。富山事件の確定判決はまさにその典型で、しかも、それがその後のひとつのモデルとして位置づ けられていくので問題の根は深いわけです。
実際、ある心理学者が最近刊行した『嘘をつく記憶』という本の中でも、この点が無批判に取り入れられています。これは『判例タイムズ』に載った控訴審判 決に基づいてのみ書いています。一審の判決とかに当たっていただいたら、こんなに簡単には言えないということはすぐにわかるはずなんですけれども、どうし ても表に出た判決しか見ないでそこで判断してしまう。この本の著者も心理学者ですけれども、菊野春雄さんという大阪教育大の方のようですけれども、『嘘を つく記憶』ということで 記憶の間違いやすさというのを指摘しているという意味では啓蒙書として意味のある本だと思いますが、一つ一つ挙げられている例で非常に困った例がある。
富山さんの事件も、東大井内ゲバ殺人事件ということで挙げられていますけれども、控訴審判決の中からの引用というか、『判例タイムズ』にまとめられたも のをそのまま引用している。いわゆる孫引きのような状態です。控訴審判決の「写真面割りの正確性を担保するための基準」、七つの判断基準と呼ばれているん ですが、これが富山事件の控訴審判決で出されて、その後の目撃に関わる裁判の中で、一つの理想的とまでは言わないにしても、基準として扱われてきているわ けなんですね。『判例タイムズ』の中でも「実務上極めて参考になる判断を示しており、意義も深いもの」だという形で評価しているのをこの本も引用して、控 訴審判決の基準を載せています。

控訴審判決の「基準」

この控訴審判決の基準は、表向きそれだけを見ますとなるほどそうじゃないかと思ってしまうようなことが書かれているわけです。例えば、判決では、次のように記されている。
一番目が、「写真識別者の目撃条件が良好であること見たとか、視力に問題があるということなら別だけれど、そうじゃないということが大事だと書かれています。当然、そういうふうに思いますよね、これだけ見ると。
二番目が、「早期に行われた写真面割りであること」。
三番目、「写真面割りの全過程が十分公正さを保持していると認められること」。そこにはいわゆる写真帳についても言及されていて、「捜査官が犯人らしき特定の者を指摘するなどの暗示、誘導など行ってはいないこと」、なども書かれています。
四番目に、「なるべく多数者の多数枚による写真が使用されていること。その場合、体格、身長等をもあらわすものも収められていれば最も望ましい」。
五番目に、「提示された写真の中に必ず犯人がいるというものではない旨の選択の自由が識別者に確保されていること」。
六番目に、「識別者に対し、後に必ず面通しを実施し、犯人の全体像に直面させたうえでの再度の同一性確認の事実があること」。
七番目に、「上の識別は可及的相互に」、可及的というのは出来るだけということですね、「相互に独立した複数人によってなされていること」。

これだけ読みますと問題ないじゃないかと見えるかと思います。ところが、実際には、これを富山事件に合わせてみますととんでもな いことが出て来ます。判決は、富山さんの事件についての写真面割り、面通しの手続きは少し問題を孕んでいるにせよ、おおよそこの基準を満たしているという ものなのですが、一つ一つ見ますととんでもないことになります。

目撃条件は良好か?

一番目、写真識別者の目撃条件が良好であることとなっていますけれども、確かに白昼行なわれた事件で、しかも、それは日常的出来事じゃなくて殺人行為ということですから、誰の目も引く、見逃すようなことじゃない、それだけ見ますと、目撃条件が良好であるように見えます。
しかし、目撃者一人一人を見ますと、一つは視力の問題があります。控訴審判決で最も重要な証人だと言われているIさんという方は、普段はメガネをかけて いるのにこの時はメガネをかけてなかったというわけで、視力が問題になります。Iさんについては、視力は良くても0・4で、しかも16・45メートル離れ た犯人を目撃したもので、同一性識別は不可能という鑑定証拠が再審で改めて弁護団から出されたと聞いています。
一番最初に写真面割りをしたと言われていますTkさん、車に乗っていて助手席から見たという人です。この人は当時から糖尿病で目が問題で、二審の時にはもう失明していたという人です。事件当時どの程度の視力があったのかものすごく問題ですね。
また、視力の問題だけじゃなくて、これは箱田さんという心理学者の方が鑑定でやりましたけれども、殺人事件なんかを目撃した時は、犯行者の顔を見るより は、むしろ現場のその凄惨な様子に目を取られてしまう、あるいは、凶器に目を取られてしまって、顔をちゃんと覚えることはむしろ難しいのではないかと言わ れています。凶器注目効果と言われていますけれども。
さらに、この事件の場合、目撃された犯人の側は四人いるということになっているわけです。その四人のうちの一人が指揮をしていて、その指揮者に似ている として富山さんの写真が選ばれたという話になっているんですが、四人も見るということは大変なことなんですね。一人の人間がやっているなら、間違いなくこ いつを見たと言えなくはないですけれども、四人を見ている場合には、どの人間を見たのかという話になります。しかも、この事件は、目撃供述をもとに四人と も容疑者が挙がっているのではなくて、指揮者だけしか特定できなかったというわけです。先ほど詳しく説明(注・うり美さんの現地調査報告/139号に掲 載)がありましたけれども、四人のうちの誰を見て、富山さんの写真を似ていると同定したのかということが非常にあいまいな形でなされているわけです。そう しますと、目撃の条件は良かったと単純に言えるかどうか、これはかなり慎重に検討しなければならないはずなんですね。
ところが、漠然と、白昼行なわれた殺人事件でたくさんの人が見ていて大丈夫じゃないかと、こういう非常な安易なところに流れているような状況なんですね。

写真面割りの過程はブラックボックスの中

二番目に、早期に行われた写真面割りであることとあります。確かにこれは事件の翌々日に写真面割りが始まるわけで早期なのかも知れません。
しかし、三番目に書かれている、写真面割りの全過程が十分公正さを保持していると認められること、つまりどういう形で写真が選ばれて、どういう手続き だったかということですが、富山事件ではこれが証拠としては明確に出されていないわけです。ブラックボックスの中ということなんです。
控訴審の裁判所は、大雑把に言えば、写真面割りをした時の取調べ警察官を連れてきて、ちゃんとやりましたか、ちゃんとやりました、ちゃんとやったんです ね、というだけで認定してしまっています。警察官は嘘を言わないという裁判所の考えがあるわけです。けれども、捜査官だってやっぱり立場がありますから、 誘導しましたと言えるわけがありません。法廷に出てきた時に、実際にあったことをしゃべるのではなくて、やはり欠点を突かれないような答え方をしますね。
そうすると、捜査官が法廷に出てきてしゃべったからといって、事実をそのとおり再現しているかというとそうはならないわけです。これは当たり前なんです けれども、裁判所はなかなかそういうふうに認定してくれません。形式上、法廷で警察官が、ちゃんとやりました、誘導はやってません、目撃者に写真を見せて それらしいと言ったことはありませんと言ったら、それは調書という形で文書に残りますから、証拠として利用できる、間違いない、これだということで、十分 公正さを保持していると認められるとこういう話になる。
結局、二番目、三番目については、それこそ、写真面割りの場面をビデオテープにでも撮ってもらわないと証明はできないですね。そこで、先ほど言いました ように、私たちは今、取調べに関するガイドラインということを考えています。その中で最大のものは、捜査過程を見えるようにすること、可視化と言っていま すけど、つまり、写真面割りをするのだったらビデオを撮りなさいよ、ということを言っているわけです。それをやりさえすれば、何がそこで起こったかという ことは歴然とするわけです。それくらいの装置は簡単ですから、できることなんですね。できることだからやってもらえればいいのですけれど、やらないです ね。二番目、三番目についてはまさにブラックボックスの中です。

空くじなし

四番目、なるべく多数者の多数枚による写真が使用されていること、これも大きな問題です。
この間、面通しとか面割りについて、いろいろ研究がなされてきています。これまでも目撃者の記憶というのは確かに危ないとよく言われている。だからちゃ んとチェックできるようにしましょうということなんです。心理学実験などを使いながらどういうチェックが必要なのかを研究しているんですが、その中で一番 重要な部分はここだと私は思っています。
例えば、目撃証言以外の他の証拠からこの人が犯人である可能性が高いということになった場合、目撃者が確かにその人物を見たのかどうかをチェックするた めに、面通しの場合であれば、一人の被疑者に対して、その被疑者と身長とか体格とか容貌が比較的似ている人達をあと八人ほど呼んで来て、その中に被疑者を 混ぜて、そのうえでちゃんとこの人だという特定ができるかどうかということをやらなければいけない。つまり、記憶のチェックなんですね。あとの八人は犯人 じゃないということがはっきりしている人達です。犯人じゃないことがはっきりしている人を混ぜて面通しをする。しかも、顔の特徴なんかも似ている人でなけ ればいけません。例えば、犯人は二十代だというふうに供述しているとすれば、二十代位の人をあと八人集めて来なければならない。被疑者一人だけが二十代 で、あとは四十代、五十代だったら、歴然と被疑者だとなってしまいますから。よく似た人で、しかもこの人は犯人じゃないということがわかっている人達を混 ぜて調べるということをやらなければいけない。ちゃんとそういう形で記憶を確かめるというのが、面通しの一番大事なところなんですね。
ところが、控訴審判決の基準の四番目で言われていることはどういうことかと言うと、いわゆる面割りというやつです。面割りというのは、犯人の可能性があ る人達を集めてきて、この中におらんかと言って調べる、これがいわゆる面割りです。先ほど、やっていないことがわかっている人を混ぜて記憶をチェックする というのと、犯人かもしれない可能性を持っている人達とかその写真を並べておいて、この中にいないかと言って調べるのとはまったく違うんですね。ところ が、控訴審判決があげている基準というのは、そのへんの区別を一切していないわけです。控訴審判決は、たくさんの人を集めてこの中に似た者はいないかと やって選んだということ、たくさんの中から選ぶことが大事だと書いてあるんです。
この事件は中核派が革マル派に対してやった事件ということになっていますから、中核派の人達でかつて逮捕された経験のある人達の二百枚近い写真で面割り をやっているわけです。全員、中核派と思われている人達の写真を並べ、この中にいるかと聞いているわけです。そしたら、誰を当ててもいいんです。私は鑑定 書の中で皮肉をこめて書いたんですけれども、“空くじなし”ということなんです。たまたま空くじがはっきりしたケースがあって、その人はその時捕まってい て犯行を起こしようがないのですが、後で、しまったというのではずしてしまう、そういうことをやってしまうんですね。
“空くじなし”の写真面割りというのは、ちょっと考えればおかしいとわかるわけですね。だけど控訴審判決はそれをすべきだと書いてある。しかし、犯人で はないとわかっている人を混ぜての写真帳でなければチェックという意味での機能は果たせないということです。警察官の写真を並べてその中に富山さんの写真 を一つ入れておけばいいですね。180センチの四角張った顔の人を並べておいて、その中から当てさせたら警察官を選んだということもありえる、ということ になればそれはちゃんとチェックしたことになるんですが、そういう、記憶をチェックするという発想が控訴審判決には全然ないわけです。こう見てきますと、 まったくおかしい基準なんですね。 五つ目もそうです。提示された写真の中に必ず犯人がいるというものではない旨の選択の自由が識別者に確保されているこ と。写真帳の中に犯人が入っていないかも知れないということをちゃんと言わなければいけないとなっているけど、これだって警察官が法廷に出て来てちゃんと 言いましたでお終いなんですね。弁護人の方は、チェックできないわけです。

写真面割りの後の面通しは無意味

六つ目、識別者に対し、後に必ず面通しを実施し、犯人の全体像に直面させたうえでの再度の同一性確認の事実があること。
つまり、写真面割りの後、実物を見て確認しろと、それは大事なことなんだと言っている。だけど、写真面割りで特定した者をもう一回実物で見せた時、やっ ぱり違いますと言うかというと言わないわけです。写真で間違った人を選んでしまったら、その写真の顔が記憶に残りますから、面通ししてもだめなんですね。 つまり、人の記憶というのは、重ねて見ていきますと歪んで来るわけです。この人だと言ってしまえば、後になってもともと見た時のイメージを取り出してきて チェックすることはできない。ビデオテープだったらできますよ。人間の記憶はそんなふうにできておらんということです。だから、控訴審判決は、写真面割り をした後ちゃんと面通しをしなさいと書いてあるんですけど、写真面割りをした後やる面通しは無意味だということです。
しかも、この場合、単独面通しです。先ほど言いましたように似た人を集めてきて、違うとわかっている人を混ぜてやった面通しならまだしも、捕まえて来た一人の人間を見せてこいつかと言うわけですから、そんなのは確認したことにはならないと言わざるを得ません。

捜査官の間で情報交換が行なわれている

最後に可及的相互に独立した複数人によってなされていること。
できるだけ相互に独立した形で取調べを、例えば目撃者が40人いたとすれば、40人別々に、お互いに情報交換しない形で調べなさい、そのうえで、それぞれが特定の人を指示したならそれをもって証拠になるんだと言うわけです。
これも理念としてはその通りであります。だけど、本当に相互に独立した取調べがなされ、事情聴取がなされたのかどうかのチェックがなされなければ、これ は空文句なんですね。結局、また捜査官が出てきて、相談するようなことはありませんでした、それでお終いということになるわけです。
実際に富山事件を見ますと、同じ捜査官が、二人のそれぞれ違う目撃者に事情聴取していることが明らかです。しかも、日本の場合は、捜査を進めていく過程 で捜査会議を必ず開いていきますから、捜査官の間で情報交換をやっているわけです。捜査官がチームでもって写真面割りをやっている中で、それぞれ独立した 形で事情聴取がなされていくなんてことになるかどうかというと、はっきり言ってならないわけです。
ですから、私達がガイドラインの中でも提言しようと思っているのは、これはなかなか難しいことかもしれませんが、実際の捜査担当者とは違う人間が写真面 割りの手続きをしなければいかん、事件のことを知らない人が写真面割りをしなさいということです。つまり、こいつじゃないかと思っている人が調べたら、ど うしてもそうなってしまうわけです。写真面割りくらい誰だってできるはずですから、写真面割りとか面通しについての一定の訓練を受けた捜査官が、どういう 事件であって、誰が犯人であるかの目星とか、一切情報として知らない状態で、目撃者に対して写真を見せて、この中にいたら教えてください、いないこともあ り得ますよ、とやらなければいけない。これは当然のことだと思うのですね。だけど、そういう手続きは一切踏んでいないわけです。
このように、基準として確定判決が挙げているものを、具体的に一つ一つ富山事件の目撃者に関して当てはめていきますと、完全にそれが筋違いのものになっていることがわかるだろうと思います。
このような控訴審判決の基準が、その後の目撃供述を軸にした事件で援用されているということがあるわけで、そういう意味では、富山事件の再審請求を勝ちとるということは、単に一事件にとどまらず類似の目撃事件にとっても大きな意味があると思います。

富山さんの特徴に合わせて変わっていく供述

鑑定書でも書きましたけれども、富山事件の目撃供述に関して、歴然と変遷しているものがいくつもあります。例えば、一番典型的なのは年齢、身長ですね。時期を追って見ますと、明らかに富山さんの実際の年齢や身長に合わせてきれいに収束していくわけです。

記憶は変遷すると言っても、「正解」に向かって一様に変遷するというのはおかしいわけです。見たときの印象というのはその時のも のですから、バラついていて自然なんですね。私がもし捜査官だったらこんなことはしないですね。バラバラでいいと、人間の年齢についての記憶なんかええか げんなもんやと思いますけどね。この間の京都の日野の小学校の事件なんかでも、その前の神戸の事件なんかでも、ええかげんなわけです。
富山事件の目撃供述のように、こんなうまいこと富山さんの年齢の二十六、七歳に移っていくなんて、こんな不自然な供述取ったらあかんと、僕だったら言い ますね、最初のままでいいんやと。例えば、二十四、五歳と言った人がいて、その次の取調べの段階で、もう一つ位年取っていたように思いますなんて言うんで すね。人の年齢を、一つ位なんていう差で言うでしょうか。考えられないことをやっているわけです。まあ、警察官というのはお役人さんですから、正確さを求 めるというか、なんか厳格らしいのを求めるようですね。
僕なんか見ますと、二十五才位と言っていて、その後、一つぐらい年を取っているように思います、というのを読んだだけでこれはおかしいと思いますよ。これだけでも誘導の証拠だと、僕は言えると思うのですけれども。

どの犯人を見て選んだのか?

そういう中で、「七人の犯行場面供述の変遷」、これは取り繕うのが大変だっただろうと思います。

第一期、第二期、第三期とあげているのがちょっとわかりづらいと思います。第一期は事件直後の供述です。直後といっても10日ほ どありますけれども、その段階でのもの。第二期というのは、写真帳を作りなおしてもう一度調べ直した時のもの。第三期というのは富山さんが逮捕された後、 面通しが行なわれる検察官の取調べの段階。三つの時期に大きく分かれます。

その第一期の段階で、目撃者達は四人の犯人を見て、そのうちの一人として富山さんの写真を選んだわけです。四人の犯人のうちの誰かを見て、写真帳の中から富山さんの写真を似ているということで選んだということになっています。
ところが、第一期の段階で、どの犯人を見て、富山さんの写真を似ていると選んだのか見てみますと、バラバラなんですね。
第一期で、ガードレールの手前側の歩道上で指揮をしていた人物として、富山さんの写真を選んだのはOさんとIさんだけです。
Yさんは一応指揮をしていたということになっているんですが、車道上で殴っている犯人のすぐ横にいた人物として、富山さんの写真を選んでいるわけです。 Sさんは車道上で鉄パイプで殴っている人物ということで富山さんの写真を選んでいる。Kさんも車道上で殴っている人物として富山さんの写真を選んでいま す。Tkさんは殴っているところを見たうえで、逃げている所を見たとなっています。
殴っている所を見ているということになると、「歩道上の指揮者」を見ているのではないわけです。だけどみんな富山さんの写真を選んでいるわけです。これはどう考えても矛盾するわけです。これを検察官はどう思ったのだろうと、僕は思うのです。
員面調書の、一番最初の段階が明らかに矛盾するわけです。明らかに矛盾するのでどうしたかというと、結局、供述を動かすよりしょうがない。富山さんを逮 捕して、起訴に持ち込む過程で、検察官が証拠固めをするわけです。証拠固めをするためには、何が必要かというと、矛盾しちゃ困るということで、目撃供述を それぞれ動かすわけです。見た場面を動かす。
歩道上で指揮をしているところを見たという話になっていますOさんとIさんは、とりあえず、軸として動かさなくてもいいということになりました。
ところがそれ以外の人は全部動かさなければ困る。例えば、車道上で殴っている場面を見たというKさんは、追いかけてくる手前の所で見ていたということに なります。一人の男を四人の男が追っかけて、車道上で三人が殴って、一人が歩道上で指揮をしていた、その後、四人が一緒になって逃げた、こういう流れに なっている中で、殴っている人を見たというのでは困るので、追いかける前の所で見たんだという話になるわけです。前にずらしたわけです。
Yさんは、車道上で三人が殴っているすぐそばに指揮者がいたという話になっている。これも具合が悪いということで、段々とその指揮者の位置がずれてきて、最終段階では、ガードレールの内側まで変わっていく。
Sさんと、Tkさん、それからTgさんは、殴っている場面を見たという話になっている。これは具合が悪いということで、逃げていく所で見たという話に変わっていくわけです。

第一期では、犯人が四人いて、目撃者はそれぞれ違う人物を見ているのに、みんな同じ富山さんの写真を選んでいる。富山さんがいろんなことをしていることになる。それでは矛盾するというので、第三期で供述を今言ったような形で変えざるを得ないわけです。

科学的な検証の姿勢がない日本の裁判

こういう目撃供述をはたして信用していいのか。こういうのを信用してはあかんと言わなければいけないはずですが、なにしろ裁判所 では99・9%の有罪率ですから、それでもって突っ走りますと、こういう無理な証拠も有罪証拠として使われてしまうということになる。裁判の事実認定の過 程を見ますと、事実はどうだったのかということですから、まさに科学的な検証の姿勢、これが正しいのかどうなのかという検証の姿勢がなければいけないわけ ですが、日本の裁判の中にはそういう科学的な検証という姿勢が本当にないですね。

仮説検証型でなく仮説固執型

この人が犯人だというのは一種の仮説ですよね。誰も見てないわけですから、仮説なわけです。仮説が正しいかどうかを検証するとい うのが裁判の手続きであるはずなんですけれども、日本の刑事裁判には仮説検証という姿勢がまったく欠けている。検察官の方もそうですけれども、裁判所の方 も、仮説検証ではなくて仮説固執型だと、仮説にこだわって、こだわって、こだわりつくすというのが検察官の姿勢であり、裁判所の姿勢のように私には見えて しまう。
いかにしてそれを仮説検証的な手続きに変えていかなければならないのかということを、心理学をやっている人間としてこれからもやっていきたいと考えているところです。

日本の刑事司法全体を考え直す時

やはり、日本の刑事司法全体を考え直していくという作業をしなければいけない思います。
これまで日本の刑事司法はいっぱい間違いを犯してきている。ところが、いっぱい間違っているにも関わらず、日本の刑事司法は、間違った後、その間違いがなぜ起こったのかという調査を一切していない。
事情聴取の過程を録音テープに収めるとか、あるいは面通しを先ほど言ったような形で、やっていないことがわかっている人を入れてその中から選ぶようにし なければいけないということが、イギリスなんかで盛んに言われてきています。イギリスという国は、えん罪だということが明らかになれば、なぜ、こういうえ ん罪が、間違いが起こったのかということを国をあげて調査しているわけですね。どこがおかしいということがわかれば、そこを直していくということをしてい るわけです。
ところが、日本の刑事裁判、戦後五十数年の中で、たくさんのえん罪事件、表に出ていないものも含めればものすごい数だと思うんですけれども、どれ一つと して国のレベルでチェックするということをやっていない。最高裁が指揮を取って、なぜ間違ったのかチェックしなければいけないはずだと私は思うのですけれ ども、一度もやって来なかった。そのうえ、国家賠償請求の裁判が起こっても、松山事件のように、死刑が確定してしまった人が再審で無罪になったというもの についても、国家賠償を認めない。当時の捜査も裁判も違法はなかったと言う。違法がなかったのに間違ったというのなら、どうして間違ったのかのチェックを 当然やらなければいかんのに、やらん。全然変わって行かないですね。
そういう司法文化の一つの結果として、この富山事件もあると私は思います。ですから、富山さんの事件に限らず日本の刑事裁判全体、それこそ日本の司法文 化そのものを問うということをやっていかなければいけないんじゃないかと思っていますし、そのためにも、富山さんの再審請求が認められて、公判廷で改めて 議論され、無罪の判決が出されるようにならないといけないと思います。こんな歴然とした無罪事件で有罪が出るんですから。帝銀事件なんかも歴然とした無罪 事件だと私は思うのですけれども、帝銀事件の場合は、平沢さんは獄中で四十年死刑囚として生活して亡くなる。そのあと死後再審ということで第十九次再審、 第十九次ですよ。富山さんは何次でしたっけ。第一次ですね。十九次までやれということではありませんけれども、そういう事態だということを改めて認識しな ければいけないんじゃないかと私は思います。あまり十分なことがしゃべれなかったんですけれども、これで終わりたいと思います。

(小見出しは事務局の責任でつけさせていただきました)

 

 5月の大井町での署名集めは、

Kさん
6名
亀さん
6名
うり美さん
5名
山村
4名
富山さん
0名
合計21名

今回は、「疑わしきは罰せずですから」と署名してくれた人、「僕は思想的には『左』ではないけど、えん罪は許せないので」と署名して千円カンパしてくれた人、「ずいぶん前からやってらっしゃいますよね」と署名してくれた人、等々でした。
また、この日、うり美さんに某テレビ局のディレクターが「えん罪事件ということなら取材したい」と話しかけてきて、その後、富山さんから詳しく説明を聞 いていました。結局、その人が担当しているのはワイドショー的な番組で、こういう「政治性」のある事件を取り上げるのはむずかしいということだったようで すが、話を聞いてもらっただけでもよかったと思いますし、今後何かのきっかけにならないとも限りません。うり美さんは、「最初に私に話しかけて来たんです からね、私に!」と盛んに強調していました。確かにうり美さんのお手柄ではあります。 (山村)

  今回、私が署名を取った人達は、以前に署名してくれた人や、以前何度か私達の前を通りかかっていて、今回初めて署名してくれたという人だった。署名も何ヵ 月、何年と続けると、最初は「信用できない」と思っている人でも、「ここまでやるならどうやら本気だろう」と思うものらしい。考えてみれば、私が署名に参 加した頃に比べると、大井町の署名取りは非常にやりやすくなった。言い方を変えれば富山事件が認知されてきたという実感がある。
「ああ、富山さんの事件ね。まだ決着つかないの?」と声をかけていく人も何人もいるし、こちらが何も言わなくても、ビラなどで事件そのものは知っていてすぐ署名してくれる人が多くなった
今回、私が署名を取った人達は「この前も署名したわよ」と言って署名してくれた人、「以前にカンパ送ったんですよ。頑張ってね」と言って署名してくれた 人、「家族の分も署名していいんでしょ」と言って二人分署名をしてくれた人達でした。今までのビラまきが実を結んでいるような、そんな感触を得たビラまき でした。 (うり美)

 「第七歩目になりました。汗ばむ季節になりました。食事を取って体力をつけましょう」

(カンパ1000円を頂きました。いつもありがとうございます。) (山村)

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