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ニュースNo164(2002年5月1日発行)

●ニュースNo164(2002年5月1日発行)◎戦争は究極の人権破壊―有事立法と「司法改革」

大井町ビラまき報告


◎戦争は究極の人権破壊―有事立法と「司法改革」

 とうとう有事法制3法案が国会に上程され、審議が始まりました。ついにここまで来たということです。日本が本気で、他国・他民族に対して武力攻撃をやろうとしています。それは帝国主義強盗同士の戦争と侵略戦争以外ではありません。

小泉首相は「備えあれば憂いなし」と述べています。何に対する「備え」なのでしょうか。「日本が攻められる、侵略される」と言いたいようです。しかし、 本当に日本が攻められる、侵略されるようなことがあるのでしょうか。まじめに歴史を学べば、全くの嘘で、近代以降の日本は攻めっぱなし、侵略し放題だった ことはすぐわかります。「ソ連が攻めてくる、占領される」、「テポドン」「拉致疑惑」「不審船」・・・みんなためにするデマゴギーで排外主義と愛国主義を 煽りましたが、ソ連など消滅してしまったではありませんか。真剣に考察すれば、唯一日本が「攻められ、占領される」リアリティーがあるのは、アフガニスタ ン侵略にみられるように、アメリカだけです。反対に、「いつ日本の経済侵略が武力攻撃に変わるか警戒を怠れない」というのがアジア人民の現実ではないで しょうか。侵略戦争と帝国主義同士の権益をかけた戦争への「備え」、本気で戦争をやるための「備え」、しかも漠然とした「備え」ではなく当面はアメリカと いっしょになって北朝鮮、中国―アジアへの侵略戦争をやるための切迫した具体的「備え」、これが小泉首相の言う「備え」です。いよいよ「戦争国家づくり」 もここまで来たといわねばなりません。

「武力攻撃事態法案」「自衛隊法改正案」「安全保障会議設置法改正案」、いずれも逆さまな言い方をしていますが、正体は「日本の武力行使法」「日本軍隊 法」「首相大権法」です。法案にいう「武力攻撃事態」とは、「武力攻撃が発生した事態」だけではなく「そのおそれのある場合」や「事態が緊迫し、武力攻撃 が予測されるに至った事態」がすべて含まれるのみか、「武力攻撃事態以外の国及び国民の安全に重大な影響を及ぼす緊急事態への対処」も盛り込まれていま す。いくらでも拡張解釈できるようになっているので、いつでも「国家の緊急事態」「国家有事」を宣言して自衛隊の武力行使が可能です。「国権の発動たる戦 争」「国の交戦権」の復活であり、憲法第9条の破壊に他なりません。

アメリカ・ブッシュ政権は、昨年の9・11以降、「対テロ戦争」を掲げて民族解放闘争の絶滅、資源略奪、世界市場の再分割をかけた侵略戦争を開始しまし た。「悪の枢軸」論にみられるようにアフガニスタン、パレスチナからイラク、イラン、北朝鮮へと拡大し、さらに対中国、帝国主義間戦争、第3次世界大戦を も想定しています。この弱肉強食戦に、むきだしの軍事力で他国を侵略し、支配できる力を持たないかぎり生き残れないことを知り抜いているからこそ、小泉政 権は必死の凶暴さで戦後憲法体制を根本から覆して、軍事独裁体制と国家総動員体制をつくりだそうとしているのです。

もう少し法案をみていきましょう。

国・地方公共団体・指定公共機関の戦争協力は「責務」であり、「国民の協力」は義務であると明記されています。あらゆる機関とそこに働く労働者が戦争に動員されるのです。
首相にいっさいの権限が集中され、国と地方自治体のあらゆる行政機関、公共機関、民間までもが設置された「武力攻撃事態対策本部」の指揮統制に従わせら れます。国会と議院内閣制を事実上解体して首相と軍部が実質的な権限を独裁的に握って軍隊や警察を自由に動かし、国家総動員体制をつくりあげることが可能 になるということです。ナチスの「授権法」にも比すべきものであって、憲法の全面停止を意味します。
戦争協力の義務化・強制と一体で「憲法の保障する国民の自由と権利」に「制限を加える」となっていますが、制限が無制約となるのは必至です。基本的人権と政治的社会的諸権利は圧殺されます。
自衛隊の制約が取り払われて、軍隊としての軍隊となった自衛隊の侵略と内乱鎮圧のための自由な戦闘行動を保障するために、新たな規定が設けられます。軍事最優先の社会に変わるということです。当然、非協力者に対する処罰規定も導入されています。

さらに関連法案を「二年がかりで制定」のうえに、次期通常国会で教育基本法を改悪するというのだから、戦争国家の担い手の創出という目論見は誰の目にも明らかというものです。
国会にはすでに「憲法調査会」が存在します。その「憲法調査会」は、調査とは名ばかりで、行われている議論の前提は改憲です。現実に改憲の内実がどしどし進行し、その実体・実態に沿って条文が書き改められるということになるでしょう。最大の攻防点は憲法第9条です。
改憲の最大の眼目である憲法第9条の破壊は、有事立法によって成し遂げられるのみか、戦後憲法の根本理念も否定されてしまいます。憲法は戦争を放棄して おり、したがって戦時や国家事変の際に元首や政府に与えられる国家緊急権を定めていません。また基本的人権を保障していますが(「国民」に限定し、在日朝 鮮人・中国人、沖縄県民を排除した問題について認識する必要があるが、ここでは割愛する)、これは戦争放棄と一対のものです。そして人民の権利と自由の度 合いは、さまざまなたたかいの帰趨、階級的力関係が決めてきました。有事立法はこれを根本から否定し、転覆し、剥奪しようとするものです。それは日本が国 家の基本に戦争を据えて本気で戦争をやろうとしているからに他なりません。(Ⅰ)戦争は国家の死活をかけたもの(Ⅱ)現代の戦争は総力戦、国家総動員型の 戦争であること(Ⅲ)戦争遂行のために「城内平和」を必要とすること、それも戦争賛成、戦争勝利、戦争遂行で国論を統一し動員する必要から戦争反対、戦争 妨害要因の根絶のための徹底性が求められることに起因します。一般的に権利と自由を制限する、奪うと言っているのではありません。戦争をやる、戦争反対は 言わせない、強制的に戦争に動員する、抵抗する者は弾圧すると言っているのです。憲法第9条の破壊をとおして社会のあり方は百80度ひっくり返ります。

こう見てくると、「司法改革」の狙い、役割はきわめて明瞭ではないでしょうか。

司法審(「司法制度改革審議会」)の中間報告に「司法改革」は「最後の要」とありました。改憲を先取りして、軍事独裁体制と国家総動員体制が不可避に生 み出す人民の抵抗と反乱を弾圧・一掃するための「戦時司法」を目指すものであることが、有事立法の登場で浮き彫りになったのではないでしょうか。
前号の「まやかし『司法改革』は改憲の先取り・戦争への道」はいまひとつ理解しづらいという意見がありましたので、「司法改革」のあかつきには私の原審はどういうことになるか想定してみます。
まず取調段階で私選弁護人の依頼はほぼ不可能でしょう。私が中核派であることから組織犯罪対策法・団体規制法、国際的組織犯罪条約関連法等々の規制に よって、また刑事弁護を受任する弁護士の減少や刑事弁護ガイドラインによる規制のために私選弁護人は困難で国選弁護人を選任するほかないという事態になる ことは十分ありえます。その国選弁護人が、戦前の治安維持法に問われた被告に向かって言ったように「転向しないと弁護は引き受けられない」と転向を迫る可 能性も大です。

公判にあたって。争点整理の段階で困難にぶちあたります。審理計画は「目撃証人の信用性」にしぼられたとしても、多分、「目撃供述調書」は検察官面前調 書しか開示されないでしょう。原審でも事前開示は検面調書だけでした。さあ公判開始、ところが証人尋問を始めようとしたら、たちまち裁判官から「争点整理 にもとづく審理計画を逸脱するから」と制止されます。被告である私だけでなく弁護人も弁護活動を制限され、それでも頑張ったら懲戒請求されて弁護士資格剥 奪となりかねません。それどころか「証人保護」の名目で「不出頭許可」ということだってありえます。ということで防御・反証活動ともに為す術もなく公判は 進行して「有罪」。そのまま控訴審・上告審と進んで、確定。執行。満期出獄。

さて、再審請求したいのですが、どうしましょう。「目撃供述調書」は検面調書しか開示されておらず、員面調書(司法警察員面前調書―警官が作った調書) の存在は知り得ないのだから(原審では証人尋問をみっちりやり、検察官を弾劾し、裁判官を説得して、員面調書の開示を実現した。さらに、「目撃供述調書」 が34人分あることも引き出した。これができなくなるとはどういうことかを考えていただきたい)、途方に暮れるしかありません。

かくして再審開始は殆ど絶無に近くなることでしょう。それでも再審請求が絶えることはありません。なぜなら今以上に冤罪そして誤判が増えるからです。
組織的犯罪対策法が登場したときに再審裁判闘争もできなくなると訴えました。今度は刑事裁判が刑事裁判でなくなったうえに、直接の当事者はもちろんすべ ての人民がそれに異議の意思表示することすら封殺・罰せられます(新治安法制下では署名やカンパさえ処罰の対象になる)。
すべての人民があらゆる刑事裁判に対して当事者です。傍観者でいることはできません。一人の人権が侵されるとき、すべての人民の人権が踏みにじられているのですから。このことが、有事立法という凶悪な攻撃によって、かえってはっきりしてきました。
もはや一人の例外もなくすべての人民が歴史の岐路に立たされ、戦後民主主義のなかで培われてきた平和意識の内実を問われています。事態がここまで来て、 ここで立ち上がらなかったら、後世の人々にそしられても仕方ないでしょう。いまや陸・海・空・港湾労働者の20組合が生命と生活をかけて、有事立法阻止の たたかいにたちあがっています。

不屈に粘り強くたたかいぬいてきた富山再審闘争が広範な人民と合流・結合するときがきたのです。声を大にして「一人は万人のために、万人は一人のため に」の実践を訴えれば訴えるほど、それが巨大な物質力となるときを迎えました。有事立法粉砕・改憲阻止、まやかし「司法改革」粉砕のたたかいの高揚ととも に再審開始・無罪実現の勝利をかちとりましょう。   (富山保信)

STOP!有事法制  5・24大集会
(於・明治公園・午後6時開場)

 STOP!有事立法&まやかし「司法改革」  6・5弁護士・学者・労働者・民衆の集い
(於・弁護士会館・午後6時から)

 今回の大井町での署名集めの結果は、

山村・・・・・・4
亀・・・・・・・2
富山・・・・・・1
うり美・・・・・0

でした。

 署名板を持って駅頭に立ったものの「体調が今ひとつだな」とボォーとしていたのに、始めてすぐ、30 代の女性が近づいて来て署名してくださいました。そのあとも続けて署名する人がいて、結局4名で1番。うり美さんからは「棚ぼたじゃん」と言われ、富山さ んからは「なんで私がまいたビラを受け取ってそっちで署名するわけ?」というジトッとした視線を浴び、常勝の亀さんからは「フフン、たまにはね」とあしら われた次第です。 (山村)

 「明日の為の第25歩目(数えていなかった)。
1ヵ月早く梅雨がきたようです。かっぱが必要になりました」

というお便りとともに2000円お送り頂きました。ありがとうございました。

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ニュースNo163(2002年4月1日発行)

●ニュースNo163(2002年4月1日発行)◎まやかし「司法改革」は改憲の先取り・戦争への道□大井町ビラまき報告


まやかし「司法改革」は改憲の先取り・戦争への道

 日本の司法の現状は、これを知る者、とりわけ裁判の場において現に国家権力と争っている者または経験者あるいは関係者にとって、その改革は急務だと痛感し、切望せずにはいられないほどひどい。
この数年、「司法改革」が鳴り物入りで論じられてきたが(1999年7月27日に「司法制度改革審議会」設置、2001年6月12日最終意見書提出、同 年12月1日司法制度改革推進法施行、「司法制度改革推進本部」―本部長は小泉首相で、全閣僚がメンバー―が発足、同年12月27日「司法制度改革推進本 部顧問会議」発令、2002年3月19日司法制度改革推進計画を閣議決定)、「これから三年間、関係の法整備などに取り組」むという。では、切望してやま ない司法に一歩でも近づくのだろうか。結論から言えば、全く逆である。基本的人権は踏みにじられ、人民が営々と積み重ねてきた努力の成果・権利はことごと く剥奪されるのみか、それを裁判で争うことさえできなくなるという恐るべき事態を現出させようというのが「司法改革」の正体に他ならない。本来ならば、司 法審(「司法制度改革審議会」)の最終意見書を俎上にあげて全面的に論じるべきなのだが、紙幅の都合で別の機会に譲って、ここではデッチ上げとたたかって いる当事者の立場から具体的に「司法改革」=歴史の逆行=人類の叡智への敵対がもたらす刑事司法の惨憺たる姿を暴いていきたい。
最終意見書には、あれほど饒舌に「司法改革」を論じながら(インターネットで引き出すにもA4・50枚では足りない)「基本的人権」という言葉が条文の 引用のほかには登場しない。捜査、逮捕、拘留、取り調べ、公判過程さらには執行過程でどれほどの違法・無法行為、人権蹂躙がまかり通っているか知らないと でもいうのだろうか。知らないはずはない。いや、知りすぎるほど知っているから人民の目をふさごう、たとえ気づいてもすべては「後の祭り」という状態にし てしまおうとしているのだ。
数限りない冤罪(まず膨大な数の冤罪が存在することを認識すべきだ。裁判官でさえ「三分の一は誤判」と述懐している例がある。微罪だと未解決事件は殆ど 累犯者の犯罪とされて「一件落着」となる。これが実態だ)が教えているように、捜査・逮捕・拘留・取調過程にメスを入れなければ冤罪は根絶できない。とこ ろが、ブラックボックス化している取調過程に光を当てようという気もなければ、悪名高い「代用監獄」すなわち拷問等の違法・無法行為やり放題の警察の留置 場への勾留の廃止も取り上げてはいない。例えば「捜査ガイドライン」の必要性を論じることもしない。そもそも冤罪はないという立場であり、刑事裁判の使命 は無辜の救済、無辜を罰せずにあるのではなく、社会秩序の維持を最優先するという観点に貫かれているからだ。この日本(にほん)においては、かつて一度た りとも公的に冤罪の研究・解明が行われたことはない。当然、責任も明確にされない。行ったことと言えば、どうすれば冤罪=権力犯罪が露呈しないですむかの 工夫に腐心しただけである。
したがって、事実認定に科学的知見を導入しようということもしない。ある裁判官が任官まもないころ事実認定の学習・研究に取り組もうとしたら先輩裁判官 に「事実認定はカンだよ」と言われたという逸話があるが、「代用監獄」の存続、取調過程の客観的保存(録音やビデオ化等)の否定等々のうえに、「裁判の迅 速化」の異常な強調をもって、たとえカンであろうと事実認定に精力を割くことさえ拒否しようとしている。
最終意見書が強調し、小泉首相が顧問会議(「司法制度改革推進本部顧問会議」―座長は司法審会長の佐藤幸治)での挨拶で「裁判は早く行われなければいけ ないのであり、こういう点を踏まえて司法改革に取り組んでいただきたい」と明言しているように、目指されているのは闇雲な「裁判の迅速化」であり、これを 実現するためには「推定無罪」原則の否定のもとに刑事裁判を儀式化してしまう、つまり人民が裁判で争えなくしてしまうということである。
最終意見書の「Ⅱ、国民の期待に応える司法制度」の「第二、刑事司法制度の改革」では、「準備手続きの創設」として第一回公判前に、裁判所が争点整理を 行って審理計画を決めてしまう、そして「連日的開廷の確保等」のために「裁判所の訴訟指揮の実効性の確保等」と「弁護体制等の整備」を行うという。噛みく だいて言えば、こういうことだ。国家権力が証拠を独占(実質的には隠蔽ということ)し、得手勝手な操作によって行われる事前の争点整理にもとづく公判で は、捜査権限のない被告・弁護側には第一回公判前までの期間に有利な証拠を収集するなど事実上不可能であり、しかも連日開廷とあっては防御権など絵に描い た餅ですらない。抽象的に論じても、成立させるためには「事前の証拠の全面開示」が大前提だが(すべての証拠を洗いざらい出して、その証拠価値をめぐる応 酬をたたかわせて、第三者の公平な判断を仰ぐということ)、一顧だにされてはいない。現実の裁判の場で常に争われるのは証拠開示問題である。松川事件での 「諏訪メモ」隠しに典型をみるように、捜査当局(警察・検察)が無実・無罪証拠を隠すからだ。都合のいい証拠だけを並べ、あるいはデッチ上げて、都合の悪 い証拠は隠したうえで決められる争点整理―審理計画に沿って行われる裁判など真実究明と無縁なことは考えるまでもない。はじめに有罪ありきで有罪宣告に向 かって問答無用で進行させる儀式にすぎないではないか。
それでも必死に抵抗し、たたかおうとする被告・弁護側に対して、裁判所は訴訟指揮権をいっそう強化してのぞむ(法廷での弁護活動や反証活動の制限、圧殺 ということだ。私の一審では法廷での反証活動をみっちりやって証拠開示をかちとり、それが無罪判決につながったが、「司法改革」のあかつきには「証人保 護」等を口実にできなくされる。そして、弁護士の弁護活動も制限される。争点整理から外れるからと、阻止される虞が大である。すでに被告と弁護人の秘密交 通権を圧殺しようとする動きがある。さらに、統一被告団、統一弁護団も存在できなくされる等々、被告は裁判の当事者ですらなくされてしまう)という。これ を貫徹するために、弁護士のあり方を一変させてしまう、つまり公的弁護制度の創設による刑事弁護の国家管理や、弁護士事務所の法人化による変質を狙ってお り、国家統制を法曹養成段階から図るものとして「法科大学院(ロースクール)」の創設もある(金の苦労など無縁の人間しか法曹界に進めなくなる。あるいは 苦学して法曹資格を得たとしても、その段階で1000万円―学費がそれくらいかかる―の借金を抱えて返済に奔走しなければいけないので、手弁当で刑事弁護 に取り組むのは困難とか、法曹資格を剥奪される恐れのある刑事弁護は敬遠するということになりかねない)。「司法改革」の狙いのひとつが(成否がと言って もよい)、個々の弁護士の屈服・変質はもちろんだが、弁護士会のまるごとの変質・翼賛組織化にあることは明瞭だ。
また「国民の司法参加」の謳い文句のもとに「裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映される」とされる裁判員制度とは、こうした刑事裁判の形骸化のうえに導入されるのであって、そもそも実態としても陪審制ですらない。
なお、もうひとつだけあげておけば、訴訟費用の敗訴側負担の導入は裁判を受ける権利さえ否定するものだ。これほどあからさまに「貧乏人に人権なし」を公言するものはあるまい。
要するに、小泉首相=行政権力の長が「国家戦略として取り組む」ものであって改善の余地など論じるまでもない。建前としての「三権分立」すら放擲されて いるではないか。現状でさえ冤罪をはらすのは並大抵の苦労ではないのに、「司法改革」が強行されてしまったら、しかも組織的犯罪対策三法や団体規制法さら にいま襲いかかろうとしているカンパ禁止法等の一連の治安法制の大改悪によって裁判のみか裁判支援さえがんじがらめにしようとたくらまれているとあって は、このままでは座して死を待つのみだと言いたくなる。断じて、そうあるわけにはいかない。いまこそ立ち上がり、声を上げて、たたかわなければならない。
さいわい、まだ間に合う。弁護士会も「司法改革」の反動攻勢に席巻されたわけではない。今年の日弁連の会長選挙の結果に見られるように、「司法改革」の 正体が暴かれるに従って「司法改革」反対の力が前進している。「司法改革」絶対反対派が1300票増大して5000、そうでないのが8000。弁護士会の 丸ごとの転向のために「戦争のできる国家体制づくり」勢力の総力をあげた攻撃と対峙してここまで前進したということは、いかに「司法改革」がひどいもの か、ありていに言えば「戦時司法」にほかならないことを示して余りあるといえよう。
いよいよ今国会には有事法制が登場する。現代版国家総動員法である。
小泉政権は、本音を隠そうとはしていない。昨年12月22日の外国船撃沈・虐殺の強行と、その引き揚げという軍事挑発、いわゆる「拉致問題」を使った排 外主義キャンペーン、朝鮮総連への破防法適用策動等々、アメリカ・ブッシュの「悪の枢軸」論以上の悪辣さで排外主義・愛国主義を煽って、戦争への道を突き 進んでいる。「小泉構造改革」とは、人間が人間らしく生きられる社会へと「構造改革」するのではなく、国家と大資本が生き延びるために人民を犠牲にすると いうことであって、大失業と戦争をもたらすものだ。
すでに国会には「憲法調査会」が設置されて改憲を前提に論議されている。憲法第9条について、もはや戦力不保持は歯牙にもかけず、交戦権の否認の否定が 公然と語られている。有事法制とは実際に戦争をするためのものにほかならない。そして、「司法改革」とは改憲の先取りであり、いわば内堀・外堀を埋めてた たかわずして落城させる最後の仕上げともいうべきものだ。
現憲法に結実されているのは、日本人民の「二度と戦争をしてはいけない」「侵略のための銃をとってはならない」「加害者にも被害者にもならない」という 反省と決意だ。これを言葉だけに終わらせてはならない。本当に実践するときはいまだ。さもなければ再び殺戮と破壊の東洋鬼としてアジア人民と対するのみ か、自らも悲惨の極にたたきこまれるのだ。
人権が踏みにじられるとき戦争が始まる。そして、戦争こそは人権蹂躙の極致なのだ。「司法改革」の行き着く先をみれば、「司法改革」と戦争の一体性は明 らかだ。まやかし「司法改革」は憲法改悪・戦争への道だ。まやかし「司法改革」をうち砕こう。戦争反対派は人民の多数派なのだ。これを正しく反映させよう と、心ある弁護士諸氏は決起している。私たちも、粘り強く、着実に、そして楽しくたたかおう。私たちは、必ず勝てる。ともに勝つためにがんばろう。  (富山保信)

 今回から、大井町での署名集めは、これまでやってきた再審要求署名から証拠開示を求める署名に切り換えて行うことになりました。
「34人の目撃者の供述調書がある」とされているにもかかわらず、検察官は、そのうち7人の供述調書しか開示していません。開示されていない目撃者の中 には、富山さんが「犯人」であることを否定している人がいることが弁護団の調査でわかっています。いまだに開示されていない残り27人の調書をはじめ、富 山さんの無実を裏づける証拠を検察官は隠しつづけているのです。検察官にとって有利な証拠は出すが、無実を訴える被告にとって有利な証拠は隠す、こんな卑 劣なことはありません。
弁護団は裁判所に、検察官に対して証拠開示命令を出すよう求めており、証拠開示を求めるたたかいが焦点になっています。
事件現場である大井町の人々にも証拠開示の重要性を訴えたいということで、今回、証拠開示を求める署名を前面に出して署名集めを行うことになったものです。
また、これまで、立ち止まって話を聞いてくれる人でも、「話を聞いただけでは、無実かどうかすぐには判断できないから」と言って署名は断る人がいまし た。そういう人たちにも、証拠開示を求める署名の「公正な裁判のためにも、まずはすべての証拠を明らかにして審理すべき」「検察官が証拠を隠しつづけてい るのはフェアではない」という主張は受け入れやすいのではないか、これまで署名をためらっていた人たちにも納得して署名してもらえるのではないか、という ことが定例会で話題になり、検討した結果でもあります。
証拠開示を求める新しいビラは富山さんが作りました(6ページにビラの表を載せました。裏面に事件の説明、裁判の経過、申し入れの内容がありますが、紙面の都合で割愛します)。
その成果は、

亀・・・・・・3名
富山・・・・・2名
山村・・・・・1名
でした(うり美さんは体調を崩してお休み)。

今回、署名を終わろうとしていると、杖をついた男性が近づいてきて、何をしているのかと富山さんに話しかけてきました。その人はしば らく前から署名している私たちを見ていたらしく、富山さんの説明に、すぐ署名してくれました。そして、富山さんが無実なのに10年の刑を受けた本人である ことを知ると、「それはご苦労さまでした。大変でしたでしょう」と帽子をとって深々と頭を下げられたのには、富山さんのみならず私たちも恐縮してしまいま した。
この方は、沖縄の名護市出身とのことで、「国家権力というのは平気でそういうひどいことをする。沖縄の例をみてもそれはわかる」とおっしゃっていまし た。また、既成政党に対しても「だらしがない」「選挙の時にしかいい顔をしない。選挙が終わるととたんに住民のことを忘れる」と批判されていました。
その他にも貴重なご意見を伺うことができ、こういう方が署名してくださったことに大変勇気づけられました。毎月欠かさず、大井町駅頭に立っていると時々すばらしい出会いがあるものです。 (山村)

 3月19日付で、

 「(歩数の)数えなおしありがとうございます。明日のための第23歩目。
季節は桜の咲く季節となりました。
20日以上遅れました」

というお便りとともに2000円。

3月28日付で、

 「明日の為の第24歩目。
季節は春を通り越して夏のようです。桜も雨で散ってすぐ葉桜になってしまいました。ぐっと外にいるのも楽になりました(雨と風以外ですが)。(あっと、花見ができなかったか。)」

というお便りとともに2000円を頂きました。ありがとうございました。

 練馬区の読者の方から、住所変更の連絡とともに、「『明日のための・・・』を真似して・・・。2000円、お使いください」とカンパを頂きました。
また、以前、集会に参加してくださった大井町の方から、「カンパ。いつも御手紙ありがとうございます。これからも頑張って下さい」というお便りとともに3000円を頂きました。
また、他にも集会に参加された方で、3000円振り込んでくださった方がいます。
みなさん、ありがとうございました。

▼以前、集会に参加してくださった方からニュースのお礼と、職場の都合で地方に引っ越すので今度はそちらに送ってほしい旨のメールが届きました。
お送りしているニュースが確実に読まれていることに大変励まされます。これからもよろしくお願い致します。