□ 葉山岳夫弁護士の報告
こんばんは。弁護士の葉山です。今、御紹介にありましたように富山保信氏が逮捕されたのが1975年1月13日です。それ以来33年以上主任弁護人として向き合ってきたわけであります。
富山氏は、1974年10月3日、この会場のすぐ近くの交差点、川崎実業前で起こったいわゆる内ゲバ殺人事件の被疑者として逮捕され、起訴されました。逮 捕直後から自分は無実である、アリバイがあると一貫して主張してきました。私も留置所で面会して確かに聞きました。
東京地裁で、1981年3月5日に横田裁判長は無罪判決を下しました。検察官が控訴して1985年6月26日、東京高等裁判所萩原裁判長は懲役10年とい う逆転有罪判決を下しました。最高裁に上告しましたが、1987年11月10日に上告棄却決定を下し、富山氏は不当きわまる冤罪事件で大阪刑務所に服役し たのであります。
東京高裁のこの不当な確定判決に対して、再審請求をしたのが1994年6月20日であります。
再審請求後、担当裁判官が何人もクルクルと替わった末に、中川武隆裁判長が2004年3月30日、再審請求棄却の不当決定を下したのであります。
弁護人は2004年4月5日に異議申立書を提出して、現在、東京高裁第4刑事部門野博裁判長のもとで審理されています。
国家権力による意図的なデッチあげ
この事件につきまして、私は富山氏は100%無実だと確信しています。しかもこの事件は、単に富山氏が何かの間違いでたまたま逮捕、起訴、有罪となったと いうのではなくて、警察や検事、いわゆる国家権力による意図的なデッチあげの権力犯罪であると確信しています。
第1に、警視庁公安部の刑事は、当日の目撃者に対して、中核派の人間ばかりが撮影された面割り写真を示して、犯人とおぼしき者の写真を選び出させたのであ ります。中核派がやったとされる事件で、中核派の写真だけを見せて、誰を選び出しても中核派の人間に当たるというのですから、まさに空クジなしです。そう した写真選別の方法です。
このとき最初に富山氏の写真を選んだのは、Tkという人であります。Kaという人の運転する乗用車に乗っていた人で、助手席に座っていて、事件を見たとい うのであります。この人の調べに立会っていた久保田という刑事は、別の目撃者に、富山氏の写真を示して「この人じゃないか、この人でしょう」と言い、その 目撃者に富山氏の写真を選ばせたということです。そのように取り調べられたということをその目撃者が法廷ではっきりと証言しています。
このTkという人が富山氏の写真を選んだ最初の人ですが、一審では、検事はこの人を目撃証人のリストから外していたので、弁護団はTkという目撃証人がいることさえも知らされていませんでした。
東京高裁段階で、このTkという人の存在が明らかになったのですが、本人は糖尿病で失明しており法廷に出られないということで、結局検事は法廷に出さな かったわけです。最初に富山氏の写真を選んだという目撃者を一審で隠し続け、二審でも証人に立てないというのはおかしなことです。この点について高裁の逆 転有罪判決もさすがに気になったようでありましたが、他の証言で十分立証されているんだから証人として調べなかったことは問題ないというようなことで取り 繕っています。
この事件の目撃者
検察側は、今、浜田先生から言われましたように、40名の目撃者の中から34名について供述調書を取ったと言っています。そして、富山氏を写真選別したの は、11名と言っているんですが、そのうち目撃証人として法廷に出てきたのは一審で5名、二審で1名、合計6名でした。一審で弁護人はさんざん争って、よ うやく5名の警察官面前調書を提出させることができたわけです。員面調書といいますが、これを入手したのは一審の最後の方です。横田裁判長が開示勧告を出 して、その結果としてようやく員面調書が出てきたのであります。しかも、当初、検事は、不当にも閲覧はさせるが謄写はさせないと言っていました。
員面調書を見ますと、法廷に出た目撃証人は初めからハッキリと富山氏の写真を選んだのではなく、似ている写真として選んでいるわけです。似ている人だとい うことは本人ではないわけです。それが、取り調べや富山氏を面通しをする過程で段々と富山氏に間違いないというように調書の内容が変わっていく。さらに法 廷の証言ではゆるがないというような形になってきたわけです。
ブラックボックス
ところで、富山氏の写真を選んだというのは11人。そのうち、弁護側に明らかにされたのは、法廷に出てこなかったTkという人を含めて7人。残りの4人については、氏名も、どんな形で特定したのかということについてもまるでわからない。
それどころか、写真をみせて写真面割りをしたという目撃者は26人いるということですが、先の7名以外の、26人マイナス7人で、残りの19名の人につい ては誰がどの人を選んだのかは全く明らかにされていません。この点については、浜田先生がその鑑定書の中で強調されている点でありまして、全くのブラック ボックスなのであります。この26名の中には、犯人は富山氏ではないと供述した調書がある可能性は非常に高いわけです。まさに検察に不利なものは一切出さ ないという状況なわけです。証拠を開示すると無罪になってしまうから、開示しないというに等しいものであり、刑法104条に証拠隠滅罪というのがあります が、その犯罪行為を検事自らがしているというふうに言えるのであります。
無実の証拠を隠す検察官
目撃証人のOという人が運転するタクシーに乗車中に、事件を目撃した新聞記者のKuという人がいます。これは弁護人が苦労してやっと探しだした人です。そ の人は、この事件を指揮していた者をわずか数メートル間近で見ているわけです。そして、富山氏について、現場で見た人はこのような人とはまるで違う人だ、 背も高くないし、顔つきも違うと断言しているわけです。警察でいろいろな写真を見せられたけれども全然違うんだということを言い切っているわけです。その ような人が現にいるわけです。
一審で弁護人が検察官に対して、Oの運転するタクシーの乗客について検察官は分かっているはずだから氏名を明らかにしてもらいたいと要求したわけでありま すが、検事はそういう人については全然判らない、こちらが教えて貰いたいくらいだと言ったものです。ところが、開示された員面調書を見てみたら、Oという タクシーの運転手は、その乗客から新聞社のチケットで払ってもらったということを言っており、どこの新聞記者であるかということも知っていたわけです。そ れが全然判らない、こっちが教えてもらいたいくらいだなどと嘘をついている。検事は、被告の無罪につながる証拠を、公然と嘘をついてまで、かたくなに提出 を拒否して有罪を維持しようとしたのであり、権力自らが証拠隠滅という犯罪を犯しているのであります。
検察官のデッチあげの手口
第2に、本件捜査、起訴を担当した検事は、当時東京地検公安部にいた遠藤検事、清沢検事の2名でした。この検事の行ったデッチあげ工作は、まことにすさまじいものであったわけです。
この事件は車道上で3人が鉄パイプで被害者を殴りつけ、1人が歩道上で指揮をしていた、その指揮者が富山氏だという検事の起訴事実であります。被害者は3 人、指揮者は歩道上にいて1人、実行者と指揮者が交代した証拠は一切ありません。したがって指揮者と実行者とは別人です。
浜田先生が鑑定書で分かりやすく図で示しておられるのですが、一応、口頭で説明します。員面調書によれば、車道上で殴っていた実行犯として富山氏の写真を 選び出したのが、S、Ta、K、Tkの4名、車道上で指揮をしていたとして富山氏の写真を選び出したのがYという人、歩道上の指揮者として富山氏の写真を 選び出したのがOとIの2人という具合です。そうなると同一時刻に富山氏の顔をもった実行犯がいるとともに、歩道上にも富山氏の顔をした指揮者が居り、ま た同じ時刻に車道上にも富山氏の顔をした指揮者がいるということになります。
すなわち、富山氏の顔をした者は、同一時刻に3カ所に存在したことになり、現実の世界ではあり得ないことになります。これは、目撃供述の信用性を根本的に くつがえす決定的な矛盾であります。検察官の主張によれば富山氏は「指揮者」でなければならないのに、4人の目撃者は実行犯として富山氏を目撃したことに なってしまうのです。
このようなことが起こるのは、富山氏の写真を選び出した写真選別の過程とその結果が全く信用性のないものであることを露呈しているのであります。
このような絶対的な矛盾に直面した遠藤、清沢検事はどのようにしたかというと、この矛盾は犯行現場で同一時刻に目撃したことから生ずるのだから、目撃場所 や時刻をずらした上で、同一の犯人である富山氏を目撃したとすれば矛盾は解決すると考えたのであります。
そこでO、I、Yは歩道上の指揮者を目撃し、Kはその手前の場所で目撃し、SとTは逃走する途中の犯人の1人として目撃したとし、Tkは路地に逃げ込む直 前の犯人として富山氏を目撃したという具合に目撃者の調書を作りかえたのであります。しかも、当初の供述からなぜそのように供述が変わったかという説明は 一切なしです。これは大変に乱暴なことです。その結果、当初は、4人の目撃者が車道上の実行犯としての富山氏を目撃したという供述だったのが、変遷後は、 車道上の実行犯としての富山氏を目撃したという目撃者は一人もいなくなってしまいました。
そして、同じ内容を目撃証人に法廷で証言させたのです。証人にテストと称して何回も呼び出して覚えさせるのです。まさにデッチあげそのものです。証拠の変造、歪曲であり、証拠隠滅の犯罪行為であります。
これで目撃者の員面調書が出て来なければ遠藤、清沢検事の犯罪行為は完璧だったのですが、横田裁判官の開示勧告によって、員面調書が出て来て検事のデッチ あげが暴かれたのであります。ところが、にもかかわらず高裁はこの供述の変遷を問題ないとして平然と有罪判決を下したのであります。
再審請求
再審請求の中で、浜田先生の鑑定書は、供述の著しい変転が取調官の関与によるものであることを具体的に明らかにしています。
また、再審では、目撃証人の証言が不合理であることを科学的に明らかにしています。高裁確定判決で最も信用性が高いとされたI証人は、指揮者と16・ 45m離れた地点から目撃し、その視力は0・2と0・4でした。弁護団は、16・45m離れた初対面の人物の同一性識別は不可能であるという鑑定を実験に 基づいて提出しています。
しかしながら、東京高裁中川武隆裁判長は、これらの鑑定書について、いずれも新規性、明白性がないという誤った判断を下して棄却決定を下したのであります。
異議審・・・証拠開示がカギ
これに対し、弁護団は異議申し立てを行い、現在高裁第4刑事部で審理が行われています。異議審のカギは証拠開示です。警察で写真面割りを実施した26名中 19名については員面調書も検面調書も、これに関する捜査報告書も開示されていません。Oの運転するタクシーに乗車していたKuは明確に、指揮者は富山氏 のような顔、身長、体格の人とは全然違うと断言しているのであり、少なくとも捜査報告書はあるはずです。同乗していた姉さんはすでに死亡していますが、調 書があることは検事が認めています。また、高裁判決で信用性が高いと評価されていたI証人と事件現場付近で出会って一緒にこの事件を目撃したYoはすでに 死亡していますが、生前弁護人に対し、Iの供述とは全然違うことを語っていました。このYoの調書もあるはずです。
さらに最初に富山氏の写真を選別しながら法廷に証人として立つことがなかったTkが乗った車を運転していたKaはTkより見やすい位置から見ていたので調書はある筈です。
これらの調書類について検事は開示を拒否しています。この状況を何としても打破しなければなりません。弁護人は裁判所に対して証拠開示の決定若しくは勧告 を出すように申し入れています。さらに、2007年6月には指宿信立命館大学教授の証拠開示に関する意見書を提出しました。指宿教授は再審の機能を誤判訂 正機能に求める立場をとり、誤判防止の立場からも証拠開示の必要性を強調され、とりわけ犯人識別証拠については全面的な証拠開示の必要性を指摘されていま す。
なお、高裁第4刑事部は、別件について2007年11月、検察官に対し、被告人の取調に関する警察官作成の取調メモ(手控え)、備忘録の開示を命じ、最高裁はこの決定を認める決定を下しました。調書以前の取調メモの開示命令です。
今は証拠開示命令獲得に向けて、裁判所に対する訴訟上の申立のみならず、裁判外で大きな運動を作り出し、裁判所が開示命令を出さざるを得ない状況、動きを作り出すことが決定的に重要だと思います。
弁護団も皆様とともに頑張って再審無罪をかちとり、勝利する決意であります。ともに頑張りましょう。ありがとうございました。 |