●ニュースNo162(2002年3月1日発行)

◎司法研修所編 『犯人識別供述の信用性』について

「かちとる会」“合宿”報告


 

今年こそ再審開始を!
検察官は証拠開示を 裁判所は事実審理を
集会を開きます。ぜひ来てください。

日時 6月29日(土) 午後5時開場 5時半開演
会場 きゅりあん 第二講習室(5階)
    (品川区・京浜東北線大井町駅前)

発言 阿藤周平さん、 富山再審弁護団、 富山保信さん 他

 

戦争への道−憲法・教育基本法の改悪を許しません!
私たちは、卒業式・入学式への「日の丸・君が代」強制に反対します。
・・・・・意見広告に賛同しました

 広島の北西允(まこと・広島大学名誉教授)氏を代表とし、詩人の栗原貞子さんたちを呼びかけ人とする「意見広告の会」が呼びかけた「戦争への道−憲法・教育基本法の改悪を許しません!」「私たちは、卒業式・入学式への『日の丸・君が代』強制に反対します」とする意見広告に「かちとる会」も賛同し、会の名前を載せました。

司法研修所編 『犯人識別供述の信用性』について

 富山裁判は、目撃証言の信用性が最大の争点である。
 日本では、供述証拠の多くは、自白の信用性あるいは共犯者の供述の信用性が大きな争点となってきた。目撃証言が争点になる場合も、目撃証言が単独で争点となるのではなく、自白(あるいは共犯者の自白)の信用性についての争いがあって、それを補強するものとして目撃証言があるという例が多かった。
 富山保信さんは逮捕以来一貫して無実を訴え続け、「自白」は一切ない。警察、検察は「目撃証言」だけを「拠り所」として、富山さんを逮捕、起訴した。
 欧米では、目撃証言が極めて危険な証拠とされて久しい。しかし、富山裁判の一審、二審当時、日本ではそうした認識は一部の限られた認識でしかなかった。
 しかし、最近、日本でも、目撃証言の問題性が指摘されるようになってきた。目撃証言が争点となった事件の弁護人、法学者、心理学者をはじめとする人々が積み重ねてきた努力のうえに、特にここ数年、日弁連の「目撃証言研究会」や、一昨年新しく設立された「法と心理学会」などを中心として、法曹関係者や研究者たちの間で目撃証言についての研究が深められ、その危険性が論議されるようになっている。
 また、そうしたことを背景として、近年、マスコミでも「記憶」の問題が報道されるようになってきた。テレビ番組でも「人間の記憶の曖昧さ」「目撃証言の危険性」を取り上げた企画が散見されるようになっている。
こうした状況を、特に「目撃証言研究会」の活動や「法と心理学会」設立の動きを、裁判所としても無視できなくなったようで、司法研修所から『犯人識別供述の信用性』という本が刊行されている。
 著者は、仙波厚、小坂敏幸、宮崎英一という三人の裁判官であり、「平成7年度の司法研究員として、犯人識別供述の信用性に関する研究を命ぜられ、約1年間の研究の後、(略)その後、更に研究結果を検討・整理し、研究報告書としてまとめ上げた」「犯人識別供述の信用性が深刻な争点となる事件が増加する傾向にあると思われることから、この際、研究の結果を公にすべきものと考え、この報告書を提出する」と、同書「はしがき」にある。また、「序説」のところで、「(裁判例の分析、検討について)昭和60年以降の裁判例を取り上げるにとどめることにした。いわゆる内ゲバ事件の多発を契機として、犯人の特定につき加害者側はもとより被害者側の協力も得られず、たまたま事件を目撃した者の犯人識別供述がほとんど唯一の証拠であるケースが増加し、犯人識別供述の信用性が熾烈に争われ、深刻に意識されるようになったのが、おおよそ昭和60年以降であることも考慮した」となっている。
 (『犯人識別供述の信用性』/99年6月/編集・司法研修所/発行・法曹会/3400円)
 同書の構成は、「第一部 序説」、「第二部 具体的裁判例の検討」、「第三部 考察に分かれており、その後に、調査裁判例89件の一覧表、参考文献一覧とともに、付属として「不公刊裁判例の犯人識別供述に関する判断部分」が載っている。
 「公刊物に登載された裁判例が一審、控訴審、上告審のものを含め全部で20例余りにとどまるため、所期の目的を達することができるか危惧されたので」「全国の8高裁をまわって、控訴審の裁判例を収集した。その結果、公刊されたものを含めて、全部で89例を検討の対照とした」(同書「第一部序説」より)とのことで、国家権力を背景とした裁判官にして成し得た研究であると言える。しかし、その内容的評価はともかく、目撃証言について関心のあるものにとって、資料としての価値は大きなものがあると思う。
 具体的裁判例のところでは、当然のことながら、富山事件も載っており、二審・確定判決を中心に引用されている。

 同書は、「第一部 序説」のところで、「犯人識別供述については、学者、実務家による研究もかなりよく見られる。そして、諸家の論稿中において、犯人識別供述には、供述証拠一般の危険性に加えて、固有の危険性があることがつとに指摘されている。」とし、「供述証拠は、物証等非供述証拠に比べて一般的には証明力が劣るといわれる(略)、犯人識別供述も、供述である以上、その例にもれない。そればかりか、犯人識別供述には、その固有の危険性があるといわれる」としている。
 そして、「裁判例の整理、分析をするに先立って、まず、文献等によって指摘されている犯人識別供述の一般的な問題点を概観しておく」「犯人識別供述の信用性に関する代表的な研究として、渡部保夫教授の一連の研究があるほか、多数の研究があり、以下の指摘は、これらの整理したものである」として、最初に、目撃証言の問題点について指摘している。
 重要と思われる部分を引用する。

@ 人の観察力、記憶力の脆弱性

 「人の観察力、記憶力は、脆弱なものである。人の観察力、記憶力は不正確、不完全なものであるがゆえに、人は、犯人の容貌等の特徴のうち、わずかの特徴しか記銘することができない。しかも、記銘した特徴も、日時の経過によって、消失したり、変容したりする。そうすると、後日、犯人との同一性の有無について、確認を求められた際に、犯人と『同一人物である』『よく似ている』『似たところがある』などといった同一性を肯定する方向の感情を抱いてしまうことがある」

A 人の容貌等の相似性

 「(知覚の対象となる人が)とくにそれまで一面識もない人の場合は、その容貌等を正確に知覚することは困難である。人の容貌等は多かれ少なかれ相似しているからである。そして、容貌上の相似点がある場合には、人は、その相似点にとらわれて同一人物であるとの感情を抱きやすい」

B 人物観察の日常性

 「犯罪という出来事と容貌等の知覚・記憶は別であり、犯罪という出来事が鮮明に記憶に残っているからといって、容貌等の知覚・記憶が正しいとは限らない」
 「被害者の犯人識別は別として、犯人の目撃は、一般市民にとってはたまたま遭遇するというのが通常であり、ときには犯人とは思わないで目撃することも少なくない。何気なく目撃した場合、言い換えれば、有意的な注意を向けなかった場合には、誤った識別をしてしまいやすい」

C 観察条件

 「目撃者と犯人との距離、角度、明るさ、目撃時間の長短等、目撃時の客観的条件、目撃者の年齢、視力、目撃時の心理状態等の主観的条件のいかんが、犯人観察の正確性に大きな影響を及ぼすものであろう。夜間の、瞬時あるいは極めて短時間の目撃は誤謬を含みやすい。距離が相当離れている場合には、容貌の識別が可能ということから、識別供述が直ちに正確であるということにはならないであろう。恐怖、驚愕、狼狽下の目撃も過誤を含みやすい」

D 容貌供述のストーリー性の欠如

 「犯罪事実自体は、ストーリー性を有しており、記憶に残りやすい。しかし、人の容貌
等は、ストーリー性がない」

E 比較対照という判断作用を本質とすること

 「犯人識別供述は、犯人を観察し記憶した人物像と、呈示された写真あるいは実物とを比較対照するという判断作業を本質とする」
 「とりわけ既知性のない全く初対面の人物の場合は、その判断は必ずしも容易ではない。わずかな暗示や誘導によって、この判断がゆがめられることはよく知られている」

F 暗示

 「犯人識別供述は、犯人を観察し記憶した人物像と、呈示された写真あるいは実物とを比較対照するという判断作業を本質とするが、その判断に当たって、いろいろな暗示が作用する。例えば、識別者が被害者である場合は、強い処罰願望があり、第三者の場合も、正義感等から処罰願望を抱き、これが暗示として作用することがないとはいえない。写真面割りにおいては、写真の枚数、種類、配列等いかんによっては、暗示となる。逮捕された被疑者を単独で面接させると、逮捕の事実自体が強力な暗示となることもある。警察官の不用意な言動が暗示として働くこともある」

G 記憶の混同、変容

 「人は、ある場面で見た人物を別の場面で見た人物と取り違えてしまうことがある。人の記憶は時間の経過とともに薄れ、あるいは変容するものであり、その結果、『以前に見たことがある』という既知感情を抱くと、それが契機となって、『この事件の時に見た』と思ってしまうことがある。

H 容貌についての言語化の困難性

 「人の容貌を言語によって正確に表現することが困難であることは自明である。また、同じ言葉を用いても、その意味するところが同一である保障はない」

I 供述心理

 「人は、一度被告人が犯人であることを承認すると、これに固執する傾向がある」
 「犯人識別供述は、呈示された写真あるいは実物を見ることによって、オリジナルな記憶が変容し、しかも、本人がその変容に気づかず、オリジナルな記憶そのものであると認識しがちである」

J 検証の困難性

 「犯人識別供述の場合は、写真面割りあるいは面通し等の影響により、オリジナルな記憶が変容することを避けがたい。しかも、本人がその変容に気づかないことも希ではない。それゆえ、証人が被告人を犯人であると断じた場合、果たしてオリジナルな記憶に基づくものなのか、それとも、変容した記憶に基づくものなのか、後日検証することは困難である」

K 供述態度等

 「犯人識別供述の危険性は、供述そのものに内在するものであり、供述者が誠実であるとか、利害関係をもたないとか、供述態度が真摯であるとかとは、直接のかかわりをもたない場合が多い。供述者の誠実性、中立性、供述態度の真摯性を具備している場合であっても、犯人識別に誤りがあることも希ではないのである。しかるに、供述者の誠実性、中立性、供述態度の真摯性等は、証言の信用性判断の一つのメルクマールとなることから、犯人識別供述は、危険性を内包しているのにもかかわらず、信用されやすい」

 目撃証言を証拠とする場合の危険性について、このように「文献等によって指摘されてる」として列挙しながら、同書は、「第二部 具体的裁判例の検討」で、著者自身が「証拠関係に直接当たっていないので、判決裁判所の判断を所与のものとし、これを前提とせざるを得ない。したがって、研究の結果については、一定の限界があることを承知されたい」と書いているように、確定した判決が正しいことを前提にしている。
 従って、富山事件の二審・確定判決を是とし、これを「第二部」の各節で無批判的に引用しており、富山再審にとっては極めて不本意な内容となっている。
 「第一部」における「文献等によって指摘されている犯人識別供述の一般的な問題点」を読んで、富山事件における目撃供述を考え合わせる時、どうしてその目撃供述が信用でき、富山さんが有罪とされるのか、絶対に納得できるものではない。これらの「文献等によって指摘されている犯人識別供述の一般的な問題点」のほとんどが富山事件の目撃供述に当てはまるものである。
 二審・確定判決は、こうした指摘や条件をかいくぐって、富山事件の目撃供述は信用できるとしている。その確定判決を肯定的にとりあげている点において、どんなに目撃証言の危険性をうたっていても、この本は容認しがたいものがある。

 紙面の都合もあり、今回は「第一部 序説」について述べるにとどめたい。今後、「第二部 具体的裁判例の検討」、「第三部 考察」について論及していきたい。次回のニュースでは、「第二部 具体的裁判例の検討」について、特に、二審・確定判決の「写真面割りの正確性を担保するための基準」(「七つの基準」)批判を中心に述べたいと思う。  (山村)

(2002年6月号に「その2」掲載)

「かちとる会」“合宿”報告

 それでは、山村さんの真摯な文章のあとに、私のナンセンスな文章で恐縮ですが、2月9日から一泊二日で行われた合宿の報告をしたいと思う。
 毎年、うり美家では、年末年始は家族で温泉に行くのが恒例なのだが、今年は中止となり、三度の飯の次くらいに温泉好きの私は、正月早々から悶々としていた。
 「かちとる会」の合宿が温泉付きであると聞いて、やったぁ、温泉、温泉、ルンルンルン、と思ったのは正直な気持ちである。
 今回の参加者は、富山さん、坂本さん、亀さん、山村さん、私の5人。東京近郊の場所で温泉つきというのが条件で、富山さんがいろいろセレクトしたところ、素泊まりで3000円。夕食、朝食付きでプラス3000円。合計6000円の超激安物件、元へ、超激安の旅館に決定。それは山梨県の湯村温泉郷のとある旅館であった。
 合宿当日、新宿駅南口改札に午前10時集合。西口からバスに乗り込み、いざ湯村温泉へ出発。バスの中は私たちの他、学生らしい若い男女が大勢乗り込み、時間にして約2時間。渋滞もなくスイスイと進み、眠る暇もない早さで甲府駅に着いたのだった。
 駅に降り立った瞬間、風が強く吹き付け肌寒く感じた。それでも、この時は翌日に雪が降るなんて誰も予期しておらず幸せな私たちであった。
 さっそく「山梨に来たからには名物のほうとうを食べよう」ということで、駅近くのお店でほうとうを思う存分食べ、体も心も芯まで暖まり、ついでに少し眠くなり、幸せな気持ちのまま、甲府駅からさらにバスに乗って目的地である湯村温泉に向かった。
 目的地にたどり着くと、思ったより閑散としていて、ひなびた雰囲気であった。私たちが泊まった旅館は、小説家太宰治が泊まったことがある旅館で、小説『美少女』に、「浴場はつい最近新築されたものらしくよごれが無く、純白のタイルが張られて明かるく日光が充満してゐて清楚な感じである」と描かれていると旅館の案内にあった。もっとも、立て替えているので、今はもうないのだが。
 「かちとる会」の皆さんは太宰治にはまったく興味がないらしく、山村さんに至っては、「ウダウダ言ってるより何かやることあるんじゃない」と言うぐらい、すこぶる評判がよろしくないのだ。私はどちらかといえば好きなほうである。私もウダウダしている時の方が多いので、同じ悲哀を感じるっていうか、というのは冗談ですが。
 さて、「かちとる会」の合宿で山梨県は二回目である。前回は南アルプスの麓でバーベキュー。甲斐犬と小狐に遭遇しながら、温泉につかり楽しいひとときでした。さらに山梨県立美術館で常設のミレーの『種まく人』の絵を見ながら、「働くっていいなあ」なんて思ったりして。

温泉三昧

 私たちに用意された部屋は、20畳位ある和室で、足を伸ばそうが大の字に寝ようが自由自在の広さであった。
 さっそく坂本さんのリュックからは、次から次へとおいしそうな食べ物が出てくる。まるでドラエモンのポケットのようだ。
 とりあえず温泉!といきたいところだが、その前に定例会。今年一年の計画をみんなで話し合った。内容については2月号の富山ニュースに掲載しているのでここでは省略したい。
 定例会が始まったのは3時半頃、夕食の時間が6時。夕食の前にひと風呂あびたいと全員が思っていたらしく、時刻が6時に近づくと「早く終わらないと温泉に入れない」と、気もそぞろであった。
 定例会も無事終わり、いざ温泉へレッツゴー。ここの温泉は、「ナトリウム・カリウム・カルシウム等を主成分とした無色透明の弱アルカリ性食塩泉で、疲労回復・胃腸病・神経痛等に効果がある」と書いてある。しかも24時間入浴可能。温泉に入ればなんの病気も治りそうな気分である。ただし性格だけは直らないんだが、これが。
 男性は、男性風呂。女性は、女性風呂。当たり前だが混浴ではないので、念のため記しておきたい。
 温泉に来たというだけで今まで凝っていた肩がなぜかまったく凝らなくなる山村さんと私は「やっぱり、温泉はいいよねぇ」「あったまるねぇ」などと言いながら、日頃の疲れ(そんなものあるかしら?)を癒したのでした。
 そして夕食タイム。盛りだくさんのご馳走に舌鼓をうちながら、山村さんと私は、持ち込み禁止の中、隠し持ってきたワインを鞄から1本ずつ取り出して、さらに富山さんは買ってきたビール、日本酒を取り出して、みんなで飲んだのだった。
 夕食後は、坂本さん持参の食料をさらに摘みながら、それぞれが入れ替わり立ち替わり、食べては温泉に行き、戻ってきてひと眠り、また起きては食べて温泉に行き、という感じであった。テレビはオリンピックを映し出していて、それをダラダラ見ながら、お酒は底をつき、夜は更けていくのでした。
 誰だ!いびきをかいてるのは。

昇仙峡

 翌朝。外の景色を眺めるとピンと凍りつくような寒気。私は、まさかこの寒いのに昇仙峡に行く人なんていないだろう、ワイナリーがいいなぁなどと呑気に思っていた。旅館の人に昇仙峡のことを聞いてみると、「春には春の、冬には冬の良さがありますよ。行って損ってことはないでしょう。一度は行ってみたらいいですよ」なんて言うものだから、少しその気になったのは事実だが。

 なんで、こうなるのだろう。私たちは、昇仙峡行きのバスを待っていた。「寒いなぁ、寒い」と跳ねて、ふと空を見上げると、ヒラヒラと雪が舞っていた。今年になって初めて見た雪。何か嫌な予感である。ブルブル。寒い。
 バスは昇仙峡の入り口に到着。そこでは、名物のトテ馬車が私たちを待ち受けていた。私たちは、もの珍しさにこのトテ馬車に乗って昇仙峡を優雅に登っていくことにした。トテ馬車は、私たち5名の他、さらに2名のお客さんを乗せ、調教師1名を含めると合計8名。さらに馬車の重さを含めると優に1トン以上に達しているはずである。この馬は、ものすごい力持ち。しかも昇仙峡というからには、登り坂なのだ。
 みなさん、今年は午年ですよ。なのに、こんなに馬を酷使していいのでしょうか。馬の負担を軽くしようと腰を浮かせて見たところで、体重は変わらず。相変わらず馬は苦しそうに私たちを引っ張っていく。どう見たって痩せているのは亀さんくらいで、あとの人は痩せているとはお世辞にも言えないと馬は思ってるに違いない(馬だけじゃないが)。ブヒ、ブヒ、ヒヒヒーン。
 パッカ、パッカ、パッカ、パッカ。日本一の渓谷美を誇る昇仙峡。さまざま奇岩には、一つ一つ名前が付けられている。亀石、オットセイ岩、トウフ岩、猿岩、ねこ石、はまぐり石・・・これが、延々と続く。そう言われればそう見えるが、「あれが猿岩です」「あぁー?」、「あれがネコ石です」「あぁー?」という具合に、私にはただの岩にしか見えないのであった。この岩に名前を付けた人は偉いなぁっと、そっちの方に感動したりして。
 中に二〜三、「納得」という命名もあったが、主観主義の最たるものを見せつけられまったく感動がない私は、寒さでそれどころではなかったのだ。頭には、どんどん雪が積もってくるし、風は冷たいし、体は冷え、指先がカチンコチンに凍り付いた手はパーの状態から曲げられない。昨日、今日と十二分に温泉で暖めた身体はここにきて、一気に冷凍させられた感じであった。
 確かに新緑の季節や紅葉の季節などは、さぞかしきれいだろうと思う。だが、今は冬。しかも、岩肌を見てるとゾクッと寒気がしてくる。「冬には冬の良さ」って何だろう?それでも、奇特な観光客は、いるのだった。私たちもそうなのであるが。パンフレットに載っている「その昔、覚円が畳が数畳敷ける広さの頂上で修行した」と言い伝えられている昇仙峡の主峰「覚円峰」は、私が絵描きだったら、一度は描いてみたいと思うほど、神秘的な感じである。紅葉の季節なら、鮮やかな色彩で彩られた「覚円峰」は“絶景”に値するであろう。
 パッカ、パッカ、パッカ。はい、トテ馬車の旅の終点です。ここから先はいくら力持ちのお馬さんでも坂道がきつくて無理のようです。お馬さんの背中からは蒸気が上り、汗をたくさんかいていた。坂本さんは、「ありがとな、ありがとな」と言いながら顔をなでていたが、私は、近づくと蹴散らされそうで数メートル離れたところで観察していた。お馬さんありがとう、重かったよね。写真取らせてね、ハイ、チーズ。
 ここで、ちょっと休憩。私たちは休憩するほど疲れていないのだが、寒いからとりあえず暖まろうということで、休憩所に走り込んだのだった。そこで全員が迷わず注文したのが、寒さには一番の甘酒。これが冷え切った体に染み渡り、さらに生姜が血流を上げてくれるような感じであった。私はトイレに駆け込み、持参のホッカイロをお腹と靴の中に敷き詰めた。さらに、富山さんが持っていたフリースをお借りして、着ぶくれ状態になりながらも、寒さ対策万全。
 そして一行は、さらに上を目指して歩いていくことになった。歩いた方が、寒さが気にならない。降り止まない雪に抵抗するかのように、少し急ぎ足で登った。歩き続けていると高さ約30メートルくらいの滝に遭遇した。「仙娥滝」というらしい。冬の滝をずっと見つめていると、意気消沈してたら魂まで吸い取られそうな、そんな感じになる。ここでも、ハイ、チーズと写真をパチリ。寒くて、口元が笑えない。

美術館

 仙娥滝からさらに登ったところに、「影絵の森美術館」があった。そこは、影絵の巨匠藤城清治(ふじしろ・せいじ)氏の作品が、所狭しと飾られていた。70年代にテレビで活躍したカエルのケロヨンは、この人が作ったキャラクターなのだそうだ。影絵というと何か黒々としたイメージがあるが、黒い部分がある分、他が鮮やかに見える。ここにきようやく現実から逃避できたような気がした。このファンタジーの世界に暫く身を投じていたい、そんな気持ちであった。
 さらに、はり絵画家の安井康二氏の日本の田舎を思わせるような風景のはり絵、日本のゴッホと呼ばれている山下清氏の貼り絵『昇仙峡』などを含む数多くの作品が飾られ、見応えのある美術館であった。
 ここまで登ってこないと見られないのは残念だなぁなんて思っていたら、車でも来られるようだった。そうか、私たちは遊歩道を歩いてきたのだった。
 美術館を十分堪能し、喫茶室でサービスのコーヒーを飲みながら、それぞれお土産を物色、昼ご飯はどうするかと話しているうちに、帰りのバスの時間に間に合わなくなりそうだということが判明。結局、タクシーを呼んで1時間以上かけて登った昇仙峡を一気に下って、甲府駅に舞い戻ったのだった。すぐさま、帰りに買おうと思っていた富山さんお薦めのお土産「黒玉」を買い、バスの中で食べるご飯もしっかり買って、東京行きのバスにとび乗ったのでした。なんとも、慌ただしい旅の幕切れである。

おわりに

 1泊2日の合宿も、終わってしまえばアッと言う間。しかし、一体私たちは何をしに行ったのか?
 “合宿”というからには、何か一つの目的のために集わなくてはならないものだが、その目的は「遊ぶ」ということだったようだ。
 大阪の阿藤周平さんから「一泊旅行は如何でしたか? たまには息抜きもいいかと思います」と書かれた手紙が、帰ってくると届いていたが、次回は阿藤さんもぜひご一緒に。

 今、思うとあんなに寒かった昇仙峡も結構楽しかったなあと思ったりしている。昇仙峡は、暖かくなったらもう一度行ってみたい。
 「かちとる会」の“合宿”は、今年もう一回あるらしい。次回も乞うご期待。
 大変お粗末さまでした。
           (うり美)