上申書
請求人 富山 保信
一 上記請求人弁護人は、1999年2月9日付をもって証拠開示命令の申立をなし、御庁におかれて、検察官に対し、別紙証拠目録記載の証拠につき弁護人に閲覧謄写させよとの命令を発せられるよう求めた。
二 その後弁護人は、数回にわたり御庁におかれて、速やかに検察官に対して、上記命令を発せられるよう上申書をもって、あるいは面会して申し入れたが未だに上記命令を下されないまま満2年以上が経過した。
三
・ 適正、公平かつ迅速な裁判を受ける権利は、再審請求人についても保障されていることは御高承のとおりである。
莫大な丁数の控訴事件が数多く御庁に係属しているため結果として本件申立事件につき審理が遅れている事実については理解し得ないものではない。しかしなが ら、別紙証拠目録記載の証拠の開示は、「事案の真相を明らかにし」(刑訴法1条)、請求人につき再審開始決定を下されるためには、決定的に重要な証拠とな り得るものであり、一日も早く御庁が証拠開示命令を下されることが憲法、刑訴法上要請されているものと思料する。
・ けだし、白鳥再審事件における再審棄却決定に対する異議申立棄却決定に対する特別抗告事件において最高裁第一小法廷は以下のとおり判示されている。
「同法435条6号にいう『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋 然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らかな証拠であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとする ならば、はたしてその確定判決においてなされたような事実認定に到達したであろうかどうかという観点から、当の証拠と他の全証拠と総合的に評価して判断す べきであり、この判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、『疑わしいと きは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきである。」(昭和50年5月20日決定・最高刑集29巻5号180頁、同旨福 岡高裁平成12年2月29日決定・判例タイムズ1061号272頁)。
本件申立にかかる別紙証拠目録記載の各証拠は後述する理由により、上記判示のとおり、まさに「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」となり得るものである。
・ さらに再審請求後に得られた他の証拠をも再審事由の存否を判断するに際して、その検討の対象とすることができることは、最高裁第三小法廷平成10年10月27日決定が以下のとおり判示されるところである。
「刑訴法435条6号の再審事由の存否を判断するに際しては、大隈誠作成の前記書面等の新証拠とその立証命題に関連する他の全証拠とを総合的に評価 し、新証拠が確定判決における事実認定について合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠(最高裁昭和46年(し)第67号同50 年5月20日第一小法廷決定・刑集29巻5号177頁、最高裁昭和49年(し)第118号同51年10月12日第一小法廷決定・刑集30巻9号1673 頁、最高裁平成5年(し)第40号同9年1月28日第三小法廷決定・刑集51巻1号1頁参照)であるか否かを判断すべきであり、その総合的評価をするに当 たっては、再審請求時に添付された新証拠及び確定判決が挙示した証拠のほか、たとい確定判決が挙示しなかったとしても、その審理中に提出されていた証拠、 更には再審請求後の審理において新たに得られた他の証拠をもその検討の対象にすることができるものと解するのが相当である。」(最高刑集52巻7号369 頁)
上記判示は、再審請求を認容する事案についても妥当する。
本件再審請求事件につき別紙証拠目録記載の証拠の取調べは決定的に重要であると思料する。
無実を叫ぶ請求人の強い要望にもかかわらず、これらの証拠が早急に開示されることなく、時を経過することは、憲法上の要請に応ええない結果に陥るものと思料する。
四 最高裁判所第二小法廷昭和44年4月25日決定(証拠書類閲覧に関する命令に対し検察官のした異議を棄却する決定に対する特別抗告事件・最高刑集23 巻4号248頁)は、地方裁判所の証拠調に入った段階での証拠開示命令に関する検察官の特別抗告に対して以下のとおり判示された。
「裁判所は、その訴訟上の地位にかんがみ、法規の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり、適切な裁量により公正な訴訟指揮を行ない、訴訟の合目的的進行をはかるべき権限と職責を有するものであるから、本件のように証拠調の段階に入った後
、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲 覧を求める証拠の種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつこれにより 罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させる よう命ずることができるものと解すべきである。
そうして、本件の具体的事情のもとで、右と同趣旨の見解を前提とし、所論証人尋問調書閲覧に関する命令を維持した原裁判所の判断は、検察官においてこれに従わないときはただちに公訴棄却の措置をとることができるとするかのごとき点を除き、是認することができる」
本件においては、まさに「その閲覧が被告人の防禦のため(本件においては請求人の再審開示決定を得るため)特に重要であり、かつ、これにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるとき」に該当する。
五 本件刑事事件においては、第一審(東京地裁)、第二審(確定判決が下された東京高裁)、上告審を通して、富山保信被告人(現請求人)に関連して罪証隠滅行為は一切なく、警察官、検察官からこれを指摘されたことも一切なかった。
本件再審請求事件については、罪証隠滅のおそれは全く存在しない。まして開示される証拠についてこれを隠滅することは不可能なので、上記各判例の法理は本件事件について一層妥当するものと思料する。
以下、従前の申立書、上申書に付加して証拠開示の必要性につき上申する。
六 本件では34名の目撃者の供述調書があることを捜査責任者の中島敏が法廷で証言している。そのうち、供述調書が開示されたのはY、S、Tk、O、I、K、Tgの7名であり、残り27名の目撃者の供述調書は明らかにされていない。
1994年6月20日提出の浜田寿美男花園大学教授による鑑定書「富山事件目撃供述についての心理学的視点からの供述分析」(以下、「浜田鑑定書」)にもあるとおり、上記7名以外に
目撃者33名(あるいは30~31名)
調書作成者27名
写真面割実施者19名
写真選別者13名(うち9名は請求人の写真を選別せず)
請求人写真選別者4名
面通し実施者13名(うち10名は請求人を同定せず)
面通しでの請求人同定者3名
が「ブラックボックス」の中にあり、いまだに明らかにされていない(浜田鑑定書20~21ページ)。
確定判決は「起訴後の立証はそのうちで検察官が良質と思料する者を選択して証人申請するものであろうから、目撃証人の数が限定されるのは当然であろう」と する。しかし、浜田鑑定書が述べているように「ここに言う『検察官が良質と思料する者』が、真実を明らかにするために『良質』であるのか、それとも検察官 が請求人=犯人指揮者とする犯行仮説を支持するうえで『良質』(つまり有利)であるのかを、はっきり区別しておかねばならない。もちろん原則的には当然、 前者でなければならないのだが、そうである保証は当のブラックボックスの内を覗くことができる検察官以外に与えられていない。」(浜田鑑定書22ページ) のである。
これらの証拠について、検察官は「再審事由に該当する証拠がない」として開示を拒否しているが、「再審事由に該当するか」否かは検察官の判断のみにまかせられることではなく、裁判官、弁護人、請求人の検討をとおして判断されるべきことである。
七 本件は、犯人3人が車道上で被害者を殴打し、少し離れたガードレールの内側の歩道に指揮者が立っていたというものであり、請求人はこの「指揮者」とされている。
ところが、本件で明らかになっている7人の目撃者の事件直後の供述は、そのうち5人が車道上の殴打場面にいた犯人を目撃したとし、2人が歩道上の指揮者を 目撃したとして、いずれも請求人の写真を選んでいる。違う場面にいた、したがって当然にも別の人物を目撃していながら同じ請求人の写真を選んでいるのであ る。物理的に同一人物は、同一時刻に異る場所に存在し得ない。また、同一人物は、同一時刻に指揮者としての行動と殴打犯としての行動とをすることは出来な い。
7人の目撃者の供述は相互に決定的に矛盾している。
この点について、浜田鑑定書の第二部、第一章「7人の目撃者たちは同一の犯人を目撃したのか」(131~238ページ)に詳しく展開されている。
「7人の目撃者はいずれも一致して、写真面割で請求人の写真を選び、面通しでは請求人を犯人であるとほぼ確認したということになっている。とすれば、当然のことながら、7人の目撃者たちは、犯行グループのなかの同じ人物を目撃して記銘し、その記憶
像をもとにして面割・面通しに臨んだのでなければならない。各目撃者が互いに違う人物を目撃、記銘して、そのうえで同一人物の写真を選別するというよう なデタラメなことがあってはならない。これはまさに真実のための大前提である。」(浜田鑑定書136ページ)
八 しかし、7人の初期供述は以下のようになっている。
・ Sは、10月6日付の供述調書で、殴打犯人4人のうちの1人として10月6日に請求人の写真を選別した。
Tkも、10月5日付の供述調書で、車道上の殴打犯人の1人として請求人の写真を選んだ。
Kも、10月12日付の供述調書で、車道上で殴打している犯人の1人として請求人の写真を選んでいる。
Tgも、11月13日付の供述調書で、車道上で殴打している犯人4人のうち、2人を念頭に写真面割を行って2枚の写真を選び、そのうちの1枚が請求人の写真であるとしている。
・ 一方、Oは、10月7日付の供述調書で、車道上の殴打には加わらず、他の3人の殴打犯人を指揮した歩道上の人物を念頭に写真面割を行い、請求人の写真を選んだ。
Iも、10月8日付の供述調書で、歩道上で指揮をし、殴打に加わっていない「甲」を念頭に写真面割を行い、請求人の写真を選んだ。
・ 他方、Yは、初期供述(10月3日、10月6日)で、車道上で指揮をとっていた人物として請求人の写真を選別した。
・ 以上のとおり、請求人の写真を選んだという7人の初期供述において、請求人の位置、行為態様についての供述はバラバラである。
九 確定判決は、目撃者らが「歩道上で指揮していた人物」を特定して、その人物を念頭に写真面割した結果が一致したのだと認定している。
「最初期の供述で見るかぎり、この確定判決の認定に合致する目撃供述をしたのは、7人の目撃者のうちなんと2人(I、O)だけなのである。目撃者たちが犯 行グループのうちの誰を目撃し、誰を念頭に写真面割を行ったかという最も肝心なところで、一番最初の供述が7人の間で大きく食い違う。それにもかかわらず この最初期から、写真面割結果ではいずれも請求人の写真を選別したのである。」(144ページ)
「Y・・・車道上の指揮者
S・・・殴打犯行の中心人物
Tk・・・殴打犯行に加わり、逃げ出し、最後路地に逃げ込んだ人物
O・・・歩道上の指揮者
I・・・歩道上の指揮者
K・・・殴打犯人の1人
Tg・・・殴打犯人の1人
ということになる。これが同一人物であるだろうか。それはありえない。そもそも殴打に加わらなかった指揮者と、殴打を直接行った人物とが同じはずがな い。にもかかわらずこの7人が写真面割で同一人物の写真を選んだのである。これを決定的矛盾と言わずして何と言おう。」(鑑定書233~234ページ)
一〇 7人の初期供述は同一人物を目撃したものとは思われないのに、これが最終供述の検面調書では同一人物を目撃したものと解釈しうる範囲に収束していく のである。「殴打場面の犯人を見た」としている5人のうち1人は「ガードレールの内側の歩道上にいた」と変え、もう1人は犯人と被害者が出会った場面で目 撃したと変え、残りの3人は犯人が逃げていく場面に変わる。目撃した場面、時点を変えることによって矛盾が生じないようにしたわけである。
この点について、浜田鑑定書は次のように述べている。
「最後の検面調書によれば、7人が見たのは、
Y・・・歩道上の指揮者(位置が車道中央から歩道に移る)
S・・・逃げ出したあとの犯人
Tk・・・路地に逃げ込むときの犯人
O・・・歩道上の指揮者
I・・・歩道上の指揮者
K・・・被害者と犯人グループが出会った場面の犯人の1人
Tg・・・逃げて行くときの犯人の1人
となる。これで7人の目撃者が見た人物が同一でありうることになる。しかし、この7人のなかで最初から変遷しなかったのはO・Iの2人だけである。あと 5人の供述は大きく変化した。事件にもっとも近接した時点での供述がもっとも正確であるべきところ、7人中5人もの目撃者が、3か月余りもたった時点で、 ここまで供述を変えたことの問題は重大である。
そして、この7人の供述変遷が相互の矛盾を解消すべく変遷したものであることは明らかである。捜査官がもっとも信用できると考えたO・Iの『歩道上の指揮 者』を軸に立てて、それに整合すべく供述が変えられていったのである。」(浜田鑑定書234~235ページ)
「犯行場面についての7人の目撃供述のあいだには歴然たる相互影響関係があったと言う以外にない。そしてこの事実は、7人が真にこの犯行に加わった犯人を 正しく目撃して記憶に刻み、写真面割においてこれを正しく選別したとの結論を、決定的に覆すものだと言わねばならない。」(同236ページ)
一一 「7人の供述のうち5人についてはその供述変遷に決定的問題があるにしても、残りのO・I供述の信用性そのものはゆるがないとの見方」に対しては、 「第一に、7人の供述相互間の矛盾解消へ向かう、尋問者を媒介とした相互影響関係があったことが証明された以上、O・I供述は言わばその軸になったという だけであって、これがこの相互影響関係から独立であったということにはならない。7人の間の相互影響関係の存在は、この7人の供述の信用性を総体として疑 わしめるものである。」「第二に、7人の初期供述において目撃したとする人物が異なるのに、写真面割で同一人物の写真を選別したという事実は、まさに写真 面割手続きそのものに誘導が強力に働いたことをさし示すものである。もしO・Iの事情聴取が他の目撃者たちに先んじて行われていたならば、まだしもこの2 人だけは他の影響をうけなかったと主張できる余地がなくはない。ところが彼らの事情聴取はもとより、その写真面割自体が、Tk・Y・Sの写真選別結果を得 たのちの第4、第5番目のものであってみれば、これまた誘導の影響を離れたものとは言えないことにならざるをえない。」(浜田鑑定書236~237ペー ジ)
このO・Iには、一緒に事件を目撃した目撃者がいたのである。Oには自分の車に乗せた2人の客(Aとその姉)、Iには横断歩道上で出会って一緒に目撃したという同僚(B)がいた。
一二 1998年9月25日に行われた弁護団との折衝で、東京高等検察庁西正敏検察官は、Bの供述調書やAの姉の事情聴取報告書についてその存在を認めている。これが開示されれば、O・Iの供述の信用性についての重大な資料となることは間違いない。
再審請求書でも述べたように、Aは弁護団の事情聴取に対して、指揮者の特徴について「やせて小柄で貧弱な男」「細面で青白くキツネ顔の男」と言い、180 センチという請求人の身長を聞いて「そんな大男じゃない。それだけははっきり言える」と述べ、捜査で使われた請求人の写真を見て「こんな男じゃない」と否 定している。Aとその姉は警察で事情聴取を受けており、供述調書あるいは捜査報告書が存在することは間違いない。Oの供述の信用性を判断するにあたって、 Aとその姉の供述調書あるいは捜査報告書の開示は不可欠である。
一三 また、I証人は右0・3~0・4、左0・1~0・2程度の視力で16・45メートル離れた指揮者を目撃しており、このような目撃条件では顔の識別は不可能である。
このことは、弁護団が1996年1月12日に提出した1995年12月28日付K教授作成の鑑定書、2000年7月31日に提出したH教授作成の 2000年6月23日付鑑定書、同じくK教授作成の2000年4月7日付「顔の認識における目撃者の視覚的印象のビデオ映像による再現」および添付のビデ オテープ等によって明らかにされている。
しかし、I証人は法廷で細かい目鼻だちまで述べている。このI証人の供述の信用性も、I証人と一緒に事件を目撃したBの供述調書を見ることによって判断することができる。
一四 さらに、最初の110番通報者であり、最初に請求人の写真を選んだTkと一緒に事件を目撃したCの存在がある。Cは車を運転し、その助手席にTkを 乗せ事件を目撃した。Tkが最初に請求人の写真を選別した目撃者であることは控訴審の最終段階になって捜査責任者中島敏が明らかにした。しかし、一審にお いてはもちろん、控訴審の最終段階にいたるまで、検察官はYが最初に請求人の写真を選別したとしてきた。控訴審で、Yを取り調べた警察官今野宮次もそのよ うに証言した。「最初の110番通報者」「最初に請求人の写真を選んだ」という重要目撃者・Tkを、なぜ検察官は一審および控訴審の途中まで明らかにせ ず、Yを「最初に請求人の写真を選んだ目撃者」としてきたのだろうか。これもCの供述調書あるいは捜査報告書が明らかになればはっきりするはずである。
一五 以上のとおり、未開示の別紙証拠目録記載の証拠は、「再審請求後に新たに得られた」証拠として、「確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとするならば」とうてい本件確定判決は下し得なかった証拠となり得る、決定的な証拠と思料される。
よって、御庁におかれては、速やかに証拠開示命令を下されたく上申に及ぶ次第である。
別紙証拠目録
1 請求人の1975年1月13日逮捕当時の写真
2 Bの供述調書及び同人の取り調べに関する捜査報告書
3 Aの供述調書及び同人の取り調べに関する捜査報告書
4 Aの姉の供述調書及び同人の取り調べに関する捜査報告書
5 Cの供述調書及び同人の取り調べに関する捜査報告書
6 Mの供述調書及び同人の取り調べに関する捜査報告書
7 その他の目撃者の供述調書及び各取り調べに関する捜査報告書
8 目撃者に対する面通し等に関する捜査記録書類
9 1974年10月1日から3日にかけての前進社の出入りに関する捜査記録書類
10 1974年10月1日から3日にかけての尾行に関する捜査記録書類 |