□司法研修所編
『犯人識別供述の信用性』について (その2)
3月号のニュースで、司法研修所編『犯人識別供述の信用性』について、「序説」を中心に紹介したが、今回から「第二部 具体的裁判例の検討」についての紹介に入りたい。
「第二部」では、目撃証言が争点となった裁判例が紹介されている。本書は裁判官による「研究報告書」であり、「司法研究員」として「研究を命ぜられ」、司法研修所で報告したものをまとめたものとなっている。本書においても目撃証言の危険性については認めざるを得ない。しかし、具体的な事件や判決の事例研究になると、「証拠関係に直接当たっていないので、判決裁判所の判断を所与のものとし、これを前提とせざるを得ない」として、確定判決が正しいことを前提としている。したがって、富山事件の確定判決(二審・有罪判決)も正しいという前提のもとに引用されている。
確定判決は「写真選別の正確性を担保するための基準」として七つの基準を挙げている。そしてこの基準に照らして、富山さんの写真を「犯人に似ている」として選んだ目撃証言は信用できるとしている。本書はこの「基準」についても各所で肯定的に引用しており、この「基準は有益であ」るとしている。
『犯人識別供述の信用性』の内容に論及する前に、この「基準」の問題点をまず明らかにしておきたい。
この「基準」については、再審請求時(94年6月)に提出した浜田寿美男花園大学教授の鑑定書「富山事件目撃供述についての心理学的視点からの供述分析」(浜田鑑定)で詳細に検討されているので、浜田鑑定に則ってその問題点を批判していきたい。
浜田鑑定は、確定判決の「基準」が一見「常識的にはなるほどもっともらしく見える」が、ちょっと踏み込んで検討するとおよそ科学的知見とは無縁の基準ならざる「基準」であることを明らかにしている。
▼@の基準について
確定判決は「写真識別者の目撃状況が良好であること」という基準を挙げ、法廷で証言した目撃者たちについて、目撃距離や明るさ、見易さ、目撃時間について、「目撃条件はおおむね普通の状態にあ」り、問題ないとしている。
しかし、明るさについては本件は白昼の事件だからよしとしても、目撃距離とは何メートルを言うのか、目撃時間とはどのくらいの時間を言うのか、見易さとは具体的にはどういう状態を言うのか、確定判決は具体的には何も述べていない。
浜田鑑定が特に指摘するのは、
(1)「突然の思いがけない犯行目撃であった」ことから、「はたして犯人の顔貌に注目し、これを記銘しうる状況だったのかどうか」という点、(2)「犯人は複数であり、少なくとも三人あるいは四人が犯人グループを構成しており、そのなかの一人を明確に他と区別して注目し、これを記銘しうる状況だったのかどうか」「犯行グループの3名ないし4名から、指揮者としての役割を担っていたと目される人物を、各目撃者が正確に特定していたのかどうかの点については、写真面割の正確性の担保のためにどうしてもチェックしておかねばならない」のに、それがなされていない点である。
▼Aの基準について
二つ目の基準は、「早期に行われた写真面割りであること」というものである。
これに対して浜田鑑定は、本件では、「もっとも早い人で二日後、証人となった目撃者のなかではもっとも早い人が三日後であった。これを心理学的に見て、顔貌記銘保持に十分であったと言えるかどうか」「(確定判決のように)『おおむね充足している』と即断することは控えねばならない」としている。
▼Bの基準について
三つ目の基準は、「写真面割りの全過程が十分公正さを保持していると認められていること(とくに、写真の性状、写真呈示の方法に暗示、誘導の要素が含まれていないこと。捜査官において犯人らしき特定の者を指摘する等の暗示、誘導を行っていないこと)」である。
浜田鑑定はこれに対して、「第一次選別のときに用いた『写真の束』がどういうものであったか、証拠上記録は残っていない。またその際の写真提示の仕方に暗示・誘導がなかったかどうかについては、数年後の当事者(捜査官および目撃証人)による法廷証言が判断材料としてあるだけで、直接的な証拠資料はない。録音テープなりビデオテープなりで記録されていなければ、無意識的な暗示・誘導はもとより、意識的なそれがあったかどうかさえチェックすることは難しい」「ましてK証人は、法廷証言で捜査官から強い暗示・誘導があったと述べているのである」「暗示・誘導の存否についてより精細な分析が求められねばならない」と批判している。
▼Cの基準について
確定判決は、「なるべく多数者の多数枚による写真が使用されていること(この場合、体格、身長等をも表すものも収められていれば最も望ましい)」という基準を挙げ、「本件犯行の犯人は中核派に属する者によるものであることはほぼ疑いがなかったところであるから、ここに犯人の的をしぼり目撃者らに同派所属の活動家の写真を示しても不当な予断を与えるものとはいい難い」としている。
浜田鑑定はこれに対して「しかし、中核派であることが犯人の条件であるとして中核派メンバーのみで写真帳が構成されたなら、目撃者が提示された写真のなかから正しく犯人を選別した場合はともかく、間違って犯人でない人物を選別したとしても、中核派のメンバーであるという条件は満たしているわけであるから、アリバイが存在するなど犯行と相容れない他の条件がないかぎりは、その間違いがチェックされることがない。俗な言い方をすれば、言わば『空くじなし』の状況なのである」「正確性を正しくチェックするためには、捜査側からはっきり犯人でないことが分かっている人物の写真も含めて面割をさせねばならない」「何人かの目撃者によって一人の容疑者が浮かんできたならば、この容疑者の写真と、それ以外に捜査側が犯人でありえぬと知っている人物の写真数葉とを混ぜて、別の目撃者たちに写真面割をさせるという手法がとられねばならない。そうであってこそ写真面割の正確性の担保となりうるのである。そうした実験的コントロールをしない『空くじなし』の面割が危険であることは、少し考えればすぐ分かることだが、確定判決はこの点についての認識を欠いていると言わざるをえない」と批判している。
▼Dの基準について
五つ目の「呈示された写真の中に必ずしも犯人がいるものではない旨の選択の自由が識別者に確保されていること」という基準について、浜田鑑定は「提示された写真のなかに必ず犯人がいるとの明示的教示ないし暗示的ヒントを受けたなら写真面割の正確性が保証されないとの認識は正しい。しかし、この認識が正しく確定判決のなかに反映しているかどうか」「写真帳の中に『犯人がいるかどうか』が問題であるところを、本件写真面割では『犯人に似た人物がいるかどうか』というところまでレベルダウンして行われている」「犯人である、犯人に似ている、この二つは、写真面割上極めて差が大きい」「(本件の第一次写真選別において、富山さんの写真を)『犯人である』として名指したものは一人もいない。どの目撃者も『犯人に似ている』というレベルでしかない」と指摘し、「100枚以上におよぶ写真が示されて『似ている』というレベルで選別するならば、そこから1枚くらいは選ばれてくるのが自然というものであろう。してみると先の基準Cでの問題とも絡んで、『空くじなし』の写真帳から誰かの写真が選別される確率は高くなり、そのぶん同一性識別の正確度が落ちる危険性が高まるということになる」「本来『似ている人』というレベルでの選別は、目星をつける範囲では許されても、厳密な同一性識別の上では許容されることではないものである。その点について確定判決の分析は慎重さに欠ける」と批判している。
▼Eの基準について
確定判決は、「識別者に対し、後で必ず面通しを実施し、犯人の全体像に直面させた上での再度の同一性確認の事実があること」という基準を挙げ、これについて「付言」して「一般に、面通しは選別面通しが望ましいとされるが、しかし写真面割り後の場合は、写真面割り自体が選択的であれば、単独面通しであっても」よいとする。
この点について浜田鑑定は「選別面通しならまだしも選択肢が複数あるため同一性識別の正確度チェックになりうるが、単独面通しとなればイエスかノーかの二者択一で、選択肢が限られる。そのうえ、本件でもそうであったように、逮捕された被疑者(ないし過激派の集会に参加している人物)として目撃者の前に登場するのであるから、その暗示効果は相当なものと考えねばならない」とし、しかも、「写真面割り自体が選択的であれば」とする点に基準CDで述べられたような問題があるとすれば、「多数の写真から『似た』写真を選択させるという手続き自体が同一性識別の正確性のチェックになりえていないとすれば、単独面通しによる確認では結局、さんざん写真で見てきた人物の実物を追認するにとどまる結果になりかねず、前項で述べた危険性に歯止めをかけるものとはならない」と批判している。
▼Fの基準について
確定判決は最後に、「以上の識別は可及的相互に独立した複数人によってなされること」という基準を挙げている。
浜田鑑定は、「この点についても確定判決は『おおむね充足しているものと認められる』と言うのみで、それ以上立ち入った検討を加えていない」「写真面割りを行ったのは直接捜査担当者であり、しかも同一捜査官が複数の目撃者に面割手続きを行っている。確定判決が証人たちの同一性識別が『可及的相互に独立した複数人によってなされている』と認定したのは、たかだか目撃が別々になされ、識別行為自体が互いに別機会になされたと言うだけであって、各証人、目撃者たちの写真面割手続きを行う人物についてまで、相互に独立になるよう配慮したわけではない。現に、問題となる7人についても、うち4人については、
久保田郁夫巡査部長―Tk、S
今野宮次警部補―Y、O
というふうに同じ捜査官が二人の目撃者に対して面割手続きをしているという事実があり、また事件後右の捜査官を含めた捜査会議が連日行われ、情報交換したことがうかがわれる」として、確定判決の言うように「おおむね充たされていると即断することはひかえねばならない」と批判している。 (山村)
(以下、次号)
|