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ニュースNo.235(2008年4月25日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.235(2008年4月25日発行)◎浜田寿美男先生の講演(その1)
坂本竹夫さんの想い出

大井町ビラまき報告

3・22 富山再審集会

浜田寿美男先生の講演(その1)

浜田寿美男先生の紹介

京都大学院博士課程(心理学)を修了。花園大学教授を経て、現在は奈良女子大文学部教授。
法と心理学会・前理事長。供述分析の第一人者として、甲山事件をはじめ多くの冤罪事件で人権擁護に貢献。
富山再審においても鑑定書作成とともに、94年7月広島、同年10月きゅりあん、00年3月きゅりあんで講演。
主な著書に、『自白の心理学』『取調室の心理学』『自白の研究』『自白が無実を証明する』等々、多数

なぜ冤罪は繰り返されるのか 3・22 富山集会

―福岡事件(1947年)と富山事件(1974年)―

1「証拠から人を求める」べきところ「人から証拠を求める」事実認定がのさばっている
刑事訴訟法第317条には「事実の認定は、証拠による」と定められている。しかし現 実には、「証拠は事実の認定による」という側面がそこに入り込んでい る。とりわけ供述 証拠は、人の口をついて出てくる言葉であるがゆえに、物的証拠と違って、状況に引きず られて動く。
2 福岡事件の場合
1947年5月20日、福岡市内の路上で、2人の闇ブローカーが拳銃で射殺され、1   週間ほどして、西武雄、石井健治郎ほか5人が逮捕された。西、石 井は、冤罪を訴え  たが、旧刑訴事件であったこともあり、捜査段階での自白を唯一の証拠として死刑が言  い渡された。
1948年 2月27日 福岡地裁 西、石井に死刑判決
1951年11月27日 福岡高裁 西、石井の控訴棄却
1956年 4月17日 最高裁  上告棄却 二人の死刑確定
第一次再審請求(石井1956年)、第二次再審請求(石井1957年)、第三次再審  請求(石井・西1964年)、第四次再審請求(西1965年)、第五次再審請求(石  井1965年)
1975年 6月17日 石井恩赦で「無期懲役」に減刑
同日 西は死刑を執行される
現在、再度の再審請求を行っている。
3 福岡事件の事実認定
この事件の裁判では、「共犯者」とされた7人の供述証拠の全体から事実の認定が行わ れたのではなく、逆に、ある事実を認定したうえで、その認定に合致す るごく一部の供述 だけを選び出し摘示して、これを証拠とし、その他の供述はすべて「無きが如きもの」と して完全に無視された。(図1参照)
「証拠から人」ではなく「人から証拠」というこの事実認定の仕方は、まことに驚くべ きものである。旧刑訴だからこんなことになるのだと思いたいところだが、よく考えてみ ると、たったいまの現在にもまったく同じことが起こっている。
4 富山事件の事実認定と証拠採用
富山事件で法廷に提出された供述証拠は、捜査過程で聴取された供述証拠全体のなかの ごく一部である。そして法廷に提出されなかった供述はすべて「無きが如きもの」として 完全に無視された。(図2参照)
さらには法廷に提出された供述証拠のなかから、裁判所が結論的に事実として認定した 供述部分だけを、事実上、有罪証拠として取り出して、それで有罪認定をやってしまって いる。(図3、図4参照)
このような事実認定が冤罪を生み出し続けている。厳密な意味で「事実の認定は、証拠 による」と言える事実認定を、私たちはどのようにして取り戻していけばよいのか。

 なぜ冤罪は繰り返されるのか

  福岡事件と富山事件(その1)

 三月二二日に行われた富山再審集会で の浜田寿美男先生の講演を三回に分けて掲載します。見出しは編集者の責任でつけさせて頂きました。

みなさん、今晩は。奈良女子大に勤めています浜田です。
時間の方は最初は一時間ということだったんですが、八海事件の元被告の阿藤さんが今日来られないということで、私の方で自由に使ってくださいと言われましたので、一時間半を上限にお話をさせて頂きます。よろしくお願いします。
今、紹介頂きましたけれども、私は大学での本務は心理学で、なかでも子供の心理学が専門です。大学に付属の幼稚園から小学校、中学校、高校と全部あるんで すけれども、私は今、幼稚園の園長もしているという立場の人間です。こういう刑事裁判の仕事と本務の仕事は違っていまして、私の周りの人達も、子供の問題 とか、発達の問題だとかいう人間が、なぜ刑事裁判というようなどろどろした仕事をしているんだと言われるんですけれども。

 刑事裁判に関わるきっかけ

甲山事件というのがありまして、知的障害児の入所施設で、二人の園児が行方不明になって、その後、その学園の浄化槽から溺死体で 見つかったという事件がありました。実際は事故だったのですが、それが殺人事件だというふうに警察の方が認定してしまったために、捜査が進められて、その 学園の職員、二十二歳の保母さん、今でいう保育士さんが疑われて逮捕され、自白をさせられて、一旦不起訴になったんですけれども、再捜査になって四年後に 裁判になったという事件です。
この事件で、この学園で一緒に生活をしていた子供達の、先生が連れて行く所を見たという目撃供述が出たということで、殺人罪という形で争われたわけです。 子供達の目撃証言をどこまで信用していいのかというようなことが最大の争点になった事件です。知的障害児の目撃供述ということで、弁護士が対応しきれな い、子供の発達とか、あるいは障害の問題を専門にしている人間に協力してほしいということで、たまたま私の知り合いがいたものですから、私の所に協力要請 があって、それで刑事裁判にはまってしまったというのが経過です。
それが一九七四年の事件でしたけれど、裁判になったのが一九七八年で、子供達の目撃証言がいよいよ法廷で、証言台に子供達を立たせて審理が進んでいくという段階、それが一九七九年。一九七九年に裁判に関わり始めました。
そういうことをきっかけに、子供の発達ということを専門にしながら刑事裁判というものにはまっています

 無罪をかちとるまでに二五年

ご存知のように刑事裁判というのはなかなか決着がつかない。冤罪というのをなかなか裁判所が認めない。甲山事件も一九七四年の事 件で、一九七八年に裁判が始まって一審は無罪です。一九八五年に無罪が出ました。しかし、大事件でしたから、検察側は面子をかけてやるということになりま すから、控訴しました。
控訴審で有罪判決は出なかったんですけれども、一審の審理では足りないのではないかということで、もう一度地裁でやり直せという判決になりました。それに 対して弁護側は上告したのですけれども認められなくて、結局、やり直しということになって、やり直しの二回目の地裁判決も無罪になったんですね。これが一 九九七年。その後、また検察が控訴して二回目の控訴審、それが終わったのが一九九九年。これも無罪で、検察側の控訴棄却。甲山事件は一度の有罪判決をもら わなかったのですけれども、最終は一九九九年、これは検察側の控訴棄却ということになりましたが、この時にはもう検察も上告しなかったんです。放棄をせざ るを得ないということで。
一九七四年に起こった事件が、決着がついたのが一九九九年、事件から二五年かかった。無罪を勝ち取るのにこれだけの時間がかかるということを実感させられました。
その時に終われば、私もそれじゃまたということで済むんですけれども、終わらない。裁判だけで二一年かかっているわけです。それにずっとおつきあいさせて 頂いた中で、他の事件も相談を受けるようになって、いよいよ抜けられないという状態です。泥沼の世界みたいに、ちょっと足を突っ込んだら、ぬかるみですか ら、すぐ膝ぐらいまでは来るんですね。ちょっとやっているともう腰位までに、だんだん胸まで来て、首まで来て、私はもう沈んでいるじゃないかと思うくらい にどっぷりはまってしまっているという状態です。その間、いろいろな事件の依頼があり、やってきました。

 富山再審で鑑定書を提出

富山事件もそのひとつです。話があったのは、一九九〇年に入ってからじゃないかと思うんですけれども。鑑定書を書きましたのが一 九九四年。この緑色の冊子(プログラム)を眺めていてずいぶん時間が経ったんだなと思っていたんですけれども。一九九四年の六月に再審請求をして、その時 に鑑定書を出したんですね。それが二〇〇四年に棄却決定。ずいぶんかかりますよね。一〇年かかって棄却決定が出て、私の鑑定書に触れていたのはほんの一、 二行じゃないかと思うんです。全く入れられない形で。それで、改めて棄却決定に対する反論という形で意見書をその年の一二月にもう一度出しております。

門野博裁判長と名張毒ぶどう酒事件の再審取り消し

本当に時間がかかっているということと同時に、あちこち因縁があるなという目で見ていたんですけれども。例えば異議審で三人目の 裁判長ですか、二〇〇七年の五月に門野博裁判長という今の裁判長に変わっています。この門野博裁判官というのは、名張の毒ぶどう酒事件の再審開始決定が一 旦出たのですが、それを検察側が異議申立したことで、異議審で再審開始決定が取り消されたんですが、その決定を出したのが門野博裁判官。それが二〇〇六年 の一二月の年末、二六日くらいです。この門野裁判官というのは、刑事裁判の中では評判のいい人で、比較的期待できるとされていた。再審開始決定のように、 異議審も検察側の異議申立を棄却して開始するのではないかという弁護団の期待の中で、門野博裁判官は開始決定を取り消すという決定をします。その人が名張 事件の開始決定取り消しの後、転勤で東京高裁に来て、この富山事件を担当することになったということです。
この名張毒ぶどう酒事件というのは一九六一年の事件で死刑確定事件です。もう八二歳になるのかな、奥西さんという方が今、獄中にいるわけです。一審は無罪 判決が出たのですが、二審で逆転有罪で死刑判決。五人の方が農薬を混入されたぶどう酒を飲んで亡くなっている。今の量刑からいうと死刑もやむを得ないとい う事件ですけれども、本人はやっていないと主張している。しかも一審は無罪だった事件です。
一事不再理という、一旦、刑が確定すればもう一度同じ危険にはさらされないということですが、今、ロス疑惑の三浦さんの件でテレビなどで耳にされていると 思います。日本の刑事裁判の場合は、一審で無罪が出ても、検察側の控訴が認められています。検察側が控訴してもう一度やり直すみたいなことが、事実上なさ れている。一事不再理というのを原則的に言うと、検察側の控訴は許されないというのが本来だと思うのですが、一審無罪判決をとれても、検察側が控訴しても う一度チャンスを、検察側からするとチャンスを持ってしまう。冤罪事件の大きなネックが検察側控訴なんですが、その意味で、この名張毒ぶどう酒事件、逆転 有罪で死刑になったという、無罪から死刑になったというのは戦後唯一なんですね。奥西さんは、この事件で有罪判決をもらって以来ずっと獄中にいるわけで す。
私も鑑定書を異議審の段階になって提出したのですが、その異議審で門野博裁判長が開始決定を取り消した。その決定の中で、私の鑑定書を相当取り上げてい るんですね。一〇ページを割いて反論をしてくれた。反論してくれたと言いたいのですが、反論してくれると裁判官がどう考えているかよくわかるので。一~二 行で書かれたらさっぱりわからないですよ。無視されたに等しい状況です。その意味では門野決定は、私にとってはありがたかったのですが。それへの反論を書 いてほしいということで、今年の二月にそれを仕上げて最高裁に提出しました。そういう因縁があります。この富山事件の異議審でも、私、意見書を書いていま すので、門野博裁判長の目に触れることになるのかなと思っておりまして、どう判断下すのか興味深いなと思っています。
あれこれと因縁がありまして、富山事件も目撃者の供述ということで、専門の子供とか、障害とか一切関係ないのですが、目撃供述をどう見るのかということ で、一四年前に鑑定書を書いたわけです。ここ、きゅりあんで話をさせてもらうのも三回目ということになります。久しぶりにこの集会で話をさせて頂くことに なりました。久しぶりと言っても八年ぶりですね。
(次号に続く)

 □  あなたもぜひ会員になってください

 「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」(「かちとる会」)では、富山さんの無実を訴え、再審無罪をかちとるため、ともにたたかってくださる方を求めています。
再審に勝利するためには多くの人々の力が必要です。また、再審弁護団のたたかいを支えるための裁判費用等、多くの資金を必要としています。
あなたもぜひ会員になって富山さんの再審を支えてください。

▼ 会費は月額一口千円です。

▼ あなたの会費は、再審にむけた運動づくり、再審の裁判費用等に 役立てられます。
▼ 会員には、月一回、「無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュー ス」をお送りします。

▼ 「かちとる会」では月一回、定例会を開き、再審をかちとるため の話し合いを行っています。また、集会や学習会、現地調 査を行 い、富山さんの無実と再審無罪を訴えています。これらの集まりに もぜひご参加ください。

▼ カンパのみの送金も大歓迎です。

□ 会費・カンパの振込先

▼ 郵便振込口座番号 00140-1-1506 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会

▼ 銀行振込
みずほ銀行 神保町支店 普通口座 1346188 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会

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   富山裁判の経過

・ 1974年10月3日
東京品川区で事件発生
・ 1975年1月13日
富山さんデッチあげ逮捕される
・ 1981年3月5日
東京地裁 無罪判決
・ 1985年6月26日
東京高裁 有罪判決 懲役10年
・ 1987年11月10日
最高裁 上告棄却
富山さん 大阪刑務所服役
・ 1994年6月20日
再審請求書を提出
・ 1995年12月19日
満期で出獄
・ 2004年3月30日
東京高裁 再審請求棄却
・ 2004年4月5日
異議申立書提出

※ 現在、高裁第4刑事部に係属中

追悼

□坂本さん、ありがとうございました

 (写真 集会でカンパアピールする坂本さん -2005年11月12日の富山集会で-)

  悲しいお知らせです。3月30日に、坂本竹夫さんが亡くなりました。一度でも集会に参加いただいた方は印象深く記憶されていることでしょう。カンパアピー ルでお馴染みの全逓OBの労働者です。2005年11月12日の集会後、脳出血のため闘病生活を送られていました。あの独特の風貌と語り口に接することが できなくなりました。本当に残念で、さみしいかぎりです。
ニュース読者にはアピールやインタビューの記事などでご存じのとおり、労働者魂の体現者という表現がピッタリの人格であり生涯でした。なかでもいちばん感 銘を受けたのは「毎日、職場に行くのが楽しくてしかたなかった」ということばです。いまはこんな労働者は稀有で、いらっしゃったとしても「絶滅稀少種」と いうべき存在になっているのではないでしょうか。なぜ、坂本さんは「楽しくてしかたなかった」のでしょうか。それは「いつも当局とたたかっていたから」と いうことばが続くからです。しかも、労働者魂を遺憾なく発揮して当局をやりこめていたからです。「全逓空港支部のKさんたちはいちばん原則的にたたかって いた。そのKさんをたたかっていることを理由に処分する全逓既成指導部はゆるせない」が口癖でした。そんな坂本さんだから、私に対するデッチ上げ弾圧は絶 対に容認できないことでした。なんのためらいもなく弾圧粉砕のために一緒にたたかいに起ち上がっていただけたのは、坂本さんにとってきわめて自然な行為 だったのです。うれしい驚きでした。労働者階級こそは人間の人間的解放の担い手であるという思想と実践の見本・実証者が目の前に存在し、登場していたので すから。
  これは多分、木下先生も同様だったのではないでしょうか。定例会後の「本会議」(交流会)で、坂本さんの武勇伝をニコニコして聞いていらっしゃる姿がいま も目に浮かびます。ダンディーさんの代表ともいうべき木下先生と労働者の代表ともいうべき坂本さんの談笑する光景は、「かちとる会」の存立基盤の象徴でし た。誇りでもありました。
湿っぽいのは嫌いだった坂本さんだから悲嘆に暮れるのは止めにします。坂本さん、ありがとうございました。かならず再審無罪をかちとります。そして、坂本 さんの仲間たちとともに「労働者の天下」を実現します。またいっしょに語り合う日まで見守っていてください。 (とみやま)

 

 

大井町ビラまき報告

・ 亀さん……3

今回は3・22集会に向けて、署名はとらず全員ビラまきに専念した。
ところが、終わってみたら亀さんだけ3名署名を獲得していた。
えっ?いつの間に?すごーい!
うり美

大井町のYさんから

休載

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ニュースNo.234(2008年3月25日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.234(2008年3月25日発行)◎集会報告

アンケートから

大井町ビラまき報告

富山集会70名参加で大成功

ありがとうございました。

 

□ 3・22富山再審集会報告

3月22日、「刑事裁判(ブラックボックス)に光を! なぜ冤罪は繰り返されるのか」と題して富山再審集会が行われた。
かちとる会の集会としては、2006年7月8日以来となる。
富山再審は、いまも異議審での闘いを余儀なくされている。昨年5月、大野市太郎裁判長から門野博裁判長への交代があった。1994年の再審請求以来、これで裁判長の交代は8人目である。裁判長が変わるたびにまた振出しに戻ってしまう。
刑事事件の中でも、再審事件は担当部で後手後手に回される傾向にある。富山再審事件もその一つと言ってよい。
1975年、最高裁は再審について実に画期的な判断をした。いわゆる白鳥決定である。この決定は「刑訴法435条6号にいう『無罪を言い渡すべき明らかな 証拠』とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らか な証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実 認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠と総合的に評価して判断すべきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定 判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用さ れるものと解すべきである」とした。
この白鳥決定を受けて1979年の免田事件再審無罪を筆頭に、財田川事件、島田事件、松山事件と次々再審無罪判決があり新聞を賑わせた。白鳥決定は「針の穴にラクダをとおすほど難しい」とされる再審の門戸を大きく広げたとも言われた。
しかしながら、昨今の刑事裁判の状況をみると、それももはや過去の産物と化してしまったのだろうか。袴田事件や名張毒ぶどう酒事件の再審棄却決定、横浜事件の免訴判決しかりである。白鳥決定からは、明らかに逆行してはいないだろうか。
私達は、刑事裁判に光を!その思いで今回の集会を行った。
最初に浜田寿美男先生(奈良女子大教授・発達心理学)の講演が行われた。
浜田先生の講演は2000年以来である。先生は富山事件はもとより甲山事件、狭山事件など多くの冤罪事件において供述分析の鑑定書をだしている。
今回は先生が鑑定書を手がけた福岡事件を基に富山事件との類似点、冤罪の構図について話された。以下、浜田先生の講演から紹介する。
福岡事件とは、1947年5月、福岡県博多市で2人の闇ブローカーが射殺された事件である。事件の犯人として、石井健治郎氏、西武雄氏、他5人が逮捕され た。石井氏は2人の男を撃ったことは認めたが、身の危険を感じて撃ったという正当防衛を主張。一方西氏は殺人現場には現れておらず7人で謀議したこともな いと主張した。
一審福岡地裁は石井氏、西氏に死刑判決。他の1人は無罪、4人は懲役3年6ヶ月~15年がいい渡された。
二審福岡高裁は控訴を棄却。石井氏、西氏は上告をしたが他の4人は下獄した。
最高裁は石井氏、西氏の上告を棄却。二人の死刑が確定した。
以後、五次にわたる再審請求はいずれも棄却され、1975年6月、石井氏は恩赦で「無期懲役」に減刑されたが、同日、西氏は死刑を執行された。
この再審運動の中心を担ったのが真言宗僧侶の古川泰龍氏である。古川氏は福岡刑務所に服役中の西氏と石井氏の教戒師であった。二人は『自分たちはやってな い』と熱心に訴えてきた。最初、半信半疑だった古川氏だが、あまりに熱心に訴えてくるので事件を調査し、冤罪を確信して再審運動に邁進するようになった。
しかし2000年、古川氏は再審開始を待つことなく他界した。現在は子息の龍樹氏が跡を引き継ぎ、再度の再審請求を行っている。
浜田先生は、最初、裁判所の事実認定について、刑訴法317条には「事実の認定は、証拠による」と定められている。しかし現実には、「証拠は、事実の認定 による」という側面が入りこんでくる。とりわけ供述証拠は、物的証拠と違って状況に引きずられて動くと指摘した。
福岡事件の事実認定では「『共犯者』とされた7人の供述証拠全体から事実認定が行われたのではなく、逆に、ある事実を認定したうえで、その認定に合致する ごく一部の供述だけを選びだし摘示して、これを証拠とし、その他の供述はすべて『無きが如きもの』として完全に無視された。「証拠から人」ではなく「人か ら証拠」というこの事実認定の仕方は、旧刑訴時代も今も全く変わっていない、と先生が用意した「西による『計画』の認知についての変遷図(全体図)」をも とに説明した。
富山事件でも同じ構図になっている。法廷に提出された目撃者の供述調書は捜査段階で聴取された供述証拠全体のなかのごく一部である。そして法廷に提出され なかった供述はすべて「無きが如きもの」として完全に無視された。さらには法廷に提出された供述証拠のなかから、裁判所が意図的に選別した供述部分だけを 有罪証拠として取り出して、そこで有罪認定をやってしまっている。
年齢についての供述変遷、犯行場面供述の変遷を説明しながら「最終的には検察側の主張にあう形で整理されてしまう」「検察官の調書としてでてきた時には矛盾のない形とな」っているとした。
この「あたりまえのことを裁判所は全然見抜けないまま、検察側のストーリーにあうものだけを証拠とみなして有罪判決を書くということが延々とやられてきている」
「再審無罪になった事件は膨大にある。にもかかわらず冤罪事件が起こり続けているのは何故かというと、警察側、検察側がそういう事件を起こしてしまった要因についてのチェックを一度もしていないからである」
「警察側、検察側が一向に反省をしていない。間違ったことを認めない。間違ったことを認めない限りは、変わらない」と語気を強めた。
浜田先生は、冤罪事件の原因を究明し改めない警察、検察側の体質、さらに福岡事件や富山事件等にみられる裁判所の事実認定の仕方が、いまもなお多くの冤罪事件を生み出していることを指摘した。

続いて、富山再審弁護団から、富山さんが逮捕された1975年から弁護活動を行っている主任弁護人の葉山岳夫弁護士が報告を行った。
葉山弁護士は冒頭「この事件は富山さんがたまたま逮捕、起訴、有罪となったのではなく、警察や検察、いわゆる国家権力による意図的なデッチ上げの権力犯罪である」と指摘した。そして、異議審裁判でのカギは証拠開示であることを以下説明した。
検察は約40名の目撃者の中から富山さんを写真選別した6名だけを選びだし有罪立証を行った。残りの目撃者は、全くブラックボックスの中である。弁護団が 調査したところ、その中には、富山さんは犯人ではないと言った目撃者がいたが、検察側は自分たちに有利な証人以外は開示しない。
目撃証人Oの運転するタクシーの乗客であった新聞記者は、弁護人が苦心してさがし出した人物である。その人は、弁護人に「犯人は全く違う人物。あんなに背も高くない。キツネ顔の男だった」と答えている。
検察官はその新聞記者の存在を知っていたにもかかわらず、法廷では弁護人の質問に対し、そのような人物は知らないと公然と嘘をつき、被告の無罪につながる証拠の開示を拒否した。
さらに葉山弁護士は、I証人と一緒に事件を目撃したY氏の調書等を富山さんの無実を証明する調書である可能性が高いのに検察官が開示しようとしない点など をあげ、検察官のこのような態度は、証拠開示すれば無罪になってしまうから開示しないということであり、刑法104条の証拠隠滅罪という犯罪行為を犯して いる、として検察官の態度を批判した。
富山事件では、目撃証人の信用性が最大の争点になっている。
一審段階では、当初、検察側は目撃証人の検面調書(検察官面前調書)しか開示していなかった。これだけを見ると、目撃証人達が見た犯人は、富山さんであるとされている。
ところが、検察官が激しく抵抗するなか、弁護団が数年にわたり粘り強く争い員面調書(司法警察員面前調書)を開示させたところ、目撃証言には決定的な齟齬が生じた。
富山さんは、この事件の実行犯(殴打犯)ではなく「歩道上にいた指揮者」として逮捕されている。
目撃証人たちは、最初の員面調書の段階では、殴打犯の人物を富山さんとして選んでいたり、車道上で指揮をしていた人物を富山さんだとして選んでいる。つま り富山さんが数ヶ所に同時に存在するという決定的矛盾が生じていた。この矛盾を解消するために、検察官は目撃証人が見た犯人の位置や場面を追走場面や逃走 場面にずらして整合させた検面調書を作成していた。
さらに目撃証人たちは、最初の員面調書の段階では、犯人の特徴について富山さんとは全く別人の特徴を供述している。これも警察・検察官の取り調べを経るに従い、富山さんの容貌に近づけて整合させられている。
このような目撃供述の変遷過程は明らかに警察・検察官の暗示・誘導が行われた結果であり、員面調書の開示があってはじめてこのデッチ上げが暴かれたのだった。このことは一審判決でも指摘されている。
弁護団は、浜田鑑定書以外にも目撃証人の証言が信用できないことを科学的に立証するために、確定判決が最も信用性が高いとしたI証人の証言をもとに実験を 行い、I証人の視力(0・2、0・4)では16・45メートルの距離で初対面の人物の同一性識別は不可能であるとする鑑定書を提出している。
しかしながら、東京高裁はこれらの鑑定書を採用しようとせず再審請求を棄却している。
葉山弁護士は、このような状況の中で検察官がかたくなに拒否している証拠を開示させることが富山再審勝利のカギであること、更には、裁判外で大きな運動を作り出すことが決定的に重要であるとした。
次に、かちとる会から活動報告を山村さんが行った。
かちとる会は、富山さんを中心に毎月の大井町での署名集めを初めとする署名活動や裁判所でのビラまき、裁判所への申入れ行動、日弁連の目撃証言研究会や法と心理学会への参加等の活動を続けている。
山村さんは、検察官の手持ち証拠の開示について、異議審が継続している東京高裁第4刑事部、門野博裁判長が昨年12月、偽造通貨行使の罪に問われた男性の 裁判で、警察官の取調メモや備忘録について、「検察官の手持ち証拠でなくても、検察官が容易に入手することができ、弁護人が入手困難な証拠で、被告人の防 禦の準備のために開示の必要性が認められるものは、検察官が保管すべき証拠であり、開示の対象となる」と開示命令を出し、最高裁も高裁の開示命令を支持し たことにふれた。
そして「富山再審で弁護団が求めている証拠開示は、目撃者の供述調書や捜査報告書、富山さんの逮捕写真などの公的な文書類です。検察官もこれらの証拠の存 在を認めています。検察庁に、無実を裏付ける可能性が極めて高い証拠があるにもかかわらず、それを明らかにしないで、隠し続けるということが許されるとい うことは、国が建前としている刑事裁判のあり方、司法制度を根底から否定するものです。被告人の無実を証明する可能性がある証拠を、国民の税金を使って集 めた証拠を、検察官が隠し持っていることが許されること事態が、およそ裁判を語るに値しないというべきだ」と怒りをあらわにした。
「一審から弁護団事務局としてやってきて、1987年の上告棄却以降は、『かちとる会』をつくり再審の旗を守り続け、出獄した富山さんに引き渡すことがで きたことを誇りに思っている。その間、いろんな人が来ては、去っていき、亡くなられた方もいる。しかし、ここまでやってこれたのは、請求人本人である富山 さんの不屈の闘い、一審以来断じて退くことなく闘い続けてきた弁護団の存在、阿藤さんをはじめとする全国の支援をしてくださっている人々、そしてこうして 集会にお集まりいただいた皆さんのおかげです。今こそ、原点に立ち返り、再審開始、再審無罪をかちとるまで闘い抜いていきたい」と決意を表明した。
弁護団事務局として、「かちとる会」事務局として、運動を支える立場からの力強い発言であった。
続いて、かちとる会の亀井さんからカンパのアピールがあった。
「ニュースの署名報告に載っています亀井からカンパのお願いをさせて頂きます」の発言に、会場に笑いが溢れた。
亀井さんは、「署名のお願いをすると、読んでからとか、判らないからとか、全く無関心の人々が殆どですが、踏みつけられる痛みを感じる人々、真実の訴えに 耳を傾ける人々もいます。ここに集まってくれた人達は、その人達だと思います。カンパは不正に対する怒り、真実がいかに強いか、『無実は無罪に』という素 晴らしい勝利を実現できる喜びを共にするために是非とも必要です。よろしく、そして大胆にお願いします」と訴えた。会場からはまた笑いが溢れた。カンパ は、27、444円でした。 ありがとうございました。
閉会時間が刻一刻と押し迫る中、最後に請求人本人の富山さんからアピールがあった。
富山さんは「私は無実です。私の事件は、今明らかになっている証拠を裁判所がきちんと分析するだけでも無実は明らかなんです。」「裁判はやっぱり力関係な んです。その力関係の中で、少しでも公正な裁判にこだわろうという裁判官とぶつかった時に、無罪がでるかもしれないけれども、普通の状態で互角に闘おうと したら絶対に勝てない」
「今もでっち上げが公然と行われている。それは私に行われたことと全く同じことが起きている。そこに対抗していくには、論理の力と結びついた人民の力を結集することが必要である」として、再審への支援を呼びかけた。
限られた時間の中で、会場が割れんばかりの熱意あるアピールであった。
富山さんは逮捕された直後から、一貫して無実を主張している。自白もない。私達はその中で共に闘い、再審開始、再審無罪を勝ち取っていかなければならない。
今回の集会には、9名の方が新しく参加してくださいました。
ありがとうございました。

うり美

※ 浜田寿美男先生の講演、葉山弁護士の  報告は次号から掲載いたします。

アンケートから

 初めて参加しましたが、大変勉強になったとともに、捜査機関の意識上の問題、裁判所の意識上の問題、法の不備等色々なことを考えさせられました。
訴訟指揮にもとづく証拠開示公判前整理手続における証拠開示も結局は裁判所の判断にかかってきます。裁判員制度が近いうちに始まりますが、裁判所の”真実を追求する姿勢、意識”が、より試されるようになってくると思います。
それが実現されてくれれば、冤罪も減  少し裁判員制度を導入する一つの効果、意義があるのだと思います。

  27歳男性(司法試験受験生)

労働者人民の有罪、無罪は、警察、検察という国家権力が決める。例え冤罪でも死刑であっても。
国家権力は、間違いを認めない事で、その支配を正当化していることが良く判りました。富山さんの不屈の闘いは、この国家権力を裁く闘いであり、権力と人民の関係を根底からかえる原動力と確信します!

  50歳男性(会社員)

富山さん、弁護団、「かちとる会」の方々の奮闘されていることに本当に頭が下がります。再審という壁をぶち破ることのすごさ改めて思い知らされました。
今までの証拠で明らかなのにもかかわらず認めない。これを考え、認めない裁判所-現実の裁判の状況だということ。
大きな運動で揺さぶっていくこと、不当だということを言い続ける、闘い続けることで変えていきましょう。署名集めます。

  64歳女性(教員)

福岡事件についてはテレビ朝日の朝のワイドショーで2~3ヶ月前に取り上げていたことがあります。無実であるのに国家によって殺されたとんでもない事件です。
今回の浜田先生のお話でその経緯がよくわかりました。終戦直後の事件と今日の冤罪。連綿と続く司法の犯罪は許されません。権力のつくったストーリーにあわせた証拠がデッチあげられることを打ち破らなければならないと思いました。
富山再審めざして、がんばりましょう。

64歳男性(無職)

  ”なぜ冤罪は繰り返されるのか”をテーマにした浜田先生の講演は、まさに権力犯罪のカラクリを暴くものでした。
100%無実の富山さんの”真実”に基く不屈の姿勢は必ず勝利する筈です。
権力犯罪を断じて許さず”冤罪の繰り返し”を決して許さない闘いを更に前進させましょう。
<追記>鳩山発言を許さないゾ!

  59歳女性(会社員)

浜田先生のお話、具体的でわかりやすかった。内容的にも重要。福岡事件とまったく同じ構図であり、性こりもなく同じことが 繰り返されている国家権力犯罪としての冤罪事件。恐ろしさを感じるだけでなく、こうした権力犯罪に怒りをもやし闘いぬくことの重要さを改めて教えられまし た。
富山さん自身の話に感銘受けました。
この裁判は論理ではない、力関係だ、この力関係を変える闘いが必要、その通り。
がんばりましょう。

  66歳男性(無職)

浜田さんの講演は、大変有意義でわかり良かった。葉山弁護士によってデッチ上げ性が完全に暴露され切ったと思います。 よく判る話でした。
この事件のデッチ上げ性は明白であり、 何回聞いてもその度に改めて怒りが沸いてくる。
「かちとる会」の報告は、胸を打つものでした。

  68歳男性(無職)

初めての参加です。法律的なむずかしく、固い内容かと、構えて(固くなって)参加しました。
浜田先生の「福岡事件」1947年と「富山事件」を図を使った説明は、わかりやすかったです。
いかに検察側主導の裁判か。
冤罪を繰り返さない為にには・・・どうしましょ・・・

  54歳女性(業務職員)

 証拠開示を義務化する立法措置が必要ではないですかね。

  59歳男性(文筆業)

本日の集会に青年労働者が少ないと思います。
今後デッチ上げ弾圧の対象となる青年労働者が参加するようにしてきましょう。

  54歳男性(作業員)

富山保信さんは無実だ!
検察官は証拠開示を命令せよ!
再審無罪を勝ちとろう!

  62歳男性(年金生活者)

閉会時間のおおよその見当を示しておいて下さい。

  69歳男性(無職)

 富山裁判の再審運動が、日本の刑事司法(裁判)の持っている問題の深刻さを鋭く暴いている努力に敬服します。・・

  62歳男性(無職)

浜田先生のお話は面白かった。
警察、検察の作った事実認定に沿って証拠を選び出していくという、お話は良くわかりました。
証拠開示をしない、それが許されている裁判制度を変えていこう。

  56歳男性

浜田先生の福岡事件(’47)を例に60年たっても日本の刑事裁判の現状は変わっていないという事実に改めて驚かされた。

  女性

浜田教授の講演は、ご自身の再審裁判、刑事事件に関与した経験にふまえ、特に福岡事件、富山事件を通じて、裁判所の証拠の恣意的な選択により真実に反する判決を下すことをくわしく批判されました。
浜田先生の鑑定書の価値を裁判所は再認識すべきだと思います。ブラックボックス、また裁判を、証拠開示をかちとることによって打破したいと思います。

  71歳男性(弁護士)

検察側の証拠作りの作為性を感じます。
浜田講師の冤罪の責任回避を許してはいけないという講演が良かった。

  58歳男性(無職)

 浜田氏のお話は、とてもわかりやすく、 あらためて、冤罪について勉強になりました。
ありがとうございました。

50歳男性(大学職員)

・浜田氏の講演はもう少し論理的につきつめた興味深いものと期待したが「事実の認定は、証拠による」べきなのに「証拠は事実の認定による」ことになっているという、いわば一般論、常識論を丁寧に述べられているだけのように思われます。
問題はこの様なことが公然とおこなわれている、この様な現実(これをどう乗り越えていくのか?)が存在している、この事実の分析、思想的、社会構造理解が問題なのではないかと思われるのですが…。
・葉山弁護士のお話は裁判の実際に即しており、非常に興味深かった。
・富山氏自身がおっしゃっている「力関係である!」

  65歳男性(無職)

今日、都内で闘われた反戦×春闘集会のデモで、でっち上げによって仲間を奪われている者です。国家、そして警察権力の維持の為 に、ひとりの人間の人生がここまでぶち壊される現在(迄)の日本社会って何なんだ!という気持ちでいっぱいで、でも周囲の人にはなかなかいきり立つ気持ち だけでは理解を得られないでいます。
しかし、この「富山事件」というひとつの”刑事裁判”をまさにいままでたたかってきた人達による経過報告を、じっくり、丁寧にみつめていくことで、自信が沸いてきました。
「事実の認定は、証拠による」という刑事訴訟法の定めは、実際には全く逆転してしまっている。この話が、私の心に一番響きました。
私は、今警察権力によって奪われている仲間のことを、ただ仲良しだったからとかいう友達意識で取り戻したいのではなく、デモの逮捕現場を実際見て、本人が全く逮捕される理由など無かったと確信しているからこそ取り戻したいのです。
そして、私のその確信がゆるぎないものなんだと周囲の人にも伝えたいと、一緒に仲間を取り戻したいと思うのは、あるひとつの絶対的なもの-国家・警察の権 力とその正義(正当)性というものを、何がなんでも維持する為に強行された暴力をこの目で見た。そして、そんなものに振りまわされている今の社会や私の人 生を、本当に変えたいと思ったからです。
  今、治安を維持するのに欠かせないとされ、誰もみんながそう信じている法律も制度も、その本当の意味をたたかってつかみ取らなければ、全く意味をなさなくなります。
私は、合同労働組合で労働運動をしていますが、連日事務所で真剣な議論をしている私達に富山さん(通称Tommy)は、タイの煮付けやカレーなど差し入れてくれる、とても優しい人です。
私はTommyと一緒にたたかいたい。そしてTommyに一緒にたたかって欲しいと思うには、これだけで十分です。

 22歳女性(物流倉庫派遣スタッフ)

 

大井町ビラまき報告 (2月)

 関東地方は低気圧の影響で、暴風雨に見舞われ、ビラまきを断念しました。

大井町のYさんから

休載

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NEWS

ニュースNo.233(2008年2月25日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.233(2008年2月25日発行)◎富山集会に来て下さい!
高裁前ビラまき

大井町ビラまき報告

 3・22富山再審集会!!

日時:3月22日(土)18時半開会

会場:きゅりあん大会議室(6階)(品川区東大井5-18-1)TEL03-5479-4100

※JR大井町駅から徒歩1分

講師:浜田寿美雄さん(奈良女子大教授-法心理学)

報告:葉山岳夫弁護士(富山再審弁護団主任弁護士)

ビラまき奮闘記

富山再審集会が近づいた。今回の会場はいつもに比べて広い。それも、たんに定員が多いだけではなく、全体に机などもゆとりをもっ て配置されていて、見た目も従来の倍ではきかない広さを感じる。したがって、そうとう参加者が多くないと盛況と言う具合にはみえない。たいへんなことに なった。せっせと集会参加を訴えてまわらねば大恥をかくことになる。

  というわけで、まず裁判所周辺のビラまきから始めることにした。ちょっと早めの8時すぎから始めてまもなく「国労1047人闘争団」の定期街宣が合流。思 い起こせば、原審「逆転有罪」のときはちょうど国鉄分割・民営化攻撃の最中だった。動労千葉支援行動にもよく行ったものだ。腕章をしてビラを配っている何 人かの労働者が興味深そうにビラを取りにくる。「解雇撤回・原職復帰までがんばってください」と言って渡すと「ン?」という表情で読み始める。彼らの原点 は私のでっち上げ粉砕・再審貫徹と同じく「解雇撤回・原職復帰」である。彼らが1時間くらいで街宣を切り上げるとき、「がんばってください」と声をかける 人もいた。

  10時前後の1時間、ここが勝負どころだ。この時間帯にビラを受け取る人の反応がよく、集会に参加していただいた人も何人かいらっしゃるはずだ。ビラのはけ具合が全然違う。ということで、「予定数終了」となった。

わずか1回だけでは話にならない。1週間後、30分ほどだが日弁連会館に用があるついでにがんばる。集会参加を期待できる人もあらわれた。しかし、まだまだ、この程度では話にならない。いっそうがんばらねば。

22日、国賠ネットの定例集会。ここにもビラ持参で参加。みなさん多忙な方ばかりなので「はたして・・・?」なのだが、旧交を温めるのもよいものだ。

こんな調子で、3月にはさらに自らを叱咤しつつ東奔西走の予定。

亀さんも着々と紙のつぶてを投じているようだ。後れをとるわけにはいかない。せめてビラまきくらいは互角以上というか、太刀打ちできなければ情けない。花粉症をはね返して奮闘あるのみ。(とみやま)

□ あなたもぜひ会員になってください

「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」(「かちとる会」)では、富山さんの無実を訴え、再審無罪をかちとるため、ともにたたかってくださる方を求めています。
再審に勝利するためには多くの人々の力が必要です。また、再審弁護団のたたかいを支えるための裁判費用等、多くの資金を必要としています。
あなたもぜひ会員になって富山さんの再審を支えてください。

▼会費は月額一口千円です。
▼あなたの会費は、再審にむけた運動づくり、再審の裁判費用等に役立てられます。
▼会員には、月一回、「無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース」をお送りし ます。
▼「かちとる会」では月一回、定例会を開き、再審をかちとるための話し合いを行っ  ています。また、集会や学習会、現地調査を行い、富山さんの無実と再審無罪を訴えています。これらの集まりにもぜひご参加ください。
▼会費の振込先
・ 郵便振込口座番号 00140-1-1506
・ 銀行振込 みずほ銀行 神保町支店 普通口座 1346188 無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会

 

大井町ビラまき報告

 亀………5

富山……2(亀さんから横取り1名含む)

山村……1

うり美…1

 「寒い、寒い、寒い!」、もうこの言葉しかでてこない。少しでも寒さを和らげるため、体を左右に動かす。
今日は無理かなー、なんて思っていたら、

「冤罪ですか?」と私に尋ねてきたかと思うと、すぐ署名をしてくれた男性がいた。

これで今回のビラまき報告は免れた!なんといっても1名という僅差が勝敗をわけるのだ。
その後、山村さんにも男性が署名していた。その様子をジイーと見ていた富山さんは、黙っておれんとばかりに、「私が配ったビラを見て署名したんだ」としき りに山村さんに訴えている。面白いのは、山村さんに署名した方は、富山さんからビラを受けとり、少し離れた山村さんの所で署名をし、そしてまた富山さんの 前を通って帰って行ったのである。

富山さんは余程署名に縁がないらしい。これで富山さんが、報告を書くことになるんだわ、ウッシッシーっと私は全く油断していた。
今日は、大井町周辺の雰囲気も違う。日も長くなったせいか人通りも多いなぁ等とボサーっと暫くつったっていた。
ふと亀さんを見ると、二人の女性が署名をしようとしているのが見えた。さすがはカリスマ亀さん。
山村さんが富山さんに「あそこに行って一人署名貰ってきたら?」言うと、富山さんは名案と言わんばかりに脱兎の如く亀さんの元へ駆けだしていったのである。

「まさか本当にいくとは思わなかった」と山村さん。
ボサーっとつったっていた私は、ここで事の成り行きを理解した。焦って「それは不正だぁ」なんて抗議したのに、なんで私が書いてるんでしょ。
脱兎の如く走っていった富山さんは、亀さんの前で署名を待っていた女性に「私が富山です」と言って現れたそうだ。

さぞ、びっくりしたでしょうね。 うり美

大井町のYさんから

休載

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NEWS

ニュースNo.232(2008年1月25日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.232(2008年1月25日発行)◎新年の挨拶
阿藤周平さんから
かとちとる会に届いた年賀状

大井町ビラまき報告

本年もよろしくお願いします

2008.1.1今年こそは真実と本物が光輝く年に!

(年男の富山保信)

証拠開示がカギです。異議審勝利へ

今年もよろしくお願いいたします。

(かちとる会)

富山再審集会!!

日時:3月22日(土)18時半開会

会場:きゅりあん大会議室(6階)(品川区東大井5-18-1)TEL03-5479-4100

※JR大井町駅から徒歩1分

講師:浜田寿美雄さん(奈良女子大教授-法心理学)

報告:葉山岳夫弁護士(富山再審弁護団主任弁護士)

新年の挨拶

□ 真実が光彩を放つとき

昨年を象徴する語は「偽」と認定されました。昨年だけでなく、この数年は偽りの氾濫ともいうべき有様でした。食品だけではありません。すべてがそうでし た。ワーキングプア、ネットカフェ難民という言葉があたりまえのように語られ、地方は疲弊の極にあり、農民は農民として生きることすらできず、・・・これ でどこが「美しい国」「地方の時代」でしょうか。
しかし、いまや偽りの正体が露呈するだけでなく破綻、崩壊を始めています。刮目すべきは、偽りを乗り越えて真実が光彩を放ち始めたことです。
冤罪とのたたかいもそうです。「富山(とみやまではなく、富山=とやまで起きた冤罪事件です)事件」「志布志事件」と相次いで冤罪が発覚し、冤罪を不可避とする構造がなにひとつ改まっていないことが白日の下にさらされています。
やはり真実は必ず勝つ、真実ほど強いものはないのです。東京高裁第4刑事部は真実と真摯に向き合うべきです。門野博裁判長は、昨年11月、ある刑事事件で 検察官に証拠開示命令を発しています。私の再審請求審をらち外とすることはできません。検察官に証拠開示を命じよ!再審請求棄却決定をあらためて、再審開 始決定を出せ!のたたかいを、強力にやりぬきましょう。
昨年は近年になく若いみなさんとのつきあいが濃密な年でした。そのなかで、「生きさせろ」と叫ぶ若者はけっして特異な例ではなく、今日の行きづまった帝国 主義の下での労働者の普遍的な姿なのだと認識、実感することができました。「格差などない」と言い張っていたデマゴーグ小泉の主張は後継者によって公式に も否定されています。おそろしいことに、格差社会の底辺に落とし込められている当事者の口から「希望は戦争」「こんな現実、未来のない社会は嫌だ。ぶっ壊 してしまえ。こんな社会、体制のなかで温々と暮らしている連中の平和など糞食らえ。戦争でひっくり返せ」という言葉が発せられるという転倒した現実すら生 み出されています。準戦時体制・戦時体制で終始してきたアメリカでは、募兵官が学校で「貧乏人は徴兵志願と引き替えに大学育英資金をもらえ」「『不法』移 民も徴兵志願すればアメリカ国籍が手に入るぞ」と公然と人買いをやっています。このどこが希望でしょうか。やはり希望は革命なのです。すでに全世界的規模 で労働者の決起、反乱が始まっています。日本も例外ではありません。確実に地殻変動が起こっています。
時代の基調は「真実が光彩を放ち始めた」です。私は無実です。これは、何人も否定できない真実です。なんとしても勝ちたい!いっしょにたたかってください。よろしくお願いします。

(とみやまやすのぶ)

阿藤周平さんから

阿藤周平さんより、富山再審を支援してくださっているみなさんへの、新年の挨拶が届きましたので掲載いたします。

新しい年を迎え、みなさんにはお変わりありませんか。
今年は、どのような年になっていくのか、表面は華やかに見える社会も、決して心のやすまることない日々が、待ちかまえているように思われます。司法界に とっても、明年に迫った裁判員制度がはじまります。正に司法の激動期です。いつの世にあっても心休まる日は来るのでしょうか。裁判は国民のもの、国民のた めに存在するのであります。
老いの身に活を入れ、私は冤罪に苦しむ人のない、明るい社会、司法のために皆さんと共に頑張っていきたいと念じています。

阿藤周平

□ あなたもぜひ会員になってください

「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」(「かちとる会」)では、富山さんの無実を訴え、再審無罪をかちとるため、ともに たたかってくださる方を求めています。再審に勝利するためには多くの人々の力が必要です。また、再審弁護団のたたかいを支えるための裁判費用等、多くの資 金を必要としています。
あなたもぜひ会員になって富山さんの再審を支えてください。

▼会費は月額一口千円です。
▼あなたの会費は、再審にむけた運動づくり、再審の裁判費用等に役 立てられます。
▼会員には、月一回、「無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュー ス」をお送りします。
▼「かちとる会」では月一回、定例会を開き、再審をかちとるための 話し合いを行っています。また、集会や学習会、現地調査を行い、  富山さんの無実と再審無罪を訴えています。これらの集まりにも ぜひご参加ください。

▼会費の振込先
・ 郵便振込口座番号 00140-1-1506

・ 銀行振込 みずほ銀行 神保町支店 普通口座 1346188
無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会

  かちとる会に届いた年賀状

かちとる会に届いた年賀状

  

Hさん、依田弁護士、Oさん

 

山脇弁護士、伊藤純子さん

 

Aさん、伊藤純子さんの裏

 

Mさん、神戸市民救援会

 

Tさん、Tさん

 

Aさん、Yさん

 

Iさん、土屋さん

飯島さん (※ その他多くの方からいただきました。ありがとうございました。)

 

大井町ビラまき報告

亀………2
富山……2
山村……1
うり美……0

冤罪と言われて、自分とは直接関係ないと思っている人は多いのではないだろうか。
私自身、想像の域を出ない。直接経験した人にしか語れない真実というものは、確かにあるだろう。

今回は、富山さんに署名をしてくれた35歳の男性の方の話を紹介して報告とする。この方は、以前裁判所に勤めていたこともあるそうである。

彼の同僚が3000万円を横領し、そのうちの2000万円を彼に渡したと供述し、彼も逮捕された。
彼にとっては、全く事実無根の嫌疑だった。
彼は、勾留され取り調べをうけることとなった。幾度も幾度も身の潔白を訴えるが、信じてもらえない。
それどころか、暴力行為さえあったという。
当番弁護士に訴えても、取り合ってもらえなかった。
彼の孤独な闘いは、20日間にも及んだ。
しかし、ようやく嫌疑が晴れ釈放される時がきた。そこで彼が警察に言われたのは「文句があるなら裁判所に言ってくれ」という薄情な言葉だった。
結局、彼はこのことで職場を解雇された。
彼にとっての20日間とは、なんだったろうか。
彼は、こう強調していた。
「免田事件でも再審無罪になったのに、誰も免田さんに謝っていない。それはおかしい」と。
職場まで解雇された彼の人生を、誰も補償してはくれない。
彼のやり場のない怒りは、消えることがあるだろうか。 うり美

2007年署名結果発表!

亀………40
富山……12
山村……10
うり美……08

亀さんの圧勝でした。

大井町のYさんから

休載

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NEWS

ニュースNo.231(2007年12月25日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.231(2007年12月25日発行)◎あの日、富山さんをむかえて
証拠開示がカギ

大井町ビラまき報告

あれから13年

あの日、富山さんをむかえて

□ 1995年12月19日

1995年12月19日は、富山さんが不当な懲役10年を闘いぬき、出獄した日である。
当時私は、富山さんとはまだ面識がなかった。獄中から発せられる手紙、人づてに聞く人柄、想像をめぐらせながら、富山さんのお母さん、友人の方々、そしてかちとる会と一緒に大阪刑務所へ出迎えにいった。
あの日の大阪はとても寒く、待ちわびる私達の吐く息も白かった。寒さに震えながらも皆の、いまか、いまかと興奮した気持ちが痛いほど伝わってきていた。
あれから13年経った今でも、富山さんが大阪刑務所の扉から姿をあらわした光景は、はっきりと憶えている。できることなら、無罪で取り戻したかったと思ったことも、はっきりと憶えている。
私は、富山さんが出獄するその日まで自分なりに頑張ってきたつもりだった。だから、悔しかったという気持があったのも、はっきり憶えている。富山さんには 悪いが、富山さんが出獄した後、今までのその情熱と無念さをどう処理していいかわからず、運動に対する気持が萎えてしまい、このまま運動を続けていくべき かどうか悩みもがいた記憶もはっきり憶えている。
先日、その日のことが書かれたノートを見つけ、読みかえしてみた。あれからもう13年も経ったのか。つい先日のことのような気がしていた。あの日、感じた 怒りがよみがえってきた。月日の経過と共にすっかり身も心も丸くなってしまっていたと深く反省した。うり美

出獄した富山さんは、しばらく大阪刑務所の壁を感慨深げにみつめていた。

 □  あなたもぜひ会員になってください

 「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」(「かちとる会」)では、富山さんの無実を訴え、再審無罪をかちとるため、ともにたたかってくださる方を求めています。
再審に勝利するためには多くの人々の力が必要です。また、再審弁護団のたたかいを支えるための裁判費用等、多くの資金を必要としています。
あなたもぜひ会員になって富山さんの再審を支えてください。

▼ 会費は月額一口千円です。

▼ あなたの会費は、再審にむけた運動づくり、再審の裁判費用等に 役立てられます。
▼ 会員には、月一回、「無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュー ス」をお送りします。

▼ 「かちとる会」では月一回、定例会を開き、再審をかちとるため の話し合いを行っています。また、集会や学習会、現地調 査を行 い、富山さんの無実と再審無罪を訴えています。これらの集まりに もぜひご参加ください。

▼ カンパのみの送金も大歓迎です。

□ 会費・カンパの振込先

▼ 郵便振込口座番号 00140-1-1506 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会

▼ 銀行振込
みずほ銀行 神保町支店 普通口座 1346188 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会

—————————————

   富山裁判の経過

・ 1974年10月3日
東京品川区で事件発生
・ 1975年1月13日
富山さんデッチあげ逮捕される
・ 1981年3月5日
東京地裁 無罪判決
・ 1985年6月26日
東京高裁 有罪判決 懲役10年
・ 1987年11月10日
最高裁 上告棄却
富山さん 大阪刑務所服役
・ 1994年6月20日
再審請求書を提出
・ 1995年12月19日
満期で出獄
・ 2004年3月30日
東京高裁 再審請求棄却
・ 2004年4月5日
異議申立書提出

※ 現在、高裁第4刑事部に係属中

当時のうり美ノートより

1995年12月19日   22:20

今日、富山さんが満期をむかえた。
朝6時半からでむかえに行った。
私は、ただただ複雑な気持ちのままでその時を待っていた。
富山さんのお母さん、Mさん、友達……
それぞれの思いがあったであろうと思う。
直接面識のない私は富山さんに対しての思い入れというか、
そういうものは他の人達と比べたら少なかったと思う。
ただ、冷静に考えると無実の罪で刑務所に入っているということが、
私が考えいる以上のものであるということ…。それを感じた。
出獄した時、精一杯いきがってる(ように見えた)富山さんが、
みんなをみてほほえむ顔。
その瞬間は、静かに流れた。
背が高いせいか「こんなにやせているのか」という印象をもった。
富山さんと話してみて、とても気さくな方で、ちょっとびっくりした。
私は、やはりここで声を大にして言いたい!
無実のものを有罪に裁いたものの罪ほど重い。
人間の尊厳にかけても、許してはならない!!
許してしまったら、また新たな犠牲者が増えるだけではないか。

 

その時、陽は昇った。

 「暁」うり美

証拠開示がカギ

東京高裁第四刑事部(門野博裁判長)は、一一月八日、偽造通貨行使の罪に問われた男性の裁判で、警察官作成の「取調べメモ(手控え)や備忘録等」について開示を命じる決定を出した。
この件は、偽造通貨行使についての期日間整理手続の過程で争われたものである。警察官による自白を強要する威嚇的取調べ、利益誘導による自白の誘引等を明 らかにするために、弁護人が、「被告人の取調べに係る取調警察官作成の取調べメモ(手控え)、備忘録等」について開示命令を請求したのに対し、東京地裁刑 事第七部はこれを棄却した。
これに対し、弁護人が東京高裁に即時抗告を申立て、東京高裁第四刑事部に係属、同裁判所は、原決定を変更し、警察官作成の「取調べメモ(手控え)や備忘録等」について開示を命じる決定を出した。
検察官は、警察官の取り調べメモや備忘録について警察官の「個人的な手控え」であることを理由に開示を拒み、裁判所からの同証拠の存否に関する求釈明に対し、指摘された取調メモ及び備忘録は本件捜査記録中には存在しない、と回答した。
  こうした検察官の態度に対し、東京高裁は、取調べメモ(手控え)、備忘録等は、犯罪捜査規範により警察官に作成及び保存が義務づけられている以上、これが 存在することを前提とせざるを得ないとし、警察官が作成した取調べメモ(手控え)、備忘録等が検察官が容易に入手することかでき、かつ、弁護人が入手する ことが困難な証拠であって、弁護人の主張との関連性の程度及び証明力が高く、被告人の防御の準備のために開示の必要性が認めれる証拠に該当することは明ら かというべきであるとして開示を命じた。
これに対して検察官は特別抗告を行ったが、一二月二五日、最高裁第三小法廷は検察官の抗告を棄却し、「(1)刑訴法三一六条の二六第一項の証拠開示命令の 対象となる証拠は、必ずしも検察官が現に保管している証拠に限られず、当該事件の捜査の過程で作成され、または入手した書面等であって、公務員が職務上現 に保管し、かつ、検察官において入手が容易なものを含むと解するのが相当である。」「(2)犯罪捜査規範一三条は、『警察官は、捜査を行うに当り、当該事 件の公判の審理に証人として出頭する場合を考慮し、および将来の捜査に資するため、その経過その他参考となるべき事項を明細に記録しておかなければならな い。』と規定しており、警察官が被疑者の取調べを行った場合には、同条により備
忘録を作成し、これを保管しておくべきものとしているのであるから、取調警察官が、同条に基づき作成した備忘録であって、取調べの経過その他参考となるべ き事項が記録され、捜査機関において保管されている書面は、個人的メモの域を超え、捜査関係の公文書ということができる。これに該当する備忘録について は、当該事件の公判審理において、当該取調べ状況に関する証拠調べが行われる場合には、証拠開示の対象となり得るものと解するのが相当である。」とした。
証拠開示については、「四四年決定」(6頁を参照)以来の最高裁としての判断であり、今後の実務に大きな影響を与えるとされている。
新刑訴法における期日間整理手続きをめぐっての証拠開示についての決定であり、二〇〇九年五月に始まろうとしている「裁判員制度」を考慮しての最高裁の決 定ではあろうと思われるが、これまで開示勧告は出しても命令はなかなか出そうとしなかった裁判所が検察官に開示を命令し、それを最高裁が支持したことは意 味があると思われる。
だが、最高裁のこの決定が出たあとも検察官は、開示が求められている証拠は「ない」として、開示を拒否している。最高裁の決定が出ても、検察官が「ない」 とすれば、手も足も出ないというのが、日本の裁判の現状である。証拠開示について明るい見通しを持てる状況では決してない。
富山再審で弁護団が求めている証拠開示は、目撃者の供述調書や捜査報告書、富山さんの本件での逮捕写真などである。これらは、「個人的な手控え」どころか、公的な文書類である。
しかも、再審請求審において、検察官もこれらの証拠の存在を明確に認めている。検察官は「再審開示事由に該当するかどうか」検討するために「見た」とも 言っており、検察庁にあることは間違いない。本件の逮捕写真にいたっては、本来、捜査記録のひとつとして、出されていなければおかしいものである。今回、 東京高裁が開示命令を出した事件よりも、はるかに開示命令を出すべき事案である。
確 かに、今回の決定は、東京地裁で争われている裁判に関連しての決定であり、しかも期日間整理手続きに関連しての証拠開示である。富山事件の場合、再審、そ れも異議審ということになるが、再審は、請求する側に、無実を裏付ける「新規かつ明白な証拠」の提出を求めている。請求する側が今まで出ていない無実の証 拠を集めなければならないということは、再審を求める側に大変な困難を強いるものである。検察庁に無実を裏付ける可能性が極めて高い証拠があるのならば、 当然にもそれは明らかにされるべきである。被告人の無実を証明する可能性のある証拠(しかもそれは国民の税金を使って集めた証拠である)を、検察官が隠し 続けるなど許されるはずがない。
無実を明らかにする証拠が検察庁にあるにも関わらず、それを明らかにしないで、隠し続けることが許されるということは、国が建前としている刑事裁判のあり方、司法制度を根底から否定するものだ。
そもそも、富山さんが逮捕された事件が、公判前整理手続きが定められた新刑訴法で審理されたとするならば、目撃者の供述調書はすべて、当初の段階で開示されるべき対象となるものなのである。
富山再審における検察官の開示拒否は断じて許すことができない。
証拠開示が富山再審のカギを握っている。
ぜひ、証拠開示を求める署名へのご協力をお願いします。  (山村)

指宿信教授「証拠開示に関する判例の現状と可能性」          (『季刊刑事弁護』№19)より

わが国の刑事訴訟法には、弁護側が公判前、公判中を通じて、検察側所持の証拠にアクセスする手段を保障する規定はない。検察側において任意に弁護側の開示要求に応じる場合は別として、それを拒否した場合については裁判所にその解決が委ねられてきている。
最高裁はかかる事態につき、概ね次のように判断している。

① 現行法上、検察官に取調請求の意志のない証拠についてあらかじめ開示しておく法的義務は存在しない。
② 被告人側に証拠開示請求権はない。
③ 冒頭手続以降の段階において、被告人側より申し出を受けた後、「(証 拠の)閲覧が被告人の防御のために特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証 人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認められるとき」 には裁判所の(固有の)訴訟指揮権に基づく証拠開示命令を発しうる。  (最決昭和四 四・四・二五)(四四年決定)

四四年決定が挙げている考慮要件は、次のとおりである。

① 証拠調べ段階に入って、弁護人より具体的必要性を挙げて申出が行われること。
② 開示の対象である証拠が特定されていること。
③ 事案の性質、審理状況、当該証拠の種類、内容、開示の時期、程度や方法、その他諸般の事情を勘案して、開示が被告人の防御にとってとくに重 要であり、罪証隠滅、証人威迫等の弊害のおそれがなく、開示が相当と認められること。

 

大井町ビラまき報告

 ビラまき報告(11月)

亀  ………7
富山 ………休み
山村 ………0
うり美………0

最近、大井町駅周辺の雰囲気が変わった。
駅前に電気屋がオープンした途端、買い物に向かう若い男性の姿が目に付くようになった。
ただ残念なことに、ビラをまいてる私達には興味を示さない(安売りのビラではございません)。
毎月、同じ時刻にここに立っていると、日が暮れるのも早くなったと実感する。ビラまき開始4時半には明るかった空も、終わり頃になると段々と暗くなる。
富山さん不在で、闘争心が削がれたのか、気がついたら時間がきて終わってしまった。
今日もまた、亀さんだけが奮闘したビラまきであった。  (うり美)

大井町のYさんから

休載

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ニュースNo.228(2007年9月25日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.228(2007年9月25日発行)◎阿藤周平さんからのメッセージ
『極刑 死刑をめぐる一法律家の思索』の感想

大井町ビラまき報告

□阿藤周平さんからのメッセージ

9月2日、富山さんが大阪で阿藤周平さんとお会いしました。左の写真は、その際、東京の事務局と電話で話している写真です。元気そうな声がきけて事務局も安心いたしました。

阿藤さんから、メッセージを頂きましたので掲載します。

メッセージ ☆☆☆

 

 かちとる会の皆さん、久しく御無沙汰いたしていますが、お変わりありませんか。
今年の夏は猛烈な暑さでしたが、ようやく秋のきざしが見えて来ました。
私は毎日元気にしていますが、何分にも体力が弱り毎日が大変でした。わたしも今年83歳になりました。
富山再審もすでに10年を過ぎた現在、みなさんの懸命なる闘いに頭が下がります。何としても真実は真実として、闘いを勝ち抜かねばなりません。
今、裁判は大きく変わろうとしていますが、真実が必ず勝利するときはやって来ます。権力に負けることなく一人でも多くのみなさんの力を結集して闘いましょう。もう一度、みなさんと共に裁判に対して考えてみる機会をつくりたいと心しています。
真実は真実としてひるむことなく闘い続けることによって必ず勝利あることを信じています。
共にがんばりましょう。  阿藤 周平

□『極刑 死刑をめぐる一法律家の思索』

スコット・トゥロー著 指宿信・岩川直子訳(岩波書店)の感想

  富山再審の証拠開示について「意見書」を提出してくださった指宿先生から、「私が訳した本です。ぜひ読んでください」と、この本を紹介された。ちょうど 「光市母子殺害事件」の裁判をめぐって安田弁護士たちへの非難が集中していた時でもあった。早速買って来た。読み始めてすぐに座り直した。そして、付箋と ペン、メモ用紙を手元に用意した。こういう本は久しぶりだ。
原作者スコット・トゥローは、『推定無罪』、『立証責任』等、数々の有名な著作で知られるだけでなく、現役の弁護士としても活躍しており、一旦は死刑が言い渡された冤罪事件に取り組み、死刑判決を覆し無罪をかちとっている。
実を言うと、死刑問題については、ずっと避けてきたところがある。もちろん、死刑には反対だった。八海事件の阿藤周平さんがよく言われるように、もし裁 判が誤った場合取り返しがつかない、私もそう考えてきた。しかし、それ以上深く考えずに来た。この本は、私が考えるのを避けてきた「死刑とは何か」という ことについて、改めて考えさせた。指宿先生が「あとがき」で「『死刑制度はあったほうがよいのか』という問いに向き合うときに、どのような筋道でこの問題 を考えなければいけないかを示す、思索の道案内として読まれるべき書であろう」と書かれているが、私もこの「筋道」を辿ったのである。
冤罪であるにもかかわらず死刑を執行される悲劇を目の当たりにし、また、無実の証拠があるにもかかわらず、有罪立証に執着する警察官、検察官や裁判官を 見て、著者は死刑制度に疑問を抱く。しかし、そのたびに言いようもない悲惨な事件が起き、心は揺れ戻る。
スコット・トゥローは、「死刑制度に警告を促す多くの事例を経験」するが、死刑制度については次のように考えていたと書いている。
「私は問われれば、自分のことを死刑不可知論者であると答えていた。今こそ自分の立場をはっきり示すことができると思うたびに、私を反対の方向に引き戻 すような事例が現れた。1994年に、ヘルナンデスの代理人を務め、死刑がどれほど間違った事態を引き起こすかを目にした際、ジョン・ウェイン・ゲイシィ の死刑執行が予定された。」
このゲイシィの事件とは、33名の若い男性をレイプし、残虐な方法で殺害したという事例である。著者は「この処刑を不当な処置と呼ぶことはできなかった」としている。
その著者が、イリノイ州の「死刑諮問委員会」のメンバーに任命される。
死刑制度支持者だったジョージ・ライアンは、知事就任後、「イリノイ州で、三分の一以上の裁判で、罪のない者、あるいはもう一度考え直してみればより軽 い刑が適当とされた者に、死刑を科していた」という事実に、「この制度の度重なる誤りを次第に認識するように」なる。
2000年1月、イリノイ州知事ジョージ・ライアンは、死刑執行の一時停止を宣言し、その後、「イリノイ州の死刑制度改革に関して知事に助言を与えるための、一四名の『最も優れた』メンバーからなる委員会を任命」した。著者もその委員の一人だった。
委員会に参加することは、スコット・トゥローにとって、死刑問題について「決断しなければならない」時がくることだった。
この本は、イリノイ州の「死刑諮問委員会」に招聘され、その委員会での調査、討論を通して、それまでどちらかと言えば死刑容認論者だった著者が死刑廃止論に行き着くまでの「心の軌跡」を記したものである。

「無実の者に対する有罪判決」、「被害者」、「抑止」、「道徳的なバランス―究極の悪に対する究極刑」、「贖罪」等の項で、著者は死刑についてひとつひとつ丹念に検証していく。
「無実の者に対する有罪判決」の項では、著者自身の経験を通して、「私は、(実際は無実だった)アレックスとローランドの事件に対するこの有罪判決を説 明するときは、被告人席に座っていればマザー・テレサでさえも有罪の危険にさらされていたかもしれない、と言ったものだ。陪審は極悪非道な人物をわれわれ の社会に野放しにする危険は冒したくないため、常に合理的な疑いの余地のない証拠を求めるとは限らないのである」とし、「死刑判決で特に誤判が生まれる傾 向があるという事実は、我々が未だ制度化も、あるいは、考案もできていないセーフガードを作るのか、それとも、そもそも死刑制度を存続させるかどうかを再 考するかの、どちらかを選択するよう求めているのである」としている。
「被害者の権利」や遺族の感情については、「たとえ殺人犯の処刑を求める遺族の願いが、一般に正義とは何であるかという視点を反映したものであっても、 それらの願いを現実に実施するのは公正とはいえないだろう」、「死刑判決を受けるかどうかが遺族の感情しだいである、というのは、同様の犯罪では同様の判 決を受ける、という基本的な観念に反することになる」、「民主主義においては、どのような少数派も、たとえその人々の悲劇が我々の心を捉えて離さないよう な場合でも、彼らが我々全員を代弁するような権限をもってはいけないのである」としている。
死刑の抑止力という点では、「(統計上は)死刑を採用している州での殺人率の方が高かったのである。実際、テキサス州では1976年以来、合衆国内にお ける死刑執行の三分の一以上が行われているが、この州では全国平均をはるかに上回る殺人率が記録されている。一方、過去年間では、死刑制度のない州での 殺人率を合算したものは、死刑制度を持つ州よりも常に低かっただけでなく、この二つの差は広がり続けている」と疑問を呈している。
「道徳的なバランス―究極の悪に対する究極刑」という課題については、「道徳的なバランスを議論する以上、正確さという重大な責任が裁判制度には求めら れるのである。執行されるすべての死刑は正しいものでなければならない」とし、「なにが究極の悪であるかを正確に判断する機能を備えていなければならず、 また誰がその犯罪をおこなったのかを間違いなく判断できなければならない」にもかかわらず、実際は、著者が弁護した事件を含む多くの事件で、誤った死刑判 決が言い渡されている点を指摘している。また、人種問題が死刑判決に大きな影響を及ぼしている事実も指摘されている。「白人を殺害した犯人は、黒人を殺害 した場合よりも、三・五倍の確率で死刑判決を受ける可能性が高くなる。」
「贖罪」という観点については、「『極悪』を罰することの象徴性ということになれば、必然的に、更生と贖罪といった事柄が考慮の対象とならざるをえない」、「唯一、確かなことは、死刑はその改心の機会を奪ってしまう」ことだとしている。

こうした検討の過程を通して、2002年4月、委員会は知事に報告書を提出した。その中では、「死刑適用を可能とする事由を減らす」等、改革のためのの勧告意見が述べられている。
「中でも我々は、無実の者に有罪判決を下してしまうリスクを低くするための改革を、強く主張した。」
「死刑適用の可能性がある事件に関しては、警察署における容疑者のすべての取調べを、終始、ビデオに収録するよう勧告した。また、目撃者による容疑者確認 の信頼性をもっと高めるために、容疑者を並べて行なう面通しの方法を変更するよう提案した。」等々。
「死刑制度は、未だにイリノイ州の政治的多数派を支配しているという認識から、死刑が存続するという前提で委員会は進められ、我々の正式な勧告は、期待 される改革に限定された」が、当初は死刑反対派と宣言することをためらっていた委員会のメンバーも含めて、二年間をかけてこの問題を検討してきた委員の大 多数が死刑に反対を表明した。著者もその一人である。
委員会が提出したこの改革案は、州議会のいろいろな思惑の中、制定されるまでには至っていないが、ライアン知事は、知事を辞職する直前の2003年1月、無罪を理由に四名の死刑囚に恩赦を与え、残る死刑囚全員を一括で減刑した。
著者は本書の最後で、「私が委員会に在籍した期間にひとつ学んだことがあるとすれば、それは、私は死刑制度の問題点に対して、間違ったアプローチで臨ん でいたということである。今後も、常に極刑の必要性を大いに叫ぶケースが現れることだろう。しかしそれは、本当の問題ではないのだ。それに代わる重要な問 題とは、無実の者や死刑に値しない者に刑を科してしまうことなく、非常にまれな死刑にふさわしいケースを適正に取り扱う司法制度を構築することが可能であ ろうか、ということである」と述べている。そして、「私はやっとこの問題に終止符を打つことができたように思える」として、死刑制度について、「否」とす る。
詳しくは、ぜひ本書に直接あたって、著者のたどった過程を読んで頂きたい。

近しい人が亡くなることの喪失感。それが見ず知らずの者による理不尽な殺人などの場合、残された遺族に計り知れない苦悩をもたら すだろう。実際に自分の近しい人を殺されたら、その時、私はどう思うのだろう。死刑反対だと言えるのだろうか。殺した相手をわが手で殺してやりたい、同じ ような苦しみを味合わせてやりたいと願うのではないだろうか。
しかし、この本を読んで、「死刑」という問題はそうした個別の、個人の感情とは違う次元で考えなければならないのではないかと思った。死刑という問題 は、この本にもあるように「国家に国民を殺す権利を付与するのか否か」という問題なのだ。国家という絶大な権力を持った機関に、そうした権限を与えていい のか、その時、国家というシステムは誤らないという保証があるのか、いや、誤らないと言えるシステムは果して可能なのか。
「国家」を前提とするスコット・トゥローとは考え方が違うが、この本を読んで、私は改めて、死刑制度には反対だと思った。国家というシステムは、誤らないという保証を本質的に持ち得ないシステムである。
スコット・トゥローという人は、アメリカの良心的な部分なのだろう。そのうえで、指宿先生が、「訳者あとがき」で、「米国の『ポスト・セプテンバー・イレ ブン』の状況についてだが、米国内ではひとたびテロ支援の容疑を受けると、司法審査を経ない長期の拘束が可能であり、これに対する批判は、残念ながら本書 では取り上げられていない。また、イラン、中国、そしてベトナムと並ぶ死刑大国である米国が、高い殺人事件の発生率を根拠に死刑制度を正当化できるのかに ついて、十分な説明が欠けている点も、指摘されよう。つまり、米国社会を内省する力の足りなさを感じざるを得ない」としている点は鋭い指摘である。アフガ ニスタンから連れ去られ、まともな裁判さえ受けることなく、キューバにあるアメリカ軍基地に囚われているアフガニスタンの人々はどうなったのかと、死刑問 題をめぐっての緻密かつ真摯な議論の過程を追いながら、私も思った。
 死刑問題については、私自身の中に、まだまだ掘り下げていくべき問題があると思っている。今回はこれで本書への感想を終えるが、引き続き、この問題について考えていきたいと思う。本書は、そう思わせる、避けて来た問題に向かわせる力を持った本だった。   (山村)

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□著者 スコット・トゥロー

  1949年、アメリカ・シカゴ生まれ。スタンフォード大学大学院で創作を学んだ後、ハーヴァード・ロースクールに入学、法曹界を目指した。シカゴ地区連邦 検察局検事補の職にあった年に発表した『推定無罪』がベストセラーとなり、ハリウッドで映画化され世界的ヒットとなる。創作活動を行うかたわら現役の弁 護士としても活躍。著書に『立証責任』『有罪答弁』『われらが父たちの掟』『死刑判決』『囮弁護士』などがある。

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□訳者 指宿信先生

立命館大学法科大学院教授。法学博士。著書等として、『刑事手続打切りの研究―ポスト公訴権濫用論の展望』(日本評論社、 1995年)、(編著)『サイバースペース法』(日本評論社、2000年)(監訳)ムミア・アブ・ジャマール著今井恭平役『死の影の谷間から』(現代人文 社、2001年)、(監修)いしかわ・村井・藤井著『リーガル・リサーチ』(日本評論社、2003年)、(編著)『インターネット法情報ガイド』(日本評 論社、2004年など)

※以上、『極刑 死刑をめぐる一法律家の 思索』の紹介文より

 

大井町ビラまき報告

亀さん・・・・・4名
富山さん・・・・3名
山村さん・・・・1名
うり美・・・・・0名

今日のビラまきは、残暑厳しいなか始まった。ときおり吹き抜ける生暖かい風。まだ風があるだけでも救われた思いだ。
夏バテなのか体調不良の富山さん。それでもちゃっかり大井町の救世主Mさんから署名をもらい、御満悦。そのMさんと、なにやら楽しげに話こんでいる。
あとで聞いた話によるとMさんが、「もっと目新しいことをやったらどうか。僕だったらこうやる」と言って『上海帰りのリル』を替え歌にして披露していたのだそうだ。
その話を聞いた山村さんは、富山さんならどのようになるだろうと考え『刑務所帰りのトミー』かな、と想像し一人笑っていたそうだ。その山村さんにも、突然署名者があらわれ一名獲得。
私は「何の努力もしないで取れたじゃん」と毒付いた。
気が付くと亀さんはいつの間にか4名も獲得していた。
帰りの電車で「なぜ亀さんは署名がとれるのか」で、ひとしきり話が盛り上がった。
「その場の風景に溶け込んでいる」「亀さんだとなんか署名したくなる」等々意見が出たのだが、どうやら署名をしたくなるオーラがでてるらしい。どんなオーラだろ…。 (うり美)

大井町のYさんから

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ニュースNo.227(2007年8月25日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.227(2007年8月25日発行)◎若い力が炸裂した「8・6ヒロシマ大行動」
大槻さんからのメッセージ

大井町ビラまき報告

□若い力が炸裂した「8・6ヒロシマ大行動」

みなさんお元気ですか。ついに「真夏日」を通り越して「猛暑日」なる形容が日常化してしまったこの夏ですが、いかがおすごしでしょうか。ご自愛ください。

 私は、今年も恒例の8・6ヒロシマに行ってきました。日程的には前倒しで4日(土)から参加です。4日から広島に行って6日までどうするんや、と言われ そうですが、今年は盛り沢山で、4日「青年集会」、5日「国際連帯集会」、6日は全一日行動という具合に、暑さをうわまわる熱気に満ちた密度の濃い3日間 でした。
まず青年集会、つい自分の年齢を忘れて出しゃばってしまいたくなるのを自制しているつもりなのだが、「ステージパパ」をやって嫌われるんじゃないよの声が聞こえてきそう
なほどはしゃいでしまう自分をはっきり自覚できるくらいのってしまう雰囲気でした。そして、この若者の熱気が終始ヒロシマ行動を牽引したのが、今年の特徴 といえます。楽しくなってきました。ともにたたかい、未来を託せると本当に心から実感できる力が台頭してきました。じつは、それを確認するために4日から 広島
にきたのですが、期待通りで来た甲斐がありました。
翌5日は国際連帯集会と、各産別労働者の交流集会。国際連帯集会は、今年も健さん(中島健、中学・高校の同級生)が大活躍。国際連帯の名にふさわしく着 実に充実しているのはうれしいことです。重慶大爆撃訴訟団は翌日のデモにも参加。同行のテレビが取材していました。韓国でもたたかいはきちんと報道されて いるそうです。「戦争を阻止する日本の闘う農民」として三里塚の萩原進さんが参加・発言されたのが印象的でした。健さんは翌日も早朝から決起ということで 一日中忙しく奮闘しており、結局、メッセージをもらいそこねました。

河原井さん・根津さん・佐藤さん

 国際連帯ということで、もうひとつ。根津公子さん(東京の教育労働者。03年の「10・23都教委通達」にもとづく「日の丸・君が代」強制に 反対して不起立をつづけ、07年3月の卒業式における不起立に対して「停職6ヶ月」の処分。ぜひ、ビデオ・プレスの『君が代不起立』をご覧ください)のた たかいをアメリカNEA(全米教育協会・320万人)の大会で訴えてきた佐藤さんと遭遇したので、根津さん、河原井さん(根津さんとともにたたかう東京の 教育労働者、「停職3ヶ月」の処分)とスリー・ショット。反響はすごくて、続々署名が集まったそうです。パンフレット『海を渡った不起立闘争』(労働者学 習センター・300円)をご覧ください。
6日は、「8/6ヒロシマ大行動」の会場前でビラまき。日本共産党の赤旗販売を圧倒してがんばっていたら(そうなのです。こちらは爆取裁判事務局と2人 なのだが、内容も迫力も凌駕)、けっこう署名が集まって大童。50人ほど署名していただいたかわりに、ビラをまききれないで残してしまいました。これは、 ちょっと想定外でした。あらためて、広島まで同行してビラまきに協力してくれていたわが事務局のみなさんに感謝です。
集会・デモは冒頭で紹介したとおり、未来をひらく若い力を先頭に2500人が参加。自民党を大惨敗にたたき込んだ労働者人民の怒りと結びつくのは私たち だという覇気のみなぎる、熱気溢れるよい集会でした。会場で、健さんとともに早朝から決起した大槻泰生さん(「かちとる会」会員・「反戦被爆者の会」会 長)からメッセージをいただきました(5頁に掲載)

圧巻だったのはデモ。若者たちは終始戦闘的にやりぬき、途中で機動隊が一人の労働者を不当に逮捕しようと襲いかかったのを阻止して、逆に包囲。見守っていた広島市民とともに弾劾の嵐で弾圧をはね返して、
防衛・合流。最後に全員が待ち受ける平和公園に登場したときは、さながら凱旋というべき光景が出現しました。
今回の広島も毎年言っているように「いままでで一番暑い」日の連続でしたが、確かな手応えを感じる4日間でした。宿題は、広島で富山再審集会をやるということです。実現に向けてがんばります。 (富山)

 

 

大槻泰生さんからのメッセージ

 広島の大槻です。富山裁判は富山君が不屈にたたかっているというだけではない、たたかう労働者にとって共同の課題です。この弾圧はた んに富山君がやられただけではない、たたかう広島人がやられた、ヒロシマをたたかう人間全体におそいかかった弾圧であることをはっきり認識いたしましょ う。その認識にたってたたかいぬきましょう。

□あなたもぜひ会員になってください

「無 実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」(「かちとる会」)では、富山さんの無実を訴え、再審無罪をかちとるため、ともにたたかってくださる方を求めて います。再審に勝利するためには多くの人々の力が必要です。また、再審弁護団のたたかいを支えるための裁判費用等、多くの資金を必要としています。
あなたもぜひ会員になって富山さんの再審を支えてください。

会費の振込先
郵便振込口座番号
〇〇一四〇―一―一五〇六
銀行振込
みずほ銀行 神保町支店
普通口座 一三四六一八八
▼会費は月額一口千円です。
▼あなたの会費は、再審にむけた運
動づくり、再審の裁判費用等に役 立てられます。
▼会員には、月一回、「無実の富山さ んの再審無罪をかちとる会ニュー ス」をお送りします。
▼「かちとる会」では月一回、定例 会を開き、再審をかちとるための 話し合いを行っています。また、 集会や学習会、現地調査を行い、 富山さんの無実と再審無罪を訴え ています。これらの集まりにもぜ ひご参加ください。

 

 

大井町ビラまき報告

うり美さん・・・・・3名
富山さん・・・・・・3名
山村・・・・・・・・1名

今回は、始めてまもなく五十年配の男性が立ち止まってくれた。裁判の仕組みをよくわかっている人らしく、事件の説明にうなづき、「新聞とか見ても、えん罪事件が多いですからね」とおっしゃって快く署名に応じてくださった。
うり美さんや富山さんの羨望のまなざしを横目に、「この一名で、今回の『ビラまき報告』は免れられる。楽勝」と決め込んでいた。富山さんは、駅前に座り込んでいる女子高校生をターゲットにするが、すげなく断られる。
ところが、その後、うり美さんに一人の女性が署名。続いてまた一名。富山さんは、いつも通りかかる知り合いのMさんに、またまた署名してもらう(一体何度 目だ?)。しかも、それが呼び水になったのか、待ち合わせをしながらビラを読んでいた人からも署名をもらう。最初はちょっと躊躇していたこの人は、熱心に 話しかける富山さんに、とうとう署名した。ここで2対2対1。
このあと、うり美さんの前に若いカップルが立ち、青年が唐突に「富山さんは無実です」と力強くおっしゃる。うり美さん、「へっ?」と、狐につままれたよう な顔をしている。青年は「さっきもらったビラを読みました。富山さんは無実だと思います」。駅前で彼女と待ち合わせ、その時もらったビラを読んで戻って来 たらしい。うり美さんに署名をする青年の横に、すかさず富山さんがサッサッサッと寄って来て、青年の彼女からも署名をもらっている。
あれよあれよという間に、3対3対1で、また私がこの原稿を書くことになってしまった次第である。 (山村)

大井町のYさんから

休載

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ニュースNo.226(2007年7月25日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.226(2007年7月25日発行)◎ 富山さんと『かちとる会』が東京高裁に申入れ
申入書
あなたもぜひ会員になってください大井町ビラまき報告

□富山さんと「かちとる会」が東京高裁に申入れ

7月6日、富山保信さんと「かちとる会」は、東京高裁に対し、再審開始を求めて申入れを行った。
申入れには、再審請求人である富山さんの他、関東学院大学の足立昌勝先生、国賠ネットワークの土屋さん、さやま市民の会の井田さん、「かちとる会」から亀 さん、うり美さん、山村が参加した。東京高裁からは、猪浦訟廷管理官と総務課の長岡氏、他1名が応対した。
申入れでは、まず、富山さんが用意した「申入書」を読み上げた(別掲)。
そのうえで、富山さんは、以下のように訴えた。
「異議申立の審理において、再審棄却決定を取り消し、一日も早く再審開始の決定をするよう申入れに来ました。
『申入書』に付け加えたいのは、これは一審で明らかになったことだが、検察官は証拠隠しを行ったということです。一審で証言したタクシーの運転手O氏 は、事件を目撃した時、新聞記者のK氏をお客として乗せていたと証言した。裁判で、そのお客は誰かということが問題になり、弁護人が検察官に聞いたとこ ろ、検察官は『不明だ』と答えた。しかし、後に証拠開示が行われ、O証人の員面調書が開示されると、その供述調書に乗客の名前も書いてあった。その人は警 察の取調べにも呼ばれたようだ。検察官はそのことを員面調書が開示されるまで『知らない』と言い続けた。明らかに検察官は証拠を隠している。そのK氏に弁 護団が会って聞いたところ、犯人は私とは全く違うということだった。このことでもわかるように、検察官は私の無実だという証拠を隠しています。検察官の手 持ち証拠の中に、私の無実の証拠が存在することは明らかです。検察官に対し、裁判所が勧告を発して証拠開示をさせてほしい。このことを裁判官に伝えてくだ さい。
この間、再審無罪が出たり、えん罪であることが明らかになった事件が報道されているが、取調べ側への不信感が広がり、裁判所への信頼も揺らいでいるのが実情です。そうした状況を変えるためにも、ぜひ、証拠開示を裁判所に認めてもらいたい。
何度も、はっきり言わせてもらいますが、私は無実です。再審棄却決定を正して、再審を開始してほしい。このことを裁判官にきちんと伝えてください。」
足立昌勝先生は、まず、「最近、明らかになったことだが、鹿児島県の県議会議員選挙をめぐってのえん罪事件で、鹿児島県警が無罪の証拠を持っていたことを認めましたよね。このことは知っていますか」と切り出した。
猪浦訟廷管理官、「新聞報道で知っています」。
足立先生は、
「鹿児島の事件でも明らかなように、警察は、自分たちの有罪という主張を維持するためには、無罪の証拠は出さないという姿勢です。これを調べて正すのが裁判所の責務ではないでしょうか。
富山君の事件で、目撃者に対する警察の誘導はなかったのか。調書を見ると誘導があったことは明らかです。再審を開始すべき根拠はここにある。裁判所はすべ ての証拠を見るべきだと考えます。目撃者は、当初、富山君とは全く違う犯人像を述べていた。中肉中背、丸顔の犯人像を述べていたのが、数日後になると、身 長が高くなり、角顔と変ってきています。その変遷の過程に警察官の誘導があったことは間違いない。
この事件では一人の人間が死んでいる。このことは厳粛に受け止めなければならないが、真犯人を捕まえるのは警察の任務です。無実の人間を『犯人』にしておいていいということではない。
ぜひ、再審を早急に開くよう申入れます」と訴えてくださった。
次に、国賠ネットワークの土屋さんが、
「国家賠償裁判に取り組んでいます。再審制度は、私たちが国家賠償を求めていることに値すると思っており、富山さんの再審の申入れに来ました。再審は制 度として認められています。ぜひ再審本来の機能を果してもらいたい。富山さんの再審の開始をお願いしたい」と発言してくださった。
さやま市民の会の井田さんは、狭山事件の再審を闘っている。
「猪浦さんとは、前回、狭山の申入れでお会いしましたね。今回は、富山さんの再審について訴えたいと思います。
富山事件では、証拠を開示しないということが裁判のネックになっていると思います。警察官、検察官にとって都合のいい証拠だけを出している。そして、警 察、検察の予断、偏見を裁判所が引き継いでいる。裁判に政治を持ち込むような姿勢が裁判所にはある。本来の裁判所のあるべき姿勢を思い出してほしい。科学 的な判断に基づいた正しい裁判をしてほしい。そのためにも証拠の開示が絶対に必要です。証拠を開示すれば真実は明らかになります。そして、ぜひ再審を開始 してください。」
「かちとる会」から亀さんが、
「富山さんの再審を支援して来ました。この事件では、物的証拠はありません。あるのは目撃証言だけと言っていい。しかもアリバイははっきりしています。 人の目撃者の調書があると言われているのに、7人の調書しか明らかになっていない。7人以外の調書が未だかつて出されていないのはどう考えてもおかし い。
この事件で重要なのは、一審が無罪だったということです。一審の裁判所の判断は正しい。二審の有罪判決には無理がある。ぜひ、再審を開始し、二審判決を正してほしい。このことを心から訴えます」と述べた。
うり美さんは、
「安倍首相は日本を『美しい国』と言っていますが、過去の過ちを正さない、責任も取ろうとしないこの国のどこが美しいのかと私は思ってしまいます。無実 を訴えている人の声に耳を傾けようともしない司法の質、このどこが美しい国なのでしょうか。最近の状況を見ると、司法も時代に逆行しているとしか思えませ ん。無辜の人を罰してはならないというのが裁判の原則のはずです。それに立ち返ってほしい。そうすれば必然的にこの事件は無罪以外にないと確信していま す。ぜひ、再審を開始してください」と訴えた。
山村は、以下のように述べた。
「私は一審の時からずっと裁判を傍聴し続けてきました。先ほど富山さんが述べた検察官の証拠隠しについては、よく覚えています。一審で、目撃者のタク シー運転手O氏の証言はクルクルと変転して、一体何を目撃したのかわからないという状況でした。そこで、O氏のタクシーに乗っていて、同じ状況で事件を見 ていた人物は何と言っていたのかということになり、タクシーの乗客は誰だったのかということが問題となりました。弁護団が検察官にその乗客の名前を明らか にするよう求めたところ、検察官は『誰であるかわからない。私達も知りたいくらいだ』とはっきり言いました。ところがその後、O証人の員面調書が開示され 明らかになったのは、その員面調書には、記者の名前、新聞社名、その新聞社が出しているタクシーのチケット番号まで記されていたわけです。検察官が言った 『私達も知りたいくらいだ』という言葉は何だったのかと思います。検察官は明確に嘘をついたわけです。公判の場で嘘をついたのです。自分達の立証に有利な 証拠は出すが、被告人の無実を証明する証拠は出さない、嘘をついてでも隠そうとする、こんなことが裁判で公然と行われたのです。
再審で、弁護団の証拠開示要求に対して、検察官は開示を拒否しています。検察官は『再審事由に値する証拠はない』と言っているようですが、検察側は一審 で嘘をついてまで富山さんが犯人でないとする目撃者の存在を隠しているわけです。そんな検察官の言うことを信じることはできません。今も検察官は無実を明 らかにする証拠を隠していることは間違いない。
例えば、再審で弁護団は、本件における富山さんの逮捕写真の開示も求めています。しかし、検察官はそれさえ開示しようとしません。逮捕写真は、通常、そ の事件の裁判で検察官の側から出されるものです。それが本件では出されていない。再審で、検察官は逮捕写真の存在を認め、自身も見たと言っている。にもか かわらず、開示しようとはしません。逮捕写真を開示して何が問題なのでしょうか。
こうした検察官の態度からも、検察官が開示しないのは、自分達の主張にとってまずい証拠、富山さんの無実を裏付ける証拠があるからなのは明らかです。そうでなければ開示しても何ら問題はないはずです。
真実を明らかにするためには、検察官が隠し持っている証拠の開示が必要です。ぜひ、裁判所は検察官に証拠開示を勧告してほしい。検察官は弁護団に、裁判所 からの指示があれば開示も考えるという趣旨のことを言っています。裁判所は、すべての証拠を見て、それで判断すべきです。ぜひ、検察官に対して証拠開示を 命ずるよう裁判官にお願いします。
一審からこの裁判をずっと傍聴し続けてきて、私は富山さんが無実であることを確信しています。富山さんは絶対にやっていません。これは何があっても揺らぐことはありません。ぜひ、再審を開始し、再審無罪を言い渡して頂きたい。」
最後に、再び、富山さんが、「私は、一審では無罪になりました。無実なのですから当然と言えば当然ですが、しかし、一審が始まる時、検察官が出してきた 記録を見て、大変な裁判になると思いました。ところが、裁判が始まったら、目撃証人の証言は変遷を繰り返すという状況でした。結局、裁判所が検察官に員面 調書の開示を命じ、そのことによって目撃証言が信用できないものであることが明らかになり、一審は無罪判決となったわけです。
二審判決で有罪となりましたが、それは警察官の証言だけに拠るものです。
その二審で証言した捜査責任者は、約人の目撃者がいて、そのうち人の調書があると言っている。一審、二審の公判で明らかにされたのは7人の目撃者の 供述調書だけです。残りの人の目撃者の供述調書は隠されたままです。これまでも検察官は、私に有利な証拠は隠そう、隠そうとしてきた。それは一審の過程 でも明らかです。すべてを明らかにしてこそ、デュープロセスを踏んだということになるのではないでしょうか。このままでは納得のしようがないというのはあ なた方にもわかると思います。しかも、人もの無実を明らかにする証拠が隠されたままで有罪というのは絶対に納得がいきません。開示して、すべてを明らか にして判断するのが極めて常識的な考えではないでしょうか。裁判所が検察官に対し証拠を開示するよう命令することを強く求めます。
志布志の事件や、富山(とやま)の事件と、捜査のあり方を問うような事件が続いています。こうした捜査のあり方に断を下す意味でも、すべての証拠を開示することを求めます。
今日、私や他の皆さんが申入れたことを必ず裁判官に伝えてください。
最後に再度、言います。私は無実です。」と訴えた。
猪浦訟廷管理官は、「裁判官に必ずお伝えします」と約し、申入れを終った。
申入れで、総務課の長岡氏他1名は、レポート用紙とペンを用意しメモを取る構えでいたが、私が見るに全然ペンが進んでいなかった。メモを録る能力がないのか、それともその気がないのか、なんとも頼りない状況だった。
申入れに対し訟廷管理官が応対するというこのやり方になってから何年も経つが、これでは申入れを行っても、私たちの声は裁判官には伝わっていないのでは ないかと危惧する。再審請求人本人が来ているのだから、裁判官は会って、本人の言い分を聞くのは当然ではないか。せめて、前のように担当部で、担当書記官 が申入れを受けるべきだと思う。こうした閉ざされた裁判所のあり方が、多くのえん罪を容認することになっているのではないか。証拠開示についても同じこと が言えると思う。すべてを開示し、すべての証拠を精査して正否を判断するのに何をためらうことがあるのだろうか。裁判所が真実を究明する本来の立場に立つ ことを願ってやまない。
富山さんは無実である。一日も早く再審が開始され、再審無罪が言い渡されることを求めたい。 (山村)

申入書

私は無実です。事件には関与していません。
1975年1月13日、まったく身に覚えのない「殺人罪」によって不当逮捕されたとき、 私は27歳になったばかりでした。それから32年半の間、拘置 所において、刑務所において、そして出獄後も、無実を訴え続けてきました。しかし、裁判所が私の真実の叫びに真摯に耳を傾けてくれたのは1審・東京地裁の みです。欧米の例を見るまでもなく、真実に基づくならば1審・無罪判決で決着し、裁判手続きから解放されたはずなのに、現実には依然として「殺人犯」の汚 名を着せられたまま苦しみ続け、えん罪とのたたかいで人生  を費やそうとしています。なんということでしょうか。
私は、東京高裁第4刑事部の裁判官に声を大にして訴えます。
一人の人間の人生をかけた訴えに真摯に耳を傾け、想像力を働かせて、真剣に検討してください。近代刑事裁判の到達地平からみるとき、1審(原々審)無罪 判決と2審(原審) 有罪判決のどちらが説得力を持っているのか、さらに高裁第3刑事部の再審請求棄却決定は偏見なく事案に立ち向かい、虚心坦懐に審理を 遂げたといえるのかを、あなたの裁判官としての、そして人間としての良心と見識に照らして、判断してください。
私は、真実の訴えが踏みにじられ、嘘つきとして人格が否定され続けることに堪えられません。一刻も早く誤った確定判決と再審請求棄却決定をただして私を苦しみから解放し、 救済するとともに、えん罪と誤判の根絶にむかって展望をひらいてください。
無辜の救済は刑事裁判の使命であり、人権の擁護は私たち共通の願いです。これを言葉だけの確認ではなく、審理の場において実現してください。
私は無理難題を要求しているわけではありません。科学的知見を正しく導入することと証拠開示を実現すれば、私の無実はたちどころに判明します。科学的知 見の導入と取り調べの可視化と証拠開示は、世界の刑事裁判の趨勢であり常識です。昨年の申し入れにあたって、私は「人類の知的営みの成果を正しく導入・活 用して誤りなきを期するのは私たち共通の願いであり、冤罪の根絶という見地からも賞賛されこそすれ非難される余地はないと思います」と訴えましたが、今年 もまた同様の要請を繰り返します。
検察官に証拠開示を命令してください。謙虚に科学的知見を尊重することによって、再審請求棄却決定を訂正し、再審開始という正しい結論に到達してください。
私は無実です。正しく真実が認定されることを期待してやみません。
富山保信
2007年7月6日
東京高等裁判所第4刑事部御中

□あなたもぜひ会員になってください

「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」(「かちとる会」)では、富山さんの無実を訴え、再審無罪をかちとるため、ともに たたかってくださる方を求めています。再審に勝利するためには多くの人々の力が必要です。また、再審弁護団のたたかいを支えるための裁判費用等、多くの資 金を必要としています。
あなたもぜひ会員になって富山さんの再審を支えてください。

▼会費は月額一口千円です。
▼あなたの会費は、再審にむけた運動づくり、再審の裁判費用等に役立てられます。
▼会員には、月一回、「無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース」をお送りします。
▼「かちとる会」では月一回、定例会を開き、再審をかちとるための話し合いを行っています。また、集会や学習会、現地調査を行い、富山さんの無実と再審無罪を訴えています。これらの集まりにもぜひご参加ください。

▼会費の振込先・郵便振込口座番号 00140-1506
・銀行振込 みずほ銀行 神保町支店 普通口座 1346188

 

大井町ビラまき報告

亀・・・・2名
富山・・・0
山村・・・0

梅雨時のうっとうしい日々。あじさいの彩りが心を慰めてくれる。
今回は、うり美さんは所用のためお休み。
土曜日のせいか、人通りもいつもと違うような気がする。ビラの受け取りもよくないなぁと思いながら、ふと、亀さんの方を見ると、女の子が立ち止まって何や ら熱心に話し込んでいる。亀さんがいろいろ説明しているようだが、それに対し反論しているのか、質問しているのか、亀さんもタジタジのように見えた。結 局、20分近く経って、ようやく納得したのか、ペンを受け取り署名していた。そして、署名した後もまだ話している。
あとで、亀さんに聞くと、ジャーナリスト志望の歳の学生だったそうである。裁判のことなど、いろいろと関心を持っていたとのことであった。
そう言えば、うり美さんが最初に訪ねてきたのも、その年頃ではなかったろうか。八海事件の阿藤周平さんをお呼びした集会にビラを見て参加し、その後、富山事件を取材したいと連絡してきた。それ以来、富山再審に携わってきてくれている。
今更ながら長いたたかいである。くじけそうになる時もあった。そうした時、うり美さんや阿藤さんをはじめとする人々がいたからこそ頑張ることができた。仲間がいるのはいいことだ。  (山村)

大井町のYさんから

休載

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NEWS

ニュースNo.225(2007年6月17日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.225(2007年6月17日発行)◎指宿信教授の意見書を提出
映画を観て

大井町ビラまき報告

日本の刑事裁判を真っ向から問う映画

  「それでもボクはやってない」

□弁護団、指宿信教授の意見書を提出

6月22日、富山再審弁護団は、東京高裁第4刑事部(門野博裁判長)に、指宿信先生(立命館大学法科大学院教授・法学博士)の意見書を提出した。
意見書は、富山事件に関して、「再審請求審における証拠開示問題」について、指宿先生の意見を述べたものである。33ページにわたり、内外の事例や学説を もとに再審請求審における証拠開示の重要性、とりわけ目撃証言=犯人識別供述を証拠とする事件における証拠開示の重要性について明らかにし、富山再審にお いて、「弁護団の要求する速やかな証拠開示が必要であり、裁判所においては開示が保障されるよう固有の訴訟指揮権を発揮すべきものと考える」としている。
裁判所が指宿先生の意見に真剣に耳を傾け、真正面から向き合い、一刻も早く検察官に対して証拠開示を命ずることを強く求めたい。

以下、指宿先生の意見書から主要な論点を抜粋する。

意見書は、冒頭で、「本意見書は、第一に、再審請求審の意義と証拠開示問題とのかかわりをどのように見るべきかを論じ、第二に、証 拠開示問題全般に関わりならびに証拠開示の目的や機能を論じ、その上で第一との関わりから基本的な視座を確定する。第三に、証拠開示に関するわが国の制定 法ならびに判例法につき、その適用ならびに準用可能性を検討し、更に、再審請求手続と証拠開示に関する諸外国における参考となる立法例を見る。最後に、本 件富山事件の特徴から、いわゆる犯人識別供述の信用性問題と証拠開示問題が極めて密接であることを論じ、識別供述に関して証拠の開示が十分でなかった点が 再審手続で問題となった例を諸外国の裁判例から参照する。最終的に、作成人の本問題に関する見解をまとめる」として、第一章「再審請求審の意義と証拠開示 論」、第二章「証拠開示制度の意義と目的」、第三章「再審請求審における証拠開示の法的枠組み」、第四章「犯人識別供述と証拠開示問題」、「結語」で構成 されている。

 第1章 「再審請求審の意義と証拠開示論」

指宿先生は、再審制度の目的について、「再審請求審では、再審請求人から提示された『新たな証拠』が確定判決にどの程度の打撃を与えうるかという『波及 効』の大小あるいは強弱にのみ着目すればよいという立場」=「確定判決動揺説」と、「『新証拠』を確定判決の証拠構造に組み込んだとすると、その全体構造 にどういった影響を及ぼし得て、そして、『合理的な疑わしさ』を生じさせたのかを見ようとする立場」=「誤判訂正機能説」という立場の対立が見られるとし ている。
そして、「確定判決動揺説」に立つとすれば、再審請求審の立場から観た確定判決における証拠開示問題は、「確定判決は確定審で提出された証拠に基づいて 『正しく』事実認定されており、かかる証拠は当事者である検察官の責任において収集され、そして有罪立証のために請求されたものであるから、裁判所として は、仮に捜査機関において、あるいは検察側において、偏頗な行動があったとしても、当事者主義構造を採用しているわが国の刑事訴訟制度にあっては、これを 監督したり審査するような仕組みは馴染まないものであり、上記『正しさ』について疑念を差し挟む余地は法律上ありえない」、従って、「形式的当事者主義 論+確定力によって確定判決の『正しさ』が絶対視されることになるので、再審請求審での証拠の開示の必要性は確定審のレベルで足りるという考え方」になる としている。
これに対し、「誤判訂正機能説」に立った場合、「確定判決における事実認定は、あくまで検察側が収集し、当事者としての判断を踏まえて有罪立証のために請 求された証拠に基づいておこなわれたものであるから、万が一、証拠の収集プロセスや判断プロセスに不適切あるいは偏頗な行動があったとするなら、事実認定 の基礎は揺らぎ、判断を誤らせた可能性が存在する。従って、確定判決はあくまで公判提出証拠に限って事実認定の基礎とされたものであって、その範囲でしか 『正しさ』の確証はなく、拘束力もその範囲でしか推認できないものとなる。今日の当事者主義構造を前提にすると、公判未提出証拠を総合的に勘案したならば 確定判決を見直さなければならない場合も起きうるであろうから、『正しさ』は相対的に捉えるべきである」、従って、「形式的当事者主義は常に公判未提出証 拠による新たな事実の発見の余地を残しており、確定力は相対的なものに止まるのだから、再審請求審では確定力を見直すためにもむしろ積極的に証拠開示を捉 えようとする考え方に結びつく」としている。
結論として、「真実発見こそ再審制度の目的であるという原則論に立つならば、誤判訂正機能説に立つべきことは言うまでもないのであるが、そもそも刑事再 審を許容する規定である刑事訴訟法435条6号が、『証拠をあらたに発見したとき』と規定している趣旨をよく考えれば、確定判決が常に『その判決時に裁判 所の前に提出された証拠』に基づいて判断されたものでしかなく、確定『判決時に存在していたあらゆる証拠』に依拠して判断されたものではないことは明らか であろう。そうであるならば、再審請求審においては、『新たな証拠』の可能性によって常に確定判決を是正しなければならない必然性に晒されていると言わな ければならない。かかる証拠開示問題との関わりから考えても、確定判決動揺説ではなく、誤判訂正機能説を採ることが、再審制度の意義・目的にもっとも適っ たものと捉えることができるであろう」としている。
そのうえで意見書は、「戦後のわが国の殺人事件に関する再審事例」(弘前事件、松山事件、免田事件、財田川事件、徳島事件、梅田事件)の分析を行い、いずれの事件でも証拠開示が再審開始決定の大きな要因になっていることを明らかにしている。

 第2章 「証拠開示制度の意義と目的」

第2章では、まず、「『証拠開示』は何のためにおこなわれるべきなのか」として、「検察官不提出証拠の中に被告人に有利な証拠が 眠ったままであっては本来無罪となるべき事案が誤って有罪となってしまう事態を防ぐという誤判の防止を目的とする」=「誤判防止論」と、「証拠を互いに開 示する機会を設ければ裁判が早く進行するという裁判の進行を円滑にすることを目的とする考え方」=「公判迅速化論」が紹介されている。
そして、第2節「再審請求審における証拠開示と開示弊害論の検討」のうえで、結論として、「再審請求審における証拠開示の目的は、『誤判防止』=『誤判 救済』ということになるのであり、結果、『誤判訂正機能説』―『誤判防止論』という組み合わせこそ、再審請求審における証拠開示(不提出証拠)問題に最も 相応しい理論構成と呼ぶべきものである」としている。

 第3章 「再審請求審における証拠開示の法的枠組み」

第3章では、第1節で、改正された刑事訴訟法における証拠開示手続きから、「公判前準備手続の証拠開示手続の準用可能性」について 述べられ、第2節で、「昭和年最高裁決定(個別開示命令)の適用可能性」について明らかにされている。第3節で、「海外における再審請求手続における証 拠開示がどのように扱われているのか、先駆的事例を検討」するとして、「イギリスにおける再審請求と証拠開示問題」が述べられている。
そして、小括として、「再審請求審における証拠開示の法的枠組みは我が国にも既に準用あるいは適用可能なかたちで存在しているというべきであろう」とし、 異議審における証拠開示についても「原裁判においてなされた証拠開示に関する裁判所の判断に瑕疵がある場合、これについて違法適法の判断をおこなうことは 勿論、異議審の権限において新事情あるいは新資料として特定の証拠を法廷に提示させるべく命令を発すること」も可能としている。

 第4章 「犯人識別供述と証拠開示問題」

第4章では、「犯人識別供述の危険性」について明らかにされている。「米国で誤って有罪とされてしまったことが資料的に認められて いる205件を収集し、それぞれ、何が最も大きな誤判原因であるかを分類した。そうすると205件の内100件が誤った目撃証言によって誤判となってい た」という研究や、62件の誤判とされた事件のうち52件で誤った目撃証言が何らかの形で関わっていたことが明らかになった研究が紹介されている。
そして、カナダやイギリスにおいて、犯人識別供述に関する証拠開示の重要性が指摘され、開示すべきであるとされているのに対し、日本では極めて不十分であ ることが指摘され、「適切な犯人識別供述の取扱いには、関連証拠の開示が不可欠である」としている。
そのうえで、「犯人識別供述を証拠の柱とした有罪事案において、証拠開示が十分でなかったために、後に再審や上訴審で有罪判決が破棄されたり、再審におい て無罪とされた」海外の具体例が紹介され、「犯人識別供述の信用性をめぐっては、前述したように主要な誤判原因となっていることは実証研究から明らかであ る。そのため、カナダやアメリカにおいては、公判手続で不開示情報が弁護側に開示されていたとすれば、目撃証言の信用性判断を争う際の防御権保障に影響を 与えたのかどうか、という観点から証拠の不開示を再審開始や確定判決の破棄の根拠とされているのも、そうした実証研究の結果に裏付けられていると言えるで あろう。また、イギリスのマッタン事件は、目撃証言の不開示のため死刑執行という結果を避け得なかった悲劇的ケースである。この事件でも、犯人識別供述中 被告人に有利な複数の証言や証拠が弁護側に開示されていなかったり、識別供述者の信用性に関する重大な情報が知らされていなかった。裁判所はこれを『危険 (unsafe)』だと判示したのである。すなわち、これらの情報が陪審の前で論じられたり、提出されたりしていれば、結論は全く変わったものになってい たに違いないと考えたからに他ならない」としている。

 結語

意見書の結語として、指宿先生は以下の5点を指摘している。
1.再審請求審においては、できる限り広い証拠の開示が必要であり、少なくとも証拠の標目について全面的な提示が正義の実現のために不可欠である。検察官 は、弁護側が相当の理由があることを明らかにした場合、関連する証拠の開示義務を負うべきである。また、裁判所は、再審制度の目的ならびに証拠開示の目的 に照らし、検察官がかかる開示を速やかにおこなうよう監督する義務を負うと解すべきである。
2.目撃証言については、全面的な証拠(情報、記録、資料)の点検が不可欠である。確定判決までにかかる手続を欠いているとき、再審請求審段階でこれは補完されるべきものと考える。
3.目撃証言の信用性判断を争うための防御権保障の観点が重要であり、再審段階においては当初証言が既に調書化されているのであるから証拠隠滅の虞れはな く、その重要性は「プライバシー保護」や「捜査関係情報」とは比較できないほど大きい。目撃証言の信用性を請求人が争う場合には、証拠開示の範囲は広けれ ば広いほどよい。
4.本来なら上記3については確定審での全面的な開示が必要だが、刑事訴訟法の改正により公判前整理手続によって開示の機会が法整備されたにもかかわら ず、わが国の法制では、警察からの全証拠送致を確認する術がなく、またこれを義務づけたり、罰則等によって間接的に強制したりする手段がない。とすれば、 再審請求審及び異議審でしかアクセスの機会は保障し得ない。
5.以上により、本件においては、弁護団の要求する速やかな証拠開示が必要であり、裁判所においては開示が保障されるよう固有の訴訟指揮権を発揮すべきものと考える。
(山村)

□映画を観て

 今年1月日に封切りされた周防正行監督作品、映画「それでもボクはやってない」(加瀬亮主演)は、2009年に始まる裁判員制度の影響もあるのだろうか、多くの人々の関心を集めた。
昨年末、この映画を試写会で観た富山さんは「私、心を入れ替えます」と絶賛していた。そこまで言わしめた映画とは一体どのようなものだろう。私も「冤 罪」と聞いては観ずにはいられなかった。主演が加瀬亮と聞いてはなおさらである。さっそく足を運んだ。
映画のストーリーは、加瀬亮扮するフリーター金子徹平が会社の面接に行く朝の通勤ラッシュで女子中学生に痴漢と間違われるという、いわゆる痴漢冤罪事件 である。彼は、駅事務室から警察官に引き渡され警察署で「ボクは何もやってないんだ」と真実を語るが、耳を貸してもらえない。そこから悲劇は始まる。
さらに留置場の中で当番弁護士制度を知り弁護士を呼ぶのだが「示談ですむような痴漢事件で、正直、裁判を闘ってもいいことなんか何もない」と言われ愕然 となる。「裁判の現実を伝えなくて無責任に『闘え』なんて言えない」というのがこの弁護士の意見で、彼もまた、日本の刑事裁判の現状にもがき苦しんでいた 一人だった。
そして彼の無実の主張は何度となく否定され、受け入れてもらえない状況が延々と続く。結局、判決は有罪。彼は淡々と判決文を読み上げる裁判官を凝視しながらこう言う。「それでもボクはやってない」と。
裁判長交代による裁判の流れの変化、検察官手持ち証拠の不開示、支援運動の大変さ等、司法の闇の部分と裁判をとりまく環境が余すことなく丹念に描かれていて、実にリアルな映画だった。
この映画を観た私の知人は「あんなに裁判が大変なら罰金払って出るかな」と言った。この意見、驚くだろうか。
私は何人かに映画の感想を聞いてみた。多少なりとも裁判に関わっていて今の司法の現状を知っている人は、富山さんのように絶賛派だ。一方、幸か不幸か裁 判ということに関心もなく、今まで関わらずにきた人達の意見は、「裁判って大変」ということに対する絶望に近い感想が多かった。先ほどの知人の「あんなに 裁判が大変なら罰金払って出るかな」は最たるものである。
日本の刑事裁判は病んでいる。そう思わせる事件が最近あった。富山県警に強姦などの容疑で逮捕されたが真犯人があらわれて無実とされた男性の再審事件 (いわゆる富山(とやま)事件)で、弁護団は「男性が犯人であるとの強い予断に基づき、虚偽の自白を強要して刑事被告人に仕立てた」と県警の取調官の証人 尋問を求めた。しかし、裁判長はこれを却下している。真犯人が出て、あなたは無実だからそんなのはいいでしょう、とでも言わんばかりの裁判所の対応だ。な ぜやってもいない人間が逮捕され「自白」までさせられるのか。何が原因なのかをはっきりさせない限り、冤罪はなくならないのではないか。これでは何の解決 にもならない。
また、戦時下最大の言論弾圧と言われる横浜事件の再審でも、2006年2月9日、無罪とも有罪ともはっきり判断しない免訴という判決が出されている。し かし、これでは事件がどうして起こったのか全く解明されない。それどころか治安維持法の廃止により事件は始めからなかったものにされている。これが裁判な のだろうか。
映画の冒頭、スクリーンに映し出される「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」という言葉が真摯に生かされている刑事裁判であるなら、冤罪 は起こらないだろう。さらに「無辜を罰した場合は、すみやかに真実究明に努め過去の過ちを正すよう努めなけらばならない」と付け加えたいくらいだ。しかし 現実は絶望的状況にある。2009年から始まる裁判員制度がこの現状に拍車をかける形にならないことを祈りたいが裁判員制度の内容を知れば知るほど、そう 簡単にはいかないとしか思えない。
私はこの映画を観ていて、自分が冤罪で捕まったとしたら、「やっていないなら闘いましょう」と言ってくれる弁護士がどれだけいるだろう、知人や友達で私 の無実を信じてビラをまきながら支援してくれる人がどれだけいるだろうと思った。そして、金子徹平のように「それでも……それでもボクは(私は)やってな い」と最後まで言い続けられる人間が自分も含めてどれだけいるだろうかと考えてしまった。
この映画が私達に問うていることは、一体何だろう。誰だって冤罪で捕まりたくはない。しかし、ひとたび冤罪で捕まってしまったら、この映画のような厳し い条件下で無実を争わなければならない。その時、私達は「それでもボクは(私は)やってない」と最後まで言えるだろうか。この映画は「明日は我が身」なの である。何時、どこで、誰がこの映画の主人公のような目にあわないとも限らない。この映画が描いている司法の有様が、実際に、今の日本の刑事裁判の実情で あり、決して自分達とは無関係ではないということだけは肝に銘じなければならない。 (うり美)

 

 

大井町ビラまき報告

亀・・・・・11
うり美・・・1
山村・・・・2
富山・・・・0

なんということだ。絶不調なんてものではない。評価の対象外と言うべきだ。亀が留守中の連戦連勝は、いったいなんだったのだろう。
それでも、なぜかビラだけはしっかりはける。1時間やって、併せて100枚くらいうけとるうちの50~60枚は私からだ。どうやらまた「種蒔く人」に戻ってしまったようだ。
ビラまき開始後まもなく、若い女性が山村の前に立っている。ちらりと振り向いて、私と目があったので会釈したら、にこっと笑うではないか。結局、署名して自転車に乗って、私の前を通過。「ありがとうございました」とお礼を言ったら、またニッコリ。
 30分程して再び通りかかったので、「さっきはありがとう」と言ったら、またまたニッコリ。そして「がんばってください」。よい娘だ。次回は、ぜひ私に署名してください。
結局、とうとうこの日は署名者なし。困ったときのMさん(大学の先輩で、毎週この時間帯に駅前を通過する)も、なぜか現れなかった。とここまで書いてく ると、さんざんな一日のように見えるだろうが、そうでもない。何人かの人がビラをうけとりながら「がんばってください」と声をかけてくれる。私の名前も 知っている。着実に蒔いた「種」は芽を出しているのを実感できる。継続は力である。署名の数などでへこたれてはいられない。
とはいうものの、やはり勝たねばだめだ。ニュースは最後から読むという読者が少なくないが、どうやらみんな私がどういう負け方をしたかを楽しんでいるら しい。だから、癪なことに私が勝つと話題になる。勝ち続けても、負け続けてもダメらしい。意外性は私にありというわけだ。 次回は、なんとかして勝ちた い。 (とみやま)

大井町のYさんから

休載

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ニュースNo.224(2007年5月15日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.224(2007年5月15日発行)◎ニュース遅延のおわび
弁護団が裁判所と折衝
渡部保夫先生を偲んで

大井町ビラまき報告

ニュース遅延のお詫び

富山再審ニュース購読者の皆様、御支援下さっている皆様へ

富山再審ニュースの発行が大幅に遅れて、今月発行になりましたことを深くお詫び申しあげます。
昨年5月以降、一部未完原稿のためニュースが発行できないという状態が続いておりました。
かちとる会は、昨年末の総括会議でこの問題を話し合い、遅れているニュースを「休刊」あるいは「合併号」とはせず「毎月発行」という従来の方針どおり発 行するということで確認しました。昨年のニュースは、原稿がほぼそろっているので未完成の原稿を仕上げて発行する、同時に今年の5月号から毎月定期発行を 再開、ということになりました。従いまして、今月号(5月号)と、昨年の5月号とが同封してありますので御了承ください。
ニュースは常に運動とともに歩みながら、最新情報を伝えなければ意味がありません。このことを深く反省し、今後は、このようなことがないよう努力していく所存です。
今後とも、御指導、御鞭撻のほど宜しくお願いいたします。

かちとる会一同

秩父 羊山公園

□弁護団が裁判所と折衝

4月17日、富山再審弁護団は東京高裁第4刑事部(大野市太郎裁判長)と折衝を行った。
今回の折衝で、弁護団はまず、証拠開示の必要性、重要性を明らかにした法学者の意見書を準備しており近々提出する予定であることを伝えた。
さらに、検察官が手持ちの証拠を開示せず、隠し続けていることに対し、裁判所が証拠開示命令を出すよう強く求めた。弁護団は、無実を明らかにする証拠が 検察官の手元にあるのは間違いないこと、すべてを調べたうえで裁判所は判断すべきであると強調した。法廷に立った目撃者の証言の信用性を検証するために も、同じ場所で見ていた目撃者の調書を見る必要がある、開示の必要性は極めて高いと訴えた。本来、出てきて当然の逮捕写真すら開示を拒否している検察官の 態度を批判し、裁判所こそが開示命令を出し証拠を調べなおすよう求めた。弁護団の意見に対し、裁判長は提出される証拠開示についての意見書を見て判断する 意向のようである。    (山村)

□裁判長が交代

5月23日付で、東京高裁第4刑事部の大野市太郎裁判長が司法研修所長に異動し、門野博裁判官が裁判長に着任しました。
門野博裁判官は、昨年12月26日、名古屋高裁刑事第2部が、同高裁刑事1部が出した「名張毒ぶどう酒事件」の再審開始決定を取り消した時の裁判長です。(下 新聞記事参照)

2006/12/26 朝日新聞

□渡部保夫先生の御冥福をお祈り致します

―必ず再審を実現し、冤罪根絶へ前進します

 4月12日、渡部保夫先生が亡くなられた。「突然の訃報」などというありきたりの表現では追いつかない、まるで無防備なところをいきなり張り飛ばされたような衝撃だった。
急遽、駆けつけた札幌は、4月も半ばだというのに「偲ぶ会」も「お別れの会」(葬儀は無宗教形式で行われた)も雪の降るなかだった。
そういえば先生のお宅に初めてお邪魔したときも、まだ秋の終わりだというのにすでに雪が降っていた。半日、話を聞いていただいたうえに、食事をごちそう になり、さらに自らハンドルを握って〈札幌芸術の森〉の有島武郎旧邸に案内までしていただいたのには恐縮とか感激を通り越して、驚きの連続だった。経歴だ けを見るとまぎれもなくエリートコースの人であり、判決や著作で判断する限り、話は聞いていただけるだろうと期待はしていたが、まさかこれほど歓待してい ただけるとは想像を絶していた。以来、何度か先生のお宅をお訪ねすることになった。先生のお話を伺うことと倫子(みちこ)夫人の手料理をご馳走になるのは このうえない楽しみだった。せっかく「泊まっていきませんか」と言っていただいたのだから、厚かましく甘えても・・・と思うことがしばしばだった。
その先生が亡くなるなんて、2年前にガンを克服されて「これからは、定期的な検査だけでいいそうです。主治医が治療としては稀なくらいの成功例なので学 会で発表したいそうですよ」とうれしそうに語っておられたので安心していたのに、なんということだ。どうしても実感がわかない。けっこう茶目っ気があっ て、失礼な言い方を許してもらうならば、可愛さいっぱいの人でもあった先生が、「実は生前葬なんですよ」と笑いながら起きあがってきそうな錯覚にさえ襲わ れる。しかし、献花になり、遺族の方々の嘆き、とりわけ倫子夫人が私の手を取ってことばにならないことばで必死に訴えられる様子に、本当に先生は亡くなっ てしまわれたのだという厳粛な事実をうけいれざるをえなかった。
弔辞は、いずれも心のこもった、そしてあらためて教えられることの多いものだった。こういう弔辞が寄せられるところに先生の人格の反映があると痛感させ られた。今日、友人、知人、弟子たちからこれほど愛され、慕われる師が、はたしてどれほど存在するだろうか。人として生きるならば、かく生きたいものであ る。
印象に残った弔辞を紹介したい。冤罪に憤りを抱かれていた、というよりは冤罪をはっきりと憎んでおられ厳格な事実認定の研究と確立に心血を注がれた先生 は、司法修習生として指導されたM教授に餞(はなむけ)として「花井卓蔵の陳述書」を贈られた。M教授は「宝物」と大切にされている。私などは、先生から この話を伺ったときはずいぶん気前がよいと思ったものだ。先生にとってはM教授を高く評価するだけでなく、ものの価値のわかる人物ひいては社会全体で愛で るべきという考えもあったのだろう。先生の業績が、たとえ立場を異にするものも無視できないまでに屹立していることは、万人の認めるところである。その淵 源を鮮やかに照らし出す弔辞であった。
もうひとつ。先生は、北大教授時代に、ドクターコースの院生の研究課題の材料に研究資料をそっくり提供されたそうである。弟子の功績をとりあげて自分の 成果にしてしまう例が少なくないなかで、こんな例は稀有である。驚嘆に値する。さらに原書の翻訳にあたっても、ともに机を囲んで取り組まれたそうである。 学恩ということばが実体をともなって理解できる事例である。これでは発奮せざるをえない。
さて、わが富山再審と渡部先生である。そもそも先生との会話は「弁護の依頼にいらっしゃったのですか」から始まった。そこまでおっしゃっていただけると は想定しておらず、訪問の目的は講演の依頼の予定であった。結局、論文執筆等で富山事件・富山裁判を取り上げ、広く関心・注目を喚起していただくことに なった。それ以来、恩恵に浴しっぱなしである。
強力な援軍を得て、私と弁護団はこのうえなく勇気づけられ、「法と心理学会」結成の機運の盛り上がりともあいまって、法曹界・法学会において富山事件・ 富山再審を無視するわけにはいかないまでに市民権を得るにいたっている。だからこそ、たまりかねた中川武隆裁判長は再審請求棄却という暴挙にうってでてき たのだ。
この暴挙を目の当たりにした先生の反応は素早かった。「棄却決定に対する反論を書きたいので、私も弁護団に加えてください」というものだった。もともと 再審請求棄却策動を読み切って攻勢的に迎え撃った弁護団の士気は旺盛だったが、渡部先生の参加を得て、一層高揚したことは言うまでもない。異議審におい て、証拠開示の必要性、重要性を全面的に明らかにした意見書の作成に取り組んでいる最中の訃報は、痛恨の極みである。渡部先生の遺志を引き継ぎ、なんとし ても異議審において棄却決定の撤回をかちとり、再審開始を実現したい。そして、冤罪の根絶にむけて一歩でも前進すること、お世話になった先生に万分の一で も恩返しできるとすればこれをおいて他にない。全力でがんばりたい。
渡部先生、本当にありがとうございました。必ず再審を実現します。冤罪根絶への確実な前進としてかちとります。見守っていてください。
(富山保信)

▼渡部保夫先生の経歴

1929年10月27日
北海道室蘭市に生まれる。
1951年10月
司法試験合格
1953年3月
(旧制)東京大学法学部卒業
1955年3月
司法修習過程修了。同年4月、青森地方裁判所・家庭裁判所判事補。以降、函館地裁・家裁、東京地裁・家裁の判事補、東京高裁の判事職務代行、秋田地裁・家裁の判事補を歴任。
1965年4月
東京地裁・家裁判事
1966年4月
東京高裁判事職務代行
1968年4月
札幌地裁・家裁判事
1977年3月
最高裁の命令で、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカの裁判所の視察
1977年4月
最高裁刑事調査官
1981年4月 札幌高裁判事
1985年4月 判事退官
1985年4月~
北海道大学法学部教授
1993年3月
北海道大学教授退官
1993年4月~
札幌学院大学法学部教授
1996年9月 弁護士登録
1998年3月
札幌学院大学退職
2007年4月12日 逝去
(享年77歳)

▼主な著書

「刑事裁判ものがたり」(潮出版社)
「刑事裁判の光と陰」(共編著)(有斐閣)
「病める裁判」(共著)(文藝春秋)
「無罪の発見―証拠の分析と判断基準」(勁草書房)
「ギスリー・グッドジョンソン『取調べ・自白・証言の心理学』」(共訳)(酒井書店)
「日本の刑事裁判―冤罪・死刑・陪審」(共著)(中公文庫)
他、著書、訳書、論文等、多数。

※ 偲ぶ会で配られた小冊子より抜粋させて頂きました。

 

大井町ビラまき報告

亀  …………5
山 村…………3
富 山…………3
うり美…………2

この日は、爽やかな晴天。時折、通り抜ける風が心地よくビラまきにはもってこいの気候である。
しかし、やる気は今ひとつ。「そろそろはじめますか」と重い腰をあげながらのビラまき開始。
ビラと署名板を持ち、それぞれが定位置についた矢先、山村さんの署名板に手を差しのべ、何も聞かずに署名をしてくれた人がいた。実に幸先が良い。こんなことはまずない。

そうこうしているうちに、富山さんに署名をしている方がいる。なんだか今日はあまり訴えなくても署名がとれているようだ。
ふと、少し離れている亀さんに目をやると、なにやら話こんでいる。すでに何名か署名はとれているのだろう。
そして、私にも何も聞かず署名をしてくれた方がいた。署名の後、優しく微笑みながら立ち去っていった。とても幸せな気分。

一体、今日はなんでこんなに署名がとれるのだろうか。
「なんで?」と山村さんと顔を見合わせながら、「ゴールデンウィークだから、みんな時間に余裕があるのかな?」等と答えにならない答え導き出したのだが、皆目見当がつかない。

いつもビラまきの時は、テンションを上げないと元気がでないのだが、今日は大井町の皆さんから、逆に元気をもらったビラまきでした。 (うり美)

大井町のYさんから

休載

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