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ニュースNo172(2003年1月1日発行)

 

●ニュースNo172(2003年1月1日発行)◎新しい年を迎えました。(阿藤)
いまやらないでいつやるのだ (富山)
悲惨な時代を繰り返さないために(坂本)
大きな声で証拠開示を訴えよう (大槻)
新年のひと言 (ウリ美)

シンポジウム 「冤罪・誤判はどうしたらなくせるか・・・司法改革と証拠開示のルール化を考える」に参加して(山村)□大井町ビラまき報告 休載

今年こそ再審開始を!

東京高裁第三刑事部は検察官に証拠開示を命令せよ

大署名運動をやりぬこう

新しい年を迎えました。

みなさんにはお元気で新年をお迎えになられたことと存じます。私も今年はめずらしく元気で新年を迎えることができました。富山再審の勝利を勝ち取るたた かいも新しい年を迎え、「今年こそは」と心を新たにするのですが、どうしたことか東京高裁は九年間も放置したままです。私たち「かちとる会」のみなさん、 そして支援してくださる多くのみなさんよりも、無実の富山さんの心中を想うと何ともやりきれない怒りを感じます。この怒りこそ無実の罪を冤せられたものの みが知る怒りなのです。

富山事件の再審勝利への道しるべは明白に示されています。私もみなさんとともにがんばりますので、更なるご支援を心からお願いいたします。

いまやらないでいつやるのだ

このままでは日本も世界もやっていけない―もはや誰の目にも歴然としています。問題はどうするかです。私利私欲の集大成ともいうべき小泉政権は、破局・ 戦争に向かって舵を切りました。戦争は究極の人権蹂躙・人権否定であり、すでにまやかし「司法改革」というかたちで、再審請求どころか裁判すらうけられな くなる憲法否定・破壊・改悪のさきどりが行われようとしています。
いまほど一人ひとりの生き方、在り方が問われているときはありません。
「証拠を隠すな」「公平、公正な裁判をやれ」このきわめてシンプルな要求、証拠開示という具体的な問題提起をもって人間解放という普遍に連なる選択を訴 えていくたたかいの前進が再審無罪をかちとり、ひいては戦争を阻止する力を形成します。本気で、必死になって、あらゆるところに訴えてまわるつもりです。 よろしくお願いいたします。  (富山保信)

 

悲惨な時代を繰り返さないために

今日、定例会に来る途中、小学校の校庭で子供達が元気に走りまわっていた。
敗戦の時、僕は小学校六年生だった。僕らの子供の頃は、走りまわったり、あばれたりすると、腹の減るようなことをするなと親に怒られたもんだ。浜松町の 駅に小便小僧が立っているけど、戦後、親に連れられてそこを通った時、「浮浪児」を初めて見た。親も、帰る家も、食べる物もない。小学校五~六年生の子 だったと思う。食べるものがなくなるというのは本当にきつい。人間、ひもじいというのがどれほど辛いことか、経験した者でないとわからないだろうな。
空襲で壊れた家があっちこっちにあって、当時は燃料なんて他にないから、毎日、そこに薪を取りに行った。崩れた家には不発弾があったりして、知らないで 触れると時に爆発することがあった。ある時、後ろでバーンと音がしたので振り返ると、一緒に薪を取りに来ていた子が火ダルマになっていた。油脂焼夷弾と 言って、破裂すると火がついた油脂が飛び散ってそれが密着する。体についたのを慌てて手で払おうとすると今度はその手も燃え出す。熱いよー、熱いよーと転 げまわるが、火はどんどん広がっていってどうにもならなかった。
今日、校庭で走りまわっていた子供達を育てている親も戦争を知らない世代になっている。
戦争というのは、子供達が自由に遊べなくなる社会だ。戦争、戦争と小泉が勝手に力んでいるが、戦争がどういうものか、わかっているのかね。小泉が自分で 戦場に行くわけでもあるまいに。あの頃に戻しちゃいけないよ。それは戦争を知っている僕らがやらなくちゃいけないことだ。戦争を知っている世代が戦争の悲 惨さを次の世代に引き継いでいかなきゃならない。
富山再審のたたかいも、あの悲惨な時代に二度と戻さないためのたたかいだと思っている。
(坂本さん談)

 

■「かちとる会」に来た年賀状から(その1)
木下信男さんから
大井町のOさんから

 

大きな声で証拠開示を訴えよう

大槻泰生

 戦争が終結して五十数年の日時が流れました。原爆投下後帰らざる肉親の安否を気遣いながら、放射能によって射抜かれ灼かれた後遺症障害による入退院を繰 り返してきましたが、現在右耳の皮膚腫瘍(ガン)で手術をうけて入院しており、仲間の皆様方にたいへんご心配をおかけいたしております。
アメリカは、地球の資源を特に中東の石油資源を独占しようと、強大な軍事力を背景に国連に恫喝と懐柔をもってのりこみ、国々を屈服させ、反米政権イラク を「テロ支援ならず者国家」ときめつけて、民族皆殺しをねらった核兵器の使用を機あらばやろうと画策しています。
日本もそれに同調し、そのおこぼれをと公明・自民・保守の三党は、自分の失政をわれわれ労働者階級におしつけ、小選挙区制によって骨抜きにされた野党勢 力とともに、教育基本法・労働法等々の人権法を改悪し、憲法を無視・否定して、戦争の出来る国を夢見てわれわれ人民への弾圧体制の強化にのりだしてきまし た。
富山さんの再審請求は、再審を請求してから相当の日時がたっています。しかし、裁判所は結論をだしていません。それは富山さんがやっていないからです。
私たちは、一審の無罪判決を当然のこととして考え、そのために油断をしました。権力はその隙を狙って、新聞・雑誌・ラジオ・テレビ等のマスコミを使っ て、過激派ならやりかねない、いややるだろうと世論操作を行い、世間も「上見て暮らすな、下見て暮らせ」という人間の持つ優越感を権力の罠に操られ、でた らめな証人・証言をうのみにして真実を見失い、二審判決をゆるしてしまいました。
私は開示された証人の調書・証言は間違いであると確信しています。もしそうでない、正しいというのなら、警察・検察庁は開示していない調書の開示をすぐやるべきです。それができないということは、富山さんが無実だということの証明にほかなりません。
みなさん、声を出して証拠開示を訴えましょう。

(おおつきやすお・反戦被爆者の会会長・「無実の富山さんの再審無罪をかちとる広島の会」会員)

 

新年のひと言

あけましておめでとうございます。

毎年、この新年のひと言を書くにあたって、昨年はどんな一年であったのかいやでも振り返らされる。そしてまた、今年はどんな一年になるのかといやでも考えてしまう。三六五日の中で一日の数分間、そんなことに思いをはせる時間があってもいいかもしれない。
しかし、私なんぞは過去を振り返れば後悔だらけでため息がでてしまう。精神面のもろさから、がんばりきれなかった事が多々ある。それを一つ一つ挙げたら きりがない。では、どうすれば良いのかなどと人に聞いてみたところで、答など見あたらない。なぜなら答は自分自身の中にしかないからだ。
 そんな状態だから、昨年もいろんな人に支えられて今日の私があるのである。そのことには深く感謝したい。
さて、新年は年末の大掃除で力つき、年越しそばも食べずに寝てしまい、気がついたらもう年が明けていた。年賀状を眺めながら「元旦に年賀状が届くという ことは昨年の25日までにポストに入れている人なのよねえ。偉いなあ」などと感心しながら、あり余った時間をもてあましていた。不思議なもので忙しいとき はあれもしたい、これもしたいと思っているのに、いざ時間がたくさんあると何をしていいのか悩んでしまう。元旦だからいいか。
そんな正月の二日目、実家からこっそり逃げ帰って10時間ドラマ『忠臣蔵』をつい観てしまった。浅野内匠頭が最期の言葉として、ただ一人、大石内蔵助だ けに託した言葉「かねてより知らせておくべきところなれど、そのいとまなく、今日の成り行き、さだめし不審に思うであろう。ただ無念である」
この言葉を受け取った大石内蔵助が吉良上野介の仇討ちにいたるまでの経緯は実に興味深かった。最初は真意を悟られないように味方をあざむき、仇討ちの意 志などみじんも感じさせない振る舞いに敵はすっかり安心してしまう。実は虎視眈々と賢明かつ慎重にその日がくるのを待っているのだった。仇討ちの日、大石 内蔵助が叩く陣太鼓が吉良邸に響き渡った時は、見事あっぱれという気持ちにさせられるから不思議である。何度観てもおもしろいのはなぜなのか。
つい私が大石内蔵助だったらと考えてしまった。あそこまで賢明にできないにしても託された思いを感じ取るなら同じ生き方を選んでしまうかもしれない。だからお願いです。私には誰も何も託さないでね。
本年もどうぞよろしくお願いします。  (うり美)

 新年のあいさつで「私には誰も何も託さないでね」とおっしゃるうり美さんにとっておきのプレ ゼント―富山再審を「託そう」かな・・・などと冗談を言っている時ではありません。今年こそ再審開始を切り開くべく、これまで以上に力を集中しなければな りません。私自身、先頭で全力でたたかいますので、みなさんのご協力を心よりお願い致します。 証拠開示は、再審開始に向けた大きな足がかりです。昨年末、証拠開示の公正・公平なルール化を求める集会に参加しました。新年のひと言に代えて、以下、その報告です。  (山村)

シンポジウム

「冤罪・誤判はどうしたらなくせるか・・・司法改革と証拠開示のルール化を考える」に参加して

昨年十二月六日、『冤罪・誤判をなくすための証拠開示の公正・公平なルール化を求める会・準備会』主催によるシンポジウム「冤罪・誤判はどうしたらなく せるか・・・司法改革と証拠開示のルール化を考える」が東京・星陵会館で開かれ、富山さんとともに山村が参加しました。
この集会は、秋山賢三弁護士、指宿信・立命館大学教授、ルポライターの鎌田慧さん、庭山英雄弁護士、作家の灰谷健次郎さん、ジャーナリストの増田れい子さん、渡部保夫弁護士が呼びかけ人となって開催されたものでした。
呼びかけ人の一人である庭山英雄弁護士は、開会のあいさつで、「最近の裁判はひどいのではないか。えん罪がいっぱいあるのではないか。なんとかしなけれ ば」という危機感をもっていること、「私のように生涯を刑法と刑事訴訟法で暮らしてきた者にとっては、日本の刑事裁判における証拠開示の問題というのは、 最重要の問題で、これが解決できたら刑事訴訟法の問題の八割は解決できるのではないかと、えん罪も激減するであろうと考えていますが、残念ながら証拠開示 の問題は大きな国民的関心を呼んでおりません。このまま行きますととんでもない司法改革になる恐れがあるということで、みなさんに呼びかけを始めました」 と、この集会を呼びかけた経緯を語っておられました。
また、司会をされた鎌田慧さんも、「とりわけ再審事件では証拠開示がなされていないという問題がある。これはトランプのジョーカーを隠してゲームをやっ ているみたいな不正な方法。再審事件での証拠開示を求める運動を、市民運動レベルでの共通課題として広げていく必要があるのでは」と証拠開示の重要性につ いて提起されていました。
集会では、大崎事件(鹿児島)、日野町事件(滋賀)、名張事件(三重)、袴田事件(静岡)、狭山事件(埼玉)、松山事件および仙台筋弛緩剤事件(宮 城)、布川事件(茨城)の各弁護人から、それぞれの再審裁判(仙台筋弛緩剤事件は一審・仙台地裁)の現段階と証拠開示の実状が報告されました。いずれの事 件も日本における再審の焦点となっている事件です。これだけの事件の弁護人が一同に会したのはこれまでにないのではないかと思われます。また、会場には、 狭山事件の石川一雄さん、布川事件の桜井昌司さん、松川事件の佐藤一さんも参加されており、集会参加者も一〇〇名を越えていたようで、冤罪とたたかう人々 の間での、証拠開示問題への関心の高さを感じました。どの事件でも、検察官の証拠不開示がネックになっているようです。
各事件の弁護人からは、検察官による開示拒否=証拠隠しの実態が怒りを込めて報告されました。
「検察官は証拠開示に反対する理由として『関係者の名誉・プライバシーへの配慮』を言う。しかし、警察が、捜査に必要だが『関係者の名誉やプライバシー に配慮する』として証拠の収集を断念したことがあるか? 検察官が、有罪の立証に必要な証拠だが『関係者の名誉やプライバシーに配慮して』裁判に提出しな かったことがあるか? 検察官の『名誉・プライバシー』の論理は欺瞞にすぎない」「再審では、権力による不当な身体の拘束、不当な生命の剥奪が問題になっ ている。『名誉やプライバシー』のために、それらが犠牲にされるべきではない」(袴田事件)
「検察官は『弁護人は証拠あさりをしてはならない』と言った。弁護人が被告人の無罪を明らかにするために『証拠あさり』をして何が悪い。被告人に有利な 証拠を隠す検察官のやり方こそ犯罪ではないか。証拠開示は刑訴法の問題ではなく、正義が問われる問題と考える」(布川事件)
「再審事件の問題とは証拠開示の問題であり、証拠開示問題とは検察官の証拠隠しの問題」(庭山弁護士)
また、指宿信・立命館大学教授は、「学者として客観的な報告をと求められたが、これまでの報告を聞いて、証拠開示がほとんどと言っていいほどなされてい ない状況に、報告者や会場の方々と同じく激しい憤りを感じる。国連の査察チームが行くべきなのはイラクや北朝鮮ではなく、日本の検察庁ではないか」と発言 者への共感を示し、カナダやイギリスでは、誤判事件を教訓にして証拠開示がルール化されていること、どのようにしてルール化されるに到ったかを報告されま した。
それぞれの報告者の検察官の証拠隠しへの怒りに満ちた発言は他人事ではありませんでした。富山再審でも、検察官は富山さんの無実を示す証拠、富山さんは 「犯人ではない」とする目撃証言を隠し続けています。富山再審でも証拠開示は再審開始を切り開く重要なポイントです。証拠開示を突破口に、再審開始・再審 無罪をなんとしてもかちとりたいと思います。
『冤罪・誤判をなくすための証拠開示の公正・公平なルール化を求める会』結成趣旨にも、「冤罪を防止し、速やかに誤判救済をはかるために、検察官手持ち 証拠の開示が十分におこなわれなければなりませんが、現実には多くの再審事件が検察官の証拠不開示によって、困難を強いられています。こうした不公平で正 義に反する状態を改善し、わが国においても、通常審、再審請求手続きともに、証拠開示に関するルール整備は急務といえます」「冤罪防止・誤判救済、弁護側 の権利として証拠開示の視点をもった証拠開示の公正・公平なルール化をめざす幅広い運動をおこしていきたいと思います」とありましたが、個別事件で検察官 の開示拒否の壁を打ち破り、証拠開示をかちとっていくたたかいとともに、証拠開示のルール化を求める広い運動が必要な時と痛感しました。
みなさんのご協力をお願い致します。  (山村)

■「かちとる会」に来た年賀状から(その2)
桜井善作さん(月刊『野火』発行人)
神戸救援会議から
森研一さんから

■「かちとる会」に来た年賀状から(その3)

江戸川の櫻井さんから
大井町のTさんから

休載

休載

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ュースNo171(2002年12月1日発行)

 

●ニュースNo171(2002年12月1日発行)◎本の紹介、8・6ヒロシマを再現させないために(大槻泰生 )

大井町ビラまき報告

□□□ 本の紹介 □□□
『刑事裁判を見る眼』
(渡部保夫著/岩波現代文庫)
1000円+税
本書のⅢ章「刑事裁判を見る眼―誤判を防ぐために―」の「再審請求への逆風」で、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件などの再審開始・再審無罪判 決が続いた後、「一種の反動として、平成年代になりますと再審の扉が再び堅く閉じられ、再審請求はなかなか認められなくなりました。それだけでなく、再審 の請求をしても裁判所はなかなかその事件について判断をしてくれず、次々と裁判長が交替し現在五人目になるが、依然として判断してくれそうもない事件もあ ります(富山事件)。」と富山再審が係属している東京高裁第三刑事部の現状について取り上げてくださっています。
 

 

『〈うそ〉を見抜く心理学』

(浜田寿美男著/NHKブックス)
1070円+税

『自白の心理学』

(浜田寿美男著/岩波新書)
700円+税

本書の序に、一九六〇年代から七〇年代にかけて再審請求された事件のひとつとして富山事件も載っています。

8・6ヒロシマを再現させないために

  大槻泰生

一人の人間を「165センチ位、中肉」「174~175、ヤセ型」「165~170、ガッチリ」等々さまざまな証言のもとに開かれた裁判で、一審は「無 罪」二審では「有罪」の判断が出ました。そして今日まで、裁判所は再審請求をしてから8年間の間なんら真剣な取り組みをしていません。二審判決は、過激派 ならこんな事はやるだろう、やるに違いないという権力のマスコミを使った世論操作にうまくのせた見せしめ判決です。いま再審裁判を開始すれば、富山さんが 無実であり無罪にするほかないから引き延ばしているのです。

私はこのような裁判所の対応に怒りを持っています。

国連の国際人権自由委員会は、1993年に日本政府に対して弁護側へ証拠開示の保証を求めました。しかし政府側はその要請を無視し改善に従わなかったた めに、1998年に「弁護側が検察官手持ちの証拠にアクセスができるように法律及び実務において保証すること」と再度要請しています。過日の高裁の船戸訟 廷管理官は私の要求に「証拠開示命令を出してほしいという要請は第三刑事部には必ず伝えます」と答弁はしたが、「人権委員会で勧告が出ていることは承知し ています。しかし、証拠開示命令を出すかどうかは裁判官の判断です」と人権否定の回答をしました。私たちは「再審裁判の開始の運動」を全国的にあらゆる 人々と取り組み、検察官がどんな証拠を持っているのかわからない現状を打破しなければなりません。

軍靴の足音が日増しに強くなってきています。アメリカは、イラクをならず者国家と呼んで自分の野望に従わないフセイン政権打倒のためには核爆弾を使用し てでも石油資源を獲得しようと動き出しました。日本政府もそのおこぼれにあずかろうと、財布の中味まで掌握できる住民基本台帳背番号制を実施し、昔の国家 総動員法と同じ有事法制を制定し、大東亜共栄圏を夢見て、徴兵・徴用の準備にはいっています。このような人権否定・人権無視をゆるさない闘いを、私たちは なにがなんでもやりぬかなければなりません。

私はさきの侵略戦争を正義の戦争と信じて本気で行動しました。その結果が原爆投下でした。いまだに伯父たち肉親の行方はわかりませんし、私自身原爆の後遺症によって心身共に苦しめられています。

富山さんは反戦・反核・反差別の先頭に立って行動してきました。そのために権力にとって邪魔な存在です。だからデッチあげたのです。私はいまこそみなさ んに訴えます。真実は一つ、無実の富山さんの再審無罪をかちとろう、そのために「裁判所は検察官の持っている全証拠を開示させよ」の運動を起こそう。それ は二度と戦争を起こさせない近道です。8・6ヒロシマを再現させないために・・・。

 

 

今回は
亀・・・・・0
山村・・・・2
うり美・・・1
富山・・・・2
でした。

前回の「0」と違って、今回の「2」をご覧になった読者は、賢明にも昼休みではない時間帯だなと推察されたことでしょう。ご明察。
晴れてサンサンと日は照っていても寒い日でしたが、開始とともに一筆獲得で心は温々。やはりこの時間帯は私のものだし、きりりと引き締まった空気も私の ためにあるようなものだということを立証。あっちこっちの集会に出かけては「営業活動(署名集め)」に励んでいるのに、ここでがんばらねば認めてもらえな いので大変。「ここがロドス」ということで跳んでみました。
この日はビラまきと署名集めが終わって定例会会場に向かう途中で、三宅島の避難民激励と銘打ったバザーに遭遇。全員が道草を食って温かいつみれ汁に舌鼓 を打ち、幸せを満喫。花までもらって、寒さも疲れも忘れて定例会に臨むこととなりました。こういうこともあっていいでしょう。
次回も勝ちますぞ。
(富山)

 「明日の為の第三十二歩(あれ、そうだったかな)、手当が遅れているので、その分遅れました。
今回はお手伝いか何かの足しになりますように、次回どうなるかわからないので。
寒さに気をつけて。今年も終わりです。2003年もよろしくお願いします」
というお便りとともに2000円頂きました。ありがとうございます。来年もお元気でよろしくお願いいたします。

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ニュースNo170(2002年11月1日発行)

 

●ニュースNo170(2002年11月1日発行)◎「法と心理学会」3回大会参加報告
高裁前でまいたビラ
戦争は究極の人権否定 世界の人民とともにイラク反戦を

大井町ビラまき報告

9月20日 高裁前でビラまき

第三刑事部は私たちの申し入れに誠実に応えよ!

検察官に証拠開示を命令せよ!

高裁前でビラまきの写真1 高裁前でビラまきの写真2

【今回も大奮闘の坂本さん】

「法と心理学会」第三回大会参加報告  「法と心理学会」 の第三回大会が10月19日、20日の両日、神戸学院大学で行われたので、私と山村が参加しました。神戸学院大学というのだから、てっきり神戸の地で開催 だと思いこみ、出獄した翌日の1995年12月20日以来だ、あの時はまだ震災の傷跡が生々しかったがどうなったかなと大会プログラムで確認したら、神戸 ではなくて明石。でも、そんなことには少しもめげず「広島のアナゴご飯に負けないくらい明石もアナゴがうまいぞ」と期待に胸ふくらませて出かけました。さて、肝心の「法と心理学会」。今回は、一回・二回大会と異なって「富山事件」についての口頭発表はありません。

ワークショップは「目撃供述のガイドライン・目撃供述の聴取について」(企画責任・法と心理学会目撃供述ガイドライン検討会)に参加しました。「もうす ぐ学会は3年目を迎える。これを機会に、本学会は(目撃供述)ガイドラインの完成を目指した活動をあらためてはじめることにした」(プログラム)とあると おり、すでに『季刊・刑事弁護』第32号には浜田寿美男さん(花園大学)の「目撃供述ガイドライン作成のために①『目撃』はいかにして証拠たりうるか」が 掲載されています。
【具体例として「富山事件」をとりあげて、「7人の目撃者たちが複数回の事情聴取において、犯人の年齢をどう供述したか」「最初、『20歳から35歳ま で』の範囲でてんでバラバラに分布していた。ところがこの供述が最後には『24歳から28歳まで』という4歳差の幅のなかに収斂している。もちろん目撃 後、年齢の記憶が徐々に正確になるなどということは考えられない。とすればこの供述変遷をどのように理解すればよいのか」を分析。二審判決の「写真面割の 正確性を担保するための基準」を「現実の事件に当てはめるときの認定があまりに杜撰」「問題点を列挙する」「真っ昼間に路上で間近に目撃したからといっ て、簡単に目撃状況がいいとはいえない。この事件の場合犯人は4人、それぞれがどこで何をしたかを目撃記憶するのは容易でないし、現に証人たちの多くがそ の点に無視しえない混乱を来している。また凶器でもって殴り殺されるところを見るという強い情動場面の影響も無視できない。おまけに目撃証人のなかには視 力上の問題を抱えた人もいた。心理学上検討すべき点がいくつも指摘されているのにもかかわらず、判決はこれらを一切無視している」「写真面割りが早期に行 われるという基準については、それを満たした人もいたが、現実にはずいぶんとこれが遅れた人もいた。『なるべく多数者の多数枚による写真が使用されている こと』も、確かに多数枚の写真を見せたのだが、いずれも犯行声明を出した党派の人たちの逮捕写真ばかりで、目撃者はどの人物を特定しても『空くじ』なしの 状態だった」「とりわけ問題だったのは『写真面割りの全過程が十分公正さを保持していると認められること』『呈示された写真のなかに必ず犯人がいるという ものではない旨の選択の自由が識別者に確保されていること』である。実際の供述聴取、写真面割りの場面がまったく不可視の状態なのに、ただ取調官の法廷供 述のみをもってこの基準をクリアしていると認定した。そしてこの点にからんで、『以上の識別は可及的相互に独立した複数人によってなされていること』にし ても、『可及的相互に独立した複数人』によって目撃の供述・面割りがなされたとの保証はなく、むしろ捜査官を媒介にして7人の供述が影響しあっていること は、先の年齢供述だけでなく多くの論点でうかがわれた。捜査官が意図して誘導したとまではいわないにしても、『誘導』の事実はあちらこちらに垣間見られ る。しかし裁判所はその点を看過して、一般的な基準を掲げ、その基準をクリアしているとの形式的な判断を下して、有罪の判決を行い、またそれがのちに最高 裁で確定する。しかもその基準が実務上の成功例として後に援用されていく」と批判したうえで、「こんな様子を見ていると、まったく暗澹たる思いになって、 愚痴のひとつも言いたくなる。しかし愚痴に終わってよい話ではない。心理学の研究者としてこの世界に関わり始めた以上、その責任において私たちのガイドラ インを提案として提示していくことが、私たちの役割だと覚悟せねばならない」と決意が披瀝されています】
「設立準備シンポジウム(1999年12月)での提案をたたき台に、内容の順序にしたがい、順次検討を加える」という方法を採るということで、今回の ワークショップでは「初期の段階における目撃供述の聴取」をテーマにとりあげ、「目撃供述聴取に臨む基本姿勢」として「目撃供述の聴取全般にかかわって、 その捜査手続きを適正なものにするために必要な基本姿勢は、『仮説検証の姿勢を守る』ことにある」「被疑者目撃供述が指し示す仮説を事実として認定するに ついては、考えうるその他の仮説が明確に排除されなくてはならない。つまり被疑者目撃供述についてあくまで仮説検証的な姿勢をとることを基本原則するべき である(※何が『仮説検証的な態度』を妨げてきたのか? →見込み、経験や勘への依存、確信の問題)」そして「この仮説検証的な姿勢を堅持するためには、 次の3点を守らなければならない」と「1〈全手続き過程の厳正化〉被疑者目撃供述が聴取される過程、また被疑者との同一性識別の手続き過程はすべて、誘 導・暗示の効果を排除すべく、できるかぎり厳正化されなければならない。供述という人的証拠は、物的証拠と違って、聴取者の質問の仕方、取り調べや手続き の状況によって左右されやすい微妙な証拠だからである。とりわけ容疑者を絞り込んで後に、その容疑を固めるべく証拠集め(有罪を示唆する証拠を選択的に収 集する)するというような発想はきわめて危険であることを心得ていなければならない。供述の聴取や識別手続きという証拠収集の過程そのものが仮説検証であ ることを銘記すべきである」「2〈全手続き過程の可視化〉」「3〈全手続き過程の記録開示〉」の3点があげられた提起に具体的提案を加えて議論を深めるこ とが目指され、日本の刑事裁判の実態たるや科学的知見とは無縁で、心理学者にとっては「信じがたい」の連続という驚くべき現実があらためて突き出されるな かで、これをいかに克服するかの原理的確認、方法論の確立が急務であるがその困難さもまた厳しい現実であることなど山積する課題がいっそう鮮明になるとと もに、この学会の存在理由と成長・発展が望まれる根拠も浮き彫りになりました。法学のコメンテーターからのこの5年で10件の無罪判決があったという紹介 に対して、会場から無罪率から推測すればその何百倍ものえん罪に泣く人がいるという指摘があるなど活発な意見の応酬があって、司法の現実への憤りがいかに 激しいかを物語る場となりました。幾人か参加されていた若い研究者や学生諸君は、少なからぬ知的刺激を与えられたのではないでしょうか。私も当事者という ことで「事件と裁判の実態、内容、とりわけ目撃供述聴取の様子と供述調書の隠匿・開示拒否という事実が知られていない。知らせる努力が足りないと実感して いる。広範な民衆にきちんと知ってもらい、理解してもらえば証拠開示・再審開始の展望は開けると考えている」旨発言させてもらいました。

ポスター展示も興味深いテーマがいくつかあったうえに、鑑定をお願いしている心理学者の方の学識の一端に接するチャンスまであって、充実ということばがふさわしい雰囲気で頭に栄養を補給しながら懇親会に参加しました。
前二回に比べると、会員も増え、実体も整ってきたが、今後も変わらず発足時の熱意が堅持されることを祈念しつつ帰途につきました。
お目当てのアナゴは、アナゴづくしを鱈腹食べてきました。おいしかったです。頭もおなかもごちそうさまでした。 (富山)

(高裁前でまいたビラ 表)

無実は無罪に  富山保信さんは無実だ

再審請求を8年3ヶ月も放置

東京高裁第三刑事部は事実審理を開始せよ
検察官に証拠開示を命令せよ

 みなさん、現在東京高裁第三刑事部に係属している富山保信(とみやまやすのぶ)さんの再審事件(「富山事件」)は、再審請求からすでに8年3ヶ月がたと うとしています。その間に次々と裁判長が交代して、現裁判長の中川武隆裁判官で5人目です。交代する度に審理はやり直しを強いられます。こんなことがゆる されてよいのでしょうか。これでは再審制度は絵に描いた餅も同然です。再審においても、いや再審だからこそ「公平な裁判所の迅速な」裁判をうける権利が いっそう保障されるべきだと思います。
私たちは、今年6月28日に高裁第三刑事部に7度目の申し入れを行いました。しかし、第三刑事部は、裁判官のみか書記官すら、私たちだけでなく富山さん にさえ会おうとはしませんでした。依然として証拠開示命令も出されなければ、事実審理が開始される様子もありません。はたして私たちの申し入れは裁判官に 届いたのでしょうか。それを確認することすらできない状態です。
日本の裁判所は、東京高裁は、第三刑事部は、いったいどうなっているのでしょう。こんな裁判所の、こんな有様で、私たちの人権は守られるのでしょうか。おおいに疑問です。
富山さんは一貫して無実を訴えています。「公平らしさ」「法の安定性」を言うのならば、高裁第三刑事部は最低限、《検察官が隠し持っている証拠の開示命 令》を出すべきです。「日本の刑事裁判を血の通った信頼できるもの」にするためにも、私たちは証拠開示命令そして一刻も早い再審開始を求めてやみません。
みなさんのご支持、ご協力、ご注目を、心からお願いいたします。

富山さんは無実だ!一日も早い再審開始・無罪判決を

1974年10月3日、品川区東大井で「殺人事件」が発生しました。この事件の「犯人」として、翌年1月、富山さんが逮捕されま したが、彼は一貫して「自分はやっていない」「事件があった時刻には池袋にいた」と無実を訴え続けています。アリバイは弁護士の調査によって裏付けられま した。
捜査当局が富山さんを犯人だとする根拠は、偶然、事件現場を通りかかった人々の目撃証言だけで、他に何の証拠もありません。
裁判の主要な争点は、この目撃証言の信用性です。しかし、目撃調書だけでも「34人分ある」(法廷での捜査責任者の証言)はずなのに、7人分しか開示され ていません。しかも、いずれの証人も当初は富山さんとは似ても似つかぬ犯人像を供述していたのが、取り調べを重ねるにしたがって富山さんに似た犯人像を述 べ始めます。
一審は、この変遷には取調官の暗示・誘導が窺えるから信用できないと無罪を言い渡しました(1981年3月)。ところが、二審は、取り調べた警察官の 「暗示・誘導はしていない」という主張を根拠に逆転有罪(懲役10年)を言い渡しました(1985年6月)。警察官が「私は暗示・誘導しました」と正直に 言うでしょうか。冤罪が後を絶たないという厳然たる事実は、警察官が真実の証言などしないことを証明して余りあるのではないでしょうか。最高裁は「事実誤 認の主張だから上告理由にあたらない」と門前払いしましたが、無実の人間が投獄されかけているから救済せよ、真実を究明せよという主張ほど上告理由に相当 するものはなく、門前払いは職責放棄というものです。服役を余儀なくされた富山さんは、獄中から再審請求を行い(1994年6月20日)、1995年12 月19日の満期出獄後も無実を訴え続けています。

無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会
(東京都港区新橋2-8-16石田ビル・救援連絡センター気付)
電話・FAX 03-3591-1301
ホームページのアドレスは、
http://www4.ocn.ne.jp/~tomiyama/
メールアドレスは、
tomiyama@io.ocn.ne.jp

 

(高裁前でまいたビラ 裏)

高裁第三刑事部は私たちの申し入れに誠実に応えよ

申し入れ書(ニュースNo166掲載参照


裁判所は検察官に証拠開示を命令せよ

 私たちは6月28日の申し入れにおいて富山さんの申入書(右記)を提出するとともに、いっしょに参加された阿藤周平さん(八海事件元 被告)が「富山さんも私も裁判所を信用する。なぜか。それは無実だから。その、裁判所を信用する心を裏切らないようにお願いします」と「すみやかに正しい 裁判をしてほしい。正しい裁判をすれば、この事件がえん罪だとわかります」という要望書を提出し、参加者一同「公正な裁判のためには、(裁判所は)すべて の証拠を見る必要がある」「一人の人間の無実がかかっている。本気になってほしい」と訴えました。

再審請求からすでに8年3ヶ月、もはやこれ以上の放置はゆるされません。
「(証拠の)すべてを見て磐石の審理のもとで判決を出してほしい」「確定判決の是非を問う再審なのだから、すべての証拠を開示して判断すべきです」(富 山さん)という切実かつ当然の訴えに、いまこそ高裁第三刑事部は応えるべきです。 私たちの申し入れに誠実に応えてください。

検察官に証拠開示を命令してください。

戦争は究極の人権否定

世界の人民とともにイラク反戦のたたかいを

イラクのこどもたちを殺すなポスター 12.1有事法制廃案へ集会ポスター

12.7労働者のつどいポスター12.8日比谷野音集会ポスター

大井町ビラまき報告

今月の大井町での署名集めは
亀・・・・・3名
うり美・・・2名
山村・・・・1名
富山・・・・0名
でした。

11月27日に開かれた「国労団結祭り」では、富山再審の証拠開示を求める署名とともに、木下信男先生からの要請で横浜事件の再審開始を求める署名もお願いしてまわり、183人の方々から署名していただきました。

大井町のYさんから

花の絵 大井町のYさんから

「明日のための第三十一歩。暑さと寒さと雨の差の変化が大きい今年の秋、傷病手当支給中の中、応援します」

というお便りとともに2000円頂きました。ありがとうございます。一日も早くお元気になられますように。

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ニュースNo169(2002年10月1日発行)

 

●ニュースNo169(2002年10月1日発行)◎6・29集会での
阿藤さんの講演
櫻井さんのあいさつ

大井町ビラまき報告

集会報告

  富山さんの再審でも検察官に証拠を出せと言っても絶対に出さない。やはり裁判所に、再審が係属している第3刑事部の裁判官に提出命令を出させる必要があ る。検察官が隠し持っている証拠が出れば、再審開始は決定的です。そこまでもって行くのはみなさんの力だと思います。私たちが一緒に要請をする。国民の声 いうのは力強いものなんですよ。

真実より強いものはないという信念。これがあるから富山さんと僕は一緒に闘うことができるんです。

  今度来る時には富山さんの再審開始決定の時に来たい。必ずそれが訪れると思っています。その時にはみなさんとともに、やはり真実は強かったと、みんなの団結が、盛り上がった運動が強かったんだということを再確認したいと思います。 (6・29集会での阿藤さんの講演から)

 真理は真理として実現されなければいけない

自分たちの未来は自分たちで切り拓くんだ  (6・29集会での櫻井さんのあいさつから)

集会報告□6・29集会報告

阿藤さんの講演

裁判所への申し入れ

  みなさん、こんばんは。私は一昨日東京にまいりました。なぜ一日早く上京したかと言いますと、昨日、東京高裁へ早く再審を開始するよう抗議に行ったわけで す。その時、僕はびっくりしたんですよ。裁判所に入る時、身体検査をするんですよ。空港みたいにね。僕のボストンバックも全部機械に通すんですよ。びっく りしましたね。なぜそこまでするのか。私は裁判所は、私たちの身近に感じる裁判所であってほしいと考えていますが、裁判所が国民から離れていっているよう に感じました。
私は富山事件を審理している部の書記官ね、第3刑事部の書記官が会ってくれると思ったんです。ところが、実際に会ったところ、全然関係のない裁判所の職 員。裁判所の規則で担当部の書記官は会わなくなったというんです。これではいくら説明したってわからない、説明のしようがないです。私は要望書を書いて来 ましたので、八海事件の元被告阿藤周平ですと出して何度も強く言いました。これを必ず第3刑事部の書記官を通して裁判官に読んでもろうてほしいと。何べん にもわたって念を押しました。そうでなかったら私が要望書を書いたのが無駄になりますから。
八海事件の時、審理をしていた最高裁の判事は5人です。被告の家族がその裁判官の官舎へ会いに行ったんです。僕の家内や他の被告の家族が押し寄せる。私 はその時、ちょうど獄中(なか)に入っていましたからね。さすがに裁判官は会ってくれませんね。しかし、その代わりに奥さんが会ってくれたそうです。女房 が1歳か2歳になる子をおんぶして訪ねた。暑い時です。口頭弁論の前の時です。すると、判事の奥さんがね、ジュースを出してくれたそうです。暑かろう言う てね。きっと、その奥さんは夕食の時に、旦那さんの判事さんにね、実はこういうことがありましたと、必ず話に出ていると思うのですよ。私たちの時の裁判所 はそういう雰囲気があった。35年位前なんですが、それが今は身体検査ですよ。今の裁判所を身近に感じろって言ったって、感じられるわけがないんですよ。 そういう国民から離れた裁判所が誤判を生み出すんですよ。えん罪を生み出すんです。

権力に対する怒り

  八海事件から50年経ってます。八海事件が起きたのが私が26歳の時です。私はもう75歳です。しかし、私は逮捕から始まって今までのことをずっーと忘れ たことはありません。昨日のことのように警察の拷問の取り調べが蘇ってきます。絶対忘れられないですよ。私は警察官も検察官も絶対信用しない。今もって警 察の制服を着た人間を見ると虫酸が走るんですよ。そこまで、骨の髄まで私は権力に対して憎しみを持っているんですよ。その怒りをみなさんに知っていただき たい。
  山口県で起きたえん罪事件で仁保事件というのがありましたが、私の無罪が確定してから、仁保事件の実地検証に参加したことがありました。八海事件の当初の 捜査主任が三好という警察官でしたけれども、それが栄転して今度は仁保事件の指揮を取っているんですよ。で、山口の県警本部に僕、行きました。その三好と いう警察官に合わせてくれと仁保事件の支援の人たちと行きましたら、三好は阿藤君一人とやったら会うと、じゃあ僕一人でけっこうですと行ったところが、三 好ね、僕に頭下げました。阿藤君すまなかったと。しかし、それは自分の良心に対する気休めだったと思うんです。僕に対して本当に謝ったんではないと思う。

証拠を隠す検察官・・・裁判官は証拠開示命令を!

みなさんに何べんもお話するんですけれども、八海事件で検察官は自分の面子で、罪のない者を有罪にして、何が何でも犯罪者に仕立 てあげて、死刑に持っていこうとした。その一番いい例が八海事件の偽証問題です。1審死刑、2審死刑で、そのあと最高裁は有罪にしたのはけしからんという て差戻しになったんです。差戻審の広島高等裁判所の審理の途中で、6~7年経った時、検察官は地元の警察を動員して証拠の洗いなおしをするんです。それも 自分の都合のいいように証言をとるわけです。物証がないから証言なんです。私たち被告に有利な、真実の証言をしている人を偽証罪でしょっぴいた。3人もで す。そして、20日も22日も勾留して、今まで申していたことは嘘なんです、本当はこうなんですと検察側に都合のいい証言をさせて、そして偽証罪で起訴す る。そして、その証言を今度は八海事件の裁判に持ってくるわけです。それでもやはり第1次差戻審の広島高裁はそんなものはだめなんだというんで蹴ったわけ です。
ところがそれに飛びついたのが2度目の最高裁です。ご存知のように松川事件の裁判長だった下飯坂という裁判長です。それがけしからんことに、なぜこうい う偽証の、無罪を有罪にするような新証拠が出て来ているのになんで無罪にしたんだということで、無罪判決を破棄してまた広島高裁に差戻したわけです。この 第2次差戻審の広島高裁で僕はまた死刑にされ収監されたわけです。
そのあと3回目の最高裁に行くわけです。最高裁の小法廷は3部あるんです。第1小法廷、第2小法廷、第3小法廷とあるんです。八海事件はその全部をま わったわけです。最初が第1小法廷。これは無罪にしろということで差し戻した。次は第3小法廷。下飯坂裁判長は有罪にしろということで差し戻した。最後が 第2小法廷だったんです。3回目の最高裁。その時の裁判長が奥野という裁判長でした。ふつうは最高裁は自判しないで高裁に差し戻すんですが、八海事件はも う17年も、18年もかかっている。これ以上審理を続けても新しい証拠は出てこないし、今の新証言も有罪の証拠にはならないと、被告にされている人たちを 長く被告の座に据えて置くのは忍びないというので、最高裁が直々に無罪判決を言い渡したんです。
なぜ八海事件がそこまで長引いたかというと、検察官なんです。検察官に全面的な責任がある。最高裁が差し戻して、広島高裁で無罪になっている。にもかか わらず、検察官がそれを無罪ではないと言って再上告するわけです。それがなければ八海事件は17年も18年もかかっていないんですよ。7年か8年で終わっ ているはずです。そういうことを検察官はやっているわけです。昔もそうですが今も、そういうことをするのは検察官は朝飯前なんですよね。なんとも感じてな いんですよ。えん罪であろうとなんであろうと、自分たちの面子だけなんですよ。自分たちの面子を守りたいんです。警察から送られて来た、起訴した。そうす ると検察一体の原則で、ずっとそれを守ろうとするんですよ。裁判をそこまで持っていくのは検察官なんですよ。
偽証罪にされた人たちは悲劇でした。3人の偽証罪にされた人は有罪が確定している。検察官は懲役6月、但し執行猶予付きの求刑をしているんです。裁判所 はそのまま執行猶予にして有罪が確定している。ところが本体の八海事件の方は無罪が確定しているわけです。一番ひどかったのは、山崎という巡査でした。被 告人の久永が事件に加担するには時間的に不可能という証言をしたわけです。そしたら検察は偽証罪で逮捕して、有罪になって免職ですからね。恩給が付く12 年前ですから、もう何にもないですわね。そこまでするんです、検察庁は。
だから昨日も、僕は東京高裁に行って、出てきた裁判所の職員に言ったんですけどね。富山さんの事件でも、未開示の証拠を出せと言っても検察官は絶対に出 さないですよ。それを出させるのが裁判所なんですよ。裁判所は検察庁に対して手持ちの証拠があるんだからそれを出せと、提出命令を裁判所が出したら検察官 は出さざるを得ない。
八海事件の真犯人、吉岡いうんですけれども、これが3回目の最高裁の時に、良心の呵責で阿藤たちは無罪なんですと、何もやってないんですと、引きずり込 んで誠に申しわけありませんという上申書を19通も出している。最高裁、検察庁、弁護人と、3ヵ所に19通書いているんですよ。それを広島刑務所は発信し ないで握り潰していたんです。そして、そんなものを書いたというんで吉岡は懲罰房に入れられた。吉岡にも良心がちょっと片隅にあったんだと思いますよ。な んとかしてこれを最高裁や検察庁へ渡したいという一念から、満期で出獄する人に口頭で頼んだ。これはちょっと止めることはできないですわね。出獄した人が 広島の原田香留夫弁護士の所に行って、実はこういう事実があったんだと。それでも検察官は出さない。それで、当時、八海事件の弁護人に参議院議員がおられ た。その方が国会の法務委員会で法務省の役人を呼んで確かめたら確かにあると、しかしそれでも出さないということでした。最終的にその上申書が世に出たの はやっぱり裁判所なんですよ。裁判所が法務省に対して提出命令を出したわけです。それで検察官は出しました。ぞろぞろって19通出しました。他にも無罪の 証拠があって、それが決定的な証拠ではないんですけど、これが一つの力になっているのは間違いないです。
富山さんの再審でも検察官に証拠を出せと言っても絶対に出さない。やはり裁判所に、再審が係属している第3刑事部の裁判官に提出命令を出させる必要があ る。検察官が隠し持っている証拠が出れば、再審開始は決定的です。そこまでもって行くのはみなさんの力だと思います。私たちが一緒に要請をする。国民の声 いうのは力強いものなんですよ。

正しい裁判を

八海事件では、『真昼の暗黒』という映画で多くの人たちが私たちのことを知ってくれました。あれは本当は東映が映画化する予定 だったんです。ところが最高裁の事務局が東映に審理中の事件を映画化するのはけしからんという圧力をかけた。東映は手を引いて止めてしまった。それが俳優 さんたちの手弁当でできあがった。今は亡くなられた飯田蝶子さん、左幸子さん。山村聡さん、芦田伸介さんもおられたね。その方たちは全部手弁当でやってる んです。労働組合からも300万円かなんか借りて、そしてできたんです。ところができたのはいいけれども、当時は映画は配給なんですよ。制作した独立プロ は配給権を持ってない。東映とか松竹とか系列の映画館はないんですよ。だから、例えば区立体育館とかね、そういうので代わりにしたんです。ところがそれが ベストセラーになりましてね、多くの映画の賞に輝きました。外国でもリボン賞なんとかいう賞も獲得しているんですよ。そういうのを裁判所は恐れるわけで す。国民の声を恐れるわけです。
だから昨日も私たちが東京高裁に申入れに行ったのは、これは非常に有効なんですよ。私は少しも裁判所に圧力をかけようとは思っていません。書記官にも僕 は言いました。無罪にしろとは一切私は申しませんと、とにかく調べてくれと、慎重に調べたら、富山さんが無罪であることが必ずわかる。正しい裁判をしてほ しいと、僕はいつでもそういうふうに裁判所にお願いするわけです。

八海事件の裁判官

八海事件は7回、裁判所を行き来しました。7回でね、裁判官が27人。1審で3人、広島高裁に3度行っていますから9人、最高裁 の小法廷は5人ですから、第1、第2、第3と15人。八海事件にタッチした裁判官は全部で27人です。その27人が同じ証拠を見るんですよ。同じりんごな らりんごを見るわけですよ。なのにそれが見る人によって違うんです。これはりんごだと言う人もいるし、いやいや違う、梨やと言う裁判官もいる。一方は無罪 にしろと言う、一方は死刑にしろと言う。これは恐ろしいことです。受ける側の僕は死刑と無罪を行ったり来たりですから。私、死刑判決を3回受けているんで すよ。裁判官に予断や偏見がなければ必ず同じ答えが出ると思うんです。だけど偏見を持っている裁判官はやはり梨と言う。
八海で一番ひどかったのは、1審の時です。もう何年なるんですか、50年位なるんですかね。山口地裁の岩国支部で、そこは裁判官は3人か4人しかいない 所です。最初は白井という裁判長でした。それが定年退官して、それまで右陪席だった藤崎という裁判官が裁判長になった。そして、現場検証といって、私たち を現場に連れて行くんですよ。私たちはやってないんだから、行ってもいない現場になんで行くんだと、行く必要ないと言っても、まあいいから付いてくるだけ 付いて来いとね。そうしたところが、役人が僕たち4人の代役するわけです。僕と同じ目にあった松崎というのがいました。最年少で当時21歳でした。藤崎は 休憩の時に松崎を呼んでね、本当のことを言えと、本当のことを言ったらお前は見張りだけだから刑が軽くなる、阿藤に付いて行ってそんな強情を張っていると 刑が重くなるぞと、こう言うわけです。松崎がこういうことがあったと言って後でわかったんですが。そういう裁判官に判決させたらもう答えは出ているのと同 じです。藤崎という裁判長は、その後、八海事件について「裁判官の弁明」という本を出しました。そして、退官した後、郷里の福岡に帰って公証人になって、 その後参議院議員に立候補しました。その時の自分がなぜ立候補したかという政見放送の中でなんと言ったか。八海事件は今でも有罪ですと、参議院議員立候補 の政見放送で言うわけです。その時に、正木先生が、阿藤君、何票取るか見ていてみいと言ってましたが、30何票か40票でした。そういう裁判官が今でもい るかもわかりませんよ。

裁判所を揺るがす大きな運動を

再審を開始するためには、みなさんの力が必要です。一人ではだめです。真実を守る砦になるのはみなさんの声です。富山さんの再審 も、裁判所を揺すらんとあきません。揺するって言っても圧力をかけるんじゃなくて、これだけ国民のみなさんがこの事件に注目しているんだと、慎重にやらな ければならないということを突きつけるわけです。
八海事件では大きな運動がありました。正木ひろし先生が書いた『裁判官』『検察官』、そして、それが『真昼の暗黒』という映画になって全国的に広がった んです。それで第1回目の差戻審で無罪になったわけです。その時は、八海事件の被告と家族を守る会の大きな輪があったんです。支援の輪が。ところが無罪に なったことで運動が消滅したんです。やれやれ無罪になった言うて運動は断ち切れ。その運動がなくなった隙を狙って、八海事件はまた元の木阿弥にもどったわ けです、死刑にせよと。そして、今度は高等学校の先生たちのグループが立ち上がって八海事件の守る会ができて、それが大きな運動になった。当時、神戸の高 等学校の先生、社会科の先生が、授業で何をするかというと、映画の『真昼の暗黒』を高校生に観せる。それも私立ではなくて公立の学校ですよ。今だったら考 えられないですよ。免職になりかねないでしょう。今の教育委員会ではね。あの当時は、自分の受持ちの生徒に、社会科の授業で八海事件の映画を観せるわけで す。そして、この被告の人たちは無実だと、こんな裁判を許してはいけないんだと教えたわけです。堂々とね。そういう時代だったんです。僕はそれが正しいと 思いますよ。正義と不正を若い学生さんに教える、その方がわけもわからんことを教えるよりよっぽど勉強になると僕は思いますよ。人間としての勉強になると 思います。

死刑は絶対反対

先ほど木下先生が言われたようにえん罪はいまだになんぼでもあるんですよ。僕が知っているので死刑事件のも四つあります。私、無 罪になった時に約束したんですよ。獄中日記の最後に締めくくった言葉ですが、今もその言葉は変わりません。私がこの18年間無実で苦しんだその苦しみ。無 罪が確定したのは私が46才なんです。逮捕されてからその間の青春はえん罪で蝕まれてしまった。その青春を取り戻すとしたら、それはえん罪事件が起きなく なった時でしょう。そこで私は初めてこの18年間の苦しみが報いられます。そう書きました。しかし、なかなか、それは私が死ぬまで無理のようです。えん罪 はなんぼでも出てきます。
波崎事件の富山さん。もう80何歳ですよ。ずっと獄中です。法務省は帝銀事件と同じようなことを狙っているんだと思います。法務省は刑の執行をようやら ん。なぜかと言うと無実だからです。だから、言葉は悪いですけど、獄中で命が消滅するのを待っているんですよ、平沢さんのように。これは絶対に許せないで すよ。再審というのはまだまだ道は遠いです。針の穴より狭い。毎日毎日、独房でいつ執行になるかという恐怖の中にいる。
私が広島の拘置所に居た時に、7人、死刑の確定者がいました。私は死刑判決を受けていましたが、まだ被告で確定していませんでした。だけど死刑が確定し た人はいつ執行されるかわからない。死刑の執行というのは、私はあまり語りたくない。当時を思いだしてね。あいさつに来るんですよ。看守もそれは許してく れたわけです。房の食事とか差し入れを入れる小さな口が、穴があるんですよ、食器口と言ってね。そこから死刑囚が、執行される朝、大抵朝の9時半頃です が、自分が持っていた石けんとかタオルをね、これを使って下さいと言ってくれるわけです。遺品ですね。向こうは阿藤君頑張ってやと、よく知っているから激 励してくれるけど、僕は何も言えません。世話になったなぁ言うて。手の温もりが伝わってきます。多いときには一日に2人が執行されました。
だから、僕は今もって死刑には反対なんですよ。絶対反対なんです。それがもしえん罪だったらどうしますか。取り返しがつきませんよ。今までの日本の裁判 でえん罪で処刑された人は僕は必ず存在すると思います。だから私は死刑に絶対反対なんですよ。もし私が死刑が確定して処刑されて、後から阿藤は無実だっ た、えん罪だったと言って私の命は帰りますか。

真実より強いものはない

私は拘置所でキリストを信仰した時があります。死刑の判決を受けて上告している時に、聖書を差し入れてくれた。どういう気持ちで 差し入れたかわかりませんが。教戒師が一週間に一遍来るわけですが、僕は何もやっていないのになぜみんなと一緒に教戒を受けなければならないんだと怒りま して、僕だけ別に教戒を受けました。
そしたら河相という裁判官が何と言ったと思います。被告尋問の時に、僕に問いかけるんです。阿藤、なんで君はキリストを信仰したのかと。河相裁判長が僕 に問いかけたのは、お前は罪を犯して悔い改めるために、死の恐怖から逃れるために神にすがっているだという前提で私に尋問しているんですよ。これには僕 びっくりしましたね。それで僕は信仰をやめました。やっぱり私が信用するのは自分の真実なんですよ。それ以外ないんですよ。真実より強いものはない。
富山さんがここまで闘ってこられた。もちろん支援は大きな力になります。しかし、本人の中に自分はやってないんだという柱がちゃんと体の中に組み込まれているんですよ。根深く、抜いても抜けない杭があるわけです。僕にもその杭が今もってありますよ。
真実より強いものはないという信念。これがあるから富山さんと僕は一緒に闘うことができるんです。2人とも全然気性は違うんです。タイプが違う。だけど も警察に対する怒り、自分が無実だという固い信念を持っています。それで私はえん罪事件の支援をすることができるわけです。そして、皆さんとこうしてね、 お話もできるんですよ。
私は明日、正木先生のお墓にお参りしてそれから帰りますけれども、大阪に帰っても私はできるかぎり、命のあるかぎりはえん罪事件と闘いたいと思います。 私は今75歳です。私、もうちょっと長生きしようと思いますけどもね。今度来る時には富山さんの再審開始決定の時に来たい。必ずそれが訪れると思っていま す。その時にはみなさんとともに、やはり真実は強かったと、みんなの団結が、盛り上がった運動が強かったんだということを再確認したいと思います。
八海の場合もそうです。真実が勝ったのはみなさんの力なんですよ。僕一人の力じゃない。弁護士の力もさることながら、やはり、多くの人の力があったから こそ八海事件は勝利したわけです。富山さんの再審の扉を開くために、みなさんとともに闘ってまいりたいと思います。どうか今後ともよろしくお願い致しま す。

集会報告6・29集会報告

桜井さんのあいさつ

 こんばんは。部落解放同盟全国連合会の江戸川支部の桜井と申します。
こうやって僕だけゼッケンを着けて立つのって、大変恥ずかしいんですけども、これは別に杉並支部の田中支部長に今の特別抗告審の闘いを訴えてこいと言わ れたとか、本部の瀬川さんに頼まれたとかということではありません。また、その力は今の私にはまだありません。これからそういう力もつけようと思っていま すけれども、まだありませんので、ただ個人的な理由でゼッケンを着けさせて頂いています。

と申しますのは、私が全国連合会、解放運動に立ち上がる以前、何にもしていなかった頃と言いますか、苦しい頃が何年かありました。若い時は三里塚闘争に 行って一生懸命援農したり、闘争に参加していたんだけれども、まあ、結婚して子供ができたり、就職したりとかちょっといろんなことがありまして、いっぱい いっぱいになってしまって、ちょっと身を引こうかなと思っていた時に、たまたま富山さんの再審をかちとる会の事務局にいた人が私の知り合いでして、こうい うのがあるけど来てくれないかと言われ、資料とか集会のビラとか下さいということでもらった覚えがあります。で、ちょっと読んだんですけど、なんかこう政 治党派が相手の党派と命のやり取りをして、しかも一方では国家権力に本気で闘いを挑んでいて、その中で起きたえん罪、これはちょっと俺が訴えるのはかなり しんどいぞ、むずかしいぞというふうに当時は思ってました。
まあ、とりあえず一遍行ってみようということで、義理もあったし、ちょっと寄ってみたんですね。当時、事務局の方も含めてみなさん初めてお会いする方 ばっかりだったんですけれども、ちょっとお話を聞いてみたんですが、特にびっくりしたのは、山村さんとかうり美さんというのは、当時は、今も可憐なんです けれども、当時はかなり可憐で、なんでこんな人が、こんな子がこんなところに居るんだろうと思ったんですよ。ちょっとびっくりしました。亀井さんはね、プ ロらしいというか、ごっつい黒縁の眼鏡をずっと掛けていて、ああこんな感じかなと思ったりしたんですが。

で、話をするなかで、どんな理由とか背景とかあってもやってないのはやってないんだと、国家権力の思うがままの状態に今あるんだということ、富山さんの 問題は富山さんだけの問題じゃなくて、狭山もそうなんですけど、誰に言ったっておかしくないと、まあ、運動の初歩の初歩だと思うんですけど、教えられまし て、まあそうかなぁというふうに思い始めて、事務局を手伝うというのは、なかなか自分的に苦しかったんで、ただ、ここから3キロ位先に当時住んでましたん で、大井町の街宣には家族で参加させて頂きました。先ほどのビデオの中でビラまきをしているのが出てきますが、あのビデオは今でも宝物でとってあるんです けども、あの子も今、高校生でね、時間が経つのは早いものです。
で、いろんなことを考えながら、やっぱり俺はここから逃げてはいけないんだと思いまして、東部の江戸川に移り住みまして解放運動を始めました。2年か3 年経ったかと思います。で、行ったら行ったで、それ以後ぷっつり来なくなって、申しわけないんですけれども、ずっとエールを送らせて頂いています。

当時、富山さんは下獄して居なかったし、事務局の方は本当に苦労して、この問題をどう世間に訴えて、あるいは弁護団もどう立ち上げるかとか含めて本当に 苦労されている時期がありました。その中でこつこつ闘いを維持する、自分の信念を貫いていくという事務局の考えとか、みなさんの考えに非常に教えられるも のがありました。
ということで、桜井もボツボツ曲がりなりにも、解放運動をやってますということで今日はゼッケンを着けてさせて頂ました。
で、未来を語る集会で昔話をして申しわけなかったんですけども、最近、富山さんとメールの交換とか始めたんですけど、たまには愚痴を聞いてもらえたらなというふうに考えております。

で、今年1月の狭山の第二次再審の異議申立棄却の時に、石川一雄さんが「法の正義というものは力によるものなのか。どんなに真理が真理であっても、それ は法の正義、法の場では、実現されないのか。それは正義ではないんだ」ということをいみじくも訴えられました。じゃ、どうするのかということはありますけ れども、でも、やっぱり真理は真理として実現されなければいけないと、それでも私は思います。そのためには石にかじりついても、どんな苦しみ、どんな闘い になっても、私は狭山闘争を勝利させようというふうに思います。
そして、それとともにこの証拠開示問題は、今、私一生懸命勉強しております。やっぱり敵の思うがままの裁判をやられて、それでも勝利するというのは、阿 藤さんも言ってらっしゃるように、これはかなり困難というか厳しいところがあります。何とかこれが公平な、フィフティフィフティな形に、私たちの手に1つ でも2つでも取り戻さなければ、勝利はかなり厳しいというか、そこから始まるものというふうに思っております。

私たち、最高裁に対する特別抗告審が始まりましたけれども、合わせて法務省と検察庁に対しての闘いを強めていきたいというふうに思っています。奴らの思 うままにはさせない、これから自分たちの未来は自分たちで切り拓くんだということを決意しております。そのためにも品川地区の労働者のみなさんとの共闘を これから築いていきたいと思うのでよろしくお願い致します。

 

 九月の大井町での署名集めは、
亀・・・・・・・2名
富山・・・・・・2名
山村・・・・・・2名
うり美・・・・・1名
でした。

今回は夕方4時半から開始。正午からの1時間は、通行する人も忙しいから、じっくり話そうというわけにもいかず、多分に運がつきまとう。しかし、この時間帯は「お話ししましょう」が可能で、実力の勝負となる。

実際、今回は目と目があった年輩の女性2人と話し込んで署名していただくこととなった。特に2人目の人とは話が弾んで、「学生運動をやった者としての生き方に責任を取る意味でも、再審無罪をかちとる」に「そうよ、そうしなさい。そうでなきゃあだめよ」となった。

正直に言って、私の場合、大井町での署名集めは遅々としてはかどらないというのが実状だ。心優しい事務局員達に言わせると、怖い顔をしているかららし い。もっとにこやかにしろといつも言われる。本人はにこやかに呼びかけているつもりなのだが、どうやらいつの間にか噛みつきそうな表情になっているらし い。いったん話し始めたらけっこう快調にかみ合っていくのだが・・・。

いつもゼロ行進で、あれでは晒し者というかまるでいじめみたいなものだ、という擁護の声をしばしば聞くが、大井町で根気よく署名を集めるのは再審・無罪 への意思表示であって、絶対に最後までやり続けなければならないと考えている。同情されないためにも、いっぱい署名を集めるほかない。といっても、ただ集 めるだけでなくしっかり理解・支持された証拠としての署名獲得をめざしてがんばりたい。 (富山)

 「明日の為に第30歩目(回数を数えていただいてありがとうございます。助かります。)
季節は急に涼しくなり過ごしやすくなりました。私は体の調子が悪く、会社を長期休むことになりました。いつまでできるかわかりませんが一緒に歩んで行きましょう。」

というお便りとともに2000円を9月26日付で頂きました。ありがとうございました。
お体、お大事になさってください。早くお元気になられることをお祈り致します。

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ニュースNo168(2002年9月1日発行)

●ニュースNo168(2002年9月1日発行)

◎6・29富山再審集会報告その3
田中泰治弁護士
集会の感想

「広島の会」定例会の報告

大井町ビラまき報告

 

集会報告

 今、弁護団がやらなきゃいけないことは、証拠開示なんです。これが本当に筋です。検察庁に証拠が眠っている。

検察官だって税金を使って仕事をしているわけだから、それは国民みんなのために使わなくちゃいけないと思うんです。検察官だけじゃなくて、被告側や弁護士だってそれを使う権利がある。

田中泰治弁護士 (2002/6・29富山再審集会)

集会報告6・29富山再審集会報告その3

富山再審弁護団からの報告 ・・・・田中泰治弁護士

 6月29日に行われた富山さんの再審の開始・無罪判決を求める集会で、田中泰治弁護士が弁護団の活動報告をして下さいました。

弁護団の田中です。
阿藤さんのお話、ズシーッと感動して聞きました。私の心の中に杭がズシーッと打ち込まれて、身の引き締まる思い、ちゃんとやらないかんなぁというふうに思っております。どうもありがとうございました。
それから、富山さんの話、初めて聞いたのですが、富山さんを見直してしまいました。なにしろ、あの富山さんがこういう説得力のある話をされるのかと思って、彼は弁護士になったらいいんじゃないのと、こういうふうに思いましたね。
当事者の話の中で、弁護人としての取り組みの問題点がすべて網羅されていて、僕はもう報告するまでもないと思っています。
富山さんの紹介に、私が1990年から弁護団に加わったとありましたが、その時に、私、弁護士になったんですが、かなり遅咲きの弁護士なんです。遅咲きというか、奥手なんですね。
その時はすでに富山さんは大阪の刑務所に入っている時で、私も何度か接見に行きました。その頃の富山さんはかなり精悍な顔つきをして、なかなか鋭い発言をなさっておられたのを覚えています。
先ほどの富山さんの話の中で、東京高裁への申入書が読みあげられましたが、その中に1995年に出獄したと書いてありました。エーッ、つい最近出てきた ばっかりじゃないかなぁ、あれから数えてもう6年半が経っているのかと驚きました。いったい私は何をやっているのだろうと、ぼやぼやしてられないなぁとい う自戒を込めて思ったわけです。
そして再審請求をしたのがその前の年、1994年だったと、それからもう8年も経ってしまったと、本当に驚きます。そうすると、僕が弁護士になって10 年以上経ってしまったと、これも驚きですけれども、弁護士になってずっと富山さんの事件をやっているんですね。そういうことで富山さんと共に成長している んですが、富山さんも世の中に出てきてから成長するのは顔と腹ばっかりかと思っていたら、今の話を聞きますとまろやかに熟成していてなかなかすごいなと思 いました。
東京高裁への申入書は、実は、事前に富山さんからファックスをいただいておりました。その時の感想は、富山さんについて見直す前でした。最近の富山さん の書かれる文章、すごくこなれているんですよね。すごく読みやすくなっている。先ほどのビデオの中に、昔、富山さんの書いた手紙が出てきましたが、印象が 全然違っているんです。ゴツゴツしているというか、今の書いている文章とはかなり印象が違いましてね、怒り心頭というか、そんな感じがしました。最近はす ごくこなれていて、ずいぶん変わったんだなと思っていましたが、しかし、今日の話を聞きまして、やっぱり文章だけではわからない所があるんだなと思いまし た。生の富山さんの言葉を聞いて、やっぱり富山さんは全然変わってないなぁと思いました。安心しましたよ。
さて、報告をということなんですが、実は富山さんの話の中に弁護団の報告は全部入ってました。それで私は簡単にやりたいと思います。
今、弁護団がやらなきゃいけないことは、証拠開示なんです。これが本当に筋です。検察庁に証拠が眠っている。とりわけ重要と考えている
目撃者の供述の中に新聞記者の話があります。それと、有罪判決の柱となっている目撃者Iの証言がありますが、この人の同僚も現場で事件を目撃していて、私 が10年前に弁護士になった時に、実はその方に聞きにいっているんですよ。そうしたらIさんの言っていることとは内容がずいぶん違うんですよね。ただし、 10年前と言っても、事件が起きたのは今から27年前ですから、その時でも10数年前の記憶です。Iさんが言っていることとは相当違うのですが、記憶がぼ やけてるところもある。だから肝心なのは、事件当時、事件があって直後にその人も警察官に呼ばれて聞かれているわけですから、その時に何を言ったかという ことが一番重要なんです。
34人の目撃者の調書があって、その中の7名分しか出ていない。他の証拠は眠っている。それを全部出さなければ不公平じゃないか。検察官だって税金を 使って仕事をしているわけだから、それは国民みんなのために使わなくちゃいけないと思うんです。検察官だけじゃなくて、被告側や弁護士だってそれを使う権 利がある。検察官が集めた証拠を全部見て、その中から検察官も選ぶ、弁護士も選んで、そして対等にやるべきです。われわれが調べに行っても強制力はないわ けですから、たかが知れているんですよね。だから、検察官が集めた証拠というのは、検察官だけじゃなくて、弁護側、被告人側も使わなければ真実は明らかに ならないと思います。そのためにも証拠開示をしなくちゃいけない。
ところが、裁判官も、要するに基本的には官僚なんですよね。彼らだって裁判所の中だけで生きているわけじゃなくて、私生活もあるわけで、私生活になれば 普通のいいおっちゃん、おじちゃんであることは事実なんです。僕は修習生の時に一緒に酒なんか飲んだりして、いいおっちゃんだな、けっこうリベラルな人だ なという人がいっぱいいました。しかし、いざ裁判、法廷の場になるとやっぱり違うんですよね。官僚なんですよ。法服を着ると裁判官というのは官僚になる。 しかも出世を考えるということはやっぱりあるんですよ。人間誰しも小心者だし、出世したいし、そういうことがあるから、やっぱりこの事件を先送りにしたい んですよね。もう、ありありですよね。本当に情けないほどありありしています。
去年の4月に裁判官が代わりまして、その方がまたいっそうそういう人なんですよね。だから、単純に審理を急げ急げというのもためらってしまいます。急い で結論を出して下さいと言って、今、担当している裁判官に結論を出されたら、これはやばいなと、そういう感じがあるんですよ。
現在、弁護団のやっている活動の一番主なところは証拠開示ですが、もう一つの柱は心理学鑑定です。先ほどのビデオにも浜田先生が出ておられましたが、心 理学者の先生に、再審の申し立てをするにあたって、この事件の目撃者の供述調書について心理学の立場から比較検討してもらい鑑定書を作成していただきまし た。その他にも、心理学者の先生に協力していただいて、有力な証人と言われているI証人について、その人が目撃した時、視力が0・4で、16・45メート ル離れての目撃で、しかもほんの数10秒あるかないか程度の目撃時間で、果してきちんと見えているのかどうかについて、心理学的に実験をして鑑定していた だきました。
それから、先ほどのビデオに殴打場面、殴っている場面がありましたが、これは法政大学の場所を借りて、劇団の人に演技してもらって、それをビデオに撮っ たものです。そのビデオをかなりの人数の人に見てもらい、犯人を選んでもらうという実験もやっていただいています。そして、この事件の目撃証言は信用性が ないということを鑑定書に書いていただきました。そういう鑑定書をすでに出してあります。
「法と心理学会」という学会を、一昨年、弁護士や学者の先生たちが集まって立ち上げました。その学会で、富山再審の鑑定人の先生の発表がすごくわかりやすいものだったので、それをビデオにしまして裁判所に観てもらおうということも考えています。
その他に、去年、大阪高裁で警察犬の臭気選別に関する判決が出ていまして、臭気選別というのは信用できないということで無罪になった事件ですが、その大阪高裁で行われた検証調書と無罪判決を出そうじゃないかというようなことを今やっております。
弁護士の活動というのは限られていると言えば限られているわけで、実際に鑑定とかは大学の先生にお願いして、われわれとしてはそれを裁判所に伝えてどうこじ開けていくか、微力でありますけれども一生懸命やっていかなくちゃいけないなと思っています。
最後に皆さん、熱心に聞いていただきありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

集会報告■集会の感想

今回の富山集会は、発言して頂いた一人一人の中に富山事件は確固としてあって、そして一人一人の発言の中にこの事件にかける想いが感じられた集会であったと思う。この人達と多くの人達に支えられながら、集会は成功することができるのだとも思う。
毎回集会をやるたびに、なぜこんなに大変なのかと不思議に思ってしまうが、終わってみて、集まってくれたみなさんの話や笑顔を見ながらお酒を飲んでいると、やってよかったんだなーと思う。
特に今回は、富山さんが自らの言葉で「人間としての本当に当たり前の不正に対する怒り、不正を憎む心、不正を許さないたたかいを共有して」ほしいと切に 訴え、その怒りを語った。逮捕時、怒りにうち震えた体験から、この裁判の経過、そして下獄、再審に至るまでを自らの言葉で表現した。思えば富山集会で富山 さんがこれだけ発言したのは初めてだった。富山さんは、「けっして私は悲観していませんし、絶対に勝てると確信していますし、どこまでもたたかいぬくつも りです」と決意を新たにした。この発言を聞いて改めて富山さんが無実の人で、この事件はえん罪事件なのだと強く思った。
再審の状況は、やはり厳しいと思う。長い年月がこの再審にはかかるとも思う。しかし、諦めず、投げ出さずに闘っていくことが必要なのだと思う。
私も集会のかちとる会活動報告で、「枯れるまで闘う」ことを誓った。
もう枯れそうなのだが・・・・(うり美)

集会報告

「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」定例会の報告

 8月6日、「被爆57周年―再び戦争をくり返すな! 8・6ヒロシマ大行動」が開催され、「かちとる会」も参加しました。
翌7日、今年も「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる広島の会」の皆さんが会合を開いてくださいました。今回は大阪から阿藤周平さんも参加してくだ さり、広島からは大槻泰生さんをはじめ8名の方々、東京から富山保信さん、坂本さん、亀さん、山村が参加しました。
最初に、東京の事務局から、「富山再審の現状と展望」として、現在の裁判所との攻防、証拠開示の重要性、目撃証言をめぐって切り開いている地平、弁護団のたたかい、東京の「かちとる会」の活動等を山村が報告しました。
続いて阿藤周平さん、富山さん、広島の「かちとる会」の方々が発言してくださいました。以下、山村のメモを元にそれぞれの発言を掲載します。

阿藤周平さんから

昨日大阪から来ました。これまでも何回か広島の集会に来ましたが、私が「8・6」に来たのは初めてです。
しかし、私は「8月6日」を広島拘置所で12回ほど迎えています。昨日も、どうしても拘置所で迎えた「8月6日」がよみがえって来ました。広島は私に とって第二の故郷とも言える所で、常に心の奥底に広島がありますが、しかし、私をあそこまで追い込んだのも広島だったのです。昨日、初めて原爆の日に参加 して涙が出るような思いがしました。
私は富山再審をずっと支援して来ましたが、いつまで経っても再審を開始しようとしない裁判所の態度に不可解なものを感じます。
6月に東京高裁への申入れに行って来ましたが、東京高裁の態度も警備も硬直的なものでした。最近よく開かれた裁判所をアピールしていますが、逆に裁判所 は国民から遠ざかっているように感じました。私が八海事件で経験した裁判所とずいぶん違っていました。東京ではオウムの事件とかで警戒が厳しいと聞きます が、それは間違っていると思います。どんな凶悪な事件を審理しようと、国民から遠ざかるような裁判所ではおかしいと思います。裁判所に行ったとたん、身体 検査をするんですよ。私は生まれて初めて身体検査をされました。広島ではカメラなどの持ち込みはだめでしたが、その他は何でも持って入れました。裁判所は 同じなのに、こんなにも対応が違うのにびっくりしました。
東京高裁に富山さんの再審開始を申入れに行って感じたことが二つあります。ひとつは、なぜ第三刑事部の書記官が会わないのかということです。今回、会っ たのは関係のない総務課の職員です。僕らの時は書記官を通じて、申入書や要望書、署名やハガキは裁判官に渡っていました。裁判官にストレートに入ってい た。ところが、今は書記官すら出て来ない。私たちの肉声が届かないのです。少なくとも、再審開始をという申入れに書記官が出てくるように、申入書や要望書 や署名をそのつど受け取るようにするべきだと思います。
ふたつめは、再審請求を行ってから8年になるということです。なぜ、裁判所は富山さんの再審を放置しているのか。私は故意に遅らせているのだと思いま す。裁判官は決定を出せないのだと思います。この事件をきちんと審理したら再審開始決定しか出せない。だから裁判官はそのまま放置しているんです。そうこ うしているうちに裁判長が次から次へと交代していく。この裁判所の卑劣な態度をやめさせるために、裁判所に申入れをしているわけです。
8年前と言ったら、今、小学生の孫が生まれた年です。それから8年も経っている。8年間、富山さんは宙ぶらりんな状態に置かれています。私は富山さんが 獄中で奪われた10年間は絶対に取り戻さなければならないと思っています。この事件が起きた年に生まれた人が弁護士になって富山さんの再審の弁護人になっ ている。それほどの月日が経っているのです。
私は八海事件で無実を晴らすまで18年かかりました。無罪にはなりましたが、常に心の片隅に傷あとが残っています。私の18年間の不当な裁判の傷を癒す ことがあるとすれば、それはえん罪事件がなくなった時だと思います。しかし、無罪判決から30年が経ちましたが、えん罪はなくなるどころか、もっと多く なっています。死刑事件で無実を訴えて苦しんでいる人が何人もいます。これを正すためには国民の裁判所への抗議が必要なんです。それは八海事件の経験を踏 まえてはっきり言えます。富山さんの再審を開始させるためには皆さんの力が必要です。それは裁判所を不正に動かすわけではありません。正しいことを正しく 判断してほしいという要求なんです。
八海事件では、裁判は裁判所にまかせろと、『真昼の暗黒』の上映に対して、最高裁の事務局から、現在継続中の裁判の映画を上映してはならんという横やり が入りました。当初は東映が上映するはずだったのですが、東映は押し切ればよかったのにようやらん。それで独立プロの山田典吾さんが労組の支援を受け、俳 優の手弁当で作られた。いかに裁判官が国民の声、世論を恐れているか。八海事件でも国民の支援がなければ私はいまだに刑を執行されずに獄中にいたかもしれ ません。それを思うと身の毛がよだつ思いがします。
最初は少なくてもいいんです。僕の事件でも、松川事件でも、一人でもいい、小さいところから出発しています。私はここに集まられた広島の方々に感謝して います。人数がどうとかではないんです。東京の「かちとる会」の集会も最初は一人か二人だったんです。それがだんだん定着してきて富山事件がえん罪だとい うことが広がって来たんです。
私は富山さんの再審に関わって10数年になります。正しいことは正しい、えん罪は必ず晴らすという気持ちで富山再審に取り組んで来ました。僕の感触で は、決定が出るのは近いのではないかと思います。どこから見ても再審開始の決定しかありえないんです。
弁護団が証拠開示を要求しましたが、検察官はそれを出さない。弁護団は裁判所に提出命令を出すように求めています。検察官の隠している手持ち証拠をすべて出させて白黒をはっきりさせればいいんです。
私の場合は、真犯人の吉岡の上申書を広島刑務所が握りつぶしていた。それは刑務所だけの判断ではありません。法務省と検察官の指示でそうしていたんで す。それが発覚して、国民に追及されて、法務省があることを認めても、それでも検察官は出さなかった。最高裁が提出命令を出して、それでようやく出たわけ です。
富山さんの場合、検察官から目撃者の供述調書があるという確認を取っているのだから、裁判所が提出命令を出せばいいんです。それを裁判所に要望に行った りして訴えていく必要があります。そのためにも皆さんの力強い、粘り強い誠意が必要だと思います。
富山さんの再審請求はどこを突いても再審開始の決定を出すしかない。裁判官は決断が必要なんです。だから裁判官は決定を出さずに先延ばしにしている。
僕がこの再審にタッチしたのが60歳代の時です。今、74歳になります。僕としても焦ります。八海事件の被告はすでに二人亡くなっています。一人は10 数年前に、つい最近、稲田が74歳で亡くなりました。八海の主任弁護人も二人亡くなっています。原田香留夫弁護士も歩行困難な状況に陥っています。それを 考えると、私は富山さんの再審を裁判所が何年も放置していることが許せない。富山さんはいまだに被告の身と同じなんです。二審有罪判決は今も生きているん です。無罪判決を取らないと潔白の身にならない。そのためにも、一生懸命頑張っていきたいと思います。
私は広島には、3~4回来ています。最初の時は『真昼の暗黒』も上映して頂きました。みなさんのご尽力に感謝しています。富山再審を軸に多くのえん罪事 件をなくすためにたたかっていきたいと思います。再審を求め続ければ、必ずみんなの声が裁判官に届くと思います。これからもよろしくお願いします。

富山保信さんから

率直に言って再審は大変です。甘くはない。原審の場合、有罪立証は検察官の責任でした。再審になると違います。自分の無実を晴らしたいと思っている人間 が無罪を立証しなければならない。大変ですが、これに負けてはならない。この困難性に負けないでたたかいぬく強さが必要です。人間はどうしても楽をしたが るものです。私の場合、もう獄外に出ている。これが死刑事件だったら何があっても頑張らざるを得ない。現実にそういう人たちが頑張って再審のたたかいを リードして、切り開いてきています。私もその義務があると思っています。自分の無実の訴えに応えてくれる人々がいる。それへの責任にかけて頑張りたいと思 います。
「法と心理学会」が新しく設立されましたが、私の再審で鑑定書を書いてくれた浜田寿美男さんが理事長になっています。全体として若い世代、今後の日本の 法学会、心理学会、法曹界を担っていく人々が中心です。これからの刑事裁判の実務を担っていく人々が「法と心理学会」を立ち上げました。その中心に目撃証言の問題性に取り組んできた人たちがいます。目撃証言を考える時、富山再審を抜きに考えることはできません。そういう意味で富山再審は大きな位置を占めてきていると思います。
8年間も放置されているということは許せないことですが、この8年間には大きな意味がある。8年間、棄却決定を出せなかったということでもあります。棄 却決定を出すのはある意味で簡単です。それを、弁護団や阿藤さんをはじめとする「かちとる会」の人々の粘り強いたたかいによって簡単に棄却できないところ まで追い込んでいる。裁判官は火中の栗を拾いたくないわけです。これまで5人の裁判長が交代しましたが、退官した人以外はその後高裁長官とかになっていま す。第三刑事部はエリートコースなんです。裁判官は開始決定を出してそれを棒に振りたくない。かといって、棄却決定を出せるかと言えば、それなりに納得で きる内容を出さなければいろいろなところから反撃される。ある意味で拮抗関係にある。たたかいによってそういうところまで持ってきたということです。
先ほど、阿藤さんが開始決定を出さざるを得ないと言っておられましたが、そのとおりだと思います。あと一歩のところまで来ていると思います。その一歩は 運動の力です。特に証拠開示をという世論を作り上げる、それが再審開始のカギです。証拠開示を求める署名運動をやってください。さらに、私が無実というこ とを多くの人に知ってほしい。そのためにも学習会をやってください。そのための新しいパンフレットも作ります。今、ここにいる人々でまず学習会をやってく ださい。
東京では高裁への申入れを今まで以上に強力にやっていきたいと思っています。裁判官ほど世論を気にするものはいないと元裁判官の人が言っています。その とおりだと思います。阿藤さんも言われましたが、『真昼の暗黒』の上映に対して最高裁が横やりを入れ、八海事件や松川事件に対する国民の声に田中耕太郎と いう最高裁長官は「雑音に耳を貸すな」と言いました。正しい裁判をというのがどうして「雑音」でしょうか。
これまで世の中を変えようとして来た人々のたたかい、営為を引き継ぐものとして富山再審のたたかいをやっていきたいと思っています。私自身、もう一度原点に立ち戻ってやっていきたいと思いますのでぜひ皆さんのご協力をお願いします。

大槻泰生さんから

狭山事件もそうですが、みんなをひっぱりこむしかないというのが私の印象です。八海事件の時もビラまきをやりました。狭山事件でもビラまきや署名活動をやってきました。世論を引き寄せるたたかいが重要だと思います。

中島健さん(富山さんの高校時代の同級生)から

裁判所をここまで追い詰めてきたということは重要ですが、再審を8年も放置するということ自体が犯罪だと思います。
富山の再審は、決定的な段階に入りつつある。それを自覚した人々のたたかいが切り開くと思います。学習会などをやるようにして、富山再審を切り開いていきたい。

阿藤さんから

裁判闘争には武器が必要です。ビラも武器のひとつです。これで人を動かすんです。田中耕太郎最高裁長官は「雑音に耳を貸すな」と言いましたが、裁判に素人でもいいことか悪いことかの判断はできる。この事件はおかしいということは、その人の良心が反応するんです。
二度目の差し戻し判決で再び身柄を獄中に奪われた時、最初に立ち上がってくれたのが神戸の高校の先生たちでした。その時の武器が『真昼の暗黒』であり、正木先生の本でした。
富山事件でも訴える武器はいくらでもあります。この前の東京の集会で観ましたが、富山事件のビデオ、これはすごくよくできています。広島でもこれを武器にしていくといいと僕は思います。
それと富山再審で大きいのは一審が無罪だったことです。一審無罪判決は生きています。高裁が覆しても、再審の裁判所は一審無罪判決を無視することはでき ない。棄却はよう出せないんだと思います。出すならもう出している。裁判所がきちんと見てくれさえしたら、開始決定しかない。今こそみなさんの強力な支援 が必要です。八海事件の経験を通してもそうです。よろしくお願いします。

亀さんから

富山事件の場合、目撃証言のみが証拠とされ、物証も自白もない。この目撃証言がいかに問題あるものか、浜田寿美男先生の鑑定書に書いてあります。学習会では浜田先生の鑑定書もぜひ読んでください。
もうひとつ訴えたいのは証拠開示の重要性です。27人の目撃者の供述調書を検察官が隠していることははっきりしています。松川事件でも「諏訪メモ」が開 示されてそれで無罪が確定した。富山事件でも検察官が持っている目撃者の調書の開示が重要です。検察官は、富山さんのこの事件での逮捕写真すら出そうとし ません。事件に一番近い時点の写真が出て来ないというのはおかしなことです。
毎月、大井町で署名集めをしていますが、署名を訴える時、本人が満期で出獄してそれでも無実を訴えてたたかっていると言うとみんな耳を傾けてくれます。 本人が出てきたんだからもういいんじゃないかという考えがありますが、何年かかっても無実を晴らそうとしていると言うと本気なのかと署名してくれます。
東京でも頑張りますのでよろしくお願いします。

友野幽さん(被爆者青年同盟委員長)から

今日参加して一番感じたことは、富山さんが出獄して身柄が外に出たということで武装解除してしまうというところがあることです。無罪判決をかちとるまで、いかに人権が侵害されているのか、そこへの怒りを阿藤さんのお話に学びました。
富山さんが提起されたように学習していきたいと思います。藤井裁判の事務局をしていた時、本人が頑張ること、弁護団、弁護団事務局の頑張りとともに、裁 判所を監視していく運動がすごく大切だと思いました。今、富山再審もそういう局面に来ているなという実感を持ちました。目撃者の供述調書の証拠開示を求め ることは重要だと思います。それから、満期で出獄しても、なお真実を追求しているということの重要性、実践的な意味で勉強になりました。

富山さんの友人のMさんから

今は広島にいますが、半年ほど前まで東京で富山さんの集会にも参加したりしていました。
今日、話を聞いてこれまで以上に鮮明な内容で富山再審の攻防の構図がよくわかりました。
最後の勝利の扉を開くものは何か。やはり真実を求める署名、声をいかに多く集めるかだと思います。ニュースの大井町署名の記事を読んでいますが、けっこ う大変そうです。「0」行進が続いたりして、それでも頑張っている。署名の一筆一筆が裁判官に大きな圧力になる。毎月やっている意味は大きいと思います。 広島もそれに学んで、富山さんや阿藤さんの訴えに応えていきたいと思います。

司会の I さんから

無実をかちとった裁判を覆されたくやしさ、8年も放置されていることのくやしさをバネに何とかして打開しなければならないと思っています。
富山君の発言にもありましたが、富山再審は刑事裁判の場においても新しい流れをつくりだすたたかいになっている。
富山再審のたたかいは、阿藤さん以来、営々とかちとって来た地平を引き継ぐたたかいだと思っています。学習会も重要ですが、このことに本人の富山以上に 命をかける人物が出て来なければいかんと思っています。ここに広島から8名が参加していますが、今、富山から出された方針をひとりひとりの思いとしてやっ ていきたいと思います。
これまでも「8・6」に合わせて広島で富山再審の集まりを開いてきましたが、こういう定期的な会合を今後とも続けていきたい。それとともに来年はもっと 工夫して集会なども開きたいと思っています。広島の出発点は阿藤周平さんを迎えての100名を超える大集会でした。その原点にもどって地道なたたかいを進 めていきたいと思います。署名にも取り組んでいきたい。大井町では毎回1名とか、ゼロとか続いていますが、そういうたたかいの上に何千、何万という署名を 集めていかなければならないと思います。
今日話された内容を全体に返して、近い将来、阿藤さんをお招きした企画もやりたいと思います。ビデオやパンフ、富山はやる気満々のようです。来年の「8・6」の過程までにいろいろと企画していきたいと思います。

 それぞれ気持ちのこもった大変貴重なご意見を頂きました。準備してくださった広島の方々にお礼申し上げます。
酷暑の中、遠路参加してくださった阿藤さん、坂本さん、ありがとうございました。司会から「我が事のように執念を持って富山再審に取り組んでいらっしゃ る」と紹介された大槻泰生さん、そして広島のみなさん、心温まる集まりをもって頂き、本当にありがとうございました。広島で《元気》をもらって帰りまし た。それぞれの場所でたたかいを切り開き、また再会したいと思います。ぜひ近いうちに。 (山村)

休載

 「明日の為の第20?歩目―とうとう体をおかしくしました。皆様もくれぐれもお大事に」というお便りとともに二千円頂きました。今回で29歩目になります。ありがとうございます。お体にお気をつけて下さいますよう。お大事に。

■読者のみなさんから

▼いつも集会に参加してくださる行沢さんから、再審要求署名10筆、証拠開示要求署名5筆をお送り頂きました。ありがとうございました。

▼世田谷のUさんから一万円のカンパを頂きました。ありがとうございました。大切に使わせて頂きます。

▼前々回のニュースの6・29集会アンケートでもご紹介しましたが、おつれあいが無実にも関わらず有罪判決を受け服役を余儀なくされているIさんからお便りとともに切手をお送り頂きました。ありがとうございました。
外でも耐えがたかったこの夏の酷暑、獄中は大変だったと思います。元気で頑張りぬかれていらっしゃるとの事。お体大切に、無事お帰りになられることをお祈り申し上げます。

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NEWS

ニュースNo167(2002年8月1日発行)

 

●ニュースNo167(2002年8月1日発行)◎2002/6/29集会報告その2
木下信男さんのあいさつ
富山保信さんの発言

大井町ビラまき報告

集会報告□ 6・29富山再審集会報告 その2 6月29日に、大井町の「きゅりあん」で行われた富山保信さんの再審を求める集会での発言を順次掲載していきます。
今回は、木下信男先生(横浜事件再審ネットワーク代表・明治大学名誉教授)のあいさつと、富山保信さんの発言を掲載します。

裁判所は検察官に証拠開示を命令せよ!

 の強力な署名運動を

「こ のようにひどいわが国の再審状況を打破するためには、われわれがただ手を拱(こまね)いて眺めているだけではだめだろうと思います。で、どうしたらいい か。再審裁判の開始を求める運動を、全国的に、あらゆる人々と手を組んで広めていくより他に方法はないだろうと私は考えております。こういう方向に向け て、皆さま方のお力添えをぜひお願いしたいわけでございます」

–木下信男さん(横浜事件再審ネットワーク代表・明治大学名誉教授)のあいさつから

「裁判所に証拠開示命令を出させることが勝敗を決します。「証拠開示を命令せよ」という署名活動を強力に展開することが勝利につな がるということです。再審無罪の実現は「裁判所は検察官に証拠開示を命令せよ」の署名運動の前進、それを広範な世論へと形成するたたかいの成否にかかって いるといっても過言ではありません」

–富山保信さんの発言から

集会報告□木下信男先生のあいさつ木下でございます。

 私は、富山さんの再審運動に以前は毎回関わっていた者ですが、最近体調を崩しまして、さっぱりお役に立てませんで非常に申しわけないと思っているのです が、今日はみなさんこんなにたくさんお集まり頂きまして、富山さんに代わりましてお礼申しあげます。
先ほどビデオにも若干出てまいりましたけれども、わが国で現在、無実の罪で35年以上牢獄に囚われている方が3人いらっしゃいます。1人は波崎事件の、 富山さんと同じ姓ですが富山常喜さん、もう1人は袴田事件の袴田さん、いまひとつは名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんです。この3人の方々に対する再審は、 開始される目処が立っていません。35年以上無実なのに獄中に囚われている、そういう歴史は世界のどこを探してもありません。こんなひどいえん罪の起きて いる国は日本以外にないのです。
先ほどのビデオで阿藤周平さんがおっしゃっていましたが、八海事件で、阿藤さんが無実であるにも関わらず、無罪が確定するまで18年もかかっている。こういう例も世界にはおそらくないだろうと思います。
富山事件について申し上げますと、再審請求をしてから8年間も、裁判所は何ら真剣な取り組みをしようとしないで来ました。こういう例は法治国家では日本 だけでございます。なぜこういうことが起こっているのか。それは裁判所が富山さんの無実を知っているからです。つまり、富山さんの再審を開始しなければな らないことを知っていながら、引き延ばしている。私も何回か富山さんと一緒に裁判所に抗議にまいりました。なぜこんなひどいことが行われているのかという ことに対して、一言も反論することができない。そのことからもわかると思います。
このようなわが国の再審裁判の状況を打破するにはどうしたらいいか。確かに、もっともっと富山さん無実の証拠を探して、ということが必要であることはい うまでもございません。しかし、このようにひどいわが国の再審状況を打破するためには、われわれがただ手を拱いて眺めているだけではだめだろうと思いま す。で、どうしたらいいか。再審裁判の開始を求める運動を、全国的に、あらゆる人々と手を組んで広めていくより他に方法はないだろうと私は考えておりま す。こういう方向に向けて、皆さま方のお力添えをぜひお願いしたいわけでございます。
最後に、私が直接関わっております横浜事件について、最近、ようやくひとつの光が見えてきたということを申し上げたいと思います。
戦争が終わった時にポツダム宣言というものが連合国によって出され、わが国はこれを無条件に受託しました。その中身は、戦後の日本の民主主義を確立して いくうえで非常にすばらしい内容であった。横浜事件の元になった言論弾圧というようなことは絶対にやってはならないという内容が含まれていました。このポ ツダム宣言に従ってわが国が戦後民主主義を勝ち取っていったとするならば、おそらく今の有事立法というようなけしからん法律が提出されることはあり得な かっただろうと私は考えるわけでございます。
ところが、このポツダム宣言を迫ったアメリカ自身が、やがてこれを歪めてまいりまして、日本に再軍備を迫ってまいります。戦後のわが国は吉田茂内閣以 降、今日の小泉内閣まで、すべてポツダム宣言を抹殺するという方向に動いており、現在も改憲派の諸君は盛んに憲法改悪を唱えております。
そういう中で、敗戦後、治安維持法が廃止される直前に横浜事件の判決が出されますが、その時の裁判所はポツダム宣言をきちんと守るべきであったという鑑定書を京都大学の大石真教授が提出してくれました。
もし、現在、横浜事件の再審を審理している裁判所が、これを率直に聞くならば、横浜事件の再審は即日開始されなければならないと私は考えております。検 察庁その他の動きを見ておりますと、必ずしも、この大石鑑定書に基づいて横浜事件の再審裁判がすんなり開始されるとは楽観はできませんが、少なくとも、わ が国の戦後民主主義の原点になるポツダム宣言の受託をめぐっての判断が、横浜事件の再審開始にとって非常に大きい一歩になるであろうことを私は確信して止 みません。
横浜事件の再審については、富山再審かちとる会からもご支援を頂いておりますが、今度、7月13日の午後1時から明治大学におきまして、「7・13市民 集会―横浜事件の再審裁判を実現しよう」が開かれますので、そちらの方にもご出席頂ければこれに越した幸せはございません。今後ともよろしくお願い致しま す。

 

集会報告□富山保信さんの発言 こんばんわ、富山です。今日は、皆さんお忙しいなかを、それも雨が降っているにもかかわらず参加していただきまして、ありがとうございます。
こんばんわ、富山です ご覧になっているとおり、集会のタイトルは「再審請求を8年間も放置」です。それで、昨日、東京高裁に行ってきました。といっても見学ではありません。裁判所に、「事実審理をおこなえ、検察官に対して証拠開示を命令せよ」という申し入れに行ったわけです。
ここに申入書がありますので、読みあげさせていただきます。
(申入書を読み上げる。申入書は前号のニュースに掲載)
申し入れには阿藤さんや、大槻さん達と一緒に行ったんですけれども、後で阿藤さんも多分触れられると思いますが、書記官さえ出てこない、出てきたのは訟廷管理官と称する、普通の会社の総務課に相当する人間が出てきて、「聞きました、伝えておきます」。
そこで、私たちは貴方たちを信用するしかないということではないか、それだったらせめて申し入れに来たという証として、申入書は受取りましたという受取 だけでも書いたらどうかということを言ったんですけれども、それもできない、「受取を書けというんだったら、この書類は受け取れない」という対応でした。 これが現在の裁判所の実態です。
私は、95年の12月に出てきたのですから、出てきて6年半になります。翌々年から毎回申し入れに行っているにもかかわらず、私の申し入れがはたして裁 判官に届いたのか、裁判官がどう考えているのか、再審そのものがどこまでいっているのか、ということを全く知ることができない状態に置かれています。こう いう状態で、再審請求から8年が経つているわけです。
さっき読み上げた申入書の冒頭はこうなっています。
1975年1月13日の不当逮捕から27年半、そして94年6月20日の再審請求から数えても8年。
改めてこの年月を考えてみると、やっぱり大変なことじゃないかと思うわけです。
まず、27年半ですが、昨年この集会で講演していただいた原田史緒弁護士、新しく弁護団に加わられた一番若い弁護士がいらっしゃるんですけど、その彼女 が生まれた年が1974年なんです。事件が発生した年に生まれた人が成長して弁護士になり、自分が生まれた年に起こった事件でえん罪に問われている人間の 弁護をするという、これだけの長い歳月が経ったということなんです。
あるいは、再審請求から数えても8年。昨日一緒に申し入れに行っていただいた阿藤さんと、その後、「再審請求の時は大変やったな、慌ただしかったで」と いう話になったんですけれども、その時に生まれたお孫さんが、もう小学校2年生になるそうです。こういうふうに見てみたら、27年半、8年の歳月というの は非常に長い、その持つ意味がよくわかりますね。
その間、不正は正されることなく放置されている、まかり通り続けている、ということに他ならない。じつに恐ろしいことだと思います。これが今の司法の現 実なわけです。敵は、やっぱり「敵」と私は言わざるをえないのですが、風化を狙っているとしか思えない。そういう敵の目論見に対して、生き証人として、真 実を語り、現実を撃ち続ける、何が起こったのか生起した事態を具体的に述べて、さらにそれだけではなく、それはいったいどういうことなのかということをあ らためて明らかにして、皆さんはこのことをどう考えられるのか、他人事として見過ごしていい問題なのかどうなのか、こんな不正を許したままにしておいてい いのか、ということを問いかけ、人間としての本当に当たり前の不正に対する怒り、不正を憎む心、不正を許さないたたかいを共有していただきたいという思い で、これからしばらく話させていただきます。

逮捕

ビデオを観ていただいたんですけども、非常に良くなっていますね。 さっきも言いましたように、事件からもう27年半経過しており、 一番若い弁護士の方は事件の年に生まれていらっしゃって、そもそも事件の背景とか、その当時どういう状況だったのか、あるいは、実際に私の身に降りかかっ たこと、逮捕、取り調べ、起訴されて裁判をおこない、逆転有罪になって投獄されて、実際に堺の大阪刑務所に入ったのは8年なんですけれども、実刑10年と はいったいどういうことなのか、なかなか現実感を持ってとらえられないと思うんですね。
たしかにビデオはわかりやすいという面もありますから、ある程度はわかっていただけるんじゃないかと思いますけど、それでもやっぱり難しいと思いますの で、実際に当事者の口から、どういうことだったのかということを事実に即したかたちで述べて、こういうことをはたして許していいのかどうなのか、自分自身 の問題として考えていただきたいということです。
事件については、さっきのビデオでもおわかりかと思いますが、要約して言えば74年の10月3日の午後1時過ぎに中核派4名がカクマル派に所属する山崎 洋一という人物を襲って殺害した、犯人4人のうち3人が殴打し、残りの1人は少し離れた所で指揮をしていた、殴打はしていない、この指揮者が私であるとい うものです。これは100パーセント事実に反します。何度も何度も繰り返し言っていますが、私は事件にはまったく関与しておりません。無実なんです。
事件の発生時には、当時、私の所属している中核派の事務所、前進社といいますけれども、これは池袋にありましたが、ここに居たんです。それで、2時45 分くらいに前進社を出て、さっきのビデオにあった荏原文化センターに会場使用の申請に行った、これが真実です。この事実は何年経とうが変わらない、真実は 真実なんです。動かしようがないんです。私もこれは誤魔化すことができない、私自身も縛られていますからね、事実に。これが真実なんです。
75年の1月13日の朝に突然逮捕されました。当日は前進社に対して別の事件の容疑で家宅捜索がありまして、屋内に居る人間は建物の前の道路に全部出さ れ、並ばされまして、その回りを機動隊が取り囲み、捜索が終わったら警察は帰っていくし、私たちは屋内に入るということになるんですけど、捜索が終わった というので私が建物に入ろうとした時、突然2人の刑事が私の両脇を取ってそのままワゴン車に連れこんだわけです。何の警告とか宣告もありません。私として は呆気に取られたというか、当時冬で寒かったものですから、ダッフルコートを着て両手をポケットに突っ込んでいたので両脇取られたらもうほとんど抵抗でき ない、そのまま持っていかれちゃって、ワゴン車に乗せられました。
容疑は何も告げられず、そのまま車は出ました。私としては呆気に取られた状態から、何をするんだとまず抗議を始めたんです。手錠をはめられて、手錠の片 方はワゴン車の中に鉄枠があったんですけど、それにはめられて殆ど動けない状態に置かれて、それからやおら刑事達の罵倒が始まりました。山崎を殺っただろ うとか何とか言いまして、最初よく分からなかったんです。山崎を殺っただろうと言われても、私としては全然覚えが無いですからね、いったい何のことを言っ ているのかという状態でした。大井署に着くまでさんざん罵倒されている間、どうもこれは山崎という人物が、私たちが対カクマル戦と呼んでいるたたかいでや られたんだなということがわかりまして、どうやらその犯人にされているらしい、そういうことがわかったんですね。だけどやっぱり依然としてぴんとこない。 なぜなら、少しでも自分が関与していればともかく、いっさい関わっていませんから現実感が無いんですよ。
ただ、殺人犯として逮捕されたらしいということだけがわかったんです。その時に初めて私としては現実感をもった怒りが沸いてきたというか、そういう状態 になったんですが、よく言葉で怒りにうち震えるという表現がありますね、私は決まりきった表現はあまり好きじゃないんですが、だけど本当に怒ったら体が震 えてくるんですね。これは自分でも初めて体験しました。後にも先にもあれ一回きりですがね。ところが、これは敵の側から見たら別のことになるらしくて、取 り調べを行った警官の法廷における尋問の時に、私が震えていたと、なんか向こうとしては捕まったから震えたんじゃないかと言いたかったようですが、私とし ては本当に怒りにうち震えたというのは、後にも先にも一回だけ体験しました。
車の中では、容疑をきちんと宣告される、あるいは逮捕状を見せられるということは無くて、大井署に着いて取調室に入れられてから初めて逮捕状を突きつけられました。これが逮捕の実態です。

取調

富山 怒りのカット1 その後取り調べに入るわけですけれども、ここで言われたことはさっきのビデオでも出てきましたけれども、核心はとにかく転向しろの一点ばりでしたね。
「事件のことについて聞こうとは思わない」―取り調べだったらやっぱりきちんと聞くべきだと思います。殺人罪ですからね、内乱に次いで重い罪名事件なんで すよ、日本の刑法の中では。ところがその「殺人犯」に対して事件について聞こうとは思わないとは、いったいどういうことなんだ。
それで、次に言ったことは、「要するにお前が運動を止めるかどうかなんだ、これに全てがかかっているんだ」「おまえは最近別件で求刑を受けたじゃない か」、当時私は別の事件で10年の求刑をされていまして、学生運動関係で10年というのは異例の重い求刑だったので新聞も大きく扱った直後だったものです から、そのことを取り上げまして、「別件の公判にひびくぞ、10年の論告求刑があったばっかりじゃないか」「このままだったら10年とか20年とかじゃな くて無期とか死刑だって充分ありうるんだぞ」ということをさかんに言いましたね。
そのうえで、どうもこいつは転向しそうもないなと思ったら、今度は「20年後や30年後の、死刑ではなかったとしても獄中で老いぼれていく姿を考えてみ ろ」というようなことをさかんに言いました。つまり、実際に事件を捜査するとか、そういうことは全く考えていなかったということです。
だから、あらためて私は言いたいんですけれども、例えば、謂われ無き罪に問われるという言葉がありますが、私は政治犯ですからね、なぜ弾圧を受けるかよくわかるわけです。
だけれども考えてください。今の支配者はどちらなんですか。私たちですか。そうじゃないですよね。いま日本を支配している人たちは統治の規範である法律 をまず、私たちよりも自分たちがきちんと守るべきなんです。それを自分たちの治安維持の能力が問われた事件を解決することができない、だから事件が解決し たという形を取るために、装うために、デッチ上げをやってもいいんだというやりかたはちょっと違うんじゃないか、と私は言いたい。デッチ上げというかたち でしか自分達の支配を維持することができないのなら支配者の座から降りたらどうなのか、私たちが幾らでもとってかわりましょう。私たちは言ったことはきち んと守りますと、こういうふうに言ってもかまわないんじゃないかと思うんですね。まず支配者たちが法律をきちんと守るべきなんだ、そのあるべき立場を投げ 捨て、事件のことを聞こうとは思わない、おまえが今やっている運動を止めるかどうかが問題なんだとは言語道断というほかありませんよ。
私たちが民衆の支持を得ていないというんだったら放っとけばいいじゃないですか、そんなのは自滅するに決まっているのですから。そうじゃないからデッチ 上げをやるんじゃないか、と私としては言いたくてたまらなかったんですけれども、黙秘を貫いたわけです。
いま私が言ったことが、なんかちょっと開き直りに聞こえるな、我田引水ではないかと思っていらっしゃる方があるとしたら、当時の状況と今これから私たちが向かおうとしている情勢を考えてみていただければおわかりになるのではないでしょうか。
先程木下先生も触れられましたけれども、有事立法に対するものすごい怒りが沸騰しておりまして、有事立法をなんとしても潰そうという気運が非常に高まっ ております。5月24日に明治公園で4万人の集会がおこなわれました。6月16日には代々木公園で6万人集会がおこなわれました。報道管制が敷かれて新聞 なんか殆ど、テレビも全然やらない。5月24日の4万人集会は朝日新聞がカラー刷りの写真を載せ、東京新聞もちょっと触れただけ。6月16日の代々木公園 の6万人集会にいたっては毎日新聞しか載せない、とまったく無視抹殺。それでも、現実にはものすごい怒りが湧き起こっていて、なんとか有事立法を潰したい という気運が漲っているんですね。
ひるがえって考えてみれば、70年当時はこれの比ではありませんでした。70年当時、4・28沖縄闘争というのがありまして、私はこの闘いで逮捕・起訴 されまして、「6・15」が終わる16日まで保釈されないで東京拘置所に閉じこめられたままだったんですけど、その直前に代々木公園で7万人の集会がおこ なわれています。16日に保釈になって出てきて、その一週間後の6月23日に明治公園で2万数千の、これは学生が中心になって集まったんですが、集会がお こなわれました。当時は1万人とか2万人の集会はざらにおこなわれていました。当時、朝日新聞が学生を対象にアンケートを取りました。自分たちの生きてい る間に革命が起こると思うかと学生に率直に聞いたのです。そうしたら起こると答えたのは51パーセント、どうかなというのが49パーセントという回答でし た。 60年はもっとすごくて、国会を十重二十重に取り囲むという闘いが6月は連日行われました。
70年代のああいう気運の中で起こった事件で、そういう中で治安維持能力を問われた権力がデッチ上げ弾圧したんだと言えば、なんでそうなるのかおわかり いただけると思います。私たちはよく《革命の現実性》ということを言いますけれども、やっぱりその兆しはあった、敵はものすごい危機感を持っていたという ことなんですね。私たちの考え方や運動に異論がある方もいらっしゃるかと思いますけど、そういう方も少なくとも権力の危機感は確かにあったということはお 認めになると思います。
当時私も一応、学生の指導部の一員でしたからね。しかも、さっき言ったように懲役10年の求刑をされているということで、こいつを転向させればそれみた ことかと相当の打撃を与えられるんじゃないかと考えたんだと思います。だから、弾圧する根拠はあったんです。だけども、それを実現するためにデッチ上げを やるというのは違うんじゃないの、そういうことをやること自体が、少なくとも私たちの主張が正しいという根拠を自分たちが与えてるんじゃないかということ を私としては主張したかったし、依然として主張しているということなんですね。自分たちがこの日本を動かしていきたい、依然としてこれからも動かしていき たいと思うんだったら、まず、自分たちの統治の規範を守りなさいということは当然の要求じゃないか、ということをあらためて主張したいということなんで す。

その日のアリバイ

殺人容疑で逮捕されたらしい、これはデッチ上げである、しかし、では私はその時いったい何をしていたんだろう。これはなかなか思い出 せませんでした。まったく関わっていないから、わからないんです。非常に困りました。その中で、取り調べ官側がヒントを与えてくれたんですね。最初に彼ら が言ったのはこういうことなんです。中核派は政治組織ですから自分たちのやった行動の正当性を主張するいわゆる軍報というのを私たちの機関紙に掲載してい ました。俗に言う「犯行声明」です。「あれはおまえが書いたんじゃないか」と言って部分的に刑事が読み上げるわけですね。その中に手掛かりがあったんで す。
その手掛かりのひとつは私たちの仲間に高橋範行という全逓の労働者がいたんですけれども、その人が少し前にカクマル派によって殺されるということがあり ました。彼はたまたま私と大学が同窓で、顔を知っていたということもあって、高橋範行同志虐殺に対する報復ということで直ぐピンときたということです。つ まり、彼が殺されたということに対して、追悼集会をおこなったんですけれども、自分がそのための予備会場を借りにいったはずだ、ということがヒントになっ たんですね。
さらにその前後を思い出してみると、学生運動は厳しい状態でしたから、その当時法政大学の自治会の自治委員選挙というのがありまして、会場周辺の偵察も やっていたな、あれはちょうど同じ時期ではなかったかなということで、そういうことが手掛かりになってアリバイを思い出しまして、弁護士に伝えて、早速調 べてもらったわけです。そうすると、おまえが言ってるとおりだぞ、と。 それ以上の詳しいことはなかなか思い出せませんでした、例えば人名とか。でも、お おまかなところではきちんと思い出して、実際その通りだった。思い出して初めて、ああなるほどこういうふうに向こうはデッチ上げをやってくるんだというこ とを、あらためて知ったということですね。
それから、外で弁護士の方を先頭に、デッチ上げに対する闘いをやっていただいて、なんとかしてデッチ上げ起訴は阻止しようと努力はしたんですけれども、 不当にも起訴をしてきて裁判になりました。裁判過程について、ビデオでは詳しく触れておりませんでしたので、少し述べます。

証拠開示

これはどの刑事裁判でもそうですけれども、検察官側は絶対に手持ちの証拠の全てを開示しないですよね。弁護士の方やあるいは少しでも 裁判に関係した方は御存知ですが、有罪にするために必要な証拠以外は絶対に開示しないですよ。検察官、訴追する側は国家権力を使って、膨大な税金を投入し て集めた証拠は全部自分の手に握り、被告に不利な証拠だけを開示する、そして少しでも被告にとって有利な証拠、あるいは無実、無罪を証明するような証拠は 隠し通すということをやっているんですね。
私たちも、まず裁判の冒頭でこれと取り組まなければなりませんでした。最初に開示されたのは検察官面前調書。目撃証人が検察官の前で供述した調書、これ だけしか開示されないわけですよ。これを見るとよくできているんですよ。誰がみても犯人は私なんです。だって述べている顔の特徴とか体格とか年齢はまった くその通りなんですから。はなはだしいのにいたっては―当時私は26歳から27歳にかけてなんです―「27、もしかしたら26かもしれない」と、こんな調 書が出てくるんですよ。ふつう人間は知らない人の年齢を言うときに、何歳かもしれない、でも一歳違うかもしれないなんてことをピッタリ同じ年齢を指して言 うことはないですよ。だいたい何歳位、という言い方をしますよね。
富山 怒りのカット2  それでとにかく、法廷で出てきた証人をていねいに追及しようということで、これを実行したら、その証人が尋問するたびに違ったことをボロボロ言い始めるん です。そこで、あなたどういうことなの、調書何冊作ってあるのと尋ねたら、警察官の取り調べで作った調書がいくつもあるということを言いだしました。それ を開示させなさいと裁判所に要求したんですが、最初は言を左右にしてなかなか受入れませんでした。それでも、結局、警官の前で作った員面調書を全部開示さ せました。それによって、最初に言っていた犯人像というのは私とはまったく違うということが判明しました。165センチ位というのでは、明らかに別人です よ。私、立ち上がってみますけど、180センチなんですよ。これ間違いようがないと思います。特に自分より大きい人間とか、自分より小さい人間とかは、間 違えないものなんです。今は高校生なんかも私よりでかいのがいっぱいいますけれども、私の年代では180センチっていうのは目立つ存在なんです。これが、 最初は165センチといっていた人間が、最後は180センチの人間になっちゃう。これはどういうことなのかということなんかを追及した結果、一審は無罪判 決になったわけです。
しかも、問題はそれだけじゃないんですよ。検察官の証拠隠しはめちゃくちゃで、本当に破廉恥なことをやりました。一例をあげますと、一審で証人になった タクシードライバーが乗せていた乗客、記者なんですけれども、その記者の存在についてはずっと隠し通しました。それも隠し方が卑劣なんですよ。検察官はタ クシーの乗客は捜したけれどもわからなかった、いまだにわからないと平然と法廷で言うんですよ。ところが、その後明らかになったんですけれども、タクシー の乗客は新聞記者ですからチケットを使うわけです。それで最初から新聞社も記者の名前もわかっていたんですよ。だけども、その記者は捜査側にとって都合の いい証言をしてくれないから、わからないということでごまかしていたんです。
こんな証拠隠しとたたかって証拠を開示させて、私たちは一審の無罪判決を勝ち取ったんです。
今、司法改革ということがいわれています。迅速裁判をやるとか集中審理をやるということで、そのために先ず争点整理をやる、つまり裁判所側がこの裁判は こういう争点をめぐってこういう審理計画で裁判をやるよってあらかじめ決めて、ちょうどいざ本番の舞台で芝居をうまくやるために舞台稽古をやるといえば聞 こえがいいがやらせをやる、そういう裁判をやろうという方向で司法改革は進もうとしているんですけれど、こんなことをやられたら私たち無実の人間は、えん 罪にあっている人間は、自分の無実を晴らすことは絶対にできなくなります。
なぜか、いま言ったような司法改革は、手持ちの証拠は全部出して、そのうえで何が争点になるかを検討し、その争点整理に沿ってやろうというならまだし も、証拠の全面開示は担保されていません。国家権力が総力をあげて集めた証拠は全部提示して、そのうえで、その証拠価値を争うべきなのに、それをやらない で、検察官が自分に都合がいいということで出してきた証拠だけ列挙して争点整理を行い、それに基づいた審理計画が進行して有罪という結論に向かって導いて いくというやり方をやられたら、私のこの一審の無罪判決は絶対に勝ち取られなかっただろうし、また一審判決だけじゃなくて、再審請求することもたぶん出来 ないだろうと思います。
いま私たちは、検察官は私の無実を証明する証拠を隠している、と主張しています。二審でこの事件の捜査責任者だった警察官が、目撃証人は40人位いる、 そのうち34人分の調書は作った、ということを証言しちゃったんですね。だから、残ったのを出せと私たちは証拠開示要求をしているわけですけれども、こう いうことが出来なくなる。そういう意味でぜひ司法改革に反対していただきたいと思っております。えん罪に泣く被告の立場、再審請求人の立場からも絶対にま やかし司法改革は阻止したい。

二審逆転有罪判決

二審は順調に進んだんですよ。途中までは裁判官が、出てきた検察側証人、特に警官を追及するんですよ。弁護人よりももっと激しい追及 のしかたをしましたね。あんたの言っていることは違うでしょう、と。例えば捜査責任者が出てきた時も、裁判官が、あなたは最初から富山の顔も名前も知って いたでしょうと尋ねたら、証人の警官は知らないと白を切るんです。だけど裁判官は具体的に面割写真帳の作成日時なんかを突きつけて、知らないはずはないだ ろう、知らなかったら責任者なんかできないだろう、とぐうの音も出ないところまで追及していました。それで一審判決は維持されると思ったら、裁判官三人と も更迭されました。
そして登場したのが萩原太郎以下の三名で、結果は逆転有罪判決。司法の独立なんか嘘ですよ。たしかに表向きは司法は独立しており行政機関は関与していな いと言っていますけれども、司法行政権力というのがありますからね。判決は個々の裁判官の専権事項として判断するんだといいます。たしかにそうでしょう が、だけど、裁判は判断する裁判官を変えちゃえば別の結論が出るんですよ。だから、これは検察官にとって都合の悪い結論を出しそうだと思ったら、裁判官の 首をすげ替えちゃえばいいんですよ。やっぱり敵はもう本当に卑劣な手段を、あらゆる手段を取るということです。こういうふうにして二審逆転有罪判決になり ました。

上告棄却

さらに上告したんですけれども、棄却されました。これは責任放棄だと申入書でもいったんですけれど、棄却した理由は弁護団や私の上告 理由は単なる事実誤認の主張に過ぎない、要するに最高裁は判例違反しか取り扱わないんだ、事実誤認は取り扱わないということなんです。これはまったく不当 ですよ。考えてみてください、無実の人間が罪に問われようとしている、投獄されようとしているのだからきちんと正確な事実認定をしてくれという、これ以上 の上告理由はないと思うんですよ。
無辜を罰せず、つまり罪の無い人間を罰してはいけないというのが刑事裁判の使命だと思います。だから、これを自ら投げ捨てた最高裁判所というのはいった いなんなのか、ということをあらためて私は問いかけたい。最高裁に示される日本の司法権力というものは、自ら刑事裁判の存在理由を否定したんだ、自ら位置 を落としめてしまったんだ、ということを私としては本当に弾劾したい。

下獄―再審請求

そういうことで有罪判決が確定しまして、下獄しました。大阪刑務所で8年間過ごして95年12月に出てきました。
下獄している間に、94年6月20日に再審請求をおこなったんですけれども、それからちょうど8年。この間まったく放置したままとはいったいどういうことなのか、改めて考えてみる必要があるんじゃないかと思います。
いくつか考えられますが、まず裁判官は誰も火中の栗は拾いたがらないということです。再審請求から8年、この間に裁判長だけでも、次々に交代して五人目 です。この五人の裁判長のうち、二人はその後、高裁の長官になりました。つまり、エリートコースをまっしぐらに進んだということです。私の再審請求を真剣 に検討したら、出てくる結論は再審開始・無罪判決以外あり得ません。だけど、それを出してしまったら出世コースから外れてしまいます。
かといって棄却したら、それもまたただでは済まないわけで、学会や法曹界から叩かれるのは必至です。これは別に私が大言壮語しているわけではなく、そう 言えるだけの地平を粘り強い闘いをとおしてつくってきたと自負しています。目撃証言の信用性について、これは簡単に信用しちゃいけないよということが世論 として形成されている、少なくとも日本の刑事裁判の現状は近代刑事裁判が到達したあるいは確立したレベルに達していないんだ、これをなんとかしなくちゃい けないんだ、安易に容認・追認しちゃいけないんだというところまで世論形成がなされてきた。だから簡単に棄却出来ないんです。もちろん油断したら切り捨て られてしまうという状況にあること、厳しい状態にあることは変わりませんけれども、でも、そういうなかで簡単に棄却できないというところまで対峙関係を作 り上げてきたんだと、これが第二番目にいえることじゃないかと思います。
たしかに8年間放置されたままである、でも、逆に言ったら簡単に棄却できないところまで追い込んでいるんです。そういう意味ではすごい拮抗した対峙関係 をやっと作り上げてきている。もちろん、それは簡単にできたことじゃあなくて、かちとる会の皆さんや弁護士の方々の本当に粘り強い闘いが切り開いた成果だ と思います。たたかいの切っ先の鋭さで敵と切り結んで追い詰めており、それをバックアップする力の増大・増強が最後的勝利をもたらすということ、勝利の展 望が浮き彫りになってきたということです。
私たちが本当に再審無罪をかちとる闘いの帰趨は一重にこれからの闘いにかかっているんだ、いっそう強力にバックアップする力をつくりあげていく、これに すべてがかかっているということをあらためて確認できるような、それをやれば確実に勝てるという状況に来ているんだと言える状態にあるということだと思い ます。だから、けっして私は悲観してはいませんし、絶対に勝てると確信していますし、どこまでもたたかいぬくつもりです。

「証拠開示命令を」の強力なたたかいを

最後に強調したいことなんですけれども、そこでの攻防点は何かといったら、やっぱり検察官が拒否している証拠開示なんです。これは 「証拠開示を求める署名にご協力ください」というリーフレットにも書いてあるとおり、これが開示されたら、私の無実はたちどころに明らかになります。だか ら隠しているんです。本当に私が「真犯人」だと思っているんだったら、目撃供述調書を全部出せばいいんですよ。そうして、嘘をついている奴とそれを支持し ている人を孤立させればいいじゃないですか。こんな嘘を言っているんだよ、こいつらは、と。それができないところに、逆に私の無実が証明されているんです よ。
富山 怒りのカット3  なぜこんなにしつこく言うかといいますと、隠されている証拠が私の無実を証明しているんです。一例をあげると確定判決、これは東京高裁が出した逆転有罪判 決なんですけれども、このなかで「本件目撃者中最良の目撃者」と言われている人間が一人いますが、彼は会社の同僚と同じ場所で事件をみています。当然その 人の供述調書も作られているであろうと推測できるわけで、実際に検察官も調書が存在していることは認めています。警察も調書があることは認めているのだか ら、開示しようと思えばできるわけです。裁判所に証拠開示命令を出させることが勝敗を決します。「証拠開示を命令せよ」という署名活動を強力に展開するこ とが勝利につながるということです。再審無罪の実現は「裁判所は検察官に証拠開示を命令せよ」の署名運動の前進、それを広範な世論へと形成するたたかいの 成否にかかっているといっても過言ではありません。
最後の最後に一点、これは元裁判官だった方が辞められてから言われたことなんですが、裁判官ほど世論を気にする人間はいないということなんですね、松川 事件の時に当時の最高裁長官の田中耕太郎が「雑音に耳を貸すな」なんて言ってましてたけれども、やっぱり真実の抗議には弱いのですよ、彼らも。そのために もぜひ「証拠開示を命令せよ」という署名運動にご協力をお願いします。では、時間がきましたので。

 今回の大井町での署名集めは、
亀・・・・・2名
富山、山村とも0
でした。
この日、東京の最高気温は35度を越えていました。遮る物もない直射日光の下では優に40度を越したのではないかと思います。一生懸命に声を出して署名 を呼びかけるのですが、時々、気が遠のいていくような気がします。結局、暑さに負けてしまいました。その中で2名の署名を取った亀さんは相変わらずすご い。
でもよくよく考えてみたら、いつもそうだからといって、何も炎天下の昼日中に大井町駅頭に立つことはなかったのです。今度からは、夏は夕方にしようというのが今回の総括でした。うり美さんは夏バテでお休み。(山村)

「明日のために第20? 何歩目だっけ。本当に夏バテしています。みなさんも気をつけて。(確か第28歩目かな)」
というお便りとともに二千円頂きました。ありがとうございました。

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ニュースNo166(2002年7月1日発行)

 

●ニュースNo166(2002年7月1日発行)◎高裁申し入れ申し入れ書要望書集会アンケートから大井町ビラまき報告

6月29日の集会は71名の方々が参加してくださいました。ご協力ありがとうございました。

(6月29日『きゅりあん』にて)

■高裁申し入れ報告  6月28日、富山保信さんの再審が審理されている東京高裁第三刑事部に対して再審開始・再審無罪を求めて申し入れを行った。
今回は、阿藤周平さんと広島「かちとる会」の大槻泰生さんが翌日の集会に先立って上京し、申し入れに参加してくださった。国賠ネットの土屋さんも参加し てくださり、富山さん、阿藤さん、大槻さん、土屋さん、大井町のHさん、亀さん、山村の計7名での申し入れとなった。
事前に東京高裁に連絡し、申し入れに行くことを伝えると、例によって今回も、第三刑事部の書記官ではなく訟廷管理官が応対するとのことだった。そして、 「時間は30分以内。原則として書面による申し入れとその補充説明。参加するのは20人以内」という条件が示された。
一昨年から、「裁判官会議で決まった」とかで、係属部の書記官が応対するのではなく、総務課の訟廷管理官が出てくるようになった。申し入れの場所も第三 刑事部の書記官室から一階の片隅の部屋になった。再審請求人である富山さんが申し入れに来ているにも関わらず裁判官が会わないというのでも納得できなかっ たのに、書記官室にも行けず、書記官すら会わなくなった現状は理不尽としか言いようがない。
今回初めて富山再審の高裁申入れに参加してくださった阿藤さんは、まず、裁判所入口の金属探知機や手荷物検査に驚いていた。
「なんやこれは。わしらの時はこんなことはなかったで。裁判所はもっと開かれたものやった。いつからこんなに閉鎖的になったんや。大阪の裁判所もこんなことはせんのと違うか」
さらに、第三刑事部の書記官ではなく総務課の職員が応対すると聞くと、「それじゃなんもわからんやないか。裁判で何が問題になっているか、書記官ならまだしも、総務課じゃなんもわからんやろ」と憤然としていた。
裁判所入口の横にある部屋に入ると、約束した午後1時30分きっかりに3人の裁判所職員が出てきて、それぞれ「訟廷管理官の船戸」「副訟廷管理官の蓜(はい)島」「総務課の椿」と自己紹介した。「総務課の椿」氏以外は昨年も応対した職員だ。
最初に富山さんが用意した申入書を読みあげた。申入書を提出するにあたって、富山さんが「申入書はあなたたちが受け取ってどこに届けるのか」と確認した ところ、船戸訟廷管理官は「第三刑事部の裁判官と書記官に届けます」と言って申入書を4部受け取った。
申入書を読みあげた後、富山さんが、「毎年申し入れに来ているが、以前は第三刑事部の書記官に会って手渡すことができたのに一昨年から係属部の書記官に すら会えない。昨年の申し入れの時もあなた(船戸訟廷管理官)が応対したが、その際、申入書はどう扱われるのかという質問に、部の書記官に届けるというこ としか答えられなかった。申し入れた内容が第三刑事部の裁判官にどう伝わり、どう扱われたのか、誠実に実行されたのか否か、その反応を知ることもできない のは、請求人本人として非常に不本意な事態だ。昨年、確認した申し入れはどういうふうに処理されたのか」と聞いた。
船戸訟廷管理官は、「申入書は当事者以外の扱いになるので、総務課で受理し、事務局を経由して第三刑事部の書記官に渡すことになっている」と答えた。
富山さんが「私は当事者だ」と言うと、船戸訟廷管理官は「証拠としての書類という主旨です。申入書は証拠以外の扱いになりますので」と言い訳っぽく説明した。
富山さんが「これまでは第三刑事部の書記官に直接手渡せたのに一昨年からそれもできなくなった。申入書がきちんと裁判官に渡っているのかも確認できな い。受け取ったことを証明する印をもらいたい」と要求すると、船戸訟廷管理官は「申入書に対しては、受け取りは出していない」と言う。
富山さんが「憲法に保証された請願権に基づいて申入れに来ている。なぜ受け取りを出せないのか」と追及すると、船戸訟廷管理官は「受け取り印をというこ となら、申入書は受け取れない」と言いだした。このふざけた対応に、「受け取れないとはなんだ」「本人の申入書がなぜ証拠ではないのか」と土屋さんや大槻 さんが詰め寄ったが、船戸訟廷管理官は「申入書は証拠ではないので」と繰り返す。
申入れは最初から緊迫した雰囲気になったが、富山さんが「その問題は最後にもう一度きちんとした回答を求めたい。その前に、今日は遠方から八海事件の元 被告の阿藤周平さんが来てくださっているので、先にお話を」と阿藤さんを紹介すると船戸訟廷管理官はびっくりしたように姿勢を正した。
阿藤さんは、「私は、八海事件で死刑判決を受け、死刑―死刑―無罪―死刑―無罪と生と死を行き来し、三度目の最高裁でようやく無罪をかちとった阿藤周平 です。無罪をかちとるまで18年かかりました。今日は富山さんの再審について要望書を用意してきたので提出したいと思います。ぜひ、裁判官に手渡してもら い読んで頂きたいと思います」と前置きをして要望書を読みあげた。
阿藤さんは要望書を提出しながら、「私は18年にわたって辛苦をなめました。この要望書を裁判官に読んでもらったらその心労はわかると思います。私は、 富山さんが無罪かどうか、白か黒かということより、すみやかに正しい裁判をしてほしいと願っています。正しい裁判をすれば、この事件がえん罪だとわかりま す。そのことを私は18年間の八海事件の過程で知っています。富山さんやみなさんの要望を、真心をこめた申入れを、ぜひ裁判官に伝えてほしい。約束できま すか」と念を押した。船戸訟廷管理官、神妙な顔で「お約束します」。さらに阿藤さんがその顔をじっと見つめて「私は裁判所を信用しますよ」と言うと、船戸 訟廷管理官は「必ず伝えます」と緊張した面持ちで答えていた。
阿藤さんは続けて、「八海事件から30年が経ち、今の裁判所は、当時とは建物も警備のようすも違ってきているように思います。しかし、真実を裁く裁判官 の態度は変わらないと私は思っています。私は独房の中で12年間、踏まれても踏まれても強く生きてきました。なぜなら、真実は必ず通る、裁判官に通じると 思っていたからです。その身を富山さんに置き換えてみます。富山さんと私とは通じるものがあります。富山さんは10年間服役して大阪刑務所から出てきまし た。私は死刑―無罪―死刑―無罪を何度も繰り返して最後に無罪をかちとった。しかし、二人には共通するものがあります。それは、富山さんも私も裁判所を信 用するということです。なぜか。それは無実だからです。その、裁判所を信用する心を裏切らないようお願いします」と訴えた。
次に、大井町駅前で署名してくださって以来、高裁申入れの度に駆けつけてくださっている品川区のHさんが、「再審請求から8年、ここまで放置されると裁 判官の職務に対して疑問を抱かせることになる。昨年も来ましたが、なぜ7年も8年も再審請求がほおっておかれるのか納得できません。いつまで経っても、何 回も申し入れをやっても、『そうですか』では困る。
この事件の目撃証言は非常に問題がある証拠です。なぜ、それを裁判官が解明しないのか、私には理解できない。また、富山さんが無実の証拠を検察官が開示 しないというのはおかしい。裁判所が動くべきです。裁判官が検察官に証拠の開示を命令できないのですか。公正な裁判のためには、すべての証拠を見る必要が ある。それは再審でも、普通の裁判でも同じでしょう。それをやらないのは裁判官の怠慢ではありませんか。証拠開示の問題は、この事件で一番重要です。検察 官は自分たちに有利なものだけでなく全部の証拠を出して、裁判官に判断させなければならないのではないですか。
私は、この事件を知って、捜査官の目撃者に対する誘導を感じるのですが、そんな証拠で、一人の人間を10年間も拘束するのは、憲法に保障されている基本 的人権の立場から言っても軽率極まりないことではないですか。これは人権問題ですよ。人権問題として証拠開示の問題があると考えます。このことを確実に裁 判官に伝えてほしい」
と訴えた。
阿藤さんが、「こうした申入書や要望書は裁判官に本当に届いているのですか。裁判官が目を通したかどうか、あなた、確認できますか」と再度確認すると、 船戸訟廷管理官は「裁判官が目を通したかどうかまでは私には確認することはできません。しかし、裁判官がいつでも見ることができるような状態にはなってい るということです」と答えた。
阿藤さんは、さらに「私の時はもっとストレートに行きました。要請文や嘆願書とか公正な裁判を求めるハガキなどは書記官室に持って行った。それを書記官 が受け取って裁判官に渡していた。私が獄中にいる時、私の家族が最高裁の判事の官舎まで会いに行っています。さすがに判事は会いませんでしたが、奥さんは 会ってくれた。暑いさかりです。奥さんは、幼い子供を背負った私の妻に、暑いでしょうとジュースを出してくれたそうです。それから30年経ちましたが、今 の裁判所はずいぶん変わったのと違いますか。第三刑事部の書記官なら事件のことは多少ともわかっていると思いますが、あなたたちは総務課でしょう。富山さ んの要望は本当に裁判官に正確に届くのでしょうか。あなたたちは第三刑事部に口頭で伝えるのですか」と追及した。これに対し、船戸訟廷管理官は「口頭で第 三刑事部の主任書記官に伝えます」と答えた。阿藤さんは「だったら、ぜひ、裁判官の耳に入るように伝えてください。これは紙くずじゃないんですから。みん なの心がこもった要望書なんですから。裁判官にきちんと伝えて頂きたい」と強く念を押した。
広島から駆けつけてくださった大槻さんは、「1994年の国連の人権委員会が証拠開示についての勧告を日本政府に出していますが、それは知っています か。証拠開示は重要な問題です。富山さんの無実を証明する証拠が開示されず、検察官が隠しつづけているのは公正な裁判と言えないのではないですか」と追及 した。船戸訟廷管理官は「人権委員会で勧告が出ていることは承知しています。しかし、証拠開示命令を出すかどうかは裁判官の判断で、私たちがどうこうする ことはできません」と回答、大槻さんが「一人の人間の無実がかかっているんですよ。本気になってほしい」と語気を強めると、「証拠開示命令を出してほしい という要望は第三刑事部に必ず伝えておきます」と答えた。
富山さんが、「申し入れに来ても、私たちとしては、それが裁判官にどこまで届いているのか確認する手づるがないわけです。請求人本人としては、係属部の 書記官でもないあなたに言ってもきちんと裁判官に伝わるのかと不安に思います。しかも受け取りも出さないと言うですから。先ほどあなたは口頭で伝えると言 いましたが、しかし、官公庁というものは書面として出すのが正式のやり方ではないのですか。今回、大阪から阿藤さんが駆けつけてくださっていますが、申し 入れや要望に来ること自体、私たちにとっては大きなことです。裁判官にきちんと事実を知ってほしいという気持ちで来ている。きちんと扱ってほしいという切 実な思いで来ている。しかし、現状はあなたたちを通してしか伝わらない、あなたたちを信用するしかないという状態です。これは私たちとしてはとても納得の いくものではない。以前のようにもどす余地があるのではないか、検討すべきではないですか」と追及すると、船戸訟廷管理官は、「その点について検討するよ う要請があったことは、裁判所の事務当局の問題として伝えます」と回答した。
最後に、富山さんが「再審請求を行ってから8年も経っている。真剣に考えてほしい。真剣に考えたら、証拠開示命令は発せざるを得ないと思います。確定判 決が正しいかどうか、それを判断するには、捜査責任者の警察官が34人の目撃者の調書があると言っているのですから、それを見て真剣にその正否を判断して ほしい。すべてを見て磐石の審理のもとで判決を出してほしいというのが請求人としての切実な要望です。そのことを裁判官に正確に伝えてほしい」と訴え、H さんが「真実と法律に拘束されるのが裁判官のはず。それに則ってやってほしい」、阿藤さんが「私たちは裁判官を信頼するしかない。真実は必ず裁判官に届く と信じています。それを裏切らないようにお願いします」と訴えて申入れを終わった。
昨年は、裁判所が勝手に決めた30分間という申し入れ時間の終わり近くになると時計を見ながらそわそわしていた船戸訟廷管理官も、今回は、阿藤さんや富山 さんの迫力に押されて時計を見ることもできなかったようだ。申し入れを始めてから40分を経過して、ようやく恐る恐るという感じで「時間も過ぎましたこと ですし、今回はそのへんで」と言いだした。
今回、阿藤さんが参加してくださったのは大きかった。阿藤さんの訴えは端で聞いていても胸に迫るものだった。およそ不誠実としか思えない船戸訟廷管理官 も、誤った裁判によって18年間にもおよぶ辛酸の年月を強いられた阿藤周平さんの「裁判所を信じます」という言葉に襟を正さざるを得なかったようだ。
また、富山再審への思いをこめた発言をしてくださった大槻さん、証拠開示を強調してくださった大井町のHさん、訟廷管理官のふざけた対応に怒りも露に弾 劾してくださった土屋さん、そして、なにより富山さんの訴えは本人にしかない迫力があった。申入書も請求人の切実な気持ちがこもっていた。裁判所に大きな インパクトを与える申入れになったと思う。
申し入れに参加してくださったみなさん、ありがとうございました。(山村)

集会前日(6月28日)に東京高裁へ申し入れを行いました

申 入 書

私は無実です。こう繰り返し繰り返し訴え続けてきました。すでに1975年1月13日の不当逮捕から27年半たちます。1994年6月20日の再審請求から数えても8年です。
はたして私の訴えは真摯に検討されているのでしょうか。私は、裁判所が真実を探求し、誤判の訂正を真摯に審理する場所であると思えばこそ再審請求に私の 人生をかけています。提示されればたちどころに私の無実=真実が誰の目にも明らかになる証拠を隠し持ったままの検察官にたいして、いまだに証拠開示の命令 が出されていないのは何故ですか。確定判決の正否を検証しようとすれば、避けて通れない問題ではありませんか。
私は無実です。私が、身に覚えのない「殺人犯」という汚名をすすぐに当たって、なぜ正々堂々と裁判に臨んだのか、そのわけは昨年の申し入れに際して述べたとおりですが、あらためて強調しておきます。
「当たり前のことが当たり前のこととして実現される裁判、正しいことが正しいこととして通用する裁判であれば、私の無実は判明すると信じて審理に臨みました。近代刑事裁判が到達した地平と成果をそのまま適用すれば可能なはずなのです」
至極当然の要望ではないでしょうか。ところが、これが裏切られたのです。第1審(原々審)は刑事裁判の原則に忠実に則った事実認定=無罪宣告を行ったに もかかわらず、第2審は予断と偏見を押し通して「逆転有罪」を宣告するために近代刑事裁判が到達した地平と成果をあえて踏みにじりました。そして最高裁ま でが職責を放棄して確定判決=誤判を容認し、自ら日本の刑事裁判を刑事裁判の名に値しない存在へとおとしめてしまったのです。
この恥ずべき過ちは改められていません。矛盾は全て私に押しつけられたままです。
第一にまったく身に覚えのない「殺人犯」という烙印を押されたままであること、それも真実の訴えを「嘘つき」として全人格を否定されたままであること、 第二におよそ20世紀の刑事裁判とは呼べない水準の裁判たりえない裁判の構成者として汚名をさらし続けていること、これほどの苦痛があるでしょうか。
私は、1995年12月19日に「満期釈放」で出獄しました。けれども、一日として苦しみから解放されたことはありません。
裁判官諸氏に私の苦しみを理解する想像力を持っていただきたい、そして自ら原審に臨み、原判決を書くつもりで虚心坦懐に審理していただきたい、そうすればかならず検察官に証拠開示を命令されるに違いないと確信しています。これが私の切なる願いです。
私は決して無理な要求をしているのではありません。「誤りを率直に誤りと認めて改める裁判所のあり方こそが日本の刑事裁判を血の通った信頼できるものに し、その前提があってはじめて、『法の安定性』はその名にふさわしいものになる」と言っているのです。ぜひこの願いに応えてください。検察官にたいする証 拠開示命令と再審開始・無罪を願ってやみません。
2002年6月28日

富山保信

東京高等裁判所第三刑事部御中

 

要望書

八海事件 元被告
阿藤 周平

 貴裁判所に係属中の再審請求事件(請求人富山保信)につき要望書を提出いたします。
本件再審請求事件(以下富山事件と称す)は請求書を提出して今年で8年が経過しましたが今だに未決定のまま現在に至っています。なぜこんなにも年月が必要なのでしょうか。不可解でなりません。
富山事件は周知の通り富山氏を真犯人と断定する物的証拠は皆無です。有罪の証拠となっているのは目撃証人と称する人的証拠であります。記録に明白なよう に各目撃証人の証言等は相互矛盾し信憑性を疑う内容です。人証を有罪の証拠として採用するのには言うまでもなく諸般の情況もさることながら高度な証明とそ れを保証する担保が要求されることは八海事件の3度目の最高裁(第二小法廷)の無罪判決が判示しています。
富山事件は今回の再審請求により、第一審の東京地裁の無罪判決より以上に富山氏の無実が明白に立証されているのではないかと存じます。
次に本件の再審請求事件において重要な点は、現在も検察官の手許にある未公開の証拠等であります。これらの証拠等を提出することは富山事件の真相を解明 する上でも不可欠であります。このことは過去において最高裁が松川事件の「諏訪メモ」、八海事件の真犯人吉岡の告白上申書(計18通)等によっても明らか であります。
私は八海事件の被告とされて18年、その間7回の裁判(地裁1回、高裁3回、最高裁3回)で、死刑―死刑―無罪―死刑―無罪と死と生の谷間を振り回され てきました。エン罪ほど恐ろしいものはありません。それでも私は裁判を信頼し真実を訴え続けてきました。裁判で真実が裏切られるたびに、怒り悲しみの中に も私は裁判を信頼することによって強く真実に生きることができました。裁判を信頼する私の気持ちは少しも変わることなく、無罪判決から30年の今も変わる ことはありません。これは私が無実であることの証しでもあるのです。
最後に、本件の真相を究明するために検察官は手持ちの証拠等を提出すべきです。当裁判所に対して検察官手持ちの未公開の証拠等の提出命令を切望いたします。そして速やかに再審開始の手続きがなされるように希求するものであります。

東京高等裁判所 第三刑事部 御中

■6・29

6月29日、大井町の『きゅりあん』において、「かちとる会」は富山さんの再審無罪を求める集会を行いました。集会には71名の方々が参加してくださいました。
集会は、最初に富山事件のビデオ上映を行い、その後、木下信男さん、富山保信さん、八海事件の阿藤周平さん、富山再審弁護団の田中泰治弁護士、桜井正人 さん、広島「かちとる会」の大槻泰生さんが発言、うり美さんの「かちとる会」の活動報告の後、最後に坂本さんがカンパを訴えました。
登壇されたすべての方々の発言が再審開始に向けた求心力に満ちた、内容的にも密度の濃い集会だったと思います。参加された方からも心に残るいい集会だっ た、感動的な集会だったという感想を頂いています。集会についての詳細は次号以降に分けて掲載していきます。

今回は集会でご協力頂いたアンケートを掲載します。

■アンケートから

▼ビデオ、非常に分かりやすく、広く多くの人に見てもらいたいと思いました。
富山さんの話は、全証拠開示の要求が説得力をもって説かれてよかったと思います。
阿藤さんのお話は、重い厳しい体験を踏まえたもので、ずっしりと心に響きました。昨年も聞かせていただきましたが、反権力の意志に学ばされました。〔男性/58歳/無職〕

▼一番よかったです。〔男性/76歳/日雇〕

▼たいへん勉強になった。これからの集会情報を送ってください。定例会の情報も。ホームページに日時が出ているのでしたらよろしいです。〔男性/私立高校教諭〕
(今回、ビラを見て初めて参加された方です。・・・編者注)

▼富山さん、阿藤さんの迫力ある肉声に圧倒されました。主人の実態と重なる部分が多く、改めて「あたり前のことがあたり前に行われる世 の中に」の気持ちを強く致しました。主人は来年1月4日に戻ります。今日のお話の中で訴え続けることの大切さを実感しました。「無実(やっていないこと) を証明する」ことは難しいですが、取り組んでまいります。
いつもお励ましいただいておりますこと、嬉しゅう存じます。ありがとうございます。
富山さん、阿藤さんの運動が若い年代にも広がるとよいのですが・・・。私も当事者になるまで、他人事ととらえていたのが現状ですが。〔女性/46歳/地方公務員〕
(お連れ合いが無実の罪で逮捕され、一審、二審とも有罪、昨年上告棄却になり服役されたとのことです。一昨年の浜田寿美男先生の講演、昨年の集会には お連れ合いの方も参加してくださいました。 来年1月に出獄されるとのこと。 健康に気をつけられ元気に戻って来られることをお祈り致します。 ともに闘 いたいと思います。・・・編者注)

▼日和らないで来て良かったと思います。必ず得るものがあります。この事が会員、関係者等に共有されるといいのですが・・・。
昨日の申入れでも、阿藤さん、大槻さんも得るものがあったのですから(あの大ベテラン?!の)。〔男性/60歳/無職〕


1、ビデオ改訂版は非常によくなった。ただし、現在の最焦点課題である証拠開示について強調して貰いたい。
2、富山保信氏の発言は非常に説得力があった。特に司法改革(まやかし)反対を明言したのは良かった。
3、阿藤さんの話はきわめて判りやすく迫力があった。素晴らしい。
4、田中弁護士の報告は要領よく謙虚で好感が持てた。
5、桜井さんの話はよかった。大槻さんの話は熱がこもっていた。
6、総じて非常に内容がある集会だった。
〔男性/65歳/弁護士〕

▼ビデオは一層真実を明らかにする内容として前回のよりも拡充してました。
「国家権力への怒り」「真実を愛する心」という点が共通点として阿藤氏の発言が印象的。
本日の富山氏の訴えに真実の全てが込められていると思います。勝利への底深い確信、権力への非妥協的姿勢。国家権力といかに闘うかの見本のような氏の訴えでした。〔女性/53歳/会社員〕

▼ビデオが前に比べ、富山さんの人となりが伝わる立体的でわかりやすいものになった。
富山さん本人、阿藤さん、田中弁護士それぞれよかった。
ちょっと長く感じられた。〔女性/47歳/主婦〕

アンケートへのご協力ありがとうございました。

 今回の大井町での署名集めの結果は
亀・・・・・・0
うり美・・・・0
山村・・・・・1
富山・・・1プラス、ニュース代300円
でした。
昨年末は〈終わりよければすべてよし〉としました。今年は世の中全体の高揚とともに私の成績も上昇するようです。6・29集会に向かってせっせとビラを まいた成果がありましたが、署名集めでも「種蒔く人」の収穫の秋が来ているのではないでしょうか。(富山)

 大井町のYさんから、6月26日付で、
「明日の為の第27歩目。梅雨になりました。気温は涼しくなりました。(6/29は仕事ですので出席できません)」
というお便りとともに2000円頂きました。ありがとうございました。

●お詫び 前号のニュース165号の「資生堂製品の不買を」の中の(注)は私が無断でつけたものです。そのために、せっかく寄稿していただいた土屋さんにた いへんご迷惑をおかけしました。心からお詫びするとともに、以後こういうことを繰り返さないようにいたします。申し訳ありませんでした。

富山保信

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NEWS

ニュースNo165(2002年6月1日発行)

 

●ニュースNo165(2002年6月1日発行)◎『犯人識別供述の信用性』について(その2)
資生堂製品の不買を
大井町ビラまき報告

集会の成功を

–ビラをまいています
(下のものです。PDFも作成しましたご覧ください。)  表(91K)   裏(117k)

6月29日の富山再審集会にご参加ください

□司法研修所編
 『犯人識別供述の信用性』について        (その2) 3月号のニュースで、司法研修所編『犯人識別供述の信用性』について、「序説」を中心に紹介したが、今回から「第二部 具体的裁判例の検討」についての紹介に入りたい。
「第二部」では、目撃証言が争点となった裁判例が紹介されている。本書は裁判官による「研究報告書」であり、「司法研究員」として「研究を命ぜられ」、 司法研修所で報告したものをまとめたものとなっている。本書においても目撃証言の危険性については認めざるを得ない。しかし、具体的な事件や判決の事例研 究になると、「証拠関係に直接当たっていないので、判決裁判所の判断を所与のものとし、これを前提とせざるを得ない」として、確定判決が正しいことを前提 としている。したがって、富山事件の確定判決(二審・有罪判決)も正しいという前提のもとに引用されている。
確定判決は「写真選別の正確性を担保するための基準」として七つの基準を挙げている。そしてこの基準に照らして、富山さんの写真を「犯人に似ている」と して選んだ目撃証言は信用できるとしている。本書はこの「基準」についても各所で肯定的に引用しており、この「基準は有益であ」るとしている。
『犯人識別供述の信用性』の内容に論及する前に、この「基準」の問題点をまず明らかにしておきたい。
この「基準」については、再審請求時(94年6月)に提出した浜田寿美男花園大学教授の鑑定書「富山事件目撃供述についての心理学的視点からの供述分析」(浜田鑑定)で詳細に検討されているので、浜田鑑定に則ってその問題点を批判していきたい。
浜田鑑定は、確定判決の「基準」が一見「常識的にはなるほどもっともらしく見える」が、ちょっと踏み込んで検討するとおよそ科学的知見とは無縁の基準ならざる「基準」であることを明らかにしている。▼①の基準について
確定判決は「写真識別者の目撃状況が良好であること」という基準を挙げ、法廷で証言した目撃者たちについて、目撃距離や明るさ、見易さ、目撃時間について、「目撃条件はおおむね普通の状態にあ」り、問題ないとしている。
しかし、明るさについては本件は白昼の事件だからよしとしても、目撃距離とは何メートルを言うのか、目撃時間とはどのくらいの時間を言うのか、見易さとは具体的にはどういう状態を言うのか、確定判決は具体的には何も述べていない。
浜田鑑定が特に指摘するのは、
(1)「突然の思いがけない犯行目撃であった」ことから、「はたして犯人の顔貌に注目し、これを記銘しうる状況だったのかどうか」という点、(2)「犯人 は複数であり、少なくとも三人あるいは四人が犯人グループを構成しており、そのなかの一人を明確に他と区別して注目し、これを記銘しうる状況だったのかど うか」「犯行グループの3名ないし4名から、指揮者としての役割を担っていたと目される人物を、各目撃者が正確に特定していたのかどうかの点については、 写真面割の正確性の担保のためにどうしてもチェックしておかねばならない」のに、それがなされていない点である。

②の基準について
二つ目の基準は、「早期に行われた写真面割りであること」というものである。
これに対して浜田鑑定は、本件では、「もっとも早い人で二日後、証人となった目撃者のなかではもっとも早い人が三日後であった。これを心理学的に見て、 顔貌記銘保持に十分であったと言えるかどうか」「(確定判決のように)『おおむね充足している』と即断することは控えねばならない」としている。

③の基準について
三つ目の基準は、「写真面割りの全過程が十分公正さを保持していると認められていること(とくに、写真の性状、写真呈示の方法に暗示、誘導の要素が含まれていないこと。捜査官において犯人らしき特定の者を指摘する等の暗示、誘導を行っていないこと)」である。
浜田鑑定はこれに対して、「第一次選別のときに用いた『写真の束』がどういうものであったか、証拠上記録は残っていない。またその際の写真提示の仕方に 暗示・誘導がなかったかどうかについては、数年後の当事者(捜査官および目撃証人)による法廷証言が判断材料としてあるだけで、直接的な証拠資料はない。 録音テープなりビデオテープなりで記録されていなければ、無意識的な暗示・誘導はもとより、意識的なそれがあったかどうかさえチェックすることは難しい」 「ましてK証人は、法廷証言で捜査官から強い暗示・誘導があったと述べているのである」「暗示・誘導の存否についてより精細な分析が求められねばならな い」と批判している。

④の基準について
確定判決は、「なるべく多数者の多数枚による写真が使用されていること(この場合、体格、身長等をも表すものも収められていれば最も望ましい)」という 基準を挙げ、「本件犯行の犯人は中核派に属する者によるものであることはほぼ疑いがなかったところであるから、ここに犯人の的をしぼり目撃者らに同派所属 の活動家の写真を示しても不当な予断を与えるものとはいい難い」としている。
浜田鑑定はこれに対して「しかし、中核派であることが犯人の条件であるとして中核派メンバーのみで写真帳が構成されたなら、目撃者が提示された写真のな かから正しく犯人を選別した場合はともかく、間違って犯人でない人物を選別したとしても、中核派のメンバーであるという条件は満たしているわけであるか ら、アリバイが存在するなど犯行と相容れない他の条件がないかぎりは、その間違いがチェックされることがない。俗な言い方をすれば、言わば『空くじなし』 の状況なのである」「正確性を正しくチェックするためには、捜査側からはっきり犯人でないことが分かっている人物の写真も含めて面割をさせねばならない」 「何人かの目撃者によって一人の容疑者が浮かんできたならば、この容疑者の写真と、それ以外に捜査側が犯人でありえぬと知っている人物の写真数葉とを混ぜ て、別の目撃者たちに写真面割をさせるという手法がとられねばならない。そうであってこそ写真面割の正確性の担保となりうるのである。そうした実験的コン トロールをしない『空くじなし』の面割が危険であることは、少し考えればすぐ分かることだが、確定判決はこの点についての認識を欠いていると言わざるをえ ない」と批判している。

⑤の基準について
五つ目の「呈示された写真の中に必ずしも犯人がいるものではない旨の選択の自由が識別者に確保されていること」という基準について、浜田鑑定は「提示さ れた写真のなかに必ず犯人がいるとの明示的教示ないし暗示的ヒントを受けたなら写真面割の正確性が保証されないとの認識は正しい。しかし、この認識が正し く確定判決のなかに反映しているかどうか」「写真帳の中に『犯人がいるかどうか』が問題であるところを、本件写真面割では『犯人に似た人物がいるかどう か』というところまでレベルダウンして行われている」「犯人である、犯人に似ている、この二つは、写真面割上極めて差が大きい」「(本件の第一次写真選別 において、富山さんの写真を)『犯人である』として名指したものは一人もいない。どの目撃者も『犯人に似ている』というレベルでしかない」と指摘し、 「100枚以上におよぶ写真が示されて『似ている』というレベルで選別するならば、そこから1枚くらいは選ばれてくるのが自然というものであろう。してみ ると先の基準④での問題とも絡んで、『空くじなし』の写真帳から誰かの写真が選別される確率は高くなり、そのぶん同一性識別の正確度が落ちる危険性が高ま るということになる」「本来『似ている人』というレベルでの選別は、目星をつける範囲では許されても、厳密な同一性識別の上では許容されることではないも のである。その点について確定判決の分析は慎重さに欠ける」と批判している。

⑥の基準について
確定判決は、「識別者に対し、後で必ず面通しを実施し、犯人の全体像に直面させた上での再度の同一性確認の事実があること」という基準を挙げ、これにつ いて「付言」して「一般に、面通しは選別面通しが望ましいとされるが、しかし写真面割り後の場合は、写真面割り自体が選択的であれば、単独面通しであって も」よいとする。
この点について浜田鑑定は「選別面通しならまだしも選択肢が複数あるため同一性識別の正確度チェックになりうるが、単独面通しとなればイエスかノーかの 二者択一で、選択肢が限られる。そのうえ、本件でもそうであったように、逮捕された被疑者(ないし過激派の集会に参加している人物)として目撃者の前に登 場するのであるから、その暗示効果は相当なものと考えねばならない」とし、しかも、「写真面割り自体が選択的であれば」とする点に基準④⑤で述べられたよ うな問題があるとすれば、「多数の写真から『似た』写真を選択させるという手続き自体が同一性識別の正確性のチェックになりえていないとすれば、単独面通 しによる確認では結局、さんざん写真で見てきた人物の実物を追認するにとどまる結果になりかねず、前項で述べた危険性に歯止めをかけるものとはならない」 と批判している。

⑦の基準について
確定判決は最後に、「以上の識別は可及的相互に独立した複数人によってなされること」という基準を挙げている。
浜田鑑定は、「この点についても確定判決は『おおむね充足しているものと認められる』と言うのみで、それ以上立ち入った検討を加えていない」「写真面割 りを行ったのは直接捜査担当者であり、しかも同一捜査官が複数の目撃者に面割手続きを行っている。確定判決が証人たちの同一性識別が『可及的相互に独立し た複数人によってなされている』と認定したのは、たかだか目撃が別々になされ、識別行為自体が互いに別機会になされたと言うだけであって、各証人、目撃者 たちの写真面割手続きを行う人物についてまで、相互に独立になるよう配慮したわけではない。現に、問題となる7人についても、うち4人については、
久保田郁夫巡査部長―Tk、S
今野宮次警部補―Y、O
というふうに同じ捜査官が二人の目撃者に対して面割手続きをしているという事実があり、また事件後右の捜査官を含めた捜査会議が連日行われ、情報交換した ことがうかがわれる」として、確定判決の言うように「おおむね充たされていると即断することはひかえねばならない」と批判している。 (山村)
(以下、次号)

資生堂製品の不買を

土屋 翼

「化粧品は合法的な雪印食品である」

肉の国産、外国産のラベルの張り替え、松阪牛、神戸牛の産地偽造など偽表示の手法はいろいろある。しかし、ともかく肉であることにはかわりがない。
化粧品も中味は肉と似たり寄ったりである。中味は五十歩百歩(正確には五十歩五十一歩、二歩である)である。非合法肉と同じくラベルが違うだけである。いや「松阪牛とその他のノーブランドの牛肉は生産費が大分ちがうぞ」と異議がでるかもしれない。
化粧品ではそれは容器代なのだ。それ故、化粧品は容器を買うのだと思えば、資本主義的には正しい。もちろん虚栄心も満足させる。高い化粧品を一度買って、安いのをつめれば、虚栄心と財布を満足させ、一石二鳥である。

「化粧品は本と似ている」

ブランドとみなせる作者のものが全て面白く、値段と見合っているわけではない。読んで初めて、「いい本だった」といえるのである。もちろん、値段の高い 本がいい本で面白い本というわけではない。化粧品も買って使って、はじめて、「自分に合ういい化粧品だった」といえるのだ。値段やブランドではない。もし そうでないと思う人がいたら、判定能力がないか、権威主義(ブランド)に弱いだけである。

「化粧品はタバコと酒の中間に位置する身体に良くないものである」

こうであるからといって、化粧品もタバコも酒も世の中には必要である。タバコと酒は習慣性が強いが故に税金が高い、明治時代に戦争遂行のために、酒税が 掛けられたのは、前田俊彦(注)の本にくわしい。化粧品も習慣性がある。メーキャップはするとしないとでは大分容貌が異なるから、前日の顔とおなじにする ためには化粧をしなければならない。
基礎化粧品は例えば、保湿性のあるクリームを塗っていると、本来皮膚の細胞が持っている保湿力が衰えるから、保湿クリームを塗りつづけなければならない。基礎化粧品の自己矛盾である。

こんな、思想をもっているから、資生堂の研究室の職場では、パーフェクトに差別され、抑圧され、いじめられた。根が楽天的なのと (革命家は楽天的である!?)、呑気なのと少々愚かなので、36年余同一職場、同一職種、同一・・・でも我慢できた。話は変わるが、雪印食品で内部告発し た労働者は、日曜出勤してラベルを張り替えた労働者よりも、それまでも、これからも人事考課、ボーナス査定、その他あらゆる事で差別されつづけられるだろ う。小生の経験からも断言できる。内部告発法はないよりあったほうがよいかもしれないが、あっても根本的な解決にはならない。これらも資本との力関係が規 定するのだ。

この12月定年首切りとなり、ハローワーク(職安)にいった。失業者登録の面接官(50代でしっかりメーキャップした女性)に 「どうして現役の時よりも50パーセントも多い、賃金をのぞむのですか?」と問われた、小生はいった。「資生堂でパーフェクトに差別され、抑圧され、いじ められた。同期の中でラスマエの人とくらべても、賃金が50パーセントも安い。それゆえ、50パーセント高くても当然です」。「36年も勤めた会社をそん な悪くいってはいけませんよ」。「貴女、資生堂化粧品使ってますか?使っているなら今後使うのはやめてください」。
資生堂資本へのリベンジ、消費財メーカーへの直接的攻撃、「資生堂製品の不買」この拙文を読む方はぜひ協力をおねがいします。この不買の運動を掘ればす ぐわかります。富山再審運動と通底していることが。別々に進んで、同じ敵を撃つ。闘うことが、展望を開きます。お互いにガンバ。

(つちやたすく・国家賠償訴訟ネットワーク)
(注)前田俊彦・・・「瓢鰻亭」と称して三里塚に住んだ。83年3・8分裂(一坪共有地売り渡し策動とのたたかい)では脱落派に与した。

 

有事立法反対

5・24明治公園に4万人
「かちとる会」事務局も参加・ビラまきをやりぬく

5月24日、陸・海・空・港湾20労組と宗教者が呼びかけた有事法制反対の集会が明治公園を埋める4万人の参加でかちとられました。戦争法案への怒りが、大きな運動となり始めたのです。
集会に寄せられたメッセージと若々しい発言を紹介します。
「どんな戦争にも正義はありません。平和憲法を大切にして、みんなの力で戦争への道を閉ざしましょう」(吉永小百合
「憲法9条を誇りに思い、過去に起こった戦争をまた繰り返してはいけないと思います。有事法制反対の声をもっともっとあげていくことが大事だと思います。平和な21世紀のために、皆さんともにがんばりましょう」(大東学園高校3年土井ひろみ
6月16日には、10万人集会(代々木公園・午後1時~)がよびかけられています。なんとしても有事法案=戦争法案を廃案に追い込むために、全力で参加を!

【写真は明治公園における有事法制反対集会への4万人参加を報じる朝日新聞】

6・16代々木公園に6万人

 陸・海・空・港湾20労組がよびかけた「STOP!有事法制 6・16全国集会」に6万人の労働者・民衆が参加しました。「廃案に追い込むまでたたかい ぬこう」が、この集会の確認です。国会の会期の42日間延長を決めた小泉政権は、あくまでも有事3法案の成立を目論んでいます。さらにたたかいをおしひろ げ、有事立法の息の根を断ち切りましょう。

 今回の署名集めは、
うり美・・・・・1名+千円
亀・・・・・・・1名
富山、山村・・・0
でした。

いつもより1時間前に大井町に到着し、6月29日の集会のビラを会場の〈きゅりあん〉周辺にまきました。
今回は署名を集めることよりも集会への参加の訴えに専念しました。ビラが一人でも多くの人の手に渡り、集会を知ってもらえるように心掛けました。
「裁判のやりなおしを求めています、富山さんは無実です。集会に参加して下さい」「集会は6月29日、きゅりあんで行います、ぜひ参加してください」と声をかけ続けました。
気温が30度に近い夏日のせいかいつもより人通りが少なく、時々、通行人が途絶えます。空白時間が生じると「何で人がいなくなるの? 早く来い、早く来い」と念じながらビラをまきました。
みなさん、ぜひ集会に来てください。 (亀)

 5月30日付で、
「明日のための第二十六歩目。
暑い! 季節は一ヵ月早く夏のようです。でもまだ梅雨入りもしていません。時間の流れが早くなったようです。」
というお便りとともに、二千円のカンパを頂きました。ありがとうございました。

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ニュースNo164(2002年5月1日発行)

●ニュースNo164(2002年5月1日発行)◎戦争は究極の人権破壊―有事立法と「司法改革」

大井町ビラまき報告


◎戦争は究極の人権破壊―有事立法と「司法改革」

 とうとう有事法制3法案が国会に上程され、審議が始まりました。ついにここまで来たということです。日本が本気で、他国・他民族に対して武力攻撃をやろうとしています。それは帝国主義強盗同士の戦争と侵略戦争以外ではありません。

小泉首相は「備えあれば憂いなし」と述べています。何に対する「備え」なのでしょうか。「日本が攻められる、侵略される」と言いたいようです。しかし、 本当に日本が攻められる、侵略されるようなことがあるのでしょうか。まじめに歴史を学べば、全くの嘘で、近代以降の日本は攻めっぱなし、侵略し放題だった ことはすぐわかります。「ソ連が攻めてくる、占領される」、「テポドン」「拉致疑惑」「不審船」・・・みんなためにするデマゴギーで排外主義と愛国主義を 煽りましたが、ソ連など消滅してしまったではありませんか。真剣に考察すれば、唯一日本が「攻められ、占領される」リアリティーがあるのは、アフガニスタ ン侵略にみられるように、アメリカだけです。反対に、「いつ日本の経済侵略が武力攻撃に変わるか警戒を怠れない」というのがアジア人民の現実ではないで しょうか。侵略戦争と帝国主義同士の権益をかけた戦争への「備え」、本気で戦争をやるための「備え」、しかも漠然とした「備え」ではなく当面はアメリカと いっしょになって北朝鮮、中国―アジアへの侵略戦争をやるための切迫した具体的「備え」、これが小泉首相の言う「備え」です。いよいよ「戦争国家づくり」 もここまで来たといわねばなりません。

「武力攻撃事態法案」「自衛隊法改正案」「安全保障会議設置法改正案」、いずれも逆さまな言い方をしていますが、正体は「日本の武力行使法」「日本軍隊 法」「首相大権法」です。法案にいう「武力攻撃事態」とは、「武力攻撃が発生した事態」だけではなく「そのおそれのある場合」や「事態が緊迫し、武力攻撃 が予測されるに至った事態」がすべて含まれるのみか、「武力攻撃事態以外の国及び国民の安全に重大な影響を及ぼす緊急事態への対処」も盛り込まれていま す。いくらでも拡張解釈できるようになっているので、いつでも「国家の緊急事態」「国家有事」を宣言して自衛隊の武力行使が可能です。「国権の発動たる戦 争」「国の交戦権」の復活であり、憲法第9条の破壊に他なりません。

アメリカ・ブッシュ政権は、昨年の9・11以降、「対テロ戦争」を掲げて民族解放闘争の絶滅、資源略奪、世界市場の再分割をかけた侵略戦争を開始しまし た。「悪の枢軸」論にみられるようにアフガニスタン、パレスチナからイラク、イラン、北朝鮮へと拡大し、さらに対中国、帝国主義間戦争、第3次世界大戦を も想定しています。この弱肉強食戦に、むきだしの軍事力で他国を侵略し、支配できる力を持たないかぎり生き残れないことを知り抜いているからこそ、小泉政 権は必死の凶暴さで戦後憲法体制を根本から覆して、軍事独裁体制と国家総動員体制をつくりだそうとしているのです。

もう少し法案をみていきましょう。

国・地方公共団体・指定公共機関の戦争協力は「責務」であり、「国民の協力」は義務であると明記されています。あらゆる機関とそこに働く労働者が戦争に動員されるのです。
首相にいっさいの権限が集中され、国と地方自治体のあらゆる行政機関、公共機関、民間までもが設置された「武力攻撃事態対策本部」の指揮統制に従わせら れます。国会と議院内閣制を事実上解体して首相と軍部が実質的な権限を独裁的に握って軍隊や警察を自由に動かし、国家総動員体制をつくりあげることが可能 になるということです。ナチスの「授権法」にも比すべきものであって、憲法の全面停止を意味します。
戦争協力の義務化・強制と一体で「憲法の保障する国民の自由と権利」に「制限を加える」となっていますが、制限が無制約となるのは必至です。基本的人権と政治的社会的諸権利は圧殺されます。
自衛隊の制約が取り払われて、軍隊としての軍隊となった自衛隊の侵略と内乱鎮圧のための自由な戦闘行動を保障するために、新たな規定が設けられます。軍事最優先の社会に変わるということです。当然、非協力者に対する処罰規定も導入されています。

さらに関連法案を「二年がかりで制定」のうえに、次期通常国会で教育基本法を改悪するというのだから、戦争国家の担い手の創出という目論見は誰の目にも明らかというものです。
国会にはすでに「憲法調査会」が存在します。その「憲法調査会」は、調査とは名ばかりで、行われている議論の前提は改憲です。現実に改憲の内実がどしどし進行し、その実体・実態に沿って条文が書き改められるということになるでしょう。最大の攻防点は憲法第9条です。
改憲の最大の眼目である憲法第9条の破壊は、有事立法によって成し遂げられるのみか、戦後憲法の根本理念も否定されてしまいます。憲法は戦争を放棄して おり、したがって戦時や国家事変の際に元首や政府に与えられる国家緊急権を定めていません。また基本的人権を保障していますが(「国民」に限定し、在日朝 鮮人・中国人、沖縄県民を排除した問題について認識する必要があるが、ここでは割愛する)、これは戦争放棄と一対のものです。そして人民の権利と自由の度 合いは、さまざまなたたかいの帰趨、階級的力関係が決めてきました。有事立法はこれを根本から否定し、転覆し、剥奪しようとするものです。それは日本が国 家の基本に戦争を据えて本気で戦争をやろうとしているからに他なりません。(Ⅰ)戦争は国家の死活をかけたもの(Ⅱ)現代の戦争は総力戦、国家総動員型の 戦争であること(Ⅲ)戦争遂行のために「城内平和」を必要とすること、それも戦争賛成、戦争勝利、戦争遂行で国論を統一し動員する必要から戦争反対、戦争 妨害要因の根絶のための徹底性が求められることに起因します。一般的に権利と自由を制限する、奪うと言っているのではありません。戦争をやる、戦争反対は 言わせない、強制的に戦争に動員する、抵抗する者は弾圧すると言っているのです。憲法第9条の破壊をとおして社会のあり方は百80度ひっくり返ります。

こう見てくると、「司法改革」の狙い、役割はきわめて明瞭ではないでしょうか。

司法審(「司法制度改革審議会」)の中間報告に「司法改革」は「最後の要」とありました。改憲を先取りして、軍事独裁体制と国家総動員体制が不可避に生 み出す人民の抵抗と反乱を弾圧・一掃するための「戦時司法」を目指すものであることが、有事立法の登場で浮き彫りになったのではないでしょうか。
前号の「まやかし『司法改革』は改憲の先取り・戦争への道」はいまひとつ理解しづらいという意見がありましたので、「司法改革」のあかつきには私の原審はどういうことになるか想定してみます。
まず取調段階で私選弁護人の依頼はほぼ不可能でしょう。私が中核派であることから組織犯罪対策法・団体規制法、国際的組織犯罪条約関連法等々の規制に よって、また刑事弁護を受任する弁護士の減少や刑事弁護ガイドラインによる規制のために私選弁護人は困難で国選弁護人を選任するほかないという事態になる ことは十分ありえます。その国選弁護人が、戦前の治安維持法に問われた被告に向かって言ったように「転向しないと弁護は引き受けられない」と転向を迫る可 能性も大です。

公判にあたって。争点整理の段階で困難にぶちあたります。審理計画は「目撃証人の信用性」にしぼられたとしても、多分、「目撃供述調書」は検察官面前調 書しか開示されないでしょう。原審でも事前開示は検面調書だけでした。さあ公判開始、ところが証人尋問を始めようとしたら、たちまち裁判官から「争点整理 にもとづく審理計画を逸脱するから」と制止されます。被告である私だけでなく弁護人も弁護活動を制限され、それでも頑張ったら懲戒請求されて弁護士資格剥 奪となりかねません。それどころか「証人保護」の名目で「不出頭許可」ということだってありえます。ということで防御・反証活動ともに為す術もなく公判は 進行して「有罪」。そのまま控訴審・上告審と進んで、確定。執行。満期出獄。

さて、再審請求したいのですが、どうしましょう。「目撃供述調書」は検面調書しか開示されておらず、員面調書(司法警察員面前調書―警官が作った調書) の存在は知り得ないのだから(原審では証人尋問をみっちりやり、検察官を弾劾し、裁判官を説得して、員面調書の開示を実現した。さらに、「目撃供述調書」 が34人分あることも引き出した。これができなくなるとはどういうことかを考えていただきたい)、途方に暮れるしかありません。

かくして再審開始は殆ど絶無に近くなることでしょう。それでも再審請求が絶えることはありません。なぜなら今以上に冤罪そして誤判が増えるからです。
組織的犯罪対策法が登場したときに再審裁判闘争もできなくなると訴えました。今度は刑事裁判が刑事裁判でなくなったうえに、直接の当事者はもちろんすべ ての人民がそれに異議の意思表示することすら封殺・罰せられます(新治安法制下では署名やカンパさえ処罰の対象になる)。
すべての人民があらゆる刑事裁判に対して当事者です。傍観者でいることはできません。一人の人権が侵されるとき、すべての人民の人権が踏みにじられているのですから。このことが、有事立法という凶悪な攻撃によって、かえってはっきりしてきました。
もはや一人の例外もなくすべての人民が歴史の岐路に立たされ、戦後民主主義のなかで培われてきた平和意識の内実を問われています。事態がここまで来て、 ここで立ち上がらなかったら、後世の人々にそしられても仕方ないでしょう。いまや陸・海・空・港湾労働者の20組合が生命と生活をかけて、有事立法阻止の たたかいにたちあがっています。

不屈に粘り強くたたかいぬいてきた富山再審闘争が広範な人民と合流・結合するときがきたのです。声を大にして「一人は万人のために、万人は一人のため に」の実践を訴えれば訴えるほど、それが巨大な物質力となるときを迎えました。有事立法粉砕・改憲阻止、まやかし「司法改革」粉砕のたたかいの高揚ととも に再審開始・無罪実現の勝利をかちとりましょう。   (富山保信)

STOP!有事法制  5・24大集会
(於・明治公園・午後6時開場)

 STOP!有事立法&まやかし「司法改革」  6・5弁護士・学者・労働者・民衆の集い
(於・弁護士会館・午後6時から)

 今回の大井町での署名集めの結果は、

山村・・・・・・4
亀・・・・・・・2
富山・・・・・・1
うり美・・・・・0

でした。

 署名板を持って駅頭に立ったものの「体調が今ひとつだな」とボォーとしていたのに、始めてすぐ、30 代の女性が近づいて来て署名してくださいました。そのあとも続けて署名する人がいて、結局4名で1番。うり美さんからは「棚ぼたじゃん」と言われ、富山さ んからは「なんで私がまいたビラを受け取ってそっちで署名するわけ?」というジトッとした視線を浴び、常勝の亀さんからは「フフン、たまにはね」とあしら われた次第です。 (山村)

 「明日の為の第25歩目(数えていなかった)。
1ヵ月早く梅雨がきたようです。かっぱが必要になりました」

というお便りとともに2000円お送り頂きました。ありがとうございました。

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ニュースNo163(2002年4月1日発行)

●ニュースNo163(2002年4月1日発行)◎まやかし「司法改革」は改憲の先取り・戦争への道□大井町ビラまき報告


まやかし「司法改革」は改憲の先取り・戦争への道

 日本の司法の現状は、これを知る者、とりわけ裁判の場において現に国家権力と争っている者または経験者あるいは関係者にとって、その改革は急務だと痛感し、切望せずにはいられないほどひどい。
この数年、「司法改革」が鳴り物入りで論じられてきたが(1999年7月27日に「司法制度改革審議会」設置、2001年6月12日最終意見書提出、同 年12月1日司法制度改革推進法施行、「司法制度改革推進本部」―本部長は小泉首相で、全閣僚がメンバー―が発足、同年12月27日「司法制度改革推進本 部顧問会議」発令、2002年3月19日司法制度改革推進計画を閣議決定)、「これから三年間、関係の法整備などに取り組」むという。では、切望してやま ない司法に一歩でも近づくのだろうか。結論から言えば、全く逆である。基本的人権は踏みにじられ、人民が営々と積み重ねてきた努力の成果・権利はことごと く剥奪されるのみか、それを裁判で争うことさえできなくなるという恐るべき事態を現出させようというのが「司法改革」の正体に他ならない。本来ならば、司 法審(「司法制度改革審議会」)の最終意見書を俎上にあげて全面的に論じるべきなのだが、紙幅の都合で別の機会に譲って、ここではデッチ上げとたたかって いる当事者の立場から具体的に「司法改革」=歴史の逆行=人類の叡智への敵対がもたらす刑事司法の惨憺たる姿を暴いていきたい。
最終意見書には、あれほど饒舌に「司法改革」を論じながら(インターネットで引き出すにもA4・50枚では足りない)「基本的人権」という言葉が条文の 引用のほかには登場しない。捜査、逮捕、拘留、取り調べ、公判過程さらには執行過程でどれほどの違法・無法行為、人権蹂躙がまかり通っているか知らないと でもいうのだろうか。知らないはずはない。いや、知りすぎるほど知っているから人民の目をふさごう、たとえ気づいてもすべては「後の祭り」という状態にし てしまおうとしているのだ。
数限りない冤罪(まず膨大な数の冤罪が存在することを認識すべきだ。裁判官でさえ「三分の一は誤判」と述懐している例がある。微罪だと未解決事件は殆ど 累犯者の犯罪とされて「一件落着」となる。これが実態だ)が教えているように、捜査・逮捕・拘留・取調過程にメスを入れなければ冤罪は根絶できない。とこ ろが、ブラックボックス化している取調過程に光を当てようという気もなければ、悪名高い「代用監獄」すなわち拷問等の違法・無法行為やり放題の警察の留置 場への勾留の廃止も取り上げてはいない。例えば「捜査ガイドライン」の必要性を論じることもしない。そもそも冤罪はないという立場であり、刑事裁判の使命 は無辜の救済、無辜を罰せずにあるのではなく、社会秩序の維持を最優先するという観点に貫かれているからだ。この日本(にほん)においては、かつて一度た りとも公的に冤罪の研究・解明が行われたことはない。当然、責任も明確にされない。行ったことと言えば、どうすれば冤罪=権力犯罪が露呈しないですむかの 工夫に腐心しただけである。
したがって、事実認定に科学的知見を導入しようということもしない。ある裁判官が任官まもないころ事実認定の学習・研究に取り組もうとしたら先輩裁判官 に「事実認定はカンだよ」と言われたという逸話があるが、「代用監獄」の存続、取調過程の客観的保存(録音やビデオ化等)の否定等々のうえに、「裁判の迅 速化」の異常な強調をもって、たとえカンであろうと事実認定に精力を割くことさえ拒否しようとしている。
最終意見書が強調し、小泉首相が顧問会議(「司法制度改革推進本部顧問会議」―座長は司法審会長の佐藤幸治)での挨拶で「裁判は早く行われなければいけ ないのであり、こういう点を踏まえて司法改革に取り組んでいただきたい」と明言しているように、目指されているのは闇雲な「裁判の迅速化」であり、これを 実現するためには「推定無罪」原則の否定のもとに刑事裁判を儀式化してしまう、つまり人民が裁判で争えなくしてしまうということである。
最終意見書の「Ⅱ、国民の期待に応える司法制度」の「第二、刑事司法制度の改革」では、「準備手続きの創設」として第一回公判前に、裁判所が争点整理を 行って審理計画を決めてしまう、そして「連日的開廷の確保等」のために「裁判所の訴訟指揮の実効性の確保等」と「弁護体制等の整備」を行うという。噛みく だいて言えば、こういうことだ。国家権力が証拠を独占(実質的には隠蔽ということ)し、得手勝手な操作によって行われる事前の争点整理にもとづく公判で は、捜査権限のない被告・弁護側には第一回公判前までの期間に有利な証拠を収集するなど事実上不可能であり、しかも連日開廷とあっては防御権など絵に描い た餅ですらない。抽象的に論じても、成立させるためには「事前の証拠の全面開示」が大前提だが(すべての証拠を洗いざらい出して、その証拠価値をめぐる応 酬をたたかわせて、第三者の公平な判断を仰ぐということ)、一顧だにされてはいない。現実の裁判の場で常に争われるのは証拠開示問題である。松川事件での 「諏訪メモ」隠しに典型をみるように、捜査当局(警察・検察)が無実・無罪証拠を隠すからだ。都合のいい証拠だけを並べ、あるいはデッチ上げて、都合の悪 い証拠は隠したうえで決められる争点整理―審理計画に沿って行われる裁判など真実究明と無縁なことは考えるまでもない。はじめに有罪ありきで有罪宣告に向 かって問答無用で進行させる儀式にすぎないではないか。
それでも必死に抵抗し、たたかおうとする被告・弁護側に対して、裁判所は訴訟指揮権をいっそう強化してのぞむ(法廷での弁護活動や反証活動の制限、圧殺 ということだ。私の一審では法廷での反証活動をみっちりやって証拠開示をかちとり、それが無罪判決につながったが、「司法改革」のあかつきには「証人保 護」等を口実にできなくされる。そして、弁護士の弁護活動も制限される。争点整理から外れるからと、阻止される虞が大である。すでに被告と弁護人の秘密交 通権を圧殺しようとする動きがある。さらに、統一被告団、統一弁護団も存在できなくされる等々、被告は裁判の当事者ですらなくされてしまう)という。これ を貫徹するために、弁護士のあり方を一変させてしまう、つまり公的弁護制度の創設による刑事弁護の国家管理や、弁護士事務所の法人化による変質を狙ってお り、国家統制を法曹養成段階から図るものとして「法科大学院(ロースクール)」の創設もある(金の苦労など無縁の人間しか法曹界に進めなくなる。あるいは 苦学して法曹資格を得たとしても、その段階で1000万円―学費がそれくらいかかる―の借金を抱えて返済に奔走しなければいけないので、手弁当で刑事弁護 に取り組むのは困難とか、法曹資格を剥奪される恐れのある刑事弁護は敬遠するということになりかねない)。「司法改革」の狙いのひとつが(成否がと言って もよい)、個々の弁護士の屈服・変質はもちろんだが、弁護士会のまるごとの変質・翼賛組織化にあることは明瞭だ。
また「国民の司法参加」の謳い文句のもとに「裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映される」とされる裁判員制度とは、こうした刑事裁判の形骸化のうえに導入されるのであって、そもそも実態としても陪審制ですらない。
なお、もうひとつだけあげておけば、訴訟費用の敗訴側負担の導入は裁判を受ける権利さえ否定するものだ。これほどあからさまに「貧乏人に人権なし」を公言するものはあるまい。
要するに、小泉首相=行政権力の長が「国家戦略として取り組む」ものであって改善の余地など論じるまでもない。建前としての「三権分立」すら放擲されて いるではないか。現状でさえ冤罪をはらすのは並大抵の苦労ではないのに、「司法改革」が強行されてしまったら、しかも組織的犯罪対策三法や団体規制法さら にいま襲いかかろうとしているカンパ禁止法等の一連の治安法制の大改悪によって裁判のみか裁判支援さえがんじがらめにしようとたくらまれているとあって は、このままでは座して死を待つのみだと言いたくなる。断じて、そうあるわけにはいかない。いまこそ立ち上がり、声を上げて、たたかわなければならない。
さいわい、まだ間に合う。弁護士会も「司法改革」の反動攻勢に席巻されたわけではない。今年の日弁連の会長選挙の結果に見られるように、「司法改革」の 正体が暴かれるに従って「司法改革」反対の力が前進している。「司法改革」絶対反対派が1300票増大して5000、そうでないのが8000。弁護士会の 丸ごとの転向のために「戦争のできる国家体制づくり」勢力の総力をあげた攻撃と対峙してここまで前進したということは、いかに「司法改革」がひどいもの か、ありていに言えば「戦時司法」にほかならないことを示して余りあるといえよう。
いよいよ今国会には有事法制が登場する。現代版国家総動員法である。
小泉政権は、本音を隠そうとはしていない。昨年12月22日の外国船撃沈・虐殺の強行と、その引き揚げという軍事挑発、いわゆる「拉致問題」を使った排 外主義キャンペーン、朝鮮総連への破防法適用策動等々、アメリカ・ブッシュの「悪の枢軸」論以上の悪辣さで排外主義・愛国主義を煽って、戦争への道を突き 進んでいる。「小泉構造改革」とは、人間が人間らしく生きられる社会へと「構造改革」するのではなく、国家と大資本が生き延びるために人民を犠牲にすると いうことであって、大失業と戦争をもたらすものだ。
すでに国会には「憲法調査会」が設置されて改憲を前提に論議されている。憲法第9条について、もはや戦力不保持は歯牙にもかけず、交戦権の否認の否定が 公然と語られている。有事法制とは実際に戦争をするためのものにほかならない。そして、「司法改革」とは改憲の先取りであり、いわば内堀・外堀を埋めてた たかわずして落城させる最後の仕上げともいうべきものだ。
現憲法に結実されているのは、日本人民の「二度と戦争をしてはいけない」「侵略のための銃をとってはならない」「加害者にも被害者にもならない」という 反省と決意だ。これを言葉だけに終わらせてはならない。本当に実践するときはいまだ。さもなければ再び殺戮と破壊の東洋鬼としてアジア人民と対するのみ か、自らも悲惨の極にたたきこまれるのだ。
人権が踏みにじられるとき戦争が始まる。そして、戦争こそは人権蹂躙の極致なのだ。「司法改革」の行き着く先をみれば、「司法改革」と戦争の一体性は明 らかだ。まやかし「司法改革」は憲法改悪・戦争への道だ。まやかし「司法改革」をうち砕こう。戦争反対派は人民の多数派なのだ。これを正しく反映させよう と、心ある弁護士諸氏は決起している。私たちも、粘り強く、着実に、そして楽しくたたかおう。私たちは、必ず勝てる。ともに勝つためにがんばろう。  (富山保信)

 今回から、大井町での署名集めは、これまでやってきた再審要求署名から証拠開示を求める署名に切り換えて行うことになりました。
「34人の目撃者の供述調書がある」とされているにもかかわらず、検察官は、そのうち7人の供述調書しか開示していません。開示されていない目撃者の中 には、富山さんが「犯人」であることを否定している人がいることが弁護団の調査でわかっています。いまだに開示されていない残り27人の調書をはじめ、富 山さんの無実を裏づける証拠を検察官は隠しつづけているのです。検察官にとって有利な証拠は出すが、無実を訴える被告にとって有利な証拠は隠す、こんな卑 劣なことはありません。
弁護団は裁判所に、検察官に対して証拠開示命令を出すよう求めており、証拠開示を求めるたたかいが焦点になっています。
事件現場である大井町の人々にも証拠開示の重要性を訴えたいということで、今回、証拠開示を求める署名を前面に出して署名集めを行うことになったものです。
また、これまで、立ち止まって話を聞いてくれる人でも、「話を聞いただけでは、無実かどうかすぐには判断できないから」と言って署名は断る人がいまし た。そういう人たちにも、証拠開示を求める署名の「公正な裁判のためにも、まずはすべての証拠を明らかにして審理すべき」「検察官が証拠を隠しつづけてい るのはフェアではない」という主張は受け入れやすいのではないか、これまで署名をためらっていた人たちにも納得して署名してもらえるのではないか、という ことが定例会で話題になり、検討した結果でもあります。
証拠開示を求める新しいビラは富山さんが作りました(6ページにビラの表を載せました。裏面に事件の説明、裁判の経過、申し入れの内容がありますが、紙面の都合で割愛します)。
その成果は、

亀・・・・・・3名
富山・・・・・2名
山村・・・・・1名
でした(うり美さんは体調を崩してお休み)。

今回、署名を終わろうとしていると、杖をついた男性が近づいてきて、何をしているのかと富山さんに話しかけてきました。その人はしば らく前から署名している私たちを見ていたらしく、富山さんの説明に、すぐ署名してくれました。そして、富山さんが無実なのに10年の刑を受けた本人である ことを知ると、「それはご苦労さまでした。大変でしたでしょう」と帽子をとって深々と頭を下げられたのには、富山さんのみならず私たちも恐縮してしまいま した。
この方は、沖縄の名護市出身とのことで、「国家権力というのは平気でそういうひどいことをする。沖縄の例をみてもそれはわかる」とおっしゃっていまし た。また、既成政党に対しても「だらしがない」「選挙の時にしかいい顔をしない。選挙が終わるととたんに住民のことを忘れる」と批判されていました。
その他にも貴重なご意見を伺うことができ、こういう方が署名してくださったことに大変勇気づけられました。毎月欠かさず、大井町駅頭に立っていると時々すばらしい出会いがあるものです。 (山村)

 3月19日付で、

 「(歩数の)数えなおしありがとうございます。明日のための第23歩目。
季節は桜の咲く季節となりました。
20日以上遅れました」

というお便りとともに2000円。

3月28日付で、

 「明日の為の第24歩目。
季節は春を通り越して夏のようです。桜も雨で散ってすぐ葉桜になってしまいました。ぐっと外にいるのも楽になりました(雨と風以外ですが)。(あっと、花見ができなかったか。)」

というお便りとともに2000円を頂きました。ありがとうございました。

 練馬区の読者の方から、住所変更の連絡とともに、「『明日のための・・・』を真似して・・・。2000円、お使いください」とカンパを頂きました。
また、以前、集会に参加してくださった大井町の方から、「カンパ。いつも御手紙ありがとうございます。これからも頑張って下さい」というお便りとともに3000円を頂きました。
また、他にも集会に参加された方で、3000円振り込んでくださった方がいます。
みなさん、ありがとうございました。

▼以前、集会に参加してくださった方からニュースのお礼と、職場の都合で地方に引っ越すので今度はそちらに送ってほしい旨のメールが届きました。
お送りしているニュースが確実に読まれていることに大変励まされます。これからもよろしくお願い致します。