□渡部保夫先生の御冥福をお祈り致します
―必ず再審を実現し、冤罪根絶へ前進します
4月12日、渡部保夫先生が亡くなられた。「突然の訃報」などというありきたりの表現では追いつかない、まるで無防備なところをいきなり張り飛ばされたような衝撃だった。
急遽、駆けつけた札幌は、4月も半ばだというのに「偲ぶ会」も「お別れの会」(葬儀は無宗教形式で行われた)も雪の降るなかだった。
そういえば先生のお宅に初めてお邪魔したときも、まだ秋の終わりだというのにすでに雪が降っていた。半日、話を聞いていただいたうえに、食事をごちそう になり、さらに自らハンドルを握って〈札幌芸術の森〉の有島武郎旧邸に案内までしていただいたのには恐縮とか感激を通り越して、驚きの連続だった。経歴だ けを見るとまぎれもなくエリートコースの人であり、判決や著作で判断する限り、話は聞いていただけるだろうと期待はしていたが、まさかこれほど歓待してい ただけるとは想像を絶していた。以来、何度か先生のお宅をお訪ねすることになった。先生のお話を伺うことと倫子(みちこ)夫人の手料理をご馳走になるのは このうえない楽しみだった。せっかく「泊まっていきませんか」と言っていただいたのだから、厚かましく甘えても・・・と思うことがしばしばだった。
その先生が亡くなるなんて、2年前にガンを克服されて「これからは、定期的な検査だけでいいそうです。主治医が治療としては稀なくらいの成功例なので学 会で発表したいそうですよ」とうれしそうに語っておられたので安心していたのに、なんということだ。どうしても実感がわかない。けっこう茶目っ気があっ て、失礼な言い方を許してもらうならば、可愛さいっぱいの人でもあった先生が、「実は生前葬なんですよ」と笑いながら起きあがってきそうな錯覚にさえ襲わ れる。しかし、献花になり、遺族の方々の嘆き、とりわけ倫子夫人が私の手を取ってことばにならないことばで必死に訴えられる様子に、本当に先生は亡くなっ てしまわれたのだという厳粛な事実をうけいれざるをえなかった。
弔辞は、いずれも心のこもった、そしてあらためて教えられることの多いものだった。こういう弔辞が寄せられるところに先生の人格の反映があると痛感させ られた。今日、友人、知人、弟子たちからこれほど愛され、慕われる師が、はたしてどれほど存在するだろうか。人として生きるならば、かく生きたいものであ る。
印象に残った弔辞を紹介したい。冤罪に憤りを抱かれていた、というよりは冤罪をはっきりと憎んでおられ厳格な事実認定の研究と確立に心血を注がれた先生 は、司法修習生として指導されたM教授に餞(はなむけ)として「花井卓蔵の陳述書」を贈られた。M教授は「宝物」と大切にされている。私などは、先生から この話を伺ったときはずいぶん気前がよいと思ったものだ。先生にとってはM教授を高く評価するだけでなく、ものの価値のわかる人物ひいては社会全体で愛で るべきという考えもあったのだろう。先生の業績が、たとえ立場を異にするものも無視できないまでに屹立していることは、万人の認めるところである。その淵 源を鮮やかに照らし出す弔辞であった。
もうひとつ。先生は、北大教授時代に、ドクターコースの院生の研究課題の材料に研究資料をそっくり提供されたそうである。弟子の功績をとりあげて自分の 成果にしてしまう例が少なくないなかで、こんな例は稀有である。驚嘆に値する。さらに原書の翻訳にあたっても、ともに机を囲んで取り組まれたそうである。 学恩ということばが実体をともなって理解できる事例である。これでは発奮せざるをえない。
さて、わが富山再審と渡部先生である。そもそも先生との会話は「弁護の依頼にいらっしゃったのですか」から始まった。そこまでおっしゃっていただけると は想定しておらず、訪問の目的は講演の依頼の予定であった。結局、論文執筆等で富山事件・富山裁判を取り上げ、広く関心・注目を喚起していただくことに なった。それ以来、恩恵に浴しっぱなしである。
強力な援軍を得て、私と弁護団はこのうえなく勇気づけられ、「法と心理学会」結成の機運の盛り上がりともあいまって、法曹界・法学会において富山事件・ 富山再審を無視するわけにはいかないまでに市民権を得るにいたっている。だからこそ、たまりかねた中川武隆裁判長は再審請求棄却という暴挙にうってでてき たのだ。
この暴挙を目の当たりにした先生の反応は素早かった。「棄却決定に対する反論を書きたいので、私も弁護団に加えてください」というものだった。もともと 再審請求棄却策動を読み切って攻勢的に迎え撃った弁護団の士気は旺盛だったが、渡部先生の参加を得て、一層高揚したことは言うまでもない。異議審におい て、証拠開示の必要性、重要性を全面的に明らかにした意見書の作成に取り組んでいる最中の訃報は、痛恨の極みである。渡部先生の遺志を引き継ぎ、なんとし ても異議審において棄却決定の撤回をかちとり、再審開始を実現したい。そして、冤罪の根絶にむけて一歩でも前進すること、お世話になった先生に万分の一で も恩返しできるとすればこれをおいて他にない。全力でがんばりたい。
渡部先生、本当にありがとうございました。必ず再審を実現します。冤罪根絶への確実な前進としてかちとります。見守っていてください。
(富山保信)
▼渡部保夫先生の経歴
1929年10月27日
北海道室蘭市に生まれる。
1951年10月
司法試験合格
1953年3月
(旧制)東京大学法学部卒業
1955年3月
司法修習過程修了。同年4月、青森地方裁判所・家庭裁判所判事補。以降、函館地裁・家裁、東京地裁・家裁の判事補、東京高裁の判事職務代行、秋田地裁・家裁の判事補を歴任。
1965年4月
東京地裁・家裁判事
1966年4月
東京高裁判事職務代行
1968年4月
札幌地裁・家裁判事
1977年3月
最高裁の命令で、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカの裁判所の視察
1977年4月
最高裁刑事調査官
1981年4月 札幌高裁判事
1985年4月 判事退官
1985年4月~
北海道大学法学部教授
1993年3月
北海道大学教授退官
1993年4月~
札幌学院大学法学部教授
1996年9月 弁護士登録
1998年3月
札幌学院大学退職
2007年4月12日 逝去
(享年77歳)
▼主な著書
「刑事裁判ものがたり」(潮出版社)
「刑事裁判の光と陰」(共編著)(有斐閣)
「病める裁判」(共著)(文藝春秋)
「無罪の発見―証拠の分析と判断基準」(勁草書房)
「ギスリー・グッドジョンソン『取調べ・自白・証言の心理学』」(共訳)(酒井書店)
「日本の刑事裁判―冤罪・死刑・陪審」(共著)(中公文庫)
他、著書、訳書、論文等、多数。
※ 偲ぶ会で配られた小冊子より抜粋させて頂きました。 |