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ュースNo182(2003年11月15日発行)

 

●ニュースNo182(2003年11月15日発行)◎集会参加のお願い

「法と心理学会」参加報告

大井町ビラまき報告

集会を行います  ご参加ください

2・7 富山再審集会

富山さんは無実だ! 再審棄却策動をゆるすな
東京高裁第三刑事部は検察官に証拠開示を命令せよ
事実審理を行え 再審を開始せよ

《発言》

富山保信さん(再審請求人)
阿藤周平さん(八海事件元被告)
葉山岳夫弁護士(再審弁護団)

とき 2月7日(土)午後6時30分開始

ところ きゅりあん(5階)第2講習室(JR京浜東北線・東急大井町線/大井町駅下車) 地図

 ■集会にご参加ください前号で既報のとおり、東京高裁第三刑事部から「求意見書」が届きました。再審請求棄却のためのものとしか考えられません。明らかに、中川裁判長は棄却を 狙っています。けっして一般的な形式的手続きを整えるというものではなく、棄却決定をするための手順を踏んだということです。意見書提出をもっていつでも 切り捨るという意思表示にほかならず、一瞬の油断もならない緊迫した決戦局面の到来を意味します。

裁判所は真摯に審理を行え

ご存知のとおり、富山再審は1994年6月に再審請求書を提出してから9年半がたちます。再審請求申し立てで再審請求書とともに浜田寿美男さんの鑑定書 をはじめとする31点の新証拠を提出しました。その後も弁護団は追加の証拠や鑑定書を提出するとともに、足繁く裁判所に通い、再審開始を訴えてきました。 なかでも検察官が隠し持っている「27人分の目撃者の供述調書」の開示は富山さんの無実をいっそう明らかにするうえで決定的位置を占めており、検察官に対 して開示命令を出すよう強く求めてきました。「かちとる会」も請求人本人の富山さんを先頭に、署名を集め、裁判所への申し入れを繰り返し、再審開始を求め て運動を展開してきました。その間に、裁判長は4人も交代し、裁判長が交代するたびに審理は振り出しに戻るということを繰り返してきました。
そして、昨年10月8日付けで中川裁判長は「12月26日までに意見書を提出せよ」と言ってきたのです。弁護団の証拠開示を求める折衝においては木で鼻 をくくるような対応を繰り返してきた裁判所がこの時期に意見書の提出を求めてきたということは、再審請求棄却を前提にしているというほかありません。
富山さんと弁護団の真剣な訴えに誠実に対応するというのならば、まず証拠開示問題に回答すべきではないでしょうか。さらに、きちんと事実審理を行うべきです。それが真摯な審理というものではないでしょうか。

富山さんの無実は明白
再審開始・無罪が正しい決定

中川裁判長が再審請求棄却策動に出たのには明白な理由があります。 それは、富山さんの無実は明らかであり、正しい決定は再 審開始・無罪以外にはありえないことが何人にも否定できないからです。本来ならば、富山裁判は一審無罪の確定で終わるべきでした。確定判決・二審逆転有罪 は強権行使によってのみ成り立つ何の説得力も持たないものであり、自ら刑事裁判の死を宣告し、日本刑事裁判史に恥をさらし続けるものなのです(最高裁の上 告棄却はこれを追認)。したがって、真摯に富山再審に取り組むならば、再審開始決定を出さざるを得ず、だからこそ歴代の裁判長は決定を回避・放置したまま 異動して行かざるをえませんでした。けれども、いつまでもそれではすまなくなったのです。10年という歳月のもつ重みは無視できるものではなく、何らかの 反応を示さざるを得ないところに裁判所は立たされたということを意味します。弁護団と「かちとる会」を先頭とする粘り強いたたかいが裁判所を追いつめたの です。営々たる、倦まず弛まぬたたかいは、富山裁判・富山再審の本質、その歴史的位置、役割りへの認識を着実に定着させ、広めて、もはやこのまま放置する ならば裁判への信頼を堀り崩されてしまうという危機感を裁判所に抱かせるところにまで追いつめた、前進したことを確認できます。人民を裁判・裁判所への信 頼の下に繋ぎ止めることが揺るがされてしまうという恐怖が現実のものになり始めたのです。もちろん、このたたかいの前進が富山再審単独の力ではなく、多く のえん罪とたたかう人々との連帯したたたかいのたまものであることはいうまでもありません。

しかし、それではまだことがらの半面でしかなく、メダルの裏側には国家権力(裁判所こそ「最後の砦」)は国家権力であって、簡単に引き下がりはしないと いうことがあるのです。「求意見書」・再審請求棄却策動は、追いつめられた裁判所が強権行使をもってたたかいを叩き潰し、敗北感と無力感のなかに不正義を 憎み、正義の実現のために尽力しようという心と実践を霧散させようという悪辣な開き直りにほかなりません。そして、それはけっして中川裁判長一個人の策謀 というにとどまらず、「司法改革」という名の司法大改悪と軌を一つにしていることを見抜く必要があります。

今日、私たちの眼前で進行している事態は日本を戦争の出来る国にしようとする国家大改造攻撃です。「司法改革」は、その最後の仕上げを意味します。司法 の現実を知るものにとってその改革は急務ですが、それを逆手にとって現行憲法体系を根本から転覆しようとしているのです。

例えば、「裁判迅速化法」。闇雲にどんな裁判も2年以内に判決を出せとしていますが、裁判が無用に長引くのはほとんどがデッチあげや無用な起訴を行った あげくに証拠開示を拒む(ありていに言えば、証拠を隠す)から長引くのであって、事実のねじ曲げと責任転嫁の典型というものです。その結果もたらされるの は拙速裁判の横行とえん罪・誤判の乱発であり、被害に泣かされるのは人民にほかなりません。

例えば、裁判員制度。「司法改革」の目玉の一つとされていますが、これを子細に検討すればするほど「司法改革」がいかに悪辣なものかが浮き彫りになりま す。まず、裁判員の数と職業裁判官の数をみれば陪審制でないどころか、日本の現実に照らせば参審制にすら及ばない代物であることは明白です。結論的に言え ば、裁判の死に人民自身がお墨付きを与える役割を担わされる制度にほかなりません。えん罪・誤判の共犯者を演じることになるのです。「裁判員の確保」「裁 判員に無用の負担を負わせない」と称して、集中審理(これこそ裁判迅速化=拙速裁判=えん罪・誤判の横行)のために「争点整理」を行いますが、その前提を なすべき証拠の全面開示が否定されているのですから、まともな審理などできるはずがありません。証拠開示拒否とならんで「捜査過程の可視化」も実現されな いとあっては、審理どころか捜査当局にフリーハンドを与えた上に判決の名をもって承認の判子をついてやるだけの儀式というものです。それでもなんとか争お うとする被告、そのために全力を尽くそうとする弁護人(これが本来の弁護人の使命だ)は制裁を受けるのだから、被告・弁護人は裁判の当事者ですらなくなっ てしまいます。さらに事態はもっと深刻で、これからは再審すらできなくなるのです(本件に即した指摘は、一昨年の集会での富山さんの講演の反訳をお読みく ださい。「かちとる会」ニュース167号参照)。要するに、裁判らしい裁判は姿を消す、正確に言えば消滅させる、そのために「お白州裁判」をやるから「国 民」はその片棒を積極的に担いで共犯者になれということを意味しています。「統治の主体たれ」(司法制度審議会答申)とは、そういうことなのです。

例えば、ロースクール。金のない者、あるいは主体的にものごとに立ち向かおうとする者や批判精神の旺盛な者は法曹界から排除しようとする魂胆がますます はっきりしてきました。日弁連を骨抜きにして御用機関化してしまおうという意図が見え透いています。

以上、簡単に見ただけでも司法を「行政権力の侍女」どころか金棒引きにしてしまおうという「司法改革」の狙いは何人にも否定しがたいものになりつつあります。

戦争国家にむかってどしどし進められる反動攻撃に抵抗するものはゆるさない、ゆきつくところは傍観することもゆるされないで積極的な担い手にならないか ぎり弾圧されるという暴虐に承認のお墨付きを与える装置に裁判と裁判所という名が冠せられることになるのです。この方向に沿ったものとして、今回の中川裁 判長の再審請求棄却策動はあります。日本の軍隊が戦争を始めようというのに再審など云々しているときか、「城内平和」つまり国を挙げて戦争体制を支えるべ きときにお上に逆らうなどもってのほかだ、一掃するという本音の大音声が聞こえてくるようです。戦争に向かう熱病のまえには理性や知性など入り込む余地な ど消し飛んでしまいますが、そして知性や理性と遠い人間ほどその熱病に囚われやすいものですが、まさにその熱病への渦中から再審請求棄却策動が襲いかかっ てきたと見るべきでしょう。「司法改革」の先取りとして、そして「司法改革」の地均しとして富山再審の再審請求棄却と再審自体の叩き潰しが目論まれている のです。こんなことを見過ごしていいのでしょうか。

富山さんの人権は私たち一人一人の人権

アリの一穴から堤防も崩れます。第二次大戦直後のドイツのニーメラー牧師の有名な反省の述懐「最初は共産主義者にナチスの攻 撃が襲いかかった。次は社会民主主義者に襲いかかった。自分は宗教家だから傍観していた。今度は教会に襲いかかってきた。抵抗しようとしたが、もう手遅れ だった」を想起すべきではないでしょうか。一人の人権が踏みにじられるとき戦争への道が始まるのです。

富山さんの置かれている現状はけっして私たちと無縁ではありません。普段えん罪や裁判など他人事と思って生活している私たち一人一人も、いつ何時青天の 霹靂に襲われるかわからない、ましてや有事法制、「司法改革」、共謀罪、憲法改悪、・・・の中で一億二千万人総弾圧対象化と総監視下に置かれるとき、基本 的人権は風前の灯火ですらないというべきです。それこそ「手遅れ」にならない瀬戸際に来ていると言っても過言ではないと思います。昨今の私たちを取り巻く 世の中の動きは、そう告げているのではないでしょうか。

いまこそ正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると主張すべきときです。声を上げなければ現状は追認・承認されたものとされてしまいます。歴史の教訓を生かすべきときは今をおいて他にありません。

富山さんは無実。東京高裁第三刑事部は、検察官に証拠開示を命令せよ。事実審理を行え。再審を開始せよ。これらの訴えを広範な人民の間に持ち込み、再審開始・無罪への道を切り開きましょう。

2月7日の集会は、その突破口です。皆さんご自身の参加はもちろん、多くの友人、知人にも呼びかけていただくことを心からお願いいたします。 会場に溢れんばかりの参加をかちとり、再審開始への共同の決意をうちかためましょう。

■「法と心理学会」第4回大会参加報告   「法と心理学会」も早いもので、今年で4回目の大会を迎えました。今年の会場は東北大学。期間は10月11日・12日。山村と富山が参加。仙台は、まだ 一審の時に東京拘置所から手錠・腰縄つきで「ひばり(たしかこんな名だった)」(新幹線開通のはるか前)に乗って出張尋問に出かけて以来。「ひたすらだ だっ広いところだなあ」という印象から「杜の都と自称してもおかしくないくらい緑が残っているぞ」に変化するのもうなずける観光メインルートをたどって キャンパスに到着。 一日目、9時半から12時まで特別シンポジウム「作家・広津和郎の松川裁判批判を今日いかに継承するか―『法と心理学会』の発展のために」。

午後のメインは、「ワークショップ」第一部会の「目撃証言ガイドラインと司法改革の行方」。私の再審と直接かかわる問題だけに「目撃証言ガイドライン」 がどこまで仕上がっているのか、どう実効性をもたせられるのか、は最大の関心事なのですが、苦闘中というのが討論の中から出てきた回答でした。ポスター発 表や討論・発言をとおして明らかになったのは、目撃証言の信用性の評価への科学的知見の導入の必要性に対する認識は広まったが、まだまだ具体的事例への認 識は圧倒的に不足していること、啓蒙活動の必要性は増大する一方であること、現実の裁判において採用・活用される以前に裁判官に(必要性への)正しい認識 を持たせるに至っていない現実をどう克服していくかが乗り越えるべき障害として立ちふさがっているという共通の確認を再確認することとなりました。どこか でひとつ典型的な事例がぶち抜くことによって事態が動くのではないかというのが結論ということになります。やはり典型的な事例といえば私の再審事件ですか ら、ここで勝たずして進展はありません。口幅ったい言い方をすれば、私の再審が勝てなければ、他の事例が簡単に勝てるわけがないということになります。 やっぱりやるしかないなというのが、正直な感想です。 鬼に笑われてもいいから、しゃかりきになって頑張って事態を打開して、来年のワークショップでは明 るい話題で全体をリードするくらいになろうと思ってしまいました。

ワークショップ終了後は、懇親会。「学内の食堂で」ということなのであまり期待はしてなかったのですが、うれしい意味で「期待外れ」。指宿先生など「こ の牛タンは外の店よりおいしい」と大喜びでしたが、まったく同感(といっても、本当に実感したのは外で二軒食べてから。私には塩とレモンが合いました)。  「求意見書」が届いた直後だったので、このときとばかりに「お知恵拝借」を乱発しましたが、結論はワークショップの中で持った決意に優るものはないとい うことで、私が必死になってもがくことによってのみ周りも動くと確信してやりきるということにつきます。これを再確認したということでは意義ある一日、そ して大会参加でした。

二日目は、9時半から「口頭発表」。今回は「富山再審」関連はなし。昼休みに「タテカン(立て看板)」見物をして、今回の大会参加はお終い。

東京に比べるとしっかりキャンパスらしい雰囲気を堪能できた楽しい大会参加でした。  (富山)

意見書提出が入ったので、パソコン教室が延期になったまま。2・7集会終了までお預けです。でも、必ず腕を磨いて見参します。乞うご期待。

 

大井町ビラまき報告

 亀・・・・・5
うり美・・・1
山村・・・・0
富山・・・・0

ビラまきをしていると色んな人と触れあうことになる。必ずしも好意を抱いてくれている人ばかりではない。この日はいつものごとく快調に飛ばしている亀さんにくっついて小判鮫と化していた私は、小春日和の天気に気分も爽快だった。ただし、ある一点だけを除いて。
そのある一点とは、ビラを巻いていると六~七〇才の女性がビラに見入って足を止めた。私は、富山事件を説明し始めたのだった。ところが、私が二審判決で懲役一〇年まで説明し終えるか終わらないかの所で、私の言葉に覆い被さるように、
「それって運命っていうんだよ」と、吐き捨てて立ち去って行ったのである。突然のことに私は唖然としていたが、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
「運命?」「運命なわけないじゃないか。明らかに、この事件は人的犯罪なのであって、運命なんかじゃない」そう叫びたい気持で一杯であった。ここで彼女 を呼び止めてこの気持をぶつけることは出来たが、今後もここで毎月ビラを巻かなくてはいけないのだからと、気持を抑えた。それにしても、何でそんな言い方 で人を傷付けなくてはいけないのか。やっぱり、解せないのである。
この女性は、きっと「運命」という言葉をかみしめて日々の生活を生きているに違いないと思うことによって、この怒りをなんとか静めた。
この日、亀さんも受け取ったビラを道路に投げ捨てられ、ビラは道路で無惨にも車の車輪に次々と轢かれていた。
こんな日もありますね。また、がんばろう。(うり美)

大井町のYさんから

「明日の為の第四十一歩目
季節はすっかり秋になりました。風が冷たくなりますので、コートが必要になりますね」

というお便りとともに二千円いただきました。ありがとうございます。
風邪をひかないで、元気に頑張りましょう。

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ニュースNo181(2003年10月15日発行)

 

●ニュースNo181(2003年10月15日発行)◎決戦のとき到来
裁判所は真摯に審理に臨め
追悼木下信男先生
木下先生を惜しんで

大井町ビラまき報告

いよいよ決戦のとき来る

(10月9日に届いた「求意見書」

決戦局面の到来

10月9日、高裁第三刑事部から「求意見書」(10/8付)が届きました。
刑事訴訟規則第286条には「再審の請求について決定をする場合には、請求をした者及びその相手方の意見を聴かなければならない」とあります。形式的な 手続きはふんだわけです。それでは、「再審を開始する」あるいは「事実調べを開始する」ために形式を整えたのでしょうか。
そうは思えません。なぜなら、現在弁護団は、補充鑑定の説明とともに、裁判所が正しい判断をするためには「34人分の取調調書があるにもかかわらず7人 分の調書しか開示されていない。残る27人分の調書の開示を検察官に命令してほしい。そして、それを見て判断してほしい」という申し入れと折衝を重ねてい るにもかかわらず、これになにひとつ応えないで、いきなり「求意見書」を送ってよこしたのです。こんな不誠実な態度で、はたして誤りのない決定を下すため に真摯に努力していると言えるのでしょうか。とてもそうは思えないと言っても過言ではありません。

裁判所は真摯に審理に臨め

1994年6月20日の再審請求から9年半、やっと裁判所が反応を示しました。とはいっても、けっしてよい結果を期待させるものではなく、むしろ反対の結果しか予測できない「心証」を形成しているだろうと推測させるやり方です。
私は無実です。一刻も早く事実審理を開始して再審無罪を出してほしいという要請を、裁判所はこれまで無視しつづけてきました。再審請求を真摯に検討すれ ば、正しい決定は再審開始・無罪以外にはないからです。歴代の裁判長4人が再審請求を放置したまま異動したのは「火中の栗は拾わない」を意味しました。
中川裁判長は「一刻も早く」を逆手にとって願いを踏みにじろうとしています。それでも「火中の栗を拾おう」としているのです。けっこうではありません か。真実はただ一つ、私は無実です。これを正面から見据えた決定を出してもらいましょう。健全な判断力を持つ人々の批判に耐えうる決定を、ぜひとも出して もらわねばなりません。断じて「厄介払い」などさせてなるものですか。無実・無罪をかちとるまでたたかいつづけますが、出直しなどは一回でもやりたくあり ません。なんとしてもこの請求審で再審無罪をたたかいとりましょう。

無実・無罪が正しい決定

たたかいの前提となる再審請求書につづく意見書を、より鋭く、説得力あるものにすべく、私と弁護団は全力で作成に取り組みます。
確定判決が誤判に他ならないことを、これでもか、これでもかと暴き、弾劾します。日本の刑事裁判が世界の恥さらしとなるか否かを決めるくらいの重さと位 置を持つ決定であることを浮き彫りにし、裁判所に突きつけます。再審請求書と意見書に真正面から応えない限り裁判官を名乗ることはできないくらいの迫力を もったものができるでしょう。

裁判を監視する人民の目を

つぎの課題は、裁判所にごまかしを許さぬまでに研ぎ澄まされた知性と理論の結晶である再審請求書と意見書を現実の勝利、証拠開示 命令―再審開始決定へと結実させる力である広範な世論の形成、裁判を取り巻く人民の目、英知の結集、心ある人民の陣形づくりです。これが最後に勝敗を決し ます。勝利には不可欠です。松川裁判をめぐって、当時の最高裁長官の田中耕太郎が「裁判官は雑音(世論)に耳を貸すな」と悲鳴をあげたような「不正義は許 さない、不当裁判は許さない」の声で裁判所を十重二十重に包囲しなければなりません。勝利への執念でつくりあげましょう。

人民の未来を決する富山再審

富山再審の帰趨には人民の権利と未来がかかっています。両者は固く一体です。
なぜこの時期に、9年半も放置していた再審請求の棄却策動に出てきたのでしょうか。狙いは明白です。戦争への道を掃き清めるため、これにほかなりません。
今日、破廉恥なデマゴギーと開き直りをもって、戦争国家づくりの大反動攻撃が襲いかかっています。戦争国家づくりの「最後の要」と称する「司法改革」な らぬ司法大改悪は現行憲法体系を根本から転覆するものであり、憲法改悪を先取りするものです。「司法改革」の化けの皮は日を追うに従って剥げ落ちており、 正体は誰の目にも明らかになりつつあります。裁判員制度、ロースクール・・・と鳴り物入りで騒ぎ立てられた「司法改革」も、証拠開示も取り調べの可視化も 実現されず裁判の死だけがもたらされることは明白になりつつあります。こうした現実に、富山再審は証拠開示問題、事実認定への科学的知見の導入等をもって 具体的に切り込み、司法改悪と戦争への道に立ちふさがるものとなろうとしているのです。
戦争こそは究極の人権侵害であり、これとたたかわずして人権の確立・擁護はありえません。えん罪・人権侵害と真剣にたたかうことは、戦争への道を拒否し、阻止し続けていることでもあるのです。
したがって、中川裁判長の再審請求棄却策動は、国家意志の表明であることを直視しなければなりません。この暴虐、再審請求棄却策動にうちかつ力は広範な 人民との結合なくしては生み出されません。逆に、広範な人民との結合が実現されるならば、再審棄却策動阻止・再審実現を突破口に心ある人民とともに取り組 んできたえん罪の根絶・一掃にむかって確実な前進がかちとられるのです。いまこそ「東京高裁第三刑事部は検察官に証拠開示を命令せよ。事実審理を開始せ よ。再審を開始せよ」を声を大にして一人でも多くの人々に訴えましょう。不正義を憎む心、正義を愛し、平和を求める心を総結集し、裁判所を包囲する人民の 輪を築きあげましょう。 (富山保信)

追悼木下信男先生

木下信男先生(横浜事件の再審を実現しよう!全国ネットワーク代表)が5月1日、入院されていた順天堂病院で、肺炎のため亡くなられました。享年82歳。

木下信男先生(横浜事件の再審を実現しよう!全国ネットワーク代表)
【2002年6月29日の富山再審集会で発言される木下先生。これが富山集会での最後の姿となりました】

 『横浜事件再審ネットニュース』にも「先生のお連れ合いが亡くなられてから、ずっと先生のお世話をしてこられた、同居している姪御さん御夫妻が、五月一日の朝申しわけなさそうにおっしゃいました。
―故人の遺志でお通夜・告別式はいたしません、お香典・御供物はご遠慮ください。遺体は以前から決めていた大学病院に献体いたします、さらにマスコミには ぜったいに知られないようにしてください・・・、ということで、わたしどもは六月一日の横浜事件再審開始決定の報告集会までどこにも口外しませんでした。 むろん、この再審ネットニュースの前号(17号)には先生のことをまったく記事にできませんでした」(第18号、9月刊)と書かれていましたが、私たちも 『かちとる会ニュース』での公表をひかえてきました。
木下先生は、1990年以来毎月「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」の定例会に出席されていましたが、3年前に「突発性難聴」が発生し、療養 のために出席が困難になられました。それでも、昨年の富山再審集会、定例会は可能なかぎり参加してくださいました。
その後、肺ガンが発症し、検査の結果、右腕に転移していることが判明したので、腕にコバルト照射の治療を施すこととなりました。コバルト照射を終えたの でいったん退院されましたが、ガンが完治されたわけではなく「老人なので進行が遅いから」というなかで取り組まれた爆発物取締罰則違反裁判での証言は鬼気 迫るものがありました。正義感の強い先生らしく毅然たる証言と、執拗な検察官の抵抗にも丁寧に答える態度に学者・人間の良心を見る思いがしたものです。疲 労は大変だったと思います。感謝あるのみです。
今年に入ってから、事態が深刻であることを、ご本人から告げられました。「肺ガンは4期」「のどに転移しており、声が思うように出ない。かすれる」「肝 臓にも転移している」ということで、気丈な方なので弱音は吐かれませんでしたが、「あと1年くらいですかな」ともおっしゃいました(当然、オフレコという ことでした)。
横浜事件の再審請求の結論が4月にも出るという時であり、「かちとる会」にとって先生を欠くのは断腸の思いだが、先生の意向を最優先し、その実現のために必要なことには全力で応えていきたいと思っていました。その矢先に先生を喪いました。
先生とお会いしたのは4月6日の定例会が最後になりました。当日は思いがけなくお見えになったものの、わが目を疑うほどのやせ方に驚きを禁じ得ませんで した。責任感の強い先生だから、わが身をかえりみずに「横浜事件のある問題の解明にとりくんで」(『再審ネットニュース』)いらっしゃったようです。
無理がたたって肺炎になり、緊急入院された4月15日は、横浜地裁で再審開始決定が出た日です。さぞかし喜ばれているだろうと思いテレビのニュースをみ ても先生の姿が映らず、どうしたのだろうというところに「入院」の知らせ。そして「少し回復されたようだ」に安心していたら、突然の訃報。驚きと落胆のあ まり言葉もありませんでした。
先生の謦咳に接せられたのは95年の暮れに出所してからの短い期間でしたが、密度の濃い、内容豊かな数年でした。叶うならば、もう少し教えを請う時間があればと思わずにはいられません。
木下先生、本当にありがとうございました。先生の生き方に学び、毅然たる生き方を心がけたいと思います。かならず再審無罪をたたかいとります。 (富山保信)

 

 昨年6月29日の富山再審集会での木下先生の発言の抜粋 木下でございます。
私は、富山さんの再審運動に以前は毎回関わっていた者ですが、最近体調を崩しまして、さっぱりお役に立てませんで非常に申しわけないと思っているのですが、今日はみなさんこんなにたくさんお集まり頂きまして、富山さんに代わりましてお礼申しあげます。先ほどビデオにも若干出てまいりましたけれども、わが国で現在、無実の罪で三十五年以上牢獄に囚われている方が三人いらっしゃいます。一人は波崎事件 の、富山さんと同じ姓ですが冨山常喜さん、もう一人は袴田事件の袴田さん、いまひとつは名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんです。この三人の方々に対する再審 は、開始される目処が立っていません。三十五年以上無実なのに獄中に囚われている、そういう歴史は世界のどこを探してもありません。こんなひどいえん罪の 起きている国は日本以外にないのです。

先ほどのビデオで阿藤周平さんがおっしゃっていましたが、八海事件で、阿藤さんが無実であるにも関わらず、無罪が確定するまで十八年もかかっている。こういう例も世界にはおそらくないだろうと思います。

富山事件について申し上げますと、再審請求をしてから八年間も、裁判所は何ら真剣な取り組みをしようとしないで来ました。こういう例は法治国家では日本 だけでございます。なぜこういうことが起こっているのか。それは裁判所が富山さんの無実を知っているからです。つまり、富山さんの再審を開始しなければな らないことを知っていながら、引き延ばしている。私も何回か富山さんと一緒に裁判所に抗議にまいりました。なぜこんなひどいことが行われているのかという ことに対して、一言も反論することができない。そのことからもわかると思います。

このようなわが国の再審裁判の状況を打破するにはどうしたらいいか。確かに、もっともっと富山さん無実の証拠を探して、ということが必要であることはい うまでもございません。しかし、このようにひどいわが国の再審状況を打破するためには、われわれがただ手を拱いて眺めているだけではだめだろうと思いま す。で、どうしたらいいか。再審裁判の開始を求める運動を、全国的に、あらゆる人々と手を組んで広めていくより他に方法はないだろうと私は考えておりま す。こういう方向に向けて、皆さま方のお力添えをぜひお願いしたいわけでございます。

(以下略)

木下先生を惜しんで 木下先生が亡くなられたと聞いた時、空虚感にとらわれた。「この間、会ったばかりなのに。まさか。」頭の中で最後に先生とお会いした場面が流れていくの を感じた。私は、その事実をすぐに受け入れることはできなかった。生あるものは、すべて限りがある寿命とわかっていても、信じたくない、受け入れたくな い、そう思う心が存在している限り理解するのに時間を要するものなのかもしれない。
私達かちとる会は、せめて先生のお顔を一目見たいと思ったが、先生の強い遺志で葬儀はなく御遺体は大学病院へ献体されたとのことだった。私達は先生の為 になすすべがないもどかしさを、ただただ噛み締めるしかなかった。最後の最後まで先生らしいと私は思った。
木下先生は数学者だったが、私が知る先生は多くのえん罪事件の救援に携わっておられました。特に、戦時下最大の言論弾圧事件といわれる横浜事件においてわが事のように心血を注いでいらっしゃった。
自身も横浜事件の被告とされ拷問にあった青地晨さんは、その著作『魔の時間』の中で「生ま身の人間は、あの息のつまる密室の中での拷問に耐えられない。 私は拷問に崩れた自分は恥ずしいとは思うが、もう一度、同じ条件の下で拷問された場合、こんどは立派に耐えて見せるという確信を私はもっていない」と自ら の体験をこう書いている。木下先生は、そのことを引用され拷問がいかに非人道的か、そしてそれによってでっち上げられた人達の苦しみを怒りをもって訴えて おられました。その横浜事件の第三次再審請求が今年四月一五日に再審開始決定が出され、先生もひとまず安心していた矢先だっただけに残念でならない。
私の中での木下先生を一言で語るならば、富山事件のビデオで語られているこの言葉である。「一番大きいショックといますと、私にとっては例えば島田事件 の赤堀さんが三五年間近く無実で牢獄に入っていた。その無実の人が三五年間刑務所に入っていたことに対して、日本の裁判官で責任をとった人間は一人もいな いということですね。これは本当に驚くべきことなので、日本の司法界が率直に言って、腐敗、堕落していると言わざるを得ない」。私は、この「今まで責任を 取った裁判官が一人もいない。これは驚くべきこと」だと言っているところに先生の価値観、正義感が感じられ木下先生らしさを強く感じる。
私達かちとる会は、木下先生から学ぶことは沢山あった。そして、これからもまだまだ学ばなければならない事は沢山あった。定例会においても、いつも適切 な助言をし私達を励まし続けてきてくれていた。最後の最後まで真実を追求する先生の姿勢は、私の模範だった。
今でも定例会に顔を見せ「今日も暑いですなあ。署名どうでした?」と笑顔で問いかけてきてくれそうな気がする。そうやって一緒に笑いあった日々が、未来 の時間を刻むことなく過去のものになってしまった。けれども、これからも先生のことは忘れずに大切にしていきたい。(うり美)

大井町ビラまき報告

 亀・・・・・6
うり美・・・1
山村・・・・0
富山・・・・0

ふー。今日もなかな署名がとれない。署名が取れないから、更にやる気がでない。私と山村さんの周りにはドヨーンとした空気が立ちこめ ていた。そうなると、沈鬱な気持になる。どうやら富山さんも署名がとれてないようだ。横目で亀さんを見ると、なんと、またもや署名をとっている様子。久し ぶりの浦島亀は、今日も絶好調のようだ。
ふー、いや、このままではいかん、そうだ、亀さんの所へいこう。そう思った私は亀さんの下へ旅立った。するとそこは別世界。亀さんは右へ左へ休む暇なく 声を出し、動き回っている。そこの空気は活気に満ちていた。げんきんな私は今までの沈鬱な気持はどこへやら、すっかり感化され張り切ってビラまきをした。
すると、なんということでしょう(劇的ビフォー・アフター)。この私にも署名をしてくれる人が出現。亀の功績に預かったのである。
そして、この日、富山さんに私は『小判鮫』と命名された。 (うり美)

大井町のYさんから

「明日の為の第四十歩目
秋分の日の目前の台風で気温は10度C以上の低下、冬の到来を思わせるような冷え込みです。」
というお便りとともに二千円いただきました。ありがとうございました。

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ニュースNo180(2003年9月15日発行)

 

●ニュースNo180(2003年9月15日発行)◎えん罪の根絶のために 阿藤周平さん
再審の輪を広げよう・大槻泰生さん
Y・Iさんから

大井町ビラまき報告

8月20日、高裁前でビラまき

8月20日、高裁前でビラまき出勤前に霞ヶ関でビラまき

【出勤前に霞ヶ関でビラまき、富山さんはビラがなくなるまで継続】

大井町でのビラまき・署名取り

大井町でのビラまき・署名取り

久々に  亀の登場この迫力!

/// 付録 ///

定例会に珍客到来

なでて、なでて、なでて、ゴロニャン

 

集会報告  6月7日に行われた「証拠はだれのものか―真実究明は証拠開示から 富山再審集会」での阿藤周平さんの講演を掲載します。

えん罪を根絶するために

阿藤周平

 みなさん、こんばんは。ちょうど一年前の六月に、同じように東京高等裁判所に申入れに行きましたが、なんとも物足りない気持ちなんです。というのは、な ぜ再審を担当している刑事第三部の担当の書記官が会わないのか。全然関係のない総務の職員が会うのですから。僕が抗議しても暖簾に腕押しのようなもんで ね。だけどもやらなくてはなりません。裁判所に行って、正しい裁判をしてくれと、これから先も行動を続けて行きたいと思います。

  今日は証拠開示の問題ですけれども、八海事件でこれに匹敵することがありました。(昭和)四三年(一九六八年)の七月に、第三回目の最高裁の口頭弁論の期 日があった。その年の三月です。その頃に、真犯人のYが広島の刑務所から、阿藤達四人はこの事件には関係がないんだ、無実なんだという書面を書いて何度も 発信していたんです。ところが、その都度、刑務所は検閲中だと言って発信しないんですよ。その発信の先は最高裁、検事総長、弁護士、それから民事事件を起 こしていましたから広島地方裁判所の民事部、全部で一九通あるんです。それをことごとく広島刑務所が隠している。ところが、やはり悪いことはできないもん ですね、官憲も。Yは業を煮やして、良心の呵責に耐えかねていたんでしょうね、Yは近々に出所する人に、こうこうこうで上申書を出したんだけど出してくれ んのだ、これを広島の原田香留夫弁護士に言ってくれないかと頼んだわけです。頼まれた人は口頭で原田弁護士と朝日新聞に訴えたわけです。

そこで、原田弁護士は、大阪の佐々木哲蔵先生と東京の弁護士さんとで広島刑務所にその事実を確かめに行ったわけですよ。ところが、それは事実だけれど も、その手紙は発信しないんだとあくまでも刑務所は言うわけです。口頭弁論が七月の年の三月頃にこの問題が明るみに出て、その時にちょうど、大阪選出の参 議院の議員だった亀田さんという八海事件の弁護人だった人が、参議院の法務委員会で、それをぶちまけて、法務省のトップを引っ張りだして確かめたわけで す。その時に、その矯正局長は、あると、刑務所が保管しているということを認めたわけです。一九通というのも認めたわけです。ところが、それを出せと言っ ても出さないわけです。どうしても出さない。このように新聞に毎日のように書き立てられているんですよ。もっとあります。これは富山さんが全部調べてコ ピーしてくれたんですがね、当時の新聞は報道しているわけです。それで弁護人は、最高裁に対して、第二小法廷ですが、こういう書類の提出命令を出してくれ と要求したわけです。あの時の第二小法廷の裁判長は奥野さんです。検察庁に対して実際にあるのなら全部提出するようにという命令をしたわけです。それで、 やっと法務省は隠し持っていた一九通の上申書、自分一人でやったんだ、他の人はこの事件には全然関係ないんだ、お詫びするという真相を語った上申書です、 これをやっと出したわけです。それが口頭弁論に間に合って、その口頭弁論の時に、裁判所はそれを証拠として採用したわけです。

ところが、その期間にYは、こんなものを書いたからというんで懲罰を受けているわけです。真実の上申書を書いたということで、刑務所はYを懲罰房に入れ ているわけです。そして、その前に、Yが阿藤達と一緒にやりましたという上申書も書いているんですが、その時は刑務所は懲罰にも何にもしないんです。単独 犯行だという真実の上申書を書いたら、こんなことを書いたというんで、規則違反だと言って刑務所は懲罰房に入れたわけです。そして、病気だと言って全然弁 護士さんに会わせてくれないわけです。

  検察官はそこまでやって私を死刑にしたかったんです。なんにもしない私を死刑台にもって行こうとしたんです。なぜか。一度起訴したものは、間違っていて も、最後まで有罪にするんだという検察官の考えです。今でもそれがあると思います。検察官は、私達が三度目の最高裁で無罪の判決、破棄自判で無罪をかち とった時、これはもう控訴も上告も何もできませんわね、最高裁で自判しているんですから、それでもまだ、有罪なんだと談話で言っている。

一審の山口地方裁判所の岩国支部の藤崎という裁判官がいるんですが、僕に最初に死刑判決を言い渡した裁判長ですが、それがちょうど、その当時、退官して 小倉で公証人になっていたんですが、まだなおかつ自分の判決は正しいんだと言って、こともあろうに参議院に立候補して、その時に、政見放送で八海事件は自 分の判決が正しいんだと言ったわけです。自分の判決は正しいんだというのが立候補した理由なんです。この執念というのは恐ろしいと思います。身の毛がよだ つような、そういう裁判官もいるわけです。

それと、下飯坂という最高裁の裁判長、私を無罪から有罪にしろと差し戻した裁判長がいますが、この人は松川事件でも有罪だという少数意見を述べた人で す。それが、新聞に載っていたと思いますが、自分が死んだら、棺桶に八海事件の判決文と松川事件の判決文を入れてくれと言った。ものすごい執念ですよ。こ れは本当の話なんですよ。恐ろしい話ですよ。

だから、富山さんの再審に対しても、私は、検察官は絶対に隠している証拠を出さないと思う。八海事件の上申書でも、明るみに出て、これだけ新聞で検察の やり方、刑務所のやり方が叩かれているわけです。参議院の法務委員会で追及しても、持っているのを認めても、出さない。あくまでも出さなかった。だから、 弁護人は業を煮やして、最高裁に掛け合って、最高裁は法務省に対して出せと命令したわけです。最高裁もあれだけ明るみに出たらやらざるを得ないでしょう。

なるほど、私達は真犯人の告白で無実が明白になりましたけれども、ただそれだけで僕たちは無罪になったんじゃないんですよ。記録の中から、私達が無実である、冤罪だということがはっきり出ているんですよ。

『真昼の暗黒』という映画が上映されたのをご存じだと思います。脚本家が、橋本忍さんといって『蟹工船』とかいろいろ書いていらっしゃる方です。監督が 今井正さん。二ヵ月位かけて橋本忍さんが『真昼の暗黒』の脚本を書くわけです。これは本を読んでいるより裁判記録を読んでいる方がおもしろい、公判の記録 を読むと、はっきりと阿藤君達の無罪が浮き彫りになってきたとおっしゃっていました。だから、あの『真昼の暗黒』の映画は無実だという事実に基づいて作成 されたんです。すると最高裁の事務総局から横やりが入りまして、今係属中の事件を、無罪を前提にした映画を作るのはけしからんというので圧力をかけたわけ です。最初、あの映画は東映が映画化するはずだったんです。ところが東映は、最高裁から横やりが入って、どういう過程があったか知れませんけれども、やめ てしまった。だから、橋本忍さんの脚本は、今井正さんと山田典吾さんといって独立プロの人によって映画は作られた。俳優さん達は手弁当です。労働組合から お金を借りて、俳優さん達は無料で出演して、あの映画ができあがっているんです。できあがった映画は当時、配給と言って、東映、東宝とか、松竹というのは 自分の映画館を持っています。独立プロなんて映画館はないんですから、そういう映画館には出してもらえない。だから、『真昼の暗黒』の封切りは、大阪城の 近くの、大手前の労働会館でやったんです。それからずっとやって、各映画館に配給されて、そして賞を取って、当時の賞を総なめしました。

ご存じかもしれませんが、当時、京都に五番町事件というのがあって、無実の少年が逮捕された。ところが真犯人がこの『真昼の暗黒』の映画を観たわけで す。そして、自分がやりましたと名乗って出たわけです。その弁護人だったのが元京都地検の次席検事だった前堀政幸さんという方で、終わりには八海事件の弁 護人の一人になりましたけれども。そういう曰く付きの映画だったんです。

私は、冤罪で十二年も死刑判決で独房に入れられました。もちろん私はまだ確定していない被告の身ですけれども、当時、広島拘置所には八人ほど死刑確定囚 がいました。死刑判決は受けたけれども確定していないのが私を含めて二人いました。それが全部一緒に取り扱われたわけです。拘置所ではなんでもいいから信 仰させるわけです。だから、僕も教会に行くんです。けれども、とにかく話が合わない。それはそうでしょ。僕はなんにもやっていない。それが罪を犯して刑が 確定して懺悔した死刑囚と同じ話を一緒に聞いているわけです。だから、僕はこんなことはできない、もし、許されるんなら僕一人で教会に行きますと言って、 そうなりました。その時の八人の死刑囚は全部顔も忘れませんよ。まだ名前も覚えています。私が(昭和)三二年(一九五七年)二月一一日に出所したんです。 二月一一日は今は祝日になっていますけれども、当時は普通の日だった。その時に、死刑判決を受けていながら保釈になるわけです。保釈金三万円で。私が広島 の拘置所に移ったのは(昭和)二八年(一九五三年)の末です。それから三二年まで四年間ですか、その間に八人が死刑を執行されている。多い時には一日に二 回、二人執行されたこともありました。なぜかというと、共犯で二人とも死刑判決の時です。その場合、一緒に同じ日に死刑にした。今は死刑があった後に、新 聞に死刑があったと出ますわね。昔は出なかったんです。突然に来るわけです。僕も隣に確定囚がいるわけですから、ドアを開けて連れて行くのがわかるわけで す。ちょうど、私のおる舎の後ろが運動場で、その運動場の後ろが医務室。その医務室の後ろに小さい塀があって、そこに平屋の死刑執行台があるんです。屋根 が見えますよ。そこの先には大きな裏門があるんです。執行して(死体を)裏門から出すんです。

私はそういうのを見て、自分もそうなるのかと不安になることもありましたし、いや、絶対そんなことはないと、必ず僕は無実を晴らして見せるんだというの で、現在、今日こうして無罪を獲得してお話しているんですけれども、それはひとえに私が無実だった、やっていないんだから当然だというのではないんです。 やはり、多くの皆さんの温かい大きな支援があったから、私は勝利をかちとることができたんです。私は、全国の多くの皆さんに温かい支援を頂いて今ここにお ります。だから、それをお返ししなければならない。無罪判決が出てもう三十年になるんですが、お返ししなければならない。しかし、なんでお返ししたらいい かわかりません。だから、私は、二度と八海事件のような残酷な誤判によって無実の人が絞首台にあがるようなことがあってはいけないんだ、そのために私はた たかっていこうというので、冤罪のための運動をしているわけです。

まだまだ、今も、冤罪で死刑で苦しんでいる方々がいらっしゃいます。悶々としている方がいらっしゃいます。私は涙が止まらなく、怒りを感じます。だか ら、その涙を皆さんとともに忘れずにいたい。僕は一度捨てた命なんです。もしかしたら、私は無実の罪で絞首台に消えていたかもわかりません。徳島ラジオ商 事件で、冨士茂子さん、冤罪ですけれども、再審で無罪になったのは冨士さんが亡くなったあとなんです。そんなことがあってはいけない。私は皆さんととも に、みんなの裁判所にして、開かれた裁判所、そして冤罪が少しでもなくなるように力を尽くしたいと思います。でも、なくならないでしょうね。次から次に起 こってきます。だけども、なくすために、私はこれから先、何年生きられるかわかりません。私は今七六歳なんです。大正一五年の生まれです。私はできるかぎ り、皆さんに助けて頂いた命ですから、一日でも二日でも、長生きするんとちゃう、そのお礼を皆さんにお返ししたいと思っておりますので、どうかひとつよろ しくお願い致します。

 

■Y・Iさんから
「みなさんお元気ですか。たった一度の支援金ごめんなさい。」

一万円いただきました。ありがとうございました。御自愛ください。

■再審の輪を広げよう

大槻泰生

 富山さんの再審請求は、いまだに実現していません。それは、教育基本法・憲法を改悪し、権力のつごうのよいように郵政等々の民営化を実現させてアメリ カ・ブッシュ政権と歩調を合わせて戦争政治をやっていこうとする小泉政権が、富山さんの有罪は実は無実・無罪だと証明されるのを恐れているからにほかなり ません。私たちはこの事実を広く大衆に訴えて、再審の輪をひろげていかなければなりません。

私は、かつての戦争を「正義の闘い」と信じて全力で加担・協力しました。そして、広島で原爆をうけました。広島は焼け野原になり、伯父たち肉親の行方は いまだにわかりません。私自身放射能に射抜かれた身体はガンによって右耳切除、左目視力0・03程度しか見えず、左半身は気候の変わり目には痛みます。

戦争は最大の犯罪であり、その被害者は働く人々です。そして、それをくいとめる力をもっているのも働く人々であると思います。

小泉首相は、有事立法を強行し、郵政事業の民営化、道路公団の民営化、税制の三位一体改革を柱にしながら、軍事外交政策の強力な推進と、治安対策の強 化、教育改革の実現を表明しています。「民間の活力を促すため」「税金のムダ使いをなくすため」と、かっこよい表現をしていますが、自己の都合の良い体制 づくりにすぎないと思います。

私たちは、自分の人権・子どもたちの幸せを築くために、軍靴の足音を止めなければなりません。人権否定・人権無視の政策を阻むたたかいを全力でたたかいぬこうではありませんか。

石油資源ほしさのために「ならずもの」「悪の枢軸」と自分の意に従わないイラク攻撃を行ったアメリカ・ブッシュ政権は、今度は北朝鮮を標的にしていま す。そしてその意を受けて日本は自衛隊をイラクに派兵し、北朝鮮への侵略戦争まで行おうとしています。私は、人を殺すな、自分も死ぬなと強く訴えます。な ぜなら、労働者階級人民同士の殺し合いだからです。反戦・平和を声を大にして強く訴えます。8・6ヒロシマの再現はもうごめんです。

富山さんは権力が生き延びるための戦争国家化に反対したために投獄されました。富山さんの犯行現場だといわれる大井町を何度も見てまわりました。そこから目撃証人が証言しているような状況は見えません。

私たちは、人をみせしめとして投獄し、有罪決定を容認している裁判所、検察官に「証拠開示を行え」「再審の門を開け」と全国運動の輪を強めていかなければならないと思います。富山さんは無実です。みなさん、ともにたたかいぬきましょう。 (おおつきやすお・反戦被爆者の会)

大井町ビラまき報告

 今回の署名集めは、
カメ・・・8名
他は全滅でした。

浦島カメ
久しぶりに大井町での署名集めに参加した。十一ヵ月ぶりの大井町。駅前は一変していた。これには、浦島太郎ならぬカメも驚いた。
署名してくれた人は八名。
一人の女性は「まだやっているんんですか。何回か署名しましたが」と言ったが証拠開示を求める署名だと説明したら快く署名してくれた。
若い二十代の男性は「そういうことがあるんですか」「無実なのに(懲役)十年なんて許せないよね」と署名し、「がんばってください」と言って去って行った。
「なんでそんなに署名取れるの」とうり美さん達は不思議がるが、そんなに詳しい説明をしているわけではない。「無実で刑務所に十年。こんなこと許せますか」・・・これだけでも応えてくれる人は応えてくれる。
久しぶりの大井町駅周辺は、なにか明るい、開けたイメージになったような気がする。人の流れも変わったような感じがする。でも、やっぱり大井町はやりやすいなと思い、なんか空気入った。 (カメ)

大井町のYさんから

 「明日の為の第三十九歩目
今年は冷夏でしたが、活動しやすかったですか?」

というお便りとともに、二千円いただきました。ありがとうございました。夏はやはり暑いほうがいいですね。
この秋はどうなるのでしょう。くれぐれも健康にはご留意ください。

カテゴリー
NEWS

ニュースNO.179(2003年8月15日発行)

 

●ニュースNO.179(2003年8月15日発行)◎8・6広島に行ってきました
指宿信立命館大学教授の講演(2) 「『司法改革』と証拠開示問題」
【資料】 指宿さんの講演レジュメ
ホームページをご覧ください
集会でのアンケイートから

大井町ビラまき報告

残暑お見舞い(立山の雷鳥)【立山の雷鳥(ライチョウ)です】

8・6広島に行ってきました

2003年ヒロシマ大行動集会会場写真
暑さに負けずビラまき 健さんにバッタリ
【暑さに負けずビラまき】
「街」の再審CDを宣伝(1) 「街」の再審CDを宣伝(2)
「街」の最新CDを宣伝】

集会報告

前号につづいて、6月7日の「証拠は誰のものか―真実究明は証拠開示から 6・7富山再審集会」での指宿信立命館大学教授の講演を掲載します。
【中見出しは編集者の責任でつけました】

「司法改革」と証拠開示問題

指宿 信

 イギリス

さて、時間も限られていますので他の国にまいりたいと思います。次はイギリスです。

イギリスは、日本に負けず劣らず誤判の宝庫です。わが国でいういわゆる公安系の事件があります。テロがらみの公安事件が非常に多 い。一番日本でなじみが深いのは、『父の祈りを』というダニエル・デイ=ルイスが主演した映画に出てきた「ギルフォード・フォー」事件でしょう。4人の被 告がIRAの行った爆破テロ事件の被告として無実の罪で投獄された。ゲイリー・コンロンという被告のひとりの手記を元に映画はできています。現場には彼ら はいなかったということを証明する証人がいたんですが、これが警察によって隠されていた。映画では女性弁護士がその証拠を警察証拠から発見するということ になっていますが、実話は違うんです。実際は、内務省が再調査を命じたんです。別の警察署に調査を命じます。事件を担当した警察とは違う、別の警察署の係 官がこの隠されていた証拠を発見しました。捜査機関は、公園に住んでいるホームレスの人が、事件当夜、被告人と公園であった、話をしたという供述をちゃん と取ってたんですけれども、それが隠されたままになっていた。

他にも、「バーミンガム・シックス」「ウォード事件」など次々と誤判事件がでまして、これはなんとかしなくてはいけないというこ とでやはりイギリスでも王立委員会がつくられました。1993年にこの王立委員会の報告書が出されました。「ウォード事件」までは、検察官はすべての事件 に関連する手持ち証拠を出さなければならないという判決がでているのですが、残念なことに、王立委員会ではそのトーンが下がっていきました。というのは、 ちょうどここで政権交代が行われて、労働党政権から保守党政権になる。裁判をもっと効率化しなくてはいけないという、そういう思想の方が強くなっていきま す。今の日本の司法制度改革の主流とよく似ています。そのため、公判を早くすませるためにはどうしたらいいかということが前面にでてきます。

しかし、誤判防止の観点が全くなくなったわけではありません。報告書を受けて、法律で、第一に、警察は手持ちの証拠をすべて検察 に送らなければならないということになりました。これは大きな進歩です。第二に、全証拠のリスト、日本の実務では「標目」といいますけれども、それをつけ て検察に送らなければならないとなりました。この標目を検察は弁護側、被告側に開示し、そしてそれを見て弁護側、被告側は自らの弁論の方針を立てて、そこ に関連する、標目のうちのこの証拠を見せてほしいというリクエストをかけられるようになったわけです。これはアメリカの類型的アプローチよりも更に一歩進 んでいると言えるでしょう。類型的アプローチは、万が一類型に入らない証拠のうちで、被告、弁護側が関心を持つような証拠があった場合に漏れる可能性があ ります。それに対して、あらゆる関連証拠を標目にするイギリスの方式は漏れがすくないというメリットがあります。

これはイギリスの刑事手続捜査法というので立法化されました。立法化後、今またそれに対して批判があるのですが、一番大きな批判 は警察がちゃんとリストを作っていないということです。つまり怠けている。リストを貰う検察官も怠けていると批判されている。きちんとチェックをしていな い。貰ったら貰いっぱなしである。警察も検察も怠けていると批判されている。日本の検察と違いましてイギリスの検察は捜査をしませんので、日本の検察だっ たら補充捜査とかやろうと思えばやれるのですけれども、イギリスの検察は捜査をしないことになっていますからイギリスの場合は必ず指示しなければならな い。警察にもう一度こういう証拠を集めろとか、あるいは漏れているんじゃないかとか指示しなければならないのですが、それが行われていないと批判されてい ます。

オーストラリア

一番最後、オーストラリアを紹介しましょう。

これは、去年法律ができたばかりなので最新動向と言えるでしょう。今年の2月に、私と同僚がオーストラリアはニューサウスウエル ズ州のシドニーにでかけまして、検察庁に調査に行きました。去年法律ができて、イギリスのように二段階のアプローチをすることになりました。すでに運用が 始まってます。そこでもやはりイギリスと同じような批判が言われていました。警察に困ってるんだというのです。自分たちはちゃんと証拠表のリストを作った ら弁護側にみせてるが、警察がきちんとリストを作ってこない、これが一番の問題だと思うというのです。裏を取るために、次の日に公設弁護人事務所に行っ て、そういうふうになってるかと聞いたら、検察はきちんと開示していると公設弁護人の人達は言っていました。警察のリストの作り方が一番問題ではないかと 言っていました。オーストラリアも言うまでもありませんけれどもイギリスの植民地でしたから当事者主義で陪審制度です。そのような国でもルール化がなされ ているわけです。

全面証拠開示こそが刑事裁判のあるべき姿

長々としゃべりましたけれども、つまりもう当事者主義だからということは、構造論は、Excuse(いいわけ)にならないのです。

当事者主義の世界中の国がみんなやっているのです。ルールを作って検察官に開示させています。あと残るのは弊害論です。いま紹介 した国々でも全く弊害論を考慮していないわけではありません。例えばこれはイギリスのルールの中にもありますし、オーストラリアにもありますが、例えば、 証人の身体、生命に危険が及ぶことが明らかである場合とか潜入捜査官、つまりおとり捜査官が身元を秘匿して犯罪組織や対象者に潜入して地下に潜っているよ うな場合、そういう場合には、身元を開示しないことができる。そういう例外があります。最近強い傾向は、性犯罪事件で被害者に関連する個人情報をできるだ け非開示にする方向にあります。

これは90年代の一つの別の流れです。性犯罪被害者を保護するという立法が世界各国でできていまして、英語ではレイプ・シール ド・ロウというんですが、レイプの被害にあった方を保護するという法律で、性犯罪被害者の情報を開示しないという例外があります。そのような例外の場合は 弊害を認めて置かれているんですけれども、注意したいのは、プライバシーということは一言もでてきません。だいたい刑事裁判がはじまってみたら、一番プラ イバシーを暴露しているのは検察官の立証の方です。私は職業柄刑事裁判を傍聴に行くんですけれども、ほとんど9割以上は日本は自白事件ですので、あとは量 刑です。実際には量刑裁判をやってるわけです。事実については認めてますから、ほとんど証拠に同意している。量刑裁判というのはどういうことかっていう と、結局、お涙頂戴になっていくわけです。

検察の方は被告人のやってきたことはいかに悪いかってことを、だいたい小学校 何年生位からずーっとやるわけですよね。事件は30過ぎで起こしてるのに、中学校の時にどうであったとか、高校の時に友達殴って補導されたとか、大変なプ ラーバシーの暴露をやっている。ときには家族も知らない、奥さんも知らないようなことが明らかにされていく。聞いてたら身につまされるというか、聞いてら れない。絶対被告人になりたくないなって、富山さんに申し訳ないんですけれども思ってしまいます。他方、弁護側もまけてはならじと、お涙でなんとか量刑を 低くしたいものですから、お母さんを呼んでくるとか友達を呼んでくるとかして頭下げて、本当は昔はいい子だったんですとか、身元引受はちゃんとしてますと かやるわけです。そういう法廷のシーンが非常に多いです。

そういう中で、プライバシーの暴露というのは殆ど検察側の方で立証あるいは求刑のために行われていると思います。弁護側からもプ ライバシーに立ち入らなければならないことがあるのは勿論です。それは人間関係であるとか家族関係であるとか様々な事情が刑事事件の場合は絡んできますか ら。ですので、いわば刑事裁判でプライバシーの侵害は実は当たり前のことになっているので、プライバシーの問題は不開示のExcuse(いいわけ)にはな らないんです。それを言ってしまえば刑事裁判がそもそも成り立たないのです。

もし万が一不当なプライバシー侵害があれば、これは刑事では名誉毀損の告訴ができますし民事でも名誉毀損の不法行為として訴訟が できますので、これは事後的に対処すればいいでしょう。このようにこんにちの当事者主義の国々の動向をみますと、こうした構造論も弊害論も通用しません。 仮にあるとしてもそれはルール化していけることであって、更に重要なことはそのルール化の中で、弊害を立証するのは出したらいけないという側、検察側に立 証義務があるということです。現在、日本では、先程申し上げましたように個別開示方式は何で出さないといけないのかというところを弁護側が言わなければな らない。立証しなければならない。本末転倒です。本来出してはいけないことを検察側が立証しなくてはならないはずです。世界の趨勢ではそのようになってい ます。

推進本部検討会による「たたき台」について

さて、時間が段々なくなってまいりました。最後の推進本部の検討会がどのような案を今般出してきたかということを見てまいりたいと思います。

資料の②裁判員制度・刑事検討会5月30日配付資料です。時間がありませんのでどういう案がでてるのかについてご覧下さい。取り調べ請求証拠以外の証拠の開示のところです。(3)のところにあります。たたき台は両案併記A案、B案と なっております。おおつかみに言いますとA案はイギリス型に近い。標目、つまり証拠の一覧表を開示するということになっております。「検察官は、(2) 【取調べ請求証拠】による証拠の開示の際に、その保管する証拠の標目を記載した一覧表を被告人又は弁護人に開示しなければならないものとする」となってい ます。これがA案です。

B案の方は、アメリカ型に近いですね。類型的アプローチです。検察官は、「(2)で開示される証拠以外の証拠であって、次のアな いしキの類型のいずれかに該当するものについて、被告人又は弁護人から、開示を求める証拠の類型及びその範囲を特定し、かつ、事案の内容及び検察官請求証 拠の構造等に照らし、特定の検察官請求証拠の証明力を判断するために当該類型及び範囲の証拠を検討することが重要であることを明らかにして、開示の請求が あった場合において、開示の必要性、開示によって生じるおそれのある弊害の有無、種類、程度などを考慮して、相当と認めるときは、当該証拠を開示しなけれ ばならないものとする」となっています。

ア~キとは、証拠物、鑑定書、検証調書、写真、証人請求予定の供述調書、主張事実に直接関係する参考人の供述調書、それから被告 人の供述調書です。ただ、両案とも弊害を考慮してる。A案でも「開示により弊害を生じるおそれがあると認める時を除き」、B案でも「弊害の有無、種類、程 度などを考慮して、相当と認めるとき」は不開示としてもいいとするのです。ただこの後に、不開示に対して裁判所がそれをまた検討してその理由が相当でない 時は開示しなさいということがいえるような案になっております。不開示について検察側に裁量を認めながらですが、なんとか標目開示が両論併記の形でたたき 台に入りました。滑り込みセーフみたいです。B案もこれまでに比べますと、私は進展だと思います。何にもないよりは進展です。例えばカをご覧ください。検 察官主張事実に直接関係する参考人の供述調書。この富山事件ではいわゆる目撃証人の不開示部分について、公判廷に提出されていない目撃証人の方の供述調書 の開示を求めております。このカの類型がですね、現在富山さんの再審で求めているものに該当すると思われます。検察官主張事実に直接関係する参考人の供述 調書は開示対象です。参考人、目撃証人の供述は該当するでしょう。このB案でも一応開示対象にはなるだろうと思います。

しかし問題は、A案もB案もそうですが、「開示により弊害が生じる恐れがあると認める」、としている点です。誰が認めるのかとい うと、勿論検察がまず判断するんです。これが一つの問題点です。もし不開示であれば弁護側は裁判官に対して開示するよう命じられたい旨の申立をできるよう になっています。しかし、問題はどの程度弊害の立証が行われるかということです。私はこれだと不十分だと思います。弊害を具体的に疎明し証明する義務がな ければならない。例えば証人の身柄の危険であるとか、別事件で現在公判が進行中であるとか、何らかの具体的な弊害を検察側において立証すべきであると思い ます。それからB案についてですが、ア~キに該当しないものがあります。類型化されてない証拠です。例えば松川事件の諏訪メモのような完全に第三者が持っ ていたようなアリバイ証拠、それから八海事件では真犯人の方が自分がやったと手紙を出されたそうですが、それが当局によって握りつぶされている。これらは このア~キに該当しません。供述調書ではありませんから。真犯人が取り調べの上で私一人でやりましたと一回でも供述していれば、その場合は類型に入りま す。その他に重要なものとして、捜査復命書などです。捜査関係資料がいっさい入っていません。これでは捜査機関がどのような取り調べ方針をもっていたかと か、証拠収集する必要性の方針を出していたかがわかるような資料も入っていません。

このように、類型化されていない証拠群の中で、被疑者、被告人の無罪方向、あるいは刑を軽減する方向の証拠がでてこないおそれが 強い。アメリカの連邦法では、ブレディ・ルールがあると先ほど説明しました。検察官はどんな証拠であっても被告人の無罪をあるいは無罪方向をしめす証拠が あったら開示しなければならないという一般原則、一般的な義務を持っています。なかなか守らないことが多いのですが。それでもルールは置くべきだと私は思 います。

手前味噌ですけれども、われわれは先日「証拠開示のルール化を求める会」というのを立ち上げました。先週、東京地裁の司法記者クラブでそれを提案しまし て記者会見したのです。その中でわれわれが言ってることは、今、申し上げましたように被告人の罪責を軽減する、無罪だけではなく、例えば行為を過失にする とかいった証拠を開示する一般的な義務を検察官が負うということです。それから警察が全証拠のリストをもれなく検察に送るということ。そしてそのリストを 検察は弁護人に示すこと。そのリストの中から特定して弁護人は証拠の開示を請求することができるということです。そのわれわれの「ルール化の会」の原案に 照らすと、まだA案でも足りません。しかし、それでもA案、B案がでてきただけでも、何人の方が検討会で賛成されたかわかりませんけれども、少しは前進で す。これをなんとかもう少し今の世界標準といいますか、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアがやっているグローバルなスタンダード位までもってい きたい、もっていくべきであると思っております。

再審請求審における証拠開示問題―真実究明のための証拠開示

最後に、まとめに入りますけれども、このような通常審、今回の司法改革審議会の推進本部が出してきた「たたき台」は、通常審の証 拠開示の方法ですけれども、これが再審請求審にどのような影響をもつか、どのような関わりがあるかということを申し上げたいと思います。まず第一に前提と して、たたき台には再審請求審に関する証拠開示のルールは一切含まれていません。1969年の最高裁判決も、これは通常審の個別開示を命じているだけで す。この最高裁判決は通常審のルールでありまして再審請求審には関係がない。ですからそれに拘束される必要はないというふうに私は考えております。しか し、いずれにしてもルールがないのは同じですから、ここで通常審のルールができましたら当然再審請求審では通常審で開示されるべきであった、例えばA案で いったら証拠の標目は絶対にでてくると解釈されるべきでしょう。

B案でいったらこの類型にあたるものはでてくるべきだというふうに請求審で請求する法的な根拠ができるというふうになるでしょう。で すから、「ルール化の会」では通常審とそっくりのルールを再審請求審においても求めました。それが理想型なんですけれども、もし通常審のルールしかできな くても請求審において通常審と同じようにしろということは大きな推進力になるというふうに考えます。更に、弊害についても通常審に比べて請求審は時間の経 過によって弊害がどんどん希釈化されているというふうに考えます。プライバシーの事を、もし仮に百歩譲って言い出すとしても通常審の場合と違ってプライバ シー問題は10年20年30年前のことですから、再審請求の場合は、弊害の程度が通常審よりずっと低い、ということを主張できるのではないかと思います。

イギリスは先程かなり後退した案になったと申しましたけれども、一つすばらしいことをやりました。1995年に再審専門の委員会を作ります。これは今は やりの独立行政法人です。裁判所ではないんですけれども「刑事再審委員会」を作ることを決めました。98年から実際に稼働しはじめています。14人の法律 家による委員とそれ以外に50名近い専門のスタッフをもっています。予算は10億円以上あるそうです。そこに証拠開示命令権が与えられました。仮に審査を する上で必要だと認められたとき証拠開示命令権を発動できます。イギリスの通常審の場合は先程申し上げましたように検察側は不開示の裁量を認められたので すが、この刑事再審委員会の証拠開示命令権に関しては一切の法的な免責は認められません。それほど非常に強い権限が認められています。すでに稼働しはじめ ていわゆる小さな事件ですね、IRAとかそういうすごい事件ではなくて、小さな事件で次々に再審無罪が言い渡されてます。

今日、私は一体何を言いたいのかというと、まず第一点は証拠は誰のものかということ。それは検察官のものではないということです。これをまずもうしあげ たい。そして、第二点は、その証拠を一体何のために使うかということ。当事者主義の世界では検察官が被告人を有罪にするための証拠です。しかし、証拠はそ のためだけにあるのではない。検察官にとってはそうなんですけれども究極の目的は真実を明らかにし正義がなされることを確保するために使う。それが証拠と いうものであるはずです。それが真理であることは世界各国の制度が物語っていると思います。非常に急ぎ足で色々な話をしてしまいましたけれども、何か御質 問等ございましたら御遠慮なくお寄せください。どうもご静聴ありがとうございました。(おわり)

【資料】 指宿さんの講演で配布されたレジュメ

『司法改革』と証拠開示問題

2003年6月7日
指宿 信(立命館大学法学部)
MakotoIbusuki◎2003

「検察側は、ふつうの被告人であれば手に入れられないような資料を持っている。それゆえ、弁護にとって核心となるよ うな情報が検察側の手中にある場合、それを被告人にも利用できるようにすることば絶対に必要である。もし裁判が、真実を隠すための努力ではなく真実への探 索であるというのなら、全面的かつ公正な証拠開示は、訴追側の恐ろしい権力に対して被告人の権利を保護するために欠くべからざるものとなる。」ルービン・ “ハリケーン”・カーター事件におけるサロキン判事による判決文より

はじめに

1.司法制度改革における証拠開示の位置づけ

2.わが国における証拠開示の現状と課題
1)最高裁1969年判決:個別開示方式
 2)誤判原因と証拠開示問題

3.世界の証拠開示制度の動向
1)アメリカ:類型的アプローチ
① 連邦刑事訴訟規則
② プレディー事件最高裁判決(1963年)
2)カナダ:全面開示アプローチ
①ドナルド・マーシャル事件無罪判決(1983年)
② 王立委員会報告書(1989年)
③ スティンチコム事件最高裁判決(1991年)
3)イギリス:二段階アプローチ
① ウォード事件(1993年)
② 王立委員会報告書(1993年)
③ 刑事手続捜査法(1996年)
④ 批判
4)オーストラリア:関連性アプローチ

4.推進本部検討会による「たたき台」をめぐって
1)議論の推移

2)たたき台の概要
① A案=二段階開示方式の採用
② B案=類型的(限定的)アプローチ

おわりに

——————————————————-

【資料①】司法制度改革審議会 報告書 (2001年6月)より抜粋

「充実した争点整理が行われるには、証拠開示の拡充が必要である。そのために、証拠開示の時期・範囲に関するルールを法令により明確化するとともに、新た な準備手続の中で、必要に応じて、裁判所が開示の要否につき裁定することが可能となるような仕組みを整備すべきである。」

資料②】裁判長制度・刑事検討会 5月30日配布資料1「刑事裁判の充実・迅速化について(その1)」より抜粋 注:【 】はたたき台原文にはない

3 検察官による事件に関する主張と証拠の提示

(1)検束官主張事実の提示

ア 裁判所は、第一回公判期日前の準備手続をする旨の決定をしたときには、検察官及び被告人又は弁護人の意見を聴いた上で、検察官が証拠により証明しよう とする事実(検察官主張事実)を記載した書面(検察官主張事実陳述書)の提出及び被告人に対する証拠開示の期限を定めるものとする。
イ 検察官は、アにより裁判所の定めた期限内に、裁判所及び被告人又は弁護人に対し、検察官主張事実陳述書を送付しなければならないものとする。
ウ 検察官は、アにより裁判所の定めた期限内に、検察官主張事実の証明に用いる証拠の取調べを請求しなければならないものとする。

(2)取調べ請求証拠の開示

ア 検察官は、(1)アにより裁判所が定めた期限内に、検察官主張事実の証明に用いる証拠を被告人又は弁護人に開示しなければならないものとする。
イ アの開示の方法((3)【下記】及び5【争点に関する証拠開示】の開示の方法についても同じ。)は、証拠書類及び証拠物については閲覧をする機会を与 えること、証人についてはその氏名及び住所を知る機会を与え、その供述調書(検察官において、その証人が公判廷において証言するものと考える事実が記載さ れたものに限る。)の閲覧をする機会を与えることによるものとする。証人の供述調書が存在しない場合又はこれを開示することが相当でないと認める場合に は、供述要旨を記載した書面の閲覧をする機会を与えることによるものとする。

弁護人に対しては、謄写の機会も与えるものとする。

(3)取調べ請求証拠以外の証拠の開示

 A案  検察官は、(2)【取調べ請求証拠】による証拠の開示の際に、その保管する証拠の標目を記載した一覧表を被告人又は弁護人に開示しなければならないものとする。
検察官は、被告人又は弁護人から、上記一覧表記載の標目により証拠を特定して、開示の請求があった場合、開示により弊害が生じるおそれがあると認めるときを除き、当該証拠を開示しなければならないものとする。

 B案  検察官は、(2)で開示される証拠以外の証拠であって、次のアないしキの類型のいずれかに該当するものについて、被告人又は弁護人から、開示を求める証拠 の類型及びその範囲を特定し、かつ、事案の内容及び検察官請求証拠の構造等に照らし、特定の検察官請求証拠の証明力を判断するために当該類型及び範囲の証 拠を検討することが重要であることを明らかにして、開示の請求があった場合において、開示の必要性、開示によって生じるおそれのある弊害の有無、種類、程 度などを考慮して、相当と認めるときは、当該証拠を開示しなければならないものとする。

ア 証拠物
イ 鑑定書
り 検証調書、実況見分調書その他これに準ずる証拠
工 写真、ビデオテープ、録音テープ
オ 検察官が証人請求予定の者の供述調書
力 検察官主張事実に直接関係する参考人の供述調書
キ 被告人の供述調書

 

 

ホームページをご覧ください

 いよいよアクセスカウントが一万の大台に迫りました。現在、9000台半ばです。多分、今号のニュースをアップしたら秒読みにはいると思われます。10,000人目の方にはカウント数をプリントアウトして送ってくだされば豪華記念品贈呈、としたいのですが、いかがなものでしょう・・・

と、お伺いを立てれば即座に「富山さんが自分のお金で勝手にやれば」とやさしい事務局のみなさまに却下されるのは必定。でも、冷たい眼差しに負けないで資力をはたきますので、10,000人目の方はぜひご連絡ください。

と前置きはこのくらいにして、ヴィジュアル化と更新というホームページ維持・発展の原則を厳守するために、秋から冬にかけて「五十の手習い」の強化合宿 をやろうと計画しています。何人かの方から「(きちんと定期的に更新するのに)大変みたいですね」と叱咤激励されていますが、「刮目して云々」を目指しま すので、乞うご期待。
今後とも、ホームページもよろしくお願いいたします。

集会でのアンケートから

 指宿先生の話はわかりやすく、よかった。証拠開示にむかってあらゆる方面から攻めていく必要があり、先生の話は大きな手がかりになると思う。
阿藤さんの話は何回聞いても迫力がある。死刑台から生還した人の根元的な怒りと冤罪をくりかえさせないという使命感があふれており、もっと多くの人に聞いてもらいたいと思う。阿藤さんの話をビデオ化して広めるのもいいのではないでしょうか。
かちとる会のみなさんごくろうさま。 [59歳・男性]

  たいへんためになりました。いっしょに闘いましょう。  [57歳・男背・会社員]

  「かちとる会」の熱心な活動が伝わり、感動しました。
阿藤さんのお話涙が出ました。
微力ですが、何かできることがあれば協力させていただきたいです。ありがとうございました。
(5/26(月)に地裁に行く用事がなければ、今日の集会に参加することもなかったでしょう。) [35歳・女性・団体職員]【富山さんが地裁前でまいたビラを受け取って参加されました】

 〈証拠は誰のものか〉に対する確かな回答が示されました。正義を実現するために用いられる公共の財産だと、納得しました。
阿藤さんが訴えておられた敵の執念!これにうち勝つ再審闘争の実現が求められています。
本当の司法改革を私は私の再審無罪をかちとるなかで実現すると宣言した富山さんとともに闘い勝利しましょう。 [46歳・女性]

  指宿氏の講演は、証拠開示をめぐる新鮮な視点からの興味深い内容だった。証拠は誰にものか→検察官のものではない!「公共財産」である。検察官の証拠は、 国民の税金を使って収集し作成したものだ。そしてこれをもとにデッチあげている。被告人の無実を証明する証拠があってもにぎりつぶし、隠しとおす。弊害、 プライバシー侵害の張本人は、検察官である。その通りと思った。富山再審裁判をはじめとするすべてのデッチあげ裁判勝利のための有益な集会だった。 [55歳・男性]

  「『司法改革』と証拠開示問題」についての指宿先生の名講義、これを聞けただけでも今日この集会に参加して本当によかったと思いました。よかった理由は第 一に、難しい内容なのに分かり易い説明だったこと、第二に、先生の熱意が迫ってくるような感動的な名レクチャーだったこと、です。 [64歳・男性]

  指宿さんの講演がとても良かった。①話し方が分かり易い。②最新の情報に基づいている。③ていねいに調査している。④内容が現実的である。
坂本さんのカンパアピールの中で話された内容がよかった。 [61歳・非常勤嘱託員]

  とてもよかったです。指宿先生の話はとてもよかった。発言者は皆、よかったです。 [52歳・男性]

【かちとる会に来た便りから】

  前略
お忙しいことと思います。
6・7集会の御案内をありがとうございました。平日なので参加するのは時間的に無理です。
東京の現場仕事ですと、仕事帰りに参加も出来ますが、現在のように現場が他県で帰宅するのが午後7時~8時ということでは容易ではありません。

(略)

5/23【明治公園での「STOP!有事法制 集会」】の現場では、ゆっくり話も出来ないで申し訳ありません。
日常的には会えない仲間を組合的団結を媒介にして、どう内容ある団結をつくるのかが本当に苦労のしどころです。
企業内組合の労働者の団結づくりと条件が違うので、独特な労働者運動といえます。

(略)

会員としては協力させてもらいますが、なかなかに時間がとれないで申し訳ありません。
6/1 M

  かちとる会の皆様
抜けられぬ仕事のため、今回も参加できません。残念。
集会の成功と、皆様のご健康を祈っております。
再会を期して。
6/5 K

【証拠開示要求署名15筆と三千円が同封されていました。ありがとうございました】

大井町ビラまき報告

 富山・・・0
うり美・・・0
山村・・・2
あえてコメントするまでもなく、結果を示す数字がすべてをものがったっているので、今回は「能書き」なしです。
〈陰の声〉 『ビラまき報告』は、勝者が書くことになっているのだが、「なぜ勝ったものが書かねばならないのだ。そんなことを決めたおぼえはない」とい う抵抗(真相は書くのが面倒なだけなのだが、「勝てば官軍」でサボタージュがまかり通ってしまった。トホホ・・・)のため、いちばんの「うり」であるこの コーナーの「味」が消えてしまった。読者の皆さん、ごめんなさい。

8・6広島では私の圧勝でした。①ビラまきは元々私の方が一枚上、②低温が続いていたのにやはり「8・6は8・6」で急に暑くなったため山村はビラまき 中途でダウン、さらにデモ時には灼熱の日差しに脱水状態でへろへろ。それでも最後まで頑張ったので《まる》ということにします。 (富山)

大井町のYさんから

「明日の為の第三十八歩目
夏がきました。今年は、あまり暑さは続かないようです」

というお便りとともに二千円いただきました。ありがとうございました。

カテゴリー
NEWS

ニュースNo178(2003年7月1日発行

 

●ニュースNo178(2003年7月1日発行)◎【資料】 指宿さんの講演レジュメ
指宿信立命館大学教授の講演(1) 「『司法改革』と証拠開示問題」
たたかいを全力で繰り広げましょう 大槻泰生□大井町ビラまき報告

(証 拠開示の)ルール化をするのであれば、どのようなルールが望ましいルールなのかを社会に提示して、もし政府案とそれが違うのであればこれを国民の前に明ら かにして、その違いを世に問うてみたい。どちらがより望ましい証拠開示のルールなのかということを問うてみたいと思うのです。私は、証拠開示に多少なりと も関わりをもった研究者として、それをしなければならない社会的責任があると思っています。私は一体何を言いたいのかというと、まず第一点は証拠は誰のものかということ。それは検察官のものではないということです。これをまずもうしあげたい。そ して、第二点は、その証拠を一体何のために使うかということ。当事者主義の世界では検察官が被告人を有罪にするための証拠です。しかし、証拠はそのためだ けにあるのではない。検察官にとってはそうなんですけれども究極の目的は真実を明らかにし正義がなされることを確保するために使う。それが証拠というもの であるはずです。それが真理であることは世界各国の制度が物語っていると思います。

【資料】 指宿さんの講演で配布されたレジュメ

『司法改革』と証拠開示問題

2003年6月7日
指宿 信(立命館大学法学部)
MakotoIbusuki◎2003

「検察側は、ふつうの被告人であれば手に入れられないような資料を持っている。それゆえ、弁護にとって核心となるような 情報が検察側の手中にある場合、それを被告人にも利用できるようにすることば絶対に必要である。もし裁判が、真実を隠すための努力ではなく真実への探索で あるというのなら、全面的かつ公正な証拠開示は、訴追側の恐ろしい権力に対して被告人の権利を保護するために欠くべからざるものとなる。」ルービン・“ハ リケーン”・カーター事件におけるサロキン判事による判決文より

はじめに

1.司法制度改革における証拠開示の位置づけ

2.わが国における証拠開示の現状と課題
1)最高裁1969年判決:個別開示方式
 2)誤判原因と証拠開示問題

3.世界の証拠開示制度の動向
1)アメリカ:類型的アプローチ
① 連邦刑事訴訟規則
② プレディー事件最高裁判決(1963年)
2)カナダ:全面開示アプローチ
①ドナルド・マーシャル事件無罪判決(1983年)
② 王立委員会報告書(1989年)
③ スティンチコム事件最高裁判決(1991年)
3)イギリス:二段階アプローチ
① ウォード事件(1993年)
② 王立委員会報告書(1993年)
③ 刑事手続捜査法(1996年)
④ 批判
4)オーストラリア:関連性アプローチ

4.推進本部検討会による「たたき台」をめぐって
1)議論の推移

2)たたき台の概要
① A案=二段階開示方式の採用
② B案=類型的(限定的)アプローチ

おわりに

——————————————————-

【資料①】司法制度改革審議会 報告書 (2001年6月)より抜粋

「充実した争点整理が行われるには、証拠開示の拡充が必要である。そのために、証拠開示の時期・範囲に関するルールを法令により明確化するとともに、新た な準備手続の中で、必要に応じて、裁判所が開示の要否につき裁定することが可能となるような仕組みを整備すべきである。」

資料②】裁判長制度・刑事検討会 5月30日配布資料1「刑事裁判の充実・迅速化について(その1)」より抜粋 注:【 】はたたき台原文にはない

3 検察官による事件に関する主張と証拠の提示

(1)検束官主張事実の提示

ア 裁判所は、第一回公判期日前の準備手続をする旨の決定をしたときには、検察官及び被告人又は弁護人の意見を聴いた上で、検察官が証拠により証明しよう とする事実(検察官主張事実)を記載した書面(検察官主張事実陳述書)の提出及び被告人に対する証拠開示の期限を定めるものとする。
イ 検察官は、アにより裁判所の定めた期限内に、裁判所及び被告人又は弁護人に対し、検察官主張事実陳述書を送付しなければならないものとする。
ウ 検察官は、アにより裁判所の定めた期限内に、検察官主張事実の証明に用いる証拠の取調べを請求しなければならないものとする。

(2)取調べ請求証拠の開示

ア 検察官は、(1)アにより裁判所が定めた期限内に、検察官主張事実の証明に用いる証拠を被告人又は弁護人に開示しなければならないものとする。
イ アの開示の方法((3)【下記】及び5【争点に関する証拠開示】の開示の方法についても同じ。)は、証拠書類及び証拠物については閲覧をする機会を与 えること、証人についてはその氏名及び住所を知る機会を与え、その供述調書(検察官において、その証人が公判廷において証言するものと考える事実が記載さ れたものに限る。)の閲覧をする機会を与えることによるものとする。証人の供述調書が存在しない場合又はこれを開示することが相当でないと認める場合に は、供述要旨を記載した書面の閲覧をする機会を与えることによるものとする。

弁護人に対しては、謄写の機会も与えるものとする。

(3)取調べ請求証拠以外の証拠の開示

 A案  検察官は、(2)【取調べ請求証拠】による証拠の開示の際に、その保管する証拠の標目を記載した一覧表を被告人又は弁護人に開示しなければならないものとする。
検察官は、被告人又は弁護人から、上記一覧表記載の標目により証拠を特定して、開示の請求があった場合、開示により弊害が生じるおそれがあると認めるときを除き、当該証拠を開示しなければならないものとする。

 B案  検察官は、(2)で開示される証拠以外の証拠であって、次のアないしキの類型のいずれかに該当するものについて、被告人又は弁護人から、開示を求める証拠 の類型及びその範囲を特定し、かつ、事案の内容及び検察官請求証拠の構造等に照らし、特定の検察官請求証拠の証明力を判断するために当該類型及び範囲の証 拠を検討することが重要であることを明らかにして、開示の請求があった場合において、開示の必要性、開示によって生じるおそれのある弊害の有無、種類、程 度などを考慮して、相当と認めるときは、当該証拠を開示しなければならないものとする。

ア 証拠物
イ 鑑定書
り 検証調書、実況見分調書その他これに準ずる証拠
工 写真、ビデオテープ、録音テープ
オ 検察官が証人請求予定の者の供述調書
力 検察官主張事実に直接関係する参考人の供述調書
キ 被告人の供述調書

集会報告

6月7日の「証拠は誰のものか―真実究明は証拠開示から 6・7富山再審集会」での指宿信立命館大学教授の講演を掲載します。 【中見出しは編集者の責任でつけました】

「司法改革」と証拠開示問題

指宿 信

 立命館大学の指宿です。本日は、お招き頂きましてありがとうございます。

  皆さんのお手元に配られてあるプログラムの中に、昨年、私が読売新聞の論壇に投じたものが収録されていると思いますけれども、私はここ数年とりわけ証拠開 示の問題に力をいれてまいりました。最近は研究室で研究しているよりも、こうやって東京に出かけて皆さんの前でお話をしたり、先週は慣れない記者会見とい うものを東京地裁でやりました。どういうことかといいますと、現在進行中の司法制度改革の中で証拠開示について、こういうルール化をしてほしいというわれ われの提案を発表するためです。

今日は、タイトルは「『司法改革』と証拠開示問題」ということですので、一昨年の司法制度改革審議会の意見書で証拠開示の問題がどのように提起された か。これまでのわが国の証拠開示の現状や課題はどういったもので、それが諸外国と比べてどういう特徴があるのか。ちょうど5月30日に現在証拠開示の原案 を作っている推進本部というのがありますが、その中の検討会が「たたき台」というものを作りました。新聞報道でご覧になってると思いますけれども。その 「たたき台」の中で証拠開示の最も核心的な部分について私のレジュメの2枚目から掲載しておりますので、それについてのコメント、そして再審請求手続等の 証拠開示の問題について最後に触れたいと思います。

日本の刑事裁判における証拠開示の現状と課題

先週ですね弁護士のY先生から、ここにおられるんですけれども、お手紙を頂戴しまして、かつて証拠開示問題について座談会に出席 したと、そのコピーを送って頂きました。1979年9月。25年位前ですね、四半世紀前。『法の支配』すばらしいタイトルの雑誌ですけれども、日本法律家 協会というところからでています。タイトルは「刑事裁判の現状と問題点」となっており、第一審公判をテーマとした座談会で、内容は多岐にわたっているよう ですが、証拠開示のところを送って頂きました。一読しまして、弁護士の方々、検察官の方々、裁判官の方々が出られて議論されていることは一向にこの25年 間、わが国で進展していないということをつくづくと感じました。

当時、検察官である出席者が述べていることは今と全く同じです。繰り返すまでもありませんけれども、わが国は当事者主義なんだか ら、お互いに証拠を集めたらいいんではないか、自分たちが立証するのに必要な証拠だけを法廷に出すのが当事者主義なんだから、われわれは弁護人や被告人に 見せる必要はない。そういう訴訟の構造になっていない。もし見せるとすれば、弊害がいろいろある。関係者のプライバシー、証拠隠滅の恐れがある。この構造 論と弊害論。今でも証拠開示について検察側が言うことです。やはり、この座談会の中でも主張されておりました。Y先生は、職権主義の時代は、検察側から一 件記録がすべて裁判所に送られますので、弁護人は裁判所に行けば一件記録をすべて見ることができた、検察官が使おうと思っている証拠かそうでないかにかか わらず、すべてを閲覧することができた、と。それがどうして当事者主義になったらそれができないのか、ということを強くおっしゃっておられるんですけれど も、暖簾に腕押しといいますか議論は平行線。

もし、私がこの25年前に出席していたらですね、言いたかったのはこういう事だったと思うんです。じゃ、職権主義の時代は弁護人 は証拠隠滅してましたか、戦前には。弁護人が証人威迫をしてましたか。裁判所で弁護人は事件の一件記録を見ていたんですね、その当時。それで弁護をやって いたんです。プライバシーの侵害がありましたかと尋ねたい。そんなこと論じた検察官は戦前におそらくいなかったと思います。もし仮に、証人威迫や証拠隠滅 があれば、これはこれで立派な犯罪ですから処罰される。もしそのようなことがあれば検察官はそういうように対応したでしょう。プライバシー侵害があれば、 その当時はまだプライバシーという概念はありませんでしたけれでも、何らかの法益の侵害があれば不法行為として訴えることができたでしょう。いきなり当事 者主義になったがために弊害論を持ち出すことによって、いわば後から後知恵で弊害論を持ち出すことによって証拠開示ができないという理由にしていたのでは ないか。そう思えて仕方がありません。では、今度の司法制度改革で証拠開示制度を作ろうというときに、どのような視点にたって証拠制度をつくろうとしてい るのか、それから今日の話を始めさせて頂きたいと思います。

何のための証拠開示制度か

私のレジュメを めくって頂いて、2枚目の司法制度改革審議会の最終報告書、2001年6月にでた報告書の抜粋の所をご覧ください。ご存じかと思いますけれども、今回の司 法制度改革によって証拠開示を行うということは決まっております。証拠開示制度を作ることは決まっているのです。しかし、司法制度改革審議会では、何のた めに証拠開示制度を作るのかということは、目的はその抜粋の最初に書かれてますように、充実した争点整理が行われるためということです。充実した争点整理 のための証拠開示が出発点です。そのために、証拠開示の時期・範囲等に関するルールを法令により明確化するとともに、新たな準備手続の中で、必要に応じ て、裁判所が開示の要否につき裁定することが可能となるような仕組みを整理すべきである、としています。

つまり、裁判を迅速に充実して行うために証拠開示が必要だと言うのです。そのためには裁判が始まる前に争点、弁護側と検察側が争うポイントを絞っていき ましょう、整理していきましょうということです。これに対して、こうした発想では証拠開示を論じても仕方がない。誤判からの救済、無辜の不処罰のために証 拠開示をしなければならない、そもそも出発点が違うじゃないか、だからもう今回の証拠開示制度について議論しても意味がない、だいたい今回のようなかたち で司法制度改革を議論することに意味がない、そうおっしゃる方々もおられます。私は、そうおっしゃる方々、非常に近しい方が多いんです。気持ちは良くわか ります。私も同じ思いです。けれども、そう言っていてもその間に議論は進んでいきます。証拠開示のルールが作られようとしています。

私は、これ以降は私個人のスタンスですし私の考えに賛同して下さるかたもおられますけれども、ぜひここにおられる方も賛同して頂 きたいのですが、ルール化をするのであれば、どのようなルールが望ましいルールなのかを社会に提示して、もし政府案とそれが違うのであればこれを国民の前 に明らかにして、その違いを世に問うてみたい。どちらがより望ましい証拠開示のルールなのかということを問うてみたいと思うのです。私は、証拠開示に多少 なりとも関わりをもった研究者として、それをしなければならない社会的責任があると思っています。

証拠開示のルール無し、えん罪・誤判の温床

ルール化といいますけれど、わが国にルールはなかったのかということに話を移しましょう。法律上は、われわれが言っているような 証拠開示のルールはありません。刑事訴訟法にはそのようなルールはありません。単に第一回公判期日の後に検察官は自らが立証に使う証拠を法廷に出し、それ を弁護人が見ることができるというだけです。私たちが証拠開示という言葉を使う時は、検察官が手に持っているけれども、使わない証拠を見せること、これを 証拠開示というふうに呼んでいます。使うのを見せるのは当たり前なんでして、持ってるけれど使わない証拠を見せる。これが証拠開示です。しかし、現行法に はこれについての定めはありません。

じゃ検察官は使わない証拠を見せていないのかといいますと、実はそうではありません。見せています。どういう場合に見せるかとい いますと自白している事件では、かなり見せます。もう争わない、被告人、弁護人が争わないという姿勢を見せていれば、かなりの部分を検察官は任意で見せて くれます。任意の開示はルールがないまま、おこなわれているのです。しかし、問題なのは争っている事案です。有罪、無罪を完全に争っている事案もそうです し、事実は認めながらも責任について争っているケース、たとえば、故意か過失かについて。あるいは全部か一部かで争っているケースというように。あるいは 労働、公安事件などです。そうした特殊な例になりますと検察官はとたんに態度を変えてきます。つまり、場合によって検察官の裁量によって未提出証拠、自分 たちが使わない証拠を見せたり見せなかったりしている。それができるのはルールがないからです。

ルールがないままでは紛争が絶えません。それで日本の最高裁判所は、大変なのはわかったから、どうしてもの時は裁判所が検察官に 命じてあげましょう、この証拠を出しなさいというふうに。すべてを出しなさいではなく、一部だけを出すように命じましょう、と判例で決めました。これを個 別開示方式と呼んでいます。そのかわり弁護人はどういう証拠をだしてほしいか裁判所にまず特定してください。これこれこの証拠を出してくださいと、まず裁 判所に申し出なさい、とした。しかも、その証拠が必要な理由をどうしてそれを開示しなければいけないか、その理由を言いなさい、としました。ところが、こ こで一つ問題があります。どんな証拠があるかわからないのに、どうしてそれを特定するすることができるかという問題です。みなさんご存じのように松川事件 のアリバイ証拠であった諏訪メモ。有名なメモ帳があります。あれは後から存在が被告人、弁護人にわかったわけです。そういうメモ、被告人の現場不在証明す るメモをとっていたらしいと。そこで検察官に出してくれと要求することができた。しかし公判開始当初はそんなことはわからないわけです。特定のしようがな いのです。つまりこの個別方式の一番の難点は、まず特定できるかどうかというところにあります。

二番目の難点は、特定したら裁判所はすぐ命じてくれるかどうかです。よしわかったと言って、被告人、弁護人の立場にたって検察官に命令するかというと、 そうではなく直ちに命令しないのです。通常は、まず、検察官に対して意見を求める、どうですかって。非常に丁寧に。その次、どうしても必要な感じがすると 思いますと今度は「勧告」、出すべきであると裁判所は言う。その次が「命令」で、出しなさいと言う、これが開示命令です。ここまでで、すごい山の頂の上な んですね。勧告までは比較的いきやすいのですが命令にまではなかなかいかない。しかもたまに太っ腹の裁判長がいて、命令だすぞというふうになりますと、今 度検察官は命令されて出すのは嫌だから命令がでる前に出してしまう。というわけで、開示命令というのは、わが国ではあまり出されません。裁判官も検察庁と 波風たてるの嫌だから勧告ぐらいでなんとか出してほしい。

このように、個別開示方式は何が証拠としてあるかわからない、なかなか裁判所から命令がでない、二つの大きな欠点をもっています。多くの研究者や弁護人 はこれに対して「全面開示」を求めてきました。全面開示というのは、検察官の裁量や裁判官の命令に依存せず、公判開始前にすべての検察官の手持ちの証拠を 弁護側に開示する、というものです。しかし、実務判例は1969年に最高裁が出した判例の方式で進んでいます。もっとも、検察官が任意で、すべての証拠を 出してくれば問題ないんです。そうでないから法的に義務づけなければならない。ルールを定めなければならないということになるのです。実際にそのすべての 開示が行われないために様々な誤判が起きているということは、皆さんも御存じだろうと思います。

今日のプログラムの中にも入ってますが、免田、財田川、松山、徳島ラジオ商殺し、松川といった証拠開示がようやく行われた結果、 被告人、再審請求人の無罪を明らかにできる証拠がでてきたというケースが紹介されています。財田川については犯行方法について、松山事件については被害者 の血液鑑定について、徳島ラジオ商殺しで目撃したという少年二人の偽証について、松川ではアリバイ証拠諏訪メモ。そういった例は数限りがありません。もし これらの証拠が公判開始前、あるいは公判開始後、直ちに弁護側の手元にあれば開示されていれば、もっと早くに裁判は終了したであろうとおもわれます。ある いはそのような開示をしなければならないことを前提としたら、そもそもそのような起訴はできなかったのではないか、と思われます。

ここで先程、なぜ検察側が証拠を開示する義務がないかということの大きな理由として構造論、弊害論があると申しましたけれども、 その構造論について、当事者主義だという説明があります。たとえば、Y先生から送って頂いた『法の支配』の中でも松尾浩也先生、刑法学会の理事長で東大教 授、この座談会でこうように言っておられた。「当事者主義から証拠開示を全面的に認めるべしという議論は成り立ちにくい」と。確かに、この当時は成り立ち にくいという見方が学会でもなくはなかった。職権主義をとってるドイツやフランスでは一件記録が裁判所にありますから、それで弁護人は見られる。しかし当 時者主義をとっているアメリカ、イギリス等々の国では、確かに弁護人が見ることは難しかった。しかし、この座談会は1979年ですが、すでにアメリカでは ルール化が行われていたことを忘れてはなりません。以下では、当事者主義をとる国の刑事訴訟法と証拠の開示がまったく矛盾することなく存在していることを お話ししたいと思います。

世界の証拠開示制度の動向

アメリカ

レジュメで いいますと世界の証拠開示の流れの項に入ってまいりますが、まず、アメリカ合衆国。今日はアメリカといっても広いですので、合衆国の連邦の例だけをとりま すけれども、すでに1966年と75年に連邦の刑事訴訟規則は改正され、被告人の全供述調書、被告人の前科、前歴、訴追側の手持ちのすべての書面と証拠物 が開示対象になっていました。訴追側が知っている範囲で防御に重要なすべての資料や鑑定の結果、そして、すべての専門家証人の供述の開示が、公判前に弁護 側に請求に基づいて行われることになっていました。これを「類型的アプローチ」というふうに呼んでいます。それと同時にもう一つ大事なことですが合衆国最 高裁はブレディ事件の判決の中で、検察官は被告人を無罪とする方向の証拠を開示する憲法上の義務をもっていると言明しました。これがブレディ・ルールとい われるものです。このレジュメのうえの四角囲みのところでハリケーン・カーター事件の判決文を引用いたしました。皆さんご存知の映画『ハリケーン』、デン ゼル・ワシントンがボクサーの役をやった映画です。1985年に彼はようやく連邦裁判所によっていわゆる再審無罪となるのですが、この無罪理由はブレ ディ・ルールどおりにカーター氏の無実を証明する可能性があるポリグラフ検査の結果が、最初の裁判当時に開示されていなかったことなのです。

これを根拠に無罪判決がでたのです。裁判長であるサロキン判事は判決文で述べています。『検察側は普通の被告人であれば手にいれ られないような資料をもっている。それゆえ弁護人にとって確信となるような情報が検察側の手中にある場合、それを被告人にも利用できるようにすることは絶 対に必要である』、と。『もし裁判が真実を隠すための努力ではなく、真実への探索であるというのなら全面的かつ公正な証拠開示は訴追側の恐ろしい権力に対 して被告人の権利を保護するために欠くべからざるものとなる』、と。このような考え方は映画でみると、すばらしい裁判長だなと皆さん感動するでしょう。し かし、これはアメリカで当たり前の考え方でした。当たり前のことがカーター事件で行われなかったから再審無罪になったわけですね。つまり、当事者主義の母 国、わが国の刑事訴訟法、憲法というのはアメリカの占領軍によって作られたものですから、わが国の当事者主義の母国であるアメリカで、このような考え方が きちんと成立していたわけです。もう一度繰り返しますけれども、連邦刑事訴訟規則は66年と75年。ブレディ事件の最高裁判決は1963年であります。

ところが、アメリカでも問題はあります。なにが問題なのかといいますと二つあります。一つは、カーター事件と同じように検察側が持っている証拠をこのブ レディ・ルールのとおりに開示しないことがあるわけですね。それをどうやって発見するかということ。そして、発見した場合にどのような制裁を科すかという ことです。
もう一つの問題は、警察が検察にすべての証拠を送っていない可能性があるということです。映画『ハリケーン』をご覧になったかたはご存知だと思います が、彼の無罪証拠を集めたのはカナダの若い青年達でありました。1994年ルービン・カーター氏がカリフォルニアのSanta Clara School で講演をされているのですが、この中でこのように述べています。「証拠開示のルールがあるにもかかわらず、検察側はあなたに知らせたくないと思うものを知 らせようとはしない」、と。ルールはあっても、「そうなるとあなた自身でそれを見つけなくてはならなくなる」、と訴えています。ルール化できたといって も、やはりこうした問題は残ってしまうことです。

カナダ

では、別の国の話をさせてもらいましょう。次はカナダです。カナダでは非常に劇的な誤判事件があったんです。ドナルド・マーシャ ル事件と呼ばれています。1983年に無罪判決がでました。これは真犯人が現れた事例です。ドナルド・マーシャルというのはカナダの少数民族、カナディア ンインディアンの青年です。この事件はノヴァ・スコシア州という、太平洋側の小さな州で起きた殺人事件です。幸いカナダは死刑がないので無期懲役になった のですが、有罪判決を受けた。その後、再審請求中に真犯人を特定する証拠を発見することができて無罪となりました。このような誤判事件というのは、洋の東 西を問わないわけです。が、いったいどうしてドナルド・マーシャルがそのような有罪判決を受けてしまったかについて、原因究明のための調査委員会を置きま した。これが王立委員会です。イギリス連邦の国は刑事事件に限らず何か調査をするときは王立委員会、ロイヤルコミッションというのを置くんですが、この事 件について1989年にその報告書がまとまりました。全6巻1500頁ですね。日本の司法制度改革審議会もこれぐらいの調査をやってほしかったです。

大変な時間と労力とコストです。カナダ全土で100回近い公聴会が開かれました。この報告書は、もちろん日本のどこにもありませ んから、原本を見たくてカナダの、日本でいう国会図書館みたいな所に手紙を書いて全部6冊、全部コピーしたみたいですが送ってもらいました。見てみます と、ありとあらゆる刑事司法についての調査をしている。最終的に80数項目にわたる勧告をしているんですが、途中で、委員会は魔女狩りだという批判が司法 界からでる位、徹底してやってる。ノヴァ・スコシア州の人がやると公正さを欠くということで、委員長は別の州から選んでいますし、意見のある人は誰でも意 見を言えるようになっていて、そういう人たちからも公聴会をしている。さて、その報告書の中で誤判のひとつの大きな原因と指摘されたのは、証拠が隠されて いた点です。カナダも当時は証拠開示のルールがないということで、このようにルールをつくるべきだという提案をしました。しかし、カナダの連邦政府はノ ヴァ・スコシア州がそんなことを言っているけれども、われわれの制度はうまくいっているということですぐにルールをつくらなかった。ところが、これに答え たのがカナダの最高裁判所です。スティンチコムという事件で判決がでます。1991年です。カナダの判例の中ではじめて検察官は被告人に対して全面的に証 拠を開示する義務があるということをいいました。それは当事者主義とは矛盾しない。

今日の集会のタイトル「証拠は誰のものか」ですね。僕はこれ大変気にいりました。証拠は誰のものか。このスティンチコム判決の中 で、この疑問への回答が書かれているのです。その部分を読ませていただきます。「検察の手中にある捜査の成果は、有罪を確保するための検察の財産ではな く、正義がなされることを確保するために用いられる公共の財産である」、と。公共の財産とは英語ではパブリック・インタレスト(Public  Interest)と言います。これは非常に新しい視点だと思います。今日の「証拠は誰のものか」、証拠というのは検察のものではない。たまたま検察が もっているけれども、それは社会全体のものである。当事者主義の最高裁判所でそういうふうに言ってるんです。この判決を私が読んだのは1994年くらいで すが、脳天を割られるといいますか、目から鱗といいますか、大変な衝撃を受けたのを今でも覚えております。これまでは検察官が持ってるものを出しなさいと いう、何で隠しているのか、あなたの持っているものを出しなさいよという形で考えてきた。それは検察の持ってるものを「出させる」という発想でした。確か に民事裁判であれば同じような問題がおきますと、当事者どうしが持ってる証拠をどういうふうに開示するかという問題になりますが、刑事裁判はそうではな い。検察がもってるのは、国民の税金を使って集めたものである。ある事件を解明するために集めている資料です。さまざまな情報が集められている。もし仮に 被告人が真犯人でないなら、その場合、検察官は証拠や情報に対する判断を誤ったということになります。では、残りの証拠は一体どういう可能性を指し示して いるのだろうか。これを誰も吟味できないことになります。

当事者主義というのは確かに立証する側と反論する側がいるわけですが、同じ土俵でも違う角度から証拠を見たとき別の見方ができる でしょう。わが国の刑事司法機関の特徴としては、この別の見方を検討する機会がなく、検討しようとする気持ちが非常に乏しい。むしろそれを次々と潰してい くんです。たとえば、徳島ラジオ商殺し事件です。内部犯行説か外部犯行説かを捜査本部で投票しているんです。つまり警察官の中でもこれは外部犯行だと考え る人達は少なくなかった。しかも検察側と警察側で見方が違った。ところが、いったんどっちかでいくということになると、もうこれを変えることは許されない わけです。内部犯行となったら、たとえ別の証拠が外部犯行を示しているような証拠があっても、それは出さなくていい、ないことにしようということになって しまう。内部犯行の資料だけに基づいて、公訴事実、犯罪のストーリーをつくる。さらに証拠が検察の手に渡って、それが法的に着色されまして公判廷に出てい くわけです。その中に別の見方を示すような証拠があっても、落とされて証拠開示がなされなければ被告人、弁護側が見ることもない。まさに、捜査と訴追、そ して公判の過程を通して事実の隠蔽が行われていっている。しかし、アメリカ、カナダのように相手に証拠を見せなければいけないという、手続きができます と、アナザーストーリー(別の見方)も考えておかないといけないなということになるわけです。検察官は証拠の評価を誤っているのではないかというような指 摘をされるわけにはいかない。ですので、もっと慎重な起訴になるでしょう。無罪方向の証拠が強く存在するような事件であれば起訴をしないということになる でしょう。
(つづく)

 

「東京高裁第三刑事部は検察官に証拠開示を命令せよ」の

たたかいを全力で繰り広げましょう

大槻泰生

 富山さんが再審請求を行って9年目を迎えました。しかし依然として裁判所は再審請求に応じようとはしていません。

これまで何回となく証拠開示の要求をしてきましたが、前向きの回答をしていません。それは〈証拠開示に応じたら富山さんがやっていないということが明らかになる〉ということの証明ではないでしょうか。

1998年国連・国際人権自由規約委員会は、日本政府にたいして「すべての関係資料に弁護側が意見表明できるように、法律を制定し実務が制度化されるよう」求めています。

私は、これまでのえん罪・再審事件で証拠開示が真相解明、再審実現の大きな力になったことを考えたとき、いまだにこれに本気で取り組まない権力に怒りを感じています。

34人分の目撃者といわれる人たちの調書のうち7人分しか明らかにされていない、他の証拠は眠っている。その眠っている証拠を全部出さなければ不公平で はないでしょうか。検察官は私たちの税金で仕事をしているのだから、その結果は私たち国民のために使わなくてはなりません。国の機関で集めた資料を被告や 弁護士だって使う権利があると思います。集めた資料は検察官や被告・弁護士がそれぞれ選んで、法廷で対等にやるべきである。それを「法廷戦術」として開示 しないのは税金の不当な使用と考えるのは私の言い過ぎでしょうか。

2002年の「司法制度改革審議会」の答申をうけて、政府は司法制度改革推進本部を設置して具体的な立法化作業を進めているといわれています。しかし、 多くのえん罪・誤判が現にあり、あったことをどう教訓化するのかという考え方・視点が十分に生かされているのか考えざるをえません。

私は、司法改革は、人権を守る運動とえん罪・誤判防止という考え方とを結びつけて取り組まなければならないと思います。権力の言うことを聞かない人たちならやるだろう、やったにちがいないというマスコミの世論操作に惑わされるのはもうごめんです。

すべてのえん罪事件を生み出す背景には人権軽視が根深くあるのです。それは戦争への道に結びついています。きな臭い軍靴の足音が近くに聞こえています。 このような情勢下、私はみなさんとともに「富山さんはやっていない。やっているというのならすべての証拠を開示せよ」のたたかいを全力で全国に広げるよう に呼びかけます。

私は、1945年、一発の原子爆弾によって、家を失い、肉親の行方、骨の行方もわからない状態のまま私自身ガンによって右の耳をなくして闘病生活をつづ けています。だから、富山再審は私にとって大切なたたかいなのです。〈戦争に反対し権力の言に従わない者はみせしめとして獄に閉じこめる〉こんなことを許 して置くならば、1945年3月10日の東京大空襲や全国いたる所で被った戦争被害が再現される情勢になることは間違いありません。

みなさん、証拠開示・再審実現のために、ともにたたかいましょう。

(おおつきやすお・反戦被爆者の会会長・「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」会員)


2003年6月7日「証拠は誰のものか真実究明は証拠開示から」富山再審集会のあとでの交流会のスナップです。(高名な日本酒の栓が“開かれようとする”瞬間です。再審の扉も必ず開こう!)

大井町ビラまき報告

休載

大井町のYさんから

   「明日の為の第三十七歩、梅雨の季節です。最高気温の温度差が10度Cも違うこともあります。風邪を引きやすいので服や寝具の変更が大変ですが、乗り切りましょう。
追伸、6月7日の集会にきゅりあんに行きました。参加料500円が必要といわれ、財布がないことに気づき、家に帰ってみると財布は空だった。銀行のATMは閉まっていました。私は間抜けです!」

というお便りとともに二千円いただきました。ありがとうございます。
「参加料」は気にしないで会場に入っていただければよかったのですが・・・。大変失礼いたしました。これからは、まずご入場ください。今回に懲りないで、よろしくお願いいたします。

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NEWS

ニュースNo177(2003年6月15日発行)

 

●ニュースNo177(2003年6月15日発行)◎東京高裁申入れ報告
申入書大井町ビラまき報告

 証拠は誰のものか―真実究明は証拠開示から

6・7富山再審集会

81名の方の参加で成功いたしました。参加くださったみなさん、集会の準備等で協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
指宿先生の講演をはじめ、集会の報告はニュースで次号から順次行います。

講演中の指宿 信さん(立命館大学法学部教授)

写真は、  「『司法改革』と証拠開示問題」 講演中の指宿 信さん(立命館大学法学部教授)

 ◎集会でのアンケートから

“証拠は誰のものか”に対する確かな回答が示されました。正義を実現するために用いられる公共の財産だと、納得しました。
阿藤さんが訴えておられた敵の執念!これにうち勝つ再審闘争の実現が求められています。
本当の司法改革を私は私の再審無罪をかちとるなかで実現すると宣言した富山さんとともに闘い勝利しましょう。 (46歳・女性)

「かちとる会」の熱心な活動が伝わり、感動しました。
阿藤さんのお話涙が出ました。
微力ですが、何かできることがあれば協力させていただきたいです。ありがとうございました。 (5/26(月)に地裁に行く用事がなければ、今日の集会に参加することもなかったでしょう。) (35歳・女性)
【富山さんが地裁前でまいたビラを受け取って参加されました】

 東京高裁申入れ報告 

六月六日、富山保信さんの再審が審理されている東京高裁に、富山さん、阿藤周平さん、坂本さん、山村で再審開始を求めて申入れに行きました。

前回に続き今回も、係属部(第三刑事部)の裁判官はおろか書記官すら会わず、訟廷管理官が対応というものでした。以前は書記官室で申入れしていたのに、 一階の正面玄関横の狭い部屋でした。裁判官会議で決まったと言いますが、同じ建物内の東京地裁では書記官室で書記官に申入れしており、納得の行くものでは ありません。申入れの前、裁判所のロビーで待ちながら、今回も、阿藤さんは「わしらの頃はこんなやなかったけどな。身体検査なんてようせんで。裁判所が国 民から遠くなったんと違うか」と嘆いておられました。裁判員制度の導入によって「国民の司法への参加」などと言っていますが、裁判所はますます市民感覚か ら離れて行っているのではないでしょうか。

申入れは、予定通り三時三〇分から始まりました。裁判所側からは前回の船戸訟廷管理官に代わり、小池訟廷管理官、他二名が出て来ました。

最初に富山さんが用意していた「申入書」を読みあげたうえで、次のように訴えました。

「四月十五日に横浜事件の再審開始決定が出た。その時、マスコミからも、事件から六十年経っている、一人の人間の人権を回復するために六十年かかるのか と言われていた。横浜事件の再審開始決定の出る四月十五日の前、三月三十一日に最後の再審請求人本人の板井庄作さんが亡くなられた。人権は実際に迫害を受 けた人に対して速やかに回復されるべきなのに、間に合わなかった。

私の事件も再審請求から九年経っている。事件からは三十年が経過した。真剣に考えてほしい。毎年申入れに来て、前回も特に検察官に対して証拠開示命令を 出してほしいという要請をしたが、その気配さえ伺えない。事件現場で目撃した人は四十人いて、そのうち三十四人の供述調書があると捜査責任者である警察官 が控訴審で証言している。しかし、開示されたのはそのうちの七人分でしかない。残る二十七人分は検察官の手元に隠されている。これを開示させ、裁判所もそ れを見て判断してもらいたい。このことを裁判官にきちんと伝えてほしい」

そして、「今日は、八海事件の阿藤周平さんが大阪から来てくださっている」と阿藤さんを紹介しました。

八海事件の阿藤さんという名前に今回の小池訟廷管理官も副訟廷管理官も姿勢を思わず正し、メモを取っていた総務課の職員も顔を挙げました。阿藤さんが 「私の事件は半世紀も経っているから、あなた達は知らないかもしれませんが」と切り出すと小池訟廷管理官は「知っています」というようにうなづきながら じっと阿藤さんを見つめていました。

阿藤さんは続けて、「八海事件は無罪が確定するまで十八年かかった。その間、最高裁に三回行って、七回裁判所を行き来した。一人の真犯人の言葉に裁判所 が騙され、最後に最高裁第二小法廷で、これ以上新しい事実は出ない、これ以上被告とするのは忍びないということで破棄自判し無罪になった。

私が一番言いたいのは、検察官のやり方が不公正だということ。富山さんが言ったように、検察官は手持ちの証拠を出さない。八海事件でもそうでした。真犯 人の吉岡の上申書、阿藤たちは関係ないという文書を吉岡は最高裁、最高検、弁護士宛に出していた。それを検察官が指示して、広島刑務所は発送を差し止めて いた。そういう文書を書いたことで吉岡は懲罰を受けた。それで、吉岡は出所する人に、弁護人に伝えてと頼み、広島の八海事件の弁護人に伝えてもらった。そ れで明らかになった。八海事件の弁護人の一人、参議院議員でもあった亀田徳治さんが法務委員会で検察庁のトップを喚問したところ、吉岡の上申書があること を認めた。しかし、それでも検察庁は出そうとしなかった。最終的には最高裁が検察官に対して出すよう命令して、検察官は渋々出してきて、やっと明らかに なった。私は無罪になったが、この経過が未だに許せない。検察官がフェアにやるというのなら、すべての証拠を出せばいい。しかし、検察官は絶対に出そうと しない。裁判所が検察官に対して開示するよう命令を出してほしい。そこを裁判官によく伝えてほしい。

昨年、私がここに来た時、私も要望書を提出した。それが裁判官に届いたかどうか、私には確認しようがない。あなたはそれがどうなったか知っていますか」

小池訟廷管理官「届いていると思います」

「思います」という曖昧な回答に、阿藤さんが「裁判官の手に渡ったか、確認とれますか」と念を押すと、小池訟廷管理官「(ウーンと考え込んだすえ)部の書記官に届いていると思います」と答えを変えました。

すかさず、阿藤さん、「私は裁判官宛に出したのであって、書記官宛に出したのではない。八海事件の時は、担当の書記官が出て来て、必ず裁判官に見せますと言った。まだ開かれた裁判所でした」

小池訟廷管理官は「間違いなく部に渡っています」と言い換えました。

富山さん「『部』というが、抽象的な『部』があるわけではないでしょう」

小池訟廷管理官「いつでも見られる状態にしてあると思います」

阿藤さん「私も長い間、当事者として裁判所とつきあってきたが、書記官がしっかり事務処理をしているかが重要。書記官がほおっておくことはないのか」

富山さんや阿藤さんの追及に、小池訟廷管理官「いや、それは」とたじたじでした。

阿藤さん「富山君は、無実で十年刑務所に入っていた。代償がいかに大きいかわかりますか」

小池訟廷管理官「はい」

阿藤さん「しかも再審請求してから九年。裁判官に富山君の心情をわかってもらいたい」

小池訟廷管理官「はい」

阿藤さん「十年目ですからね。ほったらかしかと思いますよ。私が言ったことを、早く再審開始決定を出して頂きたいと裁判官によく伝えてほしい」

小池訟廷管理官「わかりました。部の方に間違いなく伝えます」

阿藤さん「素人が見ても富山君の無実はわかる。専門家の裁判官にならすぐわかるはず。一審は無罪だったんですから。一審の無罪判決は厳として存在してい る。それを無視することはできないはず。公正な結論を出してほしいと三人の裁判官にくれぐれも伝えてほしい」

小池訟廷管理官「わかりました。伝えます」

続いて、坂本さんから「私は以前郵便局に勤めていて、事件の被害者の山崎君とは同じ労働組合の活動をやっていた間柄だった。本当だったら自分の仲間がや られたということで、富山君の支援には関わらない。しかし、裁判の経過を聞くと富山さんが犯人だとは思えない。一審の判決と二審の判決を比べると、どうし ても二審判決がおかしい。富山さんが有罪というのが納得がいかない。それでこの運動に参加した。詳しく知れば知るほど、裁判所はデタラメだと思った。

検察官が証拠を隠しているのはフェアではない。すべての記録を出したらはっきりすると思う。出せばいいじゃないですか。

私はおかしいことはおかしいと、ちゃんと決着を付けて墓場に行きたいと思っている。郵便局に四十二年間いて、十年前に退職したが、それまで毎日、真面目 に赤い自転車で郵便を配って来た私の頭の中に、この事件がすっきりしないで残っている。ぜひ、裁判官に正しい判決を出すように伝えてほしい」

小池訟廷管理官「趣旨は部に伝えます」

再度、富山さんから、「万人が納得できる裁判をしてほしい。私一人の問題ではない。裁判所の側も万人が納得できる裁判をやる必要があるのではないか。再 審の場合、請求人は折衝の場にも行けない。裁判官は弁護人にしか会わない。それどころか今は書記官すら会わない。今のようなあり方はおかしいと裁判官に伝 えてほしい」

小池訟廷管理官「それは、裁判所として、意見として伺います」

富山さん「検察官の手持ち証拠はすべて開示されるべき。そのうえで判断するのが筋ではないか。検察官は私人ではない。公権力でもって証拠を集めている」

小池訟廷管理官「そのとおりです。公益の代表です」

富山さん「だったら、すべて開示すべきではないか。それに基づいて万人が納得できる裁判をやるべきではないか。現状はそれにまったく反している状態だ。 三十四人の目撃者の調書があることは検察官も認めている。最低限、これは開示されるべき。裁判所は開示命令を出してほしい」

坂本さん「持っている証拠をすべて出して判断するのでなければ裁判はデタラメになる」

阿藤さん「無罪、有罪を争っている裁判はフェアに行くべき。自供も物証もない。目撃者の証言だけの事件。その目撃者の調書を検察官が持っていて出さない のはおかしい。松川事件も諏訪メモが出なかったら有罪になっていた。争っている事件でこそ検察官はフェアにやるべき。検察官は権力を持っているから出さな くてもいいと思っているのだろうか。裁判は裁判官や検察官だけのものではない。国民が納得のいく裁判をやるべきなのに、それが実行されていない。八海事件 で、七回も裁判を繰り返し、最高裁に三回も行った原因は、証拠を隠し、上訴を繰り返した検察官にある。それを後押ししたのが裁判所ですよ。

ちゃんとした結論をお願いします。十年は長過ぎます」

小池訟廷管理官「どの事件も差別せずすべて同じ対応をしていると思います」

富山さん「だったらなぜ部にも行けないのか」

小池訟廷管理官「すべて同じに対応しています」

この段階で、すでに事前に「決められていた」三十分は過ぎていたのですが、小池訟廷管理官達は立ち上がりかねていました。

阿藤さん「ところでなんで身体検査をするんですか」

小池訟廷管理官「オウムとか暴力団の事件とかいろんな事件があるので」

阿藤さん「裁判所が国民から遠ざかったような気がします。大阪から来ても感じ悪いですわ」

小池訟廷管理官「現に七~八年前に裁判所の職員が刺されて死亡したことがありまして」

阿藤さん「八海の時は、書記官も支援の人に会ってくれました。署名も直接受け取っていましたよ」

小池訟廷管理官「昔は確かにそう聞いています」

阿藤さん「僕の妻が子供を連れて最高裁の裁判官の官舎をまわった。さすがに裁判官は会わなかったが、奥さんが会ってくれた。夏の暑い盛りに乳飲み子を抱 えて家内が要請に行くと、暑いでしょうと一歳の僕の子供にジュースを飲ましてくれたといいます。その頃に比べると逆行しているような気がする」

小池訟廷管理官「いろいろな事件がありまして、申し訳ありませんが」

署名524筆 最後に、富山さんが、この間、大井町をはじめいろいろな所で集めた署名524筆を提出して、申入れの内容を必ず裁判官に伝えるよう強く要請して申入れを終わりました。小池訟廷管理官は最後まで「部に伝えます」としか言いませんでした。

小池訟廷管理官の対応を見ていると、今回の申入れが裁判官に伝わるのか、どのような内容として伝わるのかわかりません。しかし、再審請求人本人の富山さ ん、八海事件の阿藤さん、そして坂本さんが来たことは大きなインパクトとなって間違いなく裁判官に伝わると思います。毎年の申入れは、裁判所前でのビラま きとともに決して無駄にはならないと確信しています。裁判官は富山さん、阿藤さん、坂本さん、署名してくださった多くの方々の声に謙虚に耳を傾けるべきで す。そして、一日も早く再審を開始するよう強く求めます。

以上、申入れの報告です。今回、山村は、富山さん、阿藤さん、坂本さんの三人の気迫に押され、ただひたすらメモを取るのに専念(レポート用紙13枚)しているうちに時間が終わってしまい、何も言えず終いでした。(山村)

申入書

1994年6月20日の再審請求から、9年がすぎようとしています。無実を叫び続けて9年、否、1975年1月13日の不当逮捕 以来28年半、私は無実を叫び続けているのです。その間に、私の真実の訴えを正しく受け止めてくれたのは原々審(東京地方裁判所)の無罪判決だけでした。

近代刑事裁判が到達した地平から見るとき、原々審・無罪判決と原審・有罪判決のどちらが説得力を持っているでしょうか。確定判決(原審・有罪判決)は、 近代刑事裁判が到達した地平に立ち、近代刑事裁判が達成した成果を踏まえたものといえるのでしょうか。無実を叫ぶ当事者という私の立場を離れても、近代刑 事裁判が到達した地平を踏み外し、近代刑事裁判が達成した成果を拒否していると断ぜざるを得ません。その結果、無実という厳然たる事実=真実を見誤り、私 の人権を踏みにじっているのです。

人権の擁護―貴裁判所は断固としてこれを支持されると思います。しかし、人権・人権の擁護は抽象的にこれを論じるのではなく具体的に、貴裁判所の立場に 即すならば審理の場において実現しなければなりません。それをもってはじめて人権は守られ、確立され、発展させられるのです。貴裁判所の責任を果たしてく ださい。

私は無理な注文をしているのではありません。ふつうの市民がふつうの感覚で当たり前の裁判と考える裁判、すなわち近代刑事裁判が到達した地平に立って確 定判決を吟味して欲しいと望んでいるのです。そうすれば、たちどころに確定判決の誤りに気づかれると確信しています。

検察官に証拠開示を命じてください。確定判決は論理学的にも破綻しています。なぜそんな恥ずべき事になっているのでしょうか。それは無理矢理、白を黒と 言いくるめようとしているからです。検察官が隠匿している27人分の目撃供述調書が開示されれば、私の無実は明らかになります。貴裁判所は、近代刑事裁判 の原則・鉄則に照らして有罪を言いわたすことはできない=無罪とすべきだったという段階から一歩進んで、歴然たる無実だから無罪であると確信をもって言い わたすことができるようになるのです。万人を納得させる審理を行うためにも、証拠開示命令を出してください。

私は、これ以上「殺人犯」の汚名を着せられたままでいることには耐えられません。無実という真実が否定されて無実を訴えている私の人格も否定されている こと、そして誤判の被告として刑事裁判史に汚名をさらし続けていることの苦痛から一刻も早く私を解放してください。それができるのは貴裁判所だけであり、 それは裁判官としての良心と職責に忠実に従えば可能なのです。

誤判の訂正は、ひとり私のみならず同時代と次代を生きる人々の人権の擁護を意味します。それこそ裁判官の使命ではないでしょうか。

すみやかな証拠開示命令と事実審理の開始を願ってやみません。よろしくお願いいたします。
富山 保信

2003年6月6日
東京高等裁判所第三刑事部御中

 

大井町ビラまき報告

 大井町でまいているビラには署名用紙が付いている。最近、2月にまいたビラに付いていた署名用紙に署名をいっぱいにして送ってくださった大井町の方がい た。署名集めの場ではビラを受け取るだけでも、その後、家に帰ってビラを読んで共感し署名を送ってくださる方がけっこういる。大変だが、毎月、地道にやっ ていることは意味を持っている。

花 ニッコウキスゲ ところで、今回の大井町での署名は、富山さんとうり美さんが0。二人の羨望の眼差しを尻目に山村は六名。

りんかい線の開通によって、いつも署名を集めている大井町駅北口は大きく様変わりし、それに伴って人の流れも変わったように思う。やはり大型店のある改 札口の方が通行量が多い。「場所が悪い」「私がまいたビラを受け取ったのに、そっちで署名した」と言い訳をしている二人に合わせて、たまには場所を変えて やるのもいいかもしれない。亡くなられた佐藤さんと一緒に署名集めに立ったのも、木原さんと出会ったのもこの北口で、私としてはこの場所はなかなか捨てが たいのではあるが・・・。

そういえば、事件現場の周辺も、事件説明の時にいつも名前の出てくる角の電気店(川崎実業)がマンションになるなど、どんどん変わっている。事件現場か ら、逃走方向の仙台坂に向かう道路の幅は当時とあまり変化がないので現場検証や目撃実験をやるのには差し支えないとは思うが、早く再審開始決定を勝ち取ら ないと事件はどんどん風化していってしまう。そう考えていくと体が熱くなるような焦りを感じる。あれもやりたい、これもやらなければ。しかし、日々仕事に 追われて時間がない。だが、時間はつくるもの。落ち込んではいられない。ここで鉢巻きを締めなおし、攻勢に出よう。署名も勢いが物を言うのだと思う。
「地道」プラス進攻精神で頑張ろう。(山村)

(写真の花はニッコウキスゲ。今、日本の山で散策する多くの人たちの目と心をなごませてくれています。)

大井町のYさんから

 「明日の為の第三十六歩目、
寒暖の激しい年は何かが変わる年です」

というお便りとともに2千円いただきました。ありがとうございます。
なんとしても変えたいものです。

【編集後記にかえて】

「証拠は誰のものか―真実究明は証拠開示から 6・7富山再審集会」準備等のため、ニュースの発行が遅れたことをお詫びいたします。

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NEWS

ニュースNo176(2003年5月1日発行)

 

●ニュースNo176(2003年5月1日発行)◎東京高裁前でビラまき
横浜事件の再審開始決定出る
有事治安立法と司法改悪に反対する集い 「憲法と人権の日弁連をめざす会(「めざす会」)」が呼びかけ

大井町ビラまき報告

6月7日(土)の集会にご参加ください

証拠は誰のものか—-真実究明は証拠開示から

と き
ところ

6月7日(土) 午後6時開始
きゅりあん5階 第2講習室(JR大井町駅・東急大井町線大井町駅下車)【地図

《講演》

「『司法改革』と証拠開示問題」(仮題)
指宿 信さん(立命館大学法学部教授)

◎阿藤周平さん(八海事件元被告)
◎原田史緒弁護士(富山再審弁護団)

■東京高裁前でビラまき

  4月23日、東京高裁前で6月7日の集会と「高裁第三刑事部は検察官に証拠開示を命令せよ」のビラまきを行いました。当日は時々霧雨が降るという状態でし たが、断固実行。「雨にも負けず」です。予定より少々早めに終了したものの、裁判(所)見学の学生達を含め350枚を配りました。

  富山さんは、「国際的(越境)組織犯罪防止条約」が衆院外務委員会で批准採決されそうだというので、ビラまきが終わったら国会に直行。雨に濡れながら抗議 集会・抗議行動、議員説得に駆け回ったとか。元気なものです。まだまだ大丈夫、これからもおおいに奮闘していただきましょう。

 

 

■横浜事件の再審開始決定出る

4月15日、横浜地裁は「横浜事件」の再審決定を行いました。ついに請求人、弁護団そして「横浜事件の再審を実現しよう!全国ネットワーク」(代表・木下信男さん)をはじめとする支援の方々の執念の努力が実ったのです。

横浜事件(42年9月細川氏逮捕、43年5月木村氏ら逮捕)からじつに60年(!)。第一次再審請求(86年7月)からでも17年という歳月を思うとき

「歴史が動いたことを肌で感じ、この時、この場にいることの冥利と、畏れのようなものを思った」

という木村まきさん(再審請求人)のことばは重いものがあります。再審開始を待ち望みつつ、この決定をみることもなく亡くなった 方々の無念の思いをかえりみるとき、私たちも先人の苦闘を正しく継承して再審の扉を大きくこじ開け、人権の確立と強化のたたかいを前進させていかなければ ならないと改めて思います。

倦まず弛まず、けっして挫けず諦めないで再審開始・無罪までがんばりましょう。

 まったく許し難いことに、検察側は18日に即時抗告しました。再審開始の是非が東京高裁で争われます。連帯して再審開始・無罪まで、ともにたたかいましょう。

 

【集会のご案内】

「憲法と人権の日弁連をめざす会(「めざす会」)」が呼びかける「有事治安立法と司法改悪に反対する集い」が、5月22日に「クレ オ」(弁護士会館2階・地下鉄霞ヶ関駅下車すぐ)で行われます。この集会の意義は「めざす会」が参加を訴えるビラを読むと一目瞭然です。簡潔明瞭なので、 そのまま借用します。

「(本当の犠牲者数がわかれば)我々はこの戦争が起こした大虐殺にぼうぜんとするだろう」(米『タイム』軍事専門家インタビュー)。 石油権益をねらった米英の侵略に抗して、イラク・中東・イスラム民衆の「民族自決」の闘いと、それに連帯した反戦闘争がますます世界に拡がる一方、「次は 北朝鮮」というブッシュ戦争計画は日本において戦争国家化=有事立法成立の動きを加速しています。

その国家総動員体制の要として、治安立法と刑事司法の改悪がいま私たちの目の前にあります。

「共謀罪」新設法案が国会に提出されました。なんらの実行行為がなくとも2人以上の者が意思を通じただけで、5年以下の懲役または禁固とされ、適用される罪種は500余り。ナチス刑法や治安維持法すら超えた究極の治安立法です。

裁判の一審手続の上限を2年とする「裁判迅速化法案」も国会に提出され、「障害者」を一生施設に閉じこめる「心神喪失等医療観察法案」は参院で審議中です。さらに、解雇の自由を原則化する労働基準法の改悪。

〈市民参加〉をうたって立法化が進められている「裁判員制度」はトンデモナイものになりそうです。裁判員候補者には出頭の強制、被告人には防御が困難な 連日出廷、そのうえ過半数で有罪認定、およそ〈陪審〉とは似て非なる制度です。「裁判の公正を妨げるおそれ」ある行為、つまり裁判の報道や批判も禁じられ ます。

〈人権擁護・権力のチェック〉という戦後憲法下の司法の役割を、〈戦争国家の治安強化〉へと転換するこの攻撃に、弁護士・学者と労働者民衆が連帯した陣地を築きましょう。

なお、この「裁判員制度」ですが、「めざす会ニュース31号(4/21)」によれば、

政府司法制度改革推進本部の事務局がとりまとめた「裁判員制度」のたたき台によれば、有罪・無罪の判断、量刑とも「裁判官と裁判員の 合議体の員数の過半数」で決するものとされています。有罪の判決をするのは「犯罪の証明があったとき」すなわち「合理的疑いをいれない程度」に証明された ときでなければならない、という大原則も無視です。しかも、有罪と決まれば、無罪の主張をした裁判員も量刑決定に参加しなければならず、「良心の自由」ま で奪われます。

また、「何人も、裁判員に事件に関する偏見を生ぜしめる行為その他の裁判の公正を妨げるおそれのある行為を行ってはならない」とされ、公判中の裁判はも とより、捜査についても批判、評論は一切禁止されます。大衆的な裁判批判運動の結果、無罪を勝ち取った松川事件のようなことは今後は許さないとする制度で す。

「裁判員制度」には、刑事司法を改善する契機は全くありません。百害あって一利無し。葬り去るのみです。

ということのようです。念のために付け加えると、「裁判員候補者」は拒否すると罰せられるというのだから〈陪審〉どころか〈有罪儀式の構成員〉でしかありません。まやかし「司法改革」は粉砕あるのみ。

5月22日の集会に参加しましょう。そして、当日の参加者に《6/7富山再審集会》への参加を訴えましょう。

 

 

有事法制に反対する人 みんな集まろう!

午後6時30分・明治公園へ
(JR千駄ヶ谷駅/地下鉄銀座線・外苑前駅)

 4月のビラまきは、雨はまぬがれたものの強風に見舞われ、皆、立っているのが精一杯という状態だった。特に、山村さんは、あっちこっ ちへヨロヨロしていて、それを観察して一人で楽しんでいる私だった。その時、全身、カーキ色の雨ガッパに身を包み,帽子を頭までかぶった二十代位の男性 が、私の目の前を通り過ぎた。思わずギョッとした私は、ビラをまいていた手が止まり見入ってしまった。そうすると山村さんの方へ近寄り、ビラを受け取って なにやら話を聞いている様子。しばらくすると納得したかのようにペンを握り署名をしたのだった。「僕も大きな権力は嫌いですから」と言って署名をしたそう だ。

この日は、山村さんに軍配があがり、富山さんと私は「ビラまきだけが上達してしまう」という惨憺たる成績であった。(うり美)

 大井町のYさんから
「明日の為の第三十五歩目
今年はめりはりがあります。
きっと今年は前進があります」

というお便りとともに二千円いただきました。ありがとうございます。きっと前進をかちとりましょう。

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NEWS

ニュースNo175(2003年4月1日発行)

 

●ニュースNo175(2003年4月1日発行)◎悪魔の所業が始まった
6月7日の集会にご参加ください
共謀罪の新設をゆるすな

大井町ビラまき報告

 

今年のです

集会は6月7日です

悪魔の所業が始まった

3月20日、ついに米英軍はイラク侵略を開始しました。開戦前から明白なとおり、石油資源略奪のための
虐殺戦争にほかなりません。その実態は日を追うに従って明らかになりつつあります。

(写真上 3/20アメリカ大使館への抗議行動)

(写真上 サンフランシスコでは数千人が抗議行動、少なくとも1025人が逮捕された)

 これらの写真を見てください。「大量破壊兵器」を使って子ども達を殺戮しているのはアメリカ・ ブッシュであり、イギリス・ブレアではないでしょうか。子ども達を残虐に殺している最中に、すでに「復興事業」という名のボロ儲けはアメリカ巨大資本の独 占ということが語られています。そしてネオコンが言う「中東で唯一の民主主義国家=イスラエル」は、平然と「人間の楯」の女性をひき殺しています。

これが「ブッシュ・ドクトリン」 の正体なのです。「新帝国主義」なるものは、ウェストファリア条約以来の近代的虚飾のヴェールを脱ぎ捨てて、古典的帝国主義も裸足で逃げ出すほどあからさ まに侵略の意図を隠そうとはしていません。「フセイン政権打倒」後は、「悪の枢軸」であるシリア・イラン―全中東そして北朝鮮という戦争計画がすでにでき あがっているのです。

小泉政権は、いちはやくイラク攻撃支持を表明するとともに、次の「北朝鮮」=朝鮮侵略戦争にむけて実際に戦争を遂行するための有事法制定と治安立法ラッ シュの攻撃にうってでています。「フセイン政権」であるにもかかわらず、不屈に抵抗とたたかいに決起しているイラク―中東・ムスリム人民、全世界で高揚す る反戦闘争と連帯して、イラク・朝鮮反戦闘争と有事立法阻止闘争にたちあがりましょう。

6月7日の集会にご参加ください

6月7日(土)に集会を行います。タイトルは《証拠は誰のものか―真実究明は証拠開示から》。
再審請求からまもなく9年になろうとしています。しかし、依然として再審開始の気配は感じられませんし、証拠開示命令の意思表示はありません。過去の再 審開始例をみるまでもなく、証拠開示が再審開示の突破口です。証拠開示の実現の成否が勝敗を決します。
そこで、論理と実践において強力に武装しようと、今回は指宿信(いぶすきまこと)さん(立命館大学教授)に講演をお願いしました。指宿さんは証拠開示問 題に造詣が深く、昨年12月に行われた「冤罪・誤判はどうしたらなくせるか・・・司法改革と証拠開示のルール化を考える」シンポジウムで呼びかけ人として 講演されたことは、ニュース172号で報告したとおりです。さらに、今年3月に行われた国賠ネットワークの集会で講演されたので拝聴し、質疑応答の際に 「再審請求における証拠開示問題」について質問したところ「本来、再審請求裁判は職権主義で、当事者主義による(有罪・無罪を争う)裁判ではないため、か えって証拠開示になじむのではないか。通常審よりむしろやりやすいのではないか。再審請求審に命令権があるかどうかが裁判実務で明らかになったケースはな いため、命令自体が禁じられているわけではなく、弁護団はぜひその点を突いてみればいいのではないか」との回答でした。
現在、政府の司法制度改革推進本部の事務局が進めているまやかし「司法改革」=司法改悪をゆるさず、「証拠開示のルール化」と冤罪・誤判の根絶をめざし て《あるべき姿》を対置すべく取り組んでいらっしゃるそうです。その一刻を争う作業の緊張と多忙の中で、諸外国の実態も紹介していただきながら、証拠開示 問題についてみっちりご教授くださるはずですから、どうぞご期待ください。
弁護団からは原田史緒弁護士に報告していただき、阿藤周平さんにも上京・発言していただきます。
みなさん、ご多忙とは思いますが、ぜひご参加下さい。よろしくお願いいたします。  (富山)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
証拠は誰のものか
―真実究明は証拠開示から
6・7富山再審集会

 6月7日(土)午後6時15分開始
きゅりあん第二講習室(5階)
(JR京浜東北線・東急大井町線で大井町駅下車)

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

共謀罪の新設をゆるすな

 とんでもないことが起きています。刑法の根本原理が、ひいては憲法原理そのものがひとつの罪名新設によってひっくり返されようとしているのです。

「共謀罪」なんだそれは?「謀議罪」にいたってはわけがわからないと言いたくなります。その不可解さが曲者であり、ペテン師のやり口なのです。

政府は3月11日に「犯罪の国際化及び組織化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」を閣議決定しました。そして今通常国会に上程される法律案の中に「共謀罪」あるいは「謀議罪」なるものが新設されようとしています。

「共謀罪」をわかりやすく言えば、「犯罪の実行に着手しなくても犯罪者にされる」ということです。日本の判例は「共謀共同正犯」をとっており(このこと 自体の是非はさておき)「共謀者の一部が犯行の実行に着手した場合、他の共謀者も罪責を負う」とされますが、それでも「実行の着手」が犯罪成立の絶対要件 とされています。ところが、「共謀罪」では犯罪の実行着手以前の共謀自体が処罰の対象とされるのです。しかもこの「共謀」の認定は捜査当局が行うのだか ら、国家権力による犯罪者づくりはフリーハンドということであり、「『共謀』すなわち合意の成立という主観的な事実だけで、実行の着手等の客観的事実が全 くなくても犯罪とするという点において、近代刑法の基本原理である客観主義を否定するものであり、また、犯罪の構成要件が広汎かつ不明確である点におい て、罪刑法定主義に反し、刑法の人権保障機能を破壊しかねないもの」(第二東京弁護士開会長の反対声明)にほかなりません。なにしろ「長期4年以上10年 以下の刑を定める犯罪」が「共謀罪」の対象とされて「2年以下の懲役又は禁固の刑」に処せられ(対象となる罪名は500を超える。したがって刑法で規定さ れる犯罪はすべてと思ってよい)、そのうえ「死刑又は無期もしくは長期10年を超える刑を定める犯罪についての共謀」は「5年以下の懲役又は禁固」という 加重規定さえ設けられているのです。

さらに、この「共謀罪」を立証するために「新しい捜査手法」と称して「泳がせ捜査」「おとり捜査」「より簡便な盗聴法」「弁護士・会計士の『疑わしい取 引』の通報義務」「共犯者の自首と証人保護(スパイの勧めということ)」「免責による証言強制」等まで導入されようとしています。

犯罪が実行されなくても犯罪者、その捜査・立証は「新しい捜査手法」を駆使する、裁判は「司法改革」によって争う余地はなく有罪に向かって一目散に進 む、これはもう治安維持法以上の悪法を特高警察同然の輩に与えてやるようなものであって、到来するのは監視社会・密告社会の極致ではないでしょうか。

  事態はそれにとどまりません。有罪・投獄の先に待ち受けているのは刑務所での虐待死なのです。昨年末の名古屋刑務所での看守による虐殺の発覚以来、堰を 切ったように次々に「不審死」がとりあげられていますが、刑務所での死は(「自殺」も含めて)すべて虐殺以外のなにものでもありません。実際、私が大阪刑 務所で体験し、目にしたのは、「所内で禁止されていることは多すぎて網羅でけへん。一回一回懲罰を受けて覚えていくしかない」(看守と受刑者の会話)とい うなかで、当局が人権など歯牙にも掛けずにやりたい放題振る舞う姿でした。ある夏、私が懲罰房にいたときに40代のヤクザが深夜「42度」の高熱を発して 一夜で死にました。これなど「病死」扱いで「不審死」にすら勘定されませんが、明白に酸欠・高温の懲罰房での虐待死にほかなりません。

労働組合・労働運動はこれ以上はない組織活動だから「共謀罪」の最大の対象。市民運動然り。「かちとる会」だって、裁判所に申し入れに行く前に「机をドンとやろう」と冗談を言ったら「共謀罪」。冗談も言えません。

なお「共謀罪」は「国際的(越境)組織犯罪防止条約」の国内法化のための立法とされているが、これもまやかしで「越境性」や「組織的犯罪」という限定を取り払っています。したがって、条約の批准は阻止あるのみ。

思想・表現・団結権を根本から否定する「共謀罪」の新設を阻止しましょう。(富山)

 3月のビラまきは、1、2月と休んでいたため久々である。休むとニュースに理由まで書かされ肩身の狭いおもいをしている私であったの で、この日はとりあえずホッとしていた。しかし、あいにくの雨で心も晴れず足取りも重かった。大井町駅前についてから、左手で傘をもち、右手で署名板を持 ち、いざビラをまこうとするとまく手がない。仕方ないから傘と署名板を左手でもち、右手でビラをまいた。

だが、雨で人通りも少ない上、なかなか受け取ってくれない。しかも差し出したビラは雨に濡れてしまう。おまけに5分もすると、左手がつってしまう有様で あった。「今日は、署名はとれそうにないなぁ」と思っていると、見知った男性が雑踏の中からこちらに向かって歩いてくるのが見えた。山村さんと私は「署 名、署名、カンパ、カンパ」とタコのようにまとわりつき、ピラニアのようにたかって署名とカンパをもらったのだった。この日は、この1名だったが、後に、 その日大井町でビラを受け取ったという人が署名を送ってくれた。雨でもまいてみるもんだと納得。(うり美)

 大井町のYさんから

「明日の為の第三十四歩、
励ましの寄せ書きありがとうございます。
私の励みになります。
季節は昼は汗ばむような春です」

というお便りとともに二千円いただきました。ありがとうございました。

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ニュースNo174(2003年3月1日発行)

 

●ニュースNo174(2003年3月1日発行)◎証拠は誰のものか
正木ひろし弁護士の遺品、龍谷大学へ寄贈
大槻泰生さんからのお便り
読者からのお便り

大井町ビラまき報告

証拠は誰のものか
真実究明は証拠開示から 6・7集会

とき

ところ

6月7日(土) 午後6時開始きゅりあん5階 第2講習室(JR大井町駅・東急大井町線大井町駅下車)【地図
《講演》
「『司法改革』と証拠開示問題」(仮題) 指宿 信さん(立命館大学法学部教授)◎阿藤周平さん(八海事件元被告)

◎原田史緒弁護士(富山再審弁護団)

証拠は誰のものか

1994年6月20日の再審請求から8年8ヶ月、検察官は私の無実を証明する証拠を隠したまま開示しようとはしない。裁判所も検察官に証拠開示を命令しようとはしない。

あらゆる冤罪には警察・検察の証拠隠匿が潜んでいる。警察・検察の証拠開示拒否=証拠隠しを容認する(いっそ共犯者・加担者というほうが正確かもしれない)裁判所が冤罪づくりを助長している。

検察・警察の証拠開示拒否の際の常套句のひとつに「関係者の名誉・プライバシーへの配慮」がある。しかし、これは大嘘である。昨年12月6日に行われた 「冤罪・誤判はどうしたらなくせるか・・・司法改革と証拠開示のルール化を考える」シンポジウムにおいて、袴田事件の弁護団は怒りをこめて「検察官は証拠 開示に反対する理由として『関係者の名誉・プライバシーへの配慮』を言う。しかし、警察が、捜査に必要だが『関係者の名誉やプライバシーに配慮する』とし て証拠の収集を断念したことがあるか?検察官が有罪の立証に必要な証拠だが『関係者の名誉やプライバシーに配慮して』裁判に提出しなかったことがあるか? 検察官の『名誉・プライバシー』は欺瞞にすぎない」と弾劾した(『かちとる会ニュース』1月号参照)。まったくそのとおり。そして、それを実証する事例 が、つい最近世間の耳目を集めた。

 2月26日、桶川事件の国家賠償請求裁判の一審判決があった。その報道の中にこんなくだりがある。

「提訴は00年12月。『なぜ警察は、我々の切実な訴えに真剣に取り組んでくれなかったのか』という怒りと悔しさからだった。ところが県警は、捜査放置 を認めた調査報告書から一転し、殺人事件は予見できなかったなどと主張、請求の棄却を求めた。提出を受けた詩織さんの日記を使ってプライバシーを暴露し た。・・・詩織さんが身の危険を感じて自宅に残した『遺書』も『死を空想した情緒的な手紙』と一蹴した。元上尾署員らは、調書改ざん事件時の供述を覆す証 言をした」(毎日新聞2月26日夕刊)

要するに、「捜査放置の調査報告書」作成のために提出された被害者の日記を、国家賠償請求裁判で被告の県警・警察庁・国は、捜査放置の事実をごまかすた めにとことん悪用して被害者の人格攻撃を行ったということだ。しかもおまけまであって、調書改ざんの刑事事件では刑を軽くしてもらうために捜査放置という 事実を自白した元警官に圧迫を加えて、明らかに偽証させている。「嘘つきは警察の始まり」を身をもって示しているのだ。

これは、ひとり埼玉県警だけの事例ではない。警察・検察そして官僚機構、すなわち国家権力の体質・本質・正体をものがたるものだ。裁判所ももちろん例外ではない。判決文(要旨)を読めば、歴然としている。

ことはこれだけにとどまらない。26日当日は、東京高裁でもうひとつやっぱりと思わせる事例が生起している。同じ毎日新聞夕刊の紙面によると

「神奈川県警戸部署(横浜市西区)内で97年11月、容疑者が死亡した問題が、拳銃自殺か第三者による発砲だったかが争われている訴訟」「銃刀法違反容 疑で逮捕された男性(当時55歳)が取調室で死亡した。県警は『警察官の目を盗み、証拠品の実弾と拳銃を奪って自殺した』と発表したが、遺族が起こした民 事訴訟で横浜地裁が昨年11月、『自殺はあり得ず、警察官の誤撃と認めるのが相当』と判断し、500万円の損害賠償を命じた」「控訴審第一回口頭弁論」で 県警側は「一審で存在すら明かさなかった捜査記録」を含む「約60点の新証拠を提出した」

というのだ。

なんということだろう。証拠とはいったい何なのだろう。そして、どう扱われるべきなのだろうか。

はっきりしているのは、現状では、証拠は警察・検察の独占物であって、被告・弁護側はどういう証拠があるのかその存在さえ知ることが出来ないということ だ。こんな状態だから、警察・検察は、被告の無実を証明する証拠を隠し、逆に警察・検察による権力犯罪を証明する証拠を隠すだけでなく黒ヲ白ニスルための 証拠をねつ造することさえ可能になる。やりたい放題なのだ。

国家権力が金(税金だ!)と権力を使って集めた証拠は、真実究明のための公共物であって、断じて独占・隠匿されてはならない。ところが、日本の刑事裁判 は「当事者主義」とは名ばかりで、一私人と国家権力が対等だという虚構と擬制のうえにたって立証・反証を行わせたうえ「疑わしきは罰す」の事実認定をする のが実態である。これは、少しでも現実を知るものにとって共通の認識、常識ですらある。

だから心ある人々にとって司法改革、とりわけ証拠開示問題の解決は急務である。

では、現在急ピッチで進められている「司法改革」なるものは、少しでも現状を改善するものになるだろうか。まったく逆である。いっそう悪くなることはあっても、けっして良くなることはない。

まやかし「司法改革」の目玉は、「裁判への国民参加」=裁判員制度である。この裁判員制度を鳴り物入りでもてはやし、狡猾にも「市民を長期にわたり拘束 できない」という口実を設けて(被告の不当な長期拘留には一顧だにしないくせに!)迅速裁判=拙速裁判路線を押し進めようとしている。そのためには、公判 前に「争点整理」をして裁判のシナリオを決めてしまい、「争点整理」になかったことは争わせない。そうすれば裁判は円滑かつ迅速に進行するというのだ。で は、「争点整理」にあたって最低限、全証拠開示が保障されているのかといえば、それすら担保されてはいない。これに「証人保護」と称する法廷での証人尋問 の制限、より正確には事実上の禁止が加わる。さらに戦慄すべきことに、免罪する代わりに捜査当局の指示の通りに「証言」=偽証させる司法取引の導入まで企 まれている。それでも真実究明のためにがんばる弁護士には、処罰をもって臨むというのだ。これではひたすら有罪に向かって突き進む儀式であって、裁判では ない。これがまやかし「司法改革」の正体なのだ。

まやかし「司法改革」には一片の幻想も抱けない。粉砕有るのみ。まやかし「司法改革」の正体を暴き尽くし、まやかし「司法改革」がめざす日本を戦争の出来る国にするための国家改造の「最後の仕上げ」、戦時司法の確立をなんとしても阻止しなければいけない。

日本の刑事裁判の実状の徹底的暴露と弾劾、とりわけ証拠開示拒否=証拠隠しにたいする倦まず弛まぬたたかいの継続とまやかし「司法改革」粉砕のたたかい を結合させて、粘り強くたたかうならば、かならず広範な人民の支持、共感をかちとることができる。人民の目は節穴ではない。小泉支持が70パーセントとか 80パーセントという日本の人民は一見したところ「再起不能」といわれても反論すら困難というところから、イラク侵略戦争反対が3分の2を上まわるところ まできたではないか。阿藤さんもおっしゃるように「真実ほど強いものはない」のだ。真実の訴えはかならず人民の心をとらえる。「東京高裁第三刑事部は検察 官に証拠開示を命令せよ」の署名運動を強力にやりぬこう。醒めた頭脳と熱いハートで戦時司法への道にたちはだかり、証拠開示―再審実現への展望を切り開い ていこう。

(富山保信)

 数々の冤罪事件の弁護に取り組まれて名高い故正木ひろし弁護士の遺品が龍谷大学に寄贈され、裁判研究に役立てられるそうです。一昨年の「八海事件50周年・東京集会」の際に、ご遺族のご好意によって展示させていただいた八海事件の模型もその一部に含まれています。
正木さんの遺志と業績が継承され、日本の刑事裁判を少しでも改めるために多くの研究者や裁判に関心を持つ人たちに活用されることを期待してやみません。(下右 毎日新聞2003年2月2日・京都版)

(下左 毎日新聞2003年2月1日夕刊・大阪版)

権力者たちの「仁義なき戦い」をくい止めるために

大槻泰生

 富山さんが「私はやっていない。やっているというのなら検察官は自分の持っている証拠を見せてみろ」と再審を求め、証拠開示を求めてから、長い年月がたちました。

いま、資本という化け物が全世界、社会と生活を暗く、深く、重く包み込み、巨大な独占企業同士は生死をかけたすさまじい競争を行い、その競争を後押しす る国家は「仁義なき戦い」を繰り広げています。地球の資源特に中東の石油資源を核兵器を使用して民族を皆殺しにしてでも独占しようと画策するアメリカ、イ ギリス政権と、自己だけがうまい汁を吸うのはけしからんというロシア、フランス等々の国々の私利私欲の駆け引きは戦争にむかって突き進んでいます。

戦争は最大の差別行為であり、人件否定行動です。その被害者は労働者階級です。そして、それをくい止められる力を持っているのも、われわれ労働者階級にほかなりません。

アメリカ・イギリスと一緒になって、そのおこぼれにありつこうと必死の日本政府は、その政策に反対する人たちに「暴力集団」「過激派」なるレッテルをは り、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌等々マスコミを総動員して、われわれと引き離そうと策動しています。私たちは、人を見るとき、「あの人は私たちと人種の違 う人、劣った人、卑しい人、汚れた人、悪い人、怖い人」と予断と偏見を持って見てはいないでしょうか。それでは権力の「上見て暮らすな、下見て暮らせ」と いう人間の優越感情を煽る手管にのせられ、分裂・分断させられてしまいます。

「司法制度改革」という名前で、再審どころか裁判すらうけられなくなる状況がもたらされようとしています。そうならないために、裁判所が警察・検察に証 拠開示の命令を出すように働きかけを行いましょう。それは、私たちの幸せを守り、権力者どもの人権無視、「仁義なき戦い」をくい止める力になるのです。

富山再審のたたかいは、東京大空襲をはじめ全国主要都市の人民が戦争によって被った悲惨な体験、いまなおヒロシマ・ナガサキへの原爆投下による後遺症に苦しんでいる市民の再現を許さない行動に結びつくのです。みなさん、声を出して証拠開示を訴えましょう。

 

 ■読者からのお便り

 練馬区のKさんから

「毎月ニュースを送っていただき、ありがとうございます。そうそう、わが家に届いた唯一の闘春の年賀状、ありがとうございます。お返しのごあいさつもせぬまま、もう3月です。失礼いたしました。
・・・
階級闘争の革命的な高揚から爆発の時代への突入のなかで、弾圧の最も凶暴な刃を突きつけられたこのたたかいに絶対に勝利しましょう。
・・・
85年の逆転有罪判決に『あきれ返ってしまった』私は、弾圧のすさまじさに打ちのめされていたのかもしれません。どこから見ても100パーセント無実の 富山事件は、目撃証言の誘導・でっち上げだけで『犯人』にされてしまう。命懸けで権力とたたかう80年代の決戦の対価として、人質とされてしまうのも、 『しょうがない』と感じていたのかもしれません。今、富山再審の真価が本格的に発揮されるべきときです。あまりにも明らかなでっち上げ性、富山さんの言う 『人間の尊厳をかけた』不屈のたたかいこそ、全人民を獲得するのです。
軽薄な評し方で申し訳有りませんが、数々の獄中アピールの頃から、富山論文は『おもしろい、うまい』論文で、大好きでした。無署名でも筆者の顔の浮かぶ 論文、アジテーションは今こそ必要です。リストラ、過労死、ホームレス、ファミリーレス、・・・人間性が根幹まで破壊されてきている時代、労働者人民は人 間が人間らしく生きていく方法を待ちこがれ、耳を傾けています。富山さん、もっと叫んでください!
・・・
次回のニュースといっしょに署名用紙数枚送っていただけたら幸です。
寒さまだまだ厳しい折り、皆さんお元気で!」
というお便りとともに、五千円届きました。ありがとうございました。 富山さんには「もっと叫んで」いただきましょう。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 品川区のGさんから

「拝啓
いつもニュースを送っていただきありがとうございます。
この度、住所を変更しましたので、連絡させていただきました。
追伸
ほんの気持ちですが、活動資金にお使い下さい。」
と三千円同封していただきました。ありがとうございました。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 広島のFさんから

「前略
皆様お元気ですか。私は元気です。
皆様方、私が裁判中にはたくさんの署名やカンパをありがとうございました。まったく皆様方にとられまして知られない私の事件のためにたくさんの署名やカンパを本当にありがとうございました。
私は皆様方の署名やカンパですごく勇気づけられました。私は一生皆様方のことは忘れることはないでしょう。本当にありがとうございました。
私は皆様方に何かお返しをしようと考えていました。そしてでてきたのが、署名やカンパでした。
皆様方が支援をされていらっしゃる事件で、署名やカンパの用紙を届けてください。私は一生懸命署名などをさせていただきますので、定期的に署名用紙を届けてください。すぐに署名をしてお届けしますので。それぐらいしかわたしにはできませんので。
たいへん自分勝手なお手紙をさしあげましてすみません。皆様方が毎日すごくお忙しいことはわかってまして、このお手紙をさしあげました。どうかよろしくお願いします。
今日はそのことが書きたくて皆様方にお便りをさしあげました。
今日はこのへんで。
お返事ください。待ってます。
またお便りします。さようなら」というお便りとともに、署名が届きました。ありがとうございました。 なお、Fさんは冤罪とたたかい無実・無罪をかちとられた方です。

休載

 「明日の為の第三十四歩、
病気が長引いたために会社を解雇されてしまいました。できるところまで一緒に歩みます。
でも季節は春になりつつあります」
というお便りとともに二千円いただきました。ありがとうございます。一日も早く回復されますように。

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NEWS

ニュースNo173(2003年2月1日発行)

 

●ニュースNo173(2003年2月1日発行)◎本の紹介
大槻泰生さんから
追悼 友野幽さん

大井町ビラまき報告

東京高裁第3刑事部は検察官に証拠開示を命令せよ

□本の紹介

「なぜ、『あれ』が思い出せなくなるのか・・・記憶と脳の7つの謎」

「ほら、あれだよ。あれ」
「『あれ』ってなんですか?」
「だから、あれだよ、あれ。うーんと、なんだっけ。ほら、あれ」
「?」

「なぜ、『あれ』が思い出せなくなるのか」ダニエル・L・シャクター著  最近、富山さんは、固有名詞がなかなか出て来ないことがあるらしい。そういう人たちが本屋で見たら、たぶん、思わず手に取るだろうと思われる題名の本がある。
「なぜ、『あれ』が思い出せなくなるのか・・・記憶と脳の7つの謎」(著者=ダニエル・L・シャクター/訳者=春日井晶子/発行=日本経済新聞社/1600円)である。

〈身に覚えがある〉人たちに買わせるのに、出版社はなかなか効果的な題名を付けたものである。しかも、本の帯には、「みんなの悩みをずばり解決」「この本は、次のような人たちに効用があります」とあり、
・人の名前が思い出せない
・大切な約束を忘れてしまう
・鍵や預金通帳、メガネなどがよく行方不明になる
・ごく最近の出来事を覚えていない
・その話を誰から聞いたか、思い出せない
・仕事の失敗など、不快な出来事の記憶が頭から離れない
・記憶力が衰えたのは年齢のせいだと思っている
と列挙されている。

この題名と帯に牽かれて買った人が相当数いるのではないだろうか。実は、かく言う私も新聞の広告欄で目に留め、気にはなっていた。
この本を、富山再審弁護団の葉山先生から、「目撃証言に関することが書いてあるから、ぜひ読んでおいた方がいい」と紹介された。
読んでみると、題名から受ける印象とは大きく違い、「一般読者向けに、多くの具体例をあげながら記憶と心の関係をわかりやすく記している」(訳者あとがき)とはいえ、記憶に関する相当専門的な内容の本であった。
原題は“The Seven Sins Memory ”で、直訳すると「記憶の7つの大罪」となるそうである。「ただ、sinsのもつニュアンスは、キリスト教的な背景がない日本の読者にはじつに伝わりにく い」ので、本文中では「エラー」と訳してあるとのことである(「訳者あとがき」より)。
著者のダニエル・L・シャクター氏はハーバード大学の心理学部教授で、「記憶に関する研究の第一人者として知られる」と紹介されている。
本書では、記憶のエラーを「物忘れ」「不注意」「妨害」「混乱」「暗示」「書き換え」「つきまとい」の7つのパターンに分類し、「物忘れ、不注意、妨害 は、記憶が抜け落ちること、つまりなにかを思い出そうと努力しても、ある特定の事実、出来事、考えを思い出せない現象、注意散漫なときにしたことが後で思 いだせなくなったり、なにかが邪魔をして、思い出したいことがどうしても出てこない状態である」「(混乱、暗示、書き換え、つきまといは)記憶が不正確な ものに変わってしまったり、忘れたいと思っても忘れることができなくるケースである」として、各章でそれぞれ展開している。

第1章 なぜ、ずっと覚えていられないのか〔物忘れ〕
第2章 忘れっぽい人の研究〔不注意〕
第3章 あの人の名前が思い出せない〔妨害〕
第4章 デジャ=ヴュから無意識の盗作まで〔混乱〕
第5章 偽の記憶の誕生〔暗示されやすさ〕
第6章 都合がいい記憶、都合が悪い記憶〔書き換え〕
第7章 嫌な出来事が忘れられない〔つきまとう記憶〕

富山再審にも関わる部分は、第5章の「偽の記憶の誕生〔暗示されやすさ〕」である。
ここでは、「記憶は暗示の影響を受けやす」いこと、「暗示的な質問を受けると記憶の源泉で混乱が起こり、記憶が歪められる」ことが紹介され、例として、自分を襲った男を見つけだそうとしている被害者の例が載っている。

〈面通しの場〉
被害者「ああ、困った・・・。わかりません。この2人のどちらかです・・・。でも、わからない・・・。どうしよう・・・。2番目の男よりも少し背が高かった・・・。この2人のどちらかなんですが、わたしにはわかりません」

〈30分後〉
被害者「わかりません・・・2番目かしら?」
警察官「結構です」

〈数ヵ月後、法廷で〉
被告の弁護人「あなたはたしかに2番目だと思ったのですか? 不確かだったのではありませんか?」
被害者「不確かなんてことはありませんでした。確信がありました」

警察官の「結構です」という一言が暗示となり、被害者の記憶に影響を与える可能性が高いことが、心理学者のロフタス氏やウェルズ氏たちの実験の紹介を通して説明されている。
また、富山事件でも問題となり、再審で心理学者による鑑定書が提出された「凶器注目効果」について、「強い感情をともなう出来事が、ある種の記憶を薄れ させることがある」「(銀行強盗の現場に居合わせた人たちは)銃については後になって詳しく思い出すことができる。しかし、警察から犯人について尋ねられ ても、犯人の顔はぼんやりとしか思い出せ」ないことが紹介されていた。
また、「1998年初め、連邦司法省はウェルズを含む心理学者、警察関係者、弁護士による検討会を設立し、目撃証言を集める際のガイドライン策定に動きだした」ことなど、富山再審にとって大変参考になる本であった。
しかし、それだけではなく、記憶の持つ「エラー」について多少とも気がかりのある者にとって、なかなか興味深い本だった。

度忘れがもっとも頻繁に起きるのは固有名詞であり、その中でも人名がもっとも忘れやすいのだそうだ。
「パン屋のベーカーのパラドックス」というのがある。要約すると次のようなことである。
〈被験者を2つのグループに分け、知らない男性の顔写真を見せる。第1のグループには写真の人物の名前を教え、第2のグループには職業名を教える。重要 なのは、この場合の人名と職業名は同じ発音であること、つまり、人名グループには「ベーカー」と教え、職業名グループには「パン屋だと教える。その後、顔 写真を見せて教えられた情報を思い出すよう指示すると、名前より職業名が思い出しやすい。これが「パン屋のベーカーのパラドックス」である。ベーカーとい う名前は思い出せなくても、パン屋であることを忘れることは少ない。これは、「ベーカー」という人名がもたらす情報は名前だけだが、職業名「ベーカー」 は、パン屋についての既存の情報や知識からコード化しやすく、記憶しやすいからである。〉
確かに、人の名前は度忘れしても、その人が何をしている人かを「度忘れ」することは滅多にない。記憶するにはコード化が重要なポイントになるようである。
「第8章」で、著者は「7つのエラーはなぜ存在するのか」として、「それらは脳というシステムがもつ欠陥ではなく、むしろ優れた適応性なのではないだろ うか」「7つのエラーは適応性に富んだ記憶システムの副産物であり、さまざまな状況にうまく機能するために支払う対価のようなものだ」としている。
「忘れることこそ、環境に順応する一番の方法」「時間の経過とともに情報へのアクセスをむずかしくするという記憶のシステムは、非常に機能的だといえ る。というのは、情報へのアクセスが減るにしたがって、将来それが必要となる可能性はますます小さくなるからだ。必要な情報とのバランスを取るために、こ のような情報は端の方へ押しやられるので、物忘れが起こる」
「あらゆる出来事が、その記憶プロセスの重要性やタイプにかかわらず詳細に記憶されたらどうなるだろうか」「些細な出来事の記憶でいっぱいで、記憶を抽 象レベルで機能させることができな」い、「要約した情報を記憶することは分類や理解といった能力につながり、自分の経験を一般化し、秩序立てることが可能 になる」
自分にとって都合のいい記憶は覚えているが、都合のわるい記憶は忘れるというのは「記憶の書き換えが人生に満足感をもたらしてくれるかぎり、それは適応性のある認知システムの一部であると考えていいだろう」
そして、著者は最後に「記憶は現在のために過去を書き換え、現在の経験を将来必要となったときのために貯え、そして望むときに過去を再体験させてくれる のだ。ときに記憶は問題を起こすものの、それは欠点であると同時に長所でもある。記憶は、私たちの心と世界の間を時間を超えて橋渡ししてくれるのである」 と結んでいる。

他にも、「ホシガラスは秋に3万個もの種子を5000ヵ所に貯えて、翌春それらを食べるという恐るべき記憶作業をやってのける」ことなど、おもしろい情報にも富んだお勧めの一冊である。 (山村)

みなさんの大切な人を守り抜くために

大槻泰生

 富山保信さんが再審請求裁判をおこしてから長い年月がたちました。

いまアメリカは、世界最強の軍事力を背景に、世界中の国々を恫喝と懐柔をもって支配し、特に中東の石油資源を独り占めにしようと、核兵器の使用さえ画策 しています。また、自民・公明・保守の3党は失政の責任をわれわれ労働者階級におしつけて、アメリカの世界戦争計画へ公然と参戦しようとしています。そし て、小泉政権の侵略戦争計画に反対する人々への弾圧体制はますます強まっています。

富山さんは、反戦・反核・反差別のたたかいをたたかってきました。そのために、見せしめとして弾圧されたのです。目撃証人といわれる人たちの初期の証言 によれば、犯人の容貌や体格が富山さんの容貌や体格とは違うということは、犯人は彼ではないということにほかなりません。しかも検察官は証拠開示を一貫し て拒否しています。それは全証拠を開示すれば富山さんが犯人ではないということが明らかになるからです。
私は検察官に質問してみたい。証拠を開示しないということは、富山さんが真犯人ではないということではないのか?もし犯人だというのなら全証言、全物証を出して私たちを納得させてほしいと・・・。
いま権力は、マスコミを総動員して戦争反対を唱えている人たちを過激派と呼び、それらの人たちは反社会的行為をやりかねない、いややるだろうと宣伝して、夢よもう一度とばかりに戦争中の世論を再現しようとしています。
国家が行う殺人は英雄視され、個人が行った殺人は犯罪とされます。国家が行う殺人・戦争も犯罪であり差別です。しかもその被害者は労働者階級です。それをくいとめる力をもっているのも労働者階級にほかなりません。

私たちはさきの侵略戦争は正義のたたかいであり、お国のためだと、好むと好まざるとにかかわらず戦争へとかりだされました。そして多くの平和を愛する人 たちが弾圧されました。キリスト教徒も仏教徒も「不敬罪」という名目で弾圧され、国家総動員体制へと組み込まれました。いままたそれが着々と準備されてい るのです。戦争のできる国造りをめざして教育基本法の改悪が企まれ、有事法制の制定や大不況・大リストラ攻撃とたたかう労働者の団結を破壊するための法律 改悪、また介護保険制度や医療・年金・失業保険の改悪などの福祉切り捨てが襲いかかっていますが、これらは戦争への第一歩ではないでしょうか。

このように考えるならば、ことは富山さんだけの問題ではありません。平和を愛し、戦争に反対する気持ちから政府の戦争政策に反対した運動を権力は弾圧してきます。ひとり富山さんだけの問題ではないのです。
アメリカ・日本の石油強奪をねらった侵略戦争は、私たち全ての人権を蹂躙・剥奪しようと襲いかかってきます。私はそれを阻止しなくてはならないと考えています。

そのためにも全国各地で「検察官は隠している27人分の供述証拠を開示せよ」「裁判所は検察官に証拠開示を命令せよ」の請求運動・大署名運動を起こそう ではありませんか。富山さんの人権は私たちの人権でもあります。富山さんの人権を守ることは、私たちの人権を守ることでもあります。
二度と戦争は嫌です。みなさんの大切な子どもさんやお年寄りを守り抜くためにも、証拠開示の運動を起こそうではありませんか。
(おおつきやすお/反戦被爆者の会会長/「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」)

 

救援連絡センターからの年賀状

追悼 友野幽さん

昨年(2002年)12月25日深夜に「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」会員である友野幽(ゆう)さんが事故に遭われ、12月31日未明に生へのたたかいもむなしく亡くなられました。享年56歳。生前のご尽力に心から感謝するとともに、ご逝去を悼みます。

友野幽さん

幽さんへ

幽さん、被爆者青年同盟の代表であるとともに「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」の会員として再審実現のために尽力してくれた幽さん、まだまだやるべきことをいっぱい残して逝ってしまうなんて、あなたはなんというあわて者でしょうか。早すぎますよ。
幽さん、あなたの人生は茨の道でした。私が投獄中でしばらく留守にしていたためにひさしぶりに会ってからでも、命がけの闘病をやりぬいて生還してきまし た。驚嘆すべきは、その茨の道を歩むにあたって少しも弱音を吐かず、究極目標をしっかりみすえて、朗らかに、ひたむきにたたかいぬいたことです。見事な人 生でした。
幽さん、あなたと最後に会ったのはあなたが事故に遭う数日前でした。大槻さんにしっかり養生してもらおう、健康管理に留意してもらおうと話し合ったばか りではありませんか。そのあなたが大槻さんより先に逝ってしまうなんて、約束違反ですよ。約束違反をなじりたいのですぐ戻ってきてほしい、と言いたい。
幽さん、私たちが待ち望んでいた情勢が訪れつつあります。私の再審実現はもちろん人間が人間らしく生きられる社会の実現を目指す私たちのたたかい、人間 解放の事業は大きく前進しようとしています。あなたに負けないで、あなたの分までがんばります。いずれ再会する日まで、私たちのたたかいを見守っていてく ださい。

2003年1月3日  (富山保信)

  12月、1月と、いずれも署名は1名のみと、散々な結果が続いている。今回はうり美さんも風邪でお休みで、富山さんと2人だけである。頑張らねばと思う が、外は冷たい雨。どんどん激しくなっていく雨足を見ながら「あーあ、かったるいな」とつぶやくと、「体調が悪かったら喫茶店で休んでいていいですよ。私 が1人でやりますから」と、富山さんのやさしいお言葉。しかし、ここで「はい、そうですか」とはいかない。意地でも頑張らねばならない。
で、この日は富山さんがビラまきをし、その横で私が署名を集めた。その結果は5名。冷えきった体とは逆に心はちょっぴり温かくなった。わかってくれる人はいる。また、頑張ろう。 (山村)

 「明日のための第32歩目。あけましておめでとうございます。平成15年も一緒にお付きあいさせてください」というお便りとともに2000円のカンパを頂きました。ありがとうございました。

 ニュース読者のOさんから

「立春ももうすぐですね。富山さんをはじめ、みなさまの不屈の闘いに敬意を表します。不正は不正として、今年こそ再審を勝ちとりましょう。
全世界の労働階級と被抑圧民族と共に心をひとつにして闘うときです。
私もケアマネジヤーの仕事で気が抜けないのですが、共にがんばりたいと思います」