●ニュースNo151(2001年4月1日発行)◎司法改革・教育改革は憲法改悪に直結する戦争への道 |
死刑と無罪の谷間で ― いまに活かす『八海』
前号のニュースでも紹介しましたが、八海事件発生五十年を迎え、4月21日、広島市で上記の集会が開かれます。 さらに、6月30日、東京で、「無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会」主催で、阿藤周平さんをお招きし、富山さんの再審の開始・再審無罪を求めて集会を行います。多くの方々のご参加をお願い致します。 |
□裁判長がまたも交代
4月1日付の最高裁人事で、富山さんの再審を審理している東京高裁第三刑事部の仁田陸郎(にった・むつお)裁判長が横浜地裁所長に異動したことが、新聞報 道で明らかになりました。新聞では後任は、新潟地裁所長だった中川武隆(なかがわ・たけたか)裁判官が着任するようですが、詳しくは次号でお知らせしたい と思います。 |
□特集 その3
世紀を越えて …今、八海事件を考えるつくられたえん罪 3月上旬、私は阿藤周平さんが暮らす大阪に行って来た。八海事件は、事件発生から50年(半世紀)という歳月が流れた。あの、苦痛に満ちた無実の叫び、警察への怒りは、今も忘れられず生き続けている。阿藤さんと話をしていて、私はそのことを一番感じた。 □辛い記憶…警察の取り調べ八海事件発生から50年という歳月が経ったわけですが、今振り返って思うことは、という私の問いに、 □不当逮捕(1951年1月29日)阿藤さんが逮捕されたのは、事件発生(1951年1月24日)から5日目であった。吉岡は事件から2日後の1月26日にすでに逮捕されていた。 □警察による拷問阿藤さんは、自分はやってないんだと何度も何度も言ったという。 (次号に続く) |
内堀・外堀が埋められてからでは遅い―司法改革・教育改革は憲法改悪に直結する戦争への道(その一) 4月3日、「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・西尾幹二電通大学教授)が編集した「歴史」「公民」のふたつの中学校教科書が、文部科学省の検定に合格 しました。「歴史」137カ所、「公民」99カ所という異常な数の修正要求に応じて、というよりは教科書検定審議会でさえこれほどの修正要求をせざるをえ ないほど歴史を歪曲した「教科書」の名に値しない代物を、この時期にあえて登場させてきたところに、「つくる会」のみならず政府・文部科学省のなみなみな らぬかまえをみてとることができるのではないでしょうか。けっしてたんなるアナクロニズム(時代錯誤)などではなく、〈このままでは日本はたちゆかぬ。も はや沈み行く泥船と化しつつある〉という上層も下層も共通の認識に達した現下の状況への激しく、鋭い対応に他なりません。日米安保新ガイドラインの締結と ならぶ決定的踏切なのです。 じっさい、「日本人として自信と責任がもてる教科書です。修正を余儀なくされた部分もあるが、ほぼ趣意通りの教科書が誕生したことを喜びたい。我が国の歴 史への愛情を深めるのにきわめて忠実な教科書だ」と西尾が記者会見で語っているとおり、修正によってもこの教科書の反動的主張は基本的になにひとつ変わっ てはおらず、修正要求は内外の批判をかわすためのペテン、ごまかしにすぎません。 そして、これまで侵略戦争や天皇制を批判する歴史認識をさんざん弾圧してきた文部科学省が、「検定で執筆者の歴史認識の是非を問うことはできない」という 談話を発表する裏で、教科書会社に圧力をかけて軍隊慰安婦や南京大虐殺の記述を大幅に後退させたという事実を重視しないわけにはいきません。日本政府が大 東亜戦争肯定論・皇国史観にお墨付きを与えたことを意味しており、ふたたびアジア侵略戦争を宣言したに等しい歴史的暴挙です。 |
検察官は富山さんの無実を示す証拠を隠すな! 裁判所は、無実の証拠を隠し続ける検察官に対して、証拠開示命令を! 検察官が証拠開示を拒否 この間、富山再審弁護団は、検察官に対して、証拠開示を求めて折衝を繰り返してきました(ニュース148号、150号参照)。 |
3月の大井町での署名集めは、春の嵐の中で行われた。その中で亀さんは2名の署名を集め、富山さんと山村は完敗。うり美さんはお休み。 「明日のための第十三歩目。桜は満開で春は来ました。終わらない冬はありません」というお便りとともに二千円のカンパを頂きました。ありがとうございました。 |