■東京高裁第三刑事部に提出された要請書東京高等裁判所第三刑事部御中
下記の趣旨にもとづき要請いたします。
記
1994年6月20日に再審請求がなされ、現在、東京高裁第三刑事部において審理されている「平成6年(お)第1号」請求人富山保信にかかる再審請求事件について、裁判所が慎重かつ公正な審理を行うことを求めるものである。
事件の概要
本件は、1974年10月3日午後1時過ぎ、東京都品川区の路上で起きた殺人事件で、翌1975年1月13日に富山保信(とみやまやすのぶ)が逮捕された。富山は逮捕当初から弁護人に「自分はやっていない」と訴え、以降一貫して無実を主張している。
一審は東京地裁で争われ、1981年3月5日、被告人・富山保信に無罪判決を下した。
しかし、二審・東京高裁は1985年6月26日、富山保信を有罪とし「懲役10年」を言い渡した。1987年11月10日、最高裁は事実審理を行うこと なく「(被告、弁護側の上告理由は)単なる法令違反及び事実誤認の主張であり、いずれも適法な上告理由に当たらない」として上告を棄却した。
富山保信と弁護団は、1994年6月20日、再審を申し立て、東京高裁第三刑事部に係属することとなった。
目撃証言の信用性をどう判断するか
本件は目撃証言の信用性が最大の争点となった事件である。
事件の概要は、「4名が集合し」、「通りかかり身の危険を感じて逃げ出した被害者を追いかけ」、「(犯人の)4名のうち3名が道路車道上において、被害 者に対し鉄棒で殴りかかり、同人の転倒後も殴り続けた。そして、その殴打中、道路のガードレール内で、周囲を警戒していた別の1名が機をみて、3名に逃げ るよう指示し、これを合図に4名全員が駆け去った」というものであり、これについては、公訴事実、一審判決、二審判決の間でほぼ一致している。
富山保信は、この事件の「道路のガードレール内で周囲を警戒していた別の1名」で「機をみて、3名に逃げるよう指示した」、いわゆる「指揮者」として逮 捕・起訴された(なお、本件捜査において、4名の犯人のうち逮捕・起訴されたのは「指揮者」だけであった)。
白昼の出来事であり、警察が把握した目撃者は約40名いたと言われている。指紋等の物証はなく、目撃証言を中心にして捜査は進められた。そして、この目 撃証言の信用性をめぐって、一審・東京地裁と二審・東京高裁の判断がまっこうから対立するものとなった。
富山保信は、事件当時26歳、身長は180センチ、ガッチリした体格、四角張ったエラの張った顔、広い額が特徴だった。
法廷で明らかになった目撃証人が事件直後に供述した「指揮者」の特徴は、顔つきについては「丸顔」「面長」「細面」など、体格については「やせ型」「中 肉」「細長い」という供述がみられ、年齢については、目撃者によって「20歳位」から「30~35歳」までの差があった。身長については、富山の身長であ る「180センチ」と言っていた目撃者は一人もおらず、「165センチ」と言っていた目撃証人もいた。それが捜査官の取調べを重ねるに連れて、富山の特徴 に似た犯人像を供述するようになっている(末尾に添付の表参照)。
例えば、身長について、事件当日(10月3日)には「165センチ」と言っていたA証人の供述は、「165センチ」から「170~172センチ」(10 月6日)、さらに「175センチ~180センチ」(10月31日)と変わっていき、最後の検面調書(翌年1月18日)では「180センチ位あったかもしれ ない」となっている。
犯人像についての供述が変わるとともに、目撃証人たちは富山の写真を「犯人に似ている」として選ぶようになる。
これらの目撃証言について、一審・東京地裁は、「目撃者らが最初に指摘した特徴によって、被告人が犯人の一人であると特定できるよう には容易に考えることはできない」「目撃者らの供述の経過には捜査段階における暗示の影響が看取されないでもない」「これらの供述の信用性にはかなりの疑 問が残り、これをそのまま採証の用に供することはできないと言わざるを得ない」として、富山保信に無罪判決を言い渡した。
これに対し、二審・東京高裁は、捜査官による暗示・誘導はなかったとして富山に「懲役10年」の有罪判決を言い渡した(確定判決)。二審判決は、目撃者が富山の写真を選んだということを拠り所とし、目撃証言の信用性を肯定した。
確かに法廷で明らかになった7人の目撃者たちは富山の写真を選んでいる。しかし、この写真選別には大きな問題があった。
これについて、再審請求時、弁護団が再審請求書とともに提出した花園大学教授(当時)浜田寿美男作成の鑑定書「富山事件目撃供述についての心理学視点からの供述分析」は以下のように述べている。
「7人がその当の人物の行動として最初に供述したところによると、
A・・・車道上の指揮者
B・・・殴打犯行の中心人物
C・・・殴打犯行に加わり、逃げ出し、最後に路地に逃げ込んだ人物
D・・・歩道上の指揮者
E・・・歩道上の指揮者
F・・・殴打犯人の一人
G・・・殴打犯人の一人
ということになる。これが同一人物であるだろうか。それはありえない。そもそも殴打に加わらなかった指揮者と、殴打を直接行った人物とが同じはずがない。 にもかかわらずこの7人が写真面割で同一人物の写真を選んだのである。これを決定的矛盾と言わずして何と言おう。」
7人の目撃者たちは、同じ時刻に、違う位置(車道上、歩道上)にいて、違う行動(殴打犯人、指揮者)をしていた人物をそれぞれ目撃したとして、同じ富山の写真を選んでいるのである。
その後、事件から3ヶ月余り後に作成された検面調書では、7人中の5人が「殴打犯人」を見て富山の写真を選んだという供述を変更した。一人は車道上の指 揮者から歩道上の指揮者に供述を変え、もう一人は犯人たちが待ち伏せしていた場面に変え、残りの3人は犯人たちが逃げていく場面に変えたのである。これで 「矛盾」は解消した。しかし、目撃証人の側にこのように供述を変える理由はない。これについて、前記浜田鑑定は、
「もとより自分の目撃経験記憶のうちにとどまっているかぎり、供述者本人には矛盾は矛盾として見えない。7人の供述が全体として矛盾解消に向けて変遷し たという事実は、これを矛盾と見ることのできた尋問者の矛盾解消への働きかけがそこに介在したということを明確にさし示すものであったと言ってさしつかえ ない。」
と捜査官による誘導の可能性を指摘している。
さらに、弁護団は、確定判決が「本件目撃証人中最も良質の証人」としたE証人の目撃条件について、K大学のK教授作成による鑑定書を提出している。
この鑑定書は、約80名の被験者を使った実験結果に基づいて、E証人の目撃条件(左0・1~0・2、右0・3~0・4の視力で、16・45メートル先の 初対面の「指揮者」を目撃)では、初めて見る人物の同一性識別は不可能であるとしている。鑑定書によれば、視力0・4で同一性識別が可能な距離は、「平均 値6・29メートル」「信頼限界の範囲4・52~8・06メートル」である。
このように、この事件の目撃証言、写真選別には大きな疑問が残ると言わざるを得ない。
証拠開示の必要性
二審で、この事件の捜査責任者だった警察官が、約40名の目撃者がいてそのうち34名の供述調書がある、と証言している。しかし、裁 判の過程で明らかにされた目撃者は、7人(証人に採用され供述調書が開示されたのが6人、供述調書のみ開示されたのが1人)で、残り27名の目撃者の供述 調書は未だに開示されていない。
再審請求時に弁護団が提出した新証拠の中には、富山を「犯人ではない」と言った目撃者の証言もある。これは、D証人のタクシーの乗客で当時新聞記者だっ たKという人物の証言である。Kは、弁護人の事情聴取に対し、「(指揮者は)やせて小柄で貧弱な男」「細面で青白くキツネ顔の男」とし、富山が身長180 センチだったと聞くと「そんな大男じゃない。それだけははっきり言える」と言い、目撃証人が選んだ富山の写真を見て「こんな男じゃない」とはっきりと否定 した。このKの所在については、D証人の員面調書に記載されていたにもかかわらず、一審で、検察官は裁判所の開示勧告が出るまで、D証人の員面調書の開示 を拒否し、Kについては「そんな人物は知らない。こちらが知りたいくらいだ」とまで言っていたのである。
再審において、弁護人は、Kをはじめとする未開示の目撃者の供述調書、捜査報告書等の開示を再三にわたって検察官に求めてきた。しかし、検察官は、一部の目撃者の供述調書、捜査報告書の存在を認めながらも開示については一切拒否し続けている。
弁護団は、東京高裁第三刑事部に、検察官に対する証拠開示命令ないし勧告を求めて申入れを繰り返し行い、何度にもわたって上申書を提出してきた。しか し、申し立てから5年近くが経過するにも関わらず、裁判所は何ら具体的判断を示さず、検討がなされた様子も伺えない。
すべての証拠は真実発見のためにこそ役立てられるべきである。検察官の立証に有利な証拠は出すが、被告人に有利な証拠は開示しないというのはフェアでは ない。検察官は、すべてを明らかにして公明正大に判断を問うべきである。裁判所は、請求人の無実を裏づける可能性のある証拠が存在することが明らかなの に、それを取調べもせずに再審請求に対して決定を下すことがあってはならない。
科学的知見に基づいた「基準」の設定を
確定判決は、「写真面割りの正確性を担保するための基準」として、①写真識別者の目撃条件が良好であること、②早期に行われた写真面 割りであること、③写真面割りの全過程が十分公正さを保持していると認められること、④なるべく多数者の多数枚による写真が使用されていること、⑤呈示さ れた写真の中に必ず犯人がいるというものではない旨の選択の自由が識別者に確保されていること、⑥識別者に対し、後に必ず面通しを実施し、犯人の全体像に 直面させたうえでの再度の同一性確認の事実があること、⑦以上の識別は可及的相互に独立した複数人によってなされていること、の7項目を挙げて、本件目撃 証言はこれらの条件について「おおむね充足している」としている。
しかし、この基準は、何をもって「目撃条件が良好」だとするのか、「早期」とはいつのことを言うのか、何ら具体的な基準となっていない。「多数者の多数 枚の写真」というが、何人の何枚の写真なのか、そもそも「多数者の多数枚」の写真の中身はどういうものであるべきなのか、何ら検討がなされていない。本件 では、写真面割りに使用された写真の内容や構成が問題とされ、使用された再審請求人の写真が強力な暗示性をもっていることが指摘されている(再審請求時に 提出されたT大学のH助教授(当時)作成の昭和61年8月21日付報告書)。
しかも、目撃者に対する捜査過程が外から窺い知ることのできない全くのブラックボックスの中にある本件において、写真面割りの全過程が「十分公正」であ るかどうか、「選択の自由」があったかどうか、目撃者たちの写真面割りによる識別が「相互に独立し」ていたか否かについて何の保証もない。むしろ、本件で は捜査官による暗示・誘導の形跡が多数見られるのである。
この「基準」については、科学的な見地からこの基準では基準たりえないとして、「法と心理学会」や日弁連の「目撃証言研究会」、法学者、心理学者、実務 家の間で問題視されている。「法と心理学会」では、この「基準」に代わる「目撃供述ガイドライン」の検討が数年にわたってなされてきており、今年中にも正 式に提起されようとしている。
公正かつ慎重な審理を
欧米では目撃証言は危険な証拠とされ、証拠とするためには厳しい条件を付している。本件再審請求の審理がどのようになされるかは、日本の裁判所の目撃証言についての認識のレベルがどのような水準にあるかを世界に示すものとなる。
東京高裁第三刑事部が、慎重かつ公正な審理のうえで決定を出されるよう望むものである。
《呼びかけ人》
秋山賢三(東京弁護士会)
浅野史生(第二東京弁護士会)
足立昌勝(関東学院大学法学部教授)
阿藤周平(八海事件元被告)
阿部泰雄(仙台弁護士会)
荒木和男(東京弁護士会)
荒木伸怡(立教大学法学部教授)
有賀信勇(東京弁護士会)
五十嵐二葉(東京弁護士会)
一瀬敬一郎(第二東京弁護士会)
指宿 信(立命館大学法学部教授)
内田剛弘(第二東京弁護士会)
及川信夫(東京弁護士会)
大口昭彦(第二東京弁護士会)
太田真美(大阪弁護士会)
小川修(埼玉弁護士会)
小川秀世(静岡県弁護士会)
川村 理(東京弁護士会)
北野弘久(東京弁護士会、日本大学名誉教授)
北本修二(大阪弁護士会)
古賀正義(東京弁護士会)
斎藤利幸(福島県弁護士会)
佐藤昭夫(第二東京弁護士会、早稲田大学名誉教授)
嶋田久夫(群馬県弁護士会)
新谷一幸(広島修道大学法学部助教授)
鈴木達夫(第二東京弁護士会)
武内更一(東京弁護士会)
塚本誠一(京都弁護士会)
出牛徹郎(群馬弁護士会)
富﨑正人(大阪弁護士会)
中山博之(札幌弁護士会)
七尾良治(大阪弁護士会)
西村正治(第二東京弁護士会)
庭山英雄(東京弁護士会、専修大学名誉教授)
浜田寿美男(奈良女子大学教授・心理学)
原 聰(駿河台大学教授・心理学)
福島 至(龍谷大学法学部教授)
藤田正人(東京弁護士会)
前田知克(第二東京弁護士会)
松本健男(大阪弁護士会)
水上 学(東京弁護士会)
水野英樹(第二東京弁護士会)
村井敏邦(龍谷大学法学部教授)
矢澤曻治(第二東京弁護士会)
保持 清(東京弁護士会)
八尋八郎(福岡県弁護士会)
山際永三(映画監督、人権と報道・連絡会)
山崎吉男(福岡県弁護士会)
山脇晢子(東京弁護士会)
依田敬一郎(第一東京弁護士会)
渡部邦昭(広島弁護士会)
(2004年3月17日現在)
〈新たに加わられた方〉
藤沢抱一(東京弁護士会) |