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ニュースNo.190(2004年7月15日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.190(2004年7月15日発行)◎たゆまざる努力を/依田敬一郎

大井町ビラまき報告

 □たゆまざる努力を

依田敬一郎

 富山保信様

前略、請求が棄却されたことは真に残念なことです。しかし、私の記憶では、再審決定は何度も請求棄却を経た後何回かのたゆまざる請求の結果認められる、というのが通常だと思っていますので、今後も引き続きご努力されることを願っています。

さて、棄却の決定書とこれに対する異議申立書写をいただき、早速読ませていただきました。決定のこじつけ理論には激しい憤りを感じます。また、異議申立 書は、まだ、第一の浜田鑑定書のところだけしか読んでいませんが、弁護人の先生達のご努力には敬意を表するものです。決定書について、私のような老人の弁 護士が意見を述べるべきではないと思いますので、感じたことだけを二、三述べさせていただきます。

その一は、検察官の控訴趣意として、「この種事件における捜査初期の員面は、警察官の尋問技術ないし調書技術の巧拙に左右されやすいこと」とあるところ です(11頁)。それならば、警察官の尋問技術ないし調書作成の巧みな技術による誘導によって、いくらでも被疑者に不利益な員面調書ができるわけです。私 は、この検察官の控訴趣意は、本件の員面調書が警察官の誘導によるものであるという浜田先生の意見を認めたような感じがします。

その二は、浜田鑑定は、「仮にその新規性を認めるとしても、既に述べたところ、例えば、鑑定経過に多分に推測の要素が入っていることなどに照らし、確定 判決が採用した証拠の信用性判断を揺るがす明白性があるとまではいえない。」とある「推測」という言葉です(12頁)。この点は、異議申立書(8頁)にも 「「推測」(実際には推論だが)」とありますが、私は「推測」でよいと思っています。広辞苑(岩波書店)では、「すいそく【推測】(ある事柄に基づいて) おしはかること。」とあり、広辞林(三省堂)では、「すいそく【推測】①おしはかること。推量。「心中を―する」②推理」とあり、また、推理については、 「すいり【推理】①わかっている事をもとにして、まだわからない事柄をおしはかって考えること②〔哲〕」(以下略)」とあります。即ち、「推測」という言 葉は推量という意味と推理という意味があるのです。推理ということを推測といってもよいのです。私は、浜田先生の鑑定書そのものは拝見していませんが、以 前に頂いた弁護人の意見書によれば、浜田先生が推測を推理(演繹的推理と帰納的推理を兼ねた推理)の意味で使われたことが明らかだと思います。

その三は、弁護人の「所論は、Kの供述は詳細で、合理性、迫真性、一貫性があること・・・などから・・・供述は極めて信用性に富むと主張する。」とある ところです(21頁)。私は、弁護人の請求書を拝見していませんが、その意見書は「合理性、迫真性、一貫性」となっていて、「詳細で」ということがありま せん。私は、供述書が「具体的」、「詳細」であることは、それの不存在が真実の信用性が無いことの理由とはなっても、それの存在が真実の信用性の理由には ならないと思っています。もし、具体的、詳細であればそれが真実だというなら、小説家の小説は総て真実ということになってしまうからです。このことは、宇 和島事件で、「自白について、検察官は、真犯人出現以前の当初の論告で『その内容は犯人でしかなしえない供述を含んでいるとともに、具体的、かつ詳細で客 観的証拠に符号していることなどに照らし、高度の信用性を有するものと認めるのが相当である。』と述べている。」(浜田寿美男著『自白の心理学』43頁) とあるところです。決定は、具体的、詳細で迫真性があれば真実という事実認定の通弊を表したものだと思っています。

私も、老人となり、何もお役に立てないで申し訳ありませんが、できることはさせて頂きたいと思っています。ご健闘を。

4月22日
(よだけいいちろう・弁護士)

依田さんは、私の同窓の大先輩です。日弁連の研究会で面識を得、青年法律家協会の発足メンバーであることも知りました。かちとる会主催の集会に参加していただくととも に、いろいろ教えていただいています。再審請求棄却情勢にあたっても、東京高裁第三刑事部への「慎重な審理を」という要請の呼びかけ人になっていただきま した。

今回も、さっそく激励の手紙をいただいたので、依田さんの許可を得てニュースで紹介します。依田先生、これからもよろしくお願いいたします。 (富山)

 

大井町ビラまき報告

 6月の結果は、
亀さん・・・・・・・3名
富山さん・・・・・・2名
うり美さん・・・・・1名
山村・・・・・・・・0

「ハルウララハルウララは決まったね」「やっぱり実力だよね」「また原稿を書かなくちゃね」「勝負の世界は厳しいのよね」等々、今日もまた一段とかしましい三人の声を振り切って、定例会の会場に向かうと、坂本さんが来ていた。
坂本さんは待ちきれないように、六月三〇日の「全逓4・28不当処分取り消し裁判」(東京高裁)での逆転勝訴のことを話し始めた。数年前まで全逓組合員だった坂本さんは本当にうれしそうだ。
一九七九年四月二八日、反マル生闘争を闘った全逓東京地本の組合員五十五名に懲戒免職の処分が出された。これに対して二十五年にわたって闘い続けてきた 人々がいる。全逓本部は、途中で、自らが指令した闘いの裁判を取り下げ、それに反対する被免職者の組合員資格を剥奪した。こうした、当局からの弾圧のみな らず、組合本部の裏切りにも屈せず闘い続けてきた七人に対して、東京高裁は、二年前の地裁の不当判決を覆し、「原告七名全員の処分撤回と職場復帰」を言い 渡したのである。
当時、支部長だった坂本さんの話では、「闘争を指令した本部は誰も処分されないで、末端の組合員だけが処分された」「組合員八人の支部で、五人が処分さ れた。二人が免職、二人が停職一年、支部長の俺は停職一ヵ月だった。支部長で停職になったのは俺だけだった」そうである。いかに選別的な処分だったかがわ かる。
懲戒免職になった組合員の一人が、坂本さんが富山再審集会で、いろいろな闘いの例を出す時に、必ず例に挙げて何度も「神矢君が」「神矢君が」と言っていたその神矢さんである。
坂本さんは、「反マル生闘争の時、本部が旗を降ろすと言った後も、うちの支部だけは十日間位旗を掲げていた。もうやむなく旗を降ろすことになった時、俺 は支部員に言ったんだ。確かにこの闘いで何かを取れたわけではない。しかし、俺は負けたとは思っていない。苦しい闘いだった。でも、みんなが、こういうこ とをもう一度やられるのはいやだ、こんな苦しい闘いはもういやだと思うのなら、この闘いは負けたと思う。しかし、みんながまた同じことをやられたら、また やってやるぞという気持ちでいるなら、この闘いは勝ったと思っている。そう言ったんだ。何度でもやってやるという連中が神矢君たちだった」と誇らしげに 語っていた。
何があっても闘いの意志を堅持し続けることの大きさを、神矢さんたちの闘いは示している。諦めたら負けだ。
そして坂本さんは、当時を振り返って、「楽しかったよな。一日でも職場に行きたくないと思うような日はなかったもんな。毎朝起きると、今日は何してやろうかとわくわくしていた」と言う。
この精神が重要ですね。最近、大井町に立つたびに暗い気持ちになりかかっていた私は、坂本さんに学び、もう一度巻き返しをはかりたいと思うのである。次をご覧あれ。(山村)

大井町のYさんから

休載

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