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ニュースNo.211(2006年4月15日発行)

 

タイトル 無実の富山さんの再審無罪をかちとる会ニュース ●ニュースNo.211(2006年4月15日発行)◎7月8日に集会を行います
広島に行って来ました
M先生から

大井町ビラまき報告

7月8日に集会を行います。ご参加ください。

□集会を行います

7月8日(土)に「きゅりあん」において「異議あり!真実を踏みにじった再審請求棄却決定 異議審勝利7・8富山再審集会」を行 います。講師は中川孝博さん。「再審の現状と富山再審・異議審の課題」(仮題)と題して、初めて講演していただきます。中川さんの紹介は中川さん自身の自 己紹介がたいへん楽しいので、中川さんの許可を得て、ホームページ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakagawa1015/0001main.htm
から転載します。

プロフィール

管理人の自己紹介です。

歴・職歴・生育暦などがのってます。
基本情報
氏名: 中川 孝博(なかがわ・たか    ひろ)
生まれ: 1969年10月 富山県 生まれ
血液型: A型
肩書き: 龍谷大学法学部教授(刑 事法)
仕事: 刑事法研究(メインは刑事 訴訟法学)
趣味: 音楽を作り、弾き、聴くこ と。

学歴

1982年3月 立山中央小学校卒 業
1985年3月 富山大学教育学部 附属中学校卒業
1988年3月 富山中部高校卒業
1988年4月 一橋大学法学部入 学
1993年3月 一橋大学法学部修 了
1993年4月 一橋大学大学院法 学研究科修士課程 入学
1995年3月 一橋大学大学院法 学研究科修士課程 修了
1995年4月 一橋大学大学院法 学研究科博士後期 課程進学
1999年3月 一橋大学大学院法 学研究科博士後期 課程修了、博士(法 学)

職歴

2000年4月 大阪経済法科大学 法学部助教授
2004年4月 龍谷大学法学部助 教授
2006年4月 龍谷大学法学部教 授

生育暦

【幼年期】

茨城県、福井県と流浪し、6歳のときに富山県に戻る。立山町で育つ。
幼稚園生のころのフェイバリットは、「1本でもにんじん」。「およげたいやきくん」は悲しくなるので嫌いだった。

【小学生期】

7歳のころ、「小学生のためのクラシック」なるLPを両親からプレゼントされ、毎日毎日きいていた。
8歳のときにピアノをはじめる。クラシック音楽家になることを夢見る。
11歳のころ、ピアノソナタの作曲を試みているが、どうしても転調ができず、頓挫する。
小学校の卒業文集には、「将来、音楽評論家になりたい」と書いている。

【中学生期】

それでも作曲への想いは断ちがたく、こつこつと独学で勉強。
15歳のときにHEAVY METALと出会い、突如「俺はメタルをやるために生まれてきたんだ!」と思いこむ。

【高校生期】

17歳のときにエレキ・ギターを始める。「やはり俺はメタルだ!!」と確信する。
メタルだとは思いつつも、クラシックへの想いも依然あり、作曲などもぽつぽつしていた。
同じく17歳のとき、演劇部の催しで劇付随音楽の作曲と演奏を委嘱される。当時は新ウィーン楽派にこっていたので、ベルクばりの4度音程ばかりからなる音列を使った、無調だけどロマンティックな曲を作った。
ピアノはずっとやっていたが、同じく17歳のときの発表会でベートーヴェンのヴァルトシュタインソナタを弾いた後、ピアノ教室をやめる。
エレキ・ギターをこつこつと練習し、18歳(高3)のときには、秋の高校祭のときにバンド演奏をする(アンセムのコピーバンド)。あるガリ勉君に「大学入 学は5年計画かい?」と言われるが、そんなつもりはさらさらなかったことはいうまでもない。

【大学生期】

上京。プロミュージャンとなるべくアクティブに活動する。
20歳(大学3年)のとき、法学のゼミは避け、シューベルトの歌曲を研究するゼミに入ろうとするも、「法学部生は、法学のゼミに入らないとだめだ!」とのたまうおせっかいな友人に文字通り腕をつかまれ、ひっぱられ、刑事法のゼミに入る。
ゼミは、えらくハードだった。鹿児島夫婦殺し事件、甲山事件、大高緑地アベック殺人事件、大野城事件、野田事件等々の重大事件の記録を片っ端から検討し た。模擬裁判もやった。他大学のゼミと討論会もやった。他大学のゼミと合同合宿もやって、山田悦子さん(甲山事件の被告人だった方)にきていただき、話し をうかがい、涙した(当時は上告中だった)。自主ゼミもしょっちゅう開き、よく討論した。このような過程を通じて、刑事法の世界にはまっていく。
22歳(大学4年)のとき、主として経済的理由から音楽家になるのを挫折。バンド脱退。
ちなみに、バンド名はRAZINGSTEEL。バンド自体は現在も頑張っている。応援してください!
挫折後、本格的に刑事法の世界へ。

【大学院生期】

やはり僕は音楽だろうかと思い、26歳(D1)のころからMIDIによる作曲を始める。
曲を作ってMIDI音楽関係雑誌に投稿すると必ず掲載される。
本業に深刻な影響を与えたため、28歳(D3)のころにすっぱりMIDIからは足を洗い、博士号へ向けてまっしぐら。
D論執筆後、息抜きに、あるクラシック音楽雑誌の企画、「CD批評新人賞」に応募し、「あと一歩だった方々」30名の1人となる。

【社会人期】

32歳のとき、15年ぶりにピアノを始める。全く手が動かなくなっていたことに驚愕する。
仕事を理由に練習をさぼりがちなため、33歳のときにホームページをつくり、演奏の公開を始め、ペースメーカとする。
ホームページはあくまでも刑事法講義支援が主目的だったのだが、今年(2003年?)はさまざまな事情で大教室での講義をほとんど担当しないため、本末転 倒だが、音楽をメインにすえることに決定。ピアノ演奏だけじゃなく、これまで作ってきた曲なども公開。
これを大学のサーバに置くのはなんとなく後ろめたいので、別のサーバに心機一転、設置。

業績

『合理的疑いを超えた証明──刑事裁判における証明基準の機能』(現代人文社、2003年)
「目撃供述に関する裁判例の検討」「刑事裁判における証拠説明の意義」
「刑事裁判における証明基準の研究──「合理的な疑い」の機能的検討(一~七・完)」
「情況証拠による事実認定に関する試論」
「犯人識別供述の信用性評価に関する試論」
「証明と証明責任」
「「合理的疑い」の果たすべき機能」
「刑事裁判における事実認定研究試論(一)」
「再審理論の再検討」
「誤判原因の分析方法」
等々、書籍、論文、判例研究多数。

7月8日 みなさんのご参加をよろしくお願いいたします。

□広島に行って来ました

 3月8日、富山再審・異議審の学習会のため広島に行って来ました。「学習会をするから資料がほしい」という要請に「俺行くから」 と二つ返事で応じたのはいいが、いざとなると事件の説明から始まって、原審そして再審請求、さらに東京高裁第三刑事部による再審請求棄却決定、そのうえ異 議審とは何かに至るまでを40分から1時間で語り尽くすのはそうたやすいことではありません。そこで考えついたのが「そうだ、たしかビデオがあったはず だ」。捜し出して見てみるとなかなかのものではありませんか。さっそくダビングして持参したところ、40人の集会参加者のほとんどが「わかりやすい」と好 評。あらためて制作者の山村、うり美の二人に感謝。ただひとつしゃくにさわるのは、私の74年、81年当時の写真が登場するたびに「エエーッ」「嘘ーッ」 の声があがること。誰にも若いときはあったのです。もちろん私にも。本当に遺憾に思いました。
 それはともかく、たしかにビデオはわかりやすい。ものすごく説得力があります。私が出(獄し)てからのヴァージョンの内容濃いものを創る必要があると痛感しました。
私が学習会で話したなかで強調したのは、とにかく楽しくやろうということです。たたかいは楽しいものであり、そもそも楽しくなくては長続きしないという のは私の持論です。いかにも広島らしく律儀者の集まりという学習会でした。こういう学習会を年に何回かできれば素晴らしいし、ぜひともできるようになりた いものです。            (富山)

□M先生から

いつもニュースをお送りいただき、ありがとうございます。カンパ(ニュース代)として、5000円をお送りします。なお、4月1日より〇O大学に勤務することになり、転居することになりました。
つきましては、今後は、ニュースを下記の住所までお送りいただきたく存じますので、よろしくお願いいたします。 (3月30日)

 

大井町ビラまき報告

亀・・・・・6
山村・・・・2
うり美・・・1
富山・・・・4

ビラまき報告も月日が経ってから書こうとすると、忘却の彼方となってしまう。記憶というのは、日に日に失われていく。(だから早く書けっていったでしょ!と叱責されそうだ)
そんな消えいりそうな記憶をひもときながら、何とか仕上げたい。

この日、大井町駅前には、顔が真っ黒に日焼けしてるのか、はたまた黒く塗っているのか判別がつかない、所謂「ガングロ」の女子高生が 2人、地ベタに座りこんで話していた。そんな中、私たちは署名とビラまきを始めた。楽しそうに話しこむ女子高生2人を尻目に、私達はせっせとビラをまく。 だが私達の行動は、この女子高生達の目に一体どのようにうつっているのだろうか。今時の若者言葉で言えば「ウザイ」とでも思ってるのだろうか。私はビラを 渡すのを躊躇していた。
そこに富山さん、果敢にも女子高生達に話かけている。「えー、10年も入ってたのー」悲鳴にも近い女子高生の声は駅前に響き渡っていた。富山さんが署名 をお願いすると「します、します」と言って心よく署名をしてくれていた。なんということか。一度に2名も署名がとれて、富山さんご満悦の様子。
そして、さらなる幸運が。20代の男性が富山さんのビラを受けとると「10年も臭いメシ食べてたんですか?」「僕も少年院にいたことがあるから」と意気投合。すぐ署名をしていた。まるで富山さんの独壇場だ。
この日の私は、亀さんが「向こうでも署名してますから」と誘導してくれたおかげで1名獲得。ゼロはなんとかまぬがれた。
今回の教訓。人は、みかけで判断してはいけませんね。 (うり美)

大井町のYさんから

休載

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